昨日も書かせて頂きました通り、過去に5度に渡り行かせて頂いた海外公演。

一番最初は1985年(昭和60年)の事でした。

 

☆演目☆
『義経千本桜』
鳥居前・渡海屋・船矢倉・大物浦・川連館・奥庭・花矢倉
(Aプロ Bプロ Cプロとあり 劇場の大きさによって
狂言の組み合わせが変わっておりました。) 


☆公演地☆
5月4日~7日
 ベニス(イタリア) 
 ラ・フェニーチェ劇場
5月10日~14日
 ミラノ(イタリア) 
 リリコ劇場
5月17日~19日
 ボローニャ(イタリア) 
 アレナデルソーレ劇場

5月21日~24日
 チューリッヒ(スイス) 
 シャウスピルハウス(市立劇場)

6月1日~2日
 デュッセルドルフ(西ドイツ) 
 シャウスピルハウス(市立劇場)

6月5日~9日
 ウィーン(オーストリア) 
 ウィーン劇場

6月12日~18日
 西ベルリン(西ドイツ) 
 フォルクスピューネ劇場

6月22日~23日
 アムステルダム(オランダ) 
 国際会議場ホール


初めて降り立った海外の地がベニス、この公演が私にとって
生涯最初の海外旅行と云う事になります。

 

いくつかのエピソードは過去にも書いておりますね。

父が6食分のお弁当を持参して、ベニスで雑炊を食べる羽目になったのも、
きゅ-りのQちゃんを勝手に食べて喧嘩になったのも、

日曜日に段猿さんとレストランで平日ランチメニューを注文して無理やり食べさせてもらったのもこの公演です。

 

父の失敗ばかりですが(笑)、私自身もバスに乗ったのはいいのですが、
反対行き?でバスごと船に乗りそうになって慌てておろしてもらったのも

サンマルコ広場でダイアナ妃に逢った(笑)のもこの公演の時です(笑)

(このあたりのエピソードは、以前書いておりますので、リンク先を読んで下さい)


後年イタリア旅行で、ラ・フェニーチェ劇場リリコ劇場は見に行きました。
私的には感動の再会でしたので(笑)是非ご一読を(笑)

 

 

ボローニアでは、段之さんにピザやパスタの美味しいお店に案内してもらいました。

ピザはパリっとしていて直径も大きく 一人では食べきれないよ、と思いましたが
なんのなんの 一人でペロッと食べてしまいました(笑)

まだ日本ではそれほどメジャーでなかったここでのカルボナーラ、
あまりの美味しさにびっくりしましたね(笑) 

 

狭い路地の一角にあるお店で 普通はなかなか分かりませんし、入る勇気も出なさそう。
私が「こんなお店、よく見つけたね~」と云いましたら、
店員さんが「ダンシ、ダンシ」とウインクをしておりました。

 

何回か来ているみたいで段之さん「こう云ったお店 匂いでわかるのよ~」と、
よく見たらその店員さん どうも段之姐さんのお仲間(笑)の様子、
なるほど!・・・と納得してしまいました(笑)

 

そう云えば巡業で長崎へ行った時、2泊しかないのに2日目の日

一緒に呑みに行きましたら、入ったバーのマスターがまたまたお仲間?の人、
段之さん すごい嗅覚でした(笑)


結構イタリアのエピソードは書いたのですが、その後に行ったスイスや西ドイツ、

オーストリア、オランダの話はあまり書いた事がなかった様に思います。

 

 

イタリア公演が終わりスイスのチューリッヒに・・・。

チューリッヒ公演のパンフレットだと思います。なぜかこれだけが現存しております。

 

チューリッヒの公演の記憶はあまりありません。

 

劇場はここです。

 

 

 

それほど大きくない劇場だったな と云うくらいでしょうか?

途中、およばれでチューリッヒ湖の船上のレストランでお食事を頂いた事を覚えてます。

 

また、チューリッヒの街角では皮をはがされて焼くだけになっている鶏が
頭をつけたまま首からぶら下がっており、その光景に唖然、
そう云えば日本では鶏は必ず切り身か、丸鶏でも首はありませんよね。

あちらではそのままの状態で売られております。

なんでもない風景なのですが、それだけが強烈に記憶に残っております(笑)

 

 

チューリッヒのホテルに滞在し、公演を終えてから、
ドイツ、デュッセルドルフまでの移動の間 大道具の搬出搬入に時間がかかり 
その間私たちはありがたい事にお休みを頂きました。

 

24日金曜日公演終了後に、ホテルを移動。
29日にデュッセルドルフに移動するまで、完全な休日で自由行動。

 

