読書雑記 -16ページ目

読書雑記

読書日記。

ほとんど自分のためのものです。

☆☆☆☆★
新型コロナウイルスは人類にどんな影響を及ぼすのか。政治体制、AI、人生100年時代、認知科学、GAFA、経済対策をキーワードに世界を代表する知識人6人から世界や日本の行く末を問う。

本書は、コロナ以前の2019年11月から12月にかけて行われたインタビューをもとにまとめられていたが、年が明けで猛威を振るい始めたコロナの影響を無視することができないため、2020年5月から6月にかけての追加取材を経て完成したものである。

したがって、コロナの影響に関する記述の量も人によって異なるが、識者が展望する、AIの活用、人生100年時代の働き方、GAFAのパワー、世界経済のリスクなどの未来は、コロナによっても方向性は変わらず、より強化・加速されることがうかがえる。

個人的には、『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』の著者であるスコット・ギャロウェイの章が一番面白かった。
新型コロナウイルスのパンデミックにより、GAFAをはじめとするビッグテック企業がますますパワフルになっており、Apple、Facebook、Amazonはいずれも株価の過去最高値を更新しているらしい。
政府をも動かす資金力を持つGAFAは我々の生活を豊かにしてくれるが、彼らの目的は詰まるところ金儲けなので、生活の多くをGAFAに頼ることには慎重にならなければならないと警鐘を鳴らしている。

また、5月25日に起きた白人警官による黒人男性の暴行殺害事件を受け、2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンが本書に「追記」を寄せ、「やればできるはずの国がパンデミックに対処できない国になり、自由世界のリーダーが国際機関の破壊者となり、近代デモクラシー生誕の地が独裁主義を志向する者に支配されて」いると自国アメリカの先行きを相当の危機感をもって憂いていたのも印象的だった。

6人の他の著作との重複感もあるかも知れないが、新書一冊で今後の世界の見方の参考となる知見を得られて大変ありがたい。



☆☆☆☆★
人間は、伝染病を防ぐため、病原体の伝播経路を突き止め断ち切る清潔化の歴史を歩んできたが、人が激しく往来するグローバル社会においては、飛沫や空気を媒介する新型インフルエンザ、潜伏期間が長いために感染が広がるエイズなど、新たな感染症の脅威にさらされていることについて解説されている。

新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない今、伝播が起こりにくい社会をつくっていくためには、日本の強みである清潔行動文化を個々人が再認識し、効率的に活用していくべきであると著者は主張している。


☆☆☆★★

2012年6月30日、エンジェル投資家、京大客員准教授などの肩書を持つ瀧本哲史氏が、次代を担う10代、20代に限定して東大で行った講義の記録。

日本の現在・未来に危機感を持つ瀧本氏は、カリスマを待望せず、いかに皆が自分で考え自分で決めていく世界をつくっていくか、そのための「武器」を若者に与えていく。

・最重要の教養は「言語」である、言葉マニアになれ。
新しくて正しい考え方を選べば、最初は少数派でも、何十年か経って世代交代さえすれば、必ずパラダイムシフトは起こせる。
・交渉はいかに相手の利害に沿った提案ができるか。
・人生はいかに多くのチャレンジをし「分母の数を増やし)、そこから2、3の成功例をつかみ取るか。
・その人が過去に生きてきた人生はその人にしかないユニークさでだれにも盗まれない唯一無二なもの。

時には厳しく時には温かく、若者に「檄」を飛ばしていく。

音源は聞いていないが、実際の講義は文字では伝えきれない迫力があり聴衆の心に刺さったであろう。その興奮や氏が与えた武器を少しでも本書で味わいたい。

講義が行われた8年後、皆がどう取り組んできたか、宿題の答え合わせをするために、「2020年6月30日にまたここで会おう」と瀧本氏は締めくくった。

しかし、この約束は果たされなかった。
氏は病により2019年8月に永眠する。
それぞれが自分で答え合わせをし、瀧本氏の遺志を受け継いで、自分自身で考え決め世の中を変えていけるのかが問われている。

☆☆☆★★

新型コロナウイルスに関する知識は、コロナ時代を生きる我々にとって必須の教養といえる。

京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授が自身の新型コロナウイルスに関する情報発信サイトで紹介されていた書籍。

