ショーエイのアタックまんがーワン -4ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

 

【第三十九話 噂と実像 其々の恥部】

桶狭間へのカウントダウン 残り12年
〔ドラフト版〕

 

信長の失態は、吉乃との恋愛に溺れ、恋敵である土田弥平次を謀計に嵌めて抹殺しようとした事である。

結局、信長は実行に移す前に躊躇し、あえて弥平次と共闘して野盗団を討伐する形に変えるも、事態を予め聞き知っていた野盗団が土田城を事前に襲撃した事で尾張土田氏は滅んでしまう。

この尾張土田氏はいわば信長の母方の実家で、これが元で母・土田御前は筆頭家老林秀貞と共に、信長の廃嫡を信秀に直訴した。

勿論、信秀も状況は把握するところであったが、

あえて直ぐに廃嫡と言う判断には至らなかった。

筆頭家老の林秀貞も土田御前に同調して意見を述べたが、

父として信長を愛する信秀にとっては、

逆に信じられないという状況でもあった。

勿論の事、

信長には弥平次を抹殺する動機があるのは理解するが、

信長の教唆で土田城を野盗団に襲撃させた根拠も無く、

その信長が無責任に土田城を見捨てたという状況でもない。

反対に信秀の情報筋から

信長はこの件で弔い合戦に挑もうとしている話も聞いているのだ。

父として信長を信じたい気持ちから、

信長が弥平次の器量を計る意味で今回の作戦を計画したのではという親バカな期待を過らせたのも事実だ。

言うまでも無く、この事件は織田弾正忠家としてあるまじき恥部にもなる。

いわば弾正忠家嫡男が恋敵を見殺しにして誅殺した様な事件だ。

更にはそれで母方の実家を消滅させてしまった。

傍から見れば良い笑い者である。

それは林秀貞も承知の事。

故に信秀はこの件は口外せぬように固く命じたのだ。

勿論のこと、口止めを命じたとしても直近の噂としては、信秀の正妻の実家が野盗団の襲撃に有った事は広まり、そこに嫡男信長が駆けつけたという美談に近い形で一応は映った。

勿論、吉乃の嫁ぎ先であったとか、吉乃と信長の関係は寧ろ家中の一部の人間しか知りえない事で、噂で広まる前に口止めすればそこは防げるだろう。

信長の廃嫡を考える林秀貞は、その辺は機転を利かせた上で、信長の話が寧ろ美談に映らないように手配した。

いわば口々で信長を「大うつけ」と罵り、「母方の実家の救援を任せられながらも失態を犯して救えなかった。」

という形で。

弾正忠家にとっての恥部となる部分は、「嫡男が恋敵である母方の実家を野盗団に襲わせた」と思われる部分で、いわばそれを隠せば信長の失態をどう表現してもいいという形で秀貞は理解していた。

無論、信秀も廃嫡まで唱える土田御前や秀貞の怒りは理解する所で、信長を罵しりたい気持ちまでは制御できない。

 

さて、この話が美濃の斎藤道三にはどう伝わったのか。

いわば秀貞の言葉が先ずは伝わってきた。

「信長は大うつけで母方の実家への救援に失敗して、それを全滅させた。」

という事だ。

勿論信長は今、弔い合戦に挑もうとしているが、その成否は寧ろどうでもいい。

反対に母親である土田御前まで怒り心頭であるという話。

それらを踏まえて道三の目には、尾張こと織田弾正忠家は家督相続で割れる、という部分だ。

ただ信秀はまだ若く、30代半ば過ぎ故に今すぐという事も考えにくいが、廃嫡という話まで聞こえてくると荒れる要素は十分に考えられるのだ。

道三の目から見れば初陣を終えたばかりの子が救援に失敗しただけで大うつけとはと、思う所だが、それが母方の実家であったなら事は荒れるのも無理はない、という見識で受け取った。

 

弾正忠家の恥を晒さず、信長の悪い噂として流すには、

「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」

とすることだ。

謀計に長けた林秀貞からすれば、流言飛語はお手の物と言える。

道三の見識の通り、初陣を終えたばかりの子にその責を押し付けるのは可愛そうだと考えても可笑しくは無いが…

以外にも噂話をそこまで深く考えてくれる人は、現在でも少数でしかない。

仮に「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」という形で歴史資料に記載があったとしよう。

歴史家たちは既に信長の実績を知っているため、信長を大うつけとする事は無いが、恐らくこの内容でそのまま信長と土田御前が対立した事実として真に受けるだろう。

信長が何故その救援に遅延したのかまでは研究しても、これが誰かの流言飛語いわば噂話を広める策だったという事までは考えないと言える。

仮に林秀貞あたりがこの時分に流した書状だった場合は、その可能性が過るかもしれないが、大方は流言飛語とする方を憶測として扱うだろうと推察できる。

実はニュースの見出しは、この流言飛語と同じ手法で構成されている。

いわば解かりやすく短い文章で、曖昧に伝える。

例えるなら、以前話題に成った自民党と統一教会の関係も、

「自民党に統一教会の影」という見出しにする方が、ニュースの見出しとしてインパクトが有り、読み手も「影」という曖昧な表現に引き込まれて「何か裏が有るように記事を読んでしまう。」

まあ、ニュースだから本当だろうと思ってしまうだろうが、裏の取れていない内容まで「影」という言葉に流されてしまう。

 

また流言飛語はゴシップと同じ要素で機能し、人の妬みに付け込んで信じ込ませるものだ。

ある意味、

「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」

の話は、寧ろ領主の子という特権階級の信長の失態を笑いものにするための内容に成る。

本当かどうかは実際に土田城が襲撃を受けて廃墟化したのを確認するだけで、援軍に遅延したという理由までは寧ろ伝え手の言い分が浸透する。

いわば戦国時代の技術では遅延したかどうかは後日では確認できない事でもある訳だが、「土田城が襲撃を受けた痕跡」、「それが信長の母方の実家」まで確認できれば事実だと認定してしまうのだ。

