いまのしゅんかん -34ページ目

家族でお花見

 

昨日は疲労で21時にはベッドに入り、朝起きたら背中が痛かった。。。

やはり頻繁にバケツの水を運んだのが腰にきたらしい。

去年は、初回は60人くらいの客がいたが、あとの3回はいずれも25人くらいだったけど、今回は初回が50人弱で、後の3回も毎回35人ちょっとくらいはサーブしたような気がする。35個くらいある茶碗で足りた回はなかったような気がするので。。。去年の前は2年連続なくて、2019年の時はトータルでも100人分くらいだったし、今回がやたら客が多く、それだけ必要な水も多かったように思う。

やっぱりその場合は、紙の無駄になるけど、お客さんが飲み終わったお茶碗はまずウェットティッシュでほとんどきれいにしてから水で洗うほうが必要な水の量を減らせると思う。水は無料だけど、水を運ぶ労力が侮れない。

 

今日は、娘と桜祭りに行く約束をしていたので、朝から弁当作りをした。

娘はその直前に友達とブランチに行くことになっていたので娘は食べないことは分かっていたけど、桜の木の下で、運動会で食べるような日本の王道の弁当を広げることをやってみたかったのだ。

本当は前日にもっと下拵えをしておきたかったけど、あまりに疲れてて、人参と干し椎茸を煮て、ご飯を炊くだけで精一杯だったので、結構時間がかかってしまったが、娘もブランチの後にくるし、私たちも遅く行くことに。

 

まず私たちだけで欲しかった抹茶の100gの缶を買い、知り合いのアルコールのブースのところで日本酒とビールを買い、ビールを飲みながらぶらぶら周り、娘と合流して再度ぶらぶらして、会場外の桜の木の下でレジャーシートを広げてお弁当を広げた。

 

五目太巻と唐揚げ、ウィンナー、ししとうの天ぷら

今はもっとオシャレかもしれないけど、こういうベタな弁当を食べたかった。。。
 
昨日、向かいに住んでいる人が話しかけてきて、娘が隣の高校に通っていたのでこの地域のことはよく知っているんですよーという話から、やはりその方の娘さんも同じ高校に通っていて、同じ歳、しかも同じバレーボールクラブに入ってて、最終的に私もそのかたも互いの娘さんを知っていたことが判明した。
娘とそのお嬢さんはバレーボールのチームメイトでクラブを辞めた今も友達付き合いが継続しており、そのお嬢さんは高校を卒業してネットで自分で作った服を売るようになったのがヒットし、本格的にアパレル会社を起業するまでになり、娘は時々モデルとして彼女のビジネスを手伝っている。
なのでそのお隣さんも娘の写真を持っていたのだった。
 
娘が桜祭りの前にブランチした仲間の一人がまさにそのお向かいさんのお嬢さんで、まさに昨日私とその子のお母さんが立ち話した話になったという。
狭い世界アゲイン、、である。デンマークは本当に小さい国なのでこういうことはよくある。
 
イースター休暇が終わってから、使ってもらう地下の部屋に娘のためのベッドを組み立て、置かれていた荷物もだいぶ片付けたので、やっと娘が泊まれる状態にまでできた。

 

 
2週間後に初めて新居に泊まりにくるそうである。

桜祭りの茶道披露で水屋奉仕

 

今年も恒例の桜祭りでの茶道披露の手伝いに行ってきた。

しかし、暖かったせいかイースターの時に満開だったそうで、すでに葉桜になっておりちょっと残念な景観になってた。いつも大体いいタイミングであえて見に行かなくても桜祭りで見れていたので、今年はやはりいつもより暖かい冬だったのだろう。

 

今回は、引越しと転職で参加できるかギリギリまでわからず、イースター明けでやっと落ち着いてきたので、水屋だけ手伝いに行きますと連絡し、着物も持参せず、待ち合わせ時間よりも1時間も遅く会場に行き、軽く手伝うつもりだったけど、結果的にはいつもよりもタフでものすごく疲れた。

 

 

- 抹茶を濾す

- ミネラルウォーターを沸かしてお茶用のお湯を作り、魔法瓶に補充する

- トイレから水道水を汲んできて沸かし、お茶碗を温めるための桶にお湯をつぎ、水を張ったお茶碗を洗うための桶にお湯を足してぬるま湯にする

- お客さんへのお茶をサーブするタイミングになったら、温めているお茶碗を取り出して拭き、お茶を点てる人に渡す

- お客さんが飲んだ茶碗が回収されてきたら、まず汲んできた水道水のバケツから水を掬って第一洗浄をしバケツに捨て、ぬるま湯の入った桶でしっかり洗い、温め用の桶に戻す

