ディスカバリー・デー
1492年10月12日、クリストファー・コロンブスは
サンタ・マリア号による長い航海を経て、
新大陸アメリカに到達した日である。
コロンブスの当初の目的は、新大陸を発見する
ことではなく、新しい航路を発見する為だった
のだが、まさにセレンディピティによる成果だろう。
セレンディピティは、何かを発見したという「現象」
ではなく、何かを発見をする「能力」のことを意味
するらしいが、こうした状況適応能力は、
相場の世界でも必要とされるであろう。
ラッセル・サンズ曰く「変化を予想するのではなく、
変化に対応できるようになれ」と。
最近、システムトレーディングが流行り始めて
いるようだが、5年以上前に検証した事がある。
詳しい話は、後日、機会があればしようと思うが、
個人投資家すべてがその恩恵を蒙ることは
できないと思う。
然らば、相場に対峙する個人投資家に対し
私たちに何ができるであろうか?
相場の基本に返り、相場観を磨く効果的な
訓練の場を提供することではないだろうか?
と私たちは考えている。
つまり、チャートの見方を通じて、セレンディピティを
磨くことにより、起こりうるアノマリーな波形に
対する、対応力を磨くメソッドではないだろうか。
実際、以前に意図していた結果と違う成果を
得ることが多いが、システムトレードは、
事前の蓋然性の精度を追求するが、
私たちが提供するメソッドは、変化に伴う
適合力・対応法を追求する。
今、準備を進めている新たな形でのセミナーの
コンセプトを考えながら、ふとコロンブスが
アメリカ大陸を発見した事象を思い出していたところだ。
艱難辛苦汝を玉とす
艱難辛苦汝を玉とす
いろいろな問題が振りかかって来ても、
今の私たちを向上させる宿題として、
喜んで受け入れ、取り組もう、と思うと
困難も苦しくなくなる。
所詮、人間は裸で生まれてきて
裸で死んでいくもの。
今ある問題も、決して、命を奪われる訳ではない。
もし、何かが失われるとしたら、
それは、新たに手にするものの為であろう。
気前の良い人を浪費家と呼ぶ反面、
堅実にお金を貯める人を吝嗇家とも呼ぶ。
他人は、自分の都合の良いように人を
判断するものだが、その人の本質は
変わらないだろう。
自分に起こった事象が、果たして
自分に課せられた使命ではないかどうか、
もう一度立ち止まって考えてみよう。
オルセー美術館
パリにあるオルセー美術館で痛ましい事件が起きた。
モネの名画「アルジャントゥイユの橋」が
長さ約10センチにわたって切り裂かれた事件だ。
修復可能だと聞いたが、貴重な文化遺産が
全く美術品の価値の分からぬ者の手に掛かり
破損された事実は、「自由」というものに対して
改めて考えさせられた。
王政が敷かれていた時代、一般人の目に触れる
機会がなかった名画も、民主の時代を迎え、
安価な入場料を払うだけで、実物を目の前に
見れるようになった。
美術品が身近になったお陰で、
若年期に貧しかった画家たちが
大いに勉強する機会に恵まれた。
しかし、(少なくとも日本やフランスは)
自由が当たり前の世の中になり、
自由と放任の違いがだんだん
分からなくなってきているのかも
しれない。
証券界にも同じことが言えるかもしれない。
習慣としていたものを変える
今まで習慣としていたものを変えさせる方法とは?
というお題をいただいた。
今日はその事について、考えた事を書いてみる。
習慣の力は強い、天性より強い。
という趣旨のことを以前のブログ で書いた。
この習慣の力を変えるのは容易な事ではない。
だが、不可能なことではない。
先日、幻冬舎の見城社長の話を聞く機会があったが、
ものすごく記憶に残った言葉がある。
圧倒的努力をした者でなければ
圧倒的努力をした者が分からない。
圧倒的努力をしなければ
圧倒的成功は収められない。
圧倒的努力をすれば
不可能だと想われる事象の
80%のリスクは克服できる。
・・・根付いてしまった習慣を変えるには、
見城社長のいう圧倒的努力をする他に
方法はないのではないだろうか?
私の場合、習慣を変える場合には、
時間を掛け、倦まず弛まず、
どんな状況下でも、少しずつ
変えようという努力を続けてみた。
本当に少しずつである。
少しずつ、しかし、決して絶えることなく、
というのが秘訣である。
シンプルなこと
不思議なことに、複雑な考えをめぐらそうとすると
木を見て森を見ず、という事態におちいり
かえって本質から遠ざかってしまう場合が多い。
シンプルに考えようとすると、
途端に物事の道理が何となく分かるようになり
各事象の関連性も見えてくる。
たとえば2元的に物事の事象を峻別し、
その組み合わせによって、
社会の事象を説明しようとする考え方は、
中国では易経、西洋ではデカルトの著書に
見出すことができる。
シンプルだからこそ、複雑な事象の
さまざまな側面をいわば総体的に
判断理解できる。
先日、佐藤金融庁長官の講演を
拝聴する機会があったが、長官が仰られている
プリンシプルベースのベターレギュレーションとは
こういうシンプルな考え方に起因するのでは
ないだろうか?
(参照:五味前長官・佐藤新長官記者会見の概要 )
私たち証券会社の仕事は、他の業種と違い
膨大な法律の規制の中で営まれている。
お客様の大切な財産を預かる訳だから、
厳格なレギュレーションは必要不可欠である
と同時に、そのレギュレーションが、
証券会社の営業を阻害する可能性も秘めている。
まさにシンプルに考え、つまりプリンシプルを
理解した上で、数多のレギュレーションを鳥瞰すれば
自由度の高い営業と規制との共存とが
図れるのではないだろうか?
