WiiWare/BIT.TRIP RUNNER リズム星人の激走/アークシステムワークス
BIT.TRIP CORE リズム星人の逆襲がとても楽しかったので、シリーズの他の作品にも興味があった訳だが、最新作をプレゼントしてもらったのでプレイ。
今回は横スクロールのジャンプアクションとなっている。リズム星人を操作し、強制スクロールのステージを、ジャンプ、しゃがみ、キック、スプリング等を駆使して障害物を避け金塊はゲットしながら進んでいく。割と短めの、1,2分のコースを完走すればゴール。ゴール後は金塊をコンプリートしていればボーナスステージに挑戦できる。ボーナスステージまでを含めた得点でランキング。コースは3エリアに11ステージ+ボスと、ボリュームはまずまず。
さて、プレイした感想だが、結構難しい。このゲームでは、ミス=即死なので、一瞬の操作ミスも許されない。そしてアクションタイミングが割合シビアでかなり集中力を要求される。その代わり、敵や障害物は完全にパターンで決まっているので、覚えてしまえば目をつむっていてもクリアできるだろう。
ゲームとしてどうなのかと言えば、面白いが、思っていたのとは若干違う物だった。
リズム星人シリーズは、リズムが肝だと思っていた。もちろんこの作品もそうなのだが、若干違うのだ。
前作のCOREでは、リズムに合わせて入力を行うと完璧なアクションができた。それが最高に気持ちの良いゲームであった。
激走では、リズム星人の取るアクションがBGMに同期していると言う点は同じだが、2Dスクロールジャンプアクションでは各動作のスタートから終了までに必ず有限の時間を必要とするので、実際の操作入力はアクションとリズムの同期ポイントのほんの僅か前に入力する必要があるのだ。おわかりだろうか?画面でアクションする主人公の動作はリズム同期しているが、プレイヤーの操作は同期していない。その同期してない操作タイミングがまだ裏なら良かった、しかし裏では早すぎるのだ。本当にただちょっと前、というようなどうしようもないタイミングである。
一体何故こんな仕様にしたのだろうか。何故素直にプレイヤー操作の方をリズム同期してくれなかったのだろう。それだと簡単になりすぎてしまうのだろうか?しかしそれはレベルデザインでどうとでもできるはずである。
リズム同期していない操作入力などは、まったく気持ちよくないのだ。
もちろん、複雑な操作入力下でのアクションとリズムの同期も、だんだんにトランスを招くような快感がある事は認めよう。
つまり快感ポイントが、入力時にあるのか、フィードバック時にあるかの違いである。もちろん両方あれば最高であり、それがCOREなのであるが、どうしても両立し得ないなら、自分としては入力時にフォーカスして欲しかったという事だ。リズムのほんの僅か前に入力、というような操作は美しくない。
もう一点難がある。シリーズではBGMとリズムがパワーアップする毎に豪華になる、という特徴がある。激走でもアイテムを取る毎に4段階に豪華にパワーアップする。しかし、最も嬉しい4段階目とは、つまりステージの終盤な訳で、折角豪華になっても直ぐゴールになってしまう。そして次のステージはまた1からの地味な音楽である。どうにか豪華なBGMを維持できる仕組みは無かっただろうか。COREではノーミスの間は維持される。しかしもちろん激走ではアクションは当然ノーミス前提なので何らかの工夫が必要だろう。
さらにもう一点。まず、無駄な背景ギミックが多く、アクションに集中できないばかりか、手前に飛び出して視界をふさぐようなギミックもあり問題だ。わざとやってるのかも知れないが、いい気はしない。またカラーデザインが、コースと障害物とギミック、それぞれ似通った色遣いで見分けが付きづらい。特に初見ステージは一瞬の判断ミスが命取りになるので目を見開いて見ているが、分かりづらい障害物でのミスは悔しい。雰囲気のトータルコーディネートとか不要なので、はっきりと色分けして欲しかった。
しかし、まあ面白い事は面白いしクリアまで続けるつもりだが、まだようやく全コースの半分をちょっと超えた辺りで先は長そうだ。
今回は横スクロールのジャンプアクションとなっている。リズム星人を操作し、強制スクロールのステージを、ジャンプ、しゃがみ、キック、スプリング等を駆使して障害物を避け金塊はゲットしながら進んでいく。割と短めの、1,2分のコースを完走すればゴール。ゴール後は金塊をコンプリートしていればボーナスステージに挑戦できる。ボーナスステージまでを含めた得点でランキング。コースは3エリアに11ステージ+ボスと、ボリュームはまずまず。
さて、プレイした感想だが、結構難しい。このゲームでは、ミス=即死なので、一瞬の操作ミスも許されない。そしてアクションタイミングが割合シビアでかなり集中力を要求される。その代わり、敵や障害物は完全にパターンで決まっているので、覚えてしまえば目をつむっていてもクリアできるだろう。
ゲームとしてどうなのかと言えば、面白いが、思っていたのとは若干違う物だった。
リズム星人シリーズは、リズムが肝だと思っていた。もちろんこの作品もそうなのだが、若干違うのだ。
前作のCOREでは、リズムに合わせて入力を行うと完璧なアクションができた。それが最高に気持ちの良いゲームであった。
激走では、リズム星人の取るアクションがBGMに同期していると言う点は同じだが、2Dスクロールジャンプアクションでは各動作のスタートから終了までに必ず有限の時間を必要とするので、実際の操作入力はアクションとリズムの同期ポイントのほんの僅か前に入力する必要があるのだ。おわかりだろうか?画面でアクションする主人公の動作はリズム同期しているが、プレイヤーの操作は同期していない。その同期してない操作タイミングがまだ裏なら良かった、しかし裏では早すぎるのだ。本当にただちょっと前、というようなどうしようもないタイミングである。
一体何故こんな仕様にしたのだろうか。何故素直にプレイヤー操作の方をリズム同期してくれなかったのだろう。それだと簡単になりすぎてしまうのだろうか?しかしそれはレベルデザインでどうとでもできるはずである。
リズム同期していない操作入力などは、まったく気持ちよくないのだ。
もちろん、複雑な操作入力下でのアクションとリズムの同期も、だんだんにトランスを招くような快感がある事は認めよう。
つまり快感ポイントが、入力時にあるのか、フィードバック時にあるかの違いである。もちろん両方あれば最高であり、それがCOREなのであるが、どうしても両立し得ないなら、自分としては入力時にフォーカスして欲しかったという事だ。リズムのほんの僅か前に入力、というような操作は美しくない。
もう一点難がある。シリーズではBGMとリズムがパワーアップする毎に豪華になる、という特徴がある。激走でもアイテムを取る毎に4段階に豪華にパワーアップする。しかし、最も嬉しい4段階目とは、つまりステージの終盤な訳で、折角豪華になっても直ぐゴールになってしまう。そして次のステージはまた1からの地味な音楽である。どうにか豪華なBGMを維持できる仕組みは無かっただろうか。COREではノーミスの間は維持される。しかしもちろん激走ではアクションは当然ノーミス前提なので何らかの工夫が必要だろう。
さらにもう一点。まず、無駄な背景ギミックが多く、アクションに集中できないばかりか、手前に飛び出して視界をふさぐようなギミックもあり問題だ。わざとやってるのかも知れないが、いい気はしない。またカラーデザインが、コースと障害物とギミック、それぞれ似通った色遣いで見分けが付きづらい。特に初見ステージは一瞬の判断ミスが命取りになるので目を見開いて見ているが、分かりづらい障害物でのミスは悔しい。雰囲気のトータルコーディネートとか不要なので、はっきりと色分けして欲しかった。
しかし、まあ面白い事は面白いしクリアまで続けるつもりだが、まだようやく全コースの半分をちょっと超えた辺りで先は長そうだ。
こんなときどうする? 臨床のなかの問い/徳永進
この9月に祖父を亡くした。ガンだった。昨年の暮れに見付かり、だんだん弱っていきながらも、ひとまずは小康状態が続いているように考えていたのだが、米寿まで三週ほどの所で急に逝ってしまった。
初めは米寿の誕生日の10月に帰省してゆっくりと見舞うつもりだった。しかし、以前から9月頃に帰省するような事を話していた事もあり、思い立ったが吉日のように急に予定を決めて日帰りで帰省し、見舞った。かなりの強行軍になる日帰りで帰省するなんて初めての事だった。行って良かった。祖父と会ったのはそれが最後となったからだ。
その3日後に電話で祖父の急逝を聞いた。
