英語教師(英検1級取得・全国通訳案内士)!ウォーカーと歩く! -2ページ目

英語教師(英検1級取得・全国通訳案内士)!ウォーカーと歩く!

<似顔絵イラスト/英語教育・学習/ホームルーム話材> - WEBサイト(http://walkerosawa.wix.com/osawawalker)の続きを書(描)いています。

 今日は年内最後の授業でした。生徒からお気に入りのクリスマスソングを募って,それをBGMとして教室に流しながら,リラックスした雰囲気の中で単語の学習をしました。ちなみに,前回の授業で,今日の授業の予告として私が紹介した曲は"Do They Know It's Christmas?"です。このとき話したのは,当時はアフリカの飢餓だったが,現在はウクライナの戦争に思いをはせるときだということでした。

 さて,以下は本日起こった出来事です。

 生徒たちは,150単語ある問題プリントが渡されて,そのうち,自分が知らない単語から10語選んで,小テストを作ります。生徒各自は,それぞれ違う単語を選ぶため,同じ小テストはおそらく存在しないことになります。ちなみに,表の面に10題の問題と名前を記入する欄(空欄のまま)を書いて,裏面には出題者としての自分の名前を書きます。

 私は,生徒たちが作成した小テストを集めて,それらをシャッフルして,ランダムに配りなおします。彼ら/彼女たちは,クラスメートが作成した単語の小テストに解答することになるわけです。(ちなみに,BGMは流れたままです。Ariana Grande, Justin Bieber, Jackson 5, George Michael, etc.)

 一通り解いて,自己採点して,生徒全員が小テストを提出する準備ができたとき,次のように指示を出しました。

 「小テストの裏側に書いてある名前の人(小テストの作成者)のところに行って,”Merry Christmas and Happy New Year!”と言ってみよう!」

 このとき私が冗談ぽく,洒落っぽく言ったのは,生徒たちが,おそらく照れて? 面倒だと思って? 誰一人,真に受けることはないと思っていたからです。

 しかし,私が言い終わるやいなや,生徒たちがほぼ一斉に立ち上がって,裏面に名前が書かれているクラスメートのところに歩いていくではありませんか! その様子に,呆然とする私。そんな私のところに,生徒が一人やって来て,裏面に名前が書かれていなかったと申し出てきました。

 「では,一緒に”Merry Christmas and Happy New Year!”と言おう」ということになって,私も期せずして奇跡の一部となったわけです。

 ちなみに,私にとって大きな奇跡が起こったこの瞬間に流れていた曲は,Happy Xmas (War Is Over)でした。

 みなさん,"Merry Christmas and Happy New Year!"

 

以前,iPadの「画面収録」機能で,手軽に授業動画を作成する方法をご紹介しました。

本日は,WindowsPCと動画編集ソフトで授業動画などを作成する方法をまとめてみます。

① WindowsPCで,たとえばWordファイルを

  タスクバーを隠す設定にして,

  全画面表示モードにしながら,

   「Windows]キー+「Alt」キー+「R」を押して声を吹き込みながら

   「画面録画」を開始・終了します。

②「画面録画」された動画は

   「ビデオ」フォルダー内の「キャプチャ」フォルダーに自動的に保存されます。

③ 動画編集ソフト(私はVideoStudio)を使用して,

  文字や音楽を付け加えます。

④ 出来上がりです!

「認知能力」のように偏差値や試験の点数など数値で測ることができる学力とは違い,

「非認知能力」は,思いやり,協調性など数値化できない力のことを指すと言われます。

しかし,「非認知能力」は純粋に「認知能力」と区別できるものばかりなのでしょうか?

たとえば,非認知能力の範疇とされる,粘り強さ,忍耐力,計画性,自制心などは

認知能力でもあるとも言えます。

学習に,粘り強く取り組み,根気強くプランにしたがって学び,

モチベーションを意志の力でコントロールしながら日々机に向かうことで学力(点数)は伸びます。

また,グループ学習においてはコミュニケーション能力,

学習および研究全般においては創造性も求められます。

勉強に力を入れることは「認知能力」を伸ばすばかりでなく,

「非認知能力」の育成につながるのです。

「勉強はできないけれど,〇〇は良い!」

これ本当!?

