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so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、カミさんがついに定年になりました。

 

定年とは正確な表現ではありませんが、今日をもって仕事(図書館でのパート)を卒業しました。

 

カミさんの職歴は、結婚した時は幼稚園の教員→区役所の職員→旅行代理店→花屋でのバイト→銀行の融資担当→図書館

 

こういうふうに結婚後も仕事が途切れることはありませんでした。

 

ぼくとしては、妻が働くことに全く抵抗ありません。

 

むしろ応援したい派です。

 

カミさんの性格として、ぼくに頼らず遠慮なく使えるお金を持っていたかったのでしょう。

 

まあ、独立心が強いとも言えますね。

 

・・・・・・・

 

図書館までは徒歩15〜20分です。

 

わざわざクルマで送り迎えするほどの距離ではないですが、ようやく解放されました。

 

顔見知りになった駐車係の人たちに今日が最後だと伝えました。

 

・・・・・・・

 

以下はカミさん自慢です。(;^_^A

 

彼女はどこへ行っても皆から好かれます。

 

転職した後も多くと付き合いが続いています。

 

退職を伝えたことにより、毎日餞別の品々を抱えきれないほど持ち帰ってきます。

 

普通は皆でまとめて贈られると思いますが、一人一人から個人的にもらうのです。

 

最終日の今日はもちろんのこと、お別れ会を何度も開いてもらっています。

 

何ででしょうね?

 

決して愛想のいい人間ではありません。

 

人に対する好き嫌いははっきりしています。

 

合わない人とは距離をきちんと保ちます。

 

人の悪口は滅多に言いません。

 

会話をしていると、想定外の答えが返ってきます。

 

ウイットも忘れません。

 

ですから、飽きない。

 

結局のところ頭がいいんですね。

 

いつのまにか周囲に人が集まってきて、いつの間にかその中心にいます。

 

以上、ぼくとは180度人間の出来が違うカミさんでした。

 

長い間ご苦労様でした。

 

これから自由な時間が余るほど増えますが、ぼくと一緒に旅行は全く考えていないでしょうね。(ーー゛)

 

 

・・・・・・・っということで、昨夜のサッカー日本代表のボリビア戦を見ました。

 

昔と比べずいぶん選手たちがタフになっていることに驚きました。

 

以前は体格(体幹の強さというのかな)で明らかに負けていた。(フィジカル)


自陣でパスを回しているばかりで、攻めの姿勢が見られなかった。(タクティカル

 

あと気づいたのが、喧嘩になりかねない場面でも、さらっと受け流していた。(メンタル)

 

これらがずいぶん磨かれたのは、海外クラブで活躍する選手が増えたのがその原因だろうと思うけど、森保監督の存在が大きいと思います。

 

正直言って、彼の外見はパッとしませんよね。 

 

指導者としての森保氏の能力を分析すれば、これからの日本の「指導者像」が浮かび上がる気がするのですがどうでしょう?

 

ぼくが見る限り、彼には「カリスマ性」がありません。

 

今までの指導者(総理大臣でもそうですが)に求められるのは常に「カリスマ」です。

 

カリスマを身につけるのは難しいし、それを求めるのはずいぶん無責任だし、あるいは身につけようとするのは無駄な努力だと思うんですけどどうでしょう?

 

そんな掴み所ののないカリスマを求めず、自分なりの指導者の資質を森保氏は磨いたんじゃないかとぼくは分析します。

 

彼が監督に就任したのが2018年。

 

昨日100戦目だったそうですが、通算成績は69勝13引き分け18敗で勝率79.2%なんですね。

 

これってずいぶん立派な数字じゃないですか。

 

就任時にポイチ(森保一監督のあだ名)と呼んでいた連中は何と言うのでしょうか。^m^

 

ぼくは彼の能力や人となりを云々できる知識も資格もありませんが、彼を分析すれば「日本の指導者像」が明確になると信じて疑いません。

 

 

 

・・・・・・・っということで、資本主義と民主主義をゴチャ混ぜで書いています。<(_ _)>

 

前回は共産主義(社会主義もゴチャ混ぜです(^^ゞ)の欠点を挙げました。

 

それに対して資本主義の強みは何でしょう?