その上で「遅延して救えなかった」は事実とは異なっても噂の聞き手は確認できないけどその通りなのだろうと考えてしまう。

ゴシップ記事も同じで、芸能人がホテルで合コンを開いていたという事実が確認できれば、あとそこで何が起こったかは確証の無い内容でも信じ込ませられる。

逆に事実なのかどうかは別として、時間の経過した話だと現代科学でも確認できないのも事実なのだ。

仮に性犯罪が有って直ぐに遺伝子捜査でも出来るなら別という話に成ってくる。

証言者が本当は何者なのか…

嘘か真かの区別も実は読み手は解らない。

流言飛語のテクニックは、見える実態を下に、如何に見えない実態を信じ込ませるかに成ってくる。

i一見、現代で言うフェイクニュースを連想するだろうが、実は報道の手法そのものと言っても過言ではない。

良く知られているのがインタビュー記事などで一部だけを抜粋して記事にする方法だ。

いわば印象操作の手法が昔にも流言飛語として用いられていたと考えれば想像しやすいだろう。

 

流言飛語などの噂の怖さは、言葉が独り歩きする事だ。

誰かが噂の根源を聞いて、

「それでは信長さまはまるで母親を見捨てたようなものだな」

と言うと、それを聞いた人は、「信長が母親を見捨てた人」として認識し、それを他で伝える。

自然とそれが「信長は母親見捨てるほどの悪人」の様な形で広まってしまうのだ。

すると今まで信長を慕っていた農村の人たちまで疑いの目で接する心情に発展する。

 

さて、一方の信長だが、その噂の根源の弔い合戦に挑もうとしていた。

勿論通常の戦闘では雑兵は捨て駒扱いで前衛に立たせる。

それは戦闘慣れした後衛に控える部隊が上手く敵の隙をつくためとも言ってよい。

味方の前衛が敵の前衛を押し込んで敵の後衛に迫ればそれだけ戦は有利に成る。

戦国時代前期の戦の構成は明確な資料が乏しくハッキリとは言えないが、恐らく雑兵は槍主体で、木の盾を持参して戦ったと言える。

映画やドラマの戦国時代の戦闘シーンではこの盾をあまり用いていない。

実は盾無しで突っ込む映像は寧ろ無謀で愚かしいと見えるのだ。

先ず先行して弓矢が飛んでくる事は想定できる話で、その弓矢を槍だけで受け流すなんて達人レベルの話で雑兵にそんな戦闘術が備わっているとは思えない。

寧ろ、雑兵でも木の盾なら戦闘前に薪やらの為に集めた木材を自前で加工して持って行く準備は出来るだろう。

一部の資料では槍でも竹やりは自前だったという記録もある。

ある意味、生きて戦争から帰ってくるつもりなら、生きて帰る知恵と準備は当然で、そういう意味では日本でも盾は必需品だったと考えても良い。

この盾の代わりに頭に被る陣笠が用いられたかは別であるが、陣笠に成ると構造がすこし高級で、鉄や革で作られた物となる。

現代で言う建築現場のヘルメットの様なものだが、それらが支給品だったのか各兵士が自前で用意したのかは不明だが、自前で用意した可能性は高いと感じる。

更には一揆相手に正規軍でも苦戦したり、秀吉が後に刀狩りを行ったことまで参考にすると、当時の雑兵の装備は槍や刀も含めて持参した可能性は高いと考えられる。

ある意味鎧や陣笠は使い捨てでは無いので、新兵として参戦する際に領主が支給するという事も考えられる。

そうして陣笠が盾の役目を担っていたとするならば、雑兵の装備は絵巻などで描かれるようなそれ相応の物だったと考えても良さそうである。

 

さて…敵の野盗団こと賊徒たち拠点だが、どの様な物であったのだろう。

清州から西の津島にかけて特に炭鉱や鉱山らしきものが有った形跡は見受けられなかった。

賊徒のアジトといえばこうした鉱山跡地を連想するが、立地から考慮すると深い森の中に母屋がいくつか存在する砦を形成する形が考えられる。

森林に遮られて見つけにくいとはいえ、一度発見されれば場所は特定されやすい形になる。

応仁の乱の頃、賊徒を率いたとされる骨皮道賢という人物が居るが、彼は侍所所司代の被官、いわば役人として盗賊らの監視役にありながらそれらを従えて自らの兵力としていたという。

現代風に言えばマル暴の捜査官が暴力団を従えていたという話に成るだろうが、現代より組織統制がはるかに曖昧だった時代ゆえに、任侠映画に出てくるような話も寧ろ当然の時代だったと考えられる。

そう考えると彼らのアジトが目立たない場所で集落化した形であった事は不思議ではないと言えよう。

そして骨皮道賢の例がもっと一般的だったと考えると、この地域の賊徒は清須の織田大和守側と通じていたとも考えられる。

尾張土田氏の所領に近いとはいえ、元々尾張土田氏は六角氏から斯波氏に外交官として土着した家柄で、所領の周囲は清須主体の地域と成る。そうなると自然、守護代の織田大和守家の管轄と考えるのが当然と言えよう。

そうした大和守家の誰かが彼らを囲って自らの兵力としていたとするならば、この野盗団は戦国時代の一般的な言い方をすれば野武士の集団という形で考えられる。

その集団に弾正忠家の信長が戦いを挑むという形に成るわけだが、

昨今も同じでそれは政治的に扱いにくい部分ともなる。

更にはその賊徒が土田城を襲撃したという話に成れば、清洲側もその野盗団を擁護することは出来ないのが実情と成るだろう。

大和守家の黒幕の誰かが彼らに手を差し伸べられるとするならば、元々の摘発というべきか信長の襲撃に備えて他の野武士集団から援軍を募って宛がうことぐらいに成る。

 

寧ろここで政治的な話で考えるなら、野党団の襲撃を受けてお家断絶状態と成った尾張土田氏の所領を誰が引き継ぐかと言う話に成るのだ。

 

この様に再度状況を整理して考えると、信長の弔い合戦は単ならる弔い合戦に有らず、尾張土田領を巡って大和守家と弾正忠家の駆け引きの場ともなっている事が伺える。

また、この場所は清須城に程なく近い場所である。

いわば信長は知らずしてこうした複雑な問題を一気に引き起こしたことに成るのだ。

 

