自分らしく生きようとする国 | 城山魂

自分らしく生きようとする国

先週末、「ご縁の旅inアメリカ」から帰ってきた。

今回の旅で一番強く感じたこと。それはアメリカという国は皆が「自分らしく生きることが自然にできる国、どうやったらより自分らしく生きられるかを常に考えている国」だということである。そして、それを周りで見ている人間にも、日本との違いを感じた。

たとえ、その生き方が自分の哲学に合わなくても、周りの人間はエールを送るのだ。エールというよりも、「相手をのせる」という表現が適切かもしれない。時にそれは少し大げさにも見えるが、彼らには、それが普通なのだ。もちろん、この傾向は、友人関係だけではなく親子の間にも見られる。

所詮は他人だから悠長に手なんて叩いていられるのだという方もいらっしゃるかもしれない。ただ、日本において、それは異なるだろうか?何かを失敗したときに周りの人間が全力で助けてくれるだろうか?親子であれば、それもあり得るが、その他については、なかなか、そうも行かないようにも思う。「責任を避ける」という点ではあまり変わらないようにも感じる。そうであれば相手を後押しする、アメリカのやり方も、個性を伸ばす意味では悪くないように思う。

今回、旅行中、かつての高校時代の友人が私の歓迎パーティーをしてくれた。皆に夢を聞いてみると、実に多様だ。「映画監督」「学者」「天気予報のアナウンサー」「プロ野球選手」と私たちが小学生のころに夢見たような仕事が出てきた。さらに、驚きなのが、その夢について語っているだけではなく、具体的にアクションを起こしている点であった。その行動力には驚きであった。従って、日本でそんな夢を語れば、たちまち馬鹿にされてしまいそうな夢もここでは現実味を帯びる。

どんなに理屈がまかり通る世の中であろうと、人間は所詮は感情の動物である。周りにノセられれば、自然と行動力に拍車がかかるのだ。

自分らしく生きることを本気で模索し、周りがそれを応援する姿勢。これは自分が職場に取り入れたい文化である。よく教育現場で「個性を伸ばす」や「相互支援」という表現をするが、ここにはその文化が根付いている。家庭、教育現場、職場、あらゆる場所でそれが自然にできるのである。

自己主張、自分勝手、無責任、契約社会、よくアメリカをそう表現する人間がいる。おそらくそれは本当だろう、ただそれを善しとする、むしろ、そうでもしないと個性が育たないと考える文化があるように感じた。

近年に限らず、メディアでは欧米式教育システムや企業経営が取り上げられることが多い。ただ、日本にはそれを受け入れられるだけの文化がないように思う。生まれた瞬間から育てられてきた文化が異なるのである。その中に、断片的に仕組みだけを取り入れることはなかなか難しいように感じた。むしろ、何かしら日本風の味付けが必要なように感じた。

アメリカ式がすべて正しいとは思わない。ただ、私が職場で実現したい「互いの夢を応援しあう文化」が、そこには自然にあった。