初めての雪上キャンプ
いよいよ念願だった雪上キャンプにトライした。
下界は全然雪がなかったが、山小屋の5km手前で車が入れなくなっており、そこの駐車場はいっぱいだったのでさらに1km手前のところで駐車した。
最初はどんなものかわからなかったので、ソリなしで偵察に行こうとしたが、5km手前から雪上車も入ってて簡単に行けそうだったので引き返してキャンプできる装備に準備し、ソリをひいて山小屋に向かった。
しかし、平らにみえるこのトラックも微妙に上り道な上、暑くて、思ったよりもずっとつらかった。なんだかんだ300mアップで。
Lofoten旅行以来、引っ越しと転職でまったく運動してなかったことも大きい。。
やっと山小屋付近に着き、離れたところでテント張ることに。
最初は、風に飛ばされないための穴掘り。
ロープを固定するのも夏キャンプとは違ってて、ペグを刺すのではなく、十字か布で面でアンカーを作って雪で埋めて固定する。
思いの外重労働で、、、
なんと設営に二時間半!日が長くてよかった。。
わたしは銀マットにエアマットレスとダブル断熱でばっちり防寒。
彼が掘って足場を作ってくれてよかった。椅子がないので座れるのがありがたい。
水が貴重なので山飯だったがそれで十分だった。
水を作るのもエネルギーがいる。
歯磨きも口濯ぎは一度だけ。歯ブラシは雪で洗った。
翌日のためのお湯を作って、魔法瓶に入れ、それを寝袋にいれて就寝。
防寒対策バッチリで、全然体は凍えてないのに、なんだったら首周りは暑いくらいなのに、顔が寒いだけで全然寝られなかった。(彼曰く、ぐーぐー寝てたらしいが。。)
夜中にあまりにも静かで、彼が生きているのか不安になり、ちょっと押してみたり。
氷点下で寝袋の中、自分の体温だけで生きていることに不思議な感慨を覚えた。
朝、無事サバイブ!生きてる!という感覚。
カップラーメンの朝食を食べた後、パッキングし、温泉タオルで結露をふき、テントの撤収。
しかし雪が硬くて、ロープの固定から解放させるのが大変だった。
雪上テントはやはり時間がかかる。。。
11時頃出て、12時頃にバンに戻った。帰りはやはり降り基調で速い。
キャンプ場に戻って、シュラフとテントを乾かしながらビールでまったり。
このメリハリに中毒になるのかもしれない。
クロカンの聖地
楽しみにしていたイースター休暇開始!
どこかで合流できたらと思っていた、ノルウェー在住夫妻は、イースター期間は旅行に出かけられるということで、この週末にリレハンメル近郊のヒュッテで泊まりませんかという提案にのらせてもらうことに。
なんと、クロカンの聖地なんだそうである。
とりあえず、パッキング、、、
引っ越す前にスキーギアをまとめておいたのは正解だったが、案の定、食料として持参したかった乾物セットが見つからず、他のものを探すために無名の段ボール箱を開けたらゴッソリ出てきてホッとした。
わからなくならないために細かく運んでその都度収納したつもりだったが、終盤に時間が迫ってやっつけになり、曖昧になったものもあったのは否めない。
金曜日の19時頃自宅を出て、0時を過ぎた頃国境近くのサービスエリアに到着、車中泊して翌朝出て、お昼過ぎにヒュッテに着いた。
近くにいくまで暖かいし雪がまったく見えないしで本当にスキーができるのか不安だったが無事雪があってホッ。
なんでも、ここは標高800-1000mがなだらかな地形のクロカンの名所で、雪はわりとあるらしい。
とはいえかなりシャバシャバ雪だったが。
所々雪がはげていたが、典型的な春の雪で、かえって雪のグリップがきき抵抗もあって半端ない安心感。
春のクロカンがこんな楽しいという発見。
ヒュッテは上水下水インフラがなかったが、ヒュゲリなところだった。
シンクがないので、食後外で洗い物するのも楽しかった。
楽しい週末に感謝。
いつもいいところを提案してくれてありがたい。。
一週間が終わって
転職先での一週間が終わった。。。。
7時出勤なのと、弁当持参で5時半起床になり生活が一変し、今も慣れてきたわけではないし、最初だからプラクティカルなことでトラブルがあるけど、(昨日もオフィス側玄関で一番乗りだったので与えられた暗証番号でセキュリティ解除しようとしたら登録されてなかったのか全然認証されずにけたたましいサイレンが鳴りまくって焦った。。。)、一応少しずつ私のタスクができてきた。
火曜日、ラボを見てたら、発見。
これは、私がPh.D.の時にプロジェクトのお金で購入した吸光光度計で、10年以上前に、会社と大学共同で新しい吸光光度計を買った時に、転職先に会社に譲った装置なのである。
「動物のお医者さん」の菱沼さんも使ってた吸光光度計。
