山元町の海沿いにある、震災遺構の中浜小学校へ。
ここに避難した90人の方の命を、津波による被害から守った小学校です。
震災による津波の被害の凄さや、どうやって避難したみなさんが助かったか、案内してくれる方のお話を聞きながら、建物内の様子を実際に見る事ができました。
(この日は防災の日で入場料が無料でした)
小学校の中に入り、一階のぐちゃぐちゃになった教室・窓・壁、給食室などを見て、
2階では山元町の、震災前の家が立ち並ぶ様子が見れました。
津波は2階の上の方までやってきて、みんなで避難した屋上はギリギリ大丈夫だったそうです。
この小学生を建てる時に、津波や高潮対策で2メートル底上げして建てたそうで、その2メートルが命を救ったそう。
そして、他にも命を守れた理由があったんです。
2階を見学した後は、みなさんが避難した屋上へ。
屋上には屋根裏倉庫があり、救助されるまでここで一夜を過ごしたそうです。
物凄く寒い3月の東北。
雨風しのげる屋根裏倉庫で体寄せ合って寒さ凌いで、
保管してた催し物などで使ったダンボールやポンポンなどを敷いて冷たいコンクリートからの冷えを防いだそうです。
そして、防災用に保管してた毛布が一階の倉庫にある事を先生達が思い出し、波が引いた後に取りに行くと、密閉してた数十枚の毛布は全く濡れてなかったそう。
2人で1枚毛布に包まって一夜を過ごし、翌日自衛隊に助け出される時も毛布を巻いて外に出たそうです。
小学校は、押し寄せた津波が抜けやすい作りになってたので、校庭などに瓦礫や家具・机などがとどまらなかった。
そのおかげで、翌日みんな校庭に出れてスムーズに救助されたそうです。
自衛隊のヘリが着陸できなかったら1人1人吊り上げながらの救助になるので、校庭に瓦礫がたまってなかった事も良かったんだそうです。
ここに来る途中の海沿いの道は広い平地がずーっと続いてて、家はほとんどなく畑があるくらい。
今回旅した宮城・山形は平地がとっても広いのが印象的だったので、ここも随分広いなぁと思いつつ。
もしかしてここ全部津波の被害⁈まさか…
と話しながら通ってだんだけど。
話を聞いて、たくさんの家が町があったのが震災で全てなくなったのだと知りました。
畑に育ってた野菜はネギで、10年経過した去年から、潮に強いネギを育てるのが可能になったそうです。
帰りにもう一度行きと同じ道を通り、話を聞いて被害の状況を知ってから見る光景は、なんとも言葉にできない、まさか…と思ってた被害の大きさが凄すぎて。
テレビで見て想像する被害のイメージと、目で見て感じるのとではこんなに違うのか。
今回の経験、無駄にしないようにしよう。