英語教師(英検1級取得・全国通訳案内士)!ウォーカーと歩く!

英語教師(英検1級取得・全国通訳案内士)!ウォーカーと歩く!

<似顔絵イラスト/英語教育・学習/ホームルーム話材> - WEBサイト(http://walkerosawa.wix.com/osawawalker)の続きを書(描)いています。

結局、使わなかったスピーチ草稿です。

卒業を控えた3年生に準備していました。

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この春の甲子園には,履正社も大阪桐蔭も出ません。

大阪の野球の強豪校が出ないのは,低反発バットがゲームチェンジャーになったからです。

本塁打などの長打で決着をつける時代ではなくなりました。

昨年夏の甲子園では,島根の,そして,県立の大社(たいしゃ)高校がベスト8に進出しています。

 

以上の話には教訓があります。

それは,自分が変わらなくても,周囲の変化で事態が大きく動くということです。

もし,心のどこかで,片隅で,

スポーツ推薦がないから,部の予算も少ないから,施設・設備も悪いから,指導者が良くないから,

などと少しでも迷いが,諦めが,言い訳が,頭をかすめるようでは,

ゲームチェンジャーが表れたとき,好機は,チャンスはつかめません。

 

グラウンドに,フィールドに,コートに立ち続けたいならば,

限られた自分の知識や経験だけで,未来を,将来を予想せずに「ハードワーク」! 

常に実直に,勤勉にプレーして,最後の最後まで運動量を落とさずに上げていく。

後先考えずに「ハードワーク」です!

 

次の文章は、1941年10月に大政翼賛会が国民に国債の購入を促すために全国の隣組に配った読本「戦費と国債」の一節だそうです。

「国債がたくさん増えても全部国民が消化する限り、すこしも心配は無いのです。国債は、国家の借金ですが、同時に国民が貸し手であります。」

積極財政を持論とする安倍晋三元首相のブレーンだった本田悦朗氏も次のように論じていました。

「政府の債務は国民の資産で、金額はほとんど何の意味も無い」

 

この話を聞いて、落語「花見酒」を思い出すのは見当違いでしょうか?

噺の詳細は下記の日本気象協会のウェブサイトに任せるとして、その要旨は下記のとおりです。

お酒を売って一儲けをしようと考えた2人組が、酒を買った酒屋から花見客で賑わう場所まで酒樽を運んでいく道すがら、一方が手持ちのお金で相方から酒を一杯だけ買って飲み、次は逆に、もう一方が、先ほど受け取ったお金で相方から酒を一杯買って飲み、その後も交互に同じお金を使って酒代を払っては一杯ごとに飲むうちに、ついには、花見客のいる場所に着いたときには酒樽が空(から)になっていた、というサゲがある噺です。

 

冒頭の話には「国債」「国家」「国民」は出てきますが、国債を発行して得たお金で消費したさまざまなモノとサービスの話は出てきません。この場合のモノとサービスは、落語の中のお酒なのでしょうか。貸したお金が戻ってくれば良いのでしょうが、そのお金は、国民(貸し手)に代わって、国家という借り手が購入したモノとサービスに姿形を変えてしまっているかもしれません。しかも、そのモノとサービスは、一部を除いて、すでに消費されてしまったのかもしれません。

お金はどこに行ったのでしょうか?

 

 

 

日本気象協会 

 

 

不思議な勘定で一杯 ── 落語「花見酒」

お酒の好きな二人が、花がまっさかりという季節になってぼやいています。花見でお酒が飲みたいのに、先立つものがないのです。

そこで兄貴分、「いいことを思いついた、金もうけをしようじゃなないか」と弟分に持ちかけます。
お酒を用意して、花見客に一杯10銭で売ろうというのです。
「必ずもうかるぜ。もうけた金で一杯やろう」。なんのことはない、飲むために売ろうというのです。
そこで二人は、酒屋に掛け合って3升の酒を借り、天秤棒を担いで向島(むこうじま)へ出かけます。

さて道中、弟分は天秤棒(てんびんぼう)の後ろ側を担いでいますから、お酒のなんともいい匂いが鼻先に漂ってきます。
「兄貴、俺に一杯売ってくれないか」
普通だったら、「商売物だからダメだ」というところですが、ここが落語界の住人です。
「どうせ誰に売ったって同じだ。ただし銭は払えよ」
弟分は、釣り銭に持ってきた10銭を兄貴分に払い、ぐいっと一杯飲み干します。

 

見ている兄貴分も、「なんだい、どうにもうまそうだな」と我慢できません。
さっきもらった10銭を払って今度は自分が飲みます。さあ、こうなるともう止まりません。
二人は、花見客を尻目にひとつの10銭をやったりとったりしながら、交互に飲み始めてしまい、向島についたときには酒樽は空っぽに。当然、二人はベロベロ状態です。