歴史上で謎めいた部分は、資料が混在し事実確認が不明瞭なものが多い。

信長の母親の実家である土田氏の存在、そして信長の嫡男信忠の母であるとされる生駒の方または吉乃の存在など…

更には生駒家の家系図で何某弥平次と記されるに留めた、吉乃の前夫の存在。

本来、史書の中で何らかの痕跡を明確に残しても可笑しくない部分が、謎として残るには、それだけ当時語られては成らない何かが有ったと推測した方が良い。

いわば天下人にまで上り詰めた信長にとって、どうしても触れられたくない過去に成るのだ。

 

この事件はいわばそれに値する話で、結果として母方の実家を潰したに留まらず母親との因縁に結びついて、後の弟・信行(信勝)との対立にまで発展し結果としてその信行を抹殺する流れにまで成るのだ。

あくまで起因を作ったのは信長である。

そして事件としての正当性で言うなれば、母方の勢力の方にある。

勿論の事…その母方の勢力では天下すら望めなかっただろうが…

信長自身が自分に非ある事ゆえに、母と信行側に首謀各として従った林秀貞や柴田勝家も許し、また一度はその信行も許し、母親である土田御前も咎めなかったと考えるなら、この決着の付け方にも納得が行くのである。

更には家中を纏める権威を維持する上では、恋に溺れて母方の実家を滅ぼしたなどというゴシップは信長の反勢力の格好の餌に成る。

逆に、母方の勢力がそれを用いる事も想定されるが、この当時内外に敵の多い弾正忠家にとって寧ろ信長の失態で生じたお家騒動は大和守家や伊勢守家に付け入る隙を与えかねない流れに成る。

故に信秀存命中は口外させなかった話に成る。

また後に信行側の首謀各と成る林秀貞にとっても、信長付の筆頭家老として自らの謀計で信長の失態を招いた事実は秀貞自身の立場を揺るがす恥部とも成るゆえに、触れられたくない話として一致することに成る。

いわば信長と吉乃の間を割くための謀計を案じたのは秀貞本人であるからだ。

信長にとっても秀貞にとっても恥部となる話ゆえに、双方の誰もが触れてはいけないところで纏まったという流れで良いだろう。

 

では、信長の母親、土田御前の立場としてはどうであろう・・・

信長の行動に怒りを覚えるのとは別に、自身の実家が野盗団の襲撃にあってお家が断絶したとあってはその土田家の風格に関わる話に成る。

いわば戦場で落とした命では無く、盗賊に襲われて失った命に成るからだ。

むしろ土田御前としてはこの事件そのものを隠したいという流れが生じてくるのだ。

仮に史書として土田御前の実家は野盗の襲撃にあってお家が断絶した尾張土田氏という話が残れば、自身の出自に誇れるところがないどころか、寧ろ天下人と成った信長の実母としての風格にも傷がつく。

既に林秀貞が流言飛語として「信長が実母の実家の救援に遅延した」という話で広めているが、後の公式声明で「その土田氏は弾正忠家の奥方とは全く関係が無い」と広めれば、誰もが単なる噂話だったという事で事件そのものを忘れてしまうのだ。

無論、一部関係者の口止めをした上での話だが、これは現代社会より当時の方が遥かに成り立ちやすいのである。

歴史に残る辻褄の部分で言えば、土田御前の出自が曖昧で、様々な説が語られている点を考慮するなら、本人が出自に関して誰にも伝えていない点が明白と言える。

唯一、孫にあたる信勝には「土田政久の娘」である事のみ語られているとされる記述が残ると言う。

ここは寧ろ土田御前が信長の生母である点を裏付ける話として考えるべき部分で、その他の説は恐らく信秀の側室として輿入れした人物を信長の生母では無いかと推察しただけの話として考えるべきである。

いわば信長の生母の出自が公には公表されていなかった事を裏付ける話として考えるべきで、それ故に歴史の中で様々な憶測が考えられ記された結果と見る方が辻褄が合うのである。

 

さてここでは信長の一大事件として描いてはいるが、結局のところ世の中では噂話で曖昧にされた事件で、単に信長が野盗相手に軍事演習していただけの話に終わってしまうのだ。

それ故に史書のどこにも残らない、語られない部分を描くことに成る。

 

神秘的な表現で伝えれば、これらは信長の魂の記憶を辿った話と言おう。

科学的な表現ならば、心理学と行動学、歴史的な事象研究と推理を用いて初陣してから濃姫の輿入れまでの空白の期間を割り出した話としよう。

 

小説として描くなら、大和守家の黒幕が糸を引いて、この事件を利用したとする方が面白みのある内容に成るだろうが、事実はもっと単純なものである。

大和守家の黒幕が考えれる程度は、野盗団が信長らの襲撃計画を察して黒幕に相談したところ、黒幕は他の野武士または野盗団に連絡を取って援軍を募ったという所である。

そこでようやく、

 

「土田城をそのまま襲撃して、土田氏を全滅させれば面白い事になるやもしれんな・・・」

 

と、言った具合に算段が整うのだ。

いわば現状土田氏は弾正忠家との繋がりが強く成った家柄故に、事件が生じてその家が断絶したなら、そこは大和守家の所領にと言う話が通りやすくなる。

襲撃した野盗団を上手く排除した形で治めれば、自身の手柄としてその地を手に入れる事も・・・と考えるのだ。

 

小説であれば黒幕が糸を引いて信長の行動まで算段するような形で描くだろうが、実際の流れはもっと時代劇に近い流れで動くと言っても良い。

 

そして今度は信長の部隊とこの野盗団が戦うと言う状態である。

 

兵力的には野盗団の方が多く、この黒幕は信長を仕留めるまではいかずとも、信長の部隊を蹴散らして撤退させてくれれば、弾正忠家が土田氏の跡地を拝領する主張は通りにくく成ると考えていた。

 

果たして信長はどう戦うのか…次話につづく・・・

 

うつけの兵法…ほぼ半年ぶりに更新かな…

どういう戦いなのか…いろいろ検証中だったこともあって、

中々筆が進みません。

まあ、モチベーションもちょっと下がってる感じなんですが…

 

普通に考えれば、

ワ―って感じで計略ぶち込んでみたいなの想像するでしょうが、

リアルな戦闘はそうじゃ無いんです!!

