「
リンドバーグの妻で,自身も飛行家であったアン・モロー・リンドバーグは,来日した印象を語った著書の中で「
別離の極みは「死」です。ユーゴ紛争を生き抜き,
それでも,別れの苦しさと痛みは受け入れがたいものです。
「人は2度死ぬ」とは,1度目は心臓と脳の機能が停止し,呼吸が止まる生物学的な死を,2度目は,亡くなった人のことが忘れ去られて,人々の記憶の世界から存在しなくなる「死」を意味すると言われます。このような考えや感情も,永遠の別れの痛みを何とかして紛らわせようとしているのでしょうか。小学校に入学したての頃の私自身の話ですが,映画館で観たアニメーションの主人公に,現実世界で会えない寂しさを紛らわすため,子供ながら,次のように自分に言い聞かせていたことを思い出します。会いたいという気持ちは,その登場人物が素晴らしい性格の持ち主だから。もしその魅力と美徳を自分も身に付けることができるなら,常に一緒にいるのも同然だと。
強く深い愛情がある場合,別離は肉体的な激痛のイメージに例えられます。「生木を裂く」とは,相思相愛の男女を,地面から生えている,枯れ木と違いまだ生きている木を無理やり引き裂くように別れさせること。「断腸の思い」とは,武将の部下に捕まえられた子猿を,その母親が百里余りを追いかけた後に絶命し,その腹の中を見たところ腸がズタズタにちぎれていたという古代中国の故事に由来するとのこと。
ウォーカーがいなくなってから,たまたまクルマのラジオから流れてきた,さだまさしさんの『いのちの理由』に次のような歌詞がありました。「春来れば 花自ずから咲くように 秋くれば 葉は自ずから散るように」,「悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように」,「夜が来て 闇自ずから染みるよう 朝が来て 光自ずから照らすよう」,「悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように」。仕事帰りの夜のクルマの中で大いに慰められました。
ウォーカーに会いたい。やるせなくて,やりきれない。しかし,その感情を押し殺して噛み殺して別れを告げます。じっくり観たことはありませんが,そのような私でも知っている『銀河鉄道999』のラストのナレーションにある言葉を借りて。
「万感の思いを込めてウォーカーは行く,さようなら,ウォーカー」