平凡な毎日からの新しい生活 -2ページ目

 

  日記

 

結婚する前にこのブログをはじめていたらもっと刺激的なことが欠けていたんだろうとたまに思う。

しかしこれもまた人生だ。

 

私はある海外ドラマにあこがれていた。

彼女はあらゆる男性歴をコラムにしていた。

私には何ができるだろう。

 

何かを書くのは嫌いじゃない。

得意か得意じゃないかといえば得意じゃない。

 

ただこの時間は私にとってとても安心する時間へと変わった。

 

ときに吐き出す場所がない時。ときに安心したいとき。そして文字に残しておきたいとき。

 

過去の記事を自分が見てどう思うんだろう。きっとそれもまた楽しいのかもしれない。

 

いろんな思い出をここに残しておこう。

 

 

今年の目標

 

今年の目標はいろいろある。

 

・一時帰国

・ウェディングフォト、またはパーティー

・行ったことないところに行く

・友達を作る

・自立

 

一時帰国はそろそろかなえてもよさそうな気もする。

ウェディング関係はまぁ、できたらいいかなという程度。そこまで重要じゃない。

行ったことないところへ行くのは今年少しずつ挑戦していこう。

友達も少しずつ増やしていこう。そして遊びに行こう。

一番重要な部分は自立だ。これは一番大変そうなので、今年だけではなく人生の課題かもしれない。

 

 

 

  時差と感覚

 

こちらにきてから変わったことがいくつかある。

それは時差で日本の友達との連絡が難しくなったり、住んでいる場所からか環境の違いなどから話が合わなくなってくるという問題だ。

 

以前まで仲良くしていた友達との会話が難しくなってくる。

こちらでの問題は私の日本の友達が理解できなかったり共感するのが難しかったりすることがある。

 

時差はかなり大きい。

 

夢だったアメリカの生活にも慣れてきたのだが、日本の友達とは頻繁に連絡を取ることも少なくなってきた。

 

こちらにきて私も感覚が変わり、日本のリアルな状況を理解するのが難しかったりする。

 

そんな中、私に思わぬ連絡が来たのだ。

 

20代のころに仲良くしていたが、私がきっかけで連絡を取らなくなった友人からの連絡だった。

あの時私の愚かな行動で彼女は私から去った。しかし数十年を経て、彼女が私に連絡してきたのだ。

私の人生の中で、楽しい時間を一緒に過ごした友は私がアメリカにいることを知らなかった。

しかし久しぶりの連絡で私たちは当時のように話すことが出来た。

 

人生は何が起こるかわからない。

もう二度と連絡が取れないであろう人が突然連絡してきたり、または今までとても仲が良かった友人が疎遠になったり。

 

いろんなことが起きるが、それもまた人生だ。

 

その時その時で全力を尽くしていけばいい。

めんどくさければ力を抜けばいい。

 

老後のことを考えるにはまだ早いかもしれないけれど、人生は一度きりだ。

思い切って楽しもう。

 

 

 

  大好きで仕方ない女友達

 

最初はそうでもなかったし、あえて言うなあまり関わりたくなかったタイプの人だったのに今ではもうその女友達に夢中。

いつか会うことが出来たらいいなと思いつつも、前回ほかの女友達を遊んだことを言えずにいる。

まるで浮気をしているみたいだ。

 

しかしやはりほかの女友達と交流を深めても私の大好きで仕方ない女友達への夢中具合は変わらない。というかもっと好き加減が増したように感じるくらいだ。

 

昔みたいに人間関係に関してうまくできるほうではなかったのは今でも変わらないかもしれない。

しかし少しずつ自分の考えも変わりつつある部分や、いろんな人たちと関わっていく上で学んだことなどが今後の成長につながっていっている気もする。

 

これからも少しずつでいいので頑張っていこう。

 

  幸せか幸せじゃないか

 

結局のところ幸せか幸せじゃないかは本人がどう思っているかによるだろう。

なので、誰が見ても幸せそうじゃないと思っても本人が幸せならそれが幸せなのだ。

 

