ほたるいかの書きつけ -54ページ目

『靖国 YASUKUNI』

 映画の内容についてはすでにあちこちに評が出ているのでここでは論評を控える。一言だけ言うならば、淡々と騒々しさを描いた、という感じだろうか。
 というわけで、観ながら思ったことを少し。ネタバレを含みますが、映画の内容からして構わないでしょう。

 すでに幾つかのエントリでも触れたように(ここここここ )、この映画は劇場公開前に政治家が試写を求めたことによって公開が危ぶまれた。事実上の検閲が行われたわけである。もしこの映画が30年前に作られていたら、むしろ右翼映画として糾弾されていたのではないか。それぐらい、靖国に来る右翼的な―本人にその自覚があるかどうかは別にして―人々を淡々と描いているのだ。それなのに、「靖国派」とも言われる連中がこの映画を恐れた理由はなんなのか。
 もちろん中国人監督が政治的に微妙な位置にある靖国を題材にしたというただそれだけで彼らの(ある種の)恐怖心を煽ったのは確かだろうし、そういう記号的な部分で反射的に反発したというのが大きいだろう。だが、それだけだろうか。
  
 彼らは、靖国に来る人々の姿を見て、靖国を賛美することのグロテスクさに気づいてしまったのではないか。 
 形式的な意味でのグロテスクさは、軍服で行進し参拝する団体に象徴されよう。ポスターにもなっている、拍手を打とうと両手を広げている若者もその一人だ。映画では他にも何団体もが軍服を着込み日の丸を掲げラッパで行進する人々が出てくる。
 また、星条旗を掲げつつ、小泉を支持すると日本語で書いたプラカードを持つアメリカ人も出てくる。数人の日本人がそれに感動し、ビラまきを手伝ったりもする一方で、別の日本人たちが星条旗というだけで反射的に「帰れ!!」と叫ぶ。無論、戦争中にどのような目に合わされたかで星条旗やアメリカ、アメリカ人に対する感情は変わるだろうから、それについて私がどうこう言うつもりはない。ただ、その態度がグロテスクなのだ。
 さらに、式典を行っている団体が君が代を流している時に、靖国に反対する若者が乱入してくるシーンがある。彼らはつまみ出され殴られるのだが、その際執拗に「中国人帰れ」みたいなことを言われ続ける(実際は日本人なのだが)。その様子がまたグロテスクだ(抗議した若者についても、そう言えるかもしれないが)。
 そして、小泉のインタビューも出てくる。参拝は心の問題だ、なぜ近隣諸国に文句を言われるのか、日本の内部で文句を言われるのかわからない、と言ってのけたアレだ。そんなこともわからないなんてなんてバカなんだ、と思うわけだが、それがデカデカと映し出される(それについて、映画の中での論評は一切ない。ただ映し出されるだけである)。
 つまり、「普通の」感覚で見れば異様としか言いようのないシーンが次から次へと映し出されるわけだ(これを異様と感じるのは、もしかしたら少数派なのかもしれないのだけど)。そして、この映画を批判した議員たちは、自分たちもまたその一員であり、客観的にはそのグロテスクさを自分たちが持っていると感じざるを得なくなった、あるいは自分たちが批判されたと感じた―というのは考えすぎだろうか。

 一方、主人公である刀匠は、まさに職人、という趣で、淡々と自分の仕事をこなしている。良くも悪くも職人だ。この人に直接質問したという議員は一体なんなのか。そのメンタリティは、端的に言って、おこちゃまである。中二どころじゃない。小学生にすらなっていない。

 この映画、いいとも悪いとも言い難い。ここで描かれたことから何を読み取るかは、観た人の知識や考え方に大きく依存するだろう。ただ、今の日本で、毎年、この光景が繰り返されている。このことは、知っておいたほうがいいのかもしれない、と思う。

***

 上映開始30分前に行ったのだけど、その時点であと5,6席程度であった(100人ちょいのスクリーン)。立ち見の人もいました。年配の人が多かったのも特徴かな。何を考えながら観てたんだろう、そんなことも気になりました。

レイコー

 「おーい、レイコー、お茶ー」でもなければ、
 「きゃー、レイコー、ひさしぶりー」でもないです。
 ましてや、あの「黎紅堂 」(あるいはコレ 。一瞬、亀@渋研Xさんのページかと思った^^;;)とも関係ないです。