 

多様性を認めること(トランプは違いますが)、自由な競争を許すこと、批判を許容することによって自己修正機能が期待できることです。

 

民主主義も自己修正機能が期待されています。

 

それは、選挙による政権交代、言論の自由、多様な立場からのチェック機能、三権分立というシステムがあるからです。

 

資本主義の自己修正能力とは、競争によって不正が淘汰される、市場が失敗を調整する、古い産業は淘汰され新陳代謝が起きることです。(淘汰される方は辛いですが。)

 
では、これらの自己修正機能はどうすれば成立するのでしょう?
 
「共通の事実」があるからこそ成立するのです。
 
しかし現代は、その「共通の事実(ベース)」が揺らいでいます。

 

SNSに仕組まれたアルゴリズム、フェイクニュースなどによってエコーチェンバーや陰謀論が罷り通るようになり、有権者が異なる事実の中を生きるようになったからです。

 

もはや「事実に基づく議論」が成り立たなくなってしまったのです。

 

これが民主主義の危機です。

 

現代はマルクスが予言した通りになっているのです。

 

グローバル資本、巨大企業(GAFA)による寡占、不動産価格の高騰、医療・教育の高コスト化、中間層の解体がそれです。

 

これらによって、富の偏在が極端に進んでいます。

 

その結果、経済政策が政治の人気取りに堕してしまっているのです。

 

いわゆるポピュリズムですね。

 

こう見ていくと、トランプ現象そのままですね。(ーー゛)

 

いろいろ問題のある人物ですが、時代を象徴しているとも言えるのです。

 

いま社会は不満だらけです。

 

物価高騰による生活苦は極端な貧富の差を生み、一握りの富裕層がますます肥満化しつつあるのが現代の社会です。

 

社会をまとめようにも「共通の事実」が失われてしまっているのですから、「自己修正機能」が上手く働くはずがありません。

 

そうなると、「共産主義(社会主義)」が魅力的に見えます。

 

何たって目指しているのが私有財産の否定、完全なる平等、貧富の差のない労働者のための社会であって、それは計画経済によって実現すると説いているのですから。(究極的には国家を否定しているんですヨ。)

 

共産主義がどういう運命を辿ったか、例を挙げるまでもないのです。

 

ですから、ぼくたちはどうしても民主主義を死守すべきなのです。

 

そのためには、自己修正機能が正常に働くようにしなけらばならないのです。

 

どうやって?

 

民主主義の基本は「共通の事実」を持つことです。

 

じゃあ「事実って何なんだ?」となりますよね。

 

これは国民の事実を見る目を養うこと以外にないのです。

 

ここで、悲観論と楽観論に分かれます。

 

ぼくはどちらかというと悲観論なんですね。(;^_^A

 

ぼくの人生は残り少ないですから、これからの民主主義に期待を持ちながら死にたいと切に願うのであります。

 

 

 

・・・・・・・っということで、丘陵地帯の生活っていいですね。

 

別荘の裏山(丘)に登ればすぐこんな散歩道になります。

 

 

東京の自宅は平坦な住宅地ですから、このような自然の中のアップダウンする散歩道など望めません。

 

いつも杖をつきながら歩いていますが、その杖をブンブン回しながら歩きます。

 

蜘蛛の巣を避けるためです。^m^

 

60年以上前の記憶を辿りながら歩きます。

 

銀杏が色付いています。

 

 

バンチに腰を下ろし、上を眺めるとこんな感じ。↓

 

 

帰宅するなり湯船に浸かります。

 

ここにいる間は、朝、昼、夕方そして夜の4回風呂に入ります。(^^ゞ

 

・・・・・・・

 

掃除ってめんどくさいですね。

 

掃除機をかける間隔がどんどん伸びていきます。

 

手間を省くためにコロコロ粘着ローラーを買いましたが、これって役立たないですね。(ーー゛)

 

 

 

絨毯の上で転がすと、あっという間に使えなくってしまう。

 

粘着層を剥がせばいいだけなんですが、何回も取り替えなくちゃならない。

 

やっぱ、スティック式の掃除機を買おうかな?

