今日は、こんなご質問にお答えします。
心理学やセラピーの分野では、
よく「心の傷を癒す」と言いますが、
何だかふんわりしていて、実はよくわかりません。
そもそも心の傷って何ですか?
心の傷は放っておいても自然には治らないのですか?
心の傷を癒したらどうなるのですか?
大変根本的なご質問だと思います。
心の傷とは
非常に強い衝撃を伴う体験によって、自分の心が対処できる限界を超えてしまった時に陥る状態です。
一般的には災害や事故、犯罪、暴力、虐待などがそのような体験の代表として考えられますが、
心の対処能力には個人差もありますし、
年齢(真理発達段階)によっても異なります。
一般的に心が未発達な子供では、
大人よりも小さなストレスでも対処能力を超えるため、心の傷になりやすいと考えられます。
人間の心にも、身体と同じような自然治癒力とも呼べる回復力があります。
その人に備わっている回復力の範囲内であれば、一時的にショック状態となった心も、
特別な治療なしに回復することはもちろんあります。
例えば、失恋の痛手などが
月日の経過とともに和らいでゆく様を、
昔から「日にち薬(ひにちぐすり)」と呼んだりもしました。
また、周囲の人々の適切な関わりや支援によって回復が促進されることも考えられます。
放っておいても治らない心の傷
一方、個人の回復力を超えるストレスであったような場合や、
周囲からの助けや理解・共感などを得ることが出来ず、孤立していたような場合には、
自然に回復することは難しいと言えるでしょう。
このような場合、その人は心の傷を抱えたまま生きることになります。
ズバリ一言で言うなら、
生き方が制限的になります。
心の傷が治らないまま、という状態は、
身体の傷に例えて考えるならば、
傷口がまだくっついておらず、血を流し続けているような状態です。
このような状態では、当然、
自分で触っても、人から触られても痛いですから、そこに触れる可能性のある局面を、極力避けようとしながら生きるようになります。
この「傷に触れてしまう可能性のあるもの」を
必死で避けようとする無意識の動きが、生き方を制限するのです。
そして、そんな風に必死で避けていても、
時折吹いてくる風にさえ、その傷は飛び上がるような痛みを覚えるかもしれません。
誰も吹いてくる風を止めることは出来ませんから、その心はしばしば痛むことになります。
例えば、左足の傷をかばいながら無理して動き続けていると、
本来は傷のない右足や腰や方にまで無理がかかって
それらの場所に痛みや故障が出ることもあるでしょう。
心も同様です。
もしあなたの人生に
何か非常に困った癖があって直したいのだけれど、どうにも直せないと思っているなら、
それはもしかしたら、心の傷をかばうがゆえの生き方の偏りかもしれないのです。
心の傷も、体の傷と同様
治癒することが可能です。
傷が治るとどうなるでしょう?
流れていた血が止まり、
ぼっかりと開いていた傷口がふさがりますね。
くっついた傷口はやがて皮膚が再生し
盛り上がり、やがて傷跡になります。
深い傷であればあるほど、
傷跡自体は残るかもしれません。
見ればそこに傷があったことはわかります。
でも治癒した傷跡は、
もう痛まなくなるでしょう。
自分で触っても、人に触られても、痛まなくなります。
ましてや風が吹いただけで飛び上がることはもうありません。
その傷と傷を癒したプロセスを
しみじみと振り返れるようになると、
「それを乗り越えてきた自分、よくやったなあ」
と誇らしいような気持ちさえ沸き起こることもあります。
傷を「勲章」に例えるような表現は
この感覚に近いものです。
もちろんすべての人がここに達しなければならないわけではありませんが、
そういうことも起こりうるということです。
そして、痛まない傷跡は
かばう必要がありません。
平常心でいられる(=傷が痛まない)ようになると、
傷が痛むことを絶対に避けるためにかけていた制限は、自然と必要がなくなるのです。
心の傷が癒えると、
生き方の制限が外れます。
今までどうにも出来なかったことを
やってみてもいいんじゃないかと自然に思える感覚かもしれません。
やりたいことが、すっとできる感覚かもしれません。
自由になって
生き方のバランスが良くなるのです。
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