ある剣道の試合の話です。

接戦の末に一方が勝利しました。勝利した選手は試合を終えて,左の拳を握りしめ直した程度のガッツポーズをしました。

そのとき,それを見ていた審判が勝利を無効にしたのです。

これの何が剣道の精神に反するのでしょうか? 理由は2つあるようです。

一つは,試合をした相手に対する敬意と配慮の欠如です。

本日,進学内定の発表がありました。ここにいる全員が希望通りの進路先を決定できた訳ではありません。第1希望がかなった者ばかりではないのです。顔では平静を装っていますが,心中複雑な思いの友人がいることを忘れてはいけません。

もう一つは,剣道で言うところの「残心」(ざんしん)です。心を残すと書くそうです。

竹刀ではなく真剣の勝負であれば,いったん相手を倒したとしても,絶命させていなければ,相手は立ち上がって再び攻撃してくるかもしれません。それに備えなければならないのです。

当然のことながら,内定者になることがゴールではありません。次なる攻撃ならぬ課題に即座に備えなければなりません。これから入学まで,大学進学後の専攻別に課題が出されます。また,入学後のクラス分けのために用いる英語のプレイスメントテストもあります。自分の将来の夢を実現すべく,今この瞬間から次の守りの一手,攻めの一手のために態勢を整えるのです。

今後の健闘を祈っています。

 

1.平家再考。平家は自業自得でなかったのか?

平家物語をモチーフとしたJ-POP(?)が、いまだかつて存在したでしょうか?

琵琶が奏でる独特の音色を伴った伝統的な語りとは異なり、平家物語のオリジナルのストーリーを繊細かつ儚く軽やかに敷衍したメロディーと歌詞。

平家に対する漠然としたイメージは、子どもの頃から、次の言葉によって形づくられていました。

「驕る平家は久しからず」

「平家にあらずんば人にあらず」

羊文学の楽曲とアニメに見る哀惜は、平家物語は「自業自得」「身から出た錆」についてのストーリーという、幼少期に思考停止した私の印象を変えるものになるのでしょうか。

 

2.「光るとき」の歌詞と、進路指導

進路において大願を成就できる人は、ほんの一握りなのかもしれません。

先々を見越せば、誰しも自らの限界を察して力が出ないときがあるかもしれません。

そのようなとき、

「最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても
今だけはここにあるよ」

 

作家の司馬遼太郎氏は、宗教心について次のような趣旨のことを語っていました。

無宗教である自分には、信仰心について大変腑に落ちた話でした。

「神がいるから信じるのではなく、信じるからこそ神がいる」

 

希望する進路を実現できないかもしれないと迷い、自らの力に限界を感じ、意欲が湧かない。

そのようなとき、

「何回だって言うよ、世界は美しいよ
君がそれを諦めない、か・ら・だ・よ」

 

いずれにしても、

羊文学の歌詞とメロディー、美しい!

 

 

 

本日の日本経済新聞に、ノーサインで試合を進める甲子園出場校の話がありました。

それは、私の日頃の疑問「なぜ試合中に、監督・コーチ(教員)が指示を出すのか?」に応えてくれるものでした。

公式戦だからこそ、生徒たちは日頃の練習および練習試合の成果をあらわすべく、自分たちで考え、プレーして、一方、教員は、ラグビーの大学・社会人・プロの監督がスタンドから観戦しているように、ゲーム中の生徒たちを無言で見守るべきではないでしょうか?

高校の生徒募集も、運動部の全国大会出場ではなく、その指導(教育)方針を「売り」にすべきだと考えます。

 

以下に記事の抜粋を掲載します。また、その後に、以前ブログで紹介した少年サッカー「サイレントリーグ」の記事も再掲載します。

 

(↓本日の日本経済新聞より)

「昨夏の甲子園に出場した青森・弘前学院聖愛高だ。同校に普通の意味での監督はいない。選手が自分で作戦を考え、ノーサインで試合を進めるのだ。なぜ、ノーサインなのか。原田一範監督(44)は指導者修行の一環で参加した経営セミナーでの一言に、ショックを受けたという。
『これから野球型人間は要りません。求められるのはサッカー型、ラグビー型の人材です』。一球一球、監督の指示で動く人材ではなく、自分で状況を判断し、問題解決できる人材でなくては、という意味合いだった」
「人を育てるといいながら、今まで指示待ち人間をつくり出してきただけではないか」

「21年度の主将を務めた佐藤海選手は(中略)『どんな準備が必要か、練習からより深く考えるようになった』と話す」

「ノーサイン野球がどう勝敗を左右しているか、『正直、わからない』と原田監督は言うが『それで構わない』とも。成果は高校の3年間ではなく、選手が社会に出てからはっきりすることだからだ。進んだ先の大学で主将になるOBが少なくなく、手応えはある』」

 

(↓以前ブログで紹介した記事です)

 

岸田首相が、3回東大受験に失敗して早稲田大学に進学したことで、何かを言わんとしていました。

もし、岸田氏の周囲が東大出身者ばかりだったら、

果たして、そのような発言をしたでしょうか?