驚いた。
見舞った際の祖父には死の影など分からなかった。若干衰弱はしているものの、いつもの祖父の姿だった。頭ははっきりしているし、呼吸器と口の乾燥のせいで喋りにくい事をのぞけば会話も明瞭、昔からの耳の良さも健在だった。
見舞いを非常に喜んでくれているようで良かった。見舞いに行った癖に、逆に誕生祝いをもらってしまった。きっと贈るのを楽しみにしていただろうと思ったので、喜んで受け取った。
体力がないので、長居は避けて一旦実家に戻り、夕方にまた病室を見舞った。話しながら、祖父の手を取って握ってみた。大きな力強い手のひらの感じは変わってなかった。軟弱な孫とは違う、長い間一生懸命働いてきた人の手の暖かさだった。ぐっと握りしめたら、どこにそんな力を隠していたのか驚く程の力で握り返してきた。一方の手を僕が、もう一方の手を妻が握った。祖父はとても喜んでいたように思う。心配無用と言いたげな様子だった。ぐっと拳に力を込めて、頑張りましょう、と祖父は言った。病気の事だと思ってうんうんと頷いて聞いた。そうじゃなかった。それは孫に遺したエールの言葉だった。
祖父の訃報を聞いた時、元気な姿に安心して日常に戻ってからまだ三日しか経っておらず、あの力強い祖父の手のひらの印象からは、祖父の死というイメージへどうしてもなめらかに接続することができなかった。違和感があった。もともと年内ぐらいかも知れないとは聞かされていたので、軽いショック以上の驚きはなかった。頭は直ぐに冷静に、これからの準備とスタッフに任せる仕事の段取りや予定を考えた。妻はきっと泣くだろうから可哀想だなと思った。祖父の死は悲しかったが、意外なほど容易に対処できたと感じた。時には悲しみに堪えきれず涙する事もあったが、落涙の鎮静作用で直ぐに気持ちは落ち着いた。職場や葬儀など、公的な場では表層的な些事に神経を使うので深層にある気持ちのコントロールはさらに容易だった。妻と一緒にいる時は妻を通して自身の気持ちを客観視できるので、それをもてあますような事は無かった。
肉体的にもハードな葬儀が一種興奮状態のまま過ぎ、日常に戻っても、あの違和感だけは消えなかった。
祖父の死が理解できなかった。祖父が死んだ事はこの目で見届けた。祖父は冷たく死んでいた。もう動く事も喋る事もなかった。焼かれて骨と灰になり、消えていった。僕は祖父の死を知っていた。一人の老人が病死したという平凡な事実を知っていた。祖父はもう無い。だが、それならあの力強く暖かい手のひらは何だったのか。あの手のひらのあった過去から、祖父がもう存在しない現在への不連続な変化がどうしても腑に落ちなかった。
もっとも日中はあまりそんな事を考える暇もない。夜布団に入って電気を消すと、祖父を偲んで泣いた。あの手のひらがもう無い筈はない、と思えて仕方なかった。しかし、そうではない事実を知っている事が悲しかった。この違和感の解消は、涙の精神安定効果をもってしても大仕事だった。毎晩布団をかぶって涙を流し、泣きながら眠りに落ちた。今ではもう流石に泣き濡れる事はないが、違和感が完全に消えてしまった訳でもない。
共働きの両親に代わって育ててくれた祖父とはかなり親密な家族関係だった。その親密な人間の喪失とは、なかなか容易に消化する事のできない体験だった。その人がもう存在しない、という事実を理解するのは難しい事だった。でも、僕以上にそれが困難な人間がいたはずなのだ。
祖父である。
祖父は自身の喪失をどう理解していたのだろうか。
祖父は自身がガンである事を知っていた。辛い抗ガン剤治療を止める事も自分で選択した。ゆっくりと死につつある事は客観的には明かであり、聡明な祖父が近い未来に起こる現象を理解していないはずがなかった。祖父は死の数週間前、祖母の求めに応じて一筆を記した。我天命を知る、と書かれていた。
祖父は自分が死ぬ事を知っていた。あの日あの場所で会えた事が今生の別れになる事を知っていた。目を輝かせて孫夫婦と言葉を交わし、小遣いを渡し、手を握って、そして翌日から眠りつづけ、祖父は生涯を終えた。
直ぐまた10月に来るから元気に、と気楽に手を振って孫達が病室を辞去した後、一人残された祖父の心中に去来したのはどのような感情だったのだろう。もはや知る術はない。せめて幾ばくかの満足と安堵がそこに存在し得て欲しいと願うほかに、あの日の来訪が祖父の死期を決定づけたのではないかという悔恨を晴らす法はなかった。
キューブラー・ロスは「死ぬ瞬間」で、死に至るまでの精神の段階を分析し、そこに受容という奇跡を見いだした。
祖父は死を受容していたとしか思えない。祖父は肉体的も精神的にも、余人の及ぶべくもないほど頑強な人だった。しかしそれだけでは祖父が自身の死を受容できた理由として満足できる物ではない。
人はどうして自身の死を受容できるのだろう。そしてそれはいかにしてなされるのだろう。
すっかり前置きが長くなったが、この本は、そうした死の受容の不思議さに魅せられた医師が、人の死と受容の、そして非受容の不思議さを、長い臨床の経験からピックアップして、多くの臨床に係わる人のためにまた一般の人のために記した本である。
単なる臨床技術の本ではない。また精神論の本でもない。無理にまとめきる事もなく、こんな事があった、あんな事があったと、そのままに人の死とそれに係わった家族、医師、看護士などについて日記のように随筆のように著した本である。
読んでいくうちに、いろいろ腑に落ちてくる。人は誰でも最後は死ぬ。それは当たり前だけど、誰でも死ぬけど、それにしてもみんな上手に死んでるんだなあ、と思えてくる。受容する人もいる、受容できない人もいる。でもそんな事は関係なく思えてくる。誰でもその人なりの死に方を無事に成し遂げて死んでいるのは、凄い事だと思った。しかも見事に死んでいく人が多い事が驚きだった。人が何故受容し得るかなど書いてある訳ではない。しかしそうした疑問を常に持ち臨床に立ち続ける著者の手記を読むと、一服の清涼剤のように、祖父の死の違和感が僅かに薄れたように感じた。
祖父は見事に死んだと思う。
初めは米寿の誕生日の10月に帰省してゆっくりと見舞うつもりだった。しかし、以前から9月頃に帰省するような事を話していた事もあり、思い立ったが吉日のように急に予定を決めて日帰りで帰省し、見舞った。かなりの強行軍になる日帰りで帰省するなんて初めての事だった。行って良かった。祖父と会ったのはそれが最後となったからだ。
その3日後に電話で祖父の急逝を聞いた。
驚いた。
見舞った際の祖父には死の影など分からなかった。若干衰弱はしているものの、いつもの祖父の姿だった。頭ははっきりしているし、呼吸器と口の乾燥のせいで喋りにくい事をのぞけば会話も明瞭、昔からの耳の良さも健在だった。
見舞いを非常に喜んでくれているようで良かった。見舞いに行った癖に、逆に誕生祝いをもらってしまった。きっと贈るのを楽しみにしていただろうと思ったので、喜んで受け取った。
体力がないので、長居は避けて一旦実家に戻り、夕方にまた病室を見舞った。話しながら、祖父の手を取って握ってみた。大きな力強い手のひらの感じは変わってなかった。軟弱な孫とは違う、長い間一生懸命働いてきた人の手の暖かさだった。ぐっと握りしめたら、どこにそんな力を隠していたのか驚く程の力で握り返してきた。一方の手を僕が、もう一方の手を妻が握った。祖父はとても喜んでいたように思う。心配無用と言いたげな様子だった。ぐっと拳に力を込めて、頑張りましょう、と祖父は言った。病気の事だと思ってうんうんと頷いて聞いた。そうじゃなかった。それは孫に遺したエールの言葉だった。
祖父の訃報を聞いた時、元気な姿に安心して日常に戻ってからまだ三日しか経っておらず、あの力強い祖父の手のひらの印象からは、祖父の死というイメージへどうしてもなめらかに接続することができなかった。違和感があった。もともと年内ぐらいかも知れないとは聞かされていたので、軽いショック以上の驚きはなかった。頭は直ぐに冷静に、これからの準備とスタッフに任せる仕事の段取りや予定を考えた。妻はきっと泣くだろうから可哀想だなと思った。祖父の死は悲しかったが、意外なほど容易に対処できたと感じた。時には悲しみに堪えきれず涙する事もあったが、落涙の鎮静作用で直ぐに気持ちは落ち着いた。職場や葬儀など、公的な場では表層的な些事に神経を使うので深層にある気持ちのコントロールはさらに容易だった。妻と一緒にいる時は妻を通して自身の気持ちを客観視できるので、それをもてあますような事は無かった。
肉体的にもハードな葬儀が一種興奮状態のまま過ぎ、日常に戻っても、あの違和感だけは消えなかった。