漫画・アニメのキングダムは好きな作品だけど、

あそこで描かれている戦争は所詮は小説の延長戦でしかないんです。

 

リアルな戦闘と考えると、

先ず騎馬隊が弓矢を避けてどうやって突撃するかなんです。

弓矢が人に当たっても致命傷は避けられるかも知れませんが、

馬に当たったら即落馬です。

馬が居たがって仰け反るのは当然ですから。

相手の弓矢が切れるまで騎馬の突撃はしないとか、

色々な駆け引きも考えられます。

弓だって予備を隠し持つのは当然だろうし・・・

そう考えると騎馬を突撃させると考えた場合、

弓矢も消耗品なので弓が尽きる頃合いまで、

歩兵を突入させつつ後退しながら

様子見してたという戦い方が現実的なのかなと・・・

 

その歩兵も盾も持たずに突入するのは無謀すぎる話で、

最低でも木盾位は持ってたはず。

盾を掲げた前衛同士がぶつかった状態で、

後ろから槍で攻撃するには、

確かに長槍と呼ばれる6メートルから

織田軍の8メートル物まで必要に成ってくる。

アメフトのラインがぶつかり合って

相手のラインを崩すようなせめぎ合い、

恐らくは日本でもこういう感じで前衛がぶつかり合って

歩兵戦が行われたのだと考えれます。

行き成り乱戦状態なんて・・・

まず無策にも程がある話で、

敵中に突っ込んでいくなんて無謀にも程が有る話です。

 

最近になって気付いたのですが・・・

有名な孔明の八陣。

実は真面な資料が残っておらず、

多くの人は陣に八っつの門を構えた形を想像しているみたい。

ほぼ円陣と呼ばれる円形に

八つの門と呼ばれる空間を備えた物みたいですが・・・

どうやら違うみたい。

 

と、言うのも、

Total War:Three Kingdam、

いわばトータルワーというゲームの三国志版で、

リアルタイム戦闘やってて気付いたのですが、

弓とか騎兵とかを上手く動かして、

歩兵で守りつつ陣を形成する場合、

一番いい形が、三角形の上部に空間を作る形だったのです。

それをよく見ると、

漢字の八の形に歩兵を並べてた。

盾兵で防御の固い八の字の上部間っから、

漏れた敵兵、ゲームだと騎兵が突入してきて、

それを八の字の底辺部に配置した弓兵がガンガン狙って

射殺してくれる。

八の字の外側を回って侵入しようとする敵は、

外目に配置した騎兵で対処する。

八の字を盾兵で組んで防御しているので、

敵の弓矢は殆ど騎兵には届かない仕組みです。

そう考えると・・・

八陣のハチって実は

漢字の八の形を意味してるんじゃないの?

 

鶴翼やら魚鱗やら、色んな陣形も有るけど、

基本的な形はVじだったり△だったりと意外と形は単調なのです。

寧ろ大きく部隊を分けて地形に合わせて陣を敷く場合は、

その総隊全体を形どる陣形なんてものは存在しないです。

逆に言えばそんな形に拘っては

地形に合わせた部隊配置は真面に出来ませんよね。

 

反対に部隊の中で効率よく弓、騎馬、歩兵を機能させるには、

複雑な形だと弓が味方に当たるとか、

騎馬の機動性が損なわれるとか、

色々と問題が生じるだけです。

何かあって撤退する際に渋滞と混乱を引き起こすだろうし。

 

と、いう事で八陣の形は、

漢字の八の字をかたどった形で間違いないと断定します。

いやーこれに気づくと意外と便利なもんで…

現状、そのゲームでは重宝してます。

 

 

 

 

 

 

 

どうも・・・ショーエイです。

ブログで何を伝えようか迷ってて1月以上が経ってしまいました。

 

さていよいよトランプ政権がスタートして、

何気に色々と困惑しそうな気配が有りますが、

正直な所…トランプマンが

どういう大統領に成ろが構わないと言うのが当方の見解です。

 

何故ならこれを期に、

新世界と旧世界が分断されれば良いだけなので。

 

政治は旧世界で回っており、

社会は新世界で回ろうとしてます。

旧世界はどの道国益ばかり追っかけていた世界なので、

トランプがアメリカファーストを唱えようが、

政治的には何の変化も無いと言えます。

確かに関税を掛ける話に成っていますが、

結局これで政治が困惑しているのは、

国益ばかりが先行して米国の市場を気にしすぎるからです。

確かに米国の2億5千万人の市場は大きいですが、

グローバル全体の70億規模の市場で考えると、

1/10位と見積もります。

 

トランプは不利に成ると感じれば引き下がる。

そういう意味では米国の経済圏を捨てて、

米国を外したグローバル経済圏構築で動き出すべきなのです。

ただ…旧世界に固執している政治では、

こうした大胆な発想は難しいのも事実です。

旧世界に生きる人は安全保障やら何やらと、

結局ゴタクを並べて米国に媚びへつらう形を崩せない訳です。

 

しかしネットで世界が繋がる

新世界に生きる時代の人々にとっては

実際に世界が上手く繋がっていれば、

安全保障を考える必要性すらない事に

気づき始めているのでは…

中国が怖いと感じる人も、

ロシアが怖いと感じる人も、

逆に考えれば、習近平氏があと何年生きれる?

プーチン氏が後お何年生きれる?

寧ろその次の世代にまで

国境で閉ざされた世界を繋げて行きたいのか?

