32年前 私が初めての海外旅行、海外公演を体験した時のお話。

東京成田を発ってアンカレッジ~コペンハーゲン~と経由地を乗り継ぎ、
ようやくイタリア ローマに到着して、そこから更に 空路にて
公演地ベネチアへ入りました。

当時はまだ、ロシアがソ連の時代です。
お若い方は もうわからないかと思いますが 当時はいわゆる冷戦の時代。
ソ連の上空を飛ぶことができませんでしたので、かなり遠回りでのコースで 
到着までには24時間以上、かかったと思います。

私の海外経験として、初めて降り立った地が、ベネチア空港。


今回の旅は 北のミラノからバスでベネチアへの移動でしたので、
32年前とは手段も方向も違っております。

ですが、あの初海外の地のベネチアへ 今回再上陸いたしました。

ベネチアと一言で申しますが、大小さまざまな島の集合体がベネチア。
今でも水路の発達しているところでは 東洋のベネチアと云われるところが 
何か所もあるようですが(笑)ここは総本家。
(家人の故郷堺も 東洋のベニスの一つとか・・・(笑))

水路が発達しているといいますよりも 各島の間にある 水路上の水上交通が
その生活を支えております。

いわゆる「イタリア本土(と云っていいのかわかりませんが)」から、
ベネチアまでは、船で渡ります、一番近い船着場からベネチア本島へ・・・。

イメージ 1


今回は旅行社のツアーですので、ツアーで一つのモーターボートを貸し切って
本島に渡ります。恐らく個人でしたら水上バスの様なもので行くのでしょう。
ここにも、ツアーの凄さですね。船には私たち一行しか乗っておりませんので、
少人数ずつでしたら、デッキに出て撮影をすることも出来ました。

もちろん、落ちないように気を付けながら・・・

そんな道中も約20分。
船の中からサンマルコ広場と大鐘楼が見え始めると 
ドキドキして参りました。

イメージ 2



船を下りてサンマルコ広場に降り立ち、先日ご紹介致しました
サンマルコ寺院 ゴンドラ ベネチアンガラス工房などの観光。

そして、待ちに待った自由時間 昼食までのおよそ1時間ほど。
これは、その日その日の寺院への入場待ち時間などの関係で
どれだけとれるかはわかりませんと 最初から言われていたのですが、
有難いことに 1時間以上の自由時間を頂くことが出来ました。


同行の皆さんは鐘楼に登ったり、ショッピングなどに 
時間を使っておられましたが 私と家人は一目散に目的地へ向かいました。


ラ・フェニーチェ劇場。

ここは、ミラノのテアトロ・リリコ劇場と違いまだ現役の劇場です。

実は、先日はご説明致しませんでしたが、ゴンドラに乗った時
思いがけない出会いがございました。

ツアーの中にゴンドラ遊覧が入っているのは 最初からわかっておりました。
渡航前に調べましたら ゴンドラの発着(と云いますか、正しくは運行会社)は
数か所ある模様。

その中で、辛うじて「モデルコース」でフェニーチェ劇場の近くを通るかもしれない
そんな発着ゴンドラは 1か所しかございませんでした。

どうか、そのゴンドラに当たりますように!!!と 祈りのまま、添乗員さんの元、
ゴンドラ乗り場に向かいました。

あれ??この方向は可能性ある??と思いましたら 着いたところは 
ここならどこかから見れる可能性があるかも?と思いました まさにその場所!!!

ラッキーと思いながら、一行全6隻のうちの2番目に乗り込みました。

地図を片手に、この水路のこっちの方向に劇場があって~と思いながら乗ってますと
何と前のゴンドラが ガイド本に載っていたコースではなく、劇場の方に
行くではないですか!!!


え~!!!え~!!!

と、思っておりますと目の前に、本当に目の前にあらわれたのがフェニーチェ劇場!