チューリッヒ近郊の観光地、ツーク湖の湖畔に宿泊しておりました。

「着いた日が日曜日でお店は一切開いておらず、イタリアでお酒が切れていたのに
買う事も出来ず、どうしようかと思い駅まで出て やっとキオスクで
ウイスキーを買えた時の喜び(笑)」

という記憶があったのですが、例の父が残した「旅のしおり」によりますと、

着いたのが金曜日、そして日曜日の欄に「酒さがし」とのメモがありました(笑)

 


・・・冠十郎さん goodjob!(笑)

2日分のお酒は残っていた模様(笑)
このあたりの記憶は本当に曖昧ですね。


ホテルの部屋で段猿さん 父冠十郎と私と 段猿さんと同室の猿五郎さんとの4人で
海外用ラーメン鍋ですき焼きを作りました。

これも、日曜日の事だと思っておりましたが、キオスクでお酒見つけたなら、
スーパー開いている訳ないですね。
またまた冠十郎メモによりますと、火曜日でした。

・・・冠十郎さん、再びのgoodjob!


みんなで食べている所へ時蝶さん 福助さんが訪れ・・・そのまま乱入(笑)
また信二郎(錦之助)さんも現れて・・・よっぽど匂いがしていたのでしょうか?
ホテルの部屋でみんなでワイワイ。すき焼きパーティ。
昔噺の芸談に花が咲いた時は「しまった、録音しておけばよかった~」と 
思いましたね(笑)

 

 


この8mmはそのツーク湖畔のホテルでの休日のひと時です。
この時代のものですので、もちろん元々の映像にも音声は入っておりません。

映っている方、もう時効の映像だと思って、お許しくださいね(笑)

 

ちなみに・・・すき焼きと書いておりますが、海外でお肉を買った事のある方ならご存知でしょう。

日本の様な「薄切り」という観念はほぼありません。

 

この時も、スーパーでステーキ肉を買い「スライス」をお願い致しましたら・・・

ぶつ切りにされました(笑)

・・・それは牛肉の薄切りではなく、サイコロステーキ・・・(笑)

 

仕方なく、肉を焼きながらすき焼き鍋に投入しつついただきました。

すでに、すき焼きなのかどうなのかは考えてはいけません(笑)

今から考えましたら、生卵も・・・知識なかったとはいえ、勇気あったなと思います。

勿論みんな無事でした。

 

醤油なんかはもちろん持参でした。

もしかしたら各自がひとつずつ日本から持って行っていたかもしれませんね。

私は某キッ〇ーマンの卓上のものと、スティック状の小分けのものを持って行ってました。

もちろん、今でも海外に行く時はたいてい持って行っております。


この期間、ローマ&フィレンツェのオプショナルツアーが設定されてまして、
行った方も居られたと思いますが、私はせっかくこの国にも初めて来た事もあり
そこを楽しもうという考えでした。
もっとも、お金もありませんでしたしね(笑)

 


また、あるグループはツーク湖 見える範囲で歩いて1周してみようか、
と試みたそうですが、8時間後に帰ってきました。

見えていたとこより 見えてなかった方が大きかったようで・・・。

映像に一瞬映っております窓の外の風景がツーク湖です。まだまだ奥に広がっていた模様。


「1周したの?」と聞きましたら「もちろん!」と答えてましたが、
8時間で1周できるかな? 途中で断念して引き返してきたのかな?(笑)

別に人に聞くと「持ってたのおにぎり一つだったから、お腹空いた~」・・・と
達成したのか否か、真意はわかりません(笑)

 

この1周疑惑の湧くメンバー、私と同世代の5~6人だったと思います。
何人かはまだ今でも現役ですが、その中の1人が 当時は笑太郎さんだった澤五郎さん。

澤五郎さん、この時の事覚えているでしょうか?

今度会ったら、この時の真相を聞いてみようかなあと思います。

 

避暑地ツークで4日もいったい何をしていたのでしょう?

父があまり外に出たがらなかったのと、外に出たくないにもかかわらず、
全て私がセッティングして一緒に行動しないと気が済まないと云った状態。
大変だったなと思います。

父と避暑地なんて・・・(笑)

まあ、みな同じ状態でしたので、昼からみんなで楽しく飲んでいたのでしょう。


ですがスイスはやはり治安もよく 行き届いてる国だとも思いました。


あれ?こんなに長くなりましたのに、スイス迄しか行きませんでした。
まだ長くなりそうですので・・・第一幕第二場につづきます(笑)