それこそがいつまでも戦争に脅える旧世界の発想に成るのです。

 

トランプがこの新世界の波に乗れれば

偉大な大統領になれるという事だけで、

所詮は旧世界に生きている凡庸な人間なら、

好きに4年間やればいい。

とにかく社会がどう感じようとも、

この4年間はどうしようもない時代に成るだけなのです。

むしろ米国民も含めて、

世界中が困窮する時代に成るかも知れませんが、

世界各国が旧世界の老害の過ちを炙り出して、

新世界=グローバル社会の在り方を

再構築する時間または時代とするしか無いのではという事です。

 

逆にトランプが新世界の波に気づいて、

方向転換d切れば、

新世界の理解者として受け入れられるのも事実ですが…

果たして彼にその度量が有るのかは微妙ですね。

少なくともイスラエルのネタニヤフを切り捨てられない限り、

彼に期待する要素は何も無さそうとも言っておきます。

 

【トランプ関税に対して世界はどうするべきか…】

特許の問題もあって技術的には簡単な話では無いが、

これを期に内需を固める政策を考えるべきです。

日本の様に米国の消費力に期待ばかりして、

国内の消費力を向上させてこなかった国は特に、

内需が活性化する方針に転用するべきなのです。

いわば外需で低価格を維持する為に、

国内の労働力を低価格で維持した結果、

日本国民の消費力は低迷したままの状態になった。

日本の人口は1億2千万人も居るのに、

ここ20年間で大手家電メーカーは

殆ど消えるか経営不振に陥り、

最近では自動車メーカーも危ぶまれる状態に成りました。

これらは明らかに日本国内の消費力が

低迷状態なままにある事が言えるのです。

 

内需をどうするかにシフトして考えれば、

実は色々な発想が生まれます。

車を売るという場合、

個人が車を持つ場合、

特に東京都内では駐車場の問題もあり、

交通機関の充実性も考慮すると、

コスパは全く魅力的には感じない商品と成ります。

しかし週末のちょっとしたドライブが充実すれば、

レンタカーの需要は伸ばせます。

まあ、麻生さんが総理の時に良い発想をしてたのですが、

週末高速料金無料化などの政策で、

こうした需要も伸ばし、

レンタカー企業がより車の購入に動ける環境にするだけで、

大手自動車会社への内需の手助けに成るわけです。

現状日本国内の需要で考えれば、電気自動車よりガソリン車とは言わずとも自然ハイブリット車で勝負できるのです。

ところが高速料金やらガソリン代、

更には需要が少ない分レンタカーの料金まで高くつく感じで、

週末のドライブという選択肢は中々気軽に手を出さない訳です。

家族旅行ですら月1回でも出来れば良い方で、

そういう行事も頻度としては限られて来ます。

 

実際に週末高速料金無料化で

渋滞事情は悪化したかも知れませんが、

当時かなり多くの利用があった事は記憶に有ります。

面倒なのでデータまでは調べませんが、

恐らくはデータとしてもレンタカーの利用数または、

車の売り上げなど大きく伸びたと思われます。

 

最低賃金上昇に加えて、こうした国内需要活性化の動きで、

地方への旅行客上昇にも繋がり、

地方活性化にも結び付く形で、更に内需を充実させ、

国内産業を国民で支えて行く方向に

シフトする期間とするべきなのです。

 

因みにトランプ関税で米国民がトヨタ車より

GMやフォードにシフトするかと言うと、

必ずしもそうは成らないとも考えられるのです。

勿論、経済が低迷して米国民の余裕が無くなれば、

安い方へシフトする流れは生じてきますが、

トランプの失策を米国民に痛感させる方が、

将来的な流れで自由貿易の有効性が

受け入れられやすく成るとも言えるのです。

 

勿論、そこに生じるリスクを他に転用する意味で、

米国以外の国々がより強い結びつきで

相互活用して支え合うのも大事に成ります。

日本はTPPを活用して、

カナダやメキシコを含む国々と連携して、

米国に報復関税で対抗し、

寧ろ日本製品の優位性を担保する姿勢を取るのも大事です。

 

日米安保や安全保障は、

米国が同盟国としての機能を果たそうとしないなら、

ハッキリ言って無視しても大丈夫と言っておきます。

少なくともこの4年間は。

実は中国やロシアが日本を懐柔する形で

動くこともkんが得られますが、

懐柔したい又は米国との決裂を望む分、

日本に下手な圧力も用いないだろうとも言えます。

、むしろ日米同盟が危ぶまれる状態で、

日本に軍事的な圧力を用いれば、

日本は再び米国との関係強化に働き、

寧ろ米国への利益に寄与する行為日誌か成らないからです。

寧ろ日米同盟が危ぶまれる状態では、

日本は中立的な立場、

または国連との連携を強める姿勢で、

安全保障を強化するべきなのです。

まあ、日本が日米安保でトランプ政権に強気な姿勢でi挑めば、

寧ろ米軍幹部たちが米国の安全保障の観点から

日米同盟の重要性を訴え始めて、

より対等な形での維持に動き出すとも言えます。

まあ、ディールとはこういう駆け引きな話で、

決裂した場合は決裂した場合で備えておけば、

寧ろ相互の利益が噛み合う形で纏まりやすくなるというものです。

日本の姿勢としては別段、

米国を裏切るつもりは無いが、

米国の属国になるつもりも無いと言う姿勢で良いわけです。

 

仮にそれでロシアや中国が日本を占領しても、

日本人が必ず抵抗し独立を勝ち取る国民であると知るならば、

彼らも無理に占領して無駄なリスクは追わないと言えるだろうし、

寧ろ日本の独立性を脅かさず、友好な関係性で

反対に米軍を遠ざけておくほうが

戦略的に安全保障強化に繋がると考えるでしょう。

また、国際社会としても、

日米同盟が消滅したからといって、

中国やロシアの侵攻を許す様な世界は望む訳がなく、

そういう意味で国連との関係強化で、

平和的中立を唱えて

国際社会の規範と成る姿勢を示すのも大事なのです。

 

旧世界に沈む人間はこれをバカげた理想と言うだろうが、

新世界を理解する人々は寧ろ称賛する流れに成る。

旧世界の老害はそろそろ寿命も近いので、

彼らの愚かしい見識に

終止符を打つ時代に掛けても良いと言っておきます。

 

さてここで推察では有りますが、

ほぼ間違いないと断定して、

前回の大統領選挙の内訳を伝えておきます。

 

実は…トランプの熱狂的支持者は、30%未満です。

残りはというと・・・

カマラ・ハリスを支持した人が凡そ40%で、

残りの30%はバイデン政権に失望した人です。

 

なので実は米国民の半数以上が

トランプを支持したという結果ではないのも事実です。

いわば…バイデンの政策より、

トランプにもう一回やらせてみた方がマシという選挙結果です。

 