 

これまで3台買っていますが、吸引力が弱くすぐ壊れてしまいます。

 

もう一つはフローリングワイパーで、こういうやつ。↓

 

 

これも使い勝手が悪い。

 

ウェットシートがすぐ乾いてしまう。

 

ぼくはケチなので、表裏をひっくり返して使うのですが、これも取り替えるのが面倒。

 

そこで、湿り気を回復するために水のスプレーを吹き付けることにしました。

 

100円ショップでこういうのを売っています。↓

 

 

最初はペーパーに吹き付けていましたが、床に直接噴霧して、ワイプするのです。

 

これは便利な使い方ですよ。(^^)/

 

えっ?そんなこと常識だって?(;^_^A

 

まあ、そんな感じで細々と生活を工夫しています。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、高市首相が就任の時に発した「働いて働いて働いて働いて働きます」が今年の流行語大賞の候補の一つに選ばれていますね。

 

その前に、「私自身がワーク・ライフバランスという言葉を捨てます」と発言しているのですね。

 

ワーク・ライフバランスとは、読んで字の通り公私の調和をとることです。

 

高市さんは要するに、プライベートは捨てて自分に与えられた仕事(総理大臣職)に専念しますと宣言したんですね。

 

一方政策の中に「議員定数削減」を盛り込んでいます。

 

彼女は多分意識していると思いますが、「働きまくる」とこれは強く関連しています。

 

「議員定数削減」はとても耳障りのいい言葉で革新的に聞こえますが、「多い少ない」の基準が極めて曖昧です。

 

議員数を減らすことによって「民意」が正しく反映されなくなっては、問題の本質からズレてしまいます。

 

この言葉が刺さる理由は、国会で居眠りしている議員を見せつけられるからです。

 

選挙の時は調子のいいことを言っていたくせに、特権意識丸出しで威張っているだけじゃないか。

 

国民のことはそっちのけで、せっせと裏金作りしてやがる。

 

・・・こういう怒りが背景にあるのです。

 

だったら、議席を減らせば必死に働くんじゃないかという理屈です。

 

ちょっと考えれば、変だなと気づきます。

 

仕舞いには、日本と他国に比べると議員の数が決して多くないじゃないかと、いつのまにか「数の理論」にすり替えられてしまいます。

 

本質は何かというと、「議員はちゃんと働いてくれ」なのです。

 

だから、高市さんの言葉に繋がるのです。

 

議員の任期はたったの4年間です。

 

その短い期間くらい、プライベートは横に置いて働きましょうヨということなのです。

 

ぼくは議員の数を減らさなくとも、働いてくれればOKと考えています。

 

これより大きな問題が見逃されているのが気になります。

 

それは、「公務員の数が多すぎる」という問題です。

 

いうまでもなく、公務員は「税金」によって養われて(?)います。

 

公務員の数が増えれば増えるほど税金が使われていくのです。

 

ぼくが経験したことですが、彼らは一度確保した仕事は絶対に手放さないのです。

 

それどころか、その仲間を増やすのです。

 

やり口は実に巧妙で、気づいた時はそれを削減するのは至難の業です。

 

国会議員の話題に戻しますが、閣僚は働かずとも「官僚」たちが働いてくれます。

 

多くの大臣は官僚を使うのではなく、使われているのです。

 

だから何の知識も能力もない議員が大臣になっても、何とか務まるのです。

 

官僚の下には夥しい数の公務員が控えています。

 

ぼくの目には、これら公務員の数のほうがよほど問題に映ります。

 

では、どうすべきか?

