私も筆頭であることは認めるが、それはさておき。

周囲に、いかに"だめんず"好きな女の多いことか。嘆かわしい事実。


ふと、一つの共通項を見出したように思うので、書き留めておく。

但し、これはあくまで、私の周囲のみにおける話であることを、予め断りを入れておく。





背景として、いわゆるLostGenerationというか、団塊Jrというのか、負け犬妹世代というのか。

1970-80年の間に出生した子供は、バランスが悪いと思う。

イケイケドンドン、GNP/GWPともに10倍に膨れ上がった高度成長期に生まれた子供。

向上心が強いが、虚無感も強い。バブルを教授することなく、若くして辛酸を舐めた世代。


しかし、F3にも合致するこの世代。

女性が強い。女性は消費の中心であり、カルチャーの中心であり、社会的地位をも得るようになった世代。


30を過ぎて、自分が女性だから贔屓目があることを差し引いても、独り身女性で、まともな人は多い。


そこそこ、綺麗で、身奇麗で、頭も良く、性格も悪くない。致命的な欠陥は、見つからない。

男性社会で自分の場所を作れる女性と言うものは、それなりに自己管理能力もある。

よって、あまり太っている女性や、見目麗しくない女性は少ない。

綺麗で、スタイリッシュで、仕事もできて、頭も良くて、収入もあるのに。いいお家のお嬢さんなのに。

どうしても満たされない一線がある。


相対し。男性を鑑みると、バランスの悪さがわかる。

友人知人会社・・・。見回してみると。

30過ぎの男性かつ、シングル、あるいは彼女がコロコロ変わる男を見ると

人格あるいは性質に致命的な欠陥のある場合が、なんとも多い。


大体は、オレ流オレラヴか、あまりにネガティブ、昔の恋愛を引きずりすぎているか。いずれかである。


団塊Jr.ということは。父親は社会に出て働き、豊かになることに猪突猛進だった時代の母と息子。

今のように母親に遊び場、出る場があったわけではなく、母は、息子に注力するしかなかった時代。

だから、母親の愛情を深く受けて、大人になっても親離れ子離れできない息子の世代。

反抗期があっても、足蹴にしても、母親だけは護ってくれる。そして、超えられない父親の壁。

ハングリーな環境で育った逞しい男子ならいざ知らず。周囲の男子は、悲しいかなお育ちがいい。

右肩上がりに経済が成長し、ビジネスは努力さえすれば結果を導いた時代とは違う。

2代目、3代目となった彼らが父親の代までに築いた会社、財産を利殖することは

それ以前の世代とは比較にならぬ困難であることは容易に想像がつくであろう。



まあこのアンバランスは、身を置く環境がいけないのだとは知っている。

要は、強欲になってしまうのだ。満たされれば、次に行く。欲求には上限がないから。


それなりの目標もあり、目的もあり。男性と同じ仕事、収入を得ている女性の場合。

20代は、ようやく親の管理下から自由になり。遊ぶのもステップアップも楽しく。向上心の塊。

退屈でない仕事をしていると、自分探求のうちに、あっという間に30歳になってしまう。


すると、30になる頃には。ある程度の社会性を持ち、収入を持っている。もう、妥協できない。

自分より収入の低い、要領の悪い男性に目が行かないし、出会う契機すらないのであり。

いい仕事、いい生活を探求するのと同じように、いい男も日々探求してしまう性。

しかも、まともな家のお嬢さんだと。あまりに育った環境が異なる男性とは食住で違和感を感じたりし、

生活水準の物差しも、育った家と同じか、それ以上になってしまう。 ちょっと人より厳しくなる。

そして、はじめは仕事の話もできる女を楽しいと思っていた男性も、仕事で肩を並べるようになると。

徐々に、「女のくせに生意気」という嫉妬、奇妙な対抗心が生じたりするらしい。


30過ぎ独身、年収1,000万以上、ある程度仕事ができる男性、となると、ある程度限定される。

そんな独身男性かつ、性格育ちがまともであれば。激しい競争、奪い合いとなる。

激戦の末手に入れた男性も、最初は目が行かない性格性質の部分が、どうしようもないということも。

選択肢の多い20代のうちに、ちょっと自分を梃子にし可愛げ儚げになれば掴めたものが

もはやローラーをかけられた跡の雑草一本しか生えない土壌になってしまったということ。


そのことを踏まえても。だめんずに走ってしまう女の、なんと多いことか。

端的に言えば、いわゆる共依存になるのだと思う。


周囲の"だめんず"好きな女の子のプロファイルとしては


