城山魂 -77ページ目

点と線

先日、私は二子玉川にあるチョーク工場を見学に行った。企業名は日本理化学工業。会長である大山泰弘氏は、その人柄や経営哲学が注目されており、「日本一大切にしたい会社の会長」との呼び名も高い会長である。

会長の経営哲学は非常にシンプルで「4つの幸せ」に基づいている。

・人に愛されること

・人に褒められること

・人の役に立つこと

・人に必要とされること

そして、これら4つの幸せを同時に得られるのは「仕事」だけというのが会長の哲学である。これは会長が、以前、葬式の斎場にて出会った、禅宗のお坊さんから聞いた話なのだそうだ。

会社の食堂には、社員が書いた今年度の目標シートが貼られている。どれも一生懸命、気持ちをこめて書いた字だというのがわかる。クーラーもエコ基準の28度。工場内のラインに行けば、職員が真剣にラインと向き合っている。

いずれの方も立派な大人の社員だが、仕事をする姿に一生懸命さが感じられなかったり、日常生活が乱れていたり、他人に迷惑をかけるようなことがあれば、強制的に自宅に帰されるという。しかし、職員は仕事がしたくて自宅から電話をしてくる。普通の企業で考えれば信じられないことだが、この企業ではそれがあるのだ。

「仕事」でしか得られない幸せを彼ら一人一人が自覚していのである。

そんな熱い社員の集まる会社だ。上司の責任感もすさまじい。中には仕事を覚えるのが遅い職員もおり、単純な作業を一人前になるまで伝えるのに15年かかったという。それに付き合うのだから、上司の胆力も素晴らしいものがある。

西洋のビジネス文化の流入とともに、日本人が古来より持つ「仕事は最上の喜び」という、感覚が忘れられがちのように思う。仕事の尊さを再認識する工場見学であった。

ちなみに、彼らの70パーセントが知的障害者と知った時、あなたはどのように思われるだろうか(うち25パーセント以上が重度障害)?

※近年、行政は障害児保育の充実を目標に、重たい腰をいよいよ動かし始めました。「声掛けの仕方」「レベルに合わせた課題」等、障害児保育のノウハウについて莫大な量の情報が耳に入ってきます。おそらく、それらの情報をうまく吸収しきれている園は少ないのではないでしょうか?当園も、そういった意味では決して進んだ園ではありません。はっきりいって、専門医師の方と比較したら、素人同然だと思います。しかし、ある時、私は思いました。そんな素人が保育をするにあたって出来る、一番大切なことは何だろう?結果、私の中で、その子供の未来を考え、一生付き合うつもりで接することではないかと思ったのです。しかし、実際に彼らが大人になった姿を想像して接している保育者はどのくらいいるのでしょうか?きっと、彼らの未来を想像しようとしている保育者さえ、ほとんどいないのではないでしょうか?そこで、私は今回、実際にそういった方がどうやって生活をしているのかを見に行くことにしました。こんな時代だからこそ、幼児期という「点」ではなくその人の人生という「線」を通してのお付き合いをすることが大切なのではないでしょうか。

思い出のDVD

本日、高校時代の後輩Iの結婚式があった。Iは高校時代のバスケ部の後輩で、自分にとり、弟のような存在である。その結婚式にあたり、披露宴の余興を担当することになった私は、一枚のDVDを作成した。内容は新しいステージに進むIに対し「敬意」「感謝」「激励」を綴った手紙を、高校時代のチームメイトでリレー形式で読み伝えるというものである。

パソコン音痴である私が、DVDを作成するだけでも、奇跡と言えるのに、今回は、しばらく会うことがなかった先輩、同期、後輩とコンタクトを取る必要があった。現在は皆社会人で、東京にいるかもわからない連中ばかりだ。直前になり準備をしたため、3日間、車で走りまわり、何とか40名近いバスケ部OBと再会を果たすことができた。

連休をフル活用し、朝は収録、深夜は編集とTV局のような生活が3日間続いた。ちょっと気を抜くと、眠りに落ちてしまうようなギリギリの生活が続いた。デジタルビデオカメラや編集ソフトの購入で、多大な費用がかかった。

しかし、それは振り返って初めて気づいたこと。その時は、Iの幸せのためならば、何でもしてあげたいという一心で収録を繰り返した。気づけば、Iを喜ばすことが自分の夢になっていた。

そして、今回の準備の中で、私はもう一つの変化を得ることが出来た。仕事の後、深夜に収録を引き受けてくれた仲間。自分たちの体調を気にし、毎日電話をかけてくれる仲間。そして、何より今回の余興を一緒に引き受けてくれた親友Nの存在。彼等と接する中で、改めて人の温かさに気づかされた。