 関西方面に出張に行ってまして。とある大阪の喫茶店に入ってモーニングを食していたのですよ。そこはオッチャンたちが入れ替わりたちかわりやってくる地元に愛されてる店のようだったんですが、たまたま私の隣にやってきたオバチャン二人連れが「あたしレイコー」と。関西人にしかわからないかもしれませんが、「冷コー」、つまりアイスコーヒーのことです。
 私は関西人ではないのですが、学生時代から10年ほど住んでいたもんで、エセ関西人のようになっています。が、大阪を離れてだいぶたつので、すっかり「冷コー」という言い方自体を忘れていたのでした。
 なんかもう嬉しいような懐かしいような、で、笑いこらえるのに必死で。(^^;;
 でも関西はいいですよね。喫茶店文化がいまでも息づいてて。

 さて、今回の収穫(本業以外)。
 ・映画「靖国」を見た(別エントリをあげる予定)。
 ・「水伝4」と「Hado」6月号をゲット。

 さすが大都市(?)というか、「水伝4」は多くの書店で平積み状態。いや、悲しい話ですけども。でも、どこも「精神世界」コーナーにあって、科学書のところではなかったのが救いか。
 「Hado」のほうは探すのに苦労しました。どこ行ってもなくて、最後、伊丹空港に戻るのに梅田に寄って紀伊国屋に行こうと決意したんですが(あそこならあるだろう、と)、探してもない。諦めてエスカレーター上がって切符を買おうかと思ったんですが、飛行機の時間まで少し余裕があるし、ここは行くべきだろうと旭屋まで早足で行きました。うん、さすが旭屋。3冊だけありました。嬉しいような悲しいような。(^^;;

 というわけで、いづれこれらの紹介もしたいと思います。が、ちょっとここんとこ忙しいので、もうしばらくしてからになるかもしれません。中途半端に忙しいと逃避するので(本気で忙しいと逃避もできない)早目に何か書くかもしれませんが。
 でも、早くコメントしたいトンデモ本もあるんだよなあ…。世にトンデモのネタは尽きまじ。

秋葉原無差別殺傷事件に関連して

 色々報道がされていますが。

 多くの方が指摘しているように、今回(も)その報道には多くの問題点があると言わざるを得ない。事件の背景について断片的な情報しか明らかになっていない段階でさもわかったかのように言うのは事件の解明の社会的な意味を曇らし大きな問題がある。

 例えば、断片的な報道の見出しから、こういうこも言えてしまうだろう。

 「「親とうまくいっていない」 加藤容疑者、孤立深める?」(『朝日』6/11 3:08 )
 親とうまく行っていないから事件を起こしたんじゃないのか?(そんなヤツはどこにでもいる)
 「「仕事でむしゃくしゃ」加藤容疑者、事件前に職場で激高」(『朝日』6/10 11:35)
 激高するぐらい仕事にむしゃくしゃしてたからじゃない?(激高までいかなくとも仕事にむしゃくしゃしてるヤツは山ほどいる)
 「一昨年、友人らに自殺ほのめかすメール 秋葉原事件」(『朝日』6/10 8:19)
 一度でも自殺を臭わすような言動をするくらいだから、自暴自棄になっても不思議じゃないよね?(何年も前の言動が直接関係あるか!)
 「「おとなしくて無口」加藤容疑者を知る人々 秋葉原事件」(『朝日』6/9 19:06)
 無口なヤツは何をしでかすかわからないよねえ?(じゃあどうすりゃいいのだ!?)
 「加藤容疑者「車で多額の借金」、リストラ情報でも不安」(『読売』6/12 3:03)
 多額の借金で自暴自棄になったんじゃない?(大勢いるぞ)
 スポーツカーなど乗り回してるヤツは殺人したっておかしくないよね?(おかしいおかしい)
 リストラに怯えてたらやりかねないよね?(リストラに怯えてる人一体どれだけおんねん)

 まあおそらく先の見えない派遣人生に絶望して自暴自棄になった+本人の特性+ナイフに興味が行った、というあたりなのだろうけれども(これも断片的情報からの推測にすぎないけれども)、報道の一部を適当に組み合わせればどんな滅茶苦茶な理屈もつけられてしまうことにメディアの人々はいい加減慎重になるべきなんじゃないだろうか。


