英語教師(英検1級取得・全国通訳案内士)!ウォーカーと歩く!

英語教師(英検1級取得・全国通訳案内士)!ウォーカーと歩く!

<似顔絵イラスト/英語教育・学習/ホームルーム話材> - WEBサイト(http://walkerosawa.wix.com/osawawalker)の続きを書(描)いています。

以下は,卒業を間近に控えていた卒業生に向けたスピーチです。

 

 本日未明の地震で目が覚めた人も少なからずいたと思います。ところで,地震は私たちの「賢さ」・「賢明さ」を測る良いバロメーター・物差しなのかもしれません。賢さというものは何も情報処理能力や記憶力のことだけを指しません。賢さの一つは,未来のことをいかに現在に引き寄せて考えられるかということでもあるのではないでしょうか。

 地震の予知は難しく,いつ起こるかズバリ予想できないものです。発生確率について,今後何十年以内に何パーセントの確率で発生するという表現が使われるのみです。それを聞いて,将来起こる地震に漠然とした不安を感じるだけなのか,それとも来るべき災害に備えて具体的な行動を起こすのか。それも,まだまだ先の未来の話という意識ではいけません。10年先ではなくて5年先,5年先ではなく1年先,1年先ではなく半年先,半年先ではなく一か月先、一か月先ではなく一週間先,一週間先ではなく明日にでも起こると考えるならば,私たちは,この講堂にいる場合ではなくて,今すぐにでもスーパーに走って備蓄に奮闘することになるのでしょう。もし社会の皆が常にこのように考えることができれば、私たちの社会は,コロナの集団免疫ではありませんが、より安全で安心なものになると思います。繰り返しますが,生きる賢さの一つは,いたずらに不安がっているだけではなく,時間的に何年も先の話を,あたかも明日もしくは今日のことのように想像できる感覚なのではないでしょうか。

 天災・自然災害の最たるものは地震ですが。人災の最たるものは戦争です。今、ウクライナで戦争が起こっています。わたしたちはこれをどう考えるのか? どんな意見を持っているのか? 街頭インタビューでもされたら何と応えるのか? 能登半島地震は2ヶ月前のことですが,ウクライナのゼレンスキー大統領は2年前に言いました。「現在ウクライナで起こっていることを看過する国は,今,ウクライナで起こっていることと同じことが,その国でも起こる」という主旨の発言をしていました。先ほどの時間的な距離ではなく,ウクライナもイスラエルもガザ地区も空間的な距離の話ですが,地理的に離れたヨーロッパ・中東の話をいかに身近に感じられるか? たとえば世界の皆が隣国で起きている出来事のように捉えることができれば,世界はより安全で平和な場所となるのではないでしょうか。

 戦争もいずれ将来のどこかのタイミングはなく,すぐにでも起きるかもしれないと思えるかどうか。その意識もなく,ただ単に不安な気持ちで具体的な行動を先送りにしていれば,気づいたときには,戦争を回避できない抜き差しならない,もう後戻りできない状況に知らず知らずに追い込まれているかもしれません。意識的に戦争を「意識」することが,それを回避する唯一の手段になり,戦争ではなく,いつまでも戦前という状態,言いかえれば,安全で平和な社会が継続するのかもしれないと考えます。

♪Imagine all the people♪ そうしたら,戦争は起こらない!

 

 

 

英文は左から右に単語が並んでいきます。それは一直線で,紙面の都合で改行するだけです。直線という1次元の世界です。

試験問題やワークシートでは,その直線で書かれた英文を,時系列の「表」に直し,矢印で単語を結びつけて「図解」し,ディベートではフローシートを作成します。言いかえれば,縦・横に平面的に広がる2次元に置き換えるわけです。

その逆に,プレゼンテーションは,2次元になっている「表」や「図解」をコトバで説明するものです。コトバは一度に一行分しか話せない1次元的なものです。(一度に1行しかアウトプットできないからこそ,等位接続詞の"and"や"or"が,どのような共通関係をつくっているかが英文解釈で問われることになります)

英文読解とは1次元を2次元にすること。プレゼンテーションとは2次元を1次元にすること!

これを意識的に,自覚的に英文読解することは,英文全体の構成を大きく把握するだけでなく,リーディング後のライティングやスピーキングの活動につながるのではないでしょうか。

これも『図読』!?