祖父の死が理解できなかった。祖父が死んだ事はこの目で見届けた。祖父は冷たく死んでいた。もう動く事も喋る事もなかった。焼かれて骨と灰になり、消えていった。僕は祖父の死を知っていた。一人の老人が病死したという平凡な事実を知っていた。祖父はもう無い。だが、それならあの力強く暖かい手のひらは何だったのか。あの手のひらのあった過去から、祖父がもう存在しない現在への不連続な変化がどうしても腑に落ちなかった。
もっとも日中はあまりそんな事を考える暇もない。夜布団に入って電気を消すと、祖父を偲んで泣いた。あの手のひらがもう無い筈はない、と思えて仕方なかった。しかし、そうではない事実を知っている事が悲しかった。この違和感の解消は、涙の精神安定効果をもってしても大仕事だった。毎晩布団をかぶって涙を流し、泣きながら眠りに落ちた。今ではもう流石に泣き濡れる事はないが、違和感が完全に消えてしまった訳でもない。
共働きの両親に代わって育ててくれた祖父とはかなり親密な家族関係だった。その親密な人間の喪失とは、なかなか容易に消化する事のできない体験だった。その人がもう存在しない、という事実を理解するのは難しい事だった。でも、僕以上にそれが困難な人間がいたはずなのだ。
祖父である。
祖父は自身の喪失をどう理解していたのだろうか。
祖父は自身がガンである事を知っていた。辛い抗ガン剤治療を止める事も自分で選択した。ゆっくりと死につつある事は客観的には明かであり、聡明な祖父が近い未来に起こる現象を理解していないはずがなかった。祖父は死の数週間前、祖母の求めに応じて一筆を記した。我天命を知る、と書かれていた。
祖父は自分が死ぬ事を知っていた。あの日あの場所で会えた事が今生の別れになる事を知っていた。目を輝かせて孫夫婦と言葉を交わし、小遣いを渡し、手を握って、そして翌日から眠りつづけ、祖父は生涯を終えた。
直ぐまた10月に来るから元気に、と気楽に手を振って孫達が病室を辞去した後、一人残された祖父の心中に去来したのはどのような感情だったのだろう。もはや知る術はない。せめて幾ばくかの満足と安堵がそこに存在し得て欲しいと願うほかに、あの日の来訪が祖父の死期を決定づけたのではないかという悔恨を晴らす法はなかった。
キューブラー・ロスは「死ぬ瞬間」で、死に至るまでの精神の段階を分析し、そこに受容という奇跡を見いだした。
祖父は死を受容していたとしか思えない。祖父は肉体的も精神的にも、余人の及ぶべくもないほど頑強な人だった。しかしそれだけでは祖父が自身の死を受容できた理由として満足できる物ではない。
人はどうして自身の死を受容できるのだろう。そしてそれはいかにしてなされるのだろう。
すっかり前置きが長くなったが、この本は、そうした死の受容の不思議さに魅せられた医師が、人の死と受容の、そして非受容の不思議さを、長い臨床の経験からピックアップして、多くの臨床に係わる人のためにまた一般の人のために記した本である。
単なる臨床技術の本ではない。また精神論の本でもない。無理にまとめきる事もなく、こんな事があった、あんな事があったと、そのままに人の死とそれに係わった家族、医師、看護士などについて日記のように随筆のように著した本である。
読んでいくうちに、いろいろ腑に落ちてくる。人は誰でも最後は死ぬ。それは当たり前だけど、誰でも死ぬけど、それにしてもみんな上手に死んでるんだなあ、と思えてくる。受容する人もいる、受容できない人もいる。でもそんな事は関係なく思えてくる。誰でもその人なりの死に方を無事に成し遂げて死んでいるのは、凄い事だと思った。しかも見事に死んでいく人が多い事が驚きだった。人が何故受容し得るかなど書いてある訳ではない。しかしそうした疑問を常に持ち臨床に立ち続ける著者の手記を読むと、一服の清涼剤のように、祖父の死の違和感が僅かに薄れたように感じた。
祖父は見事に死んだと思う。
Wii/Fitness Party/バンダイナムコゲームス
任チャンで見て興味を引かれていたが、12/9の発売日を過ぎて、公式サイトで体験版をプレイしたら、これがかなりの出来で、どうにも欲しくなってしまったので購入。
まだ3日目で、すべてのメニューも機能も出ていない状態だが、とりあえずの感想。
非常に楽しいの一言。
種明かしをすると、このフィットネスとカテゴライズされるゲームは、ナムコ製作という所からも予想できるように、実はハッピーダンスコレクションのシステムを流用して作られているのだ。
だからハピダンが楽しめて運動に興味がある人なら間違いなく今すぐ購入すべきである。
とにかく、運動がどうこう消費カロリーがどうこうなど関係なく、ただただリズムに合わせてハピダンシステムで体を動かしているだけで楽しいのだ。
他のフィットネス系ゲームに比べて、何故これほど異様に楽しいのか、考えてみた。
まず、ダンスフィットネスゲームと自称している位なので当然だが、エクササイズにリズムと音楽がきちんと設定されている点。そして適切なトレーナー設定がなされている点。最後にエクササイズを盛り上げるよう視覚効果を作り込んでいる点。以上が挙げられる。特に2点目と3点目が大きいと思う。トレーナーはエクササイズに合わせて性格付けされて、ダンス系では明るくノリノリに、ストレッチ系では知的にしっとりと、格闘系では爽やかにきびしく、適切なタイミングとセリフでリードしてくれる。さらに、トレーナーだけでなく脇にはギャラリーも配し、エクササイズに合わせた適切なステージ構成と、エクササイズの進行に合わせて微妙にあるいは大胆に変化するステージギミック、そして絵が単調にならないよう、さり気なくかつ適切に移動するカメラワークなど、プレイヤーを引き込んで楽しさを盛り上げる演出が非常に工夫されている。
たしかにWiiではSD画質だし、トレーナーを始め画面のポリゴンもテクスチャも粗い。だが、トータルバランスで見た時に最適になるよう調整されており、一体感・臨場感が十分に引き出されているように感じる。トレーナーの声優の声質も適切で、始終盛り上げ、適切な指示を行い終了後には褒め倒すボイス設定は流石AFAA監修といった所か。
結論としてまとめると、フィットネス・ゲームという2つの属性で構成される商品のうち、このフィットネスパーティは、まずきちんとゲームとして作ってあると言う事だ。Wiiフィットもそうだが、ちゃんとゲームとして練り上げまとめてあるという点が重要なのだ。まずゲームとして面白い。そのゲームの題材がたまたまフィットネス、それぐらいの力配分ではないかと思われる。
また、「二人でプレイする」という事をきちんとゲームに落とし込んでいる点は最大限に評価できる。というか、本来当たり前の事なのにできてないゲームが多すぎるのがおかしいのではあるが。フィットネスパーティではありとあらゆるメニューを二人でプレイできる。そしてちゃんと二人分のそれぞれの記録に加算される。
運動モチベーションを継続させる仕組みについても、カレンダー、お任せプログラム、設定プログラムなどの基本機能はもちろん、今日のチャレンジ、7日間チャレンジ、ランキング、世界一周などついついプレイしたくなる機能も充実しており、非常に楽しくプレイできるようになっている。
ただし毎日淡々とプレイする事が日課になった暁には、エクササイズの終了毎にしゃしゃり出てくる世界一周モードはテンポが悪く、非常にうざったい存在になりそうな懸念はある。一周した後はオンオフ選択できるようになっていれば良いのだが。
もともとそう得意でもないので、ダンス系の特にステップが難しい。まともに動けない。逆に言えば上達が楽しみではあるのだが。バランスWiiボードを使ったラテンダンスのメレンゲなども難しいが楽しい。個人的には意外にもピラテスが効果ありそうでよさ気な感じだった。
ハピダンと同じシステムであるので、手だけ動かせば満点を取るのは難しくないが、もちろん無意味である。全身運動なので、意識して動くとかなりの運動量で直ぐに汗ばんでくる。
しばらくはWiifitも出番がないだろう。
バンダイナムコゲームス
Fitness Party
まだ3日目で、すべてのメニューも機能も出ていない状態だが、とりあえずの感想。
非常に楽しいの一言。
種明かしをすると、このフィットネスとカテゴライズされるゲームは、ナムコ製作という所からも予想できるように、実はハッピーダンスコレクションのシステムを流用して作られているのだ。
だからハピダンが楽しめて運動に興味がある人なら間違いなく今すぐ購入すべきである。
とにかく、運動がどうこう消費カロリーがどうこうなど関係なく、ただただリズムに合わせてハピダンシステムで体を動かしているだけで楽しいのだ。
他のフィットネス系ゲームに比べて、何故これほど異様に楽しいのか、考えてみた。
