仏事法事並びに、報恩講への出席。得度した叔母の読経や祖母を訪ね。

自らのルーツでもある、ふらり関西の旅。


前回の関西は、Bと一緒だった。あの時のことを、ふと思い出しながら。


降り立った京都駅。

趣は変わっても、懐かしい駅。

毎年、幾度となく訪れ、祖母が出迎え、見送ってくれた駅。

母が、その年齢に近付きつつあることを感慨深く思いながら、踏みしめる。

そう言えば、ここは友人のお父様の設計だったんだな。

以前の迷路のような駅と比べると、なんとも乗り換えもしやすく、分かりやすくなったといつも思う。



お昼時の京都。日差しは柔らかく、思いの外。あたたかかった。

祖母の入院先を訪れるために、あまり時間が無い。
大好きなSephoraに相談。伊勢丹の和久傅にてランチ。

1時間しかないため、カウンターで急いでいる旨を伝え、最も皿数の少ないコースを。


蕪と鮭のはさみもの。おろしがけ。
京芋と京人参、丹波豆餅のお雑煮。

鯛茶漬け

苺とジュレ


いずれも、優しい味。京都らしい味を堪能した。

特にお雑煮が美味だった。揚げたお餅がパリパリと香ばしい食感。


慌しく頂き、早々に店を後にする。



湖西線に乗り、45分。

祖母のいる湖畔の小さな街へと向かう。


あたたかい京都市内のお天気とは打って変って

時雨れて今にも雪が降りそうな空模様。


路肩には根雪が残っていた。

さらに、駅からバスで30分。

バス亭には、迎えに来てくれた母の姉、叔母の姿があった。



娘である母達が行っても、時に混同することがあるとか。

母にも、叔母にも。きっともう、祖母は私のことが分からないだろうと言われていた。


ホームは、広く明るく新しかった。ちょっとだけ、ほっとした。

そっと個室のドアを開け、ベッドへ近付く。祖母のもとへ。


一瞬、間があったが。


祖母は私のことがすぐにわかった。

「顔がまるなったから、わからんかったわ」そう言って、笑った。

思いがけない喜びをもらった。


小さくなった祖母の姿は痛々しいものがあったが、それでも顔は艶やかで白く。

顔だけを見ていると、まだまだ今にも歩き出しそうな生命力を感じた。


暫く談笑し、周囲は夕方にの闇がたちこめる。そろそろ帰る時刻。

祖母は私の手をもう一度握りなおし、また会えるよねと言い、涙を流してくれた。


寒かったけれど、本当に行ってよかった。祖母に会えて、よかった。

姉が帰国したら、今度は一緒に来るねと約束し、別れる。



叔母と談笑しつつ、京都までともに道行き。京都駅での別れ際、

「辛かったね」と。優しく声を掛けられた。そして、

「あなたもだけれど、親の辛さはいかばかりか。それが親と言うものだけれど、今度は安心させてあげてね」

「幸せに、なりなさい」

どこまで、何を知っているのかは分からないが。そう言って、叔母はタクシーに乗っていった。



私は、sephoraとの待ち合わせ。河原町の高島屋へ向かう。

祖母とおもちゃを買いに来るのは、きまってここだった。想い出の、大好きな場所。

京都の買い物事情、今では伊勢丹が主流のようであるが、私にとって高島屋は特別。

そんな懐かしさを噛み締めながら、バスは一路、四条河原町へ。


18時。約束の時。美しく優しく、そして凛々しいSephoraは、私をすぐに見つけてくれた。

彼女の案内で、木屋町のお料理屋さんで美味しいお食事を頂く。

とは言っても。

実は話すのに夢中で、今となってはおつくり以外、何を頂いたか思い出せない始末。


散々話、飲んで食べて。楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。

美味しい胡麻油のおみやを頂き、三条京阪まで歩く。

叔母が待っている私は、もう一軒飲みたい気持ちを押さえ、一路叔母のお寺へと向かう。


しかし、私はここで電車を間違え(南北線と埼玉高速鉄道のように、二股になっているのである)

見知らぬ六地蔵と言う土地に着いてしまった。


そこから引き返し、お寺に着いたのは23時。身も縮む寒さの中、今度は母の妹、叔母が駅で待っていてくれた。

ありがとう。


そして、叔母と叔父と3人で話しつつ、おでんをつまむ。


深夜3時。お風呂を頂き、就寝。


急な来訪にも、あたたかく迎え入れてくれた叔母夫妻に感謝し、ベッドに入る。



朝、叔父は既におつとめに出いた。


広い本堂は深閑とし、深々と冷える。

その冴え冴えとした空気の中。

法衣に着替えた叔母が、私のひとりのために

香を焚きしめ、火を点し、読経をしてくれた。


様々なことに想いを馳せるも、頭を一度真っ白にし、

ただひたすらにお経を追った。

叔母の声。優しくあたたかい、お経だった。


ありがとう。


その後お茶室にてお茶を頂きながら。叔母が一枚の紙を手渡してくれた。

叔父からの伝言。お説教の紙だった。


「よいかなよいかな。」で始まる、懺悔(ざんぎ)の説話。

父である大王を殺し、母である后をツ幽閉した王が、正体不明の病に悩む。

いかなる名医をもってしても、その病が癒えることがなかった。

ある時、一人の老婆が王に話した話ということだった。


どんな名医をもってしても、良薬をもってしても

その病は治ることが無い。

自らの行いを悔い改め、親兄弟、先祖に感謝し敬意を持って

手を合わせることが必要だと。


懺悔の心を持つ者を人とし、それがなき者は畜生であると。


父の家は日蓮宗だが、母の実家は浄土真宗のお寺。叔母もお寺に嫁いでいる。


私は正直、真宗に関しほぼ情報を持っていなかったが、叔父が簡単に説明をしてくれた。

禅宗等の苦行にて心身を鍛練する仏教と異なり、真宗は自然体であるそうだ。

真宗は、性悪説。人は生まれながらにし、みな罪深いものである。殺生をし、木々を切り。

ゆえに、「悪いことをしていない」と思っても、それは違うのだそう。

ただ、悪いことをした、と言う罪の意識、後悔し手を合わせること=懺悔で、人は赦され救われるのだと。

これは面白いもので、キリスト教の教えと共通項があるように思う。


母の育った、礎となる教え。いつかもう少し深く学んでみようと思った。



私は、その説話を何度も読み返し。叔父に私は問うてみた。

仏さんに赦されても、人と人が赦すことができるのでしょうか。

自分を、赦すことができるのでしょうか。

もちろん、人が人を裁く立場ではないとは知りつつも、赦せないことが苦しいと。


すると、叔父は、静かに答えた。


この話には、続きがある。その話を聞きたい?