専門外の者には本書を完全に理解するには別の書籍やネットの情報を借りないと難しいが、細部を気にせず基本的な知識を得るには良い本だと思う。



殺伐とした英国社会を象徴するような「元底辺中学校」に通う息子と母ちゃん(著者)が、人種差別、ジェンダー、貧富の格差などの問題にぶち当たりながらも前へ進んでいくノンフィクション。

英国の階級社会、格差社会はここまで行っているのかと驚かされる。

・人気の高い学校には応募者が殺到するので、定員を超えた場合、地方自治体が学校の校門から児童の自宅までの距離を計測し、近い順番に受け入れるというルールになっているため、そうした地区の価格は高騰し、富者と貧者の棲み分けが進んでいる(ソーシャル・アパルトヘイト)。

・人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校。それに対して、元底辺中学校のようなところは白人労働者階級が多い。

・昔なら、勉強のできない子はスポーツができるとか、労働者階級の子どもが金持ちになりたいと思ったらサッカー選手か芸能人になるしかない、と言われた時代もあったが、今や親に資本がなければ、子どもが何かに秀でることは難しい。

もう授業やクラブ活動のためだけに学校予算を使える時代じゃない。貧困地区にある学校は、子どもたちの基本的な衣食住から面倒をみなければいけない(スクール福祉)。

・英国では、認められていない理由で子どもが学校を欠席したりすると、親が地方自治体に罰金を払わなければならない。デモに行くと『ずる休み』とみなされて罰金を払わされるかもしれないので、裕福でない家庭の子どもはデモに参加するのを躊躇する(そもそも子どもがデモに参加しようとするところが日本では稀だが)。

そんな中でも、息子と母ちゃんはたくましく、そしていつも冷静だ。

母ちゃん「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ・・・多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどうくさいけど、無知を減らすにはいいことなんだ」

息子も含め様々な家族形態をもつ学校の子どもたちについて、「彼らは自分の家族が他の子の家族と違うことをまったく気にしていなかった。それぞれ違って当たり前で、それを悪いとも良いとも、考えてみたことがないからだ。」

「よく考えてみれば、誰だってアイデンティティが一つしかないってことはないはずなんですよ」という中学校の校長の言葉を受け、著者(母ちゃん)は「分断とは、そのどれか一つを他者の身にまとわせ、自分の方が上にいるのだと思えるアイデンティティを選んで身にまとうときに起こるものなのかもしれない」と考える。

「学校は社会を映す鏡なので、常に生徒たちの間に格差は存在するものだ。でも、それが拡大するままに放置されている場所には勢いがない。陰気に硬直して、新しいものや楽しいことが生まれそうな感じがしない。」

多様性やダイバーシティの推進をイメージや口先だけで唱えるのは簡単だが、実際の大変さと大切さが本書を通じて理解できる。




☆☆☆☆★

「哲学する」ということはどういうことか。

筆者によれば、哲学は、自分自身に対する自分の了解の仕方を大いに助け、哲学することで得た概念によって、これまで表現できなかった自分の中の何かを互いに表現し合い、そのことで新しい質の関係を他人と結ぶことができるのだという。

本書では、これらのことをギリシャ哲学、近代哲学、近代思想の哲学者や思想家の思考を辿りながら実感したい。

ギリシャ哲学や近代哲学を見てみると、哲学にはいつも2つの大きな流れがあり、それらは絡み合っていることがわかるという。
一つは、世界の“客観的”な構造認識の努力であり、これは常に新しい論理矛盾を生み出して哲学を複雑なものにしてきた。アリストテレス−トマス・アクィナス−スピノザ−ヘーゲルなどの系譜がそれらに属する。
もう一つは、世界の構造を秩序付けているのは、人間の心(=幻想)の原理を探究することに哲学の本来があるという考え方の流れである。ソクラテス−プラトン−ニーチェ−キルケゴール−ハイデガーなどがその系譜に連なる。

