ほたるいかの書きつけ -49ページ目

ムペンバ効果のみかた:タイムスケールと熱放出率(追記あり)

 以前の二つのエントリ(これこれ )で取り上げた「ムペンバ効果」だが、一部で(って全体を見てるわけじゃないので、ごく一部、ほんとに3つ4つのウェブサイト、を見た範囲での印象で、しかも私はNHKの当該番組を見たわけではなくて、限られたごく一部のウェブサイトでの情報を見た範囲での話なのだけれど)混乱があるようなので、整理しておく。

 水の内部エネルギーUは温度と分子数で決まっているので、分子数(つまり凍らせる水の量)を同じにしておけば、内部エネルギー自体は温度Tのみで決まる。だから、温度が高ければ、水から奪わなければならないエネルギー量は、どうやったって高温の水のほうが多い。これは変えようがない。

 ところが、「ムペンバ効果」として問題になっているのは、凍結までの時間である。タイムスケールは内部エネルギーUのみでは決まらず、エネルギー放出率 dU/dt (tは時間)にも依る。

 凍結まで考えるとややこしいので、液体のままでよいから0℃まで下がるまでのタイムスケールをτとおくと、温度一様であるならば、
  τ = U / (dU/dt)
で近似的に求めることができる。
 「ムペンバ効果」の問題は、dU/dt をどうするかにある、と言ってもいいだろう。

 温度が非一様であれば、各流体素辺の局所的な内部エネルギー u (その総和が全内部エネルギーUになるように定義する)と、その流体素辺の熱放出率 du/dt (これは熱の移流、つまり別の流体素辺への熱の移動も込みにしたもの)をすべての領域について考えて、全体が0℃になるまでの時間を考えないといけない。
 無論、凍結が始まれば潜熱も放出されるし、温度の非一様性を導入することは、非平衡非線型の難しい問題に一気に足を踏み入れることになる。
 モリキンさんのブログ「学者のたまごでした 」で紹介されている前野さんのコメントやモリキンさん御本人のコメントにも書かれているように、単純な話では済まないのだ。

 もちろん、前にも書いたように、水の粘性によって対流がすぐに散逸して止まってしまえば「ムペンバ効果」などは起こらないだろうし、水を入れる容器の断熱性や水の蒸発、あるいは冷凍庫の性能(温度がどうなっているかとか、風があったりなかったり、とか)にも関係して、「ムペンバ効果」がおきたりおきなかったりする可能性も十分にある。それどころか、実はちゃんとやったらどうやっても「ムペンバ効果」など起きない、という結論に至る可能性だって十分にありそうだ。
 しかし、上で書いたように、問題が「U」だけでは閉じず、「dU/dt」をどうするか、ということと関わってくるため、私の印象では、必ずしも起こり得ない現象、とは言い切れないのだ。

(追記)大槻義彦さんのこのエントリ では、暗にdU/dtが温度のみの関数と仮定して、温度が高ければ凍結までの時間は長いから、ムペンバ効果などおかしい、という議論が展開されているが、それだけではタイムスケールは決まらない、というのが、このエントリの趣旨である。

哀れな人

芥川賞受賞作について、石原慎太郎のコメントが載っていた。
『読売』(7/18) より。
楊逸さんの芥川賞受賞作、石原知事は「ただの風俗小説」

 楊逸さん(44)が「時が滲む朝」で中国人初の芥川賞に決まったことについて、選考委員の一人である東京都の石原知事は18日の定例会見で記者の質問に答え、「日本語としてはかなりなめらかになった」としたものの、「近代化を目指す中国の大学生が政治の合理化、透明化などを唱え、天安門事件で挫折したのは人生にとって深刻な問題。受賞作にはそういう人生の主題は書かれておらず、要するにただの風俗小説だ」と述べた。

 石原知事は前回、楊さんが「ワンちゃん」で初めて候補となった際、「日本語としての文章が粗雑すぎる」と評していた。

 今回の選考会は体調不良のため欠席したが、書面回答では「○×△では△しかつけなかった」と明らかにした。

2008年7月18日22時31分 読売新聞)
なんというかな、「哀れな人」だと思う。こういうけなし方しかできないなんて。石原は小心者であるという話はよく聞くが、このコメントは、それを裏づけるものといえよう。