本番での発表は、自分の想像を超えるものであった。壇上で映像を見るIの目からは涙が止めどなく流れていた。それを見た瞬間、私は本当にこの役目を引き受けて本当によかったと思うことができた。

普段から誰よりも情熱的に望んでいるはずであった仕事、はたして今の自分は、仕事に対し、この三日間程の情熱が注げていたであろうか?「Iを幸せな気持ちにする」という夢の実現に向け、3日間突っ走っていた。すると、気付けば周りへの感謝の心が芽を出していた。

自分が本当にやりたいことに向け突き進んでいる瞬間、人は周りに感謝できるということに気づくことができた。

これから死ぬまで、一人でも多くの人の感動に関わって行きたい、と思う一日であった。


文書かいてますか?

皆さんは、どのくらいの頻度で自身の考えを文書にする機会があるだろうか?ちなみに私の場合、このブログを除いて自身の考えを綴る機会はあまりない。

私は最近、司馬遼太郎氏の歴史小説『竜馬がゆく』を読んでいる。読んでいるといっても、まだ読み始めたばかりで、現在は第4巻。全巻読破には至っていない。坂本竜馬といえば、日本史において屈指の英雄である。

しかし、この坂本竜馬、実は司馬氏が新聞にて『竜馬がゆく』を連載するまで、限りなく無名な人物であったという。司馬氏が連載を始めて以来、知名度が飛躍的に伸び、現在の人気に至ったという。つまり、日本人は司馬遼太郎の描いた坂本竜馬が大好きなのである。

司馬氏はその「精密な歴史観」や「読者が目の前でその情景を見ているかのように感じる表現力」で有名である。現在では司馬氏を研究する学者も多数いるという。

この『竜馬がゆく』を読む中で、多く感じることが、その文献の多さである。文献といっても、歴史を大きく動かした公文書のことではない。むしろ各人物がが、実際に家族や友人に送った私文書が多く抜粋されているのである。これは司馬氏が相当のフィールドワークを行った証拠でもある。抜粋からは、各人物の人柄や思想がにじみ出ており、それが司馬氏の表現力が相まって、人物像が驚くほどリアルなのである。

多くの大企業の経営者が司馬遼太郎氏の本を読み、リーダーシップを学ぶというのがわかる。

しかし、見方を変えれば、このように司馬氏がリアルな小説を書くことが出来たのも、歴史上の人物が、後世に書き物を残していたからである。後世の者に、意図的に文書を読んでもらおうとして書いた文書でなかったにせよ、自身の生き方や思想は何かしらの形で明文化していた。将来が見えにくかった幕末において、真意を文書にしておくことは、不可欠であったのかもしれない。

では、現在、私たちの生活においてそれはどうだろうか?いつ何時でも簡単に他人と連絡が取れてしまう。医療も発達し、ある程度自分の生命に対する関心感もある。私自身も含め、ほとんどの人が死の予感など持っていない。したがって、自身の真意を明文化してみる機会などほとんどないように思う。従って、突然、死が訪れても、その人間が普段どんな考えのもとに生きていたか(生き様)が、家族や親友を除くほとんどの人に理解してもらえない。これは少しさびしいように思う。

話の例がかなり極端になってしまったが、何も遺書を書くつもりで文書を書けと申し上げているわけではない。ただ、文書を書くことで自分が何を考えているのか自分自身でも整理がつく。また、起・承・転・結さえしっかり捉えながら書けば、自身がその問題に対してどんな結論を持っているのかも明確になる。また、人と接する上である程度自分らしさ(自分の考え)を持っていた方が、人間的にも信頼のおける人間でいられるように思う。

従って、時代を問わず自身の考えを文書にしてみる機会というものを定期的に持ってみることは、より人生、また後世の充実につながるのではないかと考える。

自分らしく生きようとする国

先週末、「ご縁の旅inアメリカ」から帰ってきた。

今回の旅で一番強く感じたこと。それはアメリカという国は皆が「自分らしく生きることが自然にできる国、どうやったらより自分らしく生きられるかを常に考えている国」だということである。そして、それを周りで見ている人間にも、日本との違いを感じた。

たとえ、その生き方が自分の哲学に合わなくても、周りの人間はエールを送るのだ。エールというよりも、「相手をのせる」という表現が適切かもしれない。時にそれは少し大げさにも見えるが、彼らには、それが普通なのだ。もちろん、この傾向は、友人関係だけではなく親子の間にも見られる。

所詮は他人だから悠長に手なんて叩いていられるのだという方もいらっしゃるかもしれない。ただ、日本において、それは異なるだろうか?何かを失敗したときに周りの人間が全力で助けてくれるだろうか?親子であれば、それもあり得るが、その他については、なかなか、そうも行かないようにも思う。「責任を避ける」という点ではあまり変わらないようにも感じる。そうであれば相手を後押しする、アメリカのやり方も、個性を伸ばす意味では悪くないように思う。