まず、ダンスフィットネスゲームと自称している位なので当然だが、エクササイズにリズムと音楽がきちんと設定されている点。そして適切なトレーナー設定がなされている点。最後にエクササイズを盛り上げるよう視覚効果を作り込んでいる点。以上が挙げられる。特に2点目と3点目が大きいと思う。トレーナーはエクササイズに合わせて性格付けされて、ダンス系では明るくノリノリに、ストレッチ系では知的にしっとりと、格闘系では爽やかにきびしく、適切なタイミングとセリフでリードしてくれる。さらに、トレーナーだけでなく脇にはギャラリーも配し、エクササイズに合わせた適切なステージ構成と、エクササイズの進行に合わせて微妙にあるいは大胆に変化するステージギミック、そして絵が単調にならないよう、さり気なくかつ適切に移動するカメラワークなど、プレイヤーを引き込んで楽しさを盛り上げる演出が非常に工夫されている。
たしかにWiiではSD画質だし、トレーナーを始め画面のポリゴンもテクスチャも粗い。だが、トータルバランスで見た時に最適になるよう調整されており、一体感・臨場感が十分に引き出されているように感じる。トレーナーの声優の声質も適切で、始終盛り上げ、適切な指示を行い終了後には褒め倒すボイス設定は流石AFAA監修といった所か。
結論としてまとめると、フィットネス・ゲームという2つの属性で構成される商品のうち、このフィットネスパーティは、まずきちんとゲームとして作ってあると言う事だ。Wiiフィットもそうだが、ちゃんとゲームとして練り上げまとめてあるという点が重要なのだ。まずゲームとして面白い。そのゲームの題材がたまたまフィットネス、それぐらいの力配分ではないかと思われる。
また、「二人でプレイする」という事をきちんとゲームに落とし込んでいる点は最大限に評価できる。というか、本来当たり前の事なのにできてないゲームが多すぎるのがおかしいのではあるが。フィットネスパーティではありとあらゆるメニューを二人でプレイできる。そしてちゃんと二人分のそれぞれの記録に加算される。
運動モチベーションを継続させる仕組みについても、カレンダー、お任せプログラム、設定プログラムなどの基本機能はもちろん、今日のチャレンジ、7日間チャレンジ、ランキング、世界一周などついついプレイしたくなる機能も充実しており、非常に楽しくプレイできるようになっている。
ただし毎日淡々とプレイする事が日課になった暁には、エクササイズの終了毎にしゃしゃり出てくる世界一周モードはテンポが悪く、非常にうざったい存在になりそうな懸念はある。一周した後はオンオフ選択できるようになっていれば良いのだが。
もともとそう得意でもないので、ダンス系の特にステップが難しい。まともに動けない。逆に言えば上達が楽しみではあるのだが。バランスWiiボードを使ったラテンダンスのメレンゲなども難しいが楽しい。個人的には意外にもピラテスが効果ありそうでよさ気な感じだった。
ハピダンと同じシステムであるので、手だけ動かせば満点を取るのは難しくないが、もちろん無意味である。全身運動なので、意識して動くとかなりの運動量で直ぐに汗ばんでくる。
しばらくはWiifitも出番がないだろう。
NHK/世界ゲーム革命
一般向けにテレビ番組や新聞雑誌などで展開されるマニア系の題材は、ほぼ100%、そのマニアが見ると噴飯ものになっていると言うのは当然の理なので今更驚きはしなかったが、それにしても一般向けと考えても底が浅くまとまりのない内容であった。
程度の低いディレクターが結論ありきで企画をでっち上げた挙げ句大手に取材を断られ、やむなく映像をつないでどうにかドキュメントらしく体裁を整えたような作りだった。もしくは、きっと二ノ国はジブリによるアニメ版をNHKで企画中なのだろう。
そもそもタイトルからして意味不明である。ビデオゲームの歴史はそれ自体が革命の歴史である。常に革命的なイノベーションによる遊戯を提供し続けてきたのがコンピュータゲームという娯楽であり、今もそして今後も背負う宿命である。ゲームが革命で無かった時などない。
ゲームが映画を抜いたという産業的な意味合いだったのかも知れないが、衰退産業と比べても仕方がない。
焦点もぼやけてしまって、何が言いたかったのかはっきりしない。
日本はお家芸のゲーム産業の死守を提言したいのか、次世代的ゲーム体験が人間にもたらす影響を考察したいのか、ゲームという娯楽の社会的存在意義を調べたいのか、日本と世界とでのゲーム制作手法の相違について議論したかったのか、確かにどれも複雑に関連し合っているため1つを語ると他も語りたくなるのは分かるが、1時間しかない番組でダラダラやっても仕方がない。もっと切り口を絞った方が良かっただろう。
そのような珍しい人がいたとして、この番組を見た全くのゲーム素人はどのような感想を持つのだろうか。
「戦争とか人殺しのゲームが映画より売れてるんだな。それが進化してコントローラとか要らなくて、最後は脳で考えるだけで直接操作できるんだな。現実の世界と区別できなくって、止められなくなって帰ってこれなくなるから怖いな。そもそも戦争ゲームとか訳が分からないビカビカしたゲームばっかりやってる人は近くにいたら怖いな。でもそんなゲームはドカドカ売れるから世界中で大金を投じて競争して制作しているんだな。海外では凄い技術でいろいろ効率化してるみたいなのに日本は職人芸だよりじゃ太刀打ちできないだろ。しかもアニメの人にまでぼろくそに言われてたからきっとあのゲームも面白くないんだろうな。日本は不景気でダメだけど、ゲームまでダメになったんだな。毎日ゲームするのを仕事にしている若者は将来の事とか考えた事ないんだろうな」
と言う所が自分の推測だが、実際はもっと違うのかも知れない。しかし、どう考えてもゲーム自体にネガティブな印象を与えているように思われる。にもかかわらず世界でのビジネス的な衰退を同時に憂うのはおかしいだろう。
前にも書いたかも知れないが、クールジャパン戦略など全く不要である。税金の無駄遣い以外の何者でもない。
まず、ゲームだろうと漫画だろうと、しょせん生活必需品ではない単なる娯楽なのであって、政府がその存在について規制以外の内容で口出しすべき事ではない。ましてや奨励など愚の骨頂である。その理由は、1.娯楽品は必需品ではないので市場予測・将来予測が不可能。2.娯楽品には必要十分な製品性能というものがないのでコストおよび利益の予測が不可能。3.娯楽品の製作は才能のある極少数の指揮者と少数の一般的作業者とでなされ、その利益配分は指揮者およびメーカーに集中するため、産業規模(特に利益規模)に比して雇用が少ない。4.娯楽品は優れた物だけが売れ、詰まらない物は売れない。優れていない物を売ろうとする事を許せば市場自体が消滅する。等である。ゲーム産業に政府の援助など百害合って一利なしである。
ゲーム製作を効率化する事はコスト面で非常に重要である。しかし大事なのはコストがかからず面白いゲームが作れるかどうか、と言う事である。そもそも面白くなければいくら効率的に作られても意味がない。共通したエンジンを使うという事は、ゲームシステムのベースが似通っていると言う事であり、それはゲームの新奇性や意外性を殺す諸刃の剣にもなる訳である。またいくら効率化しようと予算が高額化する欧米のゲーム製作では、予測の付かない新奇的ゲームより、ヒットゲームの改良という安全策がとられやすい。実際、欧米のヒットゲームは銃撃ゲーム、スポーツゲーム、レースゲームとパターンが決まっている。そしてゲーム性は怖くて変えられないからコストの高い見た目の高詳細化で差別化しようとするため予算は鰻登りという悪循環で、たしかに市場規模で見れば莫大な売上を叩き出しているかも知れないが、まともに利益が出ている所はいくつあるだろうか。もともと娯楽産業はある意味ギャンブルだが、特に予算に対する利益の比率を考えればこれは異常なほどのギャンブル性だろう。
突っ込みたい所は無数にあるが、書いていてむなしくなってくるので止めよう。
番組としてはダメだが、随所で貴重な映像が見られたのは面白かったので見て良かったとは思う。
程度の低いディレクターが結論ありきで企画をでっち上げた挙げ句大手に取材を断られ、やむなく映像をつないでどうにかドキュメントらしく体裁を整えたような作りだった。もしくは、きっと二ノ国はジブリによるアニメ版をNHKで企画中なのだろう。
そもそもタイトルからして意味不明である。ビデオゲームの歴史はそれ自体が革命の歴史である。常に革命的なイノベーションによる遊戯を提供し続けてきたのがコンピュータゲームという娯楽であり、今もそして今後も背負う宿命である。ゲームが革命で無かった時などない。
