![]() | 自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫) 814円 Amazon |
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「哲学する」ということはどういうことか。
筆者によれば、哲学は、自分自身に対する自分の了解の仕方を大いに助け、哲学することで得た概念によって、これまで表現できなかった自分の中の何かを互いに表現し合い、そのことで新しい質の関係を他人と結ぶことができるのだという。
本書では、これらのことをギリシャ哲学、近代哲学、近代思想の哲学者や思想家の思考を辿りながら実感したい。
ギリシャ哲学や近代哲学を見てみると、哲学にはいつも2つの大きな流れがあり、それらは絡み合っていることがわかるという。
一つは、世界の“客観的”な構造認識の努力であり、これは常に新しい論理矛盾を生み出して哲学を複雑なものにしてきた。アリストテレス−トマス・アクィナス−スピノザ−ヘーゲルなどの系譜がそれらに属する。
もう一つは、世界の構造を秩序付けているのは、人間の心(=幻想)の原理を探究することに哲学の本来があるという考え方の流れである。ソクラテス−プラトン−ニーチェ−キルケゴール−ハイデガーなどがその系譜に連なる。
また、近代哲学における「主−客」の難問では、個々の主体が社会全体のありようと深い関係を持っているということは疑われない前提となっていたが、現代思想の社会分析では、かりに「主−客」が一致しても(社会の構造の把握が可能としても)、主体(主観)は構造(客観)と関係できない、つまりは、認識や思考の努力は、結局社会全体のありよう(良し悪し)には関係できないというニヒリスティックな性格が滲み出ているとのことである。
近代哲学は長い間、「主−客」の難問、つまり認識問題に悩んできたが、この問題は現代思想においてうまく解かれておらず、むしろ、現象学や実存論において一つのはっきりとした答えが出ている。
しかしながら、人間には「ほんとう」「よいこと」「美しいもの」を求める本性があるのか、あるとすればどういう心の原理に基づいているのかというのがギリシャ哲学以来の未解決の問題であるとしている。