- お茶碗を温める桶のお湯がぬるくなってきたら、半分バケツに捨てて、沸かしたてのお湯を足す

- 汚い水のバケツが溜まってきたら、トイレの手洗いシンクに捨てに行く

 

という延々の繰り返しなのだが、常にどれかをやらなければならないので、お点前披露が始まった11時45分から最終回が終わる15時半までほとんど休めず、座ることもほとんどできなかった。

最終回は花月で少し長めの回だったので、やっとテントの中の椅子に座って休むことができたが。

とにかく、水道水をピックアップしに行ったり、バケツに溜まった水を捨てに行くことが頻繁にあって大変だった。徐々に他の人にも手伝ってもらったりしたが。

 

しかし、私以外の全員がなんかしら役割を持っていて常に水屋にいるわけではないので、私だけが水屋のことを把握しているがためにノンストップで働き続けてしまったというのもある。

それに、今回はお客さんに出すお茶の数も多かったような気もする。魔法瓶のお湯も茶漉しに入っているお茶の減りも早かった。

 

でも、水道インフラがないところでの水屋の仕事はキャンプに通じるところはあるな、、、とも思った。

イースター休暇の延長のような感覚にもなったり。

 

2年前まで、水屋専門の人がいて、去年初めてそういう人がいなくてカオスになり、今回自ら名乗り出てやってみたけど、これは大変な仕事だ、、と思った。

改めて、かつての水屋専門の人の存在意義の大きさを認識するのだった。。。

失われた30年なのか、それとも恩恵の30年だったのか

相変わらず氷河期世代に関して考えさせられているのだが、、、

 

 
このときに冷戦が終わったことの結果について少し触れたが、昨今のSNSで日本人のポストを見ても思いを強くしていることがある。
それは、、、、 
 
なぜ、こんな状況でもなお、芸能ネタ有名人ネタに占められているのか。
 
(珍しく太文字で書いてみた)
 
今年になって、トランプが大統領になって、毎日寝られないくらいに悩んで、いよいよ軍事産業にも足を突っ込むべきなのか、、、と挙句転職までした自分がアホらしく思えてくるほどである。
しかも、NATO加盟国だけでなく日本だってトランプの攻撃の対象になっているにもかかわらずである。安全保障条約についてトランプが批判しても、それをシリアスに取る人はほとんどいない。日本こそ、アメリカしか同盟国がないのだから、アメリカにそっぽを向かれたら丸裸になるにもかかわらず。
 
しかし、私自身思い返してみても、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年には事実上冷戦が終わった時も、一応ニュースを見た記憶はあっても、関心を持った記憶はない。
それどころか、デンマークに移住する直前にイラク戦争が始まったのに、その背景もほとんど知らず、30歳で日本を出るまで世界情勢に興味を持ったことはなかった。
日本の景気は常に世界情勢に影響を受けるにもかかわらず、その因果関係について考えたこともなかったかもしれない。
 
デンマークに移住して世界情勢や戦後の歴史に興味を持つようになり、以前まで私はバブル崩壊直後に就職しなければならなかった不運の世代だと思っていたけど、むしろ今は、冷戦が終わるまでの30年間が日本にとって幸運な時代だったのかもしれない、と思うようになった。
 
冷戦の間は、はっきりと世界市場が真っ二つに分断され、運よく韓国やベトナムやドイツのように分断されずマルっと西側に組み込まれていた日本は、防衛をアメリカに完全に依存し西側のマーケットの中でぬくぬくと産業成長だけにフォーカスでき、かなり美味しい時代だったと言える。
まさか、冷戦が終わった後に、別のマーケットにいた国々や、冷戦から解放されて防衛費を縮小できるようになった国々と真正面で競争にさらされるなんて予想していただろうか。
2003年にデンマークに移住したときは、日本車も日本製の電化製品もまだまだ多かったが、今やその見る影もない。。。その代わり、中国製の電気自動車がものすごく増えた。皮肉なことに、20年前はタイに旅行に行く人が多かったが、今は海外旅行のトレンドは日本に代わっている。
 
もちろんデンマークも冷戦後は危機に陥っている。
あのLegoも潰れそうになったし。
元職場も私が入社して10年間危機だったし。
今まで何人もの解雇を目の当たりにしてきた。
 
