『能力主義は正義か』(マイケル・サンデル)を購入。読了。

 

★★★★★(星五つ)

 

直近四十年で米国が実際に直面した社会(の変化)の実態を的確に批評。

 

 

 簡単にポイントを列挙していきます。

 

 

〇 (2016年、)何故、ドナルド・トランプが大統領に選ばれたのか?

(→保守・右派vsリベラル・左派の政策・思想対立ではなく、教育制度による影響を第一要因とする。)

〇 一流大学が選別装置化。

〇 受験競争の超過激化。

〇 教育費の高騰。先進国の出生率の低下を招く。(→幅広い職種に価値を与え、魅力を感じられるようにすれば、大学など行かずとも、世間からの評価や十分な報酬を受け取れたはず。)

〇 人種・門地に関わらず、皆にフェアな(大学受験の)チャンスを与えるとオバマは繰り返し演説したが、能力のある者だけが救われればよいのか?

〇 社会的流動がある程度、起こる(貴族的世襲制を止める)のはいいがそれだけでいいのか?

 

〇 国内への移民流入・製造業の国外流出のため米国人のブルーカラー層が減少。(1979年~2016年で製造業の労働者1950万人→1200万人)

〇 技術者の労働に敬意を払わなくなった。

〇 バラク・オバマはその解決策として彼等にホワイトカラーになることを促す。

→大多数の負け組(意識)が生成。

〇 ブルーカラー労働者たちの侮蔑と屈辱に塗(まみ)れた感情。

〇 それらの負の感情は、無自覚であっても主に民主党政権(クリントン、オバマ)(+グローバル化推進派のブッシュJr時代の共和党)に放置されてきた。

〇 グローバル化による恩恵をまったく受け取れなかった層の怨恨。

〇 職業に貴賤はない、という労働に対する価値観の崩壊。

〇 新しいエリート層による世襲制とも呼べる現象。

〇 かつてないほど驕り高ぶったエリート層の誕生。

 

 

アメリカの上位100校ほどの難関大学に通う学生の70%超が、所得規模で上位四分の一に入る家庭。下位四分の一に入る家庭の出身者はわずか3%にすぎない。p.241

アイビーリーグの学生の過半数は、最も裕福な上位1%の家庭の出身。

富豪が、大学に多額の寄付金を払っていることで大学が成り立っている事実。その子息たちを優遇。

日本の東京大学においても年収950万以上の家庭の子息が全体の6割を占める(「東京大学学生生活実態調査」より)

 

というデータが揃っていることからも、そもそも本物の能力主義ではない。

 

 ☆エリート達の成功は、当人の能力と努力の成果だけでなく、親の資金援助による高額で優秀な家庭教師、塾の提供、コネ、生まれた環境などに負っている部分がある。これらの要因が大きなアドバンテージとして働いているのは否めない(事実と言える)。ところが、ハーバート大学の学生に成功の理由を尋ねてみると、皆がこぞって自らの高い能力と多大な努力をした結果と答え、そもそも先進国に生まれた運や裕福な家庭環境を理由にする者はほとんどいなかった。(とハーバード大学教授であるサンデルは書いています。)

 

 人々の心理の変化

〇ブルーカラーを見下す傾向。低学歴者を自業自得と判断。

 

〇オバマの8年間における政策で断罪されるべきこと。(過去30年間と見てもいい)

 

 →ありえないほどの格差の広がりがこの数十年で生まれた。

アメリカの1%の大富豪がアメリカ全体の50%の資産を所有している。

 

 お金持ちはより大金持ちに。貧乏人はより貧乏人に。仕事の尊厳も低下。

 

 

 ☆製造業者・工場従業員・中古車販売業者・配管工・ウエイター・ホテルのメイド・清掃員など…どのような職業を生業とする者であっても、自らの仕事に見合った正当な評価を受けられない社会を進歩的、模範的な社会とは呼べない。またそれらの職業を通じて社会貢献している実感、ポジティブなフィードバックを受けられない社会はどこかで健全さを欠いている、と言える。

 

 いわゆる日本でよく言われる「生きにくい社会」を生んだひとつの要因がここに見てとれるのでは。

 そういう歪な社会を無自覚的にであってもつくってしまったこと。

 

 →グローバル化により取り残された人々へのケアがあまりに足りなかった。彼等彼女らの心情を汲むことができなかった。

 

 

 外国から突如やってきた大量の移民たちに、アメリカ社会を構成してきた貢献心からの自負の念と報酬を奪われていく喪失感を止めることができなかった。

 また長年、自分たちの支払ってきた税金が、自分たちや自分たちのコミュニティに正当に還元されないと感じるようになった。

 

 そうした(ブルーカラー層の)大衆心理が、爆発寸前のところまで来ていた。

 

 

 ☆そこに多くのアメリカ国民が(2016年)ドナルド・トランプを大統領に選んだ真の理由がある、とサンデルは書いています。

(2016年に大統領選。2017年1月より大統領就任。)

 

 

では、

 

Q&A; かつてないほど屈辱にまみれた人々を生み出すことになった米国社会を修正するには?