 

 「さようなら」という言葉は,「そういうことならば」を意味する「さ様ならば」が変化して、「ば」が省略されたそうです。

 リンドバーグの妻で,自身も飛行家であったアン・モロー・リンドバーグは,来日した印象を語った著書の中で「このようにうつくしい言葉をわたしは知らない」と書き残しました。多くの外国語で別れ際に使う「また会いましょう」は、別離の痛みを再会の期待で紛らわす気持ちがあります。しかし,「さようなら」という言葉の原義は,別れにともなう悲しみや痛みの感情を抑えて「事実をあるがままに受け入れている」と感嘆しているのです。

 別離の極みは「死」です。ユーゴ紛争を生き抜き,その後も旧ユーゴスラビアの全ての民族から敬愛されたサッカー元日本代表監督イビツァ・オシム氏は,死生観について次のように語っています。「死は避けがたい人生の一部なのだから,そこに向ける感情は,驚きも悲しみもふさわしくないではないか」。ここにもやはり,別れをあるがままに受け入れようとする精神が宿っています。

 それでも,別れの苦しさと痛みは受け入れがたいものです。

 「人は2度死ぬ」とは,1度目は心臓と脳の機能が停止し,呼吸が止まる生物学的な死を,2度目は,亡くなった人のことが忘れ去られて,人々の記憶の世界から存在しなくなる「死」を意味すると言われます。このような考えや感情も,永遠の別れの痛みを何とかして紛らわせようとしているのでしょうか。小学校に入学したての頃の私自身の話ですが,映画館で観たアニメーションの主人公に,現実世界で会えない寂しさを紛らわすため,子供ながら,次のように自分に言い聞かせていたことを思い出します。会いたいという気持ちは,その登場人物が素晴らしい性格の持ち主だから。もしその魅力と美徳を自分も身に付けることができるなら,常に一緒にいるのも同然だと。

 強く深い愛情がある場合,別離は肉体的な激痛のイメージに例えられます。「生木を裂く」とは,相思相愛の男女を,地面から生えている,枯れ木と違いまだ生きている木を無理やり引き裂くように別れさせること。「断腸の思い」とは,武将の部下に捕まえられた子猿を,その母親が百里余りを追いかけた後に絶命し,その腹の中を見たところ腸がズタズタにちぎれていたという古代中国の故事に由来するとのこと。

 ウォーカーがいなくなってから,たまたまクルマのラジオから流れてきた,さだまさしさんの『いのちの理由』に次のような歌詞がありました。「春来れば 花自ずから咲くように 秋くれば 葉は自ずから散るように」,「悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように」,「夜が来て 闇自ずから染みるよう 朝が来て 光自ずから照らすよう」,「悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように」。仕事帰りの夜のクルマの中で大いに慰められました。

 ウォーカーに会いたい。やるせなくて,やりきれない。しかし,その感情を押し殺して噛み殺して別れを告げます。じっくり観たことはありませんが,そのような私でも知っている『銀河鉄道999』のラストのナレーションにある言葉を借りて。

 「万感の思いを込めてウォーカーは行く,さようなら,ウォーカー」

 

家康は瀬名(築山殿)の問いに答えます。

戦(いくさ)をするのは,貧しいから。そして,隣国から奪うため。

 

それに応えて瀬名は言います。

奪わずとも,もらえばよい。

飢えるときは与えてもらい,

持てるものでお返しする。

そして,この理念を徳川と武田,北条,上杉,伊達と共有して東国に一大経済圏を作る。

これをもって織田の勢力と均衡し平和を保つ。

 

相田みつをさんの詩にあります。

「うばい合えば足らぬ 分け合えばあまる」

 

本日の『どうする家康』は、

その後、穴山信君(のぶただ)が武田氏から離反し(史実は別にしても),

江戸時代という260年を超える太平の世が実現し、

20世紀には統一通貨ユーロが誕生する伏線となっている!?

壮大なテーマがココにはある!

さすが大河ドラマ!

 

以下は,クオリティーを維持しながら,授業動画作成の時短を実現した方法だと思っています。(笑)

【1】 画像の作成

まず,授業動画で使用する画像(文字やイラスト入り)をPowerPointもしくはWordで作ります。

① Wordのファイルならば,授業で使用するWordのページの箇所をスクリーンショットして保存していきます。(画面の一部をスクリーンショットするならば,「Win」+「Shift」+「S」のショートカットキーで画像を保存します)。もしくは,WordファイルをPDFファイルにして保存すれば,WordではPCの画面に残る余計な枠や,文字カーソル(画面上で入力位置を示す点滅している縦線)等も表示されなくなります。

② PowerPointの各スライドをそれぞれPDFに変換するならば,[ファイル] > [エクスポート] >[PDF/XPS の作成] をクリックします。そして, [PDF または XPS 形式で発行] ダイアログ ボックスで、PDFファイルの保存場所を選びます。

