私は父から、「おまえは呑気でええなあ」と時々言われる。
75歳の父は、釣船業を営んでいるので、毎日、明日の天気予報を見ては、一喜一憂している。
自分が天気を動かしてるわけではないのだから、天気の変化に一喜一憂してもしょうがないだろうと思うのだが、父は来る日も来る日も、天気予報に一喜一憂する生活を繰り返している。
そんな父から見て、私が呑気に見えるのは、私には「自分の気がない」からだと思う。
のんきは漢字で「呑気」と書くけど、私の感覚では「Non-Ki」の方がしっくりくる。
私はある時期、合気道を学んでいたのだが、自分の気を相手の気と合わせようとばかり考えていた。
だから、まったく気が合わず、相手の気と自分の気がぶつかってばかりいた。
その後、非二元を知り、自分がいないことがわかるようになってから、気を合わせようとしていた「自分の気(思い)」が強かったから、いつまでも全体と調和できず、ぶつかってばかりいたことに気づけるようになった。
合わせようと努力するほど、「私の気」が強くなり、全体と合わなくなる。
初めから、全ての気が調和しているのに、わざわざ気を合わせにいこうとするから、我が強くなり、不調和が起こる。
それがわかるようになったのは、合気道を学んだからではなく、非二元(ノンデュアリティ)を知ってからだった。
「合気」というのは、行うものではなく、「連なり合った一つの気」の存在を指している。
私の気がNon-Kiになると、「Ai-Ki(愛気)」のみになる。
お知らせ
個人の私が消えると、愛、平和、自由があるだけになります。
興味のある方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。