そこで二人は、酒を売ろうとしても、もう一滴も残っていないのに気がつきました。さらに、懐(ふところ)には10銭しかありません。「なんで用意した酒が全部売れたのに、売り上げが10銭しかねえんだ?」
「なんだと? 考えてみれば当たり前だ……。
あすこでオレが一杯飲んで、ちょっと行って、てめえが一杯。
またあすこでオレが一杯買って、またあすこで、てめえが一杯……」
そう思い返してみた二人は、交互に酒をすべて飲んでしまったことに、あらためて気がついたのです。
「……ああそうか。そりゃ無駄はねえ」

 

 

 

「無駄なことはしたくない」という生徒がいます。

それに対して、次のように応えるようにしています。

➀「無駄なこと」を見極められるか?

短期的に無駄なことに思えても、中長期のスパンで見れば無駄ではないかもしれない。

人生100年時代、後々何が役に立つか分からない。そもそも「無駄なこと」かどうかの判断が付きにくい。

➁無駄なことを切り捨てていくと、自分がすること,出来ることが、徐々に狭まってくるだけではないか。

そして排除の連続が行き着く先は最終的に,様々な学力も経験もなく、小さくまとまった自分が残るだけかもしれない。

これは、勉強が追い付かず入試科目を絞っていって、結局「私文」(私立文系)の3教科受験になってしまうようなものなのか??(ちなみに私は私文です。笑)

山が高いのは裾野が広いから。専門性を高めるために、幅広く教養を身に付ける必要があると考えます。

 

芥川龍之介の『侏儒の言葉』に次のような箴言があります。

「人生は一箱のマッチに似ている。 重大に扱うのは莫迦莫迦しい。 重大に扱わなければ危険である」

 

今の高校生にとっては「マッチ」は馴染みのないものですから、これを敢えて「スマホ」と言い換えてみます。

スマホは場所を選ばずに連絡をとりあえる、そして、いつでも情報を得る便利な手段に過ぎないかもしれません。

しかし、その使い方を誤れば、学習の妨げになり、ときには個人の生活のペースを乱して健康を損なわせます。さらにそれだけでなく、学校現場においては、いじめを誘発する悪しき道具となり得るのです。

火をつける用途のほんの小さなマッチ棒が、時として大火事を引き起こすように、片手に収まる通信機器が、人の命も左右しかねないのです。

 

そして、昨日の兵庫県知事選挙においても、スマホも大きく関わるSNSの危うさがあらためて露見したのかもしれません。

真偽の定かでない情報が投票行動に影響を及ぼした可能性が取りざたされ「既得権益」に対抗すると称して社会の分断を煽るような投稿があったとも言われます。

これらなど、平和で民主的な社会において、非常に危険な火遊びであり、けっして看過できるものではありません。

 

「人生は1台のスマホに似ている。重大に扱うのは馬鹿々々しい。重大に扱わなければ危険である」

 

 

以下は,卒業を間近に控えていた卒業生に向けたスピーチです。

 

 本日未明の地震で目が覚めた人も少なからずいたと思います。ところで,地震は私たちの「賢さ」・「賢明さ」を測る良いバロメーター・物差しなのかもしれません。賢さというものは何も情報処理能力や記憶力のことだけを指しません。賢さの一つは,未来のことをいかに現在に引き寄せて考えられるかということでもあるのではないでしょうか。

 地震の予知は難しく,いつ起こるかズバリ予想できないものです。発生確率について,今後何十年以内に何パーセントの確率で発生するという表現が使われるのみです。それを聞いて,将来起こる地震に漠然とした不安を感じるだけなのか,それとも来るべき災害に備えて具体的な行動を起こすのか。それも,まだまだ先の未来の話という意識ではいけません。10年先ではなくて5年先,5年先ではなく1年先,1年先ではなく半年先,半年先ではなく一か月先、一か月先ではなく一週間先,一週間先ではなく明日にでも起こると考えるならば,私たちは,この講堂にいる場合ではなくて,今すぐにでもスーパーに走って備蓄に奮闘することになるのでしょう。もし社会の皆が常にこのように考えることができれば、私たちの社会は,コロナの集団免疫ではありませんが、より安全で安心なものになると思います。繰り返しますが,生きる賢さの一つは,いたずらに不安がっているだけではなく,時間的に何年も先の話を,あたかも明日もしくは今日のことのように想像できる感覚なのではないでしょうか。