私は静かに頷くと、叔父は話を続けた。


何一つ不自由なく、苦労も無く。満たされた后としての生活から一転凋落。

息子に夫を殺され、自らも幽閉された后である母は。運命を、息子を、恨み嘆き悲しんだ。


そして苦しみ、何度も御仏に手を合わせ祈ったそうだ。


すると。


現れたお釈迦様が、お后に、不思議な力で極楽浄土を見せたそうだ。


その後お后は、不幸な出来事、息子によって

今まですることのできなかった懺悔ができ

さらには、見ることのできない極楽浄土まで目にすることができたと

息子に感謝し、手を合わせて頭を下げたということだった。



私には、まだその境地に辿りつくことはできないけれど

叔父が、この説話を選んでくれた意味が、少しだけわかったように思う。


ありがとう。



その後、叔母と本山本願寺へ向かい、親鸞聖人の750回忌である、報恩講 に列席し

ここでもお経をあげていただき、鎮魂することができた。



まだまだ、何も始まっていない。何も、終わっていないけれど。

ひとつ、自らの手で道標を立て、区切りをつけた。

ようやく、いつかそのうち、新しい扉を開けられるような気がした。


失ったものは、はかりしれず。あまりに大きく、処し難い虚無感を抱え。

傷を癒してくれるのは、時の経過だけなのかもしれない。

時計の針は、戻せない。リセットは、できない。でも、リスタートはいつでもできる。

風化することがあっても。痛みや苦しみ、辛さを忘れることはできない。

そして、彼のことも。私にとってもはや、二度と忘れ得ない相手となり、体験となってしまった。

だから、その辛さも、苦しみも。はらはらと舞い落ちる粉雪のように、積み重ねていくしかないのだと思う。


donnaさんから頂いたメールにも書かれていた言葉。

リセットが容易になった昨今。リセットした事実すら、無かったことにしてしまう人が多いのではないかと。

私は、リセットはしないし、できない。でも全てを胸に刻み、少しだけ明日を見られるようになった。

いつも、ありがとうございます。



関西の旅から戻ったら、間髪入れず、渡米の予定。

私も筆頭であることは認めるが、それはさておき。

周囲に、いかに"だめんず"好きな女の多いことか。嘆かわしい事実。


ふと、一つの共通項を見出したように思うので、書き留めておく。

但し、これはあくまで、私の周囲のみにおける話であることを、予め断りを入れておく。





背景として、いわゆるLostGenerationというか、団塊Jrというのか、負け犬妹世代というのか。

1970-80年の間に出生した子供は、バランスが悪いと思う。

イケイケドンドン、GNP/GWPともに10倍に膨れ上がった高度成長期に生まれた子供。

向上心が強いが、虚無感も強い。バブルを教授することなく、若くして辛酸を舐めた世代。


しかし、F3にも合致するこの世代。

女性が強い。女性は消費の中心であり、カルチャーの中心であり、社会的地位をも得るようになった世代。


30を過ぎて、自分が女性だから贔屓目があることを差し引いても、独り身女性で、まともな人は多い。


そこそこ、綺麗で、身奇麗で、頭も良く、性格も悪くない。致命的な欠陥は、見つからない。

男性社会で自分の場所を作れる女性と言うものは、それなりに自己管理能力もある。

よって、あまり太っている女性や、見目麗しくない女性は少ない。

綺麗で、スタイリッシュで、仕事もできて、頭も良くて、収入もあるのに。いいお家のお嬢さんなのに。

どうしても満たされない一線がある。


相対し。男性を鑑みると、バランスの悪さがわかる。

友人知人会社・・・。見回してみると。

30過ぎの男性かつ、シングル、あるいは彼女がコロコロ変わる男を見ると

人格あるいは性質に致命的な欠陥のある場合が、なんとも多い。


大体は、オレ流オレラヴか、あまりにネガティブ、昔の恋愛を引きずりすぎているか。いずれかである。


団塊Jr.ということは。父親は社会に出て働き、豊かになることに猪突猛進だった時代の母と息子。

今のように母親に遊び場、出る場があったわけではなく、母は、息子に注力するしかなかった時代。

だから、母親の愛情を深く受けて、大人になっても親離れ子離れできない息子の世代。

反抗期があっても、足蹴にしても、母親だけは護ってくれる。そして、超えられない父親の壁。

ハングリーな環境で育った逞しい男子ならいざ知らず。周囲の男子は、悲しいかなお育ちがいい。

右肩上がりに経済が成長し、ビジネスは努力さえすれば結果を導いた時代とは違う。

2代目、3代目となった彼らが父親の代までに築いた会社、財産を利殖することは

それ以前の世代とは比較にならぬ困難であることは容易に想像がつくであろう。



まあこのアンバランスは、身を置く環境がいけないのだとは知っている。

要は、強欲になってしまうのだ。満たされれば、次に行く。欲求には上限がないから。


それなりの目標もあり、目的もあり。男性と同じ仕事、収入を得ている女性の場合。

20代は、ようやく親の管理下から自由になり。遊ぶのもステップアップも楽しく。向上心の塊。

退屈でない仕事をしていると、自分探求のうちに、あっという間に30歳になってしまう。


すると、30になる頃には。ある程度の社会性を持ち、収入を持っている。もう、妥協できない。

自分より収入の低い、要領の悪い男性に目が行かないし、出会う契機すらないのであり。

いい仕事、いい生活を探求するのと同じように、いい男も日々探求してしまう性。

しかも、まともな家のお嬢さんだと。あまりに育った環境が異なる男性とは食住で違和感を感じたりし、

生活水準の物差しも、育った家と同じか、それ以上になってしまう。 ちょっと人より厳しくなる。

そして、はじめは仕事の話もできる女を楽しいと思っていた男性も、仕事で肩を並べるようになると。

徐々に、「女のくせに生意気」という嫉妬、奇妙な対抗心が生じたりするらしい。


30過ぎ独身、年収1,000万以上、ある程度仕事ができる男性、となると、ある程度限定される。

そんな独身男性かつ、性格育ちがまともであれば。激しい競争、奪い合いとなる。

