私は1日10時間くらい眠る。
翌日にセミナーの仕事がある日以外は、毎日、目覚まし時計をかけずに寝ている。
すると、たいてい10時間くらい経ってから目が覚める。
学生時代やサラリーマン時代に比べて、睡眠時間が増えたことで、私が一番変わったなと実感しているのは、英単語の記憶力が上がったことだ。
人は幼少時にたくさんの言葉を覚える。
そして、よく眠る。
言葉をたくさん覚える時期だから、よく眠るのか。
それとも、よく眠るから言葉をたくさん覚えられるのか。
どちらが先なのかは、よくわからないが、脳は眠っている間に、記憶に関わるシナプス結合の強化作業を行っている。
だから、私は、毎日、眠る前に、英単語集を見て、音読している。
英単語集を見て、たくさんの言葉にふれると、自然に眠りが訪れ、よく眠れるようになるからだ。
そして、眠っている間にシナプスの結合が起こるので、たくさんの単語を幼少期のように自然に覚えられるようになる。
学習において大事なのは、眠りであり、この両者は切っても切り離せない。
年をとると記憶力が劣えると、よく言われているけれど、それは全くの見当違いで、睡眠時間が減っているから、シナプスの結合が強化されにくいだけの話だ。
何歳になっても、新しいことを学べば、脳はその記憶を定着させるために、眠りに入る。
すると子供のようにスヤスヤ眠れるようになる。
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「非二元(ノンデュアリティ)に至るのに、瞑想は役に立つか?」というような質問を時々受けるので、今日はそれについて書いてみる。
まず、この質問は、瞑想をやるかやらないかを決めてそれを実行に移せる「自分」がいる、という前提になっている。
また、「非二元」というものが、何かをすることで至りつけるような到達目標のように考えられてしまっている。
瞑想をやるかやらないかを決められるような「私」はいない。
瞑想が起こったなら、それは単に瞑想が起こっているだけで、見かけ上、誰かが瞑想をしているように見えても、それをやっている誰かはいない。
くしゃみをしている人を見たら、その人がくしゃみをしているように見えるけど、個人の意思でくしゃみをしているわけではないのと同じで、瞑想も、くしゃみも、単に起こっていることに過ぎない。
瞑想であれ、ヨガであれ、くしゃみであれ、昼寝であれ、言い争いであれ、それが起こったなら、単にそれが起きているだけで、それを意図的にやっている個人はどこにもいない。
起こったことの全てがワンネスの表現であり、それをやるかやらないかを選択できるような個人の私も、他人も、存在していない。
この事実を、「非二元」という言葉は指し示している。
「瞑想をしたら(原因)、非二元に至れる(結果)だろうか」という問いは、「瞑想を実行できる個人の私がいたなら…」という夢物語から発せられた言葉であり、現実には、瞑想をできるような誰かもいなければ、非二元に至れるような誰かもいない。
そして至りつけるような「どこか」があるわけでもない。
今、起きていることが何であれ、これが全てであり、これ以外のものを探し求めている私は存在していない。
これが非二元。
お知らせ
非二元(ノンデュアリティ)をわかろう、学ぼうとしているなら、それは思考によるゲームが続いているだけです。
何かをコントロールできる個人の私がいない感覚を直接感じたい方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。