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英語教師(英検1級取得・全国通訳案内士)!ウォーカーと歩く!

<似顔絵イラスト/英語教育・学習/ホームルーム話材> - WEBサイト(http://walkerosawa.wix.com/osawawalker)の続きを書(描)いています。

1.平家再考。平家は自業自得でなかったのか?

平家物語をモチーフとしたJ-POP(?)が、いまだかつて存在したでしょうか?

琵琶が奏でる独特の音色を伴った伝統的な語りとは異なり、平家物語のオリジナルのストーリーを繊細かつ儚く軽やかに敷衍したメロディーと歌詞。

平家に対する漠然としたイメージは、子どもの頃から、次の言葉によって形づくられていました。

「驕る平家は久しからず」

「平家にあらずんば人にあらず」

羊文学の楽曲とアニメに見る哀惜は、平家物語は「自業自得」「身から出た錆」についてのストーリーという、幼少期に思考停止した私の印象を変えるものになるのでしょうか。

 

2.「光るとき」の歌詞と、進路指導

進路において大願を成就できる人は、ほんの一握りなのかもしれません。

先々を見越せば、誰しも自らの限界を察して力が出ないときがあるかもしれません。

そのようなとき、

「最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても
今だけはここにあるよ」

 

作家の司馬遼太郎氏は、宗教心について次のような趣旨のことを語っていました。

無宗教である自分には、信仰心について大変腑に落ちた話でした。

「神がいるから信じるのではなく、信じるからこそ神がいる」

 

希望する進路を実現できないかもしれないと迷い、自らの力に限界を感じ、意欲が湧かない。

そのようなとき、

「何回だって言うよ、世界は美しいよ
君がそれを諦めない、か・ら・だ・よ」

 

いずれにしても、

羊文学の歌詞とメロディー、美しい!

 

 

 

本日の日本経済新聞に、ノーサインで試合を進める甲子園出場校の話がありました。

それは、私の日頃の疑問「なぜ試合中に、監督・コーチ(教員)が指示を出すのか?」に応えてくれるものでした。

公式戦だからこそ、生徒たちは日頃の練習および練習試合の成果をあらわすべく、自分たちで考え、プレーして、一方、教員は、ラグビーの大学・社会人・プロの監督がスタンドから観戦しているように、ゲーム中の生徒たちを無言で見守るべきではないでしょうか?

高校の生徒募集も、運動部の全国大会出場ではなく、その指導(教育)方針を「売り」にすべきだと考えます。

 

以下に記事の抜粋を掲載します。また、その後に、以前ブログで紹介した少年サッカー「サイレントリーグ」の記事も再掲載します。

 

(↓本日の日本経済新聞より)

「昨夏の甲子園に出場した青森・弘前学院聖愛高だ。同校に普通の意味での監督はいない。選手が自分で作戦を考え、ノーサインで試合を進めるのだ。なぜ、ノーサインなのか。原田一範監督(44)は指導者修行の一環で参加した経営セミナーでの一言に、ショックを受けたという。
『これから野球型人間は要りません。求められるのはサッカー型、ラグビー型の人材です』。一球一球、監督の指示で動く人材ではなく、自分で状況を判断し、問題解決できる人材でなくては、という意味合いだった」
「人を育てるといいながら、今まで指示待ち人間をつくり出してきただけではないか」

「21年度の主将を務めた佐藤海選手は(中略)『どんな準備が必要か、練習からより深く考えるようになった』と話す」

「ノーサイン野球がどう勝敗を左右しているか、『正直、わからない』と原田監督は言うが『それで構わない』とも。成果は高校の3年間ではなく、選手が社会に出てからはっきりすることだからだ。進んだ先の大学で主将になるOBが少なくなく、手応えはある』」

 

(↓以前ブログで紹介した記事です)

 

岸田首相が、3回東大受験に失敗して早稲田大学に進学したことで、何かを言わんとしていました。

もし、岸田氏の周囲が東大出身者ばかりだったら、

果たして、そのような発言をしたでしょうか?

(今の自民党には昔ほど東大出身者がいないのかもしれません。)

 

現在、各クラス一斉に生徒たちと進路面談をしています。

そのなかで、生徒が高望みをした志望校を挙げてきたことを、

はなから否定する教員がいます。

 

そして、その同じ教員が、

自らが合格できなかった大学を、

何気なく嬉しそうに語る姿を見ることがあります。

あたかも、自分は、あともう少しのところで落ちてしまって、

本当は合格者と同等の力があったとでも暗に言いたそうな様子に苦笑します。

 

もう少し頑張れば入る、もしくは、入ったとでも言う点においては、

「どっちもどっち」と言えるのではないでしょうか。

 

失笑!?

 

 

今度、吉本のお笑いライブに行きます。(チケット入手済みです!)

お笑いはYouTubeでもテレビでも観ることがデキますが、ライブの臨場感・迫力は格別です。

花火も同様です。テレビ中継がされたりもしますが、実物の花火のもつ華やかな色彩、スケール、そして、お腹の底まで響いてくる音・振動は、打ち上げ場所の間近でしか味わえないモノです。

では、大学のオープンキャンパスはどうでしょうか?

ネットの動画や画像でも、その様子を知ることはできますが、実際にキャンパスを訪れたからこそ分かる空気感・質感・奥深さがあります。
 

しかし!