 さて、対策として早速ナイフが槍玉に上がっているようだ。それはそれとしてやればいいと思うけれども、それだけでは全然解決にならないだろう。ナイフを規制したところで別の凶器に行くだけだからだ。
 生活が厳しく、先の人生に展望が持てなければ、誰だっていやになるし、自暴自棄にもなろう。だから、凶器の規制はあくまでも対処療法的なものと心得るべきで、、この手の事件を減らそうと思えば、自暴自棄になる人を減らさなければならない。

 それについて興味深いデータがある。
 アメリカ合衆国は周知のとおり一般市民の銃の保有率が世界一だ。それに伴って、銃による殺人事件が多い。マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」を挙げるまでもないだろう。そして、銃による殺人を減らすため、銃の規制を求める人々と、全米ライフル協会を中心とする銃を保有する権利を求める人々との間で激しい対立があるのもよく知られるところだ。
 さて、銃の保有率の多い国はアメリカ以外ではどこだろうか?
 少し前に話題にもなったので御存知の方も多いかもしれない。スイスのジュネーブ高等国際問題研究所(The Graduate Institute of International Studies in Geneva )による小型武器に関するプロジェクト、"Small Arms Survey "2007年版によると、100人当たりの銃を保有している人数は以下のようになっている。
  1. アメリカ合衆国 90人
  2. イエメン 61人
  3. フィンランド 56人
  4. スイス 46人
  5. イラク 39人
  6. セルビア 38人
  7. フランス 32人
  8. カナダ 31人
  9. スウェーデン 31人
  10. オーストリア 31人
以下、ドイツ、サウジアラビア、…と続く(Small Arms Survey サイト内のグラフ[PDF] より。AP通信によるグラフかな?元記事が見当たらなかったが、書籍を買わないと見れないのだろうか?)。アメリカがダントツではあるが、それを除くと、実は、平和なイメージの強い北欧のフィンランドやスウェーデンが結構な上位に入っているのだ。これはつまり、銃が蔓延していることが、直ちに犯罪に結びつくわけではないことを示している(ただし、4位のスイスでは他のヨーロッパ諸国に比べて銃による犯罪は多いそうで、無関係なわけではないようである)。銃による犯罪は、銃がなければ起こりえないのだから銃は必要条件ではあるのだが、実際には複合的な要因で発生しているのだ。
 その意味で、生前チャールトン・ヘストンが言い続けた「銃が人を殺すのではない」というのは、その限りにおいては真実であると言わざるを得ない。少なくとも、世界には銃があっても安易に人を殺さない国の人々がいるのだ。

 ということは、殺人を減らすには、武器を規制するだけではダメで、もっと根本的な理由を考えなければいけない、ということになる。
 そこで、当然考え付くのが、やはり「先の見えない人生」であろう。北欧だったら、とりあえず年をとって身寄りがなくても人間らしく生きていける。金がないからと公園に放置されることもないし、ベッドが8床の大部屋に詰め込まれてで人生の最後を迎えることもない。普通に働いて普通の人生を送れば、なんとかなるのである。生活を原因とする自暴自棄にはおそらく到達しえないだろう。
 翻ってアメリカ合衆国を見るに、これはもう言うまでもないだろう。下層階級に生まれれば、あるいは中産階級であっても、病気や事故にあえば、マトモな医療も受けられず、金か命かの二者択一を迫られ、毎日を怯えながら過ごすのである。銃があろうがなかろうが、犯罪のネタに事欠かない。
 その一方、そういう状態ですぐ手の届くところに銃があれば、簡単に撃ってしまうのもまた現実だろう。銃がなければナイフ、ナイフがなければバール、バールがなければ素手で殴り合いをするのだろうが、それだけ殺人につながる犯罪は減るはずだ。だから対処療法として銃を規制するのは重要だ。だが、それは根本治療ではない。

 さて、この日本である。
 こういう現実を見れば、ナイフを規制するだけでは似たような事件はまた起こると考えるのが通常の発想だろう。ダガーナイフを規制しても、包丁でだって人は殺せるのだ。

