主にわたしのつぶやきインスピレーションです。あわよくば詩・エッセイに。気軽に覗いてくださいね。ルールやマナーを守っていただける方なら無言フォロー歓迎です!
もう本を読んだというたくわえ まだ本を読んでいないというたくわえこの二行に支えられた一生
「~さんには、自分で気づいていない魅力があるよ」って言われたらうれしいんじゃないかな本人が気づいていないことがかえって救いになる自分のことをミステリアスな存在に思ったり気づいてくれた相手にも感謝と親近感を覚える?その内容を訊いてみたときどう思うんだろう
信じられたものがのこるphoto wastaken by myself at the Temple of Heaven, palacein Beijing in 20139月のこの日は、雲一つない蒼空が北京上空に広がっており、天への信仰を感じさせた故宮(紫禁城)にて。------------------------------反面、文化大革命により仏教・儒教寺院を徹底的に破壊したことも事実ですが、中国共産党信仰の他に天帝信仰を遺したと言えそう。
煉獄杏十郎が「心を燃やせ。限界を超えろ」と言っていたけれど、換言すれば、限界を超えるためには、心を燃やす必要がある、ということになる。 ※ 行為が伴ってはじめて勇気となる。 勇気とは最高の理性の証明である。 決して感情だけに走ったものではない。 ※礼儀正しい老人は好き。 (どんな老人になりたいかって考えたら礼儀正しい老人かなと) ※ 最後に勇気を出したのっていつだっけ。 ほんの少しの勇気によって世界は大きく変わるというのに。 ※量子論研究してる人っていつも宇宙を感じているかと思うと羨ましい。 ※ 長いトンネルを抜けるとそこは自由の国だった を期待してしまうのは人の基本心理(人の性) ※自分の名前がなくなったつもりで生きてみたら変わるものが何かあるだろうか? 自分にもうひとつの名前をつけるとしたらどんな名前をつける? ※やってるフリというエア作業。上手いに越したことはない。 ※設計された美がないと あるものを収めた言葉が役に立ってこない ※住む町で一番お気に入りの場所が近所にあるという幸せ に気づく。 ※今、書けることは、今まで取得してきたことの最大公約数的な共鳴。 ※ 「そんなに〇〇でなくても幸せになれるはず」 現状はこれを証明できるかのゲーム。 〇〇には、お金持ち、頭脳明晰・優秀、美貌、上流…などが代入できる。 ※強さと優しさは相性がよい。 強さを活かす優しさ、優しさを活かす強さ 足りないものを相互補完する関係。 さらに別の要素が一つ加わるとその人物像に立体感が出てくる。 「面白さ」や「お洒落さ」など。 強さと優しさを兼ね備えた人間性は他者から信頼を得る基礎要素になるだろうか? (”頼りがい”を連想) ※ エロの喜びとは私(など)にエロが許される喜びである。 性的快楽も自由形式を獲得する一つの意味合いがあるかもしれない。 広義に自由の問題とも。 ※お金の呪縛から逃れたいためにお金に拘る(欲しがる)矛盾。 ※ 地べたのところから笑う準備が出来ているような女子がいる。 (いつでも笑いだしそうな…) ※(知らないうちに)記憶にマーキングされている(あの人の)笑い(方)。 ※ 人生を楽しくさせるものは ありがちな質問と意外な答え (おわり)
芝生に仰向けになると青空がひろがっていたことに気づくというの好き
週に一度、美味しいもの発見できたら生活にいいリズム出てきそうphoto taken by myself
わたしにとって旅とは 、全国のどこかを散歩する、世界のどこかを散歩するということ (だ)国境を越えて(また)色んなところを散歩したいphoto by myself in Noritake-no-mori, Nagoya
