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シカゴ美術館新館のニュース記事

こんばんわ。FishEyeアートです。 おうし座


メトロポリタン美術館に次いで米国で2番目に広い展示フロアを有
するシカゴ美術館の新館がオープンすること、先日、記事を書きま
した。


その、オープンした展示場の、NewYorkTimesの写真ニュースです。↓
http://www.nytimes.com/slideshow/2009/05/14/arts/20090514_INSTALL_SLIDESHOW_index.html?ref=design


 クーニング (スライド2)
 ポロック (スライド2)
 アレックス・カッツ (スライド5)
 ピカソ (スライド6)
 マティス (スライド7) 正面からの写真でないのが残念!
 サイ・トゥオンブリー (スライド4,10)


などなど。


日本でも、こんなWebニュース出れば良いのに、ですね。
その美術展に行きたくなること、まちがいなし。


先の記事、2009.5.3 シカゴ美術館からの情報 は、こちら↓
http://ameblo.jp/fisheye-blog/entry-10253676109.html


フォルクヴァング美術館 その6

こんにちわ。FishEyeアートです。 ワイン


マッケ、エルンスト、マグリット、ダリ、ブラック、グリス をアップしま

した。 やっと、マッケが出てきました。


マッケ 『 帽子店 』 1914


良い作品です。
画像をアップしたいな。


さて、美術館の歴史、その後です。


フォルクヴァング美術館が破壊されてしまった時、作品の避難を行っ
たのは、ハインツ・キューンという人。戦後、美術館の復興において
尽力したのも彼でした。


建物としての館の復興を進めると同時に、コレクションの再構築が
進められ、没収されて失った作品の再購入と、さらに全体を充実さ
せるための収集が行われたのです。


こうして、ようやく、1960年に、復活したフォルクヴァング美術館の

開館となりました。γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


何度も消えかかっては、その時の参加者のパワーによって見事に
蘇るという、希有な運命を背負った美術館です。日本では、いや、

世界中の他の国でも、こんな例は無いでしょうね。



その後も、ロスコやステラなどのアメリカの現代作品、ドイツ表現

主義の作品、そしてマックス・エルンスト等のシュルレアリスムの

品などが拡充されていくことにより、美術館の幅は、より広いも

となっています。



from テート・ブリテン: リチャード・ロング展

こんにちわ。FishEyeアートです。ドリル


■「リチャード・ロング展 ~ 天と地」 開催予定
  場所: テート・ブリテン
  日時: 2009.6.3 - 9.6


 イギリス人現代芸術家。歩いた「跡」の作品や、石を並べた作品
 などで有名です。
 http://www.tate.org.uk/britain/exhibitions/richardlong/default.shtm



しかし、テートの、この紹介は1ページだけです。これでは情報が
少ないなぁ、行ける訳でもないのになぁ。。 などと思われるかもし
れません。


いえ、ご安心あれ。現代作家は自らのホームページで作品紹介

することが多くなっているのでした。^^
http://www.richardlong.org/


FaceBookもありましたよ。
http://ja-jp.facebook.com/pages/Richard-Long/41118084927?v=photos&viewas=0


ウィキには、英語版でも、ありませんでした。:-(



便利な世界になったものです!


フォルクヴァンク美術館 その5

こんばんわ。FishEyeアートです。 霧


シュレンマー、タンギー、ドローネー.R、マネ、マルク、モンドリアン
ルノワール をアップしました。


ルノワール 『 ゲルトルート・オストハウス夫人 』 1913 は、
この美術館の創設者:オストハウス氏の夫人像です。



今日は、美術館の経緯のお話は、1回お休みします。^^;


