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イライラを解消する方法

「イライラを解消する方法」というお題をいただいた。

未熟者ではあるが、自分なりに考え、実践している

イライラを解消する方法を書いてみたいと思う。


まず、イライラする時、必ずイライラさせる相手がいるものだ。


愛想のない店員、

不快な言葉を吐く隣人、

気の利かない家人、など。


自分にもっと余裕があれば許せるのだが、

と思いつつ、ついイライラしてしまうもの。


そこで、私の解消する方法の第1ステップだが、

相手に何ら期待をしない、と心掛ける事だ。


きっと何とかしてくれるだろう、とか

きっと察して理解してくれるだろう、と

期待しているから、

期待通りのものが得られない場合、

イライラするのである。


仮に、どんなにあなたがイライラして眠れなくても、

イライラさせた当の本人は、それに気付くことなく

ぐっすり寝ている事だろう。


つまり、そんな相手に気を使うだけ損である。


また、どうしてもイライラさせる相手に出会ったら、

第2ステップとして、相手の行状を

許す気持ちで受け入れるしかない。


そして、第3ステップとして、なにより大切なことは、

イライラさせる相手に気を遣わず

もっとあなたを心地よくさせることに

注意を払い、関心を持つべきであろう。


相手になるべく期待せず、

不快な事があれば、それを受け入れ、

普段から、不快なことは受け流し、

心地よい事に気を向ける、という流れが

イライラを解消する自分なりの方法である。

パバロッティ

本夕、夕刊でパバロッティの訃報に触れた。

享年71歳、またクラシック音楽界のスターが逝ってしまった。


つい先日、銀座にある喫茶店で休んでいた折、

パバロッティが歌う、ベルディーのレクイエムが

店内に流れていた。


テノールを一番聴かせる旋律の部分を、

朗々と歌うパバロッティを聞きながら、

不思議に、寂しく、そして、悲しい気持ちに

襲われた。


・・・そういえば、パバロッティはもう舞台には

上らないのだろうな。。。


ベルディのレクイエムは、それはそれは美しい旋律だ。

たしか、晩年のカラヤンも同じ曲を慈しむように

演奏していた話を聞いた。


おそらくパバロッティが若い頃の録音だから、

自分の死期を予感して歌ってはいないだろうが、

不思議にそのときに、予感がした。


そういえば、麻布にある蕎麦屋で、

亡くなる2週間前の岩城宏之氏と会ったが、

その時も、何か胸騒ぎがしたものだ。


故人の冥福を祈りたい。




睡眠の重要性

今まで「睡眠」というものを軽視していたようだ。


健康のためにサプリを採り、運動を行ない、

喫煙を止め、飲酒も控えるなど、

いろいろ気遣ってきた。


ただ、睡眠時間に関してだけは、

「体力をつければ克服できるであろう」

「時間がもったいない」という気持ちから

睡眠時間を削る傾向があった。


業務を終えて、床に就けば、

数分もせずに熟睡する。

頭の中から仕事の事が離れないせいか、

4時間ほどすると目覚める。

目覚めは比較的すっきりしているし、

日中も満腹にさえならなければ、

眠気も催さず、睡眠不足の自覚はない。


栄養運動休養(睡眠)といわれるように、

睡眠は体調を整えるのに必須である。


仕事の効率化を考える上で、

睡眠を十分に採れるような

時間配分やマネジメントを

考えることも重要だろう。



体調を崩した時は

体調を崩した時は、休むしかない。


仕事場を離れ、ベッドに横たわると

机の上では思いつかない発想が

いろいろと浮かんでくる。


常にアイドリングしている状態なのだろう、

いつも仕事の事ばかり考えている。


負担にも感じないし、不快でもない。

呼吸をするように自然なことである。


そんな自分の身体、特に神経が

少し休養を要求しているのだろう。


今夜は少し穏やかに過ごしてみよう。



大阪での大証フェア

9月1日(土)大阪にて、大証主催のフェアが開催された。


実は、直前まで出席する予定がなかったのだが、

急遽、懇意にさせていただいているフィリピン総領事とのアポが

入った為、大阪で、延泊してフェアにも参加することにした。


私自身の会場入りは午後からだったが、やはり、

実際にセミナー会場を訪れ、現場の雰囲気に触れるのは

大事なことだ、と痛感した。


会場の雰囲気、お客様の層や流れだけでなく、

社員の対応が見てとれて参考になった。


きちんと案内・誘導が出来ているのかどうか、

他社の動向はどうだったであろうか?