日本は、バブル崩壊後に本質的な改革なしに、新卒の採用控えで若い人だけを犠牲にしてその場凌ぎの対応しかしてこなかったから、危機を乗り越えられずに30年以上同じような状態が継続しているのだろう。
だから、私は、バブル崩壊前はむしろ「幸運な時代」だったと思っている。

個人的事情とキャリアの狭間で

4月から3ヶ月間二箇所で働くことになったが、最初の週は転職先の社長と息子が日本出張で不在のため、元の職場でフルで働き、その次の週は逆に転職先でフルで働き、そのまま10日間のイースター休暇に突入したので、今週から実質ダブルワークのような働き方になっている。両方でそれぞれやることがあるので結構忙しい。

そして、懸念していた二箇所からの給料の支払いに関しても、年金の支払いを少なくした分、手取りが少し増えていてホッとした。転職先からはすでに給料の振り込みはされたけど給料明細書はもらってなく内訳が不明なため、来週にもらえるようお願いするつもりだが。

元の職場は6月から年金会社を変えるそうだが、転職先での年金会社とは全くコンタクトを取ってないため、それについても聞いてみようと思う。

 

今日は、元の職場の日で、朝の全体ミーティングに参加し、後半に去年末で辞めた元同僚が子連れで訪れてきて軽い送別会があった。

そのお子さんは10ヶ月で、来月から保育園に入るという。

元同僚はとても優秀で、会社にとってとても重要なエンジニアだったけど、3人目が生まれてもっと家庭生活にフォーカスしたいとより近いところに転職することを決め、辞めてしまったのである。

社長はその決断に悲しみはしたが、もちろんリスペクトするほかなく。

 

やはり二人目が生まれて半年の同僚は、ガールフレンドも自分自身も頼る親がいないため、自分も育児にフォーカスするべく、今は半分くらいの時間しか働いていない。

 

そして別の二人の子持ちの同僚は、彼がオランダ人、奥さんがスペイン人でやはり親がいなくて育児が大変なため、スペインに移住することを決め、今はフルリモートで働いている。

デンマークで働き続ける方が給料が倍以上でメリットが大きいからだが、会社がそれを許しているのも、その同僚がクライアント仕事で稼ぎ、会社に利益をもたらしてくれるからである。

 

最近、大リーガーの大谷が、子供が生まれたことで育休を取ると話題になり、日本では賛否両論あったが、私は、やはり親が遠いところで育児をしたので、アメリカで育児をする奥様を慮って一緒に育児をする姿勢は素晴らしいなと思った。

日本では、それができるのは大谷だからであって、誰もができるわけではないというコメントも多く散見させられたけど、母親は強制的にキャリアを休止させられ、私自身1年間無職で、10年かけて正社員のポジションを得るのに奮闘したのに、どうして父親はそれができないのだろう。

所属し続けることで、黙っていても自分の居場所が確保されることを期待するのは甘えすぎてはないだろうか。

 

やっぱりデンマークでは、プライベートとキャリアを両立するために、自分自身のキャリアのあり方に対し、それぞれ自己責任を強くもっているのだろうなと思う。

必要とされるほどのスキルを持っているから、自分が望む働き方ができるわけで。

 

私は、給料を上げるためではなく、家の購入という個人的事情を理由に、今後20年間は同じ水準の給料を維持するために転職することを決めたが、それが可能になるための実績を作っておいて良かったというのと、同時に、解雇されないために引き続き研鑽を怠ってはならないということを痛感させられている。

昨日訪問したクライアントの仕事もその一つで。

 

あとは、私が個人的に大学のプロジェクトを増やしたいという願望を持っていて、転職した方がその貢献ができるのではと思ったというのもあるが。

今日も、学生の実験を手伝ったけど、なんとかラボを活性化させたいなと思う。

氷河期世代

 

今日、初めて転職先のクライアント先に訪問し、ミーティングをしてきた。

なんと、自宅から歩いて20分のところにある会社で、駐車場の懸念もあったし、天気もいいので徒歩で行ってきた。

社長や同僚が不在なため単独で伺ったが、思ってたよりもややこしい話で、というよりか、今まで経験のない事情が背景にあり、冷や汗をかきながらもいろいろと今後の提案をし失礼させてもらった。

お話した人もPhDもちのエンジニアなので、わたしの戸惑いをよく理解してくれたが、はっちゃけいうと、生産現場に携わる人が感覚的になんか違うけど、具体的に何が違うのか誰もわからない、、という背景にあった。そして、その過去によかったと言われるものはもうないから比較しようもない、、という。。