私は今まで心から幸せだと思ったことがあまり少なかったが、やっと自分と向き合うことが出来てから毎日幸せを感じることが出来た。

何のしがらみもなく、素直に現在の状況を信じることが出来る。

しかしたまに今まで継続したことのない時間幸せな時間が続くと、それは私を不安にさせることもあった。

 

前回の話ではいかに自分が幸せかを書こうと思ったが、やはり表現が差別的なことになりかねない気がしたので、あまり多くは書かなかった。

 

どれだけ幸せかはやはり自分がどう感じるかによってだと思う。

 

 

 

  意気投合

 

食事が来るまでに時間があったので、みんなで話をしていた。

 

私は普段友達を作るときは時間をかけて相手を信用してから会うことが多いのだが、今回はあまり時間をかけずなにも気にしないで会うことを決めた。

 

しかしあってからすぐさま意気投合。

私たちはずっと話続け、食事が終わってから場所を移動しその時を楽しんだ。

 

こんな偶然があるのかと思うほど話は弾み、気づいたら日をまたぎそうな時間にまでなっていた。

 

そして解散した。

久々によるまで遊んだので少し疲れたのでその日はすぐ寝た。

 

次の日は幼児は午後からだったのでゆっくり起きて彼と話をしていた。

すごく楽しかったのでまた彼女らと遊ぼうと話していたのだが、いくつか引っかかる点が何点かあった。

 

というか、私はいつも友達を探して会った後や、話した後に思うことがいつもある。

 

「私はなんて恵まれているんだろう」

 

今回もそう思った。

 

いつも家にいてあまりほかのカップルを目にしないので、このような状況になるとやはり出会った相手とどこか自分たちと比べてしまうことがあるようだ。

 

 

私は本当に彼から愛されている

 

今から言うことは自慢に聞こえるかもしれないが、どのカップルの話を聞いても、実際に会っても、やはりどうしても自分たちより幸せそうなカップルがいない。

もしかしたら私は自分たちと同じくらい幸せなカップルを探しているのかもしれない。

しかしそれはなぜだかわからない。

 

今回あったカップルに関しては、少し違和感を感じた部分があった。

それは相手の彼があまり楽しそうではなかったように見えたところだ。

もしかしたら実際その彼は楽しかったのかもしれない、なぜならまた会いたいと言ってくれたからだ。それはとても光栄なことだった。

 

しかしその彼の様子がどうにも気になった。

彼女のほうはとても楽しそうだった。

 

第一印象であまり判断はしたくないが、彼の質問や彼の話していることに引っかかる点があったんだろう。

例えばお金の話。そして異性関係の話など。

また、彼女へ対する接し方。

 

「女性は買い物が好きだね、目的地に着く前にお店があると少し厄介だ」

 

どうしてもこの一言が気になった。

なぜなら私の彼はたとえ彼が興味のない分野の私の買い物に付き合わなくてはならないときでも文句ひとつ言わず参加してくれるからだ。そして笑顔で。

 

ここで私は思った。

今まではその言葉をきいても引っかからなかったのに、なぜ今はそれが引っかかるのか。

 

現在私は彼からとても愛されているということ。

そして私はそれが自分の普通になってきたということ。

 

そう、私はもう今までの自分とは違うんだ。

 

 

 

 

 

  世界にはいろんな人がいる

 

ついついうっかり人をジャッジしてしまう癖がたまに出てしまうことがある。

しかし世界にはいろんな人がいて、もちろん自分と違う人がいるのは当たり前のことだ。

 

さて、前回私は刺激を求め新しい友人作りに街へと繰り出した。

 

待ち合わせの場所へ行く前に私たちは近くの大型家具店に立ち寄ったのだが欲しいものがなかったのですぐにその店を出た。

彼女たちもその店にいたようだが、どうやらすれちがったようだ。

 

そして私たちはすぐに待ち合わせのレストランへ向かった。

少し早かったのだが、そこで不思議な光景を目にしたのだ。

 

そう私たちが行く予定だった待ち合わせをしていたレストランは燃えていた。

 

消防車が来ていて店からは人が出てくる様子がうかがえた。

 

さてどうする。

 