数字だけを追いかけていれば分からないこと、

現場にいなければ分からないことは多い。


一日でも早く、陣頭指揮を取れる人材が

育ってもらえたら、と改めて思った。




ホウレンソウ③(相談)

報告もきちんとしている、

連絡もこまめに入れているが、

果たしてそれでコミュニケーションは

十分に機能しているのだろうか?


相談、これが一番大事であろう。


自分の上司に相談すれば、

打開策や対処法など知識を得られる上に、

自分ひとりが背負う責任も軽減できる。


こんな良いことなのに、相談することに

躊躇する人が多い。


なぜか?


おそらく半分は上司の責任であり、

もう半分は部下の問題だろう。


上司は、いついかなる時も相談を

持ちかけられても良いような状態で

なければいけない。


部下が相談してきた内容が、

その部署にとって、致命的な問題に

繋がる深刻なものかもしれない。


また、それと同時に、部下のスキルを

把握し、コミュニケーションを図る

絶好の機会であろう。


逆に、部下からの相談に乗れない上司は、

そもそも業務に精通していないから

相談に乗れないのであり、いずれ深刻な

問題に直面した時も適切な対処が出来ないだろう。


相談を持ちかけられない部下も問題である。

あまりにも時間が経過してしまっている問題に

対する相談を持ちかける場合がある。


それは、単に「話し難い」とか「相談したら、

何でこんなことを相談してくるんだろう」など

自分の都合で相談しない場合がある。


入社間もない社員は、この心の壁を突き破ること

心理的抵抗を克服し、上司に相談することが

スキルアップやレベルアップする特効薬だろう。








まず客観的な視点で見てもらえる上に、

ミスをなくするために

人間はかならずミスを犯す。

そのミスを力ずくでなくそうとしてもダメだと思う。


ミスは、人間の不注意から起こるものがほとんどである。

不注意をなくする努力するよりも、

不注意である自分を肯定して、つまり、

ミスを犯す前提で仕事の段取りを考えれば

ミスを犯す確立は激減するだろう。


メモを取るのも同じ理由である。

人間は忘却する動物である。

忘却しないように努力するよりも、

忘却する人間性を肯定し、

忘却する前提でメモを取り、

そのメモを読み返す習慣をつければ、

忘却によるミスは激減するだろう。



要は、各個人がそれぞれ違う仕様設計書があり、

その仕様に合わせて、仕事を組み立てられれば、

その人の効率は飛躍的に向上するのではないだろうか。


各個人違う取り扱い説明書があれば良いのだが、

こればかりは各個人が手探りで模索していくしかないだろう。




ホウレンソウ②(連絡)

コミュニケーションで大事なことは、

こまめに連絡を入れることではないだろうか?