ゲームが映画を抜いたという産業的な意味合いだったのかも知れないが、衰退産業と比べても仕方がない。
焦点もぼやけてしまって、何が言いたかったのかはっきりしない。
日本はお家芸のゲーム産業の死守を提言したいのか、次世代的ゲーム体験が人間にもたらす影響を考察したいのか、ゲームという娯楽の社会的存在意義を調べたいのか、日本と世界とでのゲーム制作手法の相違について議論したかったのか、確かにどれも複雑に関連し合っているため1つを語ると他も語りたくなるのは分かるが、1時間しかない番組でダラダラやっても仕方がない。もっと切り口を絞った方が良かっただろう。
そのような珍しい人がいたとして、この番組を見た全くのゲーム素人はどのような感想を持つのだろうか。
「戦争とか人殺しのゲームが映画より売れてるんだな。それが進化してコントローラとか要らなくて、最後は脳で考えるだけで直接操作できるんだな。現実の世界と区別できなくって、止められなくなって帰ってこれなくなるから怖いな。そもそも戦争ゲームとか訳が分からないビカビカしたゲームばっかりやってる人は近くにいたら怖いな。でもそんなゲームはドカドカ売れるから世界中で大金を投じて競争して制作しているんだな。海外では凄い技術でいろいろ効率化してるみたいなのに日本は職人芸だよりじゃ太刀打ちできないだろ。しかもアニメの人にまでぼろくそに言われてたからきっとあのゲームも面白くないんだろうな。日本は不景気でダメだけど、ゲームまでダメになったんだな。毎日ゲームするのを仕事にしている若者は将来の事とか考えた事ないんだろうな」
と言う所が自分の推測だが、実際はもっと違うのかも知れない。しかし、どう考えてもゲーム自体にネガティブな印象を与えているように思われる。にもかかわらず世界でのビジネス的な衰退を同時に憂うのはおかしいだろう。
前にも書いたかも知れないが、クールジャパン戦略など全く不要である。税金の無駄遣い以外の何者でもない。
まず、ゲームだろうと漫画だろうと、しょせん生活必需品ではない単なる娯楽なのであって、政府がその存在について規制以外の内容で口出しすべき事ではない。ましてや奨励など愚の骨頂である。その理由は、1.娯楽品は必需品ではないので市場予測・将来予測が不可能。2.娯楽品には必要十分な製品性能というものがないのでコストおよび利益の予測が不可能。3.娯楽品の製作は才能のある極少数の指揮者と少数の一般的作業者とでなされ、その利益配分は指揮者およびメーカーに集中するため、産業規模(特に利益規模)に比して雇用が少ない。4.娯楽品は優れた物だけが売れ、詰まらない物は売れない。優れていない物を売ろうとする事を許せば市場自体が消滅する。等である。ゲーム産業に政府の援助など百害合って一利なしである。
ゲーム製作を効率化する事はコスト面で非常に重要である。しかし大事なのはコストがかからず面白いゲームが作れるかどうか、と言う事である。そもそも面白くなければいくら効率的に作られても意味がない。共通したエンジンを使うという事は、ゲームシステムのベースが似通っていると言う事であり、それはゲームの新奇性や意外性を殺す諸刃の剣にもなる訳である。またいくら効率化しようと予算が高額化する欧米のゲーム製作では、予測の付かない新奇的ゲームより、ヒットゲームの改良という安全策がとられやすい。実際、欧米のヒットゲームは銃撃ゲーム、スポーツゲーム、レースゲームとパターンが決まっている。そしてゲーム性は怖くて変えられないからコストの高い見た目の高詳細化で差別化しようとするため予算は鰻登りという悪循環で、たしかに市場規模で見れば莫大な売上を叩き出しているかも知れないが、まともに利益が出ている所はいくつあるだろうか。もともと娯楽産業はある意味ギャンブルだが、特に予算に対する利益の比率を考えればこれは異常なほどのギャンブル性だろう。
突っ込みたい所は無数にあるが、書いていてむなしくなってくるので止めよう。
番組としてはダメだが、随所で貴重な映像が見られたのは面白かったので見て良かったとは思う。
Wii/ファミリートレーナー1&2/バンダイナムコゲームス
しばらく前になるが、ファミトレマット同梱の限定スペシャルパックを新品2千円台で見かけたので思わず即購入した。
ただし、本当にプレイしたかったのは、ファミトレ1&2ではない。
最新作の「みんなで冒険!ファミリートレーナー」がプレイしたかったのだ。しかし最近発売で同梱版はまだ高いし、単品版はいずれ投げ売りになるだろうから、その時にこのマットを活かそうという腹づもりである。
もちろん、ファミトレ1&2も多少は遊べるだろう。
で、プレイの感想は、可も不可もなく、と言う所か。
面白くない訳ではないが、大味でかゆい所に手が届かない感じ。
まず、全体的なメニュー構成が最悪である。ビジョンというものが感じられない。
例えば、1では各種ミニゲームのハイスコアを記録する仕組みがあるが、それはフリーモードで遊んだ時のみ記録される。いくつかのミニゲームをセットしたアスレチックと呼ばれるモードでは、ただ単にミニゲームを連続してプレイするだけのモードであるのに、そこで叩き出した得点はハイスコアに記録されないのである。また、ハイスコアを登録するためのプレイヤー選択はフリーモードのメニュートップで行うため、二人で記録を狙いつつ遊びたい時には、トップまで戻ってプレイヤーを変更してフリーモードを選択、競技を選択、プレイ、交代、またトップまで戻って…と非常に面倒である。メニュートップではまず一人で遊ぶ、二人で遊ぶと選択させるクセに、二人で遊ぶには、なんとフリーモードがないのだ。
しかも、トップまで戻るキャンセル時にキャンセルのBボタン連打を行う訳だが、競技選択のキャンセルに、いちいち確認ダイアログが出る。もしもうっかり戻ってしまっても、その前の画面は競技リストで即座に選び直しできるのに全く意味が分からない。とにかく、このコンファームが一本入ることで、連打で戻れず面倒さは爆発である。
2でもこの面倒仕様のメニューは踏襲されている。しかも2に至っては、Miiが使えず、しかもプレイヤーキャラも変更編集不可なので全く愛着が湧かない。なぜカットになったのだろうか。
ミニゲーム自体の作りは遊べない事もないし、本気でやるとあっという間に足がガクガクしてくるので、運動的にはかなり効果はあると思う。
バンダイナムコゲームス
ファミリートレーナー1&2
ただし、本当にプレイしたかったのは、ファミトレ1&2ではない。
最新作の「みんなで冒険!ファミリートレーナー」がプレイしたかったのだ。しかし最近発売で同梱版はまだ高いし、単品版はいずれ投げ売りになるだろうから、その時にこのマットを活かそうという腹づもりである。
もちろん、ファミトレ1&2も多少は遊べるだろう。
で、プレイの感想は、可も不可もなく、と言う所か。
面白くない訳ではないが、大味でかゆい所に手が届かない感じ。
まず、全体的なメニュー構成が最悪である。ビジョンというものが感じられない。
例えば、1では各種ミニゲームのハイスコアを記録する仕組みがあるが、それはフリーモードで遊んだ時のみ記録される。いくつかのミニゲームをセットしたアスレチックと呼ばれるモードでは、ただ単にミニゲームを連続してプレイするだけのモードであるのに、そこで叩き出した得点はハイスコアに記録されないのである。また、ハイスコアを登録するためのプレイヤー選択はフリーモードのメニュートップで行うため、二人で記録を狙いつつ遊びたい時には、トップまで戻ってプレイヤーを変更してフリーモードを選択、競技を選択、プレイ、交代、またトップまで戻って…と非常に面倒である。メニュートップではまず一人で遊ぶ、二人で遊ぶと選択させるクセに、二人で遊ぶには、なんとフリーモードがないのだ。
しかも、トップまで戻るキャンセル時にキャンセルのBボタン連打を行う訳だが、競技選択のキャンセルに、いちいち確認ダイアログが出る。もしもうっかり戻ってしまっても、その前の画面は競技リストで即座に選び直しできるのに全く意味が分からない。とにかく、このコンファームが一本入ることで、連打で戻れず面倒さは爆発である。
2でもこの面倒仕様のメニューは踏襲されている。しかも2に至っては、Miiが使えず、しかもプレイヤーキャラも変更編集不可なので全く愛着が湧かない。なぜカットになったのだろうか。
ミニゲーム自体の作りは遊べない事もないし、本気でやるとあっという間に足がガクガクしてくるので、運動的にはかなり効果はあると思う。
Wii/毛糸のカービィ/任天堂
書くのが遅くなってしまったが、購入は早く、予約して発売日に入手。