私は早速彼女に状況を説明し、彼女が望む違う店へと変更することにした。

 

私たちが先に店につき、彼女たちを待っていた。

入り口で待っていると彼女たちもちょうどついたので、軽く挨拶をかわし食事をすることになった。

 

 

  刺激がないなら刺激を作れ

 

アメリカにきてしばらくたち、少し余裕もできてきた。

だいたいのことが落ち着き、毎日同じような日々を過ごす。

まだまだやらないといけないことはあるものの、この国にも少し慣れてきて、時間が少しでもあると暇を持て余すようになるまでになった。

 

と、言うことで、私は刺激を求めるために、人が苦手なのにもかかわらず、友人作りを開始した。

 

きっかけは毎日話すほど仲良くなった友達の帰国。

というか、帰国しなければならない状況に陥っている状況を相談されたからだ。

 

おそらく私たちは時差があっても会話ができるほど仲が良くなったが、もし本当に彼女が帰国してしまうと時間がたつにつれお互いの状況が変わってきて話さなくなる可能性があるようなきがした。

 

彼女が帰国しなかったらおそらくずっと仲のいい友達でいられると自信がある。

もともと私たちはアメリカにはいるが、近くに住んでいるわけではないのですぐ会える距離ではない。しかしなぜか意気投合し、素敵な友人になったのだ。

 

なので、正直彼女が帰国しなければならないということになると私はとても悲しい。

毎日のように、それこそ親友のように話していたからだ。

万が一彼女が帰国しても毎日話せるといいが。

 

ま、それはさておき。

 

最近刺激がなかったので、刺激を求め友達に慣れそうな人を探した。

私は思い出した。少し前にある人からSNSを通じて連絡をもらっていた。

彼女は私より少し年下。割と共通点も多い。

彼女から前に連絡をもらっていた時は少し忙しかったので、出かけるお誘いをいただいたときは軽く流していたので、今回は自分から誘ってみた。

 

そして私たちは会うことになった。

もちろんお互いの夫を連れて四人で。

 

たまたま私が彼女を誘ったときに、彼女が行く予定だったレストランで待ち合わせすることになった。

正直刺激を求めて私は彼女に声をかけてみたが、そこまでお互いに会話をしていないので当日どうなるか少し心配ではある。

 

しかしそれがもし最悪な日になったとしてもそれもまた経験だと思い、ポジティブに考えていこう決意した。

 

よし、人が苦手な私でも楽しめるか挑戦してみよう!

 

 

  変化する自分

 

日本にいるときと比べて、いろんな考えが変わった気がする。

基本的には変わってないのだろうけれど、人に対する対応などが自分的に優しくなった気がする。それは年齢を重ねていくというのもあるのだろう。

 

私には一つ大きな問題があった。

それは以前もここに書いたかもしれないが、やはり英語圏で暮らしていく上で必要な英語に関しての問題だ。

 

そう、日本にいるときは英語を学ぶのが楽しくて毎日のように英語を使っていたので、おそらく今より話せていたであろう。

しかし言い訳になるがこちらに適応することで毎日が必死でもうそれどころではなかった。

 

彼の日本語が日に日に上達していく。

 

私たちは最初は英語と日本語で会話を行っていたのだが、だんだんと私が日本語を使う時間が増えていった。

 

そこで私はまた新しく英語の勉強するために、いつも使っているアプリを使い日常的に英語を使う状況にするために言語のパートナーを探した。

それは今まで一番自分に合っている勉強法だからなのだ。

 

ここで疑問に思うことがあるだろう。そう、なぜパートナーがネイティブなアメリカ人なのになぜパートナーと英会話をしないのかという点である。

 

彼と毎日の生活を送っていく上で私が怠けてしまったため、彼の日本語が上達し、私が英語を使うより日本語でコミュニケーションを図ったほうが捗ってしまったからである。

 

そうするとだんだんと英語を話せなくなってくるのだ。

きっと自分の中のプライドもあるのだろう。

すべては自分のこの変な凝り固まった考えから来ている気がする。

 

