ほたるいかの書きつけ -50ページ目

再び、ssfs2007さんへ

 以前に続けて、yahooの掲示板に投稿したコメントを再掲します(長いので、実際は二つに分割しています)。
 掲示板のコメントはこちらこちら 。以前のコメントはこちら

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ssfs2007さん、

前回の私の書き込みから一週間がたちました。その間、あなたは幾つかの書き込みをしていますが、残念ながら、私の問いかけには答えてくださいませんでした。「がっかり」です。
 「返事がないということは私の意見を認めたということですね?」などということは申しませんが、この間のやりとり(私以外の方々とのやりとりも含めて)は、以下に述べるように、あなたとは科学的な、もっと言えば建設的な議論はできないということが誰の目にも明確になったと思います。

 以前から ssfs2007さん(SSFSさん)の発言を目にしていた方には今さらだと思いますが、もしかしたら検索でやってくる方もいるかもしれませんので、そういう方々が判断を間違えずまた時間を無駄にしないで済むように、簡単に ssfs2007さんについてまとめます。
 以下は便宜的に項目に分けましたが、相互に密接に関係しています。

(1)あなたには対話の相手に敬意を持って接するということができない。どんなに誠意をもって、事実に基づいて話をしても、それがあなたにとって「不都合な真実」であるならば、「つまらない」の一言で切って捨てる。科学的につまらない、ということはあり得ますが、あなたの場合は違う。自分の主張をサポートする意見が「つまらな」くない意見であることの必要条件になっている。
 「おなかいっぱい」発言もそう。あなたには、他人の発言を理解しようという意思が感じられない。おなかいっぱいなら消化する努力をするのが誠意ある態度というもの。
 議論するための誠実な態度は、No.1309あたりではまだ一応は見られましたが、ご自分の意見に対する批判的なコメントには、即座に拒否反応を示されましたね。そんなことで議論ができると思っているのなら、端的に言って皆様に迷惑です。

(2)「ファクト」に対する敬意が感じられない。あなたの自己規定とは裏腹に、都合のよい「ファクト」あるいは「ファクトもどき」だけにこだわっている。「技報」で示されたファクトを、あなたは受け入れなかった。
 切れ味が悪いから?じゃあ切れ味良く言ってあげましょうか。「マイナスイオン・ナノイーイオンドライヤにおいて、マイナスイオン・ナノイーイオンと称するものの効果はない」。どうです?切れ味鋭いでしょう。
 もちろんこれは科学的な物言いではありませんが、今回の一連の「議論」で出てきた「技報」の内容に基づけば、日常レベルでは十分通用する結論です。

(3)プロに対する敬意がない。たとえその内容が査読に通らないであろうレベルであったとしても、「技報」の著者たちはがんばって報告書にまとめたんです。しかも実名で公にしている。その内容についての責任を取る覚悟があるわけです。
 しかし、その中身を理解しようとする気があなたには全然ない。自分に都合よいと思われる文章も、中身を理解していないから、本当は都合悪いのだということを指摘されると、「そんなことはもうおなかいっぱい」と言う。こんな失礼な言い方はないでしょう?
 あなたは他にも論文を漁ったり、論文はないかと尋ねたりしてきましたね。でも、そんな態度で論文に接するなら、見たってしょうがないです。なんのために論文を読むんですか?中身を理解しようとして読むんじゃないんですか?
 さらに、awing_y さん(A-WINGさん)に対する態度は一体なんですか。はっきり言って、人として最低ですよ。awing_yさんは、御自分の経験から、職業倫理にのっとって丁寧に発言されたのに、自分に都合の良い発言が出なかったからといって「それでもプロか」と言うなんて、正気の沙汰とは思えません。いまからでも謝罪すべきです。
 