※ スクリーンショットした画像は,[ピクチャ]>[スクリーンショット]のフォルダーに保存されています。

【2】 Wordのディクテーションで文字起こし

上記の画像を見ながら,Wordのディクテーション(文字起こし)機能を使って、声を出しながら原稿を作成していきます。もちろん,キーボードをタイピングして文字を入力しても構いませんが,ディクテーション(文字起こし)機能の方が楽(らく)です。この機能は,声を出しているときしか文字を起こしませんから,ポーズをとって,ゆっくり考えながらでも授業画面を説明するセリフを声に出して文字に起こしていきます。

※このとき、多少の間違えは気にしません。おおよその原稿ができれば,録音のとき,それを修正しながら読めば済むことですし,またそれで,原稿を単に読み上げているような感じがかえって薄れてライブ感が出ます。

【3】 音声の収録

上記の原稿を使って私は,実際に授業動画で使う音声を収録するためにAudacityとLameという無料アプリを使用しています。操作が簡単ですから,たとえばWordにおける削除,コピー,切り取り,貼り付けのように,アプリ上でさまざまな変更を行って,吹き込んだ音声の無駄をそぎ落としていきます(もちろん,音声の追加も,一通り録音した後で気軽にできます)。

<注意> 声の高さの調整

声をディクテーション(文字起こし)機能を使って録音するときの注意ですが,録音に臨むたびに,声の高さが一定になるように,私の場合,実際に発声して「ドレミ・・・・」の「ミ」の高さに合わせます。

※ 録音の最初と最後(たとえば収録して50分後)では,また,時間をおいて別の日に録音するとき,私には声が徐々に高くなる癖があります。上記は,これを避けるためにときどき行っている方法です。(アナウンサーの方はプロフェッショナルですね。ナレーションをしている番組の最初と最後でも声の高さが一定です!)

【4】 画像と音声の合成

画像(【1】)と音声(【3】)を,動画編集ソフト(私はVideoStudioを使用)で合わせます。まず,音声(【3】)を取り込んで,それに,それぞれの画像を該当する音声の長さに合わせて貼り付けていきます。このとき,たとえば音声録音で説明し忘れたことなどは,画面に文字で追加していきます。

 

<その他の方法>

短くライブ感の豊かな動画作成ならば,① iPadならば「画面録画」,② Widowsならば [Win]+[Alt]+[R] キーを押してから,GoodNotesやloilo(ロイロ)のアプリに直接書き込みをしながら動画を収録する方法もあります。(詳しくは,以前に投稿した下記ブログをご参照ください)。

 

 

以上が私の最近の流行りです。ここでふと思いましたが,この説明自体が上記の方法で動画で作成されるべきでした!(笑)

こんな風景を見ました。

桜並木があります。

延々と続く桜並木です。

すべての蕾が一つ残らず開いたかのように満開でした。

風は,ほんのわずか,そよいでいましたが,

舞い散る桜は一輪もありません。

ふと気づきました。

路上に桜の花びらは皆無です。

ただただ桜が満開なのです。

まるでコップになみなみと注がれた水が,

コップの縁からわずかに盛り上がって均衡を保っているようでした。

まさに,桜の「表面張力」,絶景!

 

WBCのMVPは2刀流の大谷翔平選手でした。

 

「二兎追う者は一兎も得ず! 早めに投手か打者のどちらか一つを選ぶべき」と言っていた私は,

2刀流で躍動する姿を今では当然のように受け入れています。

 

アメリカとの決勝戦前の円陣で大谷翔平選手は

「(アメリカチームに)憧れるのやめましょう」「野球をやっていれば誰しもが聞いたことがあるような選手たちがいると思うけど、憧れてしまったら超えられない」とチームメートを鼓舞していました。

そのようなことを思う選手がいるかな(?)と即座に思う私は,

メジャーリーガーも憧れるオオタニさんを目の前にしている日本の選手たちの表情に注目していました。

 

いずれにしても,なんという私の手のひら返し!

 

以前のブログで,私は次のように書いて,

「教育」よりも「経営」にウェイトを置きがちな職場を嘆きました。

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農政家の二宮尊徳は、「経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は犯罪である」と言い残しています。

この「経済」と「道徳」を、「経営」と「教育」という言葉に置きかえてみると、

「経営なき教育は寝言であり、教育なき経営は犯罪である」となります。

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WBCとメジャーリーグにおける大谷翔平選手の2刀流にくらべれば,「教育」と「経営」の両立など,楽勝!

 

 

卒業式を直前に控えた高3生にショートスピーチをする機会がありました。 

3年間を振り返る代わりに,以下のような話をしました。 

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たとえば,今日の帰りがけに街頭インタビューで

「あなたはウクライナ情勢について,どのように考えますか?」と訊かれたらどう答えますか? 

何かしら答えられるならば良いけれど,何も答えられないとしたら,何が,どうマズいのでしょうか? 

