1週間前の今日の今頃は、博多座『2月花形歌舞伎』の
千穐楽の舞台が、ちょうど終わった処。(笑)

かなりの疲労感の中 公演最後の1週間は本当にきつく、あと何日?
と自分自身に言い聞かせ 来週の今日は舞台が終わる、などと
数えながらの日々でしたが 千穐楽が終わって27日に帰宅してからの
この1週間の過ぎるのが 何と早い事でしょうか?

とても同じ1週間とは思えません(笑)

帰京後の1週間も、色んな予定に追われては居りましたが
とにかく旅立ちまでには 終えなければと云う事柄が
多かったですね。

しかし昨日今日は、わりと時間的に余裕もでき、
旅行用の最後の荷づくりもなんとか終えまして、
明日 朝の出発を待つばかりとなりました。

今まででも歌舞伎の海外公演や、オペラ演出で訪れたパリなどへは、
前回の旅行で行かせて貰いましたが、今回は32年前 初めて訪れた
あの場所に行けるかと 今から子供のようにワクワクしております。


32年前には父、嵐冠十郎も海外公演に参加しており 
舞台以外の珍道中 色んなエピソードも残しております。

一部、父の亡くなった直後に思い出として書かせて頂いたエピソードと
重なる部分があり、一度読んだことのある方は お許しください(笑)


その中でも忘れられないのが、当時大阪在中であった父は
大阪伊丹空港から大阪組として乗り込み 成田空港の国際線で
私たち東京組と落ち合いました。

ですから父の旅行準備の様子は全く知らなかったのですが、
初めて乗る飛行機に どうも機内食が出るとは知らず 
新幹線の駅弁みたいに買わなくてならないと思って居た様なのです。

そこで、私の分も入れてお弁当を6食分作って 飛行機に乗り込み
「なんだ?機内食が無料で出るのか?」と 驚いた様子でした。

ベネチアについてから、リド島滞在のリゾートホテルで
イタリアンも食べられず、部屋でお弁当を雑炊にして食べたのも
懐かしい思い出ですが、お蔭でお弁当がなくなるまで1日2日、
毎日、雑炊! 私はうんざりでした(笑)

私の分まで・・と 思う気持ちはうれしいのですが・・・。
昔の人なので、捨てるのももったいないと思ったのでしょうね。
いい迷惑でした(笑)


そんな思い出の残るイタリア公演ですが、10年前に父が亡くなり
その荷物の整理をしていましたら、こんなものが残っておりました。

イメージ 1


1985年 市川猿之助(三代目)訪欧歌舞伎公演案内書。

大きく書いてあるローマ字の名前は 父がローマ字が不得手だった為のアンチョコ。
(父や私の本名です)
今のユーロ圏とは違い、イタリアからスイス、スイスからドイツ、そしてオーストリア
その度ごとに国境を越えることになりますので、何度も入出国の書類記入が・・・

それに限らず、何をする時にも この表紙を見ながら必死に書き写しておりました。

イメージ 3


裏表紙には記念にと思ったのでしょうか?化粧道具や着替えなどが入った
スーツケースなどに貼るシールが貼られてあります。

イメージ 2


始めのイタリアの日程表等々。

ミニメモには父の日記のようにもなって居り 
久しぶりに父の文字を見ました(笑)
「〇〇さんと、3時まで飲む」なんて日々の事も書かれてありました(笑)

中には団員名簿も載っており 団長が市川猿之助(猿翁)旦那 他
キャスト スタッフ 事務局も入れて総勢78名の大一座。

先月一緒だった一門の中で、この当時の公演に行っていたのは
門之助さん、笑也さん、寿猿さん、段之さん、欣弥さん、門松さん、
瀧二朗さん、澤五郎さん、龍蔵さんくらいでしょうか?
後は右團次さんもおられました。


私が使用した案内書は、当時 終わった時に処分してしまい
今から思うと残しておけばよかった、と思いましたが、
父の逝去の折にこれが出て来て よく残していたな!と
改めて感心した次第です。

そんな思いを詰めたイタリア旅行 明日 出発です。