スラムダンク 9巻/井上雄彦
いよいよインハイ県予選始まる。
三井も加わり、強固な布陣で快進撃を続ける湘北。
しかし絶好調のチームとは裏腹に、退場を繰り返してしまい活躍できないことに焦りを感じる花道だった。
晴子に合わす顔がないと、こっそりゴリに相談したりして、徐々にバスケ自体に対する意識も育ってきた様子。
果たして次の試合、花道は、退場することなく最後までコートに立っていられるのか?
次巻も楽しみである。
妻はこの漫画にかなりぞっこんの様子である。
もちろん面白いが、そこまでとは思わないかな。人気の秘密が、まだ完全には腑に落ちてない。
そのうちその辺りも掴めると良いなと思う。
井上雄彦
スラムダンク 9巻
三井も加わり、強固な布陣で快進撃を続ける湘北。
しかし絶好調のチームとは裏腹に、退場を繰り返してしまい活躍できないことに焦りを感じる花道だった。
晴子に合わす顔がないと、こっそりゴリに相談したりして、徐々にバスケ自体に対する意識も育ってきた様子。
果たして次の試合、花道は、退場することなく最後までコートに立っていられるのか?
次巻も楽しみである。
妻はこの漫画にかなりぞっこんの様子である。
もちろん面白いが、そこまでとは思わないかな。人気の秘密が、まだ完全には腑に落ちてない。
そのうちその辺りも掴めると良いなと思う。
PS3/フィット・イン・シックス カラダを鍛える6つの要素/UBI
そしてこちらも、妻へのプレゼントとして購入した。
Wii版もあるが、評価の高いPS3版をチョイス。
まだ全然一通りも触れていないが、早速プレイしてみてとりあえずの感想。
フィットネスゲームとしては、かなり上級者向けの作りである。
それは、例えばWiiFitやフィットネスパーティが、全くの素人でも遊べるように、運動が習慣付くように、という点を主眼に置いて作られているの対し、こちらはそう言った要素が皆無である、という点が一つ。
運動なんて毎日行って当たり前、自分で決めた運動プログラムは実行して当然、という運動が習慣付いている上級者向けの内容なのだ。
ソフトを起動したことを褒めてくれることもなければ、挨拶もない。休みを叱咤する事もない。カレンダーなど運動の記録は当然きちんと詳細に作られているが、なんとかモチベーションが続くように楽しんでできるように、ハンコを押したり、地球を旅したり、運動時間を貯金したりなどという配慮は皆無だ。
だから、非常にシンプルでスッキリしたインターフェイスと、プログラム実行に特化したメニューが、キビキビと爽快な印象を与える。
そして、運動強度が、やはり上級者向けである。少々レベルの高い運動をチョイスしてやってみた所、予想よりはるかにハードで、腹筋背筋モモの筋肉などが悲鳴を上げて、ついていけなかった。休み休みゆっくりゴールしたものの、かなりの疲労である。これをスイスイできるようになれば、それは確かに凄いだろう。
運動の実行時のポイントや指示・注意も、非常にあっさりである。基本は分かってるよね?といわんばかりの印象である。また、テキパキと、さっと始まり、時間通りきちんと、さっと終わる。WiiFitやフィットネスパーティなどでは、実際の運動以外に講評や説明などで結構時間をロスしているので、これもすがすがしい印象だった。
面白いのが、フィット中のBGMを、PS3に保存された音楽データから、プレイリストを自由に選択して指定できる点である。曲は、テンポの合うものだけを自動でチェックして選択してくれる。早速CDを取り込んで、それをBGMに指定して遊んでみたが、やはり好きな曲だと気分も良いし、気合いも入る。
Move対応という点もこのソフトの売りかも知れないが、実際は多分誰も使用しないだろう。それは、メニュー操作としてはMoveはどうしても操作しづらいし、モーショントレースとしても、使用可能な運動はそんなに多くないし、また、対応している運動でも、使ったからといってあまりメリットはなく、逆に、手にコントローラを持っている分、やはり運動しづらい面がどうしてもあるからだ。
その意味では、ムービープレイと揶揄されるWii版であっても、そうは変わらないということである。
ただし、CD取り込みできる点、PS3に軍配が上がる。
早速明日は筋肉痛になりそうな勢いであるが、しばらくやり込んでみたい。
UBI
フィット・イン・シックス カラダを鍛える6つの要素
Wii版もあるが、評価の高いPS3版をチョイス。
まだ全然一通りも触れていないが、早速プレイしてみてとりあえずの感想。
フィットネスゲームとしては、かなり上級者向けの作りである。
それは、例えばWiiFitやフィットネスパーティが、全くの素人でも遊べるように、運動が習慣付くように、という点を主眼に置いて作られているの対し、こちらはそう言った要素が皆無である、という点が一つ。
運動なんて毎日行って当たり前、自分で決めた運動プログラムは実行して当然、という運動が習慣付いている上級者向けの内容なのだ。
ソフトを起動したことを褒めてくれることもなければ、挨拶もない。休みを叱咤する事もない。カレンダーなど運動の記録は当然きちんと詳細に作られているが、なんとかモチベーションが続くように楽しんでできるように、ハンコを押したり、地球を旅したり、運動時間を貯金したりなどという配慮は皆無だ。
だから、非常にシンプルでスッキリしたインターフェイスと、プログラム実行に特化したメニューが、キビキビと爽快な印象を与える。
そして、運動強度が、やはり上級者向けである。少々レベルの高い運動をチョイスしてやってみた所、予想よりはるかにハードで、腹筋背筋モモの筋肉などが悲鳴を上げて、ついていけなかった。休み休みゆっくりゴールしたものの、かなりの疲労である。これをスイスイできるようになれば、それは確かに凄いだろう。
運動の実行時のポイントや指示・注意も、非常にあっさりである。基本は分かってるよね?といわんばかりの印象である。また、テキパキと、さっと始まり、時間通りきちんと、さっと終わる。WiiFitやフィットネスパーティなどでは、実際の運動以外に講評や説明などで結構時間をロスしているので、これもすがすがしい印象だった。
面白いのが、フィット中のBGMを、PS3に保存された音楽データから、プレイリストを自由に選択して指定できる点である。曲は、テンポの合うものだけを自動でチェックして選択してくれる。早速CDを取り込んで、それをBGMに指定して遊んでみたが、やはり好きな曲だと気分も良いし、気合いも入る。
Move対応という点もこのソフトの売りかも知れないが、実際は多分誰も使用しないだろう。それは、メニュー操作としてはMoveはどうしても操作しづらいし、モーショントレースとしても、使用可能な運動はそんなに多くないし、また、対応している運動でも、使ったからといってあまりメリットはなく、逆に、手にコントローラを持っている分、やはり運動しづらい面がどうしてもあるからだ。
その意味では、ムービープレイと揶揄されるWii版であっても、そうは変わらないということである。
ただし、CD取り込みできる点、PS3に軍配が上がる。