激戦の末手に入れた男性も、最初は目が行かない性格性質の部分が、どうしようもないということも。

選択肢の多い20代のうちに、ちょっと自分を梃子にし可愛げ儚げになれば掴めたものが

もはやローラーをかけられた跡の雑草一本しか生えない土壌になってしまったということ。


そのことを踏まえても。だめんずに走ってしまう女の、なんと多いことか。

端的に言えば、いわゆる共依存になるのだと思う。


周囲の"だめんず"好きな女の子のプロファイルとしては


・情愛が深い、優しい性格

・頭がいい、分別がある

・まともな家庭に育ち、親との関係が良好かつ、両親が仲がよい

・そこそこ、綺麗かつ、身奇麗おしゃれである



まぁ男側から言ってみれば、都合がいいわけだ。

見た目も綺麗だから、付き合うにはいい。

分別もあり、性質も穏やか。相手を気遣い踏み込んでこないから、結局好き放題できる。

そこそこ社会性もあるので、仕事の話も理解し、話し相手にももってこい。現実逃避できる。

直球だし、素直だから、嘘をつくのも簡単でコントロールしやすい。



裏を返すと、わかりやすい。



⇔情け深く、潔く相手を拒絶できない。保身のために見捨てられない。

⇔頭がいいゆえ、バカになれない。可愛い女の我侭がいえない。考えすぎ甘えられない。

⇔人間関係の基準値が高いため、相手との付き合い方、距離感が近い。愛情を与えすぎる

⇔だから男が寄ってくる


受けた愛情が大きいと、それを親に返すことは出来ないゆえ、どこかに垂れ流すことになる。

だから、他人から見たら「ありえない」状況、相手でも許容してしまう。

深く愛で包んでしまう。赦してしまうのだろう。

育ちがいいから、人間関係や金銭に苦労したことがない。ゆえに人を疑うことを知らない。

親や環境の庇護も厚く、必要性が無かったから、打算的になることができない。

満たされているのに、虚無感があるから。自己犠牲の恋愛情愛でその空白を埋めようとする。



要は、男も女も、親離れがちゃんとできていないのだろう。

女性は、親にしてもらったことを自分の子供にもしてあげたい、と思う。両親の姿を理想とする。

男性は、超えられない父親のコンプレックスと、べったりな母親の愛情が根源にある。

彼女が母親と同じ愛情を与えても、感謝がない。だって、母親はいて当たり前なんだもの。

だから、男は狩猟民族だなどと言い、振り回され我侭放題の女性を追いかける。

ちょっとおバカさん、あるいはぴしゃりとキツい女の子が、好きでたまらないのだろう。

そして、優柔不断な世代だから。ドライブ力のある女の子。勢いのある「私流」の女の子に流される。

文句言いもって、マイペースで勝手な女の子を拒むことができないのだ。


母性を以って深い愛を注いでも、母親と同じように「うざいって」となるわけです。




情愛が深いのも、薄情よりいいと思う。

打算的もいいけれど、愚直で不器用だって悪くないと思う。

でもね、これはもう、仕方ない。とは思うけれど、だめんず好きの皆さん。

ひとつだけ思うこと。


愛情を与えた分、

応えようとしてくれる相手か、あるいは

そのことを心から喜び、重みを感じてくれる相手


でなければ、結局は満たされないんです。磨り減ってしまう。



ブラピさんが、アンジーさんとべびちゃんをもうけ、名実上の夫婦となった途端

ジェンさんに、一目会って詫びたいと言い出したのも、そんなところなんでしょう。

彼女は自分のよさを理解し、伸ばしてくれたといくら言っても後の祭り。

ちょっと激しい気性で、仕事も社会奉仕活動も激しいアンジーのアクセサリーになってしまった。



私個人に関して言えば。上記の条件と言うより、別の条件があるように思う。

子供の頃、体が弱かった。

入院していると。泣き叫んでも、夜の病棟面会時間、母親と引き剥がされた。

小児病棟というのは、残酷なもので。

小児ガンや白血病等、シリアスな病状の子供も、命に別状のない子供も

同じフロアにいて、一緒に生活し、勉強したりする。

仲の良かった子供がどんどんいなくなる。いわゆる、転校の多かった子供と同じような状態に陥る。


だから、深く密に、限られた相手と接することを求めてしまうのだと思うし

人との付き合い方、距離感の取り方が下手なのだと思う。


そして、相手に深い傷があればあるほど、影があればあるほど、問題を抱えているほどに、

そこに何か、手当てをし愛情を注ぎたくなってしまう。

なぜならばきっと。

私が、そこにいる理由が欲しくて。私でなくては、いけない理由が欲しくて。

自分に自身が無いのだろう。失うことが、怖いのだろう。


そんなわけで、どう考えてもパートナーを持つことに不向きな男ばかり選んでしまう。

私も、できた人間じゃない。器が大きいわけでもない。だから、破綻するのだろう。



一見、何不自由なく文句満たされている人々の方が、深奥の問題は、大きいのかもしれませんね。

当たり前の、小さなささやかな幸せに、満足できるようにならないと。


原点回帰。

そんなわけで、拙者旅に出ます。


節分までにやらなくてはいけないことを、諸々リストアップ。

ぼんやりしていると、読書だけで1週間が過ぎてしまう。



1) 昨年は、本厄。厄払いの御札を返す。

2) 新しく後厄のお払いをする。

3) 改めてお参りをする。


+4)歯列矯正をちゃんと復活する。 等々。


とある方からご紹介を頂いた歯科の予約日。

久々の歯医者にて、細かい検査を受ける。

その足で、八幡宮へと向かった。


そう。昨年は彼と一緒に八幡様へ厄払いに行ったのだった。

あの時はまだ、彼を、そんなに強く思ってはいなかった。

いや、違うな。

気にはなっていたが、深入りしてはいけないと自制していた


相変らず、勝手な男だと。

いい加減な男だと。

一線を画し、ただ、「気になる男」として接していた。

気になる想い、前年の夏に味わったBitterSweetな想いを

2度とは繰り返さぬよう、距離を置いていた。


あえて女子を紹介したり、気のないような話をしたものである。


その日 も、わざわざ出てきた彼を放置し、

Indivaに行ったのであった。



並んで歩いた道。そんなことを思い返しながら。