秘めたおもいを掬い取るのが小説のやさしさ。タブーな関係から生まれた愛を描いた短編小説集でした。(11編) カバー裏(背)表紙の説明文 どうして恋に落ちたとき、ひとはそれを恋だとわかるのだろう。(中略)言葉でいくら定義しても、この地球上にどれひとつとして同じ関係性はない。けれど、ひとは生まれながらにして、恋を恋だと知っている― 世間から認められず秘めたままの想い… この地上にどれくらい存在しているのだろう… (個性ある11パターンのうちの7) ・ 片思いの同性愛(もはや一般的と言える関係か) ・ 姉弟愛(老人夫婦と思っていた姉弟愛) ・ 自己防衛のため殺人を犯したまま秘密を守る二人の愛。 ・ 復讐と三角関係(高校時代の先輩夫婦と後輩) ・ ペット視点からの飼い主への想い ・ 遠い記憶に思いだす誘拐犯との愛 ・ 夫になりそうな(婚姻届けに印を押したが役所に届けていない)同居人の職業を知らないままの関係 など。 (感想1) 正直な”気持ち”を優先させてみると周りの決め事に対し反目が生まれます。 人はいつからか決められた世界の決め事との狭間に摩擦を抱えながら生きているもの。 そういう経験が読者にある限り、この物語に出てくる人たちの気持ちにだって寄り添うことができるのでは…(レベルの違いはあるにせよ) ”関係そのもの”が従来の社会では受け入れられにくいと、摩擦のニュアンスも複雑になることでしょう。 そういうもののために文学が最後の受け皿になります。 (どちらにしても、人生の局面での認識の仕方と行動がその人の人生を形成してゆく…) (読み心地) ・挑戦的なテーマを扱っているとは思えないほどカジュアルな読み応えになっています。 ・ユーモアさやシリアスさがところどころに差し込まれており、メリハリがつけられています。 (感想2)(毎回、似たようなことを書いているかもしませんが…)小説には「こんな関係だってありかも…」と思わせるよさがあります。またその関係の紹介。時には使命と言っていいのかも。 (感想3) 不思議なやさしさというものが作品にあるものはいいような気がします。 「こういう優しさもあるんだな」という学び。 (本の題名について) ところで、ポラリスとは北極星のこと―― 天体のあらゆる星々はポラリスを中心に回転しています。 まさに夜空の中心です。 もしかしたら、誰かが北極星になってしまうことが恋… もしかしたら、誰かが夜空の中心になってしまうことが恋… 人生で、夜空の中心になる人を見つけてしまう、なんて運命を感じさせます。 運命とは安定することなのでしょう。 (まぁ、歯が浮いてしまうような表現と取る方も多い?かと予測されますが…) この表現が比喩として成立可能か直接、北極星に問いかけてみる? ただ、今回の短編のように北極星となったひとたちとの関係が一般社会に認められるものでなかったら… そこにポラリスという孤独なイメージが重なる気がします。 恋をすることにより孤独を感じるようになるとはパラドックスですが、それも恋愛の味わいでしょう。 小説の形をとってはいますが、 様々な関係を扱った恋愛詩と言ってもいいかもしれません。 (おわり)
・恋する人は幸せかと桜を見ながら、ふと考える。 (恋と桜。応じる心のありようは似ているだろうか)・恋の必要条件に胸の痛みはありそう。・勘違いの傑作である。・恋ほど想いを肯定化したものはない。・人は一生のうち平均何回ほど恋をするのだろう?・二人だけの世界観がものごとの優先順位を勝ち取ったもの。・性欲は性欲でも 想い人への性欲は運命感を持った性欲である。・恋愛とは、ただ性欲の詩的表現をうけたもの(by芥川龍之介)・幻想美を現実に。現実を幻想美に。・可能性に賭ける心理。 0.0…1%でも可能性が生まれたときはじめて恋になる説・ 付き合い、個人の世界観が倍になった分、 別かれるときは世界観は一人分に戻る感覚を味わう。・恋をすると自分の醜さを知る。 己の中の独占欲と嫉妬心を知る。 自分が思っていたより狭量な人だったことを知る。 それゆえ美化された恋心にすがる。・独占欲の変形。・(個人的な意見になりますが)現代の恋は比喩が常に不足中。 恋の心理(を個人の妄想)として未開社会のような比喩に囲まれた世界観で描いている。・恋とは人間の原風景である。・一人だけに向けられる美化された性欲である。・一人でも生きていけることが恋を成就させる、というパラドックス。 自立してはじめて、大人の恋ができる。・恋をすることによってようやく人生の表舞台に立てる、ということがある。 (恋をすると人生の舞台に立った気がする。)・相手との時間の共有である。 一緒に並んで歩いているだけで濃密な時間をシェアできるのは恋愛のみである。・ 映画などを観ていると、あらゆる社会的束縛や非人間性が浸透した社会から逃れるための原動力になりうる。・江戸時代などの封建社会では「駆け落ち」するしかなかったわけで、恋が命がけの時代があった。 ひょっとしたら、近未来型(の徹底したAI)管理社会を変えるのは恋の力かもしれない。・坂口安吾の『桜の森の満開の下』 恋の表現として適切か。心理的な状態が似ているか。 実際、桜の森の満開の下を歩いて確かめてみる。 (結果、「性欲」の部分を薄めた恋の感覚が似ているかもしれない…)・恋の比喩として成立するものをもってこい。恋を語るために恋の比喩を集めよう、の所存。 (おわり)
