・・・・・・・っということで、ぼくが中学生の頃、「女体の神秘」という映画がありました。
タイトルだけを見ると、いかにもエッチな映画のようですが、実際は極めて真面目な科学映画でした。
もっとも、その誤解のおかげで思いがけずヒットした、という話も含めてよく覚えています。^m^
当時のぼくの率直な感想は、「これは全人類が見るべき映画だ」というものでした。
特に男性は見るべきだ、と。
理由は単純です。
これほどまでに複雑で、繊細で、奇跡のようなプロセスを経て人間が誕生することを知ってしまったら、殺人などできるはずがない、そう思えたからです。
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時代は進み、NHKで「3か月でマスターする人体」という番組が始まりました。
その第一回を見たとき、ぼくは半世紀以上前に見た「女体の神秘」と驚くほど似た感触を覚えました。
もちろん科学は飛躍的に進歩しています。
母体にとって“異物”である胎児に、どうやって栄養が届けられるのか。
DNA、iPS細胞といった最先端の知識が、当たり前のように提示されます。
それでも、番組を見終えたあとに残った感情は、昔とまったく同じものでした。
「これだけのプロセスを経て生まれてくる存在を、どうして殺せるのだろうか?」という疑問です。
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以前のブログで「大人になってからの性教育」について書きました。
女性の卵子は生まれた時点で数が決まっており、あとは減っていくだけ。
一方で男性の精子は、新しく作られ続ける。
この事実を知ったとき、少し大袈裟かもしれませんが、ぼくの人生観は確実に変わりました。
生命とは、決して対称でも平等でもない。
そのアンバランスの上に、かろうじて次の世代が成り立っている。
そうした感覚を土台にしてウクライナ戦争を見ると、暗澹たる気持ちになります。
爆発する戦車。
その中にいた乗員はどうなったのか。
リアルタイムで伝えられる銃撃戦の緊迫感。
ドローンが捉えた、死の直前のロシア兵の表情。
現代は、戦争のリアリティがこれ以上ないほど可視化される時代です。
「戦闘とは何か」を、否応なく突きつけられる。
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それでも、です。
こんな愚かな殺戮は止めなければならない、という方向には必ずしも向かわない。
むしろ、それらの映像にカタルシスを感じてしまう人間がいる。
ここに、ぼくは強い違和感を覚えます。
人間は、生命の誕生を知らなすぎるのではないか。
いや、人間という言葉では足りない。
生命そのものの神秘を、知らなすぎるのではないか。
もし本当に、一つの命が生まれるまでにどれほどの偶然と犠牲と精緻な仕組みが重なっているのかを、心の底から理解できたなら、この世界の殺戮は、ほんの少しでも減らせるのではないだろうか。
そんな、半世紀前から変わらない問いを、ぼくは今も手放せずにいます。