 天災・自然災害の最たるものは地震ですが。人災の最たるものは戦争です。今、ウクライナで戦争が起こっています。わたしたちはこれをどう考えるのか? どんな意見を持っているのか? 街頭インタビューでもされたら何と応えるのか? 能登半島地震は2ヶ月前のことですが,ウクライナのゼレンスキー大統領は2年前に言いました。「現在ウクライナで起こっていることを看過する国は,今,ウクライナで起こっていることと同じことが,その国でも起こる」という主旨の発言をしていました。先ほどの時間的な距離ではなく,ウクライナもイスラエルもガザ地区も空間的な距離の話ですが,地理的に離れたヨーロッパ・中東の話をいかに身近に感じられるか? たとえば世界の皆が隣国で起きている出来事のように捉えることができれば,世界はより安全で平和な場所となるのではないでしょうか。

 戦争もいずれ将来のどこかのタイミングはなく,すぐにでも起きるかもしれないと思えるかどうか。その意識もなく,ただ単に不安な気持ちで具体的な行動を先送りにしていれば,気づいたときには,戦争を回避できない抜き差しならない,もう後戻りできない状況に知らず知らずに追い込まれているかもしれません。意識的に戦争を「意識」することが,それを回避する唯一の手段になり,戦争ではなく,いつまでも戦前という状態,言いかえれば,安全で平和な社会が継続するのかもしれないと考えます。

♪Imagine all the people♪ そうしたら,戦争は起こらない!

 

 

 

英文は左から右に単語が並んでいきます。それは一直線で,紙面の都合で改行するだけです。直線という1次元の世界です。

試験問題やワークシートでは,その直線で書かれた英文を,時系列の「表」に直し,矢印で単語を結びつけて「図解」し,ディベートではフローシートを作成します。言いかえれば,縦・横に平面的に広がる2次元に置き換えるわけです。

その逆に,プレゼンテーションは,2次元になっている「表」や「図解」をコトバで説明するものです。コトバは一度に一行分しか話せない1次元的なものです。(一度に1行しかアウトプットできないからこそ,等位接続詞の"and"や"or"が,どのような共通関係をつくっているかが英文解釈で問われることになります)

英文読解とは1次元を2次元にすること。プレゼンテーションとは2次元を1次元にすること!

これを意識的に,自覚的に英文読解することは,英文全体の構成を大きく把握するだけでなく,リーディング後のライティングやスピーキングの活動につながるのではないでしょうか。

これも『図読』!?

 

 「さようなら」という言葉は,「そういうことならば」を意味する「さ様ならば」が変化して、「ば」が省略されたそうです。

 リンドバーグの妻で,自身も飛行家であったアン・モロー・リンドバーグは,来日した印象を語った著書の中で「このようにうつくしい言葉をわたしは知らない」と書き残しました。多くの外国語で別れ際に使う「また会いましょう」は、別離の痛みを再会の期待で紛らわす気持ちがあります。しかし,「さようなら」という言葉の原義は,別れにともなう悲しみや痛みの感情を抑えて「事実をあるがままに受け入れている」と感嘆しているのです。

 別離の極みは「死」です。ユーゴ紛争を生き抜き,その後も旧ユーゴスラビアの全ての民族から敬愛されたサッカー元日本代表監督イビツァ・オシム氏は,死生観について次のように語っています。「死は避けがたい人生の一部なのだから,そこに向ける感情は,驚きも悲しみもふさわしくないではないか」。ここにもやはり,別れをあるがままに受け入れようとする精神が宿っています。

 それでも,別れの苦しさと痛みは受け入れがたいものです。

 「人は2度死ぬ」とは,1度目は心臓と脳の機能が停止し,呼吸が止まる生物学的な死を,2度目は,亡くなった人のことが忘れ去られて,人々の記憶の世界から存在しなくなる「死」を意味すると言われます。このような考えや感情も,永遠の別れの痛みを何とかして紛らわせようとしているのでしょうか。小学校に入学したての頃の私自身の話ですが,映画館で観たアニメーションの主人公に,現実世界で会えない寂しさを紛らわすため,子供ながら,次のように自分に言い聞かせていたことを思い出します。会いたいという気持ちは,その登場人物が素晴らしい性格の持ち主だから。もしその魅力と美徳を自分も身に付けることができるなら,常に一緒にいるのも同然だと。

 強く深い愛情がある場合,別離は肉体的な激痛のイメージに例えられます。「生木を裂く」とは,相思相愛の男女を,地面から生えている,枯れ木と違いまだ生きている木を無理やり引き裂くように別れさせること。「断腸の思い」とは,武将の部下に捕まえられた子猿を,その母親が百里余りを追いかけた後に絶命し,その腹の中を見たところ腸がズタズタにちぎれていたという古代中国の故事に由来するとのこと。

 ウォーカーがいなくなってから,たまたまクルマのラジオから流れてきた,さだまさしさんの『いのちの理由』に次のような歌詞がありました。「春来れば 花自ずから咲くように 秋くれば 葉は自ずから散るように」,「悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように」,「夜が来て 闇自ずから染みるよう 朝が来て 光自ずから照らすよう」,「悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように」。仕事帰りの夜のクルマの中で大いに慰められました。

