喜嶋先生の静かな世界/森博嗣 | 読んだり観たり聴いたりしたもの

喜嶋先生の静かな世界/森博嗣

この本は、短編集「まどろみ消去」に収録の「キシマ先生の静かな生活」を、水増しして長編に仕立て直した作品である。
よって、もし短編を読んでいれば(そして覚えていれば)、別段読む必要はない。
長編化によって何が変わったかというと、上にも書いたように、単に細部の水増しであって、何ら作品として表現の向上がある訳ではないからだ。むしろ冗長になっていて、短編でのシャープなキレが失われてしまっている。

では、この本には価値はないかというと、全くゼロという訳ではない。
短編で十二分に完結しているというだけであって、初めて読む人など、長編を手にしてもよいだろう。
作品が醸し出す雰囲気の素晴らしさは、短編でも長編でも、共に堪能できる。

理系の大学院周辺を舞台に、喜嶋先生との出逢いを通じ、主人公は研究者の世界に足を踏み入れる。生きるということ、生活するということ、そして研究するということ。喜嶋先生の薫陶を受けつつ研究に没頭する学生の歓喜と少しの苦悩をディティールたっぷりに描いている。

帯などには自伝的小説と書かれているが、プロットはむしろ完全に創作だろう。そうではなく、本当に大事な部分はディティールであって、この空気感こそがある意味自伝なのかも知れない。神は細部に宿る。

特に、理系の大学や大学院を卒業した人は、かなり郷愁に浸れるだろう。
個人差があるので何とも言えないが、ひとつだけ森さんが書き落としていることがあると思う。
それは食欲。
作中で主人公はあまり食べないようにした、と述べているが、それでは持たないと思う。
ただでさえ脳はカロリー消費の激しい器官である。森さんが書くように、終日たった一つの方程式を眺めて(と言うより睨み付けて)、うんうん唸りながら考えたり計算したりして過ごすと、どれだけお腹が空くことか。
下手な運動するより、意識を集中した計算の方がよっぽどお腹が空くという事実は首肯してくれる人も多いと思う。

森さんは、多分、夏目漱石の「こころ」を書きたかったんだろうと思う。

短編ではドライにカラッと締められていたエンドが、だらだらと長編にしたために、陰惨で、後味の悪いものになってしまっている。主人公の悔悟や英雄崇拝がくどすぎる。自虐をすぎて狂気の部類である。これは作品世界を台無しにするものであり、なんのために水増ししたんだろうかと、残念な思いだけがいつまでも尾を引く。

ベースが神がかっているだけに、その対比として、小手先で書いた部分の粗が目立ってしまうのだろう。


森博嗣
喜嶋先生の静かな世界