読書雑記 -16ページ目

読書雑記

読書日記。

ほとんど自分のためのものです。



☆☆☆☆★

「哲学する」ということはどういうことか。

筆者によれば、哲学は、自分自身に対する自分の了解の仕方を大いに助け、哲学することで得た概念によって、これまで表現できなかった自分の中の何かを互いに表現し合い、そのことで新しい質の関係を他人と結ぶことができるのだという。

本書では、これらのことをギリシャ哲学、近代哲学、近代思想の哲学者や思想家の思考を辿りながら実感したい。

ギリシャ哲学や近代哲学を見てみると、哲学にはいつも2つの大きな流れがあり、それらは絡み合っていることがわかるという。
一つは、世界の“客観的”な構造認識の努力であり、これは常に新しい論理矛盾を生み出して哲学を複雑なものにしてきた。アリストテレス−トマス・アクィナス−スピノザ−ヘーゲルなどの系譜がそれらに属する。
もう一つは、世界の構造を秩序付けているのは、人間の心(=幻想)の原理を探究することに哲学の本来があるという考え方の流れである。ソクラテス−プラトン−ニーチェ−キルケゴール−ハイデガーなどがその系譜に連なる。

また、近代哲学における「主−客」の難問では、個々の主体が社会全体のありようと深い関係を持っているということは疑われない前提となっていたが、現代思想の社会分析では、かりに「主−客」が一致しても(社会の構造の把握が可能としても)、主体(主観)は構造(客観)と関係できない、つまりは、認識や思考の努力は、結局社会全体のありよう(良し悪し)には関係できないというニヒリスティックな性格が滲み出ているとのことである。

近代哲学は長い間、「主−客」の難問、つまり認識問題に悩んできたが、この問題は現代思想においてうまく解かれておらず、むしろ、現象学や実存論において一つのはっきりとした答えが出ている。
しかしながら、人間には「ほんとう」「よいこと」「美しいもの」を求める本性があるのか、あるとすればどういう心の原理に基づいているのかというのがギリシャ哲学以来の未解決の問題であるとしている。



☆☆☆★★

キャリア警察官僚・竜崎伸也が警視庁大森署の署長として、ストーカー事案、それにまつわる殺人の難事件に挑む。

また、事件が解決してめでたしめでたしではなく、竜崎の行動が問題視される展開にもなる。

巻末の解説に川上弘美が登場したのは意外だったが、主人公・竜崎伸也や著者・今野敏に読者が惹かれる理由をうまく説明してくれている。

今回もビジネスに効く名言に溢れている。
責任の取り方、そして、竜崎の信念である、原理原則に基づき行動することの大切さについて、毎回、いろんな角度から語っている。

個人ががんばっているのに、全体として対応がうまくいっていないとしたら、それはシステムの問題で、責任はすべてそのシステムを作る上層部にあるのだ。」(33頁)

「いちいち口を出すつもりはない。ただ知っておきたいのだ。でないと、後々何が起きたときに責任の取りようがない」(70頁)

「みんな合理的に考えればいいんだ。原理原則から外れるからおかしなことになるじゃないか」(183頁)

「判断し、責任を取る。俺たちにできるのはそれだけなんだ。」(296頁)




主人公・優子には、実の父母を含め、3人の父親、2人の母親がいて、家族形態が7回も変わったにもかかわらず、たくさんの親たちや身近な人たちに愛情を注ぎ注がれ、幸せに育っていく。
それは物語の初めの優子の言葉、「困った。全然不幸ではないのだ。」に象徴される。

第1章では、3人目の父である森宮さんとの現在の生活と、過去の生い立ちが行き来して物語は進む。なぜ今の優子がこのように育ったのかを説明する形で現在と過去を往復する構成はうまい。
際立って目立つわけでもなく、勉強もスポーツもごく普通の私がもてるのはなぜか。今はピアノを習ってなくて、家に電子ピアノのしかない私がどうしてピアノを弾けるのか。それらは育ての親である梨花の影響を回想するなど。

やむを得ない事情もあれば大人の身勝手によって
親や家族形態が変わるたびに優子は逞しくなっていく。優子に嫉妬し意地悪な言動を続ける同級生に対して、自らの生い立ちを教室で喋るシーンは迫力がある。

そして、全ての親たちが一様に優子に愛情を注ぐ。
血の繋がりはなくとも親のような愛情を持つことができる。血の繋がりがない分、家族のあり方について考えさせてくれる。

3番目の父親である森宮さんはもう一人の主人公とも言うべき存在である。
森宮さんは世間とずれていて結構性格に難があるが、優子に今までの親にはない安心感を与えた。「森宮さんがやってきてくれて、ラッキーだった。どの親もいい人だったし、私を大事にしてくれた。けれど、また家族が変わるかもしれないという不安がぬぐえたことは一度もなかった。」

