〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実/S・スコット/谷口功一他訳
眉唾な話が多いビジネス界でも特に多い話題は起業家にまつわるものだ。学校を中退した若者が、意志と才能だけを元手に、努力でチャンスをつかみ、見る間に巨大ビジネスを築き上げる、まさにアメリカンドリームの神話。とくに昨今IT産業の勃興はそうした逸話に事欠かない。人々が「起業」に寄せる思いは、そうして神格化されているのである。
そうした神話の霧に包まれ茫洋とした「起業家」の実体を、この本はデータに基づき暴いてゆく。
起業家とは何か。最近新しくビジネスをはじめた人の事である。すると、その実体は、何の変哲もない、そこらにいるような最近商売をはじめた自営業者が大半を占めるのである。無論、私もその一人であった(過去形なのは起業してからもう10年も経つので)。
本書が暴く起業家の実体として、面白いものには、
・アメリカでは起業家の数は減少している。
・アメリカは起業家が多い国ではない。ペルーの方が3.5倍も起業家が多い。というか、全人口に対する起業家の割合は、むしろ日本の方が多い。
・起業家は、わざわざ失敗しやすい業種を選んで開業する。それは、建設業や小売業など、最近まで自分が働いていたレッドオーシャンだからである。
・起業家が起業する理由のトップは、他人の下で働きたくない、というものだ。次点は、失業したから。
・典型的な起業会社では、なんの革新的なプランもなく、それどころか通常のビジネスプランさえない。
・7年後も続けていられる起業家は、1/3しかいない。
・典型的な起業会社の資本金は2万ドル。殆どが本人の貯金で、従業員も本人しかない。
・典型的な起業家は、長時間労働した上、雇用されていた時に比べ収入も少ない。
経済的に豊に発展すると、雇用が安定し、給与が増える。その為、起業した場合に比べ、被雇用者となった際の機会費用が増大し、起業を避ける傾向が出てくる、という自然な話である。
ゆえに、起業するのは他人の下で働くのが嫌になったり仕事を失ったりした中年が多いのが実体だ。貯金を元手に、自分のかつて働いていた業種の周辺で、プランもなく、ただ、食べていければいいというだけの目的で起業する、というような起業家が大半を占める事になる。そして、競合が多いのにノープランであれば必然的に失敗する可能性が高い訳だ。
本書では、彼らを、失敗するために起業する愚か者と断じている。
であるので、起業家に対する優遇政策などは、その起業家の実体を見極めて行うべきだと注意を喚起している。実際に、こうした起業家がもたらす経済効果、雇用拡大効果は、ほぼ無視できる程度である事を本書は示している。今後10年間、9人の雇用を生み出すためには、今から43人がそれっと起業をはじめる必要があるという計算は非常に示唆に富んでいる。
本書は起業自体を諫めるものではない。起業は資本主義の心臓である。新境地で未知のビジネスを立ち上げ、需要と雇用を生み出し、経済成長を牽引する、そうした起業は必要である。しかし、そうした成功例は一部であり、政策上「起業」とひとくくりにされている「自営業」の実体は、既知の市場で顧客を奪い合い、成長する気も雇用する気もなく、何のプランもないような、失敗が必然の商売が大半であり、そうした二者をきちんと峻別して施策せよ、というものだ。たしかに一理あるだろう。
起業を考える人はじめ、起業に関する政策やビジネスの担当者、そして自営業者は、一読しておいて損はないだろう。
最後に、著者が見逃したか、記述のなかった点について語ろう。
まずは起業の経済効果について。起業は、起業をサポートするビジネスまたは起業自体を顧客とするビジネスへの経済効果があるだろう。いわば、大規模な体感型アミューズメントといったサービス業とも言える。虎の子をはたいて大家に貢ぎ、内装業者を潤し、什器屋を喜ばせ、半年後にはリサイクル屋に舌なめずりさせる、そんな起業家の存在は、各種企業にとって貴重な栄養源に違いないと思われる。
次に、成長と発展だけが価値ある経済活動なのか、という点。人間は経済を行うために生きているのではない。生きるために経済を用いるのである。であれば、今この時点に留まる、維持するための経済活動があっても良いだろう。だから、成長についての何のプランもなく、ただ食べていければいいというだけの、雇用も新規需要も生み出さない起業であっても、その存在自体を疎まれるべきではない。もちろんそれらに対する援助施策は必要ないだろう。しかし、そうした個人経営のただ存在するだけの自営が一掃された社会とはどうなんだろうか。特に規模拡大も効率改善も目指さない。ただ、当たり前の仕事を、昨日と同じように、今日も当たり前に行うだけ、という存在が淘汰されていってしまうようでは、何かがおかしいと感じる。
例え経済への寄与が0%であったとしても、すくなくともマイナスでなければ存在の意味はあるのではないか。本書で見るように、起業は失敗しやすく生存率は低い。失敗し失業状態になれば少なくともマイナスだろう。もちろん、どこぞの企業で馬車馬のようにこき使われる方がはるかに経済への寄与は大きいだろうが、それは、個人の選択の自由である。
殆どの起業家が失敗するのは、起業家として非常に愚かだからだ。それなら資金援助するのではなく、サバイバル術を教え込んでサポートするような施策があれば効果を発揮するのではないだろうか。統計が教えるところによれば、起業の成功と生存に最も寄与するファクターは、業種なのである。皆、もっとも失敗しやすい業種を、わざわざ選んで起業するのだ。だからまず、そこからアドバイスするようなサポートがあれば、起業の環境は大きく変わって行く可能性があると思う。ハイエナ業者には困る話だろうが。