桜を見に来た。ギリギリ間に合った?風が吹くと桜の花びらが舞い散り、それはそれでよかったなぁ。何故か鯉のぼり?菜の花も咲いている。愛知県岩倉市五条川の様子春爛漫 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平世の中に桜がなかったら、そわ そわせわしくせずにのどかで心穏やかにいられたろうなぁ。なんてどれだけ桜を気にしながら生活していたんだろう…桜が散ると、川面や土手や道に桜の花びらが広がりまわりのものも桜色に染まるところがいいです。年々、趣のあるものが好きになってきています。物事の価値を測る物差しが増えたとポジティブに捉えておきます(おわり)
・ 生まれ変わって人生をやり直しても、こんな感じで生きているんだろうなぁ、という自信はある。・ 環境が変わればそこから立ち上がってくる自分も変わるはず。 環境を変えてみることで確かめられることがあるはず。・ 思う、だけでなく、思い当たる ものを増やしていこう。・ 妄想あっての物種。 「辛いとき妄想があるから救われた。」 「妄想があるから生きながらえてこれた。」と思う。・ 妄想が人間らしさをつくる。 『サピエンス全史』は読んでいないけど、ネアンデルタール人は妄想できなかったから滅んだ、と。 一方、(我々の祖先)ホモ・サピエンスは妄想が得意で、様々な抽象概念を生み出していった。社会・愛といった…大量の数の人が共有できる概念を持ち、同じ目的行動をすることが可能となった。また”神”のような形而上学的な存在を集団心理学にした。・ 心の中で何かと何かが打ち消しあってわかりにくくなったものがあるような…ないような…・ 知らないうちに名言言っている人いるなと。・ 夕刻に一日を振り返る大切さを思う。・ ふと、創造神があらわれて、「オウ、イエイ、全てジョークだったのさ!」と言ってくれないかな、と思うことがある。・ 場所を変えないと発動しない思考というものがあるみたい… その場所でしか積み上げられていかない思考形成というか。・ 考えが少しでも進むとテンションは上がる。 考えの進展と気持ちは連動しているんだよね。・ 生きれば生きるほどアホになっていく側面はある気がする。・ 何もしたくないモードがかれこれ2~3時間続いている。 しかし、今日一日振り返ったりしていると、案外、価値ある、有意義な時間かもしれないなと。・ 人生は先天的なものに対する後天的なものの対処。・ 夢見ることがストレス解消になる とか思っちゃう。・ 強めの風が吹いて木々が揺れていると 眺めているだけで 運命の存在を感じてしまう。・ 自由な発想ができる整備された環境こそ尊い。・ 野球のピッチャーとバッターに相性があるように どんなふうに投げてもヒットされてしまう、という人がいる。・ 人には〇〇モードというのがあって、仕事モード、遊びモードなどいろいろだ。モードによってまるで別人格。 置かれた環境の違いが大きいほどそう。・ しかし、もっとかっこよく生きられないかな、と何度も思う。・ デザインを楽しむ心は人を幸福にさせるとデザインを見ながら思う。 この楽しむ心を邪魔するものからどう守るか。・ ほんとうに変わっている人って自分が変わっているってわかっていない とよく言うけれど、 そんな人がわりとふつうに職場で仕事をこなしているのも不思議…・ 「世界を本来の姿に戻すべき」 長期連勤時の頭の中の声。・ ポンコツはポンコツながらも前向きに生きている。 負け犬の遠吠えではない。・ 何もしないことで滋養になる時間かぁ。
作品解説 | Chim↑Pom展:ハッピースプリング | 森美術館 - MORI ART MUSEUM本展は、Chim↑Pomの初期から近年までの代表作と本展のための新作を一挙に紹介する初の本格的回顧展です。www.mori.art.museum
国立新美術館に行き『ダミアン・ハースト桜展』を鑑賞してきました。絵からエナジーを感じます。桜が満開の状態に何を感じるか。たくさん描いたな。オンリーサクラ。これだけの数を描くエネルギーがまず才能。
