サン・ジャックへの道

Saint Jacques... La Mecque(2005)

 

人生って、捨てたもんじゃない。

 

不仲で多々問題のある3兄弟。彼らが母親の遺産を相続するには、フランスからスペインは聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路をともに行くことが条件だった。
その距離およそ1500km。

 

 

今はどうも日本ではどこにも配信が無く、DVDを買うかかりるかするしかないらしい。
こんないい映画がどうして。大人の事情は全然わからないショボーン
ちょっとgoogle先生に聞いてみたら、やはりそこそこ前のものは放映や販売の契約に「配信」が含まれていないからではないだろうか、とありました。

同監督の「女はみんな生きている」はU-nextにあるのに……。
なので、ユネクにそのままリクエストしてみる。一度に3つできるらしいので、どさくさまぎれてデヴィット・ウィンクラーの「グレイスランド」(ハーヴェイ・カイテルのやつ)もリクエストしてみる。
でも補記欄みたいなの無くて、これでどのグレイスランドかわからんのではと思う。本当に受けてくれる気あるんか。ユネクお前ほんとそういうところさあ高いくせにさあ(以下略)

 

コメディタッチで描かれる人生悲喜こもごもの物語。
それらを現すような旅路……というのが、ロードムービーの醍醐味だと思っています。

この映画もまさにそう。

 

※ずっと以前に見たので、若干あやしい記憶と(ネット情報と)ともに記録。

会社経営をしており、特にお金には困ってないが他兄弟に引っ張り出されて嫌々来てる長男ピエール。
彼は自身の病気(精神疾患だったと)と、自殺衝動をかかえるうつ病の妻に悩まされている。

 

国語教師をしている長女クララは頭が固くで、支配的で独善(みたいな紹介がされていたけど、そこまでとは思わなかった)。

彼女には家庭があり、遺産は欲しい。

 

アルコール依存症で、定職にも就かずに借金をしてその日暮らし。妻にも愛想をつかされ、娘ともあまり会えない次男クロード。

もちろん遺産が欲しい。(ただ、娘に何か買ってやりたいだったか、学費を助けたいようなことを言っていたと)

 

そして、他ガイドや女子高生コンビのエルザとカミーユ、そのカミーユに好意を持ち追いかけて参加する男子高校生サイッドと、何も知らずメッカへの巡礼に行けると思ってるイトコのラムジィ。持病を持つ女性マチルド。それぞれの思いを持って一行は旅立つ。

 

問題そのものは結構深刻だけれど、展開はドタバタ劇のよう。笑えるかどうかはともかく、合間合間に挟み込まれる美しい風景と、そこをただ歩いていく一行の姿に細かい問題などどうでもいいような気がしてくる。
そして重くなりすぎないのもいい。

 

そして、さらに印象的なのが「夢の世界」とでもいうか、個々の問題が空想的に、象徴的に表現されているところ。

ディスクレシアの少年、ラムジィは綺麗な風景の中で巨大なアルファベットのAがこちらに倒れてくる(夢?を見る)。彼の中で「文字を知る」ことは非常に困難で、そして強い憧れを持つ。
彼は、メッカ(ではない)へ行くことで、文字が読めるようになると信じており、そのときは病気の母親に詩を送りたいと思っている。

 

母親の死をさほどに悲痛としてはいない3兄弟だが、彼らが母親を失ったことを知ったラムジィは同情し、その悲しみに寄り添おうとする。

その純粋さが逆に兄弟に「肉親の喪失による悲しみ」の感情を少しずつ実感させる構図が面白い。

彼らは『邪悪な』人間ではなく、多忙な人生や個々の性格性質により、目の前の問題のみに注力するしかなかったのだ。

 

自分が一番印象に残っているのは長男のピエールで、彼は彼なりに妻の自殺衝動を心配し、治療しようとし(しかしそれはナースにまかせるもの)、自身も恐らく睡眠薬等を処方してもらい……。地位もお金もある兄弟の中では一番の成功者のようなのに、悲しい顔で生きている。

