『靖国 YASUKUNI』
映画の内容についてはすでにあちこちに評が出ているのでここでは論評を控える。一言だけ言うならば、淡々と騒々しさを描いた、という感じだろうか。
というわけで、観ながら思ったことを少し。ネタバレを含みますが、映画の内容からして構わないでしょう。
すでに幾つかのエントリでも触れたように(ここ 、ここ 、ここ )、この映画は劇場公開前に政治家が試写を求めたことによって公開が危ぶまれた。事実上の検閲が行われたわけである。もしこの映画が30年前に作られていたら、むしろ右翼映画として糾弾されていたのではないか。それぐらい、靖国に来る右翼的な―本人にその自覚があるかどうかは別にして―人々を淡々と描いているのだ。それなのに、「靖国派」とも言われる連中がこの映画を恐れた理由はなんなのか。
もちろん中国人監督が政治的に微妙な位置にある靖国を題材にしたというただそれだけで彼らの(ある種の)恐怖心を煽ったのは確かだろうし、そういう記号的な部分で反射的に反発したというのが大きいだろう。だが、それだけだろうか。
彼らは、靖国に来る人々の姿を見て、靖国を賛美することのグロテスクさに気づいてしまったのではないか。
形式的な意味でのグロテスクさは、軍服で行進し参拝する団体に象徴されよう。ポスターにもなっている、拍手を打とうと両手を広げている若者もその一人だ。映画では他にも何団体もが軍服を着込み日の丸を掲げラッパで行進する人々が出てくる。
また、星条旗を掲げつつ、小泉を支持すると日本語で書いたプラカードを持つアメリカ人も出てくる。数人の日本人がそれに感動し、ビラまきを手伝ったりもする一方で、別の日本人たちが星条旗というだけで反射的に「帰れ!!」と叫ぶ。無論、戦争中にどのような目に合わされたかで星条旗やアメリカ、アメリカ人に対する感情は変わるだろうから、それについて私がどうこう言うつもりはない。ただ、その態度がグロテスクなのだ。
さらに、式典を行っている団体が君が代を流している時に、靖国に反対する若者が乱入してくるシーンがある。彼らはつまみ出され殴られるのだが、その際執拗に「中国人帰れ」みたいなことを言われ続ける(実際は日本人なのだが)。その様子がまたグロテスクだ(抗議した若者についても、そう言えるかもしれないが)。
そして、小泉のインタビューも出てくる。参拝は心の問題だ、なぜ近隣諸国に文句を言われるのか、日本の内部で文句を言われるのかわからない、と言ってのけたアレだ。そんなこともわからないなんてなんてバカなんだ、と思うわけだが、それがデカデカと映し出される(それについて、映画の中での論評は一切ない。ただ映し出されるだけである)。
つまり、「普通の」感覚で見れば異様としか言いようのないシーンが次から次へと映し出されるわけだ(これを異様と感じるのは、もしかしたら少数派なのかもしれないのだけど)。そして、この映画を批判した議員たちは、自分たちもまたその一員であり、客観的にはそのグロテスクさを自分たちが持っていると感じざるを得なくなった、あるいは自分たちが批判されたと感じた―というのは考えすぎだろうか。
一方、主人公である刀匠は、まさに職人、という趣で、淡々と自分の仕事をこなしている。良くも悪くも職人だ。この人に直接質問したという議員は一体なんなのか。そのメンタリティは、端的に言って、おこちゃまである。中二どころじゃない。小学生にすらなっていない。
この映画、いいとも悪いとも言い難い。ここで描かれたことから何を読み取るかは、観た人の知識や考え方に大きく依存するだろう。ただ、今の日本で、毎年、この光景が繰り返されている。このことは、知っておいたほうがいいのかもしれない、と思う。
***
上映開始30分前に行ったのだけど、その時点であと5,6席程度であった(100人ちょいのスクリーン)。立ち見の人もいました。年配の人が多かったのも特徴かな。何を考えながら観てたんだろう、そんなことも気になりました。