また、近代哲学における「主−客」の難問では、個々の主体が社会全体のありようと深い関係を持っているということは疑われない前提となっていたが、現代思想の社会分析では、かりに「主−客」が一致しても(社会の構造の把握が可能としても)、主体(主観)は構造(客観)と関係できない、つまりは、認識や思考の努力は、結局社会全体のありよう(良し悪し)には関係できないというニヒリスティックな性格が滲み出ているとのことである。

近代哲学は長い間、「主−客」の難問、つまり認識問題に悩んできたが、この問題は現代思想においてうまく解かれておらず、むしろ、現象学や実存論において一つのはっきりとした答えが出ている。
しかしながら、人間には「ほんとう」「よいこと」「美しいもの」を求める本性があるのか、あるとすればどういう心の原理に基づいているのかというのがギリシャ哲学以来の未解決の問題であるとしている。



☆☆☆★★

キャリア警察官僚・竜崎伸也が警視庁大森署の署長として、ストーカー事案、それにまつわる殺人の難事件に挑む。

また、事件が解決してめでたしめでたしではなく、竜崎の行動が問題視される展開にもなる。

巻末の解説に川上弘美が登場したのは意外だったが、主人公・竜崎伸也や著者・今野敏に読者が惹かれる理由をうまく説明してくれている。

今回もビジネスに効く名言に溢れている。
責任の取り方、そして、竜崎の信念である、原理原則に基づき行動することの大切さについて、毎回、いろんな角度から語っている。

個人ががんばっているのに、全体として対応がうまくいっていないとしたら、それはシステムの問題で、責任はすべてそのシステムを作る上層部にあるのだ。」(33頁)

「いちいち口を出すつもりはない。ただ知っておきたいのだ。でないと、後々何が起きたときに責任の取りようがない」(70頁)

「みんな合理的に考えればいいんだ。原理原則から外れるからおかしなことになるじゃないか」(183頁)

「判断し、責任を取る。俺たちにできるのはそれだけなんだ。」(296頁)




主人公・優子には、実の父母を含め、3人の父親、2人の母親がいて、家族形態が7回も変わったにもかかわらず、たくさんの親たちや身近な人たちに愛情を注ぎ注がれ、幸せに育っていく。
それは物語の初めの優子の言葉、「困った。全然不幸ではないのだ。」に象徴される。

第1章では、3人目の父である森宮さんとの現在の生活と、過去の生い立ちが行き来して物語は進む。なぜ今の優子がこのように育ったのかを説明する形で現在と過去を往復する構成はうまい。
際立って目立つわけでもなく、勉強もスポーツもごく普通の私がもてるのはなぜか。今はピアノを習ってなくて、家に電子ピアノのしかない私がどうしてピアノを弾けるのか。それらは育ての親である梨花の影響を回想するなど。

やむを得ない事情もあれば大人の身勝手によって
親や家族形態が変わるたびに優子は逞しくなっていく。優子に嫉妬し意地悪な言動を続ける同級生に対して、自らの生い立ちを教室で喋るシーンは迫力がある。

そして、全ての親たちが一様に優子に愛情を注ぐ。
血の繋がりはなくとも親のような愛情を持つことができる。血の繋がりがない分、家族のあり方について考えさせてくれる。

3番目の父親である森宮さんはもう一人の主人公とも言うべき存在である。
森宮さんは世間とずれていて結構性格に難があるが、優子に今までの親にはない安心感を与えた。「森宮さんがやってきてくれて、ラッキーだった。どの親もいい人だったし、私を大事にしてくれた。けれど、また家族が変わるかもしれないという不安がぬぐえたことは一度もなかった。」

森宮さんと優子の会話も漫才のようで楽しい。
合宿祭の前日に森宮さんが歌う場面も感動的だ。

森宮さんはとても純粋で、2番目の母である梨花の言葉を借りて、親になることを次のように表現する。
「・・・自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない?・・・どんな厄介なことがついて回ったとしても、自分以外の未来に手が触れられる毎日・・・」

最初と最後は森宮さんの語りで、その間に第1章と第2章が挟まれている。
第2章では、優子が結婚することとなり、全ての親に結婚を報告する。改めて大人になって親や自分に向き合い、物語が収斂していく。

親がこんなに変わってこんなにうまくいくわけがないという意見もあるかもしれないが、幸せな気分になる本は心がやすらぐ。