”自分”を知ることは難しい人は死ぬまで部分的にしか自分を知ることができないその”部分”についてさえ時と状況により変化してゆく知っていることを知っているにすぎない――それが、たとえ自分自身のことであっても人とはそのような存在と言えるイエス様の汝自身を知れ、が身に沁みるのだしかし、知っている程度の内容で存在しているわけではない知っている部分だけが外界と作用し合っているわけでもない知らない部分を含めたまるごとの存在である大きな己が知らぬまに世界と交感している一生、知ることのない自分と世界を通じて共存している、とも言える五感を通してもしかしたら第六感も通してそのまままるごとこの大宇宙と干渉し合っている
全体がつまらないときはおもしろい部分を探し、おもしろい部分を全体として語る部分がつまらないときはおもしろい全体を探し、おもしろい全体を部分として語る。小説をおもしろく語る方法
SNSで実名も容姿も知らない多くの人たちが繋がる世となって久しい。しかし、よく考えてみると我々はいったい誰と繋がっているのだろうーーそして、彼等彼女等と繋がっている自分とは誰なのだろう――。 タブレットや手許のスクリーンの向こうにいる存在である影たち。相手のアカウントにお邪魔し「おもい」や「かんがえ」を拝見し、「いいね」や「リツイート」等する。テキストで会話し、ツイキャスし、とにかくなんらかのつながりをつくっている。 しかし多くのケースできっとお互いに、Who are you―?(あなたは誰?)の部分は否めない。 ひょっとしたら、(自分自身にも)「あなたは誰?」と自身のアカウント名・HN(ハンドルネーム)に感じることがあるかもしれない? 21世紀になって21年以上経年した現在、地球人はネットでお互い本名とは別(人によって複数)の名を持ち交流する。 それは年齢も性別も国籍も超える。 ハンドルネームは、一回きりしか使わないかもしれないし、長く使用したり、途中で改名することもある。ひょっとしたら一生大切にするもうひとつの名(+人格付き)として墓まで持っていくこともある。またネットの中に半永遠に情報として残るとも言える。USBに保存すれば1000年後、誰かがその記録を発見するかもしれない。死ぬまで本名とは別の異名を手離さず別の自分と付き合っていく人もすでに存在しているだろう。 自分の中の複雑性を別個の人格として分人化したり、個人情報の公開に制限をかけることにより逆にある部分の個性に自由を持たせたりする。また自分と自分、もう一人の自分と他者との関係性を整理している。ひと昔前なら複雑な心理は捨て置かれていたが、今や何らかの意味を含ませながら(ある程度)共存可能となった。 (ネットでの関係は解体されることはしょっちゅうだし、再形成されることも頻繁にある)※ ある日、私は街へ出た。いつものように多くの通行人たちとすれ違い、そこにいる名も知らない人たちに別名があることを思う。ひらひらと儚い存在で歩いていく群衆に秘密めいた別の顔があることを思うとぞっとしないでもない。(本人たちも気づいていない。深い人格の世界への窓口かもしれない) それにより表世界とは別の名と性格(当然、振る舞いも)がネットワークをつくるかつてない複雑な関係性の網を抽象化したものが現在の”社会”という概念になる。 「まぁ、これが現在のリアルなんだろうと…」 その繋がりはおそらく大半の人がリアルの中の知り合いにも、恋人にも伴侶にも教えていない。ネットの中にも、あるレベル、ある期間での意思と意思のつながりの保存性がある。 リアル世界のまわりの人たちに知られえない別の世間体が平行して存在しているとも言える。 ※ シェークスピア劇で見られる、変装すると人格まで変わる、というあれを思い出す。(そうでなくては閉鎖的な現実の生活に耐えられないのかもしれないのだが…)人々は、しれっと複数の裏の顔を持ち、今日も私とすれ違っていった。 いや、もしかしたら、ネット上で繋がっている知り合いなのかもしれないが。そうだとしてもそれはまたその人の別の人格なのかもしれない。(おわり)
抽象的で曖昧なものに具体的な納得を断片的で細々したものに抽象的掴みを双方のまめな切り替えにより新鮮な日常をコンパティブルな世界観を日常に
良曲を聴いて素直な心になろう人は素直な心にさせてくれるものを好きになるphoto; unknown, something I forget to take it.