早速明日は筋肉痛になりそうな勢いであるが、しばらくやり込んでみたい。
CASIO/電子キーボード 32ミニ鍵盤 ミニキーボード SA-46
先日は妻の誕生日だったのでプレゼントしたのである。
凄く喜んでくれたので、これにして良かったな、と嬉しかった。
妻は元々、エレクトーンの先生をしていたぐらいで、鍵盤は上手だし、弾くのも好きみたいである。自宅には今も、1代前のエレクトーンと大きなキーボードも置いてある。
しかし、数年前に私の入院を機にエレクトーン教室を閉めたのだ。自宅には音楽室があって、そこにエレクトーンを置き、教室にしていた訳だが、その後、私の方の仕事を手伝ってもらうようになり、その関係の荷物がどんどんと侵食して、音楽室は身動きの取れない倉庫と化したのだった。
実際問題、音楽室でエレクトーンを弾けないことはないし、私も時々は練習をしたりしている。しかし荷物の量によっては全く入室すら適わない状況も多々ある。例えばここ1,2ヶ月がそうだった。
そんな面倒くさい状態であるので、妻は音楽からは身を引いたかのようなそぶりで、エレクトーンにはほとんど触れもせず、趣味と言えばガーデニングやゲームなどにシフトしたように思われた。
でも、やはりそうじゃなかった。
実はひと月ほど前になるが、妻は職場でおもちゃを拾った。ボタン電池で動く、ドラえもんのキャラをあしらった、ミニキーボードがついた筆箱である。単音の電子音のみ、16鍵1オクターブ少々の本当におもちゃのキーボードである。ちょっと複雑な曲になると、上も下もキーが足りず弾けないほどだ。
だが、妻はこれを嬉々として弾いているのである。ブランクが長いはずなのに、そうは見えない運指で、色々リクエストすると、すらすらと弾いてくれた。正直結構驚いた。そして思った。楽器を弾いて音を出す、メロディーを奏でる、そうしたプリミティブな快感への欲求はずっとあったのだ、と。
ただ、私も妻も人一倍面倒くさがりである。
いくら曲が弾きたいからと言って、みんなのいるリビングを出て、一人で音楽室へ行き、荷物をかき分けてスペースを作り、空調を入れ、電源を入れ、譜面を広げ、わざわざそこまでして演奏する、というほどの欲求ではないのだ。
面倒くさくなければやりたいが、面倒なら、別にもういい。そう言う気持ちは非常によく分かる。
音楽を聴くのも同様である。我が家にはオーディオがない。CDは主にPCで聴くのである。だから非常に面倒で、妻はたくさん持ってはいるものの、ほとんどCDを聴かず、音楽と言えばラジオがほとんどだった。しかし先日ラジオをCDラジカセにアップグレードした。するとCDを聴くのが少々ではあるが手間無しになった為、妻はいそいそとCDを掛けるようになった。職場でも落ちているCDからめぼしそうな物を拾ってくるようになった。やはり、手間が減るなら、面倒がなければ楽しみたい、という欲求はあったのだ。
そこへ、ドラえもんキーボードである。リビングのテーブルにポンと置いてあったので弾きたいと思えば1秒ですぐ弾ける。ラジオを聞いていて、あ、この曲と思えば、さっと弾く。ゲームをしていて、このメロディーと思えば、さっと弾く。
これだ、と思った。
お手軽なドラえもんキーボードの利点はそのままに、もう少しだけましなものをプレゼントしようと思いついた。
ドラえもんは鍵盤数が足りなさすぎるし、和音も無理、音色も単なる正弦波と、流石におもちゃすぎるから。
おもちゃじゃないキーボードで一番小さくて評判がよいものを、と探したら、これだったのである。
幸い良い製品で、贈ったその日から、予想を超えた使用時間を遊んでくれているようだ。
良かった点は次の通り。
・小さい事。しかし、それでも最初は意外と大きく感じた。とくに奥行きがある。だが、長さ約45cmと、ソファーの端にポンと置いておけるサイズなのでなんとかクリアしたようだ。
・電池で動く事。持ち歩きたい時、さっと弾きたい時、ACは論外である。単三6本で結構長く稼働しそうだ。しかもオートパワーオフ。
・100音色。やはり楽しい。しかも値段とサイズの割に、結構良い音がすると思う。
・それほど弾きにくくない鍵盤。もちろん鍵盤は小さめだが、妻は手が小さいのでちょうど良いと思う。
・説明書が要らないほどの簡単操作。
・それほど安っぽくないデザイン。
・(ぼそっと)安い定価。実売価格に至っては驚きである。
悪かった点。
・32鍵はやはり少ない。弾けない曲もでてくる。曲によっては両手で弾けないこともない、というレベル。しかしサイズとトレードオフなので仕方ない。70鍵のキーボードならもともと自宅にあるのだ。ポンと置いておいてさっと使えなければ何の意味もなくなる。実は、この製品のワンランク上の44鍵タイプもあるので購入時には悩んだが、小さい方にして良かったと思う。
気楽にちょこちょこと遊んでくれたら嬉しい。ただ、多分もうこの数日で値段分は遊び尽くしたのは間違いないと思うが。
CASIO
電子キーボード 32ミニ鍵盤 ミニキーボード SA-46
凄く喜んでくれたので、これにして良かったな、と嬉しかった。
妻は元々、エレクトーンの先生をしていたぐらいで、鍵盤は上手だし、弾くのも好きみたいである。自宅には今も、1代前のエレクトーンと大きなキーボードも置いてある。
しかし、数年前に私の入院を機にエレクトーン教室を閉めたのだ。自宅には音楽室があって、そこにエレクトーンを置き、教室にしていた訳だが、その後、私の方の仕事を手伝ってもらうようになり、その関係の荷物がどんどんと侵食して、音楽室は身動きの取れない倉庫と化したのだった。
実際問題、音楽室でエレクトーンを弾けないことはないし、私も時々は練習をしたりしている。しかし荷物の量によっては全く入室すら適わない状況も多々ある。例えばここ1,2ヶ月がそうだった。
そんな面倒くさい状態であるので、妻は音楽からは身を引いたかのようなそぶりで、エレクトーンにはほとんど触れもせず、趣味と言えばガーデニングやゲームなどにシフトしたように思われた。
でも、やはりそうじゃなかった。
実はひと月ほど前になるが、妻は職場でおもちゃを拾った。ボタン電池で動く、ドラえもんのキャラをあしらった、ミニキーボードがついた筆箱である。単音の電子音のみ、16鍵1オクターブ少々の本当におもちゃのキーボードである。ちょっと複雑な曲になると、上も下もキーが足りず弾けないほどだ。
だが、妻はこれを嬉々として弾いているのである。ブランクが長いはずなのに、そうは見えない運指で、色々リクエストすると、すらすらと弾いてくれた。正直結構驚いた。そして思った。楽器を弾いて音を出す、メロディーを奏でる、そうしたプリミティブな快感への欲求はずっとあったのだ、と。
ただ、私も妻も人一倍面倒くさがりである。
いくら曲が弾きたいからと言って、みんなのいるリビングを出て、一人で音楽室へ行き、荷物をかき分けてスペースを作り、空調を入れ、電源を入れ、譜面を広げ、わざわざそこまでして演奏する、というほどの欲求ではないのだ。
面倒くさくなければやりたいが、面倒なら、別にもういい。そう言う気持ちは非常によく分かる。