今回、旅行中、かつての高校時代の友人が私の歓迎パーティーをしてくれた。皆に夢を聞いてみると、実に多様だ。「映画監督」「学者」「天気予報のアナウンサー」「プロ野球選手」と私たちが小学生のころに夢見たような仕事が出てきた。さらに、驚きなのが、その夢について語っているだけではなく、具体的にアクションを起こしている点であった。その行動力には驚きであった。従って、日本でそんな夢を語れば、たちまち馬鹿にされてしまいそうな夢もここでは現実味を帯びる。

どんなに理屈がまかり通る世の中であろうと、人間は所詮は感情の動物である。周りにノセられれば、自然と行動力に拍車がかかるのだ。

自分らしく生きることを本気で模索し、周りがそれを応援する姿勢。これは自分が職場に取り入れたい文化である。よく教育現場で「個性を伸ばす」や「相互支援」という表現をするが、ここにはその文化が根付いている。家庭、教育現場、職場、あらゆる場所でそれが自然にできるのである。

自己主張、自分勝手、無責任、契約社会、よくアメリカをそう表現する人間がいる。おそらくそれは本当だろう、ただそれを善しとする、むしろ、そうでもしないと個性が育たないと考える文化があるように感じた。

近年に限らず、メディアでは欧米式教育システムや企業経営が取り上げられることが多い。ただ、日本にはそれを受け入れられるだけの文化がないように思う。生まれた瞬間から育てられてきた文化が異なるのである。その中に、断片的に仕組みだけを取り入れることはなかなか難しいように感じた。むしろ、何かしら日本風の味付けが必要なように感じた。

アメリカ式がすべて正しいとは思わない。ただ、私が職場で実現したい「互いの夢を応援しあう文化」が、そこには自然にあった。

ライバル

皆さんは人生のライバルといえる存在をお持ちだろうか?私には人生のライバルといえる存在が三人いるのだが、そのうちの一人にRという男がいる。Rは私がライフセービングに打ち込んでいた18歳の時に出会った大親友である。残念ながら私は大学の資格課程の関係で、ライフセービングをやめることになったのだが、その後もRとの交友関係は続いている。

最後に浜で出会った日から8年が経ち、今夏、私たちは一緒にビーチパトロールに入ることになった。月日は経ち、私は幼稚園の経営者、彼はライフセービングの全日本チャンピオン経験者になっていた。

ライフセーバーの朝はトレーニングから始まる。彼にしてみれば日々のトレーニングも、私にとっては決死のトレーニング。夜中、筋肉痛の痛みで目が覚める経験は久々であった。正直、先の見えないトレーニングにサボろうとする悪魔がささやいたこともあった。

しかし、パトロール最終日の朝のトレーニングで、沖からパドルボード(溺者を救出するときに使用する手漕ぎボード)で競争をすることになった。「ヨーイ!スタート!」の合図でパドルをスタートする。スタート後10秒もすると、はるか前方に彼の姿が見えた。しかし、その後の記憶はあまりない。

とにかく、必死でパドルをしていた。そして、パドルを繰り返すたびに、何かを思い出し始めていた。ひとかき、ひとかき進むたびに何ともいえない懐かしい熱い感情がこみあげる。悔しいような、ワクワクするような、誇らしいような不思議な感情。それは、間違いなく18歳の時に感じた感情であった。

毎朝5時になると起床し、一緒に浜に行く。まだ誰もいない浜の前でストレッチをした後、海に入る。そこで視線を合わせた瞬間、友達としての時間は終了。そこから2人はライバルになる。台風が押し寄せる荒波の中、どちらが先に波を越えて、沖に着くかを無言のまま競い合う。そして、先に沖に辿り着いた者がうねりに揺られながら朝日を独り占めする。それが何よりもの至福の時間であった18歳の夏。

今でこそ私たちは口で多くを語るようになってしまった。働くフィールドが違うから、それも仕方がないことだろう。ただ、人間には本気で競い合わなければ切り替わらない、心のスイッチのようなものがある。かつて背中で語り合った相手と、再び背中を見せ合ったことで私のスイッチは再びONに切り替わった(結果的に背中を見せつけられてばかりだったが・・・)。そのスイッチは生きていることの喜びを再認識させてくれる。

競争を終えた私は、この夏最高の至福の時間に包まれていた。人間には本気で向き合った時間の後にしか得られない幸せや人間関係があることに改めて気付かされた。

そんな自分のスイッチを切り替えてくれる存在を「ライバル」というのだと思う。




※1番左が私、ガッツポーズのR