 もっとも、「哀れな人」でいてくれるだけならまだいいのだけど、こんな人間が都知事をつとめているのだからたまらない。一体なんでこんなのが人気があるのか理解できん。いや、そうなんだろうな、とは思うのだけど、それはまるで「きくちゆみ」がなんで一部に受けているのか、という問題と似たようなもんで、構造として理解はできそうなんだけど、それを理解したというだけではダメで、どうやったらなんとかできるのかが見えないのがもどかしい。


ムペンバ効果の実験デザイン試案

 前回のエントリ でちょっと考えてみたのだが、やっぱり気になるので色々考えたことをつらつらと。どうやってムペンバ効果を実証するのか(あるいは否定するのか)、という話。ほとんど悪ノリですが。

 一つは、対流の効果をクリアにする。
 違う温度の水を用意するのがムペンバ効果の実験なのだが、その物理的効果を切り分けて考察するには、ここは一つ同じ温度の水を用意し、片方だけ攪拌しながら冷やすというのはどうか。たとえば理科実験用に、ビーカーの底にプロペラみたいのがついていて、自動で攪拌できるやつがありますよね。これをつかって、無理矢理対流を起こすわけ。対流の効果が本質的なら、同じ温度から出発しても、攪拌しているほうが先に凍るはず。
 もちろん、攪拌するということはエネルギーを注入していることになるわけだけど、ゆっくりまわしても十分な攪拌になるので、エネルギー総量としては無視できる程度の運動エネルギーのはず。しかも、エネルギーを与えてるほうが先に凍るならば、それはより対流の効果が重要であることを示していることになる。

 二つ目。温度分布の非一様性の効果をクリアにする。
 と言っても、これは結構ややこしそう。断熱容器に入れるのが一番かな。もちろん、水面は空気に接していないとそもそも冷えないので、壁と底を断熱壁にする。これだと、対流がないときは底に4℃の水がたまり、その水を冷やすのは水内部の熱伝導(上部は4℃以下に冷えている)のみになる。
 この実験によって、温度を一様にするのが重要かどうかがわかる。

 三つ目。冷凍庫の温度を変える。
 水には粘性があるので、当然対流を弱める働きがある。冷凍庫の温度があまり低くないと、初期には対流がガンガン起きていても、次第に粘性によって対流が弱まり、低温からスタートした水の場合と同じようになるだろう(つまり4℃の水が底にたまる)。もし冷凍庫内の温度が低く、急速に冷やすことができるならば、対流を維持したまま4℃の壁を突破できるのかもしれない。なので、冷凍庫の温度を何パターンか変えて実験してみるといいかもしれない。

 あ、庫内の蒸気圧の効果を減らすためには、なるべく大きめの冷凍庫に小さめの容器で実験するのが良さそう。
 ただし、蒸発をどう抑えるか、あるいは同じにするかが問題。その意味でも、同じ温度の水からスタートして、混ぜたり混ぜなかったりを試すのは重要だと思うのだけど。

 しかし、対流ってそんなに起こるものなのかな?よっぽどグルグル回ってないと、表面が4℃を下回り始めた時点で、上のほうから対流が止まりそうなきもするのだけど。そんなに粘性低いかな。
 そうか、容器の太さとも関係あるのかも。壁との摩擦はどうしても生じるだろうから、太い容器のほうが、なかなか対流が消えなくていいような気がする。あと容器の高さが低い方が、対流のある・なしの違いが顕著に出るような気もしますね。

 …素人考えでこれぐらい思いつくのだから、プロはきっともっと色々考えてやってるんだろうなあ。現状はどうなってんだろ。

「ムペンバ効果」?(追記あり)

(追記)関連する以下のエントリも是非お読み下さい。
   ムペンバ効果の実験デザイン試案
   ムペンバ効果のみかた:タイムスケールと熱放出率
   ムペンバ効果:過冷却?