一の鳥居、二の鳥居、大鳥居。

あっという間に日の落ちた檀葛をひとり歩いた。



残念なことに、この日のご祈祷は既に受付を終了していた。



彼の家にも、同じものがあった。

毎日それを眺めていた。

そのお札ひとつとっても、何か共有しているような、

繋がっていたような気がした。


それも、おしまい。

丁寧に返し、お参り。お札を返し、お参りだけ済ませる。


おみくじを引く。

ちなみに、八幡様のおみくじは、

お正月から凶が出ると子供の頃から有名だった。

恐る恐る、107番。


末吉


内容は良いものだったが、反省を活かせと記載が。さらに、良縁の欄。

「反省し、選び方から改めよ」

・・・・はい。分かっております。痛いところをつかれた。


雪ノ下教会に立ち寄り、その後好きなお煎餅を買って帰宅。


宝石白ステージ1 :Completed



Mimiちゃんから、手紙。「恋愛の神さまのお参り、いつにする?」

予約してもらって、ワクワク。お払いもついでにしてもらおうっと。


宝石白ステージ2+4 :In Progress




週末、叔母のお寺に行き、お勤めすることにした。

そして、その後。叔母と共に本山にて初釜に参加することになりそうだ。

いろいろあるけれど、とりあえずは一区切りとしなくてはならない。


いろいろな想い、身に起こること、様々なできごと。

すべてを胸にしまい、そっと大事に蓋を閉める時なんだと思う。


年末以来、彼とも連絡はしない。

色々あるのは知っているが、人の思いのたけを、正直にぶつけた話に対し

茶化した返事、ずれた答えしか返すことをしなかった彼。

それが、答えなんだと思う。


「何がしたいのか、ぼくちゃんにもわからない」

「ただ、目の前のことから逃げたかっただけ」


メールでは、彼は非常に論理的である。それゆえ、返事が出来ないのだろう。

対面し話をすると、安易に容易に想いを話す。

しかしそれも、「お前には一切の隠し事をしないだけだ」

と言っていたが。

そう、そのポロリと口をついた、ありえない一言。

それが、彼の本心なのだろう。

それゆえ、何も返してこないのだろうと推察。

今もまだ、物事に対峙することはないのだと分かった。


だから、もうおしまい。


私はひとり、関西へ行き心清らかにする。

生家を訪れ、大好きな街の空気に触れる。

前回、関西に行ったのは、あの楽しかった日々やはり彼と一緒だった。

赦されないことを知っているから、悔い改めつづけ、祈りつづける。人を赦そうと努める。

そして、繰り返してはいけないことを、深く自覚すべく。

叔母と本堂でお参りをし、会いたかった友人と話し、

帰りは、名古屋に出張中のMKと合流し、一緒に美味しいものを食べる。


宝石白ステージ3 :In Progress


まだ、前に進む気力は到底取り戻せていないが。

息をすることさえも辛かった、立つこともできなかった日々からまる3ヶ月。

漸く、その場に立ち上がる力をもらったような気がする。


そして、関西から戻ったら。

次は、姉のところに立ち寄り、NYCに行く予定。


新しい日々のために、少しずつ、少しずつ。片付けなくてはならないこと。



1月第2月曜。成人の日。15日でなくなってから、8年だそうだ。

今年の新成人は139万人。過去最低。こども、少ないんですね。

あ、大人でしたね。


さて。我が家の末弟&隣りの従姉妹も、成人式を迎えました。

弟はまだ19歳ですが、成人です。


従姉妹は、叔母が張り込んだ超豪華な総絞りの反物を見て

「可愛くない」と一言。ピンクの着物とふわふわをレンタルし、ご機嫌。


うちは男の子なので、なんとお支度の楽なことか。



2人とも、親が年を取ってからできた子供のためか、甘え方が上手だ。


弟は既に、飲酒喫煙麻雀一人暮らし。いっぱしのことをやっているわけですが、まだまだ、子供です。


30を過ぎた私ですら、子供ですから、当然と言えば当然ですね。



弟は子供の頃から欲の無い子供であり。今回も「スーツもいらねー。お金でいいや」と言っていたのですが。

年末の帰省時、急に「やっぱ着る」と言い出し。新年早々の初売りの街に同行させられたわけです。

要するにスポンサー。まるで若いホストを囲い込みするおばちゃんのよう。


免許取りたて、いささか心もとない運転の助手席に乗り、彼女からの電話を代わりに応対し

散々彼の好みに突き合わされ。

私はもっと、KitonやBrioni、ルイジボレッリ等々正統派のスーツが好みなのですが

いささか年相応でないことと、聞く耳が無いのでArrows等を流し見し決定。

彼の好みを尊重した。わたしは、Pricelessな喜びを得るだけ・・・。


見てない間にちゃっかりネクタイとシャツを2枚も買っていた。


スーツを着ると、やはり雰囲気が変わる。大人になったなあ。


年の離れた姉から見ると、19歳の成人はかなり頼りない。


イマドキの子供らしく、いまいち目標や夢がもてないようであり。

男たるもの、

もうちょっと計画性を持ち、タフであって欲しいと物足りない。

もっと賢く、キレものであって欲しいと、ついつい思ってしまうのだが。

彼は、驚くほどまっすぐな気持ちを持っている。

自らの芯の部分に、ブレがない。


それは、私に、足りないもの。


年末年始も、決して何か言及するわけではないが。

そっと暖かく包んでくれたことを知っている。

母に対し、姉に対し、表現は無骨で言葉には表さないが、人への心遣いを感じるヤツになっていた。


思っていたより、大人なのだと気づかされた。子供なのは私だと。



齢、20。


数年後には両親の庇護、学校から社会へと出てゆくのだろう。

その先は、つらいことの方が多いのかもしれない。

それでも、健やかに。できるだけ伸びやかに、まっすぐと進んで欲しいと願う。


いつしか、今は反発する父と腹を割って話せる日が来るまで。

男同士、私をさし置き、2人で楽しげにゴルフに行く日が来るまで。


そして、その日が来るまで。

父と母には、元気でいてもらいたいものだと、今日はちょっとだけ感慨深かった。



辛くても、楽しくても。