(4)基本的に無責任である。大企業には社会的責任というものがあります。発言するなら責任ある発言をしなければいけない。過去の経緯を振り返れば、責任を感じるならば「マイナスイオン」商品なんて売れないですよ。そこをきちんと清算せず、「進化形」としての「○○イオン」なんて、企業として無責任すぎます。そして、それを「マーケティング」の一言で免罪する ssfs2007 さんは、大企業の責任逃れに加担しているものと言わざるを得ない。なにが「ファクトにこだわる」ですか。ファクトにこだわるなら、世界でも有数のメーカーにもこだわらせなさいよ。
 「立証責任」だの「挙証責任」だのといった言葉は本質ではないんですよ。「発言には責任を持て」「世に出す商品には責任を持て」という当たり前のことですよ、大事なのは。そして、責任は「事実」に立脚してはじめて果たせるものです。マーケティングだからといって無責任な発言を許容するのはやめていただきたい。
 「プロに対する敬意」とも関わりますが、apjさんのマグローブの実験、あれは我々は感謝こそすれ「やればできるじゃん」などと偉そうに言えるものではありません。そんなことが言える立場のものはこの世に一人としていません。やらなくて当然なんです。なぜならやるのはマグローブを売る側であるべきだから。自分が売る商品には責任持て、ということです。apjさんは、マグローブをどんなに批判しても、わざわざそれを購入して実験までする義理も責任もないんですよ。それでも実験していただいたのだから、ここは「ありがとう」と言うべきです。

(5)あなたの言う「材料」は科学的考察に基づく事実ではなく、単なる広告の文言。ssfs2007さんは定期的に新商品だのなんだの「ウォッチャー」として紹介してくれますが、そこについてくるコメントは、単に宣伝文句の「分析」でしかありません。宣伝文句はマーケティング戦略に基づいているのだから科学的でなくても良いと言ったその口で、宣伝文句を垂れ流しているのです。
 あなたは「科学」というものを間違って理解している。科学的議論をしようと思えば、その次の段階に進む必要があります。
 「評判」もそうです。「評判」が嘘だとは思わないし、実際に良いと思った人は沢山いるのでしょう。そういう「評判」は、じゃあもう少しきちんと考えてみようか、という動機付けにはなれど、「評判」自体からはほとんどなにも導かれないんですよ。「技報」に出てきた図のほうが、はるかに雄弁に「ファクト」を物語っています。
 「材料」と言うならば、そのような「ファクト」を大事にしてください。

(6)部分的な肯定と全面的な肯定を取り違えている。「マイナスイオン」と名の付く製品は、効能がゼロのものばかりではありません。例えば集塵などに使えるものだってあるわけです。しかし、それでも「マイナスイオンはニセ科学」なんですよ。これはssfs2007さんには理解する気がないのでここで論を展開することはしませんが(すでにこの掲示板でも何度も何度も論じられていますし)。

他にも色々言いたいことはありますが、とりあえず重要であろう点だけの指摘にとどめます。
 ええ、これは「最後のチャンス」です。これが受け入れられない場合は?もちろん、「無視リスト」行きです。*1

 まわりに迷惑をかけず、自分のブログで御自分の主張を展開なさってくださいね。もっとも、あなたに主張らしい主張はついぞ見られませんでしたけれどね。見られたのは、「なんかよくわからんけどマイナスイオン・ナノイーイオンドライヤーは評判がよくて、メーカーがイオンのせいだって言ってるんだからイオンのせいなんだ!」ということだけです。今回、(6)をのぞき、全面的にssfs2007さんの人格への批判になったのは、そもそも批判すべき論をあなたが提示されないからでもあります。提示されたところであの態度では議論にはなりようがないですけどね。

 ssfs2007さん、どうか御自愛ください。他人に迷惑をかけないところでのご活躍を祈っております。

*1)無論、冗談です。わからない方は、
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1161050666#CID1189342688
をご覧下さい(読み込みに時間がかかりますが…)。

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見ればわかるように(って長くて見るの大変ですね。すみません)、これは人格批判です。しかし、議論以前のところが問題なので、そうせざるを得ません。建設的な議論をするには、態度が重要であることは色々なところで指摘されていると思いますが、SSFSさんの場合はまさにそこが問題になっています。
 おまけに主張らしい主張もないので、どうしようもありません。

 この人を見ていると、いわゆる「相間さん」、つまり「相対性理論は間違っている」系の人々を思い起こさせます。その手の人の学会発表を目撃したことがありますが、正面から真面目にどこが間違っているかを指摘されても、「そういう細かくてややこしいこと言われてもわかりませんよ」といいながら、延々を自説を展開するのですよね(なので、普通は聴衆は生温かく見守っているだけなのですが、たまに真面目な方が指摘しちゃうんですよね)。
 自分がわかっていないことをわかっていない、ということなのでしょうが、その上自分の正しさを信じ込んでしまうと、他人の言うことも聞こうとしないし、どうしょうもないですね。

