(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no.12  最終章)

 

新たなコーヒー仲間N氏が、経営責任を持って展開されていたコーヒーチェーンに転職することになった私。

 

新しい職場での仕事は、毎日が充実して楽しいものでした。

 

今思えば新参者の私に、よく自由に仕事をさせて頂いたと思います。

好きなコーヒーと毎日関わりながら、コーヒー店を経営するためのノウハウを

多いに学ぶことができたからです。

 

 

しかし、そんな楽しい日々は長くは続きませんでした。

色々な事を知れば知るほどに、コーヒー店の経営と言うものの現実の厳しさが段々と理解できるようになってきたからです。

 

それと同時に、N氏の協力を得ながら独立するための店舗探しも平行してやっていましたが、良いと思う物件はとても高くて、自分の資金力では手を出せるような物ではありませんでした。

 

ジリジリとした焦りに似た感情が日に日に募って行きました。

若気の至りと言うか、焦りといら立ちから独立する夢も、『しょせんは夢』と言う自暴自棄な考えに囚われる日もありました。

 

今思うと、いざ飛び立つ瞬間になって、目の前の光景に恐れをなして尻込みをしていたのだと思います。

そんな自分を正当化するために、もっともらしい理由を探していたのでしょう。

 

いろいろと迷った挙句に奥さんのこの一言で決心がつきました。

『やってダメならスッキリと諦めがつくのでは・・・』

 

そうなんです。

やりもせずに諦めては、一生後悔が付きまとうところでした。

 

 

そんな心境になり始めていたころに、最初の店を出した貸店舗の話が舞い込んできました。

東大阪市の近畿大学近くに新しく建てられたワンルームマンションの一階に、10坪のテナントがあるとのお話でした。

 

表通りの大学本通りではないですが、店の前の道も多くの大学生が通学路として通る道でした。

 

そして、周辺には学生の下宿が多く存在している学生街のど真ん中でした。

 

そこに、当時としては珍しい『3㎏の直下式小型焙煎機』を設置した、ガラス張りの焙煎室を備えたコーヒー専門店をオープンしました。

 

初めて、自分だけの焙煎機を持った瞬間でもありました。

 

オープンは、学生が夏休みで一番暇な時期である7月の末だったと思います。

開店して1月は、お客様もまばらなのんびりとした店でした。

でも、学校が始まる9月になると状況は一変しました。

 

焙煎機を設置したコーヒー専門店は学生たちに大人気で、10坪の小さな店は朝から客足の途絶えることがない、繁盛店となっていきました。

レギュラーコーヒーブームもあって、挽き売りも順調に伸びて行きました。

 

何事も『絶対にあきらめたらアカン』 それがいつしか私の持論のようになったのも、此のころからでしょうか。

 

コーヒー屋人生のスタートと同時に、新たにコーヒーと格闘する日々が始まった時でもありました。

 

昨日の出来事のように思うのですが、気がつけば、あれから30年以上の歳月が流れていました。

 

以上が、コーヒーを飲めなかった私が、コーヒー屋となった顛末のお話でした。

私の拙い文章に長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。

 

 

終わり

 

▼前回までのお話

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no,1)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no,2)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no,3)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no,4)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no,5

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no.6)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no.7)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no.8)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no.9)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no.10)

 

(浅煎・荒挽きコーヒーとの出会い no.11)

 

 

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