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私が心理療法を始めた最初の頃は、セラピーの手順の中に「怒り出し」というものがありました。
これは読んで字のごとく、「怒りを出す」ことで、
クライエントさんに抑圧した怒りの感情がある場合には、、それを外に出してもらうというものでした。
私が初期の頃に師事した心理療法の先生から教わった手順がそうだったので、もちろん忠実にそれをしていたのですが、
とてもうまく行くこともあれば、そうでないときもあり、しっくり来るときと来ないときの落差が激しいと感じていました。
実際、怒りが全くない人というのは少ないのですが、
怒りがある人の中でも、
まずそれを出せる人と出せない人がいて、
出せた人の中でも、それによって効果が出る人と出ない人がいて…。
確かに激しい怒り出しによって、長年続いた問題行動が止んだ事例はあったものの、
いつしか私の中ではこの「怒り出し」に懐疑的な思いが膨らんでゆきました。
そして時は流れ、
私のセッションから「怒り出し」が消えました。
もはや私のセッションルームに怒り出し用の新聞バットはありません。
(昔は常時ストックしてあったのですよ。新聞紙で作ったバット)
正直、上で述べたように、クライエントに負担がかかる割にはその効果に疑問を感じるようにはなったものの、
「怒り出し」をやめようと思ってやめたわけではありません。
なぜなら、多くのクライエントさんの中に怒りはあり、
抑圧した感情を解くことはセラピーの基本であり、
怒りが解法されなければ楽にはならない。
だから「怒り出し」の効果に疑問を持ってからも、新聞バットは随分長く、部屋の隅にありました。
必要な時には、いつでも使えるように。
でも、気づいてみると、最後に新聞バットを使ってから何年ものときが流れ、
私のセッションに新聞バットはいらなくなったと感じました。
そして、何年も部屋の隅にあった新聞バットを処分したのです。
さて、なぜ「怒り出し」が必要でなくなったのか?
それは、今ならわかります。
要するに、ミルフィーユみたいに重なった感情の層を上から順に剥がしていこうという作戦です。
でも、これが単純にうまく行くときと行かないときが明らかにありました。
今は、怒りをこと更に出してもらわなくても、その下に、ある別の感情に直接触れることが出来るようになったというのが、
私が「怒り出し」をしなくなった理由です。
セッションで触れるのは、一番根っこにある本質的な感情だけで十分です。
それを覆い隠すために2次的に生じた感情は、自然に消失します。
だからもし、本質的な感情が怒りだった場合には(事例として数は少ないですが)、それは出した方が良いわけです。
これ、私の心理セラピーの10年間の一番の進化ポイントかもしれないなあ😃
今日も最後までお読みくださってありがとうございました。
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