スフィンクスが、砂漠を旅する旅人に質問をする。
「始めは4本足で歩き、中ごろは2足となり、終わりに3足となる動物は何か?」
答えられなければ、食い殺してしまう、という話。
皆さんも聞かれたことがあるかもしれません。
答えは?
そう、「人間」です。
つまり、人間に向かって、「人間とはなんぞや」と問うのです。
食い殺してしまうとは残酷ですが、
自己を知らずに生きることの無意味さを象徴的に表わしたのかも知れません。
さて、自己を映す鏡に3枚ある、という話の途中でした。
2枚目は、自己の道徳的良心を鏡として反省する「自分鏡」です。
その「良心」は、素顔の自己を映す鏡になりうるのでしょうか。
以前、運転中、背後に大きなダンプカーが迫っていました。
「うわぁ、きっとコワイお兄さんが運転してるんだろうなぁ」
と思って、バックミラーで確認すると、かわいらしいお姉さんが運転していました。
[大きなダンプカー]→[コワイお兄さんが運転]
と勝手に思い込んでいます。
話したこともない相手を
「あの人は賢そう」
「この人は怪しい」
と勝手に判断しています。
「え、まさかあの人がウソをつくなんて…」
と自分勝手につくった相手のイメージに裏切られ、ショックを受けています。
主観を省いて私たちは物事をみることができるでしょうか。
それは絶対に出来ないことなのです。
常に「欲目」「うぬぼれ」という色眼鏡で見てしまうからです。
仏教では、うぬぼれ心を「慢(まん)」といわれます。
自分をよいものと思い、毛頭悪く見れない心です。
惚れた相手は、どこを見ても、何をやってもオッケーです。
うぬぼれは「自惚れ」と書くように、自分に「惚れ」るのですから、
自分のことは万事、良いことにしてしまいます。
その心を7つに分けて「七慢」と教えられます。
七慢については、次回、解説しましょう。
◆ ひとりごと ◆
「諸行無常」と聞いて思い出すのは、平家物語の冒頭でしょう。
“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす”
諸行無常とは、すべてのものは続かず、絶えず変転していることを
教えられたお釈迦様の言葉です。
何万年の昔も、何億年の未来も、諸行無常の真実は変わりません。
形あるもの、形のないものも、共に無常のものです。
しかし、私たちは無常が無常と思えず、
無常のものを続くと信じ、裏切られ、苦しみます。
迷いの深さに果てがなく、苦しみに底がありません。
諸行無常の世界で、変わらぬまことの幸福とは何か、
仏教が導く幸せの世界は、永続する幸福です。
さて、今日の富山は午後から雨が降っています。
気温も少し低めです。
昼のテレビで節電家電について紹介されていました。
電気料金がリアルタイムで表示され、昨日との比較もできるエアコン、
その人の生活スタイルを記憶して節電に努める冷蔵庫、
省エネ長持ちのLEDライトもかなり売れているようです。
ここまで省エネに関心をもって、
みんなが協力して節電に努めようとするのはすばらしいことだなと思います。
「みんなのことを考えて、自分の行動を変える」
ということはなかなか出来ることじゃないです。
続けて意識していきたいです。
ちなみに、画像は知人が撮影したスズランです。
今、きれいに咲いてます。
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