 ウォーカーに会いたい。やるせなくて,やりきれない。しかし,その感情を押し殺して噛み殺して別れを告げます。じっくり観たことはありませんが,そのような私でも知っている『銀河鉄道999』のラストのナレーションにある言葉を借りて。

 「万感の思いを込めてウォーカーは行く,さようなら,ウォーカー」

 

家康は瀬名(築山殿)の問いに答えます。

戦(いくさ)をするのは,貧しいから。そして,隣国から奪うため。

 

それに応えて瀬名は言います。

奪わずとも,もらえばよい。

飢えるときは与えてもらい,

持てるものでお返しする。

そして,この理念を徳川と武田,北条,上杉,伊達と共有して東国に一大経済圏を作る。

これをもって織田の勢力と均衡し平和を保つ。

 

相田みつをさんの詩にあります。

「うばい合えば足らぬ 分け合えばあまる」

 

本日の『どうする家康』は、

その後、穴山信君(のぶただ)が武田氏から離反し(史実は別にしても),

江戸時代という260年を超える太平の世が実現し、

20世紀には統一通貨ユーロが誕生する伏線となっている!?

壮大なテーマがココにはある!

さすが大河ドラマ!

 

以下は,クオリティーを維持しながら,授業動画作成の時短を実現した方法だと思っています。(笑)

【1】 画像の作成

まず,授業動画で使用する画像(文字やイラスト入り)をPowerPointもしくはWordで作ります。

① Wordのファイルならば,授業で使用するWordのページの箇所をスクリーンショットして保存していきます。(画面の一部をスクリーンショットするならば,「Win」+「Shift」+「S」のショートカットキーで画像を保存します)。もしくは,WordファイルをPDFファイルにして保存すれば,WordではPCの画面に残る余計な枠や,文字カーソル(画面上で入力位置を示す点滅している縦線)等も表示されなくなります。

② PowerPointの各スライドをそれぞれPDFに変換するならば,[ファイル] > [エクスポート] >[PDF/XPS の作成] をクリックします。そして, [PDF または XPS 形式で発行] ダイアログ ボックスで、PDFファイルの保存場所を選びます。

※ スクリーンショットした画像は,[ピクチャ]>[スクリーンショット]のフォルダーに保存されています。

【2】 Wordのディクテーションで文字起こし

上記の画像を見ながら,Wordのディクテーション(文字起こし)機能を使って、声を出しながら原稿を作成していきます。もちろん,キーボードをタイピングして文字を入力しても構いませんが,ディクテーション(文字起こし)機能の方が楽(らく)です。この機能は,声を出しているときしか文字を起こしませんから,ポーズをとって,ゆっくり考えながらでも授業画面を説明するセリフを声に出して文字に起こしていきます。

※このとき、多少の間違えは気にしません。おおよその原稿ができれば,録音のとき,それを修正しながら読めば済むことですし,またそれで,原稿を単に読み上げているような感じがかえって薄れてライブ感が出ます。

【3】 音声の収録

上記の原稿を使って私は,実際に授業動画で使う音声を収録するためにAudacityとLameという無料アプリを使用しています。操作が簡単ですから,たとえばWordにおける削除,コピー,切り取り,貼り付けのように,アプリ上でさまざまな変更を行って,吹き込んだ音声の無駄をそぎ落としていきます(もちろん,音声の追加も,一通り録音した後で気軽にできます)。

<注意> 声の高さの調整

声をディクテーション(文字起こし)機能を使って録音するときの注意ですが,録音に臨むたびに,声の高さが一定になるように,私の場合,実際に発声して「ドレミ・・・・」の「ミ」の高さに合わせます。

※ 録音の最初と最後(たとえば収録して50分後)では,また,時間をおいて別の日に録音するとき,私には声が徐々に高くなる癖があります。上記は,これを避けるためにときどき行っている方法です。(アナウンサーの方はプロフェッショナルですね。ナレーションをしている番組の最初と最後でも声の高さが一定です!)

【4】 画像と音声の合成

画像(【1】)と音声(【3】)を,動画編集ソフト(私はVideoStudioを使用)で合わせます。まず,音声(【3】)を取り込んで,それに,それぞれの画像を該当する音声の長さに合わせて貼り付けていきます。このとき,たとえば音声録音で説明し忘れたことなどは,画面に文字で追加していきます。

 

<その他の方法>

短くライブ感の豊かな動画作成ならば,① iPadならば「画面録画」,② Widowsならば [Win]+[Alt]+[R] キーを押してから,GoodNotesやloilo(ロイロ)のアプリに直接書き込みをしながら動画を収録する方法もあります。(詳しくは,以前に投稿した下記ブログをご参照ください)。

 

 

以上が私の最近の流行りです。ここでふと思いましたが,この説明自体が上記の方法で動画で作成されるべきでした!(笑)