人は年を重ね、日々は過ぎてゆく。1日1日は、待ってはくれない。

やがて、甥っ子たちが成人を向かえる日が、あっという間にやってくるのだろう。



私はその時、親になり子供の成長を眩しく見つめる存在になれるのだろうか。

自分自身を、見つけられているのだろうか。


ふと。


後ろばかり振り返り、生きていく喜びや楽しみを見つけられなかった、ここ暫くの日々から

少しだけ、先のことを考えられるような気持ちの変化を感じた。



歯車は、動き始めているのだろうか。


2007年。早いもので、喪中のため、そっと静かに過ごした3が日も過ぎ。

明日から、仕事始め。


・・・でしたが、辞めたので仕事は無いんでした。



2006年、私にとってとても大きく、激しく、辛い別れの年となった。

その別れのひとつひとつが昇華できず、咀嚼できず。やり切れぬ思いを抱えた大晦日。

年末、彼と頻繁に連絡を取り合ってしまったためか、気持ちの切り替え、新年を迎える準備、

なにひとつできないままの焦燥感と、情けなさを感じていた。



11月、母の妹、叔母が僧侶となった。

母の生家はお寺ゆえ、叔母はお寺に嫁いでいたのだが。猛勉強の末、先月晴れて僧侶となった。

その話を聞いた時から、叔母にお供養をお願いしたいと話していた。

年末の超繁忙時期に来訪することは憚られたため、松の内が終わった頃に来訪する予定であったが。

すっきりしない気持ちを抱えていた私は、突如、師走の慌しい時期と知りつつ厚顔に読経を依頼した。



そして、迷った末に。

5分前にメールし、彼にもその情報を共有した。すべてを、振り切り潔く別れるためにも。


再び去来する悲しみと、いたたまれぬ想い。弱く無力な自分に涙がとまらず。

他人に優しく、感謝を忘れず。赦せるように。素直に自らの非を認め、誠実でいられるように。

そんな、足りない強さを持てるようそっと、小さな力を貸して欲しいと願った。


慌しい時の中、1時間の静寂。家族と共に、仏前にて2006年との対話をした。

忙しい中時間を割いてくれた叔母に感謝しつつ、大晦日の日は静かに夜を迎えた。



年末は久々に一家が揃う形となった。

姉親子も帰国し、弟も帰省。賑やかに7人で囲む食卓。


実は姉夫婦も、長く問題を抱えており。

昨年は両親が心配のあまり来訪したほどだったのだが

久々に帰国し、来訪してくれた義兄は、母と私に姉とのことを話してくれた。

心配をかけてごめんなさい。と。姉が思っているほど。義兄が口に出すほど、事態は深刻じゃないのだと。


そして、私にも。

自分で決めた道は、間違っていないのだと。

何を選んでも正解は無く、痛みを伴うものかもしれないけれど

いつかきっと、その痛みが必要なものであり、それを癒す喜びがあると信じて

その時までは、躓いても、転んでも、前に進んでいればいいんじゃないかと。


この義兄との一連のやりとりは。

私にとってだけでなく母と、姉にとっても思いもかけぬ、驚きのうちによろこびとなり。


ただ、実は話してくれる以前から、義兄の何某かの思いに気づいていた。

義兄の実家には行かず、在日中3日3晩、ただひたすらに、父と晩酌をしつづけてくれたこと。

3晩の消費酒量:私がお取り寄せをしたワイン6本、焼酎4本、父秘蔵の日本酒3本、ワイン2本。

これは、何かあるな、と思った。


最も心配していると知る家族に、その思いと心情、状況を話してくれた。家族だから。

そして、どんな言葉よりも。誠実な思いに。

会いに来て、家族の一員として、ただ、共に時間を過ごしてくれた彼に、感謝でいっぱいだった。



ただ泣きつづける私に、弟はそっと頭を撫でてくれ

姉とは母、静かに涙を流し

甥っ子はキスをしてくれ

口下手な父は、期待と共に不安を語り叱咤した。



深夜まで飲みつづけ、朝方弟の友人が数人やってきた。

いつしか幼児から少年へ、そして成人を迎えるまでに変貌を遂げた彼らは、

相変らずの無邪気さや幼稚さを残しつつも、生き生きと伸びやかに、健やかに眩しかった。



朝が来て、元旦となり。

お参りの後、叔父の家に皆で向かう。


叔父叔母、従兄弟夫婦と、生まれたばかりのベビ。彼氏のできた、弟と同じ年の従姉妹。

皆幸せに包まれた、あたたかい顔をしていた。


叔母とは日々顔をあわせているのだが、叔父と会うのは、久々だった。

叔父は私を誰より可愛がってくれる人で

平素は月一度ほどは会食し、ロータリーや日経連、ゴルフ等の集まりにいつも呼ばれるのだが

私が決別を話したあの日以来、2ヶ月以上会っていなかった。



叔父に、あの日から大晦日までの出来事、想いを話すと、

私が幸せに笑えるまでは、私の顔を見たくないと。見られないと思っていたと話してくれた。

今はただ、穏やかな顔になったと、はぐをしてくれた。


いつも私を導いてくれる叔母にだけそっと、クリスマスの出来事と、その後のことを話すと、

失ったものの大きさと、感じた痛みを忘れず。自分を幸せにできる相手を探しなさいと。

人として、赦せぬことを、受け入れることはできないのだからと。

ただ、ただ、焦らなくていいのだと優しく、そして厳しく諭してくれた。



小さな新しい命を抱き、家族に包まれ。

弟と従姉妹の新しい恋愛の話を聞き。

私の原点は、幸せな家族であると再認識した。

だから、同じように。この幸せな思いを、愛された血を引き継ぎ、どこかに繋げなくてはと。

この暖かい場所と同じような、ただ、幸せに守られ穏やかな気持ちになれる場所でなくては

新しい居場所にならないのだと、改めて思った。



3日の間に、多くの友人からメールや賀状をいただいた。


いつも見守ってくれる人

いつも支えてくれる人

いつも、元気をくれる人。


例年のカウントダウンに顔を出さなかった私に


みんな、ありがとう。そう思う気持ちを大切に、去年よりちょっぴりだけ、優しくなれたらと思う。

ちょっぴりだけ、謙虚になれたらと思う。そして、誠実でありたいと思った。


そして。

不器用でも、愚かでも、傷つき、損をしたかもしれなくても。

やっぱり、まっすぐに、直球で。全力で人を愛するしか、できないのだと思う。(ね、よっしー)