トランプがここを勘違いして

好き放題やれば…彼にとって最悪な未来が待ってます。

まあ、80越えて寿命も近いトランプに

未来が有るかと言えば無さそうですが…

結局のところ…

息子のバロン・トランプの未来が無くなるという話です。

まあ・・・世間に自分の弱みを見せつけたようなものですが、

ある意味トランプの失政は、

息子のバロン・トランプに全て背負ってもらおうという話です。

 

どれで良いのなら、好き放題どうぞ…

でも息子の将来を考えるなら、

理性的な政治で

偉大な大統領として名前を刻む努力をしないとね…

 

そういう意味で米国民は

バロン・トランプの将来を人質にとって、

トランプを抑制することを考えても良いかも…

メディアなどもトランプの評価を全て、

バロン・トランプの評価へと転用して示せば、

トランプがどれだけ強気でも、

さすがに焦らざるを得なくなるのでは…

 

どうも…ショーエイです。

今年はある意味、一般的な人にとっては

困惑の年だったのではないでしょうか…

 

トランプマンが大統領に返り咲いたことで、

様々な想定が崩れたように感じたと思います。

その想定とは…

実は冷戦時代の名残が思考を過らせていたから、

と、言っておきます

 

猜疑心という言葉が有るわけですが、

歴史上の話だと、権力者が掛かるケースで知られます。

猜疑心を抱くと対象に成った相手を

一切信用できなくなり、

何を伝えてもすべて嘘にしか感じなくなるわけです。

相手が本音であり、本心で語っても、

それはその本人以外は知るよしの無いところで、

その人が策謀に長けた人物だったら、

より一層疑って見えてしまいます。

 

猜疑心は権力者特有のもののように感じてますが、

実は一般人も掛かるわけです。

現代の様な民主制の社会では、

一般人の猜疑心が

結局は様々な外交上の判断に直結していくわけです。

これは政治家が民衆の猜疑を煽る場合もあり、

民意が政治家の決断を煽る場合もあります。

 

例えばバイデンの様に

ロシアを信用できないという姿勢を

あからさまに示した場合、

ロシアが信用できないという根拠のみを積み上げて、

政府の発表として提示するわけです。

ロシアがウクライナのNATO加盟を

シビアな姿勢で考えていることは

戦争が始まる以前に知られていたことです。

ここを刺激してロシアを煽り、

その結果が戦争に成った…

それでバイデンのロシアに対する猜疑は

正しかったという形にしたわけです。

 

一般の人としては、

寧ろロシアとNATOの関係性が見えてません。

単純に平和的な視点で見てしまえば、

ロシアが平和的な姿勢ならNATOという軍事同盟を

気にすることはないはず・・・

なんて自分サイド本位で考えてしまいます。

政治家からすれば世論がこういう思考なので、

ロシアとの対話姿勢や友好的な姿勢は、

寧ろ選挙ウケが悪い話に成ります。

所が…ロシアからすると、全く考え方が異なります。

欧米が平和的に考えるのなら、

寧ろNATOの様な軍事同盟の拡大を

する必要性がないのでは・・

ではなぜ欧米はNATOの拡大を望むのか?

それはロシアの対外的影響力を封じ込め、

欧米の方針に無抵抗に従わせたいからです。

 

ここは欧米の一般人が勘違いする部分でもあります。

いわば一般人からすれば

そういうつもりは無いと考えているからです。

所が政治の部分では、結局経済制裁を掛けたり、

LGBTなどを例に欧米の価値観を強要する形で

押し付けたりしているわけです。

勿論LGBTの権利は尊重される形が

社会平和的にも、まあ個人的はエンターテインメント的にも、

望ましいと思うのですが、

色々な部分で価値観の違いが生じる話でもあるので、

強引にその価値観を強要するべきではないと言っておきます。

こうした問題で紛争が起こらないように、

国連憲章では内政不干渉が謡われているのです。

 

良識をもって情勢を見つめている人は、

欧米がその価値観を強引に推し進めようとしている姿勢は、

顕著に理解できます。

これを一般の人は、自分たちの社会では当然な流れ故に、

他国もこれを模倣して追従するべきと考えてしまうのです。

LGBTの問題をあえて上げますが、

人権の問題としては認められるべきが理想的ですが、

生物学的には修正されるべき問題なのです。

なので価値観の違いが生じるのは避けられない問題です。

こうした繊細な問題で、

価値観が違うからという意味で不信感を抱くのが

民衆なのです。

いわば民衆が猜疑心を抱く状態になるわけですが、

民主制政治でこれらが民意として意識される分、

政治家が無視することは出来なくなります。

更にはこの民意に対して自己をアピールする意味で、

外交上強い姿勢を示そうとするのも当然の流れとなります。

 

こうした欧米サイドのやり方は正義と言えるのか?

欧米の生活圏になれた人は正義…

いわば人権的な正義と主張するでしょう。

錯覚するくらいにそう見えるかもしれません。

しかしそれに反発する側の権利は

認められていないのも事実です。

LGBT問題をあげて考えると、

生物学的に異質な状態を認めず、

生物学的に正常な男女の関係を規範とする社会構成は

悪質な社会なのか?

 

こうした複雑な問題を内政干渉する形で押し付け、

それに従わない場合は、重関税や輸出規制、

そして最終的には経済制裁で圧力を掛けるわけえす。

こうした姿勢に対抗する意味で

戦争というオプションが存在しているわけですが、

そのオプションを奪い取る意味で、

NATOの拡大などが存在するわけです。

そうして考えるとロシアが必死で抗うのも理解できる話です。

いわばNATO拡大をこれ以上許すことは、

欧米のいかなる圧力にも

対抗できなくなるという事になるのです。

なのでウクライナでロシアが

戦争というオプションを行使したのも

こうした世界情勢に疑問を投げかける

最終手段だったと言えるでしょう。

当ブログが戦争前に

戦争になることを確信していたのは、

こうした事情を理解できたからと言っておきます。

 

結果として…

フィンランドとスウェーデンはNATOに加盟したわけですが、

イスラエルのガザ問題発生で、

欧米の正義の主張に矛盾が生じたわけです。

これはさすがに欧米でも一般の多くの人たちが、

今の政治に疑問を抱く出来事となったようで、

それがゆえにバイデン政権であり欧米の政党がこぞって、

政権を奪われる状態になったと言えます。

 