音楽を聴くのも同様である。我が家にはオーディオがない。CDは主にPCで聴くのである。だから非常に面倒で、妻はたくさん持ってはいるものの、ほとんどCDを聴かず、音楽と言えばラジオがほとんどだった。しかし先日ラジオをCDラジカセにアップグレードした。するとCDを聴くのが少々ではあるが手間無しになった為、妻はいそいそとCDを掛けるようになった。職場でも落ちているCDからめぼしそうな物を拾ってくるようになった。やはり、手間が減るなら、面倒がなければ楽しみたい、という欲求はあったのだ。
そこへ、ドラえもんキーボードである。リビングのテーブルにポンと置いてあったので弾きたいと思えば1秒ですぐ弾ける。ラジオを聞いていて、あ、この曲と思えば、さっと弾く。ゲームをしていて、このメロディーと思えば、さっと弾く。
これだ、と思った。
お手軽なドラえもんキーボードの利点はそのままに、もう少しだけましなものをプレゼントしようと思いついた。
ドラえもんは鍵盤数が足りなさすぎるし、和音も無理、音色も単なる正弦波と、流石におもちゃすぎるから。
おもちゃじゃないキーボードで一番小さくて評判がよいものを、と探したら、これだったのである。
幸い良い製品で、贈ったその日から、予想を超えた使用時間を遊んでくれているようだ。
良かった点は次の通り。
・小さい事。しかし、それでも最初は意外と大きく感じた。とくに奥行きがある。だが、長さ約45cmと、ソファーの端にポンと置いておけるサイズなのでなんとかクリアしたようだ。
・電池で動く事。持ち歩きたい時、さっと弾きたい時、ACは論外である。単三6本で結構長く稼働しそうだ。しかもオートパワーオフ。
・100音色。やはり楽しい。しかも値段とサイズの割に、結構良い音がすると思う。
・それほど弾きにくくない鍵盤。もちろん鍵盤は小さめだが、妻は手が小さいのでちょうど良いと思う。
・説明書が要らないほどの簡単操作。
・それほど安っぽくないデザイン。
・(ぼそっと)安い定価。実売価格に至っては驚きである。
悪かった点。
・32鍵はやはり少ない。弾けない曲もでてくる。曲によっては両手で弾けないこともない、というレベル。しかしサイズとトレードオフなので仕方ない。70鍵のキーボードならもともと自宅にあるのだ。ポンと置いておいてさっと使えなければ何の意味もなくなる。実は、この製品のワンランク上の44鍵タイプもあるので購入時には悩んだが、小さい方にして良かったと思う。
気楽にちょこちょこと遊んでくれたら嬉しい。ただ、多分もうこの数日で値段分は遊び尽くしたのは間違いないと思うが。
ヴォイド・シェイパ/森博嗣
この小説が、まさにこうした形である意味合いが分からない。
何のために、誰のために書かれたものか分からない。
主人公ゼンは、出自を知らない青年。物心付く前より剣の達人カシュウの元で研鑽を積み、カシュウの死と共に山を下りてきた。自らの生きる目的を探すために、強さとは何かを知るために、師の遺言通り旅立つ為に…。と言うような感じ。
明らかに、過去の日本、武士がいた時代の話である。そして、この世界設定と森さんの例の文体が、壊滅的に合わないのである。もう、合わない過ぎて読んでいて笑えてくるほどである。
主人公はいつものパターンの森キャラである。クールで超合理的思考で俗世の些事を嫌い、人との関わりを嫌い、口に出さない独白で諸事を解釈しながら話を進めてゆく、口癖が「そういうことか」といった、森作品によくあるタイプである。
もちろん、そこまでは問題ない。問題なのは、そやつが、作品世界に合わせて全くカスタマイズされていない、という事だ。
時は多分、江戸時代中期。深い山の中で剣豪と二人きり、剣の修行に明け暮れて育ち、世間のことは僅かな書と師から教わったのみ。例えば貝殻さえ見たことも聞いたこともない。そんな人物の筈なのだが、中身は、例えば先の「喜嶋先生」の橋場君と全く同一なのでずっこけてしまう。実際、前後を隠して、独白の部分を抜き出して交換しても、全く違和感もなく、多分誰も気づかないだろう。
時代設定が現代や近未来であれば、別にそれでも良いのだ。しかし、時代物でこれでは、はっきり言って苦笑するしかない。文体の違和感が凄まじい。多分、時代考証などは、腹を括って、最初から放棄したのだろう。本人が最初から分かってやっているのなら、別にそれはそれでよい。ただ、それは、コーヒーに塩を入れたようなもので、意外なミスマッチに喜んだり、また案外気づかない人もいたりするだろうが、合わない人にはどうしても合わないということがあるだろう。
森さんは、これまで自分の文体や世界観が最も映える方向へ作品を描いてきた。「スカイ・クロラ」などはその最高傑作であろう。
この件でよく分かったが、結局、器用な小説家ではなかったと言うことである。他のパターンは使えないのだ。この一張羅しかないのである。
もちろんそれは責められることではない。作者の資質など関係ない。作家は作品の内容だけで判断されるべきである。森さんが責められる点は、無理なことすんな、という事だ。得意なパターンだけやっていればボロが出ないのに、どうしてこんな作品を書いてしまったのだろう。これからまだ20年小説を書いていくんだ、という気概のある作家なら、もちろん話は別だが、もう書かないと言っているの人の最期っ屁が、なんでこれなんだろう。
内容的にも特に新味もなく食傷気味のなんちゃって禅問答である。「あずみ」と「バガボンド」と「スカイ・クロラ」を足して20で割ったような印象で、ストーリーも盛り上がりに欠け、間延びした感じでさっぱりだ。三部作らしいが、どう書き進めていくものやら。
かなり著書を読み込んできた森ファンであれば、割と楽しめるとは思うし、ひどさ加減を裏から楽しむことも可能だろう。ただ、森作品が初めてという人は絶対にやめておいた方がよい。そう言う人は素直にFとか「スカイ・クロラ」を読んだ方がよいだろう。
森博嗣
ヴォイド・シェイパ
何のために、誰のために書かれたものか分からない。
主人公ゼンは、出自を知らない青年。物心付く前より剣の達人カシュウの元で研鑽を積み、カシュウの死と共に山を下りてきた。自らの生きる目的を探すために、強さとは何かを知るために、師の遺言通り旅立つ為に…。と言うような感じ。
明らかに、過去の日本、武士がいた時代の話である。そして、この世界設定と森さんの例の文体が、壊滅的に合わないのである。もう、合わない過ぎて読んでいて笑えてくるほどである。
主人公はいつものパターンの森キャラである。クールで超合理的思考で俗世の些事を嫌い、人との関わりを嫌い、口に出さない独白で諸事を解釈しながら話を進めてゆく、口癖が「そういうことか」といった、森作品によくあるタイプである。
もちろん、そこまでは問題ない。問題なのは、そやつが、作品世界に合わせて全くカスタマイズされていない、という事だ。
時は多分、江戸時代中期。深い山の中で剣豪と二人きり、剣の修行に明け暮れて育ち、世間のことは僅かな書と師から教わったのみ。例えば貝殻さえ見たことも聞いたこともない。そんな人物の筈なのだが、中身は、例えば先の「喜嶋先生」の橋場君と全く同一なのでずっこけてしまう。実際、前後を隠して、独白の部分を抜き出して交換しても、全く違和感もなく、多分誰も気づかないだろう。
