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先日少し触れた

養老孟司さんの

『ものがわかるということ』(祥伝社)



ものがわかるということは

どういうことですか?


結論を言いますと

養老さんも「わからない」

禅問答みたいです


わかっていなくても

先生をやっていた養老さんは

説明が出来る。


ものがわかることについて

いろいろな角度から「説明」したのが

この本です。



​情報化社会への警鐘


意味が分かって

頭で理解できて

数値化 記号化できるものに

価値を見いだす社会


反対に


理解できないこと

言語化できないもの

計測できないものは

扱いにくいから

相手にしたくない。


相手にしたくないものはつまり

自然、子ども、感覚、死もそうです。


そうして

相手にすることを避けてきた結果

今の社会に至ると。


まだ取り返しはつくのでしょうか。


写真お借りしました


​個性について


個性を大切に育てる

個性を尊重する

そんな世の中ですが


個性とは何ですか?


その人だけが持っている

特徴?


答えは本の中にあります。

読んでみますか?




私が印象的だったのは

古典芸能と個性について

書かれている部分


十年、二十年、師匠と同じようにやって、

どうしても同じようにはなれないと

わかる。それが師匠の個性であり、

本人の個性です。そこに至ったときに

初めて弟子と師匠の個性、違いがわかる。


そのためにひたすら

師匠の真似をする時期がある。

それは個性を殺すことではなく

個性が何かをわかるため。


でもひたすら真似る

師匠の型を盗もうとする

そんな教育は

廃れてきたそうです。


お借りしました



​自然の中に身を置くこと


養老さんは

子どもの頃から虫が好きで

虫を捕るために

自然の一部として存在するという

感覚をよく分かっている。


その上で

都会の人が一年に一ヶ月でも

田舎に滞在し、身体を使って働いたり

のんびりしたりする

「現代の参勤交代」を

提唱してこられたそう。


田んぼの手入れでも、

スギの間伐でも、なんでもいいので、

実際に何かをやれば、自然や文化に

対する考え方が違ってきます。(中略)


「伝統文化を大事にしよう」と

声だけ大きく張り上げても、

日常的に自然と接触しなければ、

絵に描いた餅にすぎません。

大切なのは、日常の中に

伝統的な文化を入れていくという

ことです。


つまり…

自然と身体が一体化する体験を持つと


どうして日本人は

墨をすって筆で書いてきたのか

ということが実感できる


すると日常の中で

筆で書いてみようかな 

そんな気持ちになるのでしょうか

(書道を例に挙げて考えております)


身体を使う日常の生活の中に

蘇ってこなければ、本物ではありません。



お借りしました



​わからない方がいい?


今年86歳の養老孟司さん

今でも虫を捕って

研究されているそうです。


人生の意味なんか

「わからない」ほうがいいので(中略)


私は気を散らすために、虫捕りを

はじめとして、いろいろなことをする。


何だかはぐらかされているような

気がしなくもないけど


やはり深い内容の本です。

何度も読んで

ようやく意味がわかるような…


いいえ、

何でも意味を求めてはいけないのでした。


世界をわかろうとする努力は

大切である。

でもわかってしまっては

いけないのである。






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