毎日の生活で思うように英語で伝えられなくなってしまい、日本語を使うことが増えた私はもう一度英語に挑戦することに決めた。

 

ストイックにやるのではなく、今回はリスニングに集中するために彼の家族の集まりに出かけたり、彼のお義母さんと出かける回数を増やした。

 

リスニングに関しては少し成長したはずだ。

そして言語のパートナーと完全に英語テキストでの会話だ。

 

生活に追われて連絡が取れない日もあったり、メッセージのやり取りが頻繁にできるときもある、波のある日々を過ごしている。

 

これからもっと英語を話せるようにならなくては、私の今後がもっと不安な状態になるだろう。

 

自分にあった方法での学習でなければ私は折れてしまう。

ひどい時にはもう英語を耳にするのも嫌になったこともあった。

 

ゆっくりでいい。自分のペースで取り組んでいくことを決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  その瞬間を楽しむ

 

日本にいた頃の自分とアメリカでの私。

だいぶ変わってきたような気がする。

 

日本にいた頃は毎日に追われ、また良い点では遊びたいときに遊んだり、欲しいものはすぐ手に入るような環境にいた。

 

しかし今はゆっくりと時を過ごすことが出来るようになり、時間に追われることなく、自由な環境でいろんなことが出来る。

欲しいものがすぐに手に入らなくても、手に入るときをゆっくり待つ。

 

私の夢はアメリカに行くことだったが、もうすでに住んでいる。

次の夢はここで大きな一軒家に住むことだ。

 

現在はアパート(日本でいうマンション的な何か)に住んでいるのだが、運のいいことにこのアパートは彼の知り合いの持ち物で、しかもプライベートな部分が多く、人が住んでいるはずなのにあまり人に出くわすこともない。そして目の前には自然があり、ある程度は歩いていける範囲にコンビニや薬局もある。

 

モールに行った帰りに車から見える景色の中に、まるで大豪邸のような大きな一軒家が数件あった。

 

昔彼がいつか家を買うといっていたのを思い出した。

「こんな感じの家を買う予定?」私は聞いた。

 

そしたら彼は「うん」と答えた。

 

私は驚いた。私が見たのは大豪邸。

いや、さすがに掃除とか一人でできないレベルの大きな家。

 

まぁ、でもそんなにすぐの話ではないからあまり気にしていないが、掃除のことはともかく、もし本当にこんな大きな家に住むのであればいろんな意味でわくわくなのかもしれない。

 

次の夢に向かって人生を進んでいこう。きっと叶う気がする。

 

 

  生活は彼が基準

 

海外へは留学も旅行もしたことが私は、彼と私の基準で私の生活の当たり前が作られている。

なのでほかの家庭のことがあまりわからない。

 

しかし私は運よくこちらで何人かの友達を作ることが出来た。

 

普段の生活やどうやって過ごしているかを聞いてみると、それは家庭によって本当にさまざまな様子だった。これは日本でも変わらない気がする。

 

だが、やはりここはアメリカ。振れ幅がだいぶ大きい。

私の友人Aはちょうど私と同じくらいにこちらにきた友人の中の一人だ。

彼女は私と同じ時期に永住権の申請をし、いまだに永住権を取得できていない。

私はもう数年前に永住権を取得できている。

なぜこんなにも違うのか。

 

やはりビザや役所関係のことは人によって時間がかかったり様々あると思う。

ましてや私と彼女は違うビザで来ていたので、本当だったら彼女のほうが永住権取得は早かったはずだ。しかしなぜ。

 

とりあえずビザ関係の話はおいておくことにして、普段の生活がどれくらい違うのか見てみよう。

 

私と彼との共通点は食事。とにかく食べることが好きだ。おいしいものを探したり、新しい食べ物に挑戦する。新しいレストランを見つけては入り、美味しい思い出を作るのだ。

 

そして友人A。彼女は月に一度しかスーパーに行くことが出来ない。普段何を食べているのか聞くと缶詰や冷凍食品を食べていることが多いようだ。

 

これだけでもだいぶ聞いていて差がある。

 

しかしこれはアメリカであろうが日本であろうが、問題的には変わらないのかもしれない。