ま、こういう経験も転職したからこそのものであって、こういう現実的な問題に今後も取り組んでいかなければならないと思う。

今まで、アカデミアのひとと関わることが多く、すべてロジックで解決しようとするのとまた正反対で面白いが。

 

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最近、「氷河期世代」への支援に関するポストがソーシャルメディアで散見され、一応該当する身としては興味深く見ている。

 

 
わたしは1973年生まれ、1995年学部卒で、バブル崩壊の影響を受け始めた二期目の世代である。
二つ上の先輩は比較的容易に就職できていたのが、一つ上から急激に採用控えの影響を受けるようになり、大学3年生の終わりのころに就職活動を始めたが、いくら問い合わせの葉書を企業に送っても、資料が送られることはあっても、説明会の情報が記された紙が入っていることはほとんどなく、今まで先輩たちがやってきたような就職プロセスをまったくふむことができず、手の施しようもない状況だった。
 
親に猛反対され、自費で大学院に進学することにより、修士1年の終わりから始めた就職活動の手ごたえは見違えるように増し、結果的にはスムーズに内定をもらうことができたものの、入社してみると、わたしの5年上までは大勢いて、その下はほとんどいないという社歴分布のアンバランスさに度肝を抜いたものである。
そして、わたしよりも5~8年上のひとたちとの違いに内心妬みに近い感情を持った記憶がある。
ちなみに、デンマークでもその年代の日本人にあい、あまりの感覚の違いに改めて認識させられたこともある。
 
わたしたちの不幸は、バブル崩壊後の状況、そしてまさか「失われた10年」どころか、基本的には好転しない状態が30年以上も続くことに対し、まったく準備をしていなかったことだと思う。
どこかで、日本の不況は、90年代に冷戦が終わったことに関係すると書いているのをみたが、本当にその通りだなと思った。まさか、冷戦終了に伴い、こんなにも急激にグローバル競争に突入するなんて思ってもなかった。
わたしも、大学に入るまでバブル成長を目の当たりにし、高卒でも自動的に昇給していく父親をみて、大学に入りさえすれば、そして大企業に就職さえすれば、一生安泰だと思い、いい加減に生きていた。大学でも会社でも与えられたことしかやってなかった。
あまりにもいい加減に勉強していたものだから、デンマークでは苦労した。
 
デンマークでは、今の若者のほうがずっと大変そうなので、自分が氷河期世代と悲観することはない。
むしろ、学生のときから意識を高くもたらされている若者と競うために、常に自己研鑽を怠ってはならないと思わされている。

帰宅

昨日の朝、最後の自炊で外のテーブルでツナと豆腐の味噌汁を作って食べ、10時半頃にキャンプ場を後にした。
 
 
それから途中ちょこちょこ休憩を挟みながら、22時半頃に自宅に帰ってきた。
実は、引っ越してから初めての旅行帰りということでドキドキしていたが、ゴミのコンテナーは空になってて、泥棒にも入られてなかった。
旅行に行く直前に、隣人がきてくれて、ゴミのコンテナーの出し入れをオファーしてくれていたのである。
なんでも、そうすることで明らかに不在であることを隠せるため、隣人同士で不在の時に助け合うそうである。
とてもナイスな隣人で感動してしまった。。。
 
荷物を片付けながら、簡単な食事も作り、1時頃に就寝、
今朝はゆっくり起き、片付けの続きを、、、

 

ギアを乾かすのに便利なサンルーム

 

ノルウェーで洗えなくてベトついている大量の空き缶を、洗いながらデンマークとノルウェーのとで仕分け、ノルウェーの缶は金属ゴミへ。

これはデンマークのだけだけど、30缶ほど持って行ったのに足りなくて、ノルウェーのスーパーでも10缶弱買い、さらに山小屋でも買っているので、どれだけ飲んでるんだよ、という感じだが、、、(しかしスキーの後のビールはやめられない、、、)
 
彼が庭の手入れをしている間に私は、食事を用意しようと、スーパーも空いてないし新鮮な野菜源としてラムソンを摘もうと庭に出たら、、、、

 

ラムソンがものすごく成長してる!!