・心が拗ねているときは音楽を聴いているのがよい。一番の薬だ。・最後の晩餐と、最後の音楽はまったく同じ意味だと思う。・よその街のつけ麺屋に小田和正が流れている 歌って聴く場所で印象が違うな。 印象というか感動や感傷の仕方が違う。体調やコンディションでも聴き取りは変わる。 身体的、経験的、記憶的、環境的に聴いている。 一人で食べていたけれどこういうのも音楽鑑賞法のひとつでしょう。食事と音楽のつながりを感じる…なかなか飽きない理由? (詩風) ・ 音楽に戻る時間 ある? こどもの頃は皆音楽的だった。 ほんの短い時期でも ・ こどもの頃の声は 世界が震える振動だったのだ ・ 生まれてはじめて出した声は生の音楽のはじまり・ミュージシャンを推すって自分のセンスを紹介するようなもの。・60年代~70年代の洋楽がBGMで流れるカフェ・レストラン。 久しぶりに聴いてなんだか昔得た感慨を思い出している。 昔のロックの人って、すごく純粋な音で演奏するけど、私生活は ボロボロでひどい。彼らの音楽は、まるで泥沼に咲く美しい 一輪の蓮の花みたいだ。・ダラダラしながら音楽を聴く。音楽だけが規律正しくちゃんとしている感じ。 そういうことはある?・昔、好きだったけど、今は思い入れのなくなった(冷めた)音楽。 なぜ、当時はこんなものに嵌っていたのだろうと訝しがっても 当時その音楽の価値を信じきっていたという紛れもない自分史。・喫茶店で流れてくるクラシック音楽(当然、歌詞はない) 心は人形みたいに操られている気分。・耳心地のよい知らない音楽をかけてくれるカフェにて休憩する。・お洒落で空いているお店の何が悪いと? 離れ小島くらいに客が点在 フランス語の音楽なんかが流れていて 客としては最高ではないかい・いい音楽を探すという人生の一面。・神は死んでも、音楽は生きている。 ・ 酒に酔う 異性に酔う 旅に酔う 昔に酔う 情緒に酔う 音楽に酔う 文学に酔う 詩に酔う 絵に酔う・音楽ってお国柄まで反映している 良質な新曲のなくなった国はなんだか嫌。 元気なさそうだし。・音楽は時代の音となる 音楽を聴くことは音楽の時代性を聴くことでもある・もっと音楽を餌にして生きていく ・ クリムトすごかった 黄金様式、神の如し! 結婚はしなかったけれどモデルたちとの間に14人ほど子供がいた ウィーン分離派 当時のウィーンの雰囲気が伝わってくる 詩人シラーや音楽家ベートベンなど当時の芸術運動の息吹みたいなものが感じられる 稲垣吾郎さんの音声案内 展全体の構成もよかったです (クリムト展にて)・昔の偉大なロックバンドは、10年くらいが賞味期限と言うか。大体、仲間割れするか、 才能を惜しみなく使い果たして解散していった気もする。エネルギーを音楽や周りに ぶつける量が違っていたのかはわからない。今はわりと長めで、音楽(バンド)も 平均寿命のびてるんじゃないだろうか? それは(最高の)音楽を生み出すことにとっていいことなのか。・音楽を聴いているとき思考は宇宙のお祭りに出かけているみたいな。そんな妄想。・音楽の唯一の欠点は、終わってしまうことだ。・ショーペンハウエルは、生とは苦悩であり、音楽だけがこれを忘れさせる、なんて言う。(おわり)
あけましておめでとうございます。2022年(令和4年)が始まりました。今年もよろしくお願いいたします。変わらずののんびりペースになりそうですが、まだまだ続けていく所存です…というかやる気は満々です。(遅筆のため投稿の間隔も開いてしまいます。) さて、毎年恒例の新年の抱負になります。最近、まわりにこんな人が増えたこともあり、その影響かもしれませんが、今年は、色々、笑い飛ばしていきたいにしようかと思います。 中には、自分で話したことを自分で笑い飛ばし完結してしまう人もいて、是非とも見習いたい。ある意味、幸せの秘訣かもしれません。少なくとも自分で(自分に)反応するので、反応(リアクション)してくれる人はいます。そのため、ためらわず話せる機会が増えるプラス効果を期待します… 意図的に顔を笑いの形にするだけで、脳が勝手に幸福だと勘違いしドーパミン(快楽物質)を放出すると言いますし。まさに、笑う門には福、来る。 笑う頻度、笑い方など…人の個性につながるものと思います。 愉しく感じたことは、素直に笑う。微笑みやうっとり笑いも含め、表現として反応してみる。 詰まらない、楽しくないと感じていたら、まずは自分の感受性をチェックしよう。 対象や相手に問題があるわけでなく、こちらの心身が上手く調整されていないだけなのかもしれないですからね。(では、また)