 

公務員の助けを借りずとも、議員自ら働いて働いて働きまくってもらうことです。

 

そして、大臣に就任にした暁には、官僚を上手く使いこなして欲しいのです。

 

たった4年ですよ。

 

居眠りする暇ないでしょう。(^^)/

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、中国が出すサインを真に受けてはいけません。

 

いま問題になっている高市総理の「存立危機事態になり得る」発言に対する中国側の反応に日本中がビビっているように見えます。

 

ほとんどの日本人はこれは「外交問題」と捉えていますが、実は中国の「国内問題」なのです。

 

誰も言わないので、ここではっきりさせておきます。

 

韓国もしょっちゅうこの手を使い、日本はいつも騙されています。

 

彼らは歴史を自分の都合の良いように曲解して正当化します。

 

曰く、「日本は我が国を侵略した」というアレです。

 

この話は長くなるので止しておきますが、いつまでも加害者意識で歴史を見るのは間違っているし、我が国にとって百害あって一利なし。

 

自ら弱点を作り出しているだけです。

 

えっ?違うって?

 

交通事故を起こした時の過失割合と同じく、どちらかが一方的に責任があるわけではないでしょう?^m^

 

今回の高市答弁は当たり前のことを言っただけで、常識の範囲内です。

 

もし、トランプが同じことを言ったら中国はどう反応するのでしょうか?

 

アメリカは台湾に武器輸出しているんですよ。

 

もし、駐アメリカ領事が「(トランプの)汚い首を切ってやる」と投稿したらどうでしょう?

 

中国がことさら問題化するのは、中国国内に問題があるからです。

 

国内の不満、あるいは不安を国外に目を逸らすのが目的です。(共産主義国家の常套手段です。)

 

この手にいつも引っかかるのがお人好しの日本なのです。

 

日本への渡航自粛など大した対抗手段ではありません。(インバウンド需要に頼るという考え自体が間違っていますが。)

 

日本のビビり具合を見て、さらにエスカレートさせるチャンスを窺っているのです。

 

彼らの国内問題を外交問題と信じ込むのはもう止しましょう。(^^)/

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、ニューヨーク市長に当選したマムダニ氏のことをトランプは「共産主義者だ」と決めつけていますね。

 

マムダニは共産主義者でも社会主義者でもなく「民主社会主義者」を自認していていますが、トランプはその違いなんか知らずに発言しているでしょうね。

 

彼の頭の中では社会主義=ソ連、共産主義=中国すなわち「悪」と刷り込まれているはずです。

 

ぼくは共産主義や社会主義の基本的な理念って、そんなに悪くないと思っています。

 

ある種の理想論で、実際には実現できない論理だと自分では解釈しています。

 

なぜなら「党は間違わない」ことを前提としているからです。

 

党って何だ?は別にして、結局は人間の集まりですから、間違わない人間なんかいないですよね。

 

それでも前提は変えられないから、間違わない強い指導者が必要となって、神格化せざるを得ない。

 

神は間違わないことになっていますから。^m^

 

当然、間違いばかりをする。

 

違いを指摘する者の口封じをしなければならないので、指導者は独裁的にならざるを得ない。

 

定期的に間違っていないことを証明しなくてはならない宿命を背負うので、敵(=外国)を想定して過激な態度をとって不満をそちらに向ける。

 

だから過激な発言をし、過激な行動に出る。

 

それを実行するには力、すなわち軍隊を増強せざるを得ない。

 

大雑把にぼくはそう解釈しています。

 

今回、中国の高市首相発言を叩くのを見れば分かりますよね。

 

マルクスの資本論がそのバイブルだと思うのですが、資本家=資本主義=富の偏在の欠点を指摘していること自体は間違っていません。

 

資本論を齧ったこともありませんが、ぼくの解釈はそんなに間違っていないはずです。

 

次に、民主主義はどうなちゃうのかを考えます。

 

・・・つづく。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、大人向けの寓話です。

 

 

時代設定は、19世紀頃のフランスです。

 

現代の設定でもできないことはないでしょうが、あくまで寓話ですので、時代がかったほうがいいでしょう。

 

理想家の貧乏青年が自分の本を出版しようとしますが、夢が叶わず自殺しようとします。

 

偶然入店した骨董屋で、望んだことは何でも叶う(羊の?)皮を手に入れます。

 

望みが叶う度に皮が縮んでいき、その分だけ自分の寿命が短くなるという代物です。

 

まあファウスト的な、悪魔との契約ですね。

 

若者が望むであろう欲望が次々に実現していきます。

 

お分かりのように、人間にとって本当に大切なものは何かを考えさせる仕組みです。

 

予想通り、自分を愛してくれた女性がいて、彼女の本心に気づいたときはもう手遅れで死から逃れられない状態になります。

 

彼女の幸せを望むということはすなわち自分の欲望なのですから、革は容赦無く縮んでいきます。

 

さて、こういう寓話をどうやって終わらせるか?・・・そこが見どころです。

 

ハッピーエンドで終わらせるか、それとも悲劇で終わらせるか?