メディアは主にこれらは

インフレと経済悪化を理由としてますが、

結局は全てが直結して、

今の政治家おかしいだろという感じで、

有権者からの信用を失ったという感じだと思います。

 

2025年にはトランプマン返り咲きのイベントが待ってます。

ウクライナの戦争を終わらせると豪語してますが、

現状、ロシアとウクライナで折り合いがつくかは微妙です。

 

特に問題はゼレンスキーでしょう。

まずゼレンスキーがウクライナのNATO加盟を

断念することは無いと思うからです。

ロシアもウクライナのNATO非加盟を譲らないと思います。

なぜならここが戦争に成った理由だからです。

双方とも政治理念を重視するなら折れないでしょう。

 

考えてみれば…

ウクライナがNATOに加盟したら、

ロシアは何のために戦争したのかという形になるし、

ゼレンスキーがNATO加盟を断念したら、

ウクライナの犠牲は何のためだったのかという話なります。

 

トランプマンが説得できるのはウクライナの方で、

ロシアからウクライナのNATO加盟の譲歩を引き出すのは。

かなり困難です。

しかしゼレンスキーが大統領である限り、

ゼレンスキーも説得には応じないと思われます。

もし、ゼレンスキーが応じれば、

ゼレンスキーは国民を無駄死にさせた

無能な大統領のレッテルを貼られることに成り、

恐らく命すら危うい状況に成るのは必須と言っていいからです。

 

では…トランプマンが目的を成就するには…

実はゼレンスキーの大統領としての任期はすでに終わっています。

戦争状態で選挙が出来ないからという理由で継続しているのです。

故に先ずはロシアとウクライナで、

選挙期間の停戦を合意させるのです。

ロシアもこの選挙の賭けには応じるでしょう。

停戦が成立したら、

ウクライナの大統領および議会選挙を行います。

 

選挙の主題は、NATO加盟を諦めてロシアとの戦争を終わらせるか、

それともNATO加盟を賭けて戦争を続けるかです。

ウクライナの国民がどちらを選ぶかに賭けるわけですが、

戦争に疲れ切った人も多いはずなので、

どちらが勝つかは解りません。

 

ただしトランプマンはここまでやれば

とりあえずは公約を果たしたとするべきです。

いわば後はウクライナ国民の判断に委ねるとした形が、

一番民主的な解決となるからです。

勿論、トランプマンが公約通り実現を目指す場合、

戦争継続なら米国は手を引くと言えば、

寧ろ終戦側に有利に働く話にも成ります。

そういう形で介入するのは内政干渉ではなく、

外交上の都合となるとなるため、

平和齎す大統領として名を残したいのなら、

こういう形で収めることが望ましいと言えます。

 

さて2025年はどんな年に成るのやら…

平和という意味で単純に願うより、

世界中が抱く猜疑の念…

いわば誰かを疑うだけの世界から、

もう一度信じて話し合いで解決する。

そういう年に成ってくれれば、

将来的な平和に繋げられる初年度に成るのですが…

中々難しいかな…

 

まあ、トランプマンがこういう世界をコントロール出来たなら、

今までの評価とは別のものとして見てもいいと思います。

逆にこれ出来なければ…

所詮は匹夫の成り上がりdふぇ終わるだけですが…

 

はてさてどういう大統領を演じるのか…

 

うつけの兵法ですが…

今現在、信長たまが盗賊団との戦闘をするうえで、

よりインパクトのある戦い方に成るように模索中です。

ある程度、インパクトを残せる戦い方は浮かぶのですが、

どうもまだ「信長は天才だ!!」という所に落ちてこない。

今までの歴史小説やマンガとは違う、

リアルな意味での所で、試行錯誤してます。

 

実はマンガや小説、まあゲームでもそうなんですが、

人間の体力的な部分の計算が全くないのです。

以前、オッサン先生が岐阜城に行った際、

山城を攻略するときの大変さを体力面で痛感したそうです。

体力が奪われた状態で戦う事の大変さは、

寧ろサッカーなどのスポーツで経験したわけで、

こうした要素が実はリアルな戦争でも大きく生じたのでは…

 

そうすると小説などで諸葛孔明が用いたと言われるような

偽旗を使った陽動作戦も、

ただ単にウロウロして狼狽する効果よりも、

寧ろ敵の体力を上手く奪うための作戦なのではと

感じるようになったわけです。

 

近代から現代では戦車やら航空戦力といった兵器が主流で、

寧ろ人間の体力計算は作戦としては

大きな部分を占めていません。

戦国の時代は寧ろ馬くらいしかないわけで、

そこに何か劣勢を覆せる鍵があるのではと考え中です。

 

とにかくちょっとリアルな意味で

説得力のある戦いを模索中なので、

気長に続きをお待ちください。

どうも・・・ショーエイです。

最近、世の中の愚痴を書くのも頻度が落ちてますが、

実はそれだけ呆れている状態な訳で、

現状、最悪と言っておきます。

 

米大統領選でハリスがトランプに負けた理由。

日本の報道では呆れるほど的外れな内容ばかりが目立ちます。

実際にはバイデン政権の失策が原因な訳で、

誰もが知るところのインフレ問題ですが…

このインフレ問題がどれだけ深刻なのかすら解かっていません。

 

一見、米国の給与実態は日本の倍近くあるから、

生活が豊かなはずだろうなんて見えるでしょう。

当方もちょっとそういう風に見ていた点は有るけど、

大統領選が終わってからある情報を目にしたら、

これは深刻だと気付いたわけです。

 

実は賃貸住宅の家賃代が深刻なほどに上昇していたのです。

日本ではおおよそ手取りで25万円、下でも15万円位の給与レベルで家賃は都内でワンルームが大体の5万円前後。

米国並みのワンベッドルーム=1LDKですが、これだと10万円くらいかな…

これが米国では手取りで55万円なのに対して、ワンベッドルームの家賃が大都市圏で30万前後。

食費、光熱費などを含めた支払いが日本の物価の倍と考えるなら、生活レベルはかなり苦しい状況だという事が見えてきます。

 