 こういう場合は実生活で信頼できる人(家族とか)が愛情持って接しないとどうしょうもないのでしょうが、なんせドライヤーですからねえ。ああいう性格だったら(実生活でもああなのかはわかりませんが)、「ドライヤー程度で済んでるなら面倒だからほっとけ」となってるんじゃないかと思ったり。
 …困った人です。






『神様のパズル』

 しばらく前に映画を見てなかなか良かったので、原作も読んでみた。これもしばらく前に読んでいて、でもここのところ忙しくてここで触れる余裕がなかったのだけれど、このままだとどんどん記憶が薄れてしまいそうなので。ネタバレが若干ありますが、まあ面白さは失われないと思います。まだ観てなくて/読んでなくて、少しでも筋を知りたくない、という方は、以下は読まないほうがいいかもしれません。整理しきれてなくて文章グダグダだし。(^^;;


 映画と原作ではだいぶ設定が違うのだが、母親が精子バンクから精子を買って生まれた「天才少女」(弱冠9歳にして素粒子加速器の新たなデザインを論文にした)と、同じ大学の物理学科に通うデキの悪い男子学生が主人公(映画では双子が入れ替わるという設定)。わけあって彼女も某大学に入り(現在17歳という設定)、その男子とともに素粒子物理のゼミに配属になる。ひょんなことから「宇宙の創り方」をテーマに、二人が議論をすすめていく…という話なのだが、それは本筋ではない。現代初期宇宙論を舞台にしたスポ根学園ドラマ、というのが、この話の一つの側面。表の面、と言ってもいいかもしれない。研究室のゼミや、主人公二人の議論の様子が、ほとんどスポ根ドラマなのだ。

 原作ではゼミの様子が淡々と、ただし細かく描写されているが、対照的に映画のほうは物理のブの字も知らない主人公が宇宙論の解説本を徹夜で読み漁り必死になってみんなの前で黒板使って報告する場面が圧巻である。原子→原子核・電子→クォークと「物質」をつきつめていき、一方、宇宙の誕生(いわゆるホーキングの無からの創世の話)から、力の分岐、元素合成、宇宙背景輻射、構造の形成と「力」を中心に語っていく。汗ダラダラで必死に説明する姿は思わず観ているこっちまで緊張してしまう。内容的にも現代宇宙論の一般向けの良いレビューになっている。単に「物質」の究極の話をするだけでもなく、宇宙の歴史を「お話」として語るだけでもなく、「力」(重力・電磁気力・強い力・弱い力という4つの根源的な力)という観点を強調していたのがなかなか良かった。この場面で、観客は映画の世界にグイグイと惹きこまれていく。
 研究室の人間関係の描き方も深みがあって、単に主人公二人の関係だけではなく、彼らを取り巻く人間たち同士の関係も話に厚みを増している。狂言回し的存在の、定年後に大学に通い始めた初老の男性、一人で田圃を維持している老婆。彼らの存在は、またこの話の「裏」のテーマとも密接に関わってくる。
 映画のクライマックスは、特にスポ根であることが強調されている。荒唐無稽な展開が、まるで「逆境ナイン」かのように、かつシリアスに繰り広げられる。これは原作にはないシーンであるが、なかなか楽しめた(ちょっと突き抜け切れてないきらいはあるが)。

 さて、「裏」のテーマである。これは、要するに宇宙の創世や物質の究極を知ることの意味はなんなのか、というテーマと関わっている。前半、「天才少女」が農業を営む老婆を哀れむシーンがある。この世界のことを何も知らぬまま老いて死んでいく人生に一体なんの意味があるのか、と。そしてまた、定年になって、宇宙の始まりがわからないと死ぬに死ねないと必死に勉強する初老の男性の存在。
 主人公たちの生き方をかけた壮絶な議論(というといいすぎかもしれないけど)を通じて、その意味が深められていく。原作では特に、主人公の男子が農作業を手伝うことで、少しづつその意味が明確になっていく。宇宙の創世も、物質の究極も、自分たちの日常もすべて関係していて、それらをトータルで認識できるということが本当は一番重要なのではないか、と(このあたりは私の問題意識が反映されているので、読み取りすぎているかもしれません)。
 原作では、それは「保障論」という形で展開されている(正確に言うならば、主人公の卒論の中で展開されていることになっている)。科学は生き方の意味そのものではないが、それを考える保障を与えるものである、と。これは、ある意味、「科学的命題」と「価値的命題」の区別に相当するだろう。「道徳の根拠を科学に求めるべきではない」という言明とも密接に関連するだろう。そして、その区別を踏まえた上で、いかに人生の中でそれらを統合するか、という問題意識が語られているといってよい。