時代設定が現代や近未来であれば、別にそれでも良いのだ。しかし、時代物でこれでは、はっきり言って苦笑するしかない。文体の違和感が凄まじい。多分、時代考証などは、腹を括って、最初から放棄したのだろう。本人が最初から分かってやっているのなら、別にそれはそれでよい。ただ、それは、コーヒーに塩を入れたようなもので、意外なミスマッチに喜んだり、また案外気づかない人もいたりするだろうが、合わない人にはどうしても合わないということがあるだろう。
森さんは、これまで自分の文体や世界観が最も映える方向へ作品を描いてきた。「スカイ・クロラ」などはその最高傑作であろう。
この件でよく分かったが、結局、器用な小説家ではなかったと言うことである。他のパターンは使えないのだ。この一張羅しかないのである。
もちろんそれは責められることではない。作者の資質など関係ない。作家は作品の内容だけで判断されるべきである。森さんが責められる点は、無理なことすんな、という事だ。得意なパターンだけやっていればボロが出ないのに、どうしてこんな作品を書いてしまったのだろう。これからまだ20年小説を書いていくんだ、という気概のある作家なら、もちろん話は別だが、もう書かないと言っているの人の最期っ屁が、なんでこれなんだろう。
内容的にも特に新味もなく食傷気味のなんちゃって禅問答である。「あずみ」と「バガボンド」と「スカイ・クロラ」を足して20で割ったような印象で、ストーリーも盛り上がりに欠け、間延びした感じでさっぱりだ。三部作らしいが、どう書き進めていくものやら。
かなり著書を読み込んできた森ファンであれば、割と楽しめるとは思うし、ひどさ加減を裏から楽しむことも可能だろう。ただ、森作品が初めてという人は絶対にやめておいた方がよい。そう言う人は素直にFとか「スカイ・クロラ」を読んだ方がよいだろう。
喜嶋先生の静かな世界/森博嗣
この本は、短編集「まどろみ消去」に収録の「キシマ先生の静かな生活」を、水増しして長編に仕立て直した作品である。
よって、もし短編を読んでいれば(そして覚えていれば)、別段読む必要はない。
長編化によって何が変わったかというと、上にも書いたように、単に細部の水増しであって、何ら作品として表現の向上がある訳ではないからだ。むしろ冗長になっていて、短編でのシャープなキレが失われてしまっている。
では、この本には価値はないかというと、全くゼロという訳ではない。
短編で十二分に完結しているというだけであって、初めて読む人など、長編を手にしてもよいだろう。
作品が醸し出す雰囲気の素晴らしさは、短編でも長編でも、共に堪能できる。
理系の大学院周辺を舞台に、喜嶋先生との出逢いを通じ、主人公は研究者の世界に足を踏み入れる。生きるということ、生活するということ、そして研究するということ。喜嶋先生の薫陶を受けつつ研究に没頭する学生の歓喜と少しの苦悩をディティールたっぷりに描いている。
帯などには自伝的小説と書かれているが、プロットはむしろ完全に創作だろう。そうではなく、本当に大事な部分はディティールであって、この空気感こそがある意味自伝なのかも知れない。神は細部に宿る。
特に、理系の大学や大学院を卒業した人は、かなり郷愁に浸れるだろう。
個人差があるので何とも言えないが、ひとつだけ森さんが書き落としていることがあると思う。
それは食欲。
作中で主人公はあまり食べないようにした、と述べているが、それでは持たないと思う。
ただでさえ脳はカロリー消費の激しい器官である。森さんが書くように、終日たった一つの方程式を眺めて(と言うより睨み付けて)、うんうん唸りながら考えたり計算したりして過ごすと、どれだけお腹が空くことか。
下手な運動するより、意識を集中した計算の方がよっぽどお腹が空くという事実は首肯してくれる人も多いと思う。
森さんは、多分、夏目漱石の「こころ」を書きたかったんだろうと思う。
短編ではドライにカラッと締められていたエンドが、だらだらと長編にしたために、陰惨で、後味の悪いものになってしまっている。主人公の悔悟や英雄崇拝がくどすぎる。自虐をすぎて狂気の部類である。これは作品世界を台無しにするものであり、なんのために水増ししたんだろうかと、残念な思いだけがいつまでも尾を引く。
ベースが神がかっているだけに、その対比として、小手先で書いた部分の粗が目立ってしまうのだろう。
森博嗣
喜嶋先生の静かな世界
よって、もし短編を読んでいれば(そして覚えていれば)、別段読む必要はない。
長編化によって何が変わったかというと、上にも書いたように、単に細部の水増しであって、何ら作品として表現の向上がある訳ではないからだ。むしろ冗長になっていて、短編でのシャープなキレが失われてしまっている。
では、この本には価値はないかというと、全くゼロという訳ではない。
短編で十二分に完結しているというだけであって、初めて読む人など、長編を手にしてもよいだろう。
作品が醸し出す雰囲気の素晴らしさは、短編でも長編でも、共に堪能できる。
理系の大学院周辺を舞台に、喜嶋先生との出逢いを通じ、主人公は研究者の世界に足を踏み入れる。生きるということ、生活するということ、そして研究するということ。喜嶋先生の薫陶を受けつつ研究に没頭する学生の歓喜と少しの苦悩をディティールたっぷりに描いている。
帯などには自伝的小説と書かれているが、プロットはむしろ完全に創作だろう。そうではなく、本当に大事な部分はディティールであって、この空気感こそがある意味自伝なのかも知れない。神は細部に宿る。
特に、理系の大学や大学院を卒業した人は、かなり郷愁に浸れるだろう。
個人差があるので何とも言えないが、ひとつだけ森さんが書き落としていることがあると思う。
それは食欲。
作中で主人公はあまり食べないようにした、と述べているが、それでは持たないと思う。
ただでさえ脳はカロリー消費の激しい器官である。森さんが書くように、終日たった一つの方程式を眺めて(と言うより睨み付けて)、うんうん唸りながら考えたり計算したりして過ごすと、どれだけお腹が空くことか。
下手な運動するより、意識を集中した計算の方がよっぽどお腹が空くという事実は首肯してくれる人も多いと思う。
森さんは、多分、夏目漱石の「こころ」を書きたかったんだろうと思う。
短編ではドライにカラッと締められていたエンドが、だらだらと長編にしたために、陰惨で、後味の悪いものになってしまっている。主人公の悔悟や英雄崇拝がくどすぎる。自虐をすぎて狂気の部類である。これは作品世界を台無しにするものであり、なんのために水増ししたんだろうかと、残念な思いだけがいつまでも尾を引く。
ベースが神がかっているだけに、その対比として、小手先で書いた部分の粗が目立ってしまうのだろう。
「余剰次元」と逆二乗則の破れ(ブルーバックス)/村田次郎
全然期待してなかったが、かなり当たりの本だった。
非常に面白い。
タイトルから難しそうな印象を受けるかも知れないが、難しい数式などは出てこない。内容も高校の力学程度を知っていれば十分理解できるレベルだろう。