決め手は、その見た目ではなくて、やはり二人同時プレイのアクション、と言う所。何のかんの言っても、協力同時プレイが一番面白い。
一応クリアして、コンプ率は95%ぐらいだが、プレイ時間は20数時間と少なめ。
まず、面白いゲームかそうでないか、と言えば、はっきり面白いゲームだと思う。
一番良かったのは、各面の多彩なギミック。多種多様なステージでいろんなアクションを楽しめるのが素晴らしいし、その為に最後まで飽きずにプレイできる。特にカービィ自身のアクションパターンの多彩さには驚いた。
Newマリオと同じように、プレイヤー間に当たり判定があり、相手を掴んで投げたり攻撃に使用したり、踏み台に使ったり、放り投げたりと、二人プレイならではの攻略が活きてくるので楽しい。また一方では、裏返せば互いにぶつかったり意図せず妨害して足を引っ張ることもあるわけだが。
最も目を引くグラフィックスについても、かなり好印象だ。もちろん世界が毛糸でできている必然などは全くない訳だが、にもかかわらず毛糸の世界で遊ぶ事には、密かな充実感がある。コースデザインのアイデアに感心する事も多かった。
地味に音楽もよい。
一方で、難点もある。
まず、やはりゲームオーバーのない作りはどうかと思う。このゲームでは、いくらミスしてもビーズが減るだけで死ぬ事がないので、通常ステージならごり押しごり押しで、プレイし続けさえすれば必ず誰でもクリアできる。エクサを作ったアートディンクの飯塚さんもツイッターで、小さなお子さんがクリアできる希有なゲームと褒めていた。もちろんそれは分かるし評価すべきだと思う。しかし、ゲーマーならゲームの目的ぐらい自分で用意しろと言われるかも知れないが、やはり死んでゲームオーバーでくそうもう一回、という壁を乗り越えた達成感を味わう所もアクションの醍醐味だと思うのだ。せめてマークが付くとか、差別化の要素が欲しかった。
あと、Newマリオに比べると、二人プレイでの細かい点の調整が行き届いてない感じ。
まず、先行プレイヤーが、遅れプレイヤーの為に止まった画面スクロールの所為でミス扱いになるのはおかしい。そこは普通に、先行プレイヤーのスクロールを優先して遅れプレイヤーをさくっと殺すべきだろう。
裏世界に入っているとAボタンでエンジィ運搬になれないのは仕様かバグが分からないが、これもつらい。
あと、若干ロードが多く長いのも気になった。
宝箱を全て集めて100%コンプしようか思案中。
アクションゲームとして、死がないので簡単と言えば簡単だ。操作も非常にしやすい方だと思う。しかし、敵や地形との接触にリバウンドがあったりと、極めようとすればかなり難しいのではと思われる。本筋でない、チャレンジ系のステージではタイムアップがあるためかなり難しい面もあった。
開発のグッドフィールは、あのアッタコレダを作ったメーカーだ。二作続けてプレイしました。そう言えば、アッタコレダもつい最近ようやくコンプした所。
任天堂
毛糸のカービィ
決め手は、その見た目ではなくて、やはり二人同時プレイのアクション、と言う所。何のかんの言っても、協力同時プレイが一番面白い。
一応クリアして、コンプ率は95%ぐらいだが、プレイ時間は20数時間と少なめ。
まず、面白いゲームかそうでないか、と言えば、はっきり面白いゲームだと思う。
一番良かったのは、各面の多彩なギミック。多種多様なステージでいろんなアクションを楽しめるのが素晴らしいし、その為に最後まで飽きずにプレイできる。特にカービィ自身のアクションパターンの多彩さには驚いた。
Newマリオと同じように、プレイヤー間に当たり判定があり、相手を掴んで投げたり攻撃に使用したり、踏み台に使ったり、放り投げたりと、二人プレイならではの攻略が活きてくるので楽しい。また一方では、裏返せば互いにぶつかったり意図せず妨害して足を引っ張ることもあるわけだが。
最も目を引くグラフィックスについても、かなり好印象だ。もちろん世界が毛糸でできている必然などは全くない訳だが、にもかかわらず毛糸の世界で遊ぶ事には、密かな充実感がある。コースデザインのアイデアに感心する事も多かった。
地味に音楽もよい。
一方で、難点もある。
まず、やはりゲームオーバーのない作りはどうかと思う。このゲームでは、いくらミスしてもビーズが減るだけで死ぬ事がないので、通常ステージならごり押しごり押しで、プレイし続けさえすれば必ず誰でもクリアできる。エクサを作ったアートディンクの飯塚さんもツイッターで、小さなお子さんがクリアできる希有なゲームと褒めていた。もちろんそれは分かるし評価すべきだと思う。しかし、ゲーマーならゲームの目的ぐらい自分で用意しろと言われるかも知れないが、やはり死んでゲームオーバーでくそうもう一回、という壁を乗り越えた達成感を味わう所もアクションの醍醐味だと思うのだ。せめてマークが付くとか、差別化の要素が欲しかった。
あと、Newマリオに比べると、二人プレイでの細かい点の調整が行き届いてない感じ。
まず、先行プレイヤーが、遅れプレイヤーの為に止まった画面スクロールの所為でミス扱いになるのはおかしい。そこは普通に、先行プレイヤーのスクロールを優先して遅れプレイヤーをさくっと殺すべきだろう。
裏世界に入っているとAボタンでエンジィ運搬になれないのは仕様かバグが分からないが、これもつらい。
あと、若干ロードが多く長いのも気になった。
宝箱を全て集めて100%コンプしようか思案中。
アクションゲームとして、死がないので簡単と言えば簡単だ。操作も非常にしやすい方だと思う。しかし、敵や地形との接触にリバウンドがあったりと、極めようとすればかなり難しいのではと思われる。本筋でない、チャレンジ系のステージではタイムアップがあるためかなり難しい面もあった。
開発のグッドフィールは、あのアッタコレダを作ったメーカーだ。二作続けてプレイしました。そう言えば、アッタコレダもつい最近ようやくコンプした所。
NHK/龍馬伝
1年間見てきた大河ドラマもついに最終回を迎えた。
名残惜しいような気もするし、また、夏休みのラジオ体操の皆勤賞のような、何かしらの達成感をも感じている。
もちろん、これらはメタなエモーションであって、直接番組の内容からの影響も当然ある訳だ。
人気番組だったし、全国至る所で、ありとあらゆる種類の、その余韻の鑑賞が行われている事だろう。
妻などは寝込んでしまった。最終回で龍馬が惨殺された事にショックを受けての事である。
龍馬が暗殺される事は当然番組が始まる前から知っていたし、番組中でも何度も予告され、終盤では弥太郎がうるさいほどカウントダウンしてくれていた訳で、だからそのショックは「驚愕の展開」などに起因する物ではない。
想像するに、多分ペットロスに近い情動なのではないかと思う。
ちなみに、ペットロスの症例が深刻な物になる原因としては、ペットが物を言わないと言う点が挙げられる。
自らの意志を自ら言葉で明示できないペットの感情などは、飼い主がその有り余る想像力で補完するため、飼い主の感情がペットの影響を受けやすい状況では、明らかにフィードフォワードが掛かりやすいからだ。飼い主は、死んでしまった最愛のペットの、無念さ、辛さ、悲しさを、どこまでもどこまでも想像してゆく事が出来る。ペットがペットなりの命を十分に生き得たと、その口から直に聞く事が出来ない為に、自らの生涯に満足して死んでいったのだという確信を得る事が難しいからである。これは幼子を亡くした親などにも当てはまる構造だろう。
翻って、我らがヒーロー龍馬の場合はどうだろうか。
たぶん、多くの男性龍馬ファンは、龍馬は満足して死んでいった、と考えているのではないだろうか。
龍馬は歴史に名を残すような大仕事をやり遂げて死んでいった。満足しているに決まっている。自分もそんな龍馬のようになりたい、龍馬のような偉業が成し遂げられるならそれで死んでもかまわない。若い頃には多くの人がこうした志を胸にする事はおかしな事ではないし、そうした情熱の種火をずっと絶やさずにしている人もいるだろう。そうした人はきっと龍馬伝を観て、早すぎる龍馬の死を惜しみ憤慨するとしても、そこには龍馬に対する羨望と賞賛が主体であって、きっと寝込む事はないだろう。
自分自身もこのような意識の持ち方に非常に近い所を通ってきた自覚がある。
しかし、妻のショック状態について考える内に、もう少し違う考えも現れてきた。
龍馬には決意があった。死をも覚悟していた。しかし覚悟していた死だとて、納得して平常で受け入れられるものだろうか。
ひょっとして、龍馬は、無念の極みで死んでいったのではないだろうか。
龍馬がしたかった事は何だろうか。彼が本当にしたかった事は何だろうか。上士も郷士もない、上も下もない平らな、自由で新しい日本を作る事だったろうか?