変わることは、容易なことではない。それでも、変わりたいと思う。

2006年、失った大きなものと、いたみと。そして、大きな愛を忘れずに、

焦らず、少しずつ。



何も変わっていないし、何も赦されていない。

何も、動き出せていないし、何もできていないけれど。


なにかが、ことり。と音を立て、あるところに収まったような気がする。

皆がそれぞれの居場所に帰り、また静かないつもの家になり。

こんな静かな新年も、いいものだと、ちょっとした備忘録。


みなさんにとって、そして、わたしにとって。幸せな2007年でありますように。




年末だというのに、気の進まない面接が立てこむ日々。


何かをする体力、気力がまだ十分で無いことを知りつつ、何もしていない自分への不安ゆえ。

考えてしまう時間を持て余すことが、何より怖いのかもしれない。

今日は午前午後とフルブッキング。朝からのろのろと支度をし、久々のスーツ+通勤電車。

車内で30分。超詰め込み予備知識、速読の術。3つだけ、志望動機を創出。


異業種。新しい職種なのに、何一つ準備をしていない。

この数日、それどころではなかった。ひとつのことで頭の中は占拠され、他になにも考えられなかった。



10:30。運河沿いのオフィスで、面接が始まる。

拍子抜けするほど、奇妙なほどにスムーズに話は進む。

1時間後。にこやかな面接官2名を後にし、次の面接会場へ。



午後は、渋谷で2次面接。45min X 4人の面接マラソン。

実は、前回面接時に頂いた本があまりにつまらなく、目次しか読んでいない体たらく。

この会社はユニークで、チーム全員と面談をし、全員の合意がなければ、採用に至らない。

Directorがいくらプッシュしても、staffの一名が拒絶したら採用は無いと聞き知っていた。

こちらも、また私にとっては新しいチャレンジとなる会社。しかし、これまたノープラン。準備ゼロ。



駅まで、歩くと20分。お天気もいいし、何を答えようかと思案しつつ歩き出す。道中、20℃。暑さに参る。

停留所を通過する際、タイミングよく来たバスに乗車。終点をふと見遣ると。

それは、前回の就職活動中、いつも乗っていたあのバスだった。そう。奴の家の前を通るバス。


こんなところまで、走ってるんだ。妙な感心をしつつ、バスは道行く。


なんとも、不思議な感覚。今日は奇妙なほどに暖かい。あの頃を思い出すような気候。


降りようと思った駅を通過。そらで言える停留所が続く。目を閉じても分かる、見慣れた景色を背景に。

あの日々と同じように、面接の想定問答。違うのは、メールでのやりとりがないこと。ひとりで、考えること。

次の面接の付け焼刃にと、手にした本を読むのも忘れ、周囲の景色に見入ってしまった。

いつも乗った停留所を通過し、いつも降りた駅のロータリーに着く。




実は。前日、奴から長いメールをもらっていた。

内容は、面接対策、現職を辞めるな、また就職活動を手伝う。そして。

お前は器が大きい。私の優しさを少しでも学びたいという賛辞と、贖罪の希望だった。

なぜだか、面接対策の中身は奇妙なまでに、その前日の面接での私の答弁に酷似した内容だった。


無視しようかと丸1日悩みながらも、返事を書いた。


わたしは、ちっとも大きくない。弱い人間。どうしようもないのだと。

あの日々と同じ職場、同じ席に座って平常心を保てるほど、強くない。もったいないと知りつつ辞めるのだと。

独りになった私には、多くのサラリーは不要で、プレッシャーと闘う力も無い。ただ、静かに暮らしたいと。


そして。再会した日から、私は悲しみと混沌の中にあることも伝えた。

正直、仕事どころか、面接対策すらできる精神状態ではないということを。

優しくされると、あの決別の必然性は薄れ、ますます自分を責めることになるのだと。

私がもっと強くて、信じて待つことができたなら。誰も傷つくことはなかったのか?と罪の意識に涙し。


B男は、どうしようもない最低男と知りつつ。あんなに傷ついたのに。それでもきっと、この先もずっと。

やはり誰よりも大切に思ってしまうであろう、一番落ち着く相手であると気づかされてしまったこと。

でも、Bは自分を大切にしてくれないこと、だから一緒にいて幸せにならないことも、知っている。

どうしていいか、わからなくて。自分が情けなく嫌になり、嫌いになれたら楽なのに、と悩み眠れぬ日々が続くと。

だから、今の私に必要なのは、心底信頼できる味方か、目の敵。中途半端はないのだと。

すべての不安から守る気概が無いのだから。今すぐ最低の奴になって、私を混沌から開放して欲しい、

等々の内容を、返したのだった。迷ったが、すべて正直に。




本を読む時間をロスし、面接対策のメールに目を通すことに。

皮肉にも彼のメールが私の道標となっていたのか。午後も、恐ろしいほどスムーズに展開。


話題は尽きず、3時間半の予定が、4時間を超え。最後のCEOとは、2時間弱となる長丁場となった。

途中、意識を失いかける瞬間もあったほど。


すべてが終了し、安堵。しかし、面接が順調で手応えを感じれば、感じるほど、不安は募るばかり。


決まっても、働けるんだろうか。

社会復帰、できるんだろうか。

この仕事、やりたいのかな。

私は、何がしたいんだろう。

いったい私は、何をしてるんだろう。


なにひとつ、答えは見えない。

人気企業、PAYもいいことは分かっている。今の職場より、雰囲気がいいことも。

それでも。順調に進めば進むほど、茫漠とした不安の中に溺れそうになる。

準備不足は、面接でなく。どの職場でも、同じ。私自身の仕事そのものへの対峙なのだと思う。



かなりぐったりとした疲労感を抱えつつも、息つく間もなく友人の待つ芝公園のうかい亭へ。


豆腐懐石の早い夕食を終え。明日もフライトの友人と早々に別れ、駅へタクシーで向かう。

周囲の景色は、2人でよく歩いた道。毎朝走ったあの坂を映し出していた。


その時、ありえない腹痛に襲われた。


駅に着くも、眩暈。息をすることも、まっすぐ歩くこともできない。


必死の思いでお手洗いへと向かう。痛みに吐き気はするが、吐くことさえできない。


誰か、助けて。


かすれる意識の中で助けを求めた時。

私は倒れこんだ場所に最も近くに住んでいるであろう人、最悪なことに、彼に電話していた。



出ないで。



冷静さを一縷取り戻し、そう思った瞬間。電話の向こうで声がした。

不幸中の幸い、彼は仕事中で家にいなかった。 息も絶え絶えに一言、二言言葉を交わし、

「もう一回、後で電話して」という言葉を聞きながら、電話を切った。



痛い。


痛すぎる。



ありえない痛みと、ありえない自分。絶対にしてはいけない行動。


イタイのは、どっちなんだろう。ぼんやりと遠のく意識の中で、痛みのせいなのか、情けなさか。

何をやっちゃってるのか。情けなくて腹立たしくて。いたくて、いたくて。苦しくて。

ただ、涙が止まらなかった。息もできなかった。


頭が真っ白になるくらい泣きつづけ、結局、タクシーを呼び帰宅した。

電話を、絶対に手の届かぬよう、かばんの一番奥底に深くしまって。



私は、前に進まなくちゃいけないのだと、知っているのに。

自分が幸せになるための環境は、自分でセットしなくては。誰も、お膳立てしてはくれないとも知っているのに。


でも、いいのだ。これで、いいのだ。

私には、情けないことに。彼を突き放し拒絶する強さが、なかった。


クリスマス以来、私を器の大きな人間、最高の理解者と、突如接近してきた彼。潔く突き放すことができたなら。

手の届かぬ最高の相手として、いくばくかの後悔と共に。相手の中に色濃く鮮やかに美しく余韻を残せたかもしれない。

最後の緞帳を下ろしたのは、私の意志。イニシアチブは私にあると、どこかで満足すらできるのかもしれない。

賢明な方であれば、そうやって去ってゆくのだろう。


でも、私は。悲しいかな、情けないかな、どうやっても彼を求め、愛してしまう。赦して受け容れてしまう。

