戦わずして勝つ! | 日本の未来を考える

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昨日の記事のコメント欄、成少納言さまとのやり取りで思い浮かびました。

あの孫子の兵法 「戦わずして勝つ!」 です。

順を追って説明します

「彼を知り、己を知れば、百戦危うからず」

まず、冷静かつ客観的に、敵味方の戦力分析をすること。
さらに、相手国がどのような戦略や方針を取るのかを的確に予測すること。
囲碁や将棋の名人のように、相手の手を「読み」、適切に対処することが戦の常道です。
しかし場合によっては「逃げ」も必要ですから「危うからず」であり、必ずしも「百戦百勝」を意味するものではありません。

次に本題、「戦わずして勝つ!」 です。

「百回戦って、百回勝つ(百戦百勝)よりも、戦わずして相手を屈服させることが最善の戦略である」ということ。

相手国の戦力や戦略を冷静、的確に「読んだ」うえで、それらを無力化するのです。

ここでポイントになるのが「外交」です。
相手国を、外交で切り崩す、または追い詰めることができれば、結果的に「勝ち」なのです。
それには、従来の友好、同盟関係に囚われず、時代や国際情勢の変化に応じて臨機応変に対処することが求められます。

最悪なのは、「気合」「根性」といった精神論や、「ナショナリズム」です。
自国よりもはるかに強大な相手に無謀な戦を仕掛けることは愚の骨頂です。

「武力衝突」といった”血みどろの戦い”ではなく、
賢く頭を使った「外交」や「計略」で、”戦わずして勝つ”ことこそ、古来より「最善」とされていたのです。

日本人の話をしましょう

戦国時代、塚原卜伝(つかはらぼくでん)という剣の達人がいました。

全国行脚で船で移動中、一人の剣士と乗り合わせました。
その剣士は、腕に相当自信があるのか、周囲の乗客たちに自分の武勇伝を聞かせます。

卜伝は尋ねます。「剣術は、勝つことよりも、負けぬことが肝要だと思うが、いかがであろう?」
剣士は顔を真っ赤にし、「ならば、どちがが強いか勝負してみるか?」と挑発してきました。
卜伝は答えます。「ここでは周囲の迷惑になる。あそこの小島で勝負するのがよかろう」

やがて船が小島に着くと、剣士は先に飛び降りて、「いつでもかかって来い」と身構えます。
すると卜伝は、船頭から櫓を借り受け、その櫓で岸を一突きします。
あっけにとられる剣士をよそに、船はどんどん沖に漕ぎ出していきます。

卜伝は、小島に取り残された剣士に向かって平然と言い放ちます。
「戦わずして勝つ。これが”負けない剣”の極意である」。

塚原卜伝は、後に「剣聖」と呼ばれるほどの剣豪ですが、孫子の兵法を体現していたようです。

意外かもしれませんが、有名な剣豪達には似たような話がいくつも残っています。
名が知れ渡り、立会いの申し込みが増えると、それだけ自分の命が危うくなるからです。
危険を出来る限り回避する冷静さも、剣豪の条件の一つだったのでしょう。

これは、現在の日本にも当てはまります

愚かな剣士のように、「かかって来い
」と挑発するのではなく、
「戦わずして勝つ。負けないことこそ最善である」という信念を持ち、
リスクを回避する冷静で賢明な「外交」こそが、現在の日本に必要だと考えます。