・情愛が深い、優しい性格

・頭がいい、分別がある

・まともな家庭に育ち、親との関係が良好かつ、両親が仲がよい

・そこそこ、綺麗かつ、身奇麗おしゃれである



まぁ男側から言ってみれば、都合がいいわけだ。

見た目も綺麗だから、付き合うにはいい。

分別もあり、性質も穏やか。相手を気遣い踏み込んでこないから、結局好き放題できる。

そこそこ社会性もあるので、仕事の話も理解し、話し相手にももってこい。現実逃避できる。

直球だし、素直だから、嘘をつくのも簡単でコントロールしやすい。



裏を返すと、わかりやすい。



⇔情け深く、潔く相手を拒絶できない。保身のために見捨てられない。

⇔頭がいいゆえ、バカになれない。可愛い女の我侭がいえない。考えすぎ甘えられない。

⇔人間関係の基準値が高いため、相手との付き合い方、距離感が近い。愛情を与えすぎる

⇔だから男が寄ってくる


受けた愛情が大きいと、それを親に返すことは出来ないゆえ、どこかに垂れ流すことになる。

だから、他人から見たら「ありえない」状況、相手でも許容してしまう。

深く愛で包んでしまう。赦してしまうのだろう。

育ちがいいから、人間関係や金銭に苦労したことがない。ゆえに人を疑うことを知らない。

親や環境の庇護も厚く、必要性が無かったから、打算的になることができない。

満たされているのに、虚無感があるから。自己犠牲の恋愛情愛でその空白を埋めようとする。



要は、男も女も、親離れがちゃんとできていないのだろう。

女性は、親にしてもらったことを自分の子供にもしてあげたい、と思う。両親の姿を理想とする。

男性は、超えられない父親のコンプレックスと、べったりな母親の愛情が根源にある。

彼女が母親と同じ愛情を与えても、感謝がない。だって、母親はいて当たり前なんだもの。

だから、男は狩猟民族だなどと言い、振り回され我侭放題の女性を追いかける。

ちょっとおバカさん、あるいはぴしゃりとキツい女の子が、好きでたまらないのだろう。

そして、優柔不断な世代だから。ドライブ力のある女の子。勢いのある「私流」の女の子に流される。

文句言いもって、マイペースで勝手な女の子を拒むことができないのだ。


母性を以って深い愛を注いでも、母親と同じように「うざいって」となるわけです。




情愛が深いのも、薄情よりいいと思う。

打算的もいいけれど、愚直で不器用だって悪くないと思う。

でもね、これはもう、仕方ない。とは思うけれど、だめんず好きの皆さん。

ひとつだけ思うこと。


愛情を与えた分、

応えようとしてくれる相手か、あるいは

そのことを心から喜び、重みを感じてくれる相手


でなければ、結局は満たされないんです。磨り減ってしまう。



ブラピさんが、アンジーさんとべびちゃんをもうけ、名実上の夫婦となった途端

ジェンさんに、一目会って詫びたいと言い出したのも、そんなところなんでしょう。

彼女は自分のよさを理解し、伸ばしてくれたといくら言っても後の祭り。

ちょっと激しい気性で、仕事も社会奉仕活動も激しいアンジーのアクセサリーになってしまった。



私個人に関して言えば。上記の条件と言うより、別の条件があるように思う。

子供の頃、体が弱かった。

入院していると。泣き叫んでも、夜の病棟面会時間、母親と引き剥がされた。

小児病棟というのは、残酷なもので。

小児ガンや白血病等、シリアスな病状の子供も、命に別状のない子供も

同じフロアにいて、一緒に生活し、勉強したりする。

仲の良かった子供がどんどんいなくなる。いわゆる、転校の多かった子供と同じような状態に陥る。


だから、深く密に、限られた相手と接することを求めてしまうのだと思うし

人との付き合い方、距離感の取り方が下手なのだと思う。


そして、相手に深い傷があればあるほど、影があればあるほど、問題を抱えているほどに、

そこに何か、手当てをし愛情を注ぎたくなってしまう。

なぜならばきっと。

私が、そこにいる理由が欲しくて。私でなくては、いけない理由が欲しくて。

自分に自身が無いのだろう。失うことが、怖いのだろう。


そんなわけで、どう考えてもパートナーを持つことに不向きな男ばかり選んでしまう。

私も、できた人間じゃない。器が大きいわけでもない。だから、破綻するのだろう。



一見、何不自由なく文句満たされている人々の方が、深奥の問題は、大きいのかもしれませんね。

当たり前の、小さなささやかな幸せに、満足できるようにならないと。


原点回帰。

そんなわけで、拙者旅に出ます。