私が修士の時に、他の研究室にあった吸光光度計を借りてある測定をしたら面白い結果が出て、アメリカの学術誌に投稿してアクセプトされてパブリッシュもされたのだが、ずっと一緒に仕事してきた同僚もその少し前に吸光光度計に興味を持ってて、なんと自作し、それが修士論文になっている。なので、私の論文が彼の博士論文にも引用されている。
30年近く前にパブリッシュされた論文。
それもあって同僚も私も吸光光度計に興味があり、私のPh.D.プロジェクトで吸光高度計を買うよう、指導教官でもあった同僚が購入のアレンジをしてくれたのである。
思い出深い装置なので、意味もなくスイッチを入れ、動くかどうかチェックした。
そしたら、翌日、会社の人に吸光光度計に触った?と聞かれたので、私の装置だったから好奇心で触ったけど、今は使ってるの?と聞くと、少しだけいた実験助手の子に薬品こぼされて壊されたので、新しい装置を買うことになっていると言われ、すぐさま次期社長に私はエキスパートだから関わらせてくれと頼み込み、見積もりを見させてもらって購入をお願いしている。
あると有用であることを示すべく、ある測定をしようと計画し、サンプル液だけ大学にもって行ったら、新入社員の男の子が吸光光度計で仕事していて、話をしたら私のタスクを引き継ぐことに興味を持っているというので、じゃあミーティングしようとその同僚にメールを書いたがどうなるか。
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私は知らないけど、向こうは私のことを知っているのか、大学のポスドクから、LinkedIn経由で、CV添付で、「アカデミアから産業界への転身を考えていて、私が辞める会社でポジションがあったら紹介して欲しい」とメッセージが来て、機械学習系の研究をしているが40歳くらいであるはずなのに、博士号を取った後は3カ国をポスドクとして渡り歩いていて、民間企業での経験はなく、研究者ではなくエンジニアが欲しい会社としては合わないプロフィールと思いつつ、
「この会社では、営業活動もしなければならないので、それでも興味を持つかわかりませんが、、、まさに私も自分の専門性を生かせるプロジェクトがパイプラインにないため、辞めることにしたので、、、それでも会社のサイトからCVを送ることもできるのでよかったらそちらを使ってください。」
と返事すると、
「あなたと繋げれて嬉しいです。もちろん、サイトからCVを送ろうと思います。でも、あなたの転職先でも就職できるかの可能性を模索したいです。」
と返事が来たので、かなりイラッとして、
「残念ながら、転職先の会社は小さな会社なので、これ以上研究者を雇う余地はありません。私が辞める会社も転職先も小さな会社で、営業や経済的なことなどもやらなければならず、研究だけに専念できる大企業の方がいいのではないですか。大企業で働く人と繋がった方がいいと思いますよ。」
と返事した。
我が家の彼には、LinkedInでそういう類のメッセージなんてありがちで、別に無視したっていいのにと言われたが、ムキになって返事をしたのは、私だって失職を恐れ、去年から色々動いて模索してきた身だから、LinkedInでちょっと繋がっただけでジョブハントできるという甘い考えが煤けて見える態度に物申したい気になったのかもしれない。
せめて、もっと会社のことを理解し、それにフィットするプロフィールであることをアピールしてほしかった。。
それに、私だって転職先で給料が上がったわけではないのにそれでも解雇を恐れているのは、直近4年間で私のポジションにいた人は不在だったが、それで会社が回っていたというか、なんだったら最近はかつてない利益をあげているくらいなので、正直私のポジションってそんなに必要?ってなもので、私がいることのメリットを示さなければ切られる可能性は高いと思っているのである。
でも、アカデミアって、一度ポストにつけば、有期限であろうと無期限であろうと人件費はあらかじめ確保されていて、あまり結果が問われないから、仕事というのは自分で獲得するものではなく、上から与えられるものというマインドセットになるのかな、、
民間では、その人のサラリーはその人次第であって、バッサリ解雇されることもあるので。。
だけど、その人の書き方が、なんとなく民間の方が恒常的に働けそうだから転向したいみたいな意図に見えてイラッとしたのかもしれない。
とりあえず、明日からイースター休暇で、私たちはノルウェーに行くので、引越しと転職疲れをリフレッシュさせようと思う。
ジョブメッセ
転職先3日目、初日に頼まれたことを昨日夕方に大学に行って作業し、今朝また大学に行ってサンプルをピックアップして会社で分析して結果が出て、そのまま私の案件になる感じに。背景が色々あって、ちょっと複雑な感じではあるが。