今日もまた、再認識。非常事態に伸ばした手の先に、私は彼の手を探す。でも、彼の手は私を握らない。

自分から、突き放せないのだから。相手に嫌われ、離れてもらう能動的な道しか、方法が無いのだ。


昨日のメールと相反する整合性のない、意味のない、今日の私の衝動。

これで、彼も戸惑い、再び呆れ退くだろう。私はやはり小さく弱く、しょうもない人間であると思い直したであろう。

いい牽制になったはずである。負け犬に相応しい、みっともない、情けない終焉ではないか。


2006年、厄年と一緒に、ぜんぶぜんぶ、終わりにしなくてはいけないのだと、自分に再度厳命した。

一緒に御祓いに行ったことも、忘れるべきである。


私って、なんて、イタイ女。こんな女、大嫌いである。


もう、2度と。ここに書くことはないだろう、と思っていた。


ここに、1年何ヶ月かの間綴った想いと、数多の事象。

あの時と、今。自分があまりにも変わってしまったから。全てが、眩しくも痛々しかった。

決して戻ることができない道。今は、省みることも、思い直すこともできず。



でも。見守ってくれた人、助けてくれた人、支えてくれた人。

ひとりひとりに、連絡を取る余力が無く。ずっと気になっているので、この場を借りて、ご報告。

ご心配いただき、ほんとうにありがとう。そして、不沙汰の非礼、ごめんなさい。

個別のご連絡は、また落ち着いてからさせていただきます。




先週。仕事、また辞めました。半年に満たず。

休職を奨められ、暫し考慮もしたけれど。すっぱりと決別。


今はただ、日がな自宅で本を読み、荷物を整理し、仙人のような生活。

これまで親しくしていた人々、友人たち、人目を避け暮らす毎日。

強くならなくては、と思うけれど。今はまだ、時期尚早。

傷つけるもの、心乱すもの、プレッシャーから距離を取り、じっと身を竦めて回復に備えるしかない。



半年。激動、多忙な日々。飛ぶように過ぎた。
通院しながら、重い体を庇いつつ、連日深夜勤務&タクシー帰宅。

睡眠は2-3時間。食事も満足に取れず。体の栄養は全てお腹に取られ、痩せ細る。

会社で倒れること数回。飛行機に乗れず、出張も行けず。Assignmentが変わる。

いいパフォーマンスは到底望めず。自らの心身を護り、手当てすることに手一杯。

そのうちに、周囲と軋轢が生じたことを感じていた。今の私には、これ以上は耐えられず。Finito。


競争社会、合理性の極みの輪に入ると。一瞬、自分も賢くなり、勝ち組になったような錯覚を覚えた。

キャリア、収入、恋愛。公私とも、求めていたもの全てが、手中に収まったかのような気がした。

でも、それはうたかたの幻。一瞬にして、全てが手中から消えた。

その時、ようやく気づいた。違うよ、これ。

ひとたび、戦いのリングに上がったら。勝てば勝つほど、次の強敵が現れる。

戦いは、終わらない。


言わなければ損、闘わなくては負け。誰かを蹴落とさなくては、誰かに蹴落とされる。

選ばれると言うことは、大勢の選ばれない人がいる。

人の上に立つということは、誰かが下に回ることを意味す。

社会主義ですら、並列社会、序列無しには成立し得ないことは承知。

それでも。私はきっと秩序の中、序列の中に身をおいても、

争いや、戦いを好まず、和と共存、共生を限りなく追求する習性であること。

そして、理論より感性。

無駄の中に自分の方法を見つけ、新しい道、アイデアを具象化するのが好みであること。

知っていたはずなのに。


仕事も、自分も。

人と同じ土俵に入ったら、闘わなくてはいけない。

一般的な物差しを手にしたら、隣人より1mm先に行かねば負ける。競争は至極当然に生まれ終わらない。

だから、人と違う自分だけの物差しをつくること。絶対価値。

メジャーでなくとも、自分だけの世界。それを、目指してきたはずだった。


収入、肩書き、社会的評価。

一般的な条件は、私の優先事項ではなかったはず。


それが。身をおく環境と、目の前に出された好条件に流され、違う道を選んでしまった。


だから、迷ったけれど。気づいた時点で即決。間違いなく心身破綻する。

そして、転職先を見つけてから辞めよう。などと考えたら、金満生活に慣れてしまう。

大幅な年収減に、躊躇し転職に二の足を踏む同僚たちを見れば明らかだった。

おそらく私も、今のような追い込まれた状況が無ければ、「もうちょっと」と思ったであろうことは、想像がつく。


日々半日以上を共に過ごし、重い重圧を少しでも軽減しようとしてくれた、

いい仲間、先輩、上司。短い中にも、出会えた人々に感謝しつつ。


度重なる自費診療をものともせず。再びのニート生活を補いうる貯蓄を持つことができた、

うたかたのバブルに感謝しつつ。


わたしは、戦いの場所から、降りることを決めた。

動ける体になり、穏やかな気持ちになれるまでの間、しばし冬眠します。放浪するかも、しれません。



そして。



神さまの下さったクリスマスプレゼントなのか。

神の意志とは、かくも厳しく、辛いものなのか。



クリスマスの夜。久々の外出。友人の結婚祝いに顔を出した。

そこで見つけた、見慣れた背中、シャツ。気づいた時には既に遅し。

振り返ったのは、彼。


もう二度と会うまい。会うことはあるまいと思った人。狂おしいまでに求めたその人。

目の前に、立っていた。信じられない想い。

私は、逃げるように、その場を立ち去った。


その時、気づいた。

私は、このどうしようもない男を、嫌いになることができなかった。

あんなつらいこと、酷いことがあっても。罵声の限りを浴びせられても。

私にできるたったひとつのことは、彼を、赦すこと。それだけだったのだと。


そして、そのかたち、様、種類は変容しても。愛することを続けるのだろうかと、言い知れぬ不安に襲われた。



結局、しばし悩み、思い直し。話をすることにし、連絡を取ることにした。

あまりに、共通の輪が多い私たち。今後ずっと、他人に妙な気遣いをされることも、居心地が悪く。

何より、自分の気持ちを整理するために、終わりにするためにも。


電話での会話の後、彼は若干ふてたような態度で、私の眼前に現れた。

ぽつりぽつりと話すうち、すっかり機嫌を直したのか、あるいは、いつもの我々に戻ったのか。

彼の口をつく言葉は、呆れるほど勝手で、おちゃらけたものだった。

妙に、晴れやかで楽しそうな様子に、腹立たしさと謎は深まる一方、何となく、落ち着く懐かしい空気。

腹立たしさと失礼さに怒りつつも、私は壁を作り、毅然と断固、拒絶することはできなかった。

イブに2人で過ごす、皮肉で不思議なめぐり合わせのためなのか。


話に相槌を打ち、相談に乗り。

意味不明に酒を奢り、すっかり出来上がった相手を、タクシーに乗せ運転手にタクシー代を渡す始末。

甘い。甘すぎる。情けない。自己嫌悪の嵐。



帰宅後、追って電話があり。最も言ってはいけないことを、彼は分かっていなかった。

酒のためか。はたまた私を気遣ったつもりであろう発言なのか。

今になって、私を受け容れるつもりあったことを聞かされる。春になったら、結婚するんだろうと思ったとも。

絶望。それならば。

私のした決断。諦念。失った大きなもの。あの痛みは、なんだったのだろうか?眩暈がした。


そして、彼は続けた。

「よくわかんないけど、ひとつだけ分かったことがあった」

「おまえと話すと、やっぱ楽しい。おまえは、驚くほど器のでかい奴で、誰よりも俺を理解している」

「それが、恋愛感情なのかどうかは、わからないんだけどね」



知るかボケ。どこまで勝手なのか。

そう思っても、拒絶しきれない自分。私、何がしたいんだろう。パニックに陥った。


これは、神からのどんなメッセージなんだろうか。

私にこれ以上、どんな試練と苦難を与えようと言うのか。

漆黒の闇に包まれた馬小屋にいるような。右も左も、何一つ進むべき道が分からない。

皮肉にも、生誕を喜び祝う御ミサにて、私は虚無感と情けなさに涙を流す。

二度とは会わぬ決意をし、電話を切るも、何か落ち着かぬものが残った。