 

奥さんとのやりとりはとてもリアルで、奥さんはいつも静かで無感情で、というか魂を失ったようだ。

「酒はあまり飲むんじゃない」と言われれば「ええ、飲まないわ」と答えて数分後には飲んでいる。

「自殺なんてしないでくれ」と言われれば「ええ、しないわ」と答えて、その後自殺未遂したと連絡がくる。

彼は心の底では妻の病気をあきらめているようにも見えた。

 

現代人らしい多量の荷物を車に運ばせたりしていたピエールだけど、道中で結局重すぎる荷物からいらないものをこっそり道に捨てていく(ダメです)。(ここは他の皆も、持ちすぎた荷物をこっそりどんどん捨てていく笑える場面でした笑い泣き

やっと宿について、大切な薬まで捨てていたことに気づく。戻ろうとするがもう間に合わない。
あの薬が無ければ体調を崩すと、パニックになるピエール。

 

……だったのに、その後何事もなく巡礼路を健康に歩いているニヤリ

 

彼は、薬なんかなくても自分は歩けるし、体調を崩さないし、ちゃんと眠れることをこの巡礼で思い出した。(くたくたに疲れていたので、薬なんかなくても熟睡した)※一応、医師の処方した薬を勝手に止めるのは良くないと記しておきます昇天

皮肉にも、この巡礼旅は彼に本来の健康を取り戻させていたのだ。

 

最終的に、彼は自らの意思で旅を続行し、皆と一緒に聖地を目指す。

(その選択を喝采をあげて迎える一行がなんかいい)

 

この一行の中にも「天使のように」純粋な存在が、上記のディスクレシアを持つラムジィなのですが、やむをえず文字の読み書きを教えることになってしまうクララ(←なんだかんだこの人優しいんだよな)

このラムジィには最大の試練が訪れてしまうのだが、その先の結末も含めてこの巡礼の旅の意味を考えてしまう。

このとき、皆と、クララともしも出会ってなかったら……。

実際のところ、ラムジィはカミーユを追いかけたいサイッドに若干騙されてここにいる。サイッドはラムジィの母親から旅費を借りて2人で巡礼に参加しているのだ(家計が苦しいのに)。

さすがにひでえと思ったのだけど(結局、サイッドは想像以上の責任と現実を背負うことになる)、ラムジィはこの旅で言葉を会得し、そして友人も得た。彼のこの先の人生はまだまだ厳しいかもしれないが、恐らく一人ぼっちではない……と思う。

 

様々なラストシーンは、「再生」を感じさせる。

そしてそこで、不仲の子供たちを遺していく母親の真意が垣間見え、贈りたかった『遺産』が何なのかを示唆する。ここの演出もとても素敵でした。

旅を終えて帰宅したピエールの選択が素晴らしく、その後の奥さんに初めて本当の笑顔らしきものが見えているのが良かった。

 

この映画の大筋は、実際はとてもシンプルです。

でも自分は「禍福は糾える縄の如し」という言葉を思い出しました。そしてそれは救済と再生へも繋がっている。

この監督の目線はとても暖かいと感じました。

ウエスト・エンド殺人事件
See How They Run(2022)

 

1950年代のロンドン。
場所はウエスト・エンドの劇場、死体は舞台上、容疑者は舞台関係者たち。

殺人事件の『開幕』である。

 

 

 

あらすじ要約「こんなアガサ・クリスティは嫌だ」

 

サム・ロックウェル&シアーシャ・ローナンによるミステリー・コメディ映画。
なのですが、「夜の来訪者」的な英国産ミステリーと思い込んでいた自分。

 

 

もちろん、予告を見ているので上記↑ほど暗く重厚なものではなくて、コメディシーンもありつつの、華麗なワケあり社交界の人々が織りなすクラシカルなミステリーだと思っていたのです。(それこそポアロ的な)

 