無論そうだろう。しかし、龍馬伝の龍馬を思い返すと、この表現では微妙に違うのではないだろうかと思えた。龍馬が本当にしたかったのは、そう言う世界を「作る事」ではなく、そう言う世界に「自分が生きる事」ではなかっただろうか。自分とおりょうと家族と友と一緒にそういうすばらしい世界で生きて行きたかったはずである。
龍馬は生きたかったのであって、偉業をなしたかった訳ではない。自分が生きたいように生きるためにもがいた結果が、たまたま偉業になっただけである。
そう考えると、龍馬はさんざん苦労してようやくそれが報われるかもという最悪のタイミングで殺された事になる。
最愛の妻ともずっと離ればなれのままで苦労したのに、それが報われて楽しい余生を送るどころか、その顔を見る事もできずに死んで行かねばならないとは、なんたる無念だろう。あんなに嬉々として新しい世の中での計画を語っていたのに。
つまり、龍馬の人生の重心が龍馬自身にとってどこにあったのか、という解釈の違いがポイントになる。
龍馬を単に偉人と捉えるなら、龍馬はそのライフワークをやり遂げた英雄と言う事になる。司馬遼太郎の竜馬が行くもこの判断である。
しかし、龍馬を現代風の生身の人間と考えれば、彼の人生の目的は「維新後」にあるはずだった訳で、さすれば彼は悲劇の人である。
龍馬伝では後者の立場をはっきりと示してはいなかったが、今から思えば、そうした雰囲気のシーンも多数あり、そのような龍馬像がもたらす最終回は、妻をして寝込ませるに十分だったという事ではないだろうか。
歴史解釈はさておき、ドラマとして大変すばらしいものだったと思う。
特に、絵が良かった。光の陰影と空気感を非常によく表現していたと思う。
手に汗握る緊迫のシーンも多かった。長回しによる迫真の演技の賜物だろう。
題材もさることながら、この出来を超える大河ドラマが現れる事は難しいだろうと思う。
名残惜しいような気もするし、また、夏休みのラジオ体操の皆勤賞のような、何かしらの達成感をも感じている。
もちろん、これらはメタなエモーションであって、直接番組の内容からの影響も当然ある訳だ。
人気番組だったし、全国至る所で、ありとあらゆる種類の、その余韻の鑑賞が行われている事だろう。
妻などは寝込んでしまった。最終回で龍馬が惨殺された事にショックを受けての事である。
龍馬が暗殺される事は当然番組が始まる前から知っていたし、番組中でも何度も予告され、終盤では弥太郎がうるさいほどカウントダウンしてくれていた訳で、だからそのショックは「驚愕の展開」などに起因する物ではない。
想像するに、多分ペットロスに近い情動なのではないかと思う。
ちなみに、ペットロスの症例が深刻な物になる原因としては、ペットが物を言わないと言う点が挙げられる。
自らの意志を自ら言葉で明示できないペットの感情などは、飼い主がその有り余る想像力で補完するため、飼い主の感情がペットの影響を受けやすい状況では、明らかにフィードフォワードが掛かりやすいからだ。飼い主は、死んでしまった最愛のペットの、無念さ、辛さ、悲しさを、どこまでもどこまでも想像してゆく事が出来る。ペットがペットなりの命を十分に生き得たと、その口から直に聞く事が出来ない為に、自らの生涯に満足して死んでいったのだという確信を得る事が難しいからである。これは幼子を亡くした親などにも当てはまる構造だろう。
翻って、我らがヒーロー龍馬の場合はどうだろうか。
たぶん、多くの男性龍馬ファンは、龍馬は満足して死んでいった、と考えているのではないだろうか。
龍馬は歴史に名を残すような大仕事をやり遂げて死んでいった。満足しているに決まっている。自分もそんな龍馬のようになりたい、龍馬のような偉業が成し遂げられるならそれで死んでもかまわない。若い頃には多くの人がこうした志を胸にする事はおかしな事ではないし、そうした情熱の種火をずっと絶やさずにしている人もいるだろう。そうした人はきっと龍馬伝を観て、早すぎる龍馬の死を惜しみ憤慨するとしても、そこには龍馬に対する羨望と賞賛が主体であって、きっと寝込む事はないだろう。
自分自身もこのような意識の持ち方に非常に近い所を通ってきた自覚がある。
しかし、妻のショック状態について考える内に、もう少し違う考えも現れてきた。
龍馬には決意があった。死をも覚悟していた。しかし覚悟していた死だとて、納得して平常で受け入れられるものだろうか。
ひょっとして、龍馬は、無念の極みで死んでいったのではないだろうか。
龍馬がしたかった事は何だろうか。彼が本当にしたかった事は何だろうか。上士も郷士もない、上も下もない平らな、自由で新しい日本を作る事だったろうか?