そして中華炒めに。

美味しかったけど、オイスターソースも入れて濃いめの味付けだったせいか、ラムソンの風味はイマイチ感じられず、、、
ほぼ、ほうれん草に近い。
 
それにしても、今回初めて新居から旅行に出掛けて、バンを自宅前に横付けでき、荷物の運び入れがとても楽だったので、彼が一軒家をどれだけ所望していたか理解した。それまでは、荷物をいちいちアパートの地下室に運び入れ、運び終わってから彼が500m離れているところにバンを駐車しに行かなかればならなかった。
同時に、6,7mの大型バンの価値を改めて認識する旅行にもなった。
正直それまでは、初期投資にかかるだけでなく、税金もバカ高いし、70cm長いだけでフェリー代も倍額かかるので、そこまで必要?と思ってたのだが、今回初めてバンでの寝泊まりを6泊もしたので、やはり大人二人がスキー旅行でバンで生活するにはこのスペースがギリギリの許容範囲だなと思ったのである。
 

ものすごい広い荷室なのだが、これでもスキー板のラックと、手前の私たちの寝床が干渉しないギリギリの長さ。

 
それに、食事を用意するとき、スキーの準備をするときなどスペースが必要で、寝るときには、バンから出るための通路を確保するためにスキーラックの横にスペースを作るのに、荷物をスキーラックの反対半分側に多層に重ねなければならず。
そして、断熱はまだ最適化されてなく、特に天井の断熱がなく、外気が氷点下だと暖房をつけても寒かったので、そのための作業もしなければならず、ワークショップが必要で一軒家を欲しがっていたのもよく理解した。
 
4/11 スウェーデン・ノルウェー国境近くのサービスエリアで車中泊(無料)
4/12 リレハンメル近郊でキャビン泊(415DKK)
4/13 キャンプ場泊(223DKK)
4/14 雪上テント泊(無料)
4/15 キャンプ場泊(223DKK)
4/16 Leirdalで車中泊(無料)
4/17 山小屋泊(2300DKK)
4/18 Leirdalで車中泊(無料)
4/19 キャンプ場泊(270DKK)
 
と、高額の山小屋泊以外はだいぶ宿泊費をかなり低く抑えることができた。
去年のイースター休暇は山小屋泊を9泊、うち5泊はシャワートイレ付きのラグジュアリーな部屋だったので、17000-20000DKK(=37-43万円)くらい節約できたと言える。しかも去年は山小屋で高額のローカルビールを買いまくってたから、それを含めるともっと安く済んだのかもしれない。
まぁ、お金の問題だけでなく、単純にバンライフは常にやらなければならないことがあって楽しいのだが。
 
一軒家を買うにあたって、マジで別れる別れないの深刻な夫婦喧嘩もし、いざ買うことになってあまりに大きなローンの負担のためにより長期でできる仕事が必要と転職までしてしまったほどだが、それをもってしても一軒家を買ってよかった。。
こんな季節でも車中泊ができることがわかったので、今後はそういう旅行が増えていくと思う。

撤退

今日は、6kmBCクロカンでツーリングし、山小屋でキャンプするつもりだったのだが、、、

 


 

人がたくさんいる上、大音量で音楽かけててパーティモード、、、

これだと、シャワーも混むかもだし、夜もうるさいかもしれない、、

うーん、、、そこまでしてここに泊まりたくない、、

と、夫婦で意見が一致し、撤退することに。

 

それでも山小屋でとりあえずビール

暑い中ツーリングしたのでビールがしみた、、

 

去年の夏にここに来て楽しかったから、また夏にくるつもり。

 

また6kmツーリングしてバンに戻り、着替えて70km離れたキャンプ場へ。

そこはそこで有人のフルサービス、フルファシリティのキャンプ場のせいか、いつも使ってた無人キャンプ場とは毛色が違ってて、居心地はイマイチだが仕方ない、、

 

夕飯のトマトスープパスタ

 

1日早い帰国になるが、片付けもしたいし、火曜日は5時起きだからちょうどいい。

それに今回は盛りだくさんの経験が出来たので悔いはない。

 

去年は全泊フルサービス(朝夕食事つき、シーツタオル付き)の山小屋泊で上げ膳据え膳スキー休暇だったけど、今回はほとんどが自炊で、冬気候に近いのにほとんどキャンプ泊で、スキー以外の経験もあって楽しかった。むしろ今回唯一泊まった山小屋で、あまりにも至れり尽くせりで、やることなくてスマホばかり見てしまってイカンな、、と思った。

常に、何を作るか、どうやって洗い物するか、どうやって水をとるか、どこで用をたすか、を考え忙しくしている方が楽しいとも思ったり。

というか、昔はただ生きているだけで忙しかったんだよな、、とも思ったり。

 

はぁ、、楽しいイースター休暇だった。

夏もキャンプ旅をするつもりである。

 