 

労働の意味を考え直す。

労働には、ホネットの言う「承認と評価をめぐる争い」の心理が隠れている。

「労働とは?」を、賃金の価値以外の価値からも考え直す必要。

公共善とは。

正当な意味での富の分配を考え直す必要。

グローバル化の負の面をどう解決するか。

分け前を不釣り合いなまで分捕っている者たちがいる。

 

 

 

 

 ところがこれにとどまらず、さらに恐ろしい最悪の社会実現がある、とサンデルは書いています。それは能力主義(メリトクラシー)が完全なレベルで社会に浸透する社会だと書いています。能力主義が完璧に社会実現化したとき、かつてない非人間的なステイタス社会に生かされることを意味します。(言い訳がまったく通用しない社会というのも恐ろしい。成功も落第も全て自分の能力と努力のみの結果とされる逃げ道のない社会。)

 

 

 余談

 日本社会でよく求められてきた、シニオリティ(年功序列)に対するメリトクラシー(能力主義)の有効性ですが、実はその能力主義が極端に普及した社会とは、(ほとんどの人々にとって、)他のどんな社会制度に属することよりも居心地が悪く、ツライものになる、ということが書かれています。

 

 

 

 

 

 (気がひかれ思わずメモした部分)

最近の歴史的経験から次のことがわかる。洞察力や道徳的人格を含む政治的判断と、標準テストで高得点をとり、名門大学に合格する能力とは、ほとんど関係がないのだ。p.146~147

 

優れた統治のために必要なのは、実践知と市民的美徳、つまり共通善について熟考しろ、それを効率よく推進する能力である。p.146

 

・空虚な政治的プロジェクトにすぎない。

・コネある人々の子弟に下駄を履かせている。p.172

 

最善の生き方に関する論争的な概念に依存しているからだ。p.197

 

能力の専制p.186

 

平等主義リベラリズムは結局のところ、エリートの自己満足をとがめていないことを示唆しているのかもしれない。p.211

 

高等教育がいかに選別装置と化したかということだ。p.226

 

社会的流動性や機会の平等という言葉によって覆い隠されてしまうものだ。p.234

 

世襲特権を持つこうした貴族階級に取って代わった能力主義エリートが、先代と同じように特権を手に入れ、居座っているのが現状だ。p.241

 

必要な能力を欠く者にとっての痛み。p.251

 

ガードナーは、「業績を人間の価値と混同すべきでない」と果敢に主張し~p.252

 

~大学に進学しなくてはならないと信じるアメリカ人が少なからずいれば、まさに意見の一致によって、この一般論が正しいことになってしまう。p.252

 

勝者総取り

 

~連帯と相互義務の感覚を芽生えにくくもする。p.265

 

能力を資格の一基準として扱うだけで、最大化すべき理想としてはいけない。p.267

 

選別装置の出力を落とすべきだ。p.271

 

学歴格差は激化の一途をたどっている。p.285

 

自分の国で異邦人になってしまったようなものだ。p.291

 

社会が労働に名誉と報いをどう与えるかは、共通善をどう定義するかという問題の核心だ。労働の意味を考え抜こうとするなら、道徳と経済に関わる問いに向き合わなければならない。p.292

 

彼らが、直面し、恐れたのは、時代から取り残されることだ。p.294

 

正義にかなう社会は繁栄の最大化を目指すだけでなく、所得と富の公平な分配を追求するという信念だ。p.294

 

賃金は、経済哲学者フランク・ナイトが指摘したように、需要と供給の偶発性に左右されるからだ。p.298

 

消費者であり、生産者であるというわれわれのアイデンティティを仲裁するのが、政治の役割だ。p.296

 

アクセル・ホネット; 所得と富の分配をめぐるこんにちの争いは、承認と評価をめぐる争いと考えると、最も理解しやすいという。p.300

 

2008年には企業利益の30%以上を占めるようになった。p.308 (売り買い目的だけの社会貢献しない投資。株の売り買いのみによる差益。GDPのかさ上げ)

 

所得に占める割合から言えば納める税が最も少なく、経済のパイから不釣り合いに大きな分け前を分捕り、しばしば成長を妨げるビジネスモデルを推進している。p.314

 

悪行税。

 

帰属意識が必要なのだ。自らが恩恵を受けている共同体の一員として自分自身を見ることが必要なのだ。われわれは、他者に依存し、その依存を認めるかぎりにおいてのみ、われわれの集団の幸福に対する他者の貢献に感謝する理由がある。そのために必要なのが、確固とした共同体意識だ。p.315

 

 

 

 (余談)

 渋沢栄一の『論語と算盤』が理解され、自然に取り入れられた日本(今に至るまである水準レベルで浸透していると信じていますが…)の状況は、まだましだと言えます。(日本にはまだその残滓がのこっていると思います。)しかし、それも今後の移民政策や一流大学奨励傾向を見る限り、決して対岸の火事とは言えません。

 

 大学進学費がかかりすぎることで出生率が低くなってしまったことも事実でしょう。そして大学に入るための熾烈な受験競争は存在・継続中です。(テレビ番組も東大生のクイズ王をタレント化する傾向ですが…)

 

 一流大学出身のホワイトカラーだけでなく、あらゆる職業が個性を尊重され正当に社会から評価を受ける日本であり続けてほしい(もちろん、日本にだって職業蔑視はありますが、あくまで他地域と比べるとはるかにまし程度の話です)。

 

 どちらにしても、新しい視点を与えてくれ、現実を知ることができた本でした。

 

 ★★★★★

 

 

(おわり)