 時々、自分のブログにつけている「あわせて読みたい」に表示されるブログを読みに行っているのだが、おかげで今日は面白い現象を知ることができた。「ムペンバ(Mpemba)効果」。モリキンさんのブログ「学者のたまごでした」の、「ムペンバ効果、追記 」というエントリで詳細に触れられている。どうも、NHKの「ためしてガッテン」で取り上げられたらしい。
 どんな現象かというと、たとえば5℃の水と35℃の水をそれぞれ凍らせようとすると、35℃の水の方が先に凍る、というもの。つまり、早く氷を作ろうと思えば、水を少し温めてから冷凍庫に入れると良い、ということになる。

 これだけ見ると、そんなバカな、と思えるのだが、どうも現象自体は起こってもいいらしい。ただ、なぜそうなるのかの解明はまだ完全にはされていないようだ。そのことは、上述のモリキンさんのブログでも述べられている。

 さて、そこからリンクされていたページが、ガリレオ工房の滝川洋二さんの解説 だ。この解説に基づけば、主因は対流である。
 水は物質としては特殊で、4℃の時に密度が最大になる。氷の状態は水素結合により結晶化するのだが、結晶構造が空間的にスカスカで、液体の時より密度が低い。また高温では熱運動によりやはり密度が小さくなるので、だいたい4℃の時に一番分子が密集して密度が高くなる。
 そのため、コップに入れた水が準静的に冷えていくならば、いずれコップの底の水は4℃になり、上のほうは密度の低い、より低温の水がいることになり、やがてコップの上のほうから凍っていく。
 ところが、温かい水の場合は、準静的には冷えず、冷えて高密度になった領域が急速に落下し、(相対的に)激しい対流を引き起こす。そのためコップの中がほぼ一様の温度になり、全体が冷えていくので結果的に早く氷になる、というわけ。

 しかしですよ。ちょっとだけ考えると(ちょっとだけです)、35℃の水だろうと60℃の水だろうと、対流しながら冷えたとしても、やがては5℃の水となる時期がくる。すると、最初に入れた5℃の水と、その時点で同じ状況になるので、5℃まで冷える時間だけ、余計に凍るのに時間がかかるような気がするのですよね。
 その滝川さんの解説の状況で言えば、20℃の水は先に上から冷え始めるというが、60℃の水が20℃まで冷えたら、そこから先はやはり上から冷えるはずで、とすると、高温の水が先に凍るという説明にはなっていないのではないか。

 とすると、たしかに対流が主因だとしても、単純に「対流だから」というだけでなく、60℃の水が凍るまでに通る状態変化の道すじにおいては、「一様かつ静的に20℃」という状態を通ってはならない、ということになる。対流があれば温度は一様になろうとするので、破るべき条件は「一様」ではなくて「静的」ということになり、「20℃で対流がある」という状態を通らねばならない。しかもゆっくり冷やせば対流ではなくて熱伝導で冷えようとするので、静的という状態が回復されてしまう。とすると、冷やし方にもなにか条件があるのではないか、と思える。

 無論、上の考察は蒸発がないときの話なので、実際冷凍庫で凍らすなんて場合には条件が複合的になってややこしそうだ。例えば、水の気化熱は約10kcal/molもある。これがどれくらいデカイかというと、20℃の180cc(つまり10mol)の水を0℃にするために放出しなければいけないエネルギーは20[K]*1[cal/mol/K]*10[mol]=200[cal]=0.2[kcal]しかない。これは、0.02mol(0.36g)の水が蒸発すれば持ち逃げできるエネルギー量だ(自分で計算して驚いた^^;;)。つまり、180ccのコップに入った水のうち、わずか0.2%の水が蒸発すれば20℃の水を一気に0℃まで冷やすことができる(氷にはならず、0℃の水、だけど)。
 ただし、これも主因はなりそうもない。というのは、蒸発は表面から起こるので、60℃の水がどんどん蒸発して一気に温度を下げても、20℃に達すれば結局同じことだからだ。
 しかし、表面付近が急速に冷えることで、対流をより激しくし、20℃まで下がっても対流が続いているという状況を作ることには寄与しそうだ。
 となると、やはり複合的に考えないといけない、ということになりそうだ。