物語はアガサ・クリスティの原作である戯曲「ねずみとり」の舞台で、関係者が殺害されるところから始まる。

実際に1952年のウエスト・エンドにて初演され、それからずっと連続して上映をしているそうです(名物なんだな)。

「ねずみとり」そのものは切なくも悲しい真実が語られる物語ですが、クリスティ独特の「人間の物悲しさ」と「殺人を犯す人間の愚かさ」も同時に語られていると思う。

この映画でも同様のはず……とみせかけて、実際は「うるせぇ!俺がルールだ!」でどいつもこいつも持っていく。(※イメージです)驚き


多分名探偵がここにいたら殺されてる。

 

サム・ロックウェルを初めて見たのはグリーン・マイルのあの残忍な殺人犯。

だったので以降どうしても好意的には見れなかった俳優(それだけ演技が素晴らしかったということです)

しかしここではそんな面影はなく、アルコール依存症(?)でちょっと怠惰な風貌のマイペースなストッパード警部となって登場。

シアーシャ・ローナンは見覚えがある……と見ていたら、グランドブダペストホテルのアガサでした。相変わらずキュートすなぁラブ飛び出すハート

そのほかにも過去に見たドラマの中で、ちょいちょい見たことある方々が。

エイドリアン・ブロディはちょっとグランドブダペストホテルを彷彿させるキャラクターで、かなり個性的で楽しかった。でも「過去の人」となっていたため、重要な場面で影響していても存在していない。そんな役どころで、そこがまた良かったです笑い泣き

彼を知ったのは「戦場のピアニスト」だったので、悲しそうな面差しがハマリ役だな……おねがいって感動してたのに、もう変な人のほうがクセになってくる良さ。

 

これだけのメンバーを集めて、1900年代の素敵な舞台を用意したのだから、本格英国ミステリーが観たかった気もする。
でも、こんな贅沢なコメディだってあっていいはず。

主演2人が最高に素晴らしかったし、サム・ロックウェルのうだつの上がらない警部の姿がとても良かった。アーガイルでまた違った姿でいるのほんとすごい(若返ってないか)。

 

これは、英国の人もしくは英国通の人ならもっといろいろ見えてきて楽しめたのかもしれない。

ちなみに、「ウェス・アンダーソン風味」とあちこちで言われている。まだブダペストホテルしか見てないけど、だから自分も魅かれてしまうのかな照れ

 

最後に、「虐待」はいつも悲しい結末しか残さない。舞台の上でも下でも。
人は肉体を殺すこともできるし、また魂も殺すことができることを自覚するべきだ。

知識として蓄えるのではなく。

この内容は、他のクリスティ作品でもしばしば出てきますね……。

キングスマン:ファースト・エージェント
The King's Man(2021)

 

始まりも超過激。
キングスマンシリーズの3作目にして、前日譚で始まりの物語。

 

 

 

カバーはここから

 

 

ネタバレしてます

 

 

 

 

 

 

2作目のゴールデン・サークルを未見のまま観たのですが、だいぶキングスマン(1作目)と毛色が違う……と思いきや、マシュー・ヴォーン監督作品でした。だから、あえてこういう撮りかたということなんだな……。

 

うわあああああああああああ

コンラッドーーーーーーーー!!!!!!えーん

 

全てそこに持っていかれて、展開に驚くどころじゃなかった。

1作目でハリーが死んだ(と思われた)とき、「ああ……これは世代交代も含めた物語なんだろうな」(ハリーはえらいこと仕出かしてしまったしな)ぐらいの思いで見ていたけど、まさか一番若い、有望な、イケメン(私情)をこんな……こんな……中盤で……ショボーン

戦争の虚しさをあの短い時間で描いていると思う。

前線の現実から危機からの脱出、仲間が命懸けで自分をかばい、自分もまた命懸けで怪我した仲間を運ぶ。あの、コンラッド決死の手負いの仲間をかついで砲弾を避け、塹壕寸前でふっとぶところすごく重いものがある。
生き残って生き残って、最後も残酷な形で生き残ったのに、一瞬で殺されてしまう。情け容赦ない世界。