ChatGPTにでも訊いてみると考えるならば,それもマズい。 

一年前ゼレンスキー大統領は,次のような主旨のことを言いました。 

「ウクライナのことを看過し,見過ごす国は,ウクライナで起こっていることと全く同じことが,その国で起こる 」。

今,ウクライナについて何も答えられないようでは,日本が有事の際,いったい何が言えるというのでしょうか? 

ほんの少しの声すら上げることできずに,言われるがまま,なされるがままになってしまうのではないでしょうか? 

タモリさんの,そして大林宣彦監督の言葉を待つまでもなく,今は「戦前」なのかもしれません。

仮にそうであるならば,ずっと永久に「戦前」のままでなくてはいけません。

そのような状況の中で,さしあたり出来ることは選挙に行くことです。

一票だけでは何も変わらないかもしれませんが,

若者全体の投票率を上げることで,社会が若者に目を向けるように仕向ける必要があります。

主権者としての若者の存在感を示すことが重要です。 

若者は未来を写す鏡です。若者は,社会の未来,そして,この世界の未来なのです。 

頑張れ若者!

子育てにおいて,その子を兄弟姉妹と較べること,また,近所の子と較べることはご法度と言われますが、学校で敢えて前年度の学年と比較したり,類似する近隣校と比較してみると少なからず見劣りする学年があります。

たとえば、与えられた課題を期限を守って提出できているかどうか!

学びに対してモチベーションが高く「内発的動機づけ」がしっかりしているならば,とっくに提出は済んでいるはずですから、それが出来ていないところを見ると,勉強の本来の動機とは異なる「外発的動機づけ」が不十分なのでしょうか? たとえば、ご褒美がもらえないとか,怒られても怖くないとか?

学年末になって,ますます課題提出状況が悪くなる学年があります。それは,サッカーに例えるならば,守備において中盤(年度途中)で(生徒に)プレッシャーをかけないために,ゴール前(年度末)まで攻め込まれている状況なのかもしれません。中盤で厳しく相手ボールを獲りに行かずにズルズルとディフェンスラインを下げたため、相手に守備力を見くびられて、シュートを打たれっ放しになっています。

しかし、監督(学年主任)がとった作戦は,実は,中盤のディフェンスラインをゴール前まで下げて、カウンター攻撃を仕掛けるものなのかもしれません! そうであるならば,ペナルティーキックをとられないギリギリのところで相手ボールを奪い、カウンターを仕掛けてほしいと思います。ガンバレ! 学年主任!

 

ドラマ「ブラッシュアップライフ」(第2回)より

 

以下は,ドラマの中で主人公が成人式の後,中学時代の友人たちとカラオケボックスに行ったときの話です。音楽業界を目指そうとしている一人の男子と,その歌唱力を褒めそやす友人たちに向けた主人公の心の声が,進路指導の要諦をよく表していると思いました。ちなみに主人公は,後々その友人が音楽業界では全くモノにならなかったことを知っているという設定です。(詳細はTverで!)

 

丸数字は主人公の心の声 → それを受験に置き換えたコトバ

①「自分たちの身内からスターが出てほしいっていう希望的観測が入ってる」→「進学実績を上げたいと思っている」

②「あくまでも,この狭いコミュニティーの中だから,そう見えるだけで,プロとして通用するかどうかは別問題」→「あくまでも校内だからデキそうだと見えるだけで,学校の外でも優秀かどうかは別問題」

③「もちろん,自分の人生だから,やるのは自由」→「もちろん,自分の人生だから,〇〇大学を受けるのは自由」

④「だけど,最終的には,後悔する」→「だけど,合格しなければ(内部進学にしていればよかったと)後悔する」

⑤「その覚悟を持って,その上で,それでも音楽がやりたいっていうんだったら,やればいい」→「その覚悟を持って,その上で,それでも〇〇大学を受けたいというんだったら受ければいい」

⑥「でも,売れることが前提で言ってるのであれば,やめたほうがいい」→「でも,合格することが前提で言っているのであれば,やめたほうがいい」

 

このあと主人公は,歌の上手い男子を盛んに褒める友人たちにも心の中で次のように問いかけます。

⑦「そうやって背中を押すんだったら,たとえ一生売れなくても最後まで責任をもって応援してあげて」→「受験してごらんと背中を押すんだったら,たとえ合格しなくても,受かるまで責任をもって応援してあげて」

 

もちろん生徒のチャレンジする気持ちに水を差してはいけませんが,夢見がちであることも,ときとして戒められなければなりません。その線引きが難しい!?

 

そして最後の一言。

「一生,支える覚悟がないなら,軽はずみに背中を押しちゃダメだよ」