でも、せめて私が手が動かせる系でよかったなと思う。やることはたくさんあるので。
今日明日と大学でジョブメッセがあり、彼も会社のブースに立つというので、ピックアップがてらちょっと覗きに行った。
しかし、彼いわく、工科大学なのに、ふわっとした学部が増えて、逆につかみどころのないバッググラウンドを持つ学生が増えたとのこと。
そうなのだ、、、サステナブルとか、アントレプレナーとか、イノベーションとか。具体的に何ができるのか全くわからない。
最近はAI学部もあるらしいが、まさに機械学習を生業にする彼だからこそ、それを学部として成り立たせることに懐疑的らしい。AIでも、言語系とか画像系とかベースになるものが全然違うからだ。
むしろ、そういうファンシーな学部よりも、数学とか物理、機械、電気、化学といった昔からあるコンサバな学部の方がわかりやすくて仕事も振りやすい。基礎がしっかりある人ほど、実は応用もきいていろんなプロジェクトに携わることができたりするし。
なんか、エンジニア業界をわかってないアカデミアの人だけで大学改革をしたのかなという疑いが、、、
学生にはキャッチーなものに飛びつくのではなく、エンジニアの基礎をしっかり学んで欲しいなと思う。
東京物語
転職先初出勤の日だったが、奇しくもタイヤ交換のアポと、さらに映画鑑賞の予定が入っており、夕方ワークショップに寄って家に帰り、軽く食べて、夜、コペンハーゲンに行ったのだった。
初めて行くところで、映画館というよりは、小さなシアタービルディングという感じだった。
結構席が埋まっていたが、日本人はほとんどいなくて驚いたが、やはり非日本人の紹介してくれた人いわく、1950年代の日本映画のクオリティは非常に高く、特に東京物語は一番いい映画のひとつだという。
当時の日本は戦後の社会変化が著しいときだったというのも良質な映画を生みやすかったことに関係するのかもしれない。
わたしは観たことのない映画だったけど、有名だけにあらすじだけは知ってて、ちょっと見るのがつらくなる内容かなと懸念していたが、情景が美しく、日本ならではの風情にあふれ、思っていたよりも、しみじみと心にしみてくるような映画だった。
長男が住んでいる土手が見えるところは、彼が18歳でアメリカに留学するまで住んでいた地域かも、と思っていたら、案の定そうで、火力発電の高い煙突は、義理ママさんが小さい時によく見ていた光景らしい。
あまり評判よくない下町でも、映画の中では情緒を感じる映像に見えるのだから不思議。
家族ならではの遠慮のない感じもなんか懐かしかったり。何気に失礼なことを言ってたり。
わたしの父も6人兄弟で、それぞれがそれぞれの事情で生きていて、なんとなく高齢の親はうっとおしい存在だったり。
大昔のようでいて、わたしが生まれる20年前の映画で、デンマークに移住してから22年たっているから、実はわたしにとってはそう遠すぎない時代だったわけで。
小さかったとき、ずっと貧しくて素朴な生活だったけど、経済成長している過程にあったせいか、悲壮感はなかったし、もっと人と人との関係が親密だった。一升瓶を「借りる」のには驚いたけど、昔はもっと助け合っていたんだろうなと思う。
それに、わたしは戦争の28年後に生まれたけど、今に比べるとずっと戦後の延長だった。関西の大震災やオウムの地下鉄の事件から30年たってもまだ記憶が生々しく残っているように、当時はまだ第二次世界大戦を引きずっていたと思う。
なので、戦後の切なさも伝わってくるものがある。
90年代で冷戦構造が変わり一気にグローバル化が進んだことが日本に大きく影響したとあるが、本当にそのとおりだなーと。
だから昭和が懐かしいのかもしれない。
ずっと忙殺されていたので、久しぶりに文化的イベントに参加して楽しかった。
転職先初日
もうふざけんなという感じだが、、、
もし先々月に家を買わなかったら、家を買う経済力も気力も失なっていたと思う。
彼の財産のほとんどが株だったので。
わたしも値下がりする数日前に株を現金化していて本当によかった。。(実は売って1000万円得たけど、今は2ヶ月前よりも20%下がっているので、800万円くらいに価値を下げてたかもしれない。)
とはいえ、年金基金のお金はかなり目減りしているが。
そんな状況での、転職先での初出勤だった。
17年働いた会社ではオープンオフィスだし、個人オフィスで働くのは初めて。
世界大恐慌になるかという時なので、初っ端から解雇になるかな、、ともチラッと思ったけど、新しいプロジェクトが入ったばかりで、しかも大型発注が入りそうで忙しいとかで、とりあえずその心配はなさそうでホッとした。とはいえ、先はわからないが。