力とは何か、人は自然界における力をどのように探求してきたのか、を丁寧に解説することで本書の半分以上を占めている。この解説が特に面白いのだ。分かっている人が書いている、という感じが溢れ、かゆい所に手の届く簡潔で要を得た説明には感服した。
力を時空間構造の帰結として定義し直す辺りの記述は、多分、感銘を受ける人が多いのでは。私も、場の古典論を読んだ際、空間の対称性の要請から力学を導く記述に目から鱗を落としつつ深く感銘を受けた学生時代を思い出した。
本書を読んで特に感銘を受けたのは、ラザフォードが、後に自身の名が付く原子核での散乱現象を究明しようと猛勉強する逸話である。彼は学生に混じって確率論の講義を受け、確率や分布の猛勉強をしたそうである。すでにノーベル化学賞を受賞し大家となった後のことである。この意気込み、気負わない真摯な探求姿勢には、背筋が伸びる思いである。
もう一点驚いたのは、キャベンディッシュ以来、万有引力定数を測定する、つまり直接重力を測定する実験は、とくに微少距離においてはまともになされてこなかったという歴史である。これはそれだけ重力というものが弱すぎて測定が難しいということであるし、逆に、いかにキャベンディッシュが凄腕だったか、という事でもある。そう言えば、高校の物理教師が最も尊敬する科学者として挙げていた事を思い出した。
余剰次元の話はともかく、メゾスコピックな距離での重力の測定というチャレンジには、凄まじく胸躍るモノがある。素人でも挑戦できそうな距離感がよい。ついつい、何か実験手法はないかと考えてしまうのだ。
そんな楽しい時間をもたらす本である。
村田次郎
「余剰次元」と逆二乗則の破れ(ブルーバックス)
非常に面白い。
タイトルから難しそうな印象を受けるかも知れないが、難しい数式などは出てこない。内容も高校の力学程度を知っていれば十分理解できるレベルだろう。
力とは何か、人は自然界における力をどのように探求してきたのか、を丁寧に解説することで本書の半分以上を占めている。この解説が特に面白いのだ。分かっている人が書いている、という感じが溢れ、かゆい所に手の届く簡潔で要を得た説明には感服した。
力を時空間構造の帰結として定義し直す辺りの記述は、多分、感銘を受ける人が多いのでは。私も、場の古典論を読んだ際、空間の対称性の要請から力学を導く記述に目から鱗を落としつつ深く感銘を受けた学生時代を思い出した。
本書を読んで特に感銘を受けたのは、ラザフォードが、後に自身の名が付く原子核での散乱現象を究明しようと猛勉強する逸話である。彼は学生に混じって確率論の講義を受け、確率や分布の猛勉強をしたそうである。すでにノーベル化学賞を受賞し大家となった後のことである。この意気込み、気負わない真摯な探求姿勢には、背筋が伸びる思いである。
もう一点驚いたのは、キャベンディッシュ以来、万有引力定数を測定する、つまり直接重力を測定する実験は、とくに微少距離においてはまともになされてこなかったという歴史である。これはそれだけ重力というものが弱すぎて測定が難しいということであるし、逆に、いかにキャベンディッシュが凄腕だったか、という事でもある。そう言えば、高校の物理教師が最も尊敬する科学者として挙げていた事を思い出した。
余剰次元の話はともかく、メゾスコピックな距離での重力の測定というチャレンジには、凄まじく胸躍るモノがある。素人でも挑戦できそうな距離感がよい。ついつい、何か実験手法はないかと考えてしまうのだ。
そんな楽しい時間をもたらす本である。
お茶にごす。 9巻/西森博之
例によって楽天ポイントでゲット。
11巻で完ということが分かってしまっているので、早く読みたいような、できれば読みたくないような、複雑な心境。
こんなに面白い漫画が終わってしまうとは、残念の極みだ。
ネタバレしないように気を付けながらネットで浅く検索すると、満を持しての堂々のエンディングというよりは、打ち切りに近い形でのフィナーレらしく、終盤駆け足での展開といような情報もチラホラ。
まあ、真偽のほどは追々分かるだろう。いずれにしても残り少ない貴重な巻を噛みしめて読みたい所。
9巻では、いよいよ姉崎部長が部長として在籍する最後となる文化祭へ向けての準備で始まる。意気消沈しつつも部長のために頑張る部員達。
しかし、大事なことを忘れていた。
文化祭=他校や外部の人も来校=ロクでもない連中もお茶を飲みに来る=必然的に喧嘩=部長が泣く、という恐怖の方程式が完成してしまう。当日は休もうかと、逃げ出そうとするまークンと山田。しかしそれではダメだ。
夏帆は二人に参加させつつ喧嘩させないよう尽力する。
当日、必然的に現れた、この機に乗じて二人に恨みを晴らそうとするロクデナシの横暴にも、限界まで耐えるまークンと山田。茶室の中は別世界。和を貴ぶのです。という部長の言葉に二人は殉じる覚悟だった。
しかし、そんな限界を真っ先に突破したのが夏帆であった。一歩敷居をまたいだとたん躊躇無く無礼者二人を張り飛ばす夏帆。場は一転騒然と。あわや大惨事かという所、結局は、まークンの魔の記憶力による凄まじいオーラに気圧されてロクデナシは退散した。
降り出した雨の中、部員達の互いを思いやる気持ちをたたえ、姉崎部長は後任の副部長に夏帆を指名する。
茶道部の優しい空気にほろりとする。過ぎていって欲しくない時間、離れたくない仲間。それでも時は確実に進んでいく。これが一期一会なのだ、という実感が沁み通る。
まあ、実際は夏帆もみんなも駄々こねるから姉崎前部長もしょっちゅう来るみたいだけどね。
ギャグにはそんなにはパンチのない巻だったが、まークンの幼少期の話や、恋についての話、智花とブルーの意外な接近、次巻風雲急を告げる幕切れなど、見所は盛りだくさん。
次巻も楽しみである。
西森博之
お茶にごす。 9巻
11巻で完ということが分かってしまっているので、早く読みたいような、できれば読みたくないような、複雑な心境。
こんなに面白い漫画が終わってしまうとは、残念の極みだ。
ネタバレしないように気を付けながらネットで浅く検索すると、満を持しての堂々のエンディングというよりは、打ち切りに近い形でのフィナーレらしく、終盤駆け足での展開といような情報もチラホラ。
まあ、真偽のほどは追々分かるだろう。いずれにしても残り少ない貴重な巻を噛みしめて読みたい所。
9巻では、いよいよ姉崎部長が部長として在籍する最後となる文化祭へ向けての準備で始まる。意気消沈しつつも部長のために頑張る部員達。
しかし、大事なことを忘れていた。
文化祭=他校や外部の人も来校=ロクでもない連中もお茶を飲みに来る=必然的に喧嘩=部長が泣く、という恐怖の方程式が完成してしまう。当日は休もうかと、逃げ出そうとするまークンと山田。しかしそれではダメだ。
夏帆は二人に参加させつつ喧嘩させないよう尽力する。
当日、必然的に現れた、この機に乗じて二人に恨みを晴らそうとするロクデナシの横暴にも、限界まで耐えるまークンと山田。茶室の中は別世界。和を貴ぶのです。という部長の言葉に二人は殉じる覚悟だった。
しかし、そんな限界を真っ先に突破したのが夏帆であった。一歩敷居をまたいだとたん躊躇無く無礼者二人を張り飛ばす夏帆。場は一転騒然と。あわや大惨事かという所、結局は、まークンの魔の記憶力による凄まじいオーラに気圧されてロクデナシは退散した。