「こんな細かい事まで連絡するなんて無駄ではないか?」

と思われることまで、こまめに連絡を入れることにより、

周囲との意思疎通が図れ、仕事上のミスも減るだろう。


大体、周囲との誤解の原因のほとんどが、

連絡を怠っていることから起因しているのでは

ないかと想う。


ある事柄が起きたら、周囲の人、特に上司に

連絡をしておけば、自分だけではなく、

自分に関係する人たちが、同じ情報を共有する

ことが出来る。


そうすれば、何か問題があった場合、

自分ひとりの力で解決できなくても、

周囲の人の力を借りれるかもしれない。


周囲の人とコミュニケーションを図らないのは、

仕事上だけでなくプライベートでも甚だしく損である。



さて、先日「ホウレンソウ①(報告) 」というブログを

更新したが、今回のブログを寄稿する際に、

報告と連絡の違いをきちんと理解してるだろうかはてなマーク

と想った。


報告は、上司など目上の人にすることで、

結果だけでなく、経過報告など、

与えられた課題に対する進捗等を分かりやすい形に

取りまとめて伝えることである。


連絡は、上司も含むが周囲の人にすることで、

何か起こった場合、その事実や感想を

速やかに伝えることである。


「報告書」という言葉はよく使うが、

「連絡書」という言葉はあまり使わず

「連絡帳」という言葉をよく使う。

その方がイメージしやすいだろう。


報告書はきちんとした形式のもので、

連絡帳はメモのように、事実だけを伝える、と

理解すればよいだろう。



いずれにせよ、人間は適応する動物である。

自分が存在する周囲の環境を整えていくことが、
生きていく上で、とても重要である。


どんなに孤独に感じても、一見、利害関係が

ないように感じても、それは浅はかな考え方で、

身近な人たちが今の自分の利害を一番左右する

というのが事実である。


周囲の人とコミュニケーションを図るということは、

周囲の人たちのためではなく、

自分のためである、ということを忘れずに。



日本橋のフレンチ

会社の近くにあるので、たまに利用させてもらっている

ランブイエ 」というフレンチのお店がある。


料理は、古き良き時代のフランス料理で、

テリーヌもしっかりとした作りで、仕事に手抜きがない。


フランス料理の多くは、手抜きが出来ないものだが、

このお店の特徴は、ポーションの量が多いこと。

特に、骨付きの仔羊のローストは絶品だ。

「これで採算が合うの?」と心配になるほど

肉厚で、外側がパリパリにローストしてあり

中がジューシーな逸品。


ワインリストを見てもらえれば分かるのだが、

良心的で、しかも良いワインが揃っている。


パンも自家製、全粒粉で美味しい。



そういえば、最初に、このお店に入った時、

お手洗いを借りたのだが、そこには、

その日の日付が書かれたメッセージカードが

置かれていた。


いつ入るかどうか分からないお客様のために、

毎日、このメッセージカードを作って置いてある。


一見無駄のように見えるのだが、

お客様への愛情がそこに見てとれた。


場所柄、人形町というと日本料理屋さんの

イメージが強く、あまりフランス料理という

イメージがわかないのだが、

都内の有名店に引けをとらない

お勧めの店である。





アリアドネの糸

深いお題をいただいた。


「もし友人が今日で今後会うこともない場合、

自分は、何をしてあげることがいいでしょうか」


学生時代からの友人が、海外に移住することになり、

連絡がとり難くなるのだが、どうすれば良いか・・・

という背景があるそうだ。



IT時代を迎え、物理的な距離は、以前に比べて

あまり重要ではなくなったと思う。


以前、ネット上で知り合ったオーストラリアの知人と

来日時に始めて会って話をしたのだが、それこそ

旧知の仲のように長々と話したものだった。


それでも、ちょっと飲みに行こうか?とかいう話に

なった場合、気軽に行けないがゆえに、段々、

疎遠になってしまう理由でもある。



さて、今回のお題にある友人に対する想いだが、

身辺の変化(引越し、結婚、出産、身内の不幸等)が

あったら、速やかに連絡を入れられる状態に

しておくことが大切ではないだろうか?


大きなイベントがある毎に、

「そういえば○○さんに連絡しなければ」

という想いで繋がっていれば、

住んでいる土地が違い、一時、関心が薄れ

関係が希薄になっても、落ち着いた頃に

また戻れる、ということになるのではないだろうか?



私の会社にいるスタッフにも、そういう

昔からの知人がいる。

彼とは、以前、一緒に仕事をしていたのだが、

国内だが別々の場所で、全く関係のない仕事を

お互い従事していた。

しばらくは、お互いの生活環境が違うため

音信不通だったのだが、連絡先だけは

お互い分かっていたので、今、こうして

一緒に仕事をしている。


そうかと思えば、結婚を期に、

大阪に移り住んだ知人が、

連絡先も明らかではないので、

そのまま音信不通となってしまい、

今でも意思疎通が取れないでいる人もいる。


クノッソスの迷宮に分け入ったテセウスを救った

アリアドネの糸のように、何かしら

連絡先をお互い握り合っていえば、

人生の途中、どんな迷路をさまようとも

いつかはまた再会できるものである。