まぁ、社長が結構なやり手というか、ビジネスマンとして常に先見の目がある人なので、、、
弾丸日本出張から帰ってきたばかりで、どうだったか感想を聞いたら、日本は遅れている感じがあり、タクシーひとつ呼ぶのにも、紙に全て情報を書かなければならなかったりと、アプリひとつで全てすむデンマークから来ると、何をやるにも手間が多く、また、仕事でも皆真面目で親切だが、目の前のことだけにフォーカスして視野が狭く、あまり長期的なビジョンを持ってないと思ったそうだ。
経済的にかなり停滞している印象も強かったという。
社長は特に、クリティカルな見方をしているから。。
それだけに、私も気が抜けない。。。
今日は、イントロダクションの他に、顧客とのミーティングにも少し参加したが、後はずーっとサーバーに入っているファイルを見てて、技術的なドキュメンテーションが4年間全く更新されてないことがわかり、色々やることあるな、、、と思った。
作業日2
昨日に引き続き、今日も作業日。
まずは、昨日できなかったプラスチック球デザインランプの作業に着手。
ねじ止めからはいくらでもケーブルを延長できるが、電球からねじ止めまでのケーブルはそうおいそれと延ばせないので、どうしたものかと考えあぐねていたところ、彼が照明ブランドのサイトで、別売り電球ケーブルが売っていることを発見し、4mのケーブルを購入してくれたのだった。
昨日は元の電球ケーブルが外せず諦めてしまったが、この金属チューブについている固定するためのワッシャーを外せば撮れるのではとやってみると、構造上難儀はしたが、取ることができ、新しく買った電球ケーブルを挿入し、これまた難儀したがなんとか交換することができたのだった。
従来の、ねじ止めからプラスチックの球までの70cmから30cm延ばして1mの長さになるように、重力に耐えるためのワイヤーをねじ止めで固定し、天井につけたフックにかけ、
ブレーカーを落とし、配電盤に銅線をつなげ照明の取り付け完了。
なかなか難しいランプなので、無事取り付けできて安堵した。。
その後は、額縁を壁に取り付け、、、
板が張られている寝室には、タイで購入した刺繍布と、自作の切り絵の額縁を飾った。寝室にはアパートの寝室に飾っていた絵を飾ろうと思っていたけど、なんとなく、ウッド壁には、こういう模様系の額縁の方が映えるかなと思ったが、大当たりだった。
作業日
今週は、火曜日にアパートを引き渡し、しかも運よく転職先で社長と息子が日本に出張に行っているため、初出勤日を来週にしたので、比較的リラックスできた週だったにもかかわらず、それまでの疲れが出たのか、昨日の夜は9時くらいには寝落ちしてしまい、久しぶりにスッキリと朝起きることができた。
しかしこの週末も忙しい。
結果的には意味がなかったけど、掃除のために月曜日までアパートに掃除機を置いていたので、やっと新居で使えると、朝から掃除機をかけ、
アパートのキッチンで使っていた照明をサンルームにつけようとしたら、天井の配線盤の中にねじ止めのためのプラスチックのパーツが入ってなく、そのまま照明の銅線を接続してしまうと、その繋げた部分に直接荷重がかかってしまうので、配線盤の外側に別途ねじ止めする必要があり、その結果ケーブルを延長しなくてはなくなり、銅線を半田付けで繋ぎ、その上に熱収縮絶縁チューブを被せてケーブルを伸ばし、ねじ止めにひっかけ、なんとかサンルームに照明をつけた。
あと二つ照明をつけるのに、やはりねじ止めが必要ということでBauhausへ。
色々あって楽しい。
足場にも興味が。。。新居はリビングが吹き抜けになっていて、天井が高いので、ランプの交換をするのにも難儀しそうで、脚立使うのも怖いし、もっと簡単に天井にアクセスできる方法がないか考えあぐねていたのである。
他にもドアのセクションをマジマジと見たり、今までも好きだったけど、家を買ってよりBauhausが楽しくなった。これからもしょっちゅう行くことになると思う。
とりあえず、脚立を使って、買ってきたねじ止めを天井につけ、照明取り付け完了。
この照明は、重いので、銅線以外のワイヤーをねじ止めに固定して銅線への荷重をかけないやり方になっていて、簡単にケーブルを延長できず、別売りケーブルを買ったのだが、替え方がわからず、とりあえず取り付けてみたが、やはりケーブルが短くて高くなりすぎ。。。ケーブルの替え方をもっと模索してみることにする。
今日は娘も来て、一緒に地下室に置くベッドを買いに行き、夜は庭から取ったRamsrøgを使って餃子を作った。彼はその間、離れの作業場でずっと片付けをしていたらしい。
明日もがっつり作業の予定である。













