降り出した雨の中、部員達の互いを思いやる気持ちをたたえ、姉崎部長は後任の副部長に夏帆を指名する。
茶道部の優しい空気にほろりとする。過ぎていって欲しくない時間、離れたくない仲間。それでも時は確実に進んでいく。これが一期一会なのだ、という実感が沁み通る。
まあ、実際は夏帆もみんなも駄々こねるから姉崎前部長もしょっちゅう来るみたいだけどね。
ギャグにはそんなにはパンチのない巻だったが、まークンの幼少期の話や、恋についての話、智花とブルーの意外な接近、次巻風雲急を告げる幕切れなど、見所は盛りだくさん。
次巻も楽しみである。
観用少女 プランツ・ドール 1/川原由美子
妻のお薦めと言うことで読んでみた。
作者は知らないなと思っていたら、前略ミルクハウスの人だった。そう言われるとちょっとタッチが面影あるかも。
タイトルからエロ系を想像する人もいるかも知れないが、そういう要素は完全にゼロ。
遠未来もしくは近未来、または地球ではなく、地球とよく似た別の星の話かも知れない。
はっと息を呑むほどに可憐で美しい少女の姿をしてはいるが、人ではなく、生きる人形、と言われている観用少女、プランツ・ドール、略してプランツと呼ばれる存在を含有する世界を描いた話である。
プランツを所有することは裕福層のステイタスとなっている。
日に三杯の温めたミルクと砂糖菓子で維持できるが、プランツをより輝かせるためには所有者の愛情を惜しみなく注ぐ必要があった。愛情こそがプランツの糧であり、それを失ったプランツは枯れていく、と言われている。
プランツは、その心を溶かすような天使の笑みを、誰にでも向ける訳ではない。相性があるのだ。プランツに気に入られた人でなければ、それを所有することは難しいのであった。
プランツは喋らない。あまり意志も示さず動きも少ない。ただ、着飾られて座り、愛情を求め、素晴らしい微笑みをたたえるだけだ。しかしその微笑みが全てを変えてしまうのだ。その微笑みのために、人々は目の玉の飛び出るような高額のローンを組み、競ってプランツを手に入れようとするのだった。
こうした、プランツとそれを求める人々の色々なお話が詰まった、11話の掌編からなるシリーズ第1巻である。基本的にそれぞれ独立したストーリーであるので、どこから読んでもどれを読んでも構わない。
ほろっとする人情話からサスペンス、ホラーまで、いろんなモチーフが揃っている。
どの話も好きだが、「スノウホワイト」「レイニイ・ムーン」「ブルードール」「空中庭園」などが特に印象深かった。
プランツの詳細な正体については語られない。人間の少女そのものの姿をしているが、人ではないとされている。枯れるという表現から植物のようでもあるので、遺伝子工学を応用した生命体かも知れないし、メンテナンスという表現も出てくることからロボットもしくはサイボーグといった路線も考えられるが、一切謎である。従ってSFとも取れるし、ファンタジーとして読んでも良いだろう。
いずれにせよ、人々はプランツを、植物や愛玩動物、もしくは美術品のように愛で、求め、そしてその存在に癒されているのだ。
多分、現在でいうと超高級自動車程度の価格と思われるプランツを、そうした莫大な代償を払ってでも手に入れたいと人々に思わせるほどの魅力を備えた存在として漫画上で表現する、という事は大変な技量を要すると思われる。
つまり、プランツのその一瞬の微笑みで読者の心までも掴めなければ、この漫画は死んでしまうからだ。
その観点からは、淡い繊細な細線を重ねた美しい描画で、プランツの魅惑の笑みと表情を表現し得ていると思われる。そして表情だけでなく、コマ割りやページ構成、ストーリー上の役回りなど、プランツのその愛玩せずにはいられない存在としての表現は実に見事であると言える。
プランツはなにもしない。ただ、そこにいて微笑むだけである。そしてそれこそが、プランツを愛する者達の無上の喜びなのである。
愛とは与えるものである、とは言われるが、人が持つ無償の愛の行為を、その行為の生まれいずる源流を、より根元的にくっきりと切り取り提示するための仕掛けが、このプランツ・ドールではないだろうか。
2巻も楽しみである。
川原由美子
観用少女 プランツ・ドール 1
作者は知らないなと思っていたら、前略ミルクハウスの人だった。そう言われるとちょっとタッチが面影あるかも。
タイトルからエロ系を想像する人もいるかも知れないが、そういう要素は完全にゼロ。
遠未来もしくは近未来、または地球ではなく、地球とよく似た別の星の話かも知れない。
はっと息を呑むほどに可憐で美しい少女の姿をしてはいるが、人ではなく、生きる人形、と言われている観用少女、プランツ・ドール、略してプランツと呼ばれる存在を含有する世界を描いた話である。
プランツを所有することは裕福層のステイタスとなっている。
日に三杯の温めたミルクと砂糖菓子で維持できるが、プランツをより輝かせるためには所有者の愛情を惜しみなく注ぐ必要があった。愛情こそがプランツの糧であり、それを失ったプランツは枯れていく、と言われている。
プランツは、その心を溶かすような天使の笑みを、誰にでも向ける訳ではない。相性があるのだ。プランツに気に入られた人でなければ、それを所有することは難しいのであった。
プランツは喋らない。あまり意志も示さず動きも少ない。ただ、着飾られて座り、愛情を求め、素晴らしい微笑みをたたえるだけだ。しかしその微笑みが全てを変えてしまうのだ。その微笑みのために、人々は目の玉の飛び出るような高額のローンを組み、競ってプランツを手に入れようとするのだった。
こうした、プランツとそれを求める人々の色々なお話が詰まった、11話の掌編からなるシリーズ第1巻である。基本的にそれぞれ独立したストーリーであるので、どこから読んでもどれを読んでも構わない。
ほろっとする人情話からサスペンス、ホラーまで、いろんなモチーフが揃っている。
どの話も好きだが、「スノウホワイト」「レイニイ・ムーン」「ブルードール」「空中庭園」などが特に印象深かった。
プランツの詳細な正体については語られない。人間の少女そのものの姿をしているが、人ではないとされている。枯れるという表現から植物のようでもあるので、遺伝子工学を応用した生命体かも知れないし、メンテナンスという表現も出てくることからロボットもしくはサイボーグといった路線も考えられるが、一切謎である。従ってSFとも取れるし、ファンタジーとして読んでも良いだろう。
いずれにせよ、人々はプランツを、植物や愛玩動物、もしくは美術品のように愛で、求め、そしてその存在に癒されているのだ。
多分、現在でいうと超高級自動車程度の価格と思われるプランツを、そうした莫大な代償を払ってでも手に入れたいと人々に思わせるほどの魅力を備えた存在として漫画上で表現する、という事は大変な技量を要すると思われる。
つまり、プランツのその一瞬の微笑みで読者の心までも掴めなければ、この漫画は死んでしまうからだ。