代わりに所蔵品の一部の展覧会をどうぞ。



ハムレットを演じるフォール AllPosters


 マネ 『 ハムレットを演じるフォール 』 1877  194.0*131.5



ローヌ川の小船AllPosters


 ゴッホ 『 ローヌ川の小船 』 1888  55.1*66.2



アルマン・ルーラン AllPosters


 ゴッホ 『 アルマン・ルーラン 』 1888  65.0*54.0



丘の上の家 AllPosters


 セザンヌ 『 丘の上の家 』 1888-90頃  65.0*81.5


ハーバード美術館HPがリニューアル

こんにちわ。FishEyeアートです。 目


半年遅れで、やっと、リニューアルされました。
http://www.artmuseums.harvard.edu/home/


これまでの良さを残しつつ、より、ブロードバンド対応の
画像たくさんのページ作りになっています。


海外の美術館HPは、どんどん進化していきますね。


フォルクヴァンク美術館 その4

こんにちわ。FishEyeアートです。 ビール


クールベ、コロー、ヴラマンク、マルク、キルヒナー、ノルデ

をアップしました。



さて、この美術館の経緯、続きです。


オストハウス氏亡き後、エッセン美術館のコレクションと統合。

エッセン市民の協力をもってフォルクヴァンク美術館財団も設立さ

れて、ゴーゼブルフ氏を館長として美術館は発展を続けました。


しかし、1933年になると、ナチスはフォルクヴァンク美術館に対して

あからさまに嫌悪感を表明するようになり、そして、ゴーゼブルフ氏

は館長の座を降ろさせられてしまいます。


遂に 1937年に、コレクションの半数以上にのぼる作品が、ナチス
によって 「廃退美術」 として押収されてしまうのでした。


1996年から97年にかけて日本で開催されたフォルクヴァンク美術

館展の図録において、当時の館長:ゲオルク・W.ケルチュ氏は、

巻頭の解説文に、「フォルクヴァンク美術館に由来する重要な作

は、今日世界中の大美術館の壁を飾っている」と記しています。


どの作品が、どこへ移ったのか、興味あるところですが、その弁に
は、歴史とはいえ、強い無念の思いがこもっているでしょう。


そして、とうとう、1944年には美術館そのものが解体されてしまい

ました。


幸いにして、その時点において美術館に残っていた作品は避難さ

れており助かったのですが、フォルクヴァンク美術館が蘇るには、

終戦後、しばらく時間を要するのでした。


続く。



ナチの絵画略奪作戦/エクトール フェリシアーノ


¥3,045
Amazon.co.jp

ユネスコの「世界デジタル図書館」

こんにちわ。FishEyeアートです。黄色い花


先月ですが、ユネスコが 「世界デジタル図書館」 なるネットサー

ビスを開始しましたね。



世界の美術館:FishEyeアート-wdl

World Digital Library
http://www.wdl.org/


世界遺産DBというのでは無くて、世界約20ヶ国の国立図書館な

どの機関が所蔵する資料をネット上で展開したもの。


まだ、掲載点数も、そう多くはなさそうです。


しかし、いつもは意識すらしないような芸術品なども載っていて、
中国の京劇の絵画など、すばらしいですねー。


知識は後から。まずは見て回ることから楽しめそうです。


ノーマン・ロックウェル

こんばんわ。FishEyeアートです。 ひらめき電球


この人、正直、これまで、あまり気にしてなかったのですが、昨日、
TV「美の巨人たち」を見て、公民権運動とも関連のある作品を残

しておられたことなどを知り、興味がわきました。


これから調べてみたいと思います。



Moving In AllPosters

  『 新しいご近所さん 』 1967


Girl at the Mirror AllPosters

  『 鏡の前の少女 』



AllPostersのノーマン・ロックウェル作品一覧 です。

たくさん鑑賞できます。


読者登録ボタン

こんばんわ。FishEyeアートです。うお座


「今日の似顔絵ブログ」の、れれ さんにお願いして しっぽフリフリ

読者登録ボタンを作って貰ったのです。


ページの頭に貼りました。


へへ、良いでしょう。カクテルグラス


みなさんも、こちらのページに、どうぞ ↓
http://ameblo.jp/meca--mera/entry-10261335464.html

フォルクヴァンク美術館 その3

こんにちわ。FishEyeアートです。レンチ


セザンヌ、ファイニンガー、ボナール、ムンク をアップしました。



この美術館とコレクションは数奇な運命をたどっています。


「フォルクヴァンク」という名前の語源は「フォルクファンガー
( Folkvanger)」という言葉であり、それは、ゲルマン神話に出て
くる「衆人の会堂」という意味とのこと。


創設者は、カール・エルンスト・オストハウス氏(1874 -1921)。
当初、自然科学と文化史の資料収集をもって、1902年にハーゲンの
地に美術館が開館されたのですが、その後から、精力的に近代美術
品の収集が進められて今日のコレクションのベースになっています。


1912年時点で、セザンヌやゴーギャン、ルノワールにマティスなどの

作品が所蔵されていたそうですから、イギリスのコートールド氏やア

メリカのバーンズ氏、また、日本の松方氏などよりも、一歩早く収集

を始めていたことになります。


オストハウス氏は1921年に世を去ってしまい、そこで収集は終了し
てしまうのですが、エッセン美術館長であったエルンスト・ゴーゼ

ブルフ氏が、そのコレクションを引き受けることになり、エッセン美術

館のコレクションとマージされることになりました。


と同時に、「工業地帯に美の殿堂を」というオストハウス氏の当初の

理念に共鳴したエッセン市民たちの大きな寄付を得て、収集が拡大

されると共に、新たな美術館の建物が 1929年に開館しています。


当時、「世界一美しい美術館」と言われたそうです。


こうして、並行して20世紀のドイツ近代絵画の収集も進められて発
展していくのですが、時に、ナチスの「廃退芸術烙印」を受けること

になってしまうのでした。。



う~む。。聞くも涙、話すも涙の物語なのであります。。しょぼん

続きは、また、後日に。