 安定した人生を送っていれば決して犯罪になど手を染めないような人でも、そのごく一部は、生活が不安定になれば犯罪へと走るようになる。不安定の度合いが増せば、犯罪に走る人は増える。それは個人の心がけだけではどうしょうもないことだろう。統計的には必ずそうなってしまうのではないか。
 とすれば、今回の事件から考えるべきことは、容疑者の特殊性に基づく要因よりも、我々日本社会に住む人間、あるいは彼のような過酷な労働条件のもとで働く人々、等、に普遍的にある要因を探さねばならない。そして、誰もが犯罪など犯さずに済む社会に変えていかなくてはならない。
 くれぐれも容疑者を「特殊な人」と決め付けて自分たちには関係ないかのような態度であってはならない(特にジャーナリズムは)。それは、第二、第三の事件を生むだけだ。問題は重層的な要因を含むのであるから、それに相応しい報道をしてほしい。

『シンガポール華僑粛清』

シンガポール華僑粛清―日本軍はシンガポールで何をしたのか/林 博史
¥2,100
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 日本軍がマレー半島付近でイギリス軍との戦闘を開始したのは1941年12月8日未明、真珠湾攻撃よりも早かった。シンガポール攻略戦が一段落し、日本が占領を開始した直後の翌年2月、日本軍による華僑「粛清」が発令された。本書は、その「粛清」という名の組織的・計画的大虐殺の詳細を明らかにしたものである。
 山下奉文を司令官とする第25軍は、抗日分子の「絶滅」のための「掃蕩作戦命令」により、2月21~23日の間に掃蕩作戦を実行し、「すべての抗日分子を秘密裏に処分する」こととなった。
 憲兵隊・憲兵補助隊が組織され、中国人男子を呼び集め「検証」を行い、疑わしきは罰すとでも言うかのごとく、次々と殺していった。海岸で殺し、海に流す場合もあれば、穴を掘らせ、その穴の横で日本軍兵士に首を切られて自分が掘った穴に埋められるという場合もあった。
 殺害された人数は、少なくとも5000人(日本軍も認めている数字)、シンガポールでは5万人という数字が一般になっているという。著者は、調査の結果としては、5万人を示唆する資料はなかったと述べているが、
 ただし、念のために述べておくと、シンガポール側が犠牲者数を誇張しているとは私は考えていない。五万人という数字に象徴されるほど、日本軍による粛清が非人道的であり、シンガポールの人々に与えた恐怖と悲しみと衝撃の深さと広さを示しているものであると理解している。その感情と思いを日本人はしっかりと受けとめるべきだろう。被害者側の痛みに思いをいたすことなく、「被害者側が誇張している」と、さも得意気に吹聴する、卑しい人間にだけはなりたくないし、なるべきではない。
とも述べている。

 この粛清が実行された経緯であるが、色々な論点が出されているけれども、シンガポール攻略戦の前から計画されていたことは間違いないようである。つまり占領後の治安情勢から立案されたものではない、ということだ。
 また粛清の残虐性については、当時から、憲兵隊幹部の間でも批判が強かったそうである。

 粛清を主導したと言われているのが参謀の辻政信である。ノモンハンやガダルカナルでも強引な指導を行った人物だそうだ。
 戦後はイギリス軍より戦犯追及を受けるが、敗戦時バンコクにいた辻は僧に変装して中国に渡り、中国国民党の庇護を受けて戦犯追及から逃れた。さらに大本営参謀時代の上司、服部卓四郎がGHQに取り入って庇護を受けていたことから、服部と連絡を取り1948年5月、秘かに日本に戻ってきたとのことである。
 イギリスはその後も追及をしていたが、1949年、辻の追及を断念、GHQ戦犯容疑者逮捕リストからも削除。その後、1952年に石川県から衆議院選に出馬しトップ当選、後、参議院全国区で三位当選した。1961年にラオス訪問中に行方不明となり消息を絶ったそうであるが、このような人物を日本は英雄として扱い、国会議員としたのである。著者の言葉を借りれば、「戦争責任にきちんと向き合おうとしなかった戦後日本を象徴する人物である」。

 なお、1960年代、シンガポールの開発が進むに伴い、大量の遺骨が発見され、シンガポールでは大問題になった。ところが、日本のマスコミは、事実を究明しようという姿勢はなかったらしい。
 例えば『朝日』は「憎しみをあおるな」という記事を出し、被害を小さく見せ、日本軍の「残虐」ぶりを宣伝したてているといって批判した。他紙も同様である。