ここで考えなくてはならないのは、お笑いのライブもしくは花火と、大学との違いです。

お笑いはネタという言葉が音として聞こえてきます。花火はさまざまな色彩を見せてくれますし、それが破裂する音が聞こえてきます。一方、オープンキャンパスでは、学問の音もしなければ、学問の姿もありません。一見すると、施設・設備だけの紹介です。

しかし、ようやく入れた構内です。今まで大学研究してきた知識と大学に対する思いをフルに活用して、音もしない、姿も見せない学問というものを肌で感じとってほしいのです。

(最後に、お笑い、花火、大学(学問)の共通点は、どれもが「エンターテイメント」!?)

 

 

 

 

 

朝日新聞のGLOBEに紹介されていた記事です。

ノリーナ・ハーツ(Noreena Hertz)ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン名誉教授のお話をまとめてみました。

 

「孤独」の危険

1.健康面

心臓病、がん、認知症のリスクを増大させ、

1日15本のタバコと同様の害があると言われている。

2.財政面

上記が社会的な負担となる。

3.政治面

友人が少なく、社会的に孤立している人ほど、

ポピュリスト政党に投票する傾向がある。

 

「孤独」の原因

1.スマートフォンとソーシャルメディアのため

スタンフォード大学の調査によれば、

ファイスブックのアカウントを2ヶ月停止したグループの方が、

使用したままのグループよりも著しく幸福感が高く、孤独感が低いという結果がある。

2.一緒に食事をしないため

シカゴの消防士を対象とした調査によれば、

一緒に食事をするグループの方が、

互いの繋がりをより強く感じ、

仕事内容も2倍優れていたという結果が出ている。

 

青春は孤独なもの。しかし今日、孤独はリスク!?

 

 

 

本日の朝日新聞朝刊、香取慎吾さんの連載から。

 

演技に苦手意識があるという文脈もあるなかで、

番組のゲストに来てくれた高倉健さんの言葉を書いていました。

 

「本当にやりたい役じゃなかったとしても、若いうちにそういう仕事もたくさんやらなくちゃだめだ。それを積み重ねていくと、ああ、こんな役がやりたかったと思える役に出合えるから」

 

芝居の役も勉強も同じでしょうか?

そう言えば、松任谷由実さんもダンデライオンの中で次のように歌っていました。

 

「きみはダンデライオン
傷ついた日々は 彼に出逢うための
そうよ運命が用意してくれた
大切なレッスン」

 

香取慎吾さん、「素敵な」役者です。

高校生のみなさん、「素敵な」学生になってくださいね!

 

 

2021年12月30日、NHKのドラマで香取慎吾さんが演じる山本五十六氏。

 

学校の「売り(セールスポイント)」とは何か?

それは、進学実績であったり、

充実した施設・設備であったり、

スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の

指定校であったり、とさまざまです。

 

そこに新たに加えたい学校のアピールポイントは、

「叱れる」ではないでしょうか(笑)


「確かにウチの子どもが悪いが、叱り方が問題だ」といったクレームが実際に存在するなか、

学校現場が保護者からのクレームを怖れて何かと萎縮しがちです。

そのような中、「叱る」ことの本来の意義である「成長を促し、改善に繋げる」を

正しく保護者に伝えることは大切です。

目先の感情、面子(メンツ)、損得を越えて、

子どもの将来を真に考えるのであれば、

叱ること、そして、叱られることが再評価されるべきです。

 

もちろん、教員・学校サイドの独善は許されないことは言うまでもありません。

昔は9回叱った後に1回褒めると、

褒めた効果が際立つと言われるようなことがありました。

しかし今は、「褒めて伸ばす」が拡大解釈され、

叱るためには、その前に9回褒めるどころか、

一部の学校では、叱ること自体が敬遠されることになっているのかもしれません。

生徒ばかりでなく、保護者自身も叱られることに慣れてないことも手伝って、

事態が難しくなっているケースもあるような気がします。


「叱る」ことの意義を理解してくれる保護者には、

安心して子どもを学校に預けてほしいと考えます。

自分の子どもが、適切に叱ってもらえる。

そして、自分の子どもの周囲にいる不適切な言動を繰り返す生徒が、

しかるべき叱責を受ける。

そのことで、自分の子どもの安全が守られているとも感じてほしいのです。

 

「叱れる」ことは、リスクをとっても、

教育的にも経営的にも学校の「売り」にすべきではないでしょうか。

 

 

一般社団法人日本たばこ協会

「2021年度未成年者喫煙防止ポスター」の標語です。

 

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 二十歳(ハタチ)未満だから吸えない。

 子供じゃないから吸わない。

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そもそも,高校生は,大人か子供か?

あるときは,

大人気取りになって,

大人扱いされることを主張し,

また,あるときは,

子供になって,

まだまだ甘えていたい?

 

しかし,この標語には,

次の2つの視点から,

制約を甘んじて受けることが潔く宣言されています。

 

法律的には未成年だから,行動が制限される。

精神的には大人だから,自制する。

 

✖️法律的には未成年だから、大目に見てほしい。

✖️精神的には大人だから、好き勝手したい。

 

イラストをよく見ると,

2人の高校生は,

たくさんのポスターが貼られた掲示板の前に立っています。

そして,その様子自体が一枚のポスターになっているのです。

これは,数多くのポスターに結論を出したことを示唆している!?

 

 

バブル方式の崩壊、輸送の混乱、等々。

精緻な組織的大会運営が日本のお家芸であったはず?

 

 

科学的な根拠を示すこともなく、

「安心・安全な大会の実現に取り組む」と連呼し、

精神主義まがいの言動に終始。

 

平和の祭典を戦争に例える不見識と不謹慎と非礼をお詫びしつつ、

あえて言うならば、

1964年は、日露戦争の用意周到さ、

2021年は、太平洋戦争の杜撰さ。

 

現場は無駄死にするのか。