 私自身、10代後半に、「フツーのありふれた人生」の意味がわからず、悩んだ時期があった。大学も後半になって(あるいは大学院に入ってからだったかもしれない)、少しづつ、その意味がわかるようになってきたような気がする。「科学」と「価値」を意識的に区別して考えられるようになったのはもうかなり最近だけれども。結局、ソレナリに年を重ねないと、それは掴めないのだろう、という気がする。原作は、そのあたりも示唆的な結末になっている。


…えーと、なにが言いたいのかサッパリわからぬグダグダの文章ですみません。要するに、結構面白かったよ!ということでした。(^^;;
 光速じゃなくて光子そのものに重要な意味づけがなされていたり、映画のあの「渦」はないだろうよ、とかツッコミどころもあるのだけど、そんなものは舞台設定としてソレっぽいものができてればどうでもいい話。主人公二人を演ずる俳優もいい演技してたと思う。
 ちょっと活かしきれてない部分も感じるけれども、でもオススメです。色々考えさせられる映画・小説でした。
神様のパズル (ハルキ文庫)/機本 伸司
¥714
Amazon.co.jp



『陽気なカモメ』全10巻^^;;

 古本屋で六田登の『陽気なカモメ』が7冊300円で特売だったので買って帰った。7巻読み終わったのだが話が途中。慌てて検索…え?全10巻? (^^;;;;
 ハンパ物を特売で出してたってことか…。しかしそれならそれで「全10巻」と書いてて欲しかった…。

 六田登は好きなマンガ家の一人だったりします。なんというか、「人間」が描かれてるような気がして。そして、そのとらえ方に深みを感じる。『ダッシュ勝平』とか『F』とかの長編もいいんだけど、数冊で完結するような中篇も、全体に暗いながらもいいんですよね(どれが、と言われると難しいけど)。
 まあ私が読んだことのある六田登の作品はほんの少しなので、あまり大したことは言えないのですが。

 明日から8巻以降を探さないといけないなあ。

「ポスドクからポストポスドクへ」円城塔、『日本物理学会誌』7月号

…涙なくしては読めない。(T-T)

インスタントコーヒー

 私は朝起きたらとにかくコーヒーがないとダメで、日中も何杯も飲んでいます。昼間は「一休み」という感じでコーヒーを飲むので、豆挽いて淹れるのですが、朝はやっぱりバタバタしてて余裕がないのでどうしてもインスタントになる。しかし、ラーメンとインスタントラーメンが別物であるように、コーヒーとインスタントコーヒーもまったく別物で、しかもインスタントラーメンは独自の世界が展開されておりそれはそれで美味しかったりするわけですが、インスタントコーヒーは基本的に不味い。
 ところが、一つだけ「飲める」インスタントコーヒーがあったのですよね。ドトールのロイヤルクリスタルブレンドというやつ。これがインスタントにしては味がクリアで深みもあって、下手に淹れたレギュラーよりも美味しかったりする。もう10年ぐらい?毎朝飲んでいたのですが…。
 このあいだ、家のストックがなくなりかけたので、買いに行ったのですよ。ところが店には見慣れない、しかし似たような瓶入りのインスタントが置いてある。店員さんに「ロイヤルクリスタルブレンドは品切れですか?」と聞いたら、なんと、「生産中止になりまして…」と言われてしまった(涙)。で、仕方なく、その新しいやつを一瓶だけ買って帰ったのです。
 淹れてみたところ、予想通りというかなんというか、ロイヤルクリスタルブレンドのいいところがすっかりなくなってしまっている。普通のインスタントよりは美味しいような気もするけれども、なんか無理矢理な苦さとか、最後に溶け切らなかった粉末がカップの底にたまるところとか、いわゆるインスタントの悪いところが出ちゃってるんですよねえ。
 インスタントのあの独特の苦さ、ホコリっぽいとでも言ったらいいのかな?あれが好きじゃないんですよねえ。

 しばらくは美味しいインスタントを求める遍歴の旅に出るしかなさそうです。悲しい…。