 

最後までもて遊ばれます。

 

どういう形で終わるかは見てのお楽しみ。

 

青年が最後に願ったことは一体何だったのでしょう?

 

・・・・・・・

 

後で知ったのですが、これには原作があり、何とバルザックの「あら皮」という小説なのです。

 

どおりで変な題名ですね。

 

思いがけず拾いものの映画ですヨ。

 

★★★★☆

 

 

 

・・・・・・・っということで、中国の領事が日本に対して看過できない発言をしましたね。

 

その流れでその領事を「ペルソナ・ノン・グラータ」に指定し、国外退去させるべきだという意見が出ています。

 

過去において、ぼくはペルソナ・ノン・グラータのレターを受け取ったことがあるんですヨ。^m^

 

ペルソナ・ノン・グラータ(Persona non grata)はラテン語の外交用語で、意味はperson not welcomeです

 

そのレターを受け取った(若き)ぼくは、全く意味を知りませんでした。

 

入社してすぐイラクに2年間派遣されたことはすでに触れましたが、目的は日本のODAによるインフラ工事に従事することでした。

 

当時は日本の企業は無謀にも海外工事に積極的だったのです。

 

工事の出来具合を監督するインスペクター(検査官)はイラク人でした。

 

彼らは軍人で、工事について全く知識がありませんでした。

 

問題は彼らが自分の権威を見せつけるために、簡単にいえば、日本人をいじめたのです。

 

勝手に自分たちの基準を作って、難癖をつけたのです。

 

彼らがOKを出さないと工事が先に進まないので、ずいぶん苦労させられました。

 

見かねたぼくは、インスペクターの一人に「君たちは日本から技術を学ぶべきだ。僕らはそれを君らに教えるために来たのに、学ぼうとする体制ができていないではないか」と言ったんですね。

 

それは全くの正論でしたが、彼は怒り狂ってついには「オマエらは奴隷だ」と言い放ったのです。

 

イラクはイギリスの支配を長く受けていましたが、特権階級意識というイギリスの悪い面を強く受け継いでいました。

 

権力を持った途端、威張りまくるのです。

 

そういうことで、ぼくは彼らからペルソナ・ノン・グラータという名誉ある称号を得る結果となったのです。

 

もちろんのこと、ぼくは追放なんてされませんでした。

 

あくまでも外交上の用語であって、彼らごときが使うものではありません。

 

滑稽でしょうこの話。

 

ぼくのような若造に対して大袈裟ですよね。

 

ぼくは名誉なことだとして、レターを壁に飾ったのでした。(^^)/

 

ペルソナ・ノン・グラータという言葉を久しぶりに聞いて、懐かしく思い出したというわけです。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、別荘がある丘から長い坂を下ったところにジョナサンがあります。

 

反対方向に下ればガストがあります。

 

ここの立地は、案外スカイラークグループに恵まれています。(^^)/

 

スカイラークグループといえば「ハッピーアワー」。

 

何と10時半から始まります。

 

今日はガストより若干安いジョナサンへ。

 

ビールを2杯をオーダーし、1杯を一気に飲み干し、今日のランチが出てくるのを待ちます。

 

次の1杯をこれをつまみに飲みます。

 

ランチセットだけでは足りないので、ポテトフライを追加します。

 

 

毎回ランチに3,000円以上を使いたくないので、メニューを隅々までチェックし、一番コストパソーマンスのいいコレにしました。571円(税込)

 

 

このデカンタで2杯分です。

 

 

60歳以上(5%)割引クーポンを使って2240円(税込)でした。