 東アジアでの加害の歴史はようやく認知を得るようになって来た。しかし、東南アジアやオセアニアでの加害の実体は未だ広く認識されているとは言い難い。体験された方々が生きているうちにしなければならないことは沢山あるだろう。本書はそうした努力の一つの結実であるが、多くの研究者により、さらなる解明を望みたい。

 日本軍は各地で罪もない人々を大量に殺してきた。しかしそのやり方は、多くがまるで野獣のように、その時の気分しだいで勝手気ままに殺人を犯すというものであった(戦場での人間性を失わせる「教育」の仕方については、このエントリ でも触れた)。南京事件における大虐殺も、そのような殺人の大規模な集積と見ることも出来る。
 しかしこのシンガポールにおける華僑粛清の特徴は、それが占領前からの計画的なものだったことにあろう。ナチスを彷彿とさせるような、計画的・組織的大量殺人である。占領に伴う混乱の中での殺人ではない。攻略前に、冷静に練られた方針なのである。その意味で、この事件は深く記憶に刻まれねばならないと思う。


建築業界の「マイナスイオン」(訂正あり)

訂正(6/8 23:41)「トクホ住宅」ですが、コメント欄で指摘されているように、所管は厚生労働省ではなく、国土交通省とのことです。訂正を入れておきました。リンクも追加しておきました。


 前回のエントリのコメント欄 にて、OSATOさんから興味深い問題を教えていただいた(どうもありがとうございました)。建築業界でも、「マイナスイオン」が蔓延しているというのだ。

 amebloではコメント欄でタグが使えないので、せっかくURLを教えていただいても、クリック一つで飛ぶことができず不便だ。なので、このエントリから飛べるようにしておく。

 まず、加藤建築さんのページ、「こんな壁紙ほしかった! 」。ここで、他の各種壁紙と並んで「マイナスイオン壁紙」の解説があるのだが、その内容はもはや懐かしいと言ってもいいぐらい、「マイナスイオンは体にいい」のオンパレードだ。未だにこの手の宣伝が正面からなされているのは盲点であった。
 なお、マイナスイオンの効果としてタバコの煙を消す機械のムービーが載せられている。あまりちゃんと調べていないのだが、放電によってタバコの煙を消す効果はどうやらあるようなので、いわゆる「マイナスイオン製品」の中ではこれは最も効果のある製品の一つではないかと思っている。しかし、だからと言ってマイナスイオンが体にいいという証明にはまったくならない。むしろ、こういう場面で登場することからもわかるように、「マイナスイオン」という言葉を登場させることが、漠然と「体にいい」効果をもたらすと消費者に思わせ、その製品に付加価値を与えていることになるのだ。

 上のページでは、どういうメカニズムで「マイナスイオン」が放出されているのか不明であるが、OSATOさんが次に挙げておられたページでは、ほんの少しばかり触れられている。大野建設さんの「遠赤外線を放出するマイナスイオン壁紙と珪藻土 」。住宅事業部の方のコメント、前半を引用する。
マイナスイオンの6.27波長は遠赤外線の低い波長です。この波長は水と共振し、水を壊し、その結果、小さいクラスター(マイナスイオン)と大きいクラスター(プラスイオン)ができるのです。

たとえば、部屋の中の壁紙もしくは漆喰壁などに、珪藻土にサンゴ、ホタテ、微粉炭、遠赤外線鉱石粉末などを混ぜたもの(すべて6.27波長を出す)を塗装しておくと、空気中の水分が壊されて、マイナスイオンが出来ます。水分が部屋の中で少ないときは水分を供給し、多いときは吸い込みます。