(しかもあの射撃はダメなやつでは)
ちょっとボーゼンとなりながら後半を見ていました。

 

ラスプーチン戦までの流れ見るとふつーに「キングスマン創始者になるんかなぁおねがい」とか思っていたのに。

(同性愛者で『甘いマスクの男子』が好きなはずのラスプーチンに、つまらん言われてしまう素朴青年コンラッドほんとすき)


思えばオックスフォード公も、平和主義者なだけあってイマイチ詰めが甘いというか、頼りないようななんなようなという印象があった。

これははじまりの物語だから、まだキングスマンのギアが入っていない状態でもあるのかもしれない。

 

一方で悪役たちはとっても「キングスマン」な人たちで、サラエボ事件の若者とかほんとに「なんだかうまくいった」レベルで暗殺成功してる。
ちなみに、この暗殺者のガヴリロ・プリンツィプ氏本人は未成年だったため20年の懲役刑。第一次世界大戦引き起こしておいてそれでいいんかみたいな判決だったらしい(しかし、劣悪な環境で数年で獄死しているそうな)

あとイメージがあんまり合わないマタ・ハリとか、こんなだっけか?なレーニンとか、ハヌッセンとかいう全然知らなかった人(占星術師らしい)とか、何故か一人だけちゃんと本人に寄せてるラスプーチンとか、更に登場人物的に消去法(メタ推理)でだいたい誰か見当がつく首魁とか。

いろんな意味でヤバい敵たちに安心する。

 

要するに世界は『黒幕』が牛耳っており、彼らの一派が政府や王宮へ入り込み世界を操作している……という構図。
そこを潰すため、息子の死から奮起してオックスフォード公は仲間たちとそのアジトを突き止めていく。

英国の欺瞞に嫌気がさして平和主義へとなり、軍隊を退き『命を救う』ことに徹していたオックスフォード公。
かつてまだ少年だったころ、『英国紳士』たちに親の工場を奪われ、それを怨恨としていた黒幕。

 

"Manners maketh man"

 

キングスマンの有名なセリフで、決め台詞だとも思うけれどここでは若干の皮肉も感じる。

『英国紳士』の汚さを知る2人だけれど、オックスフォード公は息子の遺志を継ぐことでこの言葉を乗り越えていったように見えた。

 

最後の最後でキングスマンが誕生。

この初期メンバーの中に、コンラッドに頼まれて入れ替わった本物のアーチー・リードがいてくれて嬉しい。
チョイ役と思わせて、コンラッドの葬式にもいてそのときの表情がとても印象深かった。

もしかして、彼は事実を知ってオックスフォード公の手助けをするのでは……と思ったけど、ラストバトルには同行していない。

ので気のせいか……と思ったけど!!びっくり

 

ここで、彼のシーラへの自己紹介を思い出そう。

「ばかげていると思うけれど……」

 

同時に、悪党たちもまた残党がおり『世界の均衡』と称して裏から操っていこうとしていたーー。

的な、まさに「はじまりの物語」でした。

(世界の均衡、とかは陰謀論の形成のようです)

 

全体的には1作目キングスマンのテンポの良さや、主人公無双みたいな圧倒的なのが足りない気がしたけど、今回は歴史を背負ってることもあって、その闇と対決するキングスマン前身という構図なのかな、とも。
それにしても歴史的にはヒトラーに付け入ろうとし、しかし結局は暗殺されたとされるハヌッセンが利用する側になっているのは、フィクションの妙だなと思いました。

実は最強メイドのポリーが、正体があるのだと思っていたけれどただの最強メイドだったようで……。
字幕だと、主人であるはずのオックスフォード公にタメ口でしかもキスまでしていて、階級とは、状態。
吹替だと敬語でした。でも、最強スナイパーから最強暗号解読からかっこよかったです昇天

「ヘンゼル&グレーテル」のグレーテルの役者さん(ジェマ・アータートン)で、アクションも表情もかっこいいのだ。