その観点からは、淡い繊細な細線を重ねた美しい描画で、プランツの魅惑の笑みと表情を表現し得ていると思われる。そして表情だけでなく、コマ割りやページ構成、ストーリー上の役回りなど、プランツのその愛玩せずにはいられない存在としての表現は実に見事であると言える。
プランツはなにもしない。ただ、そこにいて微笑むだけである。そしてそれこそが、プランツを愛する者達の無上の喜びなのである。
愛とは与えるものである、とは言われるが、人が持つ無償の愛の行為を、その行為の生まれいずる源流を、より根元的にくっきりと切り取り提示するための仕掛けが、このプランツ・ドールではないだろうか。
2巻も楽しみである。
DS/Wi-Fi対応 世界のだれでもアソビ大全/ナップ/任天堂
任天堂のテーブルゲーム集から3つ目のゲーム紹介。今回は「ナップ」。
ハーツと同様、日本ではマイナーなトリック系のトランプゲームである。
プレイヤーが輪になり、最初のプレイヤーが手札から1枚出す。それ以降のプレイヤーは、そのカードと同じスート(マーク)のカードを持っていれば、それらから選んで場に出さなければならない。無ければ任意のカードを出して良い。こうして一巡出し終わったカードの山をトリックと言い、このトリックを巡って知謀の限りを尽くすのがトリックテイキングゲームと呼ばれ海外ではトランプのメジャージャンルの一つとなっている。ナップはその1種である。
DCのぐるぐる温泉などプレイした人は、トランプゲームのナポレオンを思い浮かべると良いだろう。実際、ナップとは、ナポレオンの省略形であり、これはフランス軍との戦いをテーマにした英国のカードゲームなのである。ぐるぐる温泉収録のナポレオンは、英国ナップの日本版改変ゲームと言うことらしい。日本版ナポレオンがナポレオン軍と連合軍に分かれてのチーム戦であったのに対し、英国ナップは個人戦である。
アソビ大全に沿ったゲームの流れを説明しよう。
まず、プレイヤーは8人まで参加できる。自分の場合にはCOMを入れない3人で遊ぶことが多い。
使用カードは、全カード52枚か、7以降のみの32枚かをルールで選択できる。数を絞ると後述するミゼールが難しくなる。
プレイヤーは順番を決め、伏せたカードから5枚ずつ手札を配られる。つまり、1ゲームはトリック5回勝負と言うことだ。この後、手札を見て戦略を練り、上座から順に、目標を宣言してゆく。
目標とは、自分が取れると思うトリックの数であり、つまりワンからファイブまである。全てのトリックを取るファイブのことをナップという。ワンはルール設定で不可にもできる。プレイヤーは前の人の宣言よりも大きい宣言しかできない。できなれればパスする。全員がパスしたら、一番大きな宣言をした人が親になりゲームスタートだ。なお、スリーとフォーの間に、ミゼールという宣言がある。これは、1トリックも取らない、という宣言である。また、誰かがナップを宣言した場合に限り、他のプレイヤーも全取り宣言を被せることができる。これをウェリントン(ナポレオンを打ち破った英国の英雄)という。さらに誰かがウェリントンを宣言した時のみ、全取りとしてブリュッヒャー(ナポレオンを打ち破ったプロイセンの英雄)を宣言できる。個人的にはまだウェリントンやブリュッヒャーの成功は見たこと無い。
親が最初に場に出すカードのスートを切り札という。切り札は他のスートのどんなカードより強い。スートが同じなら、Aが最強で、以降K,Qと下がっていき、2が最弱である。32枚戦を選択した場合は7が最弱となる。
切り札以外で始まったトリックでは、開始スートでも切り札でもないスートのカードは無条件に負ける。
なお、ミゼールでスタートしたゲームでは切り札は設定されない。
トリックを取ったプレイヤーは任意のカードで次のトリックを始める。こうして5回トリックを終えるまでに、宣言したトリック数を取れば親の勝ち、取らせなければ子の勝ちとなる。もちろんミゼールの場合には、1トリックも取らない場合のみ親の勝ちとなる。
親が宣言を達成した場合、子はそれぞれ宣言と同じ数だけポイントを親に支払う。宣言未達成の場合には、親は宣言数だけ各子にポイントを支払う。例えば、3人プレイの場合、フォーを達成した親は、+8ポイント、子は各-4ポイントである。ミゼールはスリーと同じポイントである。ナップ以上の宣言では、ボーナスが付きかなり高額のポイントとなる。細かいポイント数はルール設定で変更できる。
ゲーム当初に決めるプレイ回数分ゲームを繰り返した後、もっともポイントを稼いだプレイヤーの勝ちとなる。
親は勝てば大きいが、負けると損失もでかい。子で様子をうかがい、ここぞという時に親となって勝負に出るのがポイントだ。
しかし引きすぎると親に舐められる。手札にAやKがあればほぼワンは取れるのである。親は無理だと思っても、せめてツーぐらいは宣言して、親となる他のプレイヤーを牽制したい所だ。
手札がボロボロでも、ミゼールという逆転の目があるので諦めてはいけない。ただし、ミゼールを宣言するということは、手札が弱いですと公言するという事であり、それならばと他プレイヤーにフォーを宣言させる後押しとなってしまう場合もあるので事は簡単ではない。
カードはプレイヤー数×5枚しか使用されない、という点を考えて戦略を立てるべきだ。2,3人の対戦では多数のカードが山に眠る訳である。
同スートが手札に3枚以上あるような場合にはかなり強気の戦略が考えられるだろう。やはりなんと言っても切り札は強い。切り札を強い順に出しているだけで勝ててしまうことも多い。しかし切り札に頼ってばかりではダメである。弱い宣言では親が取れない場合もあるし、ツーで勝つよりスリー、スリーよりフォーで勝つ方がポイントも断然違うからだ。ツーで2回勝ったとしても相手にフォーを1回勝たれたらチャラである。
出せるカードは大体決まっているため、ゲーム展開はスピーディーである。キーポイントでは悩む。カードの出し方の前後で、勝敗がガラッと変わってきてしまうからだ。ただし、使用枚数が少なく相手のカードが読み切れないため、結局はかなり運も左右する。そこそこ気楽に、それなりにドキドキ楽しむには最適のゲームであると言えよう。
任天堂
Wi-Fi対応 世界のだれでもアソビ大全
ハーツと同様、日本ではマイナーなトリック系のトランプゲームである。
プレイヤーが輪になり、最初のプレイヤーが手札から1枚出す。それ以降のプレイヤーは、そのカードと同じスート(マーク)のカードを持っていれば、それらから選んで場に出さなければならない。無ければ任意のカードを出して良い。こうして一巡出し終わったカードの山をトリックと言い、このトリックを巡って知謀の限りを尽くすのがトリックテイキングゲームと呼ばれ海外ではトランプのメジャージャンルの一つとなっている。ナップはその1種である。
DCのぐるぐる温泉などプレイした人は、トランプゲームのナポレオンを思い浮かべると良いだろう。実際、ナップとは、ナポレオンの省略形であり、これはフランス軍との戦いをテーマにした英国のカードゲームなのである。ぐるぐる温泉収録のナポレオンは、英国ナップの日本版改変ゲームと言うことらしい。日本版ナポレオンがナポレオン軍と連合軍に分かれてのチーム戦であったのに対し、英国ナップは個人戦である。