森宮さんと優子の会話も漫才のようで楽しい。
合宿祭の前日に森宮さんが歌う場面も感動的だ。

森宮さんはとても純粋で、2番目の母である梨花の言葉を借りて、親になることを次のように表現する。
「・・・自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない?・・・どんな厄介なことがついて回ったとしても、自分以外の未来に手が触れられる毎日・・・」

最初と最後は森宮さんの語りで、その間に第1章と第2章が挟まれている。
第2章では、優子が結婚することとなり、全ての親に結婚を報告する。改めて大人になって親や自分に向き合い、物語が収斂していく。

親がこんなに変わってこんなにうまくいくわけがないという意見もあるかもしれないが、幸せな気分になる本は心がやすらぐ。


いかに効率よく身になる読書ができるか。
なかなか答えが見つからず、あまたの読書法を知っても継続できず日々反省。

偏差値35から二浪して東大に入学し、現在は東大の学内書評誌の編集長を務める著者が、受け身を嫌う東大生がみんな(?)やっている能動的な読書術、読解力と自分で考える力が身につく「5つの読み方」を伝授してくれる。

「5つの読み方」とは、読む前の準備から始まり(仮説作り)、「読者」でなく「記者」になって本に質問・追求しながら(取材読み)、節ごとに章ごとに最後は全体の要約をつくっていく(要約読み)。さらには、同時並行で複数の本を読むことにより、客観的で多面的な使える知識をインプットし(検証読み)、本と会話する、つまりはインプットだけでなくアウトプットすることで、読解力が向上し、知識が定着する(議論読み)読み方である。

東大生がやってるというフレーズには弱い。しかも偏差値35だった著書が実践できたのだから自分にもできると思わせられる。



☆☆☆★★

50歳を境に足形がどのように変わり、それに伴い歩き方がどう変わるのか。
健康で若々しい歩き方を保つために「ファストウォーキング」を勧めています。
さらには、年齢や足形、目的にあったウォーキングシューズとは。「若く見られる歩き方」まで。

長年、日本人の足を測定し続け、日本人に合う靴を作り続けてきたアシックスの研究所がこれまでに集積した100万人分のデータをもとに「究極の歩き方」を解説しています。

第4章「ウォーキングシューズの秘密」はちょっとアシックス製品の説明が細かいのと、第5章「足の変形を靴で止める」はあまり興味がなかったので読み飛ばしましたが、第1章「50歳を過ぎると、足形はこう変わる」、第2章「50歳を過ぎると、歩き方はこう変わる」、第3章「ファストウォーキングのすすめ」は大変参考になりました。

☆☆☆★★

留守宅を狙う空き巣ではなく、深夜に寝静まった民家から金品を盗み出す「ノビ師」を主人公にした連作短編集。

亡くなった双子の弟が同居する心の闇を持ち苦闘しながらも、ノビ師としての技術や明晰な頭脳を使って身の回りの事件や謎に対峙していく。

連作集ゆえに個々の謎解きと全編を貫く物語がどうなっていくかの面白さがある。

山崎まさよし主演で映画化もされ公開されているらしい。


☆☆☆☆★

鎌倉で代書屋と文具店を営む鳩子を主人公とした『ツバキ文具店』の続編。幸せな気持ちになれる小説。

日常の幸せを丁寧に掬い取って、自然、人間、文化、食べものへの愛情に溢れている。

主人公の鳩子は出来過ぎだ人だけれど、小説だからこれぐらいがいい。


☆☆☆☆★

VUCAの時代を生き抜くための24の思考・行動様式を提示している。

明快でわかりやすく説明されている。

過去の哲学者・政治家・芸術家・作家などの言葉、研究論文、著作からの引用や紹介が随所にあり、教養に満ちていて読むだけでも面白い。

24の思考・行動様式をいかに自分の思考・行動に落とし込めるか考え実践してみよう。


☆☆☆☆★

「最後の証人」を読んでから、すっかり「佐方貞人」と柚月裕子のファンになってしまった。

本書には3つの短編・中編の小説が収録されており、主人公の検事である佐方の父親の秘密も明かされる。

佐方は、郵便物紛失や痴漢行為といった小さな事件(と言ったら怒られるかもしれないが)でも、「罪をまっとうに裁かせることが己の仕事」と言い、決して手を抜かない。

どんな事件にも、その背景には人の人生がかかっていたり、社会の悪が潜んでいたりして、そのあたりを作者は、おもしろく感動的に描く。