無論そうだろう。しかし、龍馬伝の龍馬を思い返すと、この表現では微妙に違うのではないだろうかと思えた。龍馬が本当にしたかったのは、そう言う世界を「作る事」ではなく、そう言う世界に「自分が生きる事」ではなかっただろうか。自分とおりょうと家族と友と一緒にそういうすばらしい世界で生きて行きたかったはずである。
龍馬は生きたかったのであって、偉業をなしたかった訳ではない。自分が生きたいように生きるためにもがいた結果が、たまたま偉業になっただけである。
そう考えると、龍馬はさんざん苦労してようやくそれが報われるかもという最悪のタイミングで殺された事になる。
最愛の妻ともずっと離ればなれのままで苦労したのに、それが報われて楽しい余生を送るどころか、その顔を見る事もできずに死んで行かねばならないとは、なんたる無念だろう。あんなに嬉々として新しい世の中での計画を語っていたのに。
つまり、龍馬の人生の重心が龍馬自身にとってどこにあったのか、という解釈の違いがポイントになる。
龍馬を単に偉人と捉えるなら、龍馬はそのライフワークをやり遂げた英雄と言う事になる。司馬遼太郎の竜馬が行くもこの判断である。
しかし、龍馬を現代風の生身の人間と考えれば、彼の人生の目的は「維新後」にあるはずだった訳で、さすれば彼は悲劇の人である。
龍馬伝では後者の立場をはっきりと示してはいなかったが、今から思えば、そうした雰囲気のシーンも多数あり、そのような龍馬像がもたらす最終回は、妻をして寝込ませるに十分だったという事ではないだろうか。
歴史解釈はさておき、ドラマとして大変すばらしいものだったと思う。
特に、絵が良かった。光の陰影と空気感を非常によく表現していたと思う。
手に汗握る緊迫のシーンも多かった。長回しによる迫真の演技の賜物だろう。
題材もさることながら、この出来を超える大河ドラマが現れる事は難しいだろうと思う。
バーチャルボーイ/レッドアラーム/T&Eソフト
と言う訳で、バーチャルボーイのソフト収集も開始された訳だが、やっぱりまず欲しいのが、名作と言われるこのシューティング。早速手に入れて遊んでみた。
ワイヤーフレームで描かれたSF系3Dシューティング。マイコン世代には痺れるようなモチーフではないか。しかもハウスはT&Eソフト。ハイドライド面白かったなあ。でも今プレイするとそうでもないんだろうなあ。
このゲームは、とにかく操作が複雑で難しい。操作する戦闘機はスピード調節とホバリングが可能で、何とバックも出来る。左十字キーでヨーとピッチ、右十字キーで平行移動、バルカンショットにロックオンミサイル、おまけに随時視点変更まである。
殆どは2つの十字キーとショットボタンだけでOKなのだが、それでもかなり混乱して格好良く操縦するのは至難の業だ。
ワイヤーフレームのため、オブジェクトが重なると若干把握しづらい事はあるが、それでも立体視のおかげで非常に空間的に把握しやすく、まず飛んでいて楽しい。トップギアでもスピード感はそれほどでもないが、むしろ停止・後退を交えてゆっくり飛ぶスタイルが想定プレイなのかも。何しろ、コースの途中で停止し、180度ターンして逆走できるシューティング(それも3Dでだ)なんて初めて見たので驚愕である。行きつ戻りつしながらボスの回りを旋回して撃破するのはかなり臨場感があって面白い。
オープニングもかなり凝っていてすばらしい出来だ。
一つ非常に感心したのが、リプレイ機能がある事。ゴーグルタイプのバーチャルボーイのディスプレイでは、いくら華麗なプレイを成し遂げたところで、ギャラリーには誰にも見てもらえない。せいぜい後でスコアを自慢するぐらいだろう。だが、このゲームでは、リプレイの再生が出来るので、華麗なプレイ自体を実際に見てもらう事が出来るのだ。しかも視点変更も出来るので、自分のプレイをプレイしづらいが格好いいビューで見直す、という楽しみもある。
まだ1面しかクリアできないがもう少しちょこちょこあそぼうと思う。
T&Eソフト
レッドアラーム
ワイヤーフレームで描かれたSF系3Dシューティング。マイコン世代には痺れるようなモチーフではないか。しかもハウスはT&Eソフト。ハイドライド面白かったなあ。でも今プレイするとそうでもないんだろうなあ。
このゲームは、とにかく操作が複雑で難しい。操作する戦闘機はスピード調節とホバリングが可能で、何とバックも出来る。左十字キーでヨーとピッチ、右十字キーで平行移動、バルカンショットにロックオンミサイル、おまけに随時視点変更まである。
殆どは2つの十字キーとショットボタンだけでOKなのだが、それでもかなり混乱して格好良く操縦するのは至難の業だ。
ワイヤーフレームのため、オブジェクトが重なると若干把握しづらい事はあるが、それでも立体視のおかげで非常に空間的に把握しやすく、まず飛んでいて楽しい。トップギアでもスピード感はそれほどでもないが、むしろ停止・後退を交えてゆっくり飛ぶスタイルが想定プレイなのかも。何しろ、コースの途中で停止し、180度ターンして逆走できるシューティング(それも3Dでだ)なんて初めて見たので驚愕である。行きつ戻りつしながらボスの回りを旋回して撃破するのはかなり臨場感があって面白い。
オープニングもかなり凝っていてすばらしい出来だ。
一つ非常に感心したのが、リプレイ機能がある事。ゴーグルタイプのバーチャルボーイのディスプレイでは、いくら華麗なプレイを成し遂げたところで、ギャラリーには誰にも見てもらえない。せいぜい後でスコアを自慢するぐらいだろう。だが、このゲームでは、リプレイの再生が出来るので、華麗なプレイ自体を実際に見てもらう事が出来るのだ。しかも視点変更も出来るので、自分のプレイをプレイしづらいが格好いいビューで見直す、という楽しみもある。
まだ1面しかクリアできないがもう少しちょこちょこあそぼうと思う。
下弦の月/矢沢あい
NANAには乗り遅れたが、いい加減矢沢あいぐらい読んで勉強しておかないとな、と思っているところで愛蔵版上下巻を入手したので早速読んでみた。
前々からうすうす思っていたが、やはり作風が好みでないので、あまり感情移入できず、読み終わってもふーんという感じだった。
テーマ、ストーリー、キャラ、どこを取ってもピンとこない。読んだ端からイメージがさらさらとこぼれて消えていく砂のような作品だった。あるいはこの淡さ自体が主題なのかも知れない。
矢沢あい
下弦の月
前々からうすうす思っていたが、やはり作風が好みでないので、あまり感情移入できず、読み終わってもふーんという感じだった。
テーマ、ストーリー、キャラ、どこを取ってもピンとこない。読んだ端からイメージがさらさらとこぼれて消えていく砂のような作品だった。あるいはこの淡さ自体が主題なのかも知れない。
Xbox360/ガンダム無双インターナショナル/バンダイ
ワゴンセール新品480円で購入しておいた物。オブリの合間と言う事で妻が選んでプレイ開始。
明らかにプレイ前からでも誰でも分かるように、真・三國無双のキャラだけガンダムのモビルスーツになっただけのゲームである。
よって、我が家では、モビルスーツで宇宙空間で戦っているにもかかわらず、プレイ中には
「あ、ヤバイ、武将出た」
「ここの拠点兵長倒したし」
「無双ゲージ貯まりきったよ」
という三國無双のままの単語での会話になる。ただし肉まんだけは、今回その形状から「牛乳」と呼ばれていたりして、割と柔軟な応対を見せた一面もあった。
無双シリーズは、その緩くてダラダラとしたゲーム性のためか、やはり時々遊ぶと面白い。
特に新シリーズなどでは、最初のキャラ、2番目のキャラぐらいのストーリープレイでは、かなり面白さを感じ、ついで、このゲーム特有のプレイアブルキャラの多さを考え、一体どれだけ遊べるんだと期待を募らせるものの、続けてプレイするキャラで、アクション・戦場・ストーリーの変化のなさに、驚くほど急激に飽きてきて、結局数キャラのクリアでお腹一杯満喫しました、となるのがお決まりのコースである。
結局10時間少々遊んだだけで満腹終了となった。
そもそもである。
なぜガンダムなどのMSが、近接武器主体で戦わなくてはならないのか?
なぜ攻撃もしてこない雑魚MSが数百機単位で大量に群れているのか?
こうしたガンダムの世界観を破壊するような設定は、いくらゲームとはいえ違和感が大きすぎる。
その点、スカッドハンマーズは、デフォルメ+パラレルワールドと上手く処理しており、またそれ以上に内容的にもゲームとしてすばらしかった。
こちらの方がよほど無双の名にふさわしいと思う。
また、オフィシャルモードのストーリーも、端折りすぎで短く、不満が残る物だ。とくにサブキャラで2マップのみとか、いくら何でも酷いだろう。
バンダイ
ガンダム無双インターナショナル
明らかにプレイ前からでも誰でも分かるように、真・三國無双のキャラだけガンダムのモビルスーツになっただけのゲームである。
よって、我が家では、モビルスーツで宇宙空間で戦っているにもかかわらず、プレイ中には
「あ、ヤバイ、武将出た」
「ここの拠点兵長倒したし」
「無双ゲージ貯まりきったよ」
という三國無双のままの単語での会話になる。ただし肉まんだけは、今回その形状から「牛乳」と呼ばれていたりして、割と柔軟な応対を見せた一面もあった。
無双シリーズは、その緩くてダラダラとしたゲーム性のためか、やはり時々遊ぶと面白い。
特に新シリーズなどでは、最初のキャラ、2番目のキャラぐらいのストーリープレイでは、かなり面白さを感じ、ついで、このゲーム特有のプレイアブルキャラの多さを考え、一体どれだけ遊べるんだと期待を募らせるものの、続けてプレイするキャラで、アクション・戦場・ストーリーの変化のなさに、驚くほど急激に飽きてきて、結局数キャラのクリアでお腹一杯満喫しました、となるのがお決まりのコースである。
結局10時間少々遊んだだけで満腹終了となった。
そもそもである。
なぜガンダムなどのMSが、近接武器主体で戦わなくてはならないのか?
なぜ攻撃もしてこない雑魚MSが数百機単位で大量に群れているのか?
こうしたガンダムの世界観を破壊するような設定は、いくらゲームとはいえ違和感が大きすぎる。
その点、スカッドハンマーズは、デフォルメ+パラレルワールドと上手く処理しており、またそれ以上に内容的にもゲームとしてすばらしかった。
こちらの方がよほど無双の名にふさわしいと思う。
また、オフィシャルモードのストーリーも、端折りすぎで短く、不満が残る物だ。とくにサブキャラで2マップのみとか、いくら何でも酷いだろう。