 ムペンバ効果を実証するための実験デザインは結構大変そうだ。だが、まずは非蒸発的状況下でどうなるのかを調べるのが先決だろう。密封した固い容器で違う温度の水を入れ、温度分布と速度分布をモニターしながらそれぞれが凍るようすを調べる。
 これで違いが出ないなら、あとは蒸発の影響や容器との熱のやりとりが問題になるだろう(他にも考えないといけないことはありそうだけど)。

 これはまさに非平衡開放系で、しかも動的に解かれなければならないという、実に難しそうな問題である。でも、面白いなあ。こんな面白い問題が身近にあったとは。
 やっぱ水って面白いですね。「ありがとう」とか「愛・感謝」とか言ってる場合じゃないよ。

 ついでに、こっちの問題 もまだ(私の中では)未解決なんだよなあ。なぜ水の沸点は100℃か、という問題(別に1気圧に限る必要はなくて、要するに、水素結合の結合エネルギーをたちきるには2000[K]ぐらいの熱運動が必要そうなんだけど、それよりもずっと低い温度で気化するのはなぜか、という問題)。
 本屋に行くついでに物理化学系の教科書とかヒタスラ立ち読みしたりしたんですが、よくわからんまんまです…。

『人間』加古里子(かこさとし)

 こないだの『神様のパズル』のエントリ がらみで一つ思い出した。加古里子(かこさとし)の絵本、『人間』がスゴイのだ。どんなにスゴイか、中身を語るより、各ページのタイトルを見ていただくのが早いだろう(見開き2ページで1タイトル)。
  1. 宇宙のはじまり
  2. 地球と海のたんじょう
  3. はじめてできた生命
  4. あらわれた海の生物と魚類
  5. 植物と動物の上陸
  6. 恐竜とその大絶滅
  7. 鳥類とほにゅう類の時代
  8. 人類の祖先とその歩み
  9. 地球の生物の歴史
  10. 子をうんでそだてる人間
  11. おなかのなかの赤ちゃん――胎児
  12. 成長してゆく子ども――乳児から成人へ
  13. 骨と筋肉のはたらき
  14. 食べ物とその消化の道すじ
  15. いろいろな内臓のやくめ
  16. 心臓と肺のようす
  17. 脳と神経のしくみ
  18. 人間の手とはたらく力
  19. 人間の知恵と知識のつみかさね
  20. 美しさをもとめる人間の心
  21. 人間のあつまりと社会の混乱
  22. 死のおそれと悲しみをこえて
  23. あなたが、そして君も、人間です
これを見るだけで、なんと広く深い「人間」のとらえ方か、と驚嘆せざるを得ないだろう。
 最初の「宇宙のはじまり」では、ビッグバンからはじまって、太陽ができるまでが一気に語られる。クォークや元素合成、強い力・弱い力なんて言葉も書いてある。子どもにはチンプンカンプンかもしれない。でも、きっと、「なんかすごくワクワクドキドキする」に違いない。
 人間が登場するのはこの本の半ばからだ。それまでは延々と、人間が誕生するまでの世界を描いている。それはつまり、人間というものが、世界から切り離されて独立に存在するのではなく、どのようにこの世界に位置づけられているのかを明確にし、宇宙の・地球の中の人間、様々な生物種のなかの人間、という姿を明瞭に描き出す。
 人間の解説は、その物質的な部分(肉体的な部分)だけにとどまらない。豊かな精神活動についても丹念に描かれている。外界にはたらきかける、能動的な存在としての人間、知識を集積し、美に感動する人間の心。さらに「個」を越えて、集団としての人間にまで触れられている。
 百科事典的な描き方ではなく、ものの見方を教えてくれる絵本、と言っていいだろう。

 1995年の出版だが、17年の歳月をかけて製作されたそうだ。その歳月に相応しい、壮大なスケールである。子どもは勿論、大人でも十分に読み応えのある絵本である。

人間 (福音館のかがくのほん)/加古 里子
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