アソビ大全に沿ったゲームの流れを説明しよう。
まず、プレイヤーは8人まで参加できる。自分の場合にはCOMを入れない3人で遊ぶことが多い。
使用カードは、全カード52枚か、7以降のみの32枚かをルールで選択できる。数を絞ると後述するミゼールが難しくなる。
プレイヤーは順番を決め、伏せたカードから5枚ずつ手札を配られる。つまり、1ゲームはトリック5回勝負と言うことだ。この後、手札を見て戦略を練り、上座から順に、目標を宣言してゆく。
目標とは、自分が取れると思うトリックの数であり、つまりワンからファイブまである。全てのトリックを取るファイブのことをナップという。ワンはルール設定で不可にもできる。プレイヤーは前の人の宣言よりも大きい宣言しかできない。できなれればパスする。全員がパスしたら、一番大きな宣言をした人が親になりゲームスタートだ。なお、スリーとフォーの間に、ミゼールという宣言がある。これは、1トリックも取らない、という宣言である。また、誰かがナップを宣言した場合に限り、他のプレイヤーも全取り宣言を被せることができる。これをウェリントン(ナポレオンを打ち破った英国の英雄)という。さらに誰かがウェリントンを宣言した時のみ、全取りとしてブリュッヒャー(ナポレオンを打ち破ったプロイセンの英雄)を宣言できる。個人的にはまだウェリントンやブリュッヒャーの成功は見たこと無い。
親が最初に場に出すカードのスートを切り札という。切り札は他のスートのどんなカードより強い。スートが同じなら、Aが最強で、以降K,Qと下がっていき、2が最弱である。32枚戦を選択した場合は7が最弱となる。
切り札以外で始まったトリックでは、開始スートでも切り札でもないスートのカードは無条件に負ける。
なお、ミゼールでスタートしたゲームでは切り札は設定されない。
トリックを取ったプレイヤーは任意のカードで次のトリックを始める。こうして5回トリックを終えるまでに、宣言したトリック数を取れば親の勝ち、取らせなければ子の勝ちとなる。もちろんミゼールの場合には、1トリックも取らない場合のみ親の勝ちとなる。
親が宣言を達成した場合、子はそれぞれ宣言と同じ数だけポイントを親に支払う。宣言未達成の場合には、親は宣言数だけ各子にポイントを支払う。例えば、3人プレイの場合、フォーを達成した親は、+8ポイント、子は各-4ポイントである。ミゼールはスリーと同じポイントである。ナップ以上の宣言では、ボーナスが付きかなり高額のポイントとなる。細かいポイント数はルール設定で変更できる。
ゲーム当初に決めるプレイ回数分ゲームを繰り返した後、もっともポイントを稼いだプレイヤーの勝ちとなる。
親は勝てば大きいが、負けると損失もでかい。子で様子をうかがい、ここぞという時に親となって勝負に出るのがポイントだ。
しかし引きすぎると親に舐められる。手札にAやKがあればほぼワンは取れるのである。親は無理だと思っても、せめてツーぐらいは宣言して、親となる他のプレイヤーを牽制したい所だ。
手札がボロボロでも、ミゼールという逆転の目があるので諦めてはいけない。ただし、ミゼールを宣言するということは、手札が弱いですと公言するという事であり、それならばと他プレイヤーにフォーを宣言させる後押しとなってしまう場合もあるので事は簡単ではない。
カードはプレイヤー数×5枚しか使用されない、という点を考えて戦略を立てるべきだ。2,3人の対戦では多数のカードが山に眠る訳である。
同スートが手札に3枚以上あるような場合にはかなり強気の戦略が考えられるだろう。やはりなんと言っても切り札は強い。切り札を強い順に出しているだけで勝ててしまうことも多い。しかし切り札に頼ってばかりではダメである。弱い宣言では親が取れない場合もあるし、ツーで勝つよりスリー、スリーよりフォーで勝つ方がポイントも断然違うからだ。ツーで2回勝ったとしても相手にフォーを1回勝たれたらチャラである。
出せるカードは大体決まっているため、ゲーム展開はスピーディーである。キーポイントでは悩む。カードの出し方の前後で、勝敗がガラッと変わってきてしまうからだ。ただし、使用枚数が少なく相手のカードが読み切れないため、結局はかなり運も左右する。そこそこ気楽に、それなりにドキドキ楽しむには最適のゲームであると言えよう。
WiiWare/Wi-Fi8人バトル ボンバーマン/ハドソン
言わずと知れた名作ボンバーマン。
Wiiウェアで気楽にプレイ&対戦可能とあって、発売すぐに購入したもの。
例によって月一程度で、フレンド対戦を楽しんでいる。一般も多分まだ人は沢山いると思うので、購入して損はないだろう。パッケージ版とも対戦可能である。
よい点
・ウェアだからディスク操作無しで、いつでもプレイ。
・リモコン1本で気楽にプレイ。
・1台のWiiから複数人でネット参加。
・ゲーム、ステージ、ルール、ハンデが豊富に設定可能。
・安い
他のボンバーマンは実はそんなにプレイしたことがないので、このウェアの完成度がどのくらいのレベルかは分からない。普通に遊んでいてストレスを感じることはないので、少なくとも最悪と言うことはないだろう。
ポイント制でバトルすると、様々な行動やギミックに対して細かく割り振られたポイントを狙って遊ぶことができて楽しい。
難点を敢えて挙げると、かなり難しいという点か。結構ベーススピードが速いので、反射神経と判断力、動体視力が要求され、気を抜くとすぐに死ぬ。また、王冠を守りきるおうさまバトルや死亡カウンターをなすりつけ合うカウントバトルでは、結局移動速度がモノを言うので、どれだけアイテムのローラーシューズをゲットできたかで勝負が左右され、少々単調である。
しかしいずれも些事で、気楽にわいわい楽しめる点は間違いないのでお奨めである。
Wiiウェアで気楽にプレイ&対戦可能とあって、発売すぐに購入したもの。
例によって月一程度で、フレンド対戦を楽しんでいる。一般も多分まだ人は沢山いると思うので、購入して損はないだろう。パッケージ版とも対戦可能である。
よい点
・ウェアだからディスク操作無しで、いつでもプレイ。
・リモコン1本で気楽にプレイ。
・1台のWiiから複数人でネット参加。
・ゲーム、ステージ、ルール、ハンデが豊富に設定可能。
・安い
他のボンバーマンは実はそんなにプレイしたことがないので、このウェアの完成度がどのくらいのレベルかは分からない。普通に遊んでいてストレスを感じることはないので、少なくとも最悪と言うことはないだろう。
ポイント制でバトルすると、様々な行動やギミックに対して細かく割り振られたポイントを狙って遊ぶことができて楽しい。
難点を敢えて挙げると、かなり難しいという点か。結構ベーススピードが速いので、反射神経と判断力、動体視力が要求され、気を抜くとすぐに死ぬ。また、王冠を守りきるおうさまバトルや死亡カウンターをなすりつけ合うカウントバトルでは、結局移動速度がモノを言うので、どれだけアイテムのローラーシューズをゲットできたかで勝負が左右され、少々単調である。
しかしいずれも些事で、気楽にわいわい楽しめる点は間違いないのでお奨めである。