(今の自民党には昔ほど東大出身者がいないのかもしれません。)

 

現在、各クラス一斉に生徒たちと進路面談をしています。

そのなかで、生徒が高望みをした志望校を挙げてきたことを、

はなから否定する教員がいます。

 

そして、その同じ教員が、

自らが合格できなかった大学を、

何気なく嬉しそうに語る姿を見ることがあります。

あたかも、自分は、あともう少しのところで落ちてしまって、

本当は合格者と同等の力があったとでも暗に言いたそうな様子に苦笑します。

 

もう少し頑張れば入る、もしくは、入ったとでも言う点においては、

「どっちもどっち」と言えるのではないでしょうか。

 

失笑!?

 

 

今度、吉本のお笑いライブに行きます。(チケット入手済みです!)

お笑いはYouTubeでもテレビでも観ることがデキますが、ライブの臨場感・迫力は格別です。

花火も同様です。テレビ中継がされたりもしますが、実物の花火のもつ華やかな色彩、スケール、そして、お腹の底まで響いてくる音・振動は、打ち上げ場所の間近でしか味わえないモノです。

では、大学のオープンキャンパスはどうでしょうか?

ネットの動画や画像でも、その様子を知ることはできますが、実際にキャンパスを訪れたからこそ分かる空気感・質感・奥深さがあります。
 

しかし!

ここで考えなくてはならないのは、お笑いのライブもしくは花火と、大学との違いです。

お笑いはネタという言葉が音として聞こえてきます。花火はさまざまな色彩を見せてくれますし、それが破裂する音が聞こえてきます。一方、オープンキャンパスでは、学問の音もしなければ、学問の姿もありません。一見すると、施設・設備だけの紹介です。

しかし、ようやく入れた構内です。今まで大学研究してきた知識と大学に対する思いをフルに活用して、音もしない、姿も見せない学問というものを肌で感じとってほしいのです。

(最後に、お笑い、花火、大学(学問)の共通点は、どれもが「エンターテイメント」!?)

 

 

 

 

 

朝日新聞のGLOBEに紹介されていた記事です。

ノリーナ・ハーツ(Noreena Hertz)ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン名誉教授のお話をまとめてみました。

 

「孤独」の危険

1.健康面

心臓病、がん、認知症のリスクを増大させ、

1日15本のタバコと同様の害があると言われている。

2.財政面

上記が社会的な負担となる。

3.政治面

友人が少なく、社会的に孤立している人ほど、

ポピュリスト政党に投票する傾向がある。

 

「孤独」の原因

1.スマートフォンとソーシャルメディアのため

スタンフォード大学の調査によれば、

ファイスブックのアカウントを2ヶ月停止したグループの方が、

使用したままのグループよりも著しく幸福感が高く、孤独感が低いという結果がある。

2.一緒に食事をしないため

シカゴの消防士を対象とした調査によれば、

一緒に食事をするグループの方が、

互いの繋がりをより強く感じ、

仕事内容も2倍優れていたという結果が出ている。

 

青春は孤独なもの。しかし今日、孤独はリスク!?

 

 

 

本日の朝日新聞朝刊、香取慎吾さんの連載から。

 

演技に苦手意識があるという文脈もあるなかで、

番組のゲストに来てくれた高倉健さんの言葉を書いていました。

 

「本当にやりたい役じゃなかったとしても、若いうちにそういう仕事もたくさんやらなくちゃだめだ。それを積み重ねていくと、ああ、こんな役がやりたかったと思える役に出合えるから」

 

芝居の役も勉強も同じでしょうか?

そう言えば、松任谷由実さんもダンデライオンの中で次のように歌っていました。

 

「きみはダンデライオン
傷ついた日々は 彼に出逢うための
そうよ運命が用意してくれた
大切なレッスン」

 

香取慎吾さん、「素敵な」役者です。

高校生のみなさん、「素敵な」学生になってくださいね!

 

 

2021年12月30日、NHKのドラマで香取慎吾さんが演じる山本五十六氏。