現在日本に住む外国人の数は、約288万人。割合としては人口の2%超になります。(2020年統計)

 

 ただコロナ禍の現状では、(コロナ)以前と較べ数字が減少していることが予想されます。

特に留学生や短期の労働ビザ(技能実習生含む)で来日する外国人の数は顕著に減少しているものと想像できます。

 

 288万人

 

 この数字をどう見るべきか。

 

 コロナ前・後、どちらにしても外国人側の観測としてよく言われるのは、(日本在住の外国人の割合は)たった2~3%に過ぎないというものです。日本社会は世界の移民先進国に較べ、移民の受け入れが遅れており、多様性のない(詰まらない?)社会だとしばしば批判されているようです。

 ローマ法王フランシスコが来日した際、日本は(人道主義の立場から)もっと移民・難民を受け入れるべきだ、と発言していました。

(当然、反発として聖職者のトップが他国・他宗教の政治に口出しすることに異議を唱える人も出てきます。)

 

 

 

 

 日本に住む外国人についての日本への批判;例

 

①他地域の宗教、文化に寛容ではない。

②就職や日常生活において日本人と同様の機会を設けられていない。

③言語のバリアーがあることから、日本語習得者以外の人に対して排他的な扱いがある。

④外国人嫌悪(ゼノフォビア)や人種差別は外国の事情でなく日本にもある。(表沙汰にされることがほとんどないだけである。それがまた問題である。)

⑤いまだ海外の事情に疎く、狭く限定された文化・生活空間に縛られている。

 

 よく指摘されるのはこういった事項ではないでしょうか。

 


 では、この島国に何万年と根を下ろし、伝統を築き上げてきた日本人側の見立てでは、どうなるでしょう。

 この2%超という数字(人数に換算すると約288万人)は、果たして多いのか少ないのか。これはいまだ判断が難しい数字に思われます。

 

 288万人という規模は、西日本最大の都市大阪市(275万人)と同等の人口です。大雑把に、大阪市の人口がそのまま、日本に住む外国人の数だとするとけっこうな数のようにも思えます。

 

 大阪市に籍を置く、生まれたばかりの赤ちゃんから亡くなる寸前の老人まで、全てひっくるめた人と同数と思うとなおさらです。

 

それだけの人数の外国人が日本中に散らばり、住んでいることになります。

 

 

 

 日本がガラパゴス的な社会通念に縛られているからこそ日本独自の文化をベースにした社会を築けたという見立てもあります。地理的・言語的な制限が「日本」という固有性を生んだ条件です。その条件の下、歴史を通してグローバル化と鎖国化を交互に繰り返してきた歴史経緯があるからこそ現在の「日本」という特徴があるのだという意見です。

 そのこともまるごと含めた「日本」という伝統をどうするか。それによって育まれた精神性をどうするか。どんなところを維持するべきか改善するべきか。

 

 そのことを決めるには、まず「日本」のことをよく分析・理解しなければならないと思います。浅はかな知識と態度で、日本人特有の精神性に基づいた風土・文化を再生不能にしてしまったら、日本人ではなくなる気がします。それに世界のどこにでもある国となんら変わりないものになってしまうでしょう。

ひとつの伝統とアイデンティティの問題でしょう。

 

 また、外国がそうだったから日本もそうに違いないという安易な認識方法も(よく見られますが)自国への誤認に繋がります。

 

 (世界の文明を八つに分類した書『文明の衝突』(政治学者サミュエル・ハンチントン)にも、日本は他のどの地域の特徴にも当て嵌まらない「日本」という地域で分類されています。

 

日本人ほど日本という概念を知らない民族もいないのかもしれません。

 

 

 また、日本人労働力の不足を補う意味合いで外国人労働者を受け入れざるを得ないという声も聞きます。

 

 日本人労働者が足りないというこの主張も、構造的な問題かもしれません。賃金を適正に上げれば、無職の日本人はたくさんおり、その方たちが働きはじめれば、雇用率が上がる、という意見もあります。

 

 企業側としては、安い賃金で従順に働く外国人労働者の方が使い勝ってがよいため、日本人を雇うよりメリットがあると考えています。そのため日本人の賃金は上がりません。外国とのサプライチェーンとの絡み、グローバル化のあおりを受けた結果です。

 

 また、低賃金の労働者を使うことで経営が成り立ってしまえば、新しいAI化、ロボット化社会の実現を遅らせてしまいます。(19世紀20世紀の中国・インドなどで実際に起きた)

 

 

 

 人口における2~3パーセントの割合は、国が崩れるほどの危機感を感じるのかというとまだそこまでではないようにも見えます。

 しかし、ここ20年間の日本における社会の変化の推移を振り返るだけでも、視界に入る外国人の割合、接する回数が急速に増えたことは肌レベルで感じられるはずです。

 

 2%ちょっと(居住者)と観光客(年間3千万人以上)でこんなに風景が変わる。これも事実です。

 

 

  

 〇日本の都道府県で外国人が住んでいない都道府県はない。

 〇都市部に人口が集まる傾向。(仕事へのアクセスのよさや生活上の利便性からでしょう。)

 

 必然的に、都市に住む人は外国人の姿を見かける頻度が高くなっているはずです。

 

 

 

 では、…

 

 もしこの2%超えが4%になったら…ひいては6%、そして8%になったときの生活実感はどのようなものになるでしょう。

 

 8%だと単純計算で日本に住む外国人は960万人=~1000万人レベルになります。

 

 日本に住む12人に1人が外国人になる社会です。(特別永住者、半永住労働者、既婚者から留学生・研修生まで様々でしょうけど。)

 

 日本人の人口はどんどん減っていくので、10人に一人が外国人居住者になるのもそう遠いことではないでしょう。(これは居住者だけの数字です。外国人観光客は別になります。)

 

 

 このくらいになると、…

 少し、気になる数字…ではあります。

 

 あくまで個人的な意見ですが、さすがにこれくらいになるとかなりの日本人が、気にする数字になってくるのではないでしょうか…

 

 

 そして、

 少なくとも、もう後戻りできない数字と言うものがある気がします。

 

 

 どのくらいが、このもう後戻りできない数字になるのか?

 

 

 4%?6%?8%?10%?…もっと?

 

 15%?20%?30%…?

 

 

 8%10%になると、さすがに日本文化だけの国とは言えなくなっているでしょう。

 

 他国の状況を見ても、移民した後も母国や先祖の伝統・宗教を継承しているコミュニティーが多く見られます。

 

 この流れならば、最終的に日本文化が日本国において各種ある文化のうちのひとつとして扱われる時が来るのかもしれません。

 

 様々なプラス面、マイナス面があるでしょうが、あるレベルで分断が起こることは他国・他地域の前例を見ても間違いないでしょう。

 

 

 仮想として、そのような社会を迎えたときの日本の状況をはっきりとイメージしておいた方がよい時期ではないでしょうか―――

 

 

 そのためには未来社会のモデル予測が必要です。総人口における何パーセントくらいならこれくらいの影響があり、どのような状態になるのか、総合的なシュミレーションをする必要があります。

 

 またその予測ヴィジョンを政府やマスコミは発表しなければなりません。

 

 

 その数字を観たうえで、透明性のある議論が起こり、この国の舵取りを決めるのならよいでしょう。あとになってそんなの聞いてない!という状況にだけはさせてはいけません。

 

 

 

(おわり)