大人気ないかもしれないが・・・
あるパーティーでの出来事。
自己紹介をする機会になり、
私が証券関係者と聞いた途端
「俺は証券会社が大嫌いでな」と
絡んできた。
相手は面識もなく、名乗りもしない。
酒の席では、よくある絡みで、
いつもは聞き流していたのだが、
その日はちょっと違った。
相手は続けた。
「俺は株のことは良く分からないけど、
○○とかいう大手の証券マンが
絶対儲かるという株を勧めてきた。
・・・
だから俺は株屋は信用しない。」
「なるほど、株のことはあまりご存じない?」
「そうだ」
「失礼ですが、どの業界の方ですか?」
「芸能関係の仕事をしている」
「私たちの業界の人間で、そういう勧誘の仕方は
よくないですが・・・」
「そうだろう?」
「・・・ですが、一部の人間の所業をつかまえて
その業界に属するすべての人を卑下するのは
どうかと思います。」
相手はしばらくこちらの目を見ていたが、
そのうち黙ってうつむき、おもむろに
自分の非礼を詫びてきた。
もし、その場で言わずにいたら、
お互い悶々とした気持ちで
分かれていただろう。
大人気ない酒席でのやり取りだったが、
相手も話せば分かる訳で、
こういう些細な誤解なり
偏見なりを少しずつ
なくしていけたらな、と想った。
バルトーク
福田首相は音楽鑑賞が趣味のようで、中でも、
バルトークの音楽がお好きのようである。
バルトークの音楽は、ストラビンスキーの音楽と違い、
疲れた時に聞きたくなる音楽の内の一つである。
基本的に、古典派の音楽を最近好んで聴く。
ビクトリア、アルビノーニ、スカルラッティ、
ヴィヴァルディ、そしてバッハなど。
以前は、浪漫派のベートヴェンやワーグナーなど
重厚長大な音楽が好きだったのだが、
年を取るにつれ、ショパンからモーツァルト、そして
バッハが好きになり、段々、古典派に傾倒するようになった。
それに対し、暫くの間、現代音楽は好きになれず
ガラスを立て爪で引っ掻いたような音を出す音楽の
どこが良いんだろう?と想っていた。
それが、バルトークの打楽器のためのチェレスタを
聞き鳴らし耳が慣れてきた頃から、段々、あの音楽に
潜む原始性に惹かれるようになった。
原始性というと、ストラビンスキーの春の祭典などが
あるが、ストラビンスキーの音楽はビビッドな感が
あるのに対し、バルトークの音楽は、あたかも
日本の侘び寂の効いた風景を連想させる。
バルトークは東欧の民俗音楽の研究の第一人者
らしいが、なるほど、それは柳田国男の遠野物語を
読んでいるような印象も思い起こさせる。
今回は取り留めのない話ではあるが、
自分の好きなクラシック音楽について
書き連ねてみた。
お題をいただけると幸いである(笑)
郵政民営化
小泉内閣が進めてきた郵政民営化 だが、
今日から日本郵政株式会社 という形でスタートした。
昨日は、金融商品取引法 の施行日となっており、
金融の世界において、新たな幕開けとなった。
・・・とはいうものの、
実際に新たな時代の到来に際し、
実務面での準備に携わった社員以外は、
あまり実感が沸かないかもしれない。
おそらく、明治時代もそうだったのかも
しれない。
昭和から平成に年号が変わる時よりも
政府の仕組みが大きく変わった
明治時代だが、行政担当者以外は
それほど実感がなく、むしろ、
その後に施行された法律による
影響がじわじわと現れて来た、
という感じだったのではないだろうか。
いずれにせよ、証券界だけではなく、
金融業界全体にとって
大きな節目を持つ日になるであろう。
一生懸命とは
長時間仕事をすることが
果たして良いことだろうか?
仕事は成果だけではない、
その過程も大切だ、というのは
ある意味正しい意見だが、
内容のない、密度の薄い仕事を
ダラダラとしていても、
それは一生懸命仕事をしたこと
にはならないと想う。
たとえば、長時間TVゲームを
している子供を見て、
一生懸命ゲームをしている、
とは言わないだろう。
ただ単にハマっただけであって
一生懸命という意味合いとは
少し違うと想う。
仕事が終わった後、
心地よい疲労感があれば
まず一生懸命仕事をした、
と言えるのではないだろうか?
逆に、仕事が終わった後、
不快な地よい疲労感が残るようであれば
一生懸命仕事に打ち込んでいない
はずである。
エネルギーは外に放出するものであり、
内部に溜めるものではない。
一生懸命仕事をすることは
対象に向けてエネルギーを傾けることであり、
一生懸命仕事をせず「仕事をやらされている」という
意識が働いている場合、エネルギーは
変な滞留を起こしているはずである。
心地よい仕事をするのが、
自分のためにも、会社のためにも、
双方にとって良いのだと想う。
グローバル化
今日、取引先の人材派遣会社の
設立1周年記念パーティーに
出席してきた。
マルセル・ウィガース社長と
話す機会があったのだが、
非常に興味深い話をしてくれた。
私たちが年内を目処に
Eurexを始める旨を話し、
それに対応するため、
新たな人材の確保に
関心があると話をした折、
日本では、8時間以上も同じ時間を
そして、平日をフルで働こうとする人が
ほとんどだが、私の国(オランダ)では、
派遣が盛んで、スキルのある人材は、
それぞれ好きな日時に働いている。
と話してくれた。
今まで欧米の金融機関の猛烈な
労働環境ばかりを想定していたのだが、
こういう雇用体系も、少子高齢化を
迎える日本では、必要になってくる
のではないか?と思った。
次世代の雇用形態、
次世代の職場環境。
いろいろ考えさせられた。