もう、既に何も無いはずの相手。一度すべてを閉ざしたはずの相手。

長い時間をかけ、膨大な涙と痛みと血を流し、自ら諦め離れたはずの相手。

それでも、また失うのは怖かった。決めていたはずでも。2度目でも。心身を引き裂かれる悲痛な想い。

なぜ、このひとは。なぜ、私を引き戻すのか。何度も辛い別れを私に与えるのか。

痛みの記憶が少しだけ薄れ。思い出す時間、涙を流す時間が少し短くなったこの時に。

なぜ、再び強い鮮烈の印象を残し、忘れられないつながりを残すのだろうか。


私は気づかされた。あの痛みと涙を以ってしても、消せぬ想いに。

今でも、彼を誰よりも愛していることに。



なにも、わからなかった。どうしたら、いいのかも。


それでも。後ろは、向けない。後戻りも、ない。轍すら残っていない道だ。

あの過去に続く今と言う未来が、幸せで満たされていないのだから。

前を向いて歩いていくしかないのだ。

他人は変えることはできないが。未来と、自分は変えることができると信じて。

獣道を、切り分け進むしか、ないのだろう。


赦すこと。潔くなること。自分を信じること。愛すること。

わたしは、どこまで強くなればいいのか。何を信じ、誰を愛せばいいのか。何が、正しいのだろうか。

自問自答を繰り返す、クリスマスの夜。



最後に。


毎日のように話を聞いてくれ、日々支えてくれた、あっこちゃん、みみちゃん。

お目にかかったことも無い私を、いつも気遣ってくださった、どんなさん、月子さん。

遠い国から心配してくれてる、こまけんさん。飲みや夜食に付き合ってくれる証券マンさん。

泣くたびに心配してくれた、きょーちゃん、REIくん。ともちゃん。eclatちゃん。

そして、更新されないblogに、メールやコメントを下さったみなさん。


全てを受け容れ、護ってくれるパパ、ママ、おねえちゃま。おじちゃま、おばちゃま。

たった1日連絡しないと、心配で泣きそうになって電話をくれるMK。半年で、20回は泊めてもらったね。

こっそりと変わりにビジットに行ってくれた同僚。出張を代わってくれた先輩。

私のために、涙を流してくれた後輩、アシスタントさん。パワハラレポートしてくださったMNGの方々。


みんなみんな、ありがとう。


みんながいてくれるから、私はここにいる。

誰かを怨んで、争いの中で裕福に暮らすよりも、「ありがとう」と言って、のんびり、つつましく暮らします。

それが、私の天分なのでしょう。



だから、あの人にも、ありがとう。

胕煮え繰り返り、言い表せぬ悲しみと痛みを伴ったけれど。

まだ私が理解し得ぬ、気づけぬ何かを、きっと、教えてくれているのでしょう。

何よりも。他人を大切に思えたこと。赦すこと。誰よりも幸せになってと願えたこと。苦行ながら、新境地。

そんな出会いに感謝し、罪深い私は静かに、黙って祈りをささげ贖罪した、2006年のクリスマス。


明日は、どんな一日が。来年は、どんな一年が私を待ち受けているのか。

今より辛い日々は無いと信じて、明日を迎える夜。


小さな約束を大切にし、欲張らず、自己管理。信頼できる自分になる一歩。


みなさんのうえに、たくさんの幸せがありますように。




すっかり、ご無沙汰しています。


夏は過ぎ、秋は深まり。風は涼しく。空高く。



いろいろ、メールを頂いたり、コメントを頂きありがとうございます。



もう、ここには戻ってこられない。以前の私には、向き合えず。

変わってしまう自分は、何も書けない。そう思ったけれど。

支えてくださった、ここで出逢った多くの方に、個別にお返事ができないので

この場を借りて、ご報告をさせていただきます。



色々、悩み、迷い。

何とか、道を探しました。

でも、私は、たったひとりで歩いていくことに決めました。


正しいと思っていたこと、成せば成ると思っていたことも。

何をしても、何を考えても。自己満足、エゴになるんじゃないかと。

自分を責めても、何も変わらず。

正しい答えは、見つからない。


どの道を選んでも、正しくない。

どの道を選んでも、なぜ棘しかないのだろう。

闇に閉ざされても、自分で納得するしかない。



人と比較せず、自分の持つ物差しとは別の幸せを信じ。

それが正しいと、常に胸を張る自信がなかった。


これまでの日々を、これまでの関係を一切忘れ、断ち切り

一切のつながりを期待せず、想いを残さず。

全く別のものとして、新しい日々を築いていかれる自信が無かった。


想いを残すと言うことは。

相手を恨まずには、人と比べずにはいられず。

今、これ以上できうること全てを実行しても、憎み合う最後のトリガーを引くだけ。

そんなことをしても納得なんてできないし、残るのは憎しみと悲しみだけ。
残念ながら、ずっと長い人生記憶していく人。

抱くのが、憎しであったなら。それは、悲しすぎる。
信頼した相手、大切に思った相手。彼を否定したら、自分も否定することになってしまう。

人間関係はパワーゲームだと言いつづける彼に、人は心でしか動かないと言いつづけてきた。
お金、名声、地位、それは勝ち負けでしか、得られれないのかもしれない。
でも、それは虚無的であり。あまりに寂しい人生だと。
そんなことしたって、相手は何の感傷も、悲しみも、苦労も無く、
悠々と幸せになるだけで逃げ得。私は傷つき損だと言う人もいる。
愚かで馬鹿だと、甘いと言われても。負けたと言われてもいい。

信じた人、愛した人。
最後まで信頼し、幸せを願い、不利益を避け、大切に愛情を持って接し。それを心に刻む方が私らしく。
「ごめんなさい」じゃなく、「ありがとう」と互いに言える答えを見つけたいと伝えてきた自分の主義を、貫くことにします。
その代償はあまりに辛く、悲しいものだけれど。私自身がそれを受け止めていくしかない。
弱いです。情けないんです。甘いんです。
批難も批判も、お叱りも甘んじて受け。
大切なものと引き換えに教えてくれたこと。
感情ではなく、心で感じ。心に刻み。業を背負い、生きていく。
そう、決めた。
そう思っても、涙が止まらず。
自らの責任を取ることができない身勝手さ、情けなさ、自責の念で、眠ることすらできないけど。
強くならないと。
支えてくれるみなさんに、感謝を伝えるためには、ありがとうと言っても足りないのは知っている。
強く元気にならないといけない。
ちょっとだけ、泣いて。涙が枯れたら、また前を向いて進みたい。

みなさま。本当に、ありがとう。



そして、二度と会うことも話すことも無いあの人にも。


ありがとう。


心から愛すること、省みず信じること。そして、許すこと。

今まで、できなかった、大切なことを教えてくれた。

共に歩んだ日々があって、今の私があるから。出逢えてよかった。

何のこっちゃと思う方も多いでしょう。いいんです。読み飛ばしてください。

これで、全てを判ってくださる方のために書きました。

たくさんの、あったかいコメント。頂きっぱなしで、ごめんなさい。



実は、自分の身の上に予想だにしない大きな変化がありまして

今、大きな決断をしなくてはならない状況です。


私の小さな脳みそ、弱い心。定まらない判断、甘えた気持ち。

今までにも選択の場面は何度もありましたが、

今度はそんなことを言っていられないような、急を要する大きな決断です。



連日23時過ぎまで働く日々。体調も不安定で非常に辛い日々ですが

きちんと自分と向き合う時間をつくりたいと思います。



よって。暫くの間、記事やコメントのお返事をすることが難しいのですが

ここの存在が、私を支えてくれていることは事実です。

ありがとうございます。



いかなる状況であっても、どんな結果であっても。

自分が満足できるように。


そして、その結果、周囲に祝福してもらえる決断であることを祈りつつ

日々、過ごしています。



色々、支えてくださった皆さん。ありがとう。



おそらくは今月中には結果がはっきりするので

その際には、皆さんにもご報告させていただきたいと思います。



気持ちのよい秋。楽しくお健やかにお過ごしください。