この劇場の運河沿いの玄関の前を通るコースを辿ってくれておりました。 
実を申しますと、公演の当時には目にすることの無かった、運河側からの玄関。
水路から初めてみました。

ですが、まぎれもなく、フェニーチェ劇場!思わず懐かしさに目が潤みました。

32年前の公演後、一度 火災に見舞われましたが 見事に復活して
見た限り内装や外装も新しくなったようでした。

船から上がる処の劇場玄関。

イメージ 3


この船はお客さんを運んでくる船でしょうか?
それとも、搬入用の船でしょうか。

32年ぶりに初めて目にした「フェニーチェ劇場」の文字が この船でした。


思い起こしますと、32年前の当時 私たちが開演前に楽屋で準備をしていた時に
段之さんが「凄いね!タキシードやドレスで正装した人が 
ゴンドラに乗って劇場へ来ているよ!」・・・と。

私はその時にはこのゴンドラの降り場の玄関までは、
来られなかったのですが 黒子で花道に用事があった段之さんは、
見られたのでしょうね。(笑)

まさか、当時の通りに まず水路から見ることが出来るとは 思ってもいなかった
そんな劇場でした。


その後のいよいよの自由時間です。

地図を見ながら、人けのない脇道を通り、先ほど見ました水路側の入り口を
対岸から見て、劇場の手前に。水路から見ることが出来なかった表示を見て

イメージ 12


その後にぐるっと回って楽屋口へ

イメージ 4


イメージ 5


当然、中へは入られませんが ガラス越しに見る内装は
火事の後 かなり新しくなった模様。

出勤して毎日楽屋入りしたのが ここの入り口。
ここでも懐かしさが込み上げて参りました。


そして回り込んで 劇場正面玄関へ・・・。

イメージ 6


イメージ 7


32年前、ここにおいてベネチア初となる歌舞伎公演が
開催されたのです。

上演した演目は、海外公演初の通し狂言『義経千本桜』

Aプロ 鳥居前 渡海屋 船矢倉 大物の浦
    四の切 奥座敷 吉野山蔵王堂 3幕7場。

他 Bプロ Cプロは、この中のダイジェスト版。
(この後の公演地では劇場の大きさによって上演演目が変わっておりました)


最後の場面 「吉野蔵王堂」の大立ち回りが終わったあとの
カーテンコールには出演者全員 私たち名題下の立ち回り組までも
出演して舞台上に並びましたが、拍手は本当に鳴りやまず 
「ブラボー!」(ブラボーは個人)「ブラビ―!」(ブラビ―は団体に)
と お客さま総立ちでカーテンコールは20分以上も続きました。

イメージ 8


劇場正面に立ちますと イタリア人のその時の興奮が
今でも思い出されます。(笑)



32年前の海外公演は、ここベネチアが1番最初の公演地でした。

ミラノのテアトロ・リリコ劇場は閉館となりましたが、
ベネチアのラ・フェニーチェ劇場は、さらに古い劇場で
火災にあったにもかかわらず 現役の劇場として
公演を続けていたのは嬉しい限りでした。

余韻を残しつつ、集合場所へ向かい昼食となりました。
昼食はイタリア料理のイカ墨・スパゲッティ(笑)

イメージ 9


実は今回の食事の中で 事前に一番不安だったのが このイカ墨だったのですが
思いの外、美味しくいただくことが出来ました。
・・・よかった・・・


帰りの船に乗るために再度 船着場へ戻る時に思わず
見ましたベネチア独特のこの仮面!(笑)

イメージ 10


ワンピース再演の時のディスコのメイクの参考になるかな?・・と(笑)

イメージ 11


その後、バス移動でフィレンチェ近郊のプラトーのホテルへと
向かいました。


思い出のベネチア。
本当に充実した時間を過ごしました。

・・・私は(苦笑)

ミラノの事もあり、「ベネチアでの思い出探しは15分以内にしてね」、
と云われていたのにも関わらず、結局自由時間の半分近くは この劇場に
費やしてしまった 猿三郎でございました(笑)