というわけで、観ながら思ったことを少し。ネタバレを含みますが、映画の内容からして構わないでしょう。
すでに幾つかのエントリでも触れたように(ここ 、ここ 、ここ )、この映画は劇場公開前に政治家が試写を求めたことによって公開が危ぶまれた。事実上の検閲が行われたわけである。もしこの映画が30年前に作られていたら、むしろ右翼映画として糾弾されていたのではないか。それぐらい、靖国に来る右翼的な―本人にその自覚があるかどうかは別にして―人々を淡々と描いているのだ。それなのに、「靖国派」とも言われる連中がこの映画を恐れた理由はなんなのか。
もちろん中国人監督が政治的に微妙な位置にある靖国を題材にしたというただそれだけで彼らの(ある種の)恐怖心を煽ったのは確かだろうし、そういう記号的な部分で反射的に反発したというのが大きいだろう。だが、それだけだろうか。
彼らは、靖国に来る人々の姿を見て、靖国を賛美することのグロテスクさに気づいてしまったのではないか。
形式的な意味でのグロテスクさは、軍服で行進し参拝する団体に象徴されよう。ポスターにもなっている、拍手を打とうと両手を広げている若者もその一人だ。映画では他にも何団体もが軍服を着込み日の丸を掲げラッパで行進する人々が出てくる。
また、星条旗を掲げつつ、小泉を支持すると日本語で書いたプラカードを持つアメリカ人も出てくる。数人の日本人がそれに感動し、ビラまきを手伝ったりもする一方で、別の日本人たちが星条旗というだけで反射的に「帰れ!!」と叫ぶ。無論、戦争中にどのような目に合わされたかで星条旗やアメリカ、アメリカ人に対する感情は変わるだろうから、それについて私がどうこう言うつもりはない。ただ、その態度がグロテスクなのだ。
さらに、式典を行っている団体が君が代を流している時に、靖国に反対する若者が乱入してくるシーンがある。彼らはつまみ出され殴られるのだが、その際執拗に「中国人帰れ」みたいなことを言われ続ける(実際は日本人なのだが)。その様子がまたグロテスクだ(抗議した若者についても、そう言えるかもしれないが)。
そして、小泉のインタビューも出てくる。参拝は心の問題だ、なぜ近隣諸国に文句を言われるのか、日本の内部で文句を言われるのかわからない、と言ってのけたアレだ。そんなこともわからないなんてなんてバカなんだ、と思うわけだが、それがデカデカと映し出される(それについて、映画の中での論評は一切ない。ただ映し出されるだけである)。
つまり、「普通の」感覚で見れば異様としか言いようのないシーンが次から次へと映し出されるわけだ(これを異様と感じるのは、もしかしたら少数派なのかもしれないのだけど)。そして、この映画を批判した議員たちは、自分たちもまたその一員であり、客観的にはそのグロテスクさを自分たちが持っていると感じざるを得なくなった、あるいは自分たちが批判されたと感じた―というのは考えすぎだろうか。
一方、主人公である刀匠は、まさに職人、という趣で、淡々と自分の仕事をこなしている。良くも悪くも職人だ。この人に直接質問したという議員は一体なんなのか。そのメンタリティは、端的に言って、おこちゃまである。中二どころじゃない。小学生にすらなっていない。
この映画、いいとも悪いとも言い難い。ここで描かれたことから何を読み取るかは、観た人の知識や考え方に大きく依存するだろう。ただ、今の日本で、毎年、この光景が繰り返されている。このことは、知っておいたほうがいいのかもしれない、と思う。
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上映開始30分前に行ったのだけど、その時点であと5,6席程度であった(100人ちょいのスクリーン)。立ち見の人もいました。年配の人が多かったのも特徴かな。何を考えながら観てたんだろう、そんなことも気になりました。