風によっても水が小さくちぎられ、マイナスイオンが作られます。したがって風が強いときはマイナスイオンが多く出ます。
まず、「6.27波長」というのがわからない。普通、物理でこういう言い方をする場合は、波長の6.27倍、という意味で使うと思うのだが、文脈から(と言っても文脈があるほど長文でもないし、唐突に出てくるのだが)、おそらく6.27ミクロンだと思われる。赤外線と言っているし。
 ちなみに6.27ミクロンだとすると、Wienの変位則λT=0.3 [K cm]より(λは波長、Tは絶対温度)、6.27ミクロンの波長の電磁波はT=0.3[K cm]/6.27*10^{-4}[cm]=478[K]で、およそ摂氏200度の黒体輻射に相当する。ちょっと温度が高すぎると思う。なので、6.27ミクロンではないか、熱的ではない別のメカニズムであると思われる。
 もう一つ気になる点は、「遠赤外線の低い波長」というのが何を意味するのかがさっぱりわからないということだ。
 次に放出源であるが、珪藻土にサンゴなどを混ぜたものであるようだ。空気中の水分が壊されるというのだが、その意味がまたさっぱりわからない。水蒸気なのか、微小な水滴なのか。
 風が強いときはマイナスイオンが多く出る、ということだが、だったら台風の時はみんな健康になるのか。

 ちょっとトルマリンと似た感じなので、どうもなあ、という気がするのだが、このあたり、詳しいことがわかる方がいらっしゃったら教えていただけると有難い(私ももう少し調べてみるつもりですが)。

 さて、次は大手のサンゲツさん。このページ に、「マイナスイオン」壁紙についての簡単な解説が載っている。曰く、
マイナスイオン壁紙には天然のミネラル鉱石が含まれています。
この鉱石がお部屋の空気をマイナスイオン化し、森林浴と同じようなリフレッシュ効果があるのです。さらに、空気中の水分と反応して自然に発生させるものなので、リラックス効果が、なが~く続いてくれるのです。
ということで、「天然の」「ミネラル鉱石」が発生源ということのようだ。こちらはやはりトルマリンですかね?ミネラル鉱石とだけではよくわからないが。
 なお、別のページではロハスが云々とも語られていて、「天然」も売りにしているようにも見える。

 そして最近設立されたという「日本建築医学協会 」。設立趣旨を読むと、特に変ではないように見える(地磁気の健康への影響とか、疑問符がつくところはあるのだけれども)。しかし。会長は帯津良一氏。「日本ホメオパシー医学会」の理事長もされている人物だ。他にも顧問に名を連ねている人々の中には、 河野貴美子・国際生命情報科学会副会長や 堀田忠弘・意識波動医学研究会会長といった人々がいる。ついでに言うなら、愛知和男、 末松義規、 田村耕太郎など国会議員も顧問に名を連ねている。なお事務局長は井上祐宏・日本エネルギー医学協会専務理事であるが、日本エネルギー医学協会というのは旧称は日本波動医学協会というらしい。
 さらに、OSATOさんが示してくれたURLの先には、2008年春の大会講演会の案内があり、テーマは「予防医学としての住環境 」となっている。ここがまたスゴくて、協賛団体として、あの「サトルエネルギー学会」が名を連ねているのだ。ちなみに『買ってはいけない』の船瀬俊介氏の講演もあったりする。

 さて、この動きの背景にあるのはなんだろうか。OSATOさんが示してくれた、もう一つのURLにそのカギがあるような気がする。
 現在、建築業界では、「トクホ」が話題 らしいのだ。トクホというと健康食品、というイメージだが、厚生労働省国土交通省は、トクホ住宅の認定制度を検討しているらしい。これがどのようなものになるのか、現段階では(私には)ちょっとよくわからないのだが、もしその制度がスタートするならば、公式に認定された付加価値として多くの業者が参入することになるだろう。そして、マイナスイオンや波動を売り文句にした「トクホ住宅」を目指して、彼らが動くことはほぼ間違いないだろう。
 誰が認定することになるのかわからないが、もし万が一にも「波動」や「マイナスイオン」をうたう「トクホ住宅」が公認されてしまえば、これはちょっとかなり恐ろしいことになる。

 壁紙は、日本ではそうそう買うものではないだけに、普段は宣伝文句を見ることはなく、ここまで「マイナスイオン」が蔓延しているとはまったく思っていなかった。しかし、放っておけば、「マイナスイオン」問題だけではなく、「波動」「ホメオパシー」絡みの問題を、建築業界に導入してしまうことになる。これは監視しておく必要がありそうだ。

(追記)国土交通省の関連ページはこちら:健康維持増進住宅研究委員会の開催について およびその資料(PDF)