S・スコット/谷口功一他訳
〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実
そうした神話の霧に包まれ茫洋とした「起業家」の実体を、この本はデータに基づき暴いてゆく。
起業家とは何か。最近新しくビジネスをはじめた人の事である。すると、その実体は、何の変哲もない、そこらにいるような最近商売をはじめた自営業者が大半を占めるのである。無論、私もその一人であった(過去形なのは起業してからもう10年も経つので)。
本書が暴く起業家の実体として、面白いものには、
・アメリカでは起業家の数は減少している。
・アメリカは起業家が多い国ではない。ペルーの方が3.5倍も起業家が多い。というか、全人口に対する起業家の割合は、むしろ日本の方が多い。
・起業家は、わざわざ失敗しやすい業種を選んで開業する。それは、建設業や小売業など、最近まで自分が働いていたレッドオーシャンだからである。
・起業家が起業する理由のトップは、他人の下で働きたくない、というものだ。次点は、失業したから。
・典型的な起業会社では、なんの革新的なプランもなく、それどころか通常のビジネスプランさえない。
・7年後も続けていられる起業家は、1/3しかいない。
・典型的な起業会社の資本金は2万ドル。殆どが本人の貯金で、従業員も本人しかない。
・典型的な起業家は、長時間労働した上、雇用されていた時に比べ収入も少ない。
経済的に豊に発展すると、雇用が安定し、給与が増える。その為、起業した場合に比べ、被雇用者となった際の機会費用が増大し、起業を避ける傾向が出てくる、という自然な話である。
ゆえに、起業するのは他人の下で働くのが嫌になったり仕事を失ったりした中年が多いのが実体だ。貯金を元手に、自分のかつて働いていた業種の周辺で、プランもなく、ただ、食べていければいいというだけの目的で起業する、というような起業家が大半を占める事になる。そして、競合が多いのにノープランであれば必然的に失敗する可能性が高い訳だ。
本書では、彼らを、失敗するために起業する愚か者と断じている。
であるので、起業家に対する優遇政策などは、その起業家の実体を見極めて行うべきだと注意を喚起している。実際に、こうした起業家がもたらす経済効果、雇用拡大効果は、ほぼ無視できる程度である事を本書は示している。今後10年間、9人の雇用を生み出すためには、今から43人がそれっと起業をはじめる必要があるという計算は非常に示唆に富んでいる。
本書は起業自体を諫めるものではない。起業は資本主義の心臓である。新境地で未知のビジネスを立ち上げ、需要と雇用を生み出し、経済成長を牽引する、そうした起業は必要である。しかし、そうした成功例は一部であり、政策上「起業」とひとくくりにされている「自営業」の実体は、既知の市場で顧客を奪い合い、成長する気も雇用する気もなく、何のプランもないような、失敗が必然の商売が大半であり、そうした二者をきちんと峻別して施策せよ、というものだ。たしかに一理あるだろう。
起業を考える人はじめ、起業に関する政策やビジネスの担当者、そして自営業者は、一読しておいて損はないだろう。
最後に、著者が見逃したか、記述のなかった点について語ろう。
まずは起業の経済効果について。起業は、起業をサポートするビジネスまたは起業自体を顧客とするビジネスへの経済効果があるだろう。いわば、大規模な体感型アミューズメントといったサービス業とも言える。虎の子をはたいて大家に貢ぎ、内装業者を潤し、什器屋を喜ばせ、半年後にはリサイクル屋に舌なめずりさせる、そんな起業家の存在は、各種企業にとって貴重な栄養源に違いないと思われる。
次に、成長と発展だけが価値ある経済活動なのか、という点。人間は経済を行うために生きているのではない。生きるために経済を用いるのである。であれば、今この時点に留まる、維持するための経済活動があっても良いだろう。だから、成長についての何のプランもなく、ただ食べていければいいというだけの、雇用も新規需要も生み出さない起業であっても、その存在自体を疎まれるべきではない。もちろんそれらに対する援助施策は必要ないだろう。しかし、そうした個人経営のただ存在するだけの自営が一掃された社会とはどうなんだろうか。特に規模拡大も効率改善も目指さない。ただ、当たり前の仕事を、昨日と同じように、今日も当たり前に行うだけ、という存在が淘汰されていってしまうようでは、何かがおかしいと感じる。
例え経済への寄与が0%であったとしても、すくなくともマイナスでなければ存在の意味はあるのではないか。本書で見るように、起業は失敗しやすく生存率は低い。失敗し失業状態になれば少なくともマイナスだろう。もちろん、どこぞの企業で馬車馬のようにこき使われる方がはるかに経済への寄与は大きいだろうが、それは、個人の選択の自由である。
殆どの起業家が失敗するのは、起業家として非常に愚かだからだ。それなら資金援助するのではなく、サバイバル術を教え込んでサポートするような施策があれば効果を発揮するのではないだろうか。統計が教えるところによれば、起業の成功と生存に最も寄与するファクターは、業種なのである。皆、もっとも失敗しやすい業種を、わざわざ選んで起業するのだ。だからまず、そこからアドバイスするようなサポートがあれば、起業の環境は大きく変わって行く可能性があると思う。ハイエナ業者には困る話だろうが。