おまけ

キャンプ場から。オーロラ?肉眼では白いモヤだが、、

氷河スキー

雪がないにもかかわらずスキーを担いでGaldhøpiggen にアタックするスキーヤーがたくさんいて凹んだ私。

この時世、シートラ避けてはいけないのかな、とも。去年なんちゃってを一度やったきりなので今後の課題にしようと思った。

 

そして夕方スキーで楽しかったLeirdalに再び。

快晴のせいか、スキーヤーの車で大渋滞、止めるのに難儀したが、結果的にいいところに停めることができた。

 

楽しすぎる。

最後の標高高いところはアイスバーンになってて登りが怖かったが、、

 

滑走も最高!

ここは氷河だから平らな斜面になっているっぽい。引っ掛かりがまったくない。

正直、年末に行ったHemsedalスキー場のゲレンデよりも滑りやすかった。

 

終わった後の一杯が最高。

 

他に車中泊する人が多いのか、車が減らず、みんな同じようにスキーギアを乾かしながら日光浴してる。


両隣で外で料理しだしたので我が家も外で。

 

頂きもののおこわの素と粉味噌を使って、中華おこわと味噌汁。ツナ、豆腐、キャベツ、人参、玉ねぎが入った具沢山味噌汁でまじ美味だった。


予定変更

今日、キャンプ場に泊まろうとしたら、予約できず。。車が一台も止まってなかったので予約が埋まってたのではなく、閉鎖してるっぽい。。

 

今日含め、何泊かするつもりだったので、ショックを受けたわたしたち、、

車中泊をいれても隔日でシャワーを浴びたい、、

 

とりあえず今日はまだ予約できるSpitterstulenで泊まることに。

高いけど、馴染みのある宿なので一泊くらいはしてもいいかと思ってたこともあり。

 

雪がないのが悲しいが、やはりここにくるとホッとする。

 

なんでも、70年間イースターでここまで雪がないのは初めてだという。5月でさえこうではないと。


明日は車中泊してもいいが、その翌日はどうしようかと話し、他の開いているキャンプ場は70kmも離れているし、いっそのこと早めにJotunheimenを出るにしても日曜日は天気がいいらしくその前に去るのも悔しい。

 

ということで、明日は車中泊、明後日の土曜日は月曜日にテント泊した近くの山小屋でお金払ってシャワーを使い、山小屋前にテント張ろうということに。そうすれば水もあるし、トイレもある。

車中泊もテント泊もそれが結構ネックでもあり。

 

このイースターは、空前の雪不足で閉鎖している施設も多いらしい。

しょうがない、、

そのわりには遊べているのでヨシとするか、、

最高の山スキー

昨日、天気もイマイチだったので、ゆっくり準備し、

 

(朝食にスープパスタ)

 

キャンプ場を出て、買い物してからGaldhøpiggenの偵察に行くと、、、

 

ゆ、雪がない、、、だからか、泊まり客もほとんどいない感じ、、、

 

それでも何人か登っている人がいたので、とりあえず手ぶらで夏道を少しだけ登ってみると、、

 

スキーでも登れる感じではないし、壺足でも残雪が多すぎて難しい感じ。

彼らがどのように登ったのか謎だった。たぶん途中までスキー背負っての壺足登山だったと思うが、、

 

いずれにしても、下山が怖すぎるので完全に諦めることに。

あわよくば少しでも山スキーするつもりだっただけにがっくり、、、

少しドライブし、月曜日にキャンプしたときに駐車させたところの近くで車中泊することに決め、空腹時だったので山飯食べたら眠くなって、雨も強く降ってきて、そのままバンの中で昼寝、、

 

夕方になって、彼がいい感じなのでスキーで散策したいといい、よかったら私もやりたいといって待機してたら、電話がかかってきて、天気もよくなってきているし楽しそうだよと言うのでわたしもやることに。

 


 

絶景だし、登りやすい!

 

 

それに、滑走が楽しかった。

非圧雪斜面での滑走は全然攻略できてないのだが、これはほどよく締まってて抵抗があって、ゲレンデに近くて滑りやすかった。楽しくて何度もターンしたほど。

 

一日中雨で、快晴になったタイミングで夕方17時に始める山スキーは奇跡のようだと思った。人も全然おらず。

Galdhøppigenにがっかりしていただけに嬉しかった。

 

ビールを飲んで、カレーを作って夕飯。

 

バンだから、こういう貴重な瞬間をキャッチできるのかもと、改めてその価値を認識した日だった。