余り指標らしいものは有りませんが、

人がある程度生活に安心感を持って過ごせる割合は、

家賃等の住居費が月収の1/3程度で収まるラインで、

残りの生活必需費とする食の部分と、光熱費等が1/3、

残りの1/3は衣料や通信費を含む生活余興費となる形です。

住居費の高騰はこの割合を大幅に圧迫し、

現在の米国では月収の半分がそこに当たることに成ります。

 

勿論、これは一般的には

労働階級とも貧困層とも言われる部分の数値です。

日本でも月収が40万から50万を稼ぐ層が大多数います。

米国でも同じで100万円=7000ドル以上稼ぐ層が居ます。

ところがこれらを中層階級に満たない低層階級で分類すると、

人口の大多数を占める低層階級の半分が

米国では深刻な生活苦に有る状態と成るわけです。

 

これが大統領選挙で露わになったという事で、

バイデン政権への失望票が

トランプに流れたことを理解できる話に成るわけです。

 

結局はブログでも前もって警告したように、

ハリスがバイデンと一線を書く姿勢を見せないと…

と、いう所が的を得た結果に成ったと言えます。

 

【ICCがドゥテルテ大統領前フィリピン大統領を捜査】

麻薬犯罪組織の撲滅を掲げて、強硬な姿勢で挑んだ

ドゥテルテ前フィリピン大統領ですが…

その中には無実の市民も巻き込まれていたとか・・

キレイごとだけで話せば、

何て酷い事をしているんだなんて言えてしまうのですが、

これこそが平和ボケな話です。

 

テロを起こした相手、アルカイーダにしてもイスラム国家にしても報復又は撲滅作戦で軍隊を送り込んできた訳です。

この戦争がキレイごとで言う様に、無実の市民か戦闘員かを区別し丁寧に実行できるか?

勿論、無理です。

結果として多くの子供を含む市民がその戦禍の犠牲に成ってます。

当時のフィリピンにとっては麻薬犯罪組織は強大であったと言われ、

撲滅するにはテロと戦うレベルであったと言えます。

これは南米コロンビアなどを例に考えても良い話で、犯罪粗域は警察を買収することも殺害することも容易にできる影響力を持っている訳で、それらを相手に日本や欧米の感覚で取り締まれると思っている方が見当はずれなのです。

 

では…結果としてフィリピンは犯罪大国に成ったのか?

経済面で全く成長しなかったのか?

 

結果としてフィリピンは経済面で著しく成長出来きたわけで、

治安も以前と比べてかなり改善されたと伺います。

その治世に対して犯罪行為だと考えるのなら、

テロとの戦争を指示した政治家も同罪と成ります。

 

正直、ガザでの戦争のやり方でイスラエルのネタニアフを批難するつもりは有りません。

ただ、ネタニアフを批難するのは、元々イスラエルがパレスティナ人の人権を踏みにじるヨルダン川西岸への入植行為を繰り返し、

更には法的にパレスティナ人を差別的に扱ってきた事に対してです。

これらがハマスの暴走に火を付ける要因と成ったわけです。

ガザでの戦争のやり方は

イスラエルの安全を担保するものでは無く、

将来的にパレスティナ及びガザでの犠牲者たちの怨恨を増長させるものでしかないのも事実で、

ネタニアフを批難すると言うより、彼が単なる無能である事を揶揄するだけの話です。

 

欧米諸国の政治家もジャーナリストも、

その根底と成る人道的な話を無視して、

ただ単に戦闘行為が発生した状況での犠牲に対して

人道の意味でのキレイごとを並べているに過ぎないのです。

 

言い換えれば、戦闘行為が発生してから、

犠牲者を憐れんでももう遅いわけで、

戦闘行為が発生した問題点に焦点を当てて解決しなければ、

結局は同じ問題を繰り返して同じ様に犠牲者が出るだけなのです。

 

そういう意味で適切に考えれば、

フィリピンの問題は、麻薬犯罪が問題の根底に有った状況に、

強硬な姿勢で挑む必要性が有ったため、

その行為は社会的必要性に応じたものであり、

その結果として経済面、治安面での成果も付随したのなら、

これを犯罪として見ることは認めては成らないのです。

 

結果、ICCの人道的な手段で実行した場合、

麻薬犯罪組織を壊滅することは不可能になったと見られ、

警察機能もそれら組織に蹂躙され、

むしろICCが敵視するべき犯罪組織の活動をほう助する形としか成らないと言える。

ICCの様な言い分では、

犯罪組織は下部組織を含め教唆を用いてあらゆる人間を使って、警察の人間を容易に殺害することが可能で、それら状況を用いて脅迫で支配する事が出来るわけです。

無実とされる一部、または殆どが、そうした脅迫に絡んで犯罪をほう助する人間に成るのです。

欧米の証拠に基づく捜査方法では、証拠と結びつくまでの猶予が発生し、その間に証拠隠滅および証人や捜査関係者の殺害などで、法律上の無実を勝ち取る事は容易であった社会状態と見なせます。

 

欧米や日本などでは、警察組織の安定力と権限が犯罪組織に対して強く取り締まれる状態にあるが、犯罪組織が増大化した社会では、その警察権力は欧米の政治家などに挑むのと同じ環境と成るのです。

犯罪組織がある意味その国で闇のフィクサーの様に動く環境下では、国家の独裁者を転覆させるほどの革命が必要なのだとという事を先ずは理解するべきで、フィリピンで起きたドゥテルテ氏の指示は、いわば犯罪組織に対する革命戦争という形で考えなければ成らないのです。

 

もしICCが犯罪扱いするのなら、全ての政治家の悪行を取り締まってみろと言いたい。

自らの政治的都合で欧米の政権権力の戦争犯罪に着手出来ないのなら、一つの国家に於いて犯罪組織が持つ影響力はそれに匹敵するものに成る事くらいは理解するべきである。

 

 

最近、頭が悪いと揶揄する表現をよく使いますが、

本当に世の中何も見えていないと思う程に、

頭が悪いと感じるのです。

 

頭が悪いと言われて激昂する人も居るが、

結局、頭が悪いだけで終わる人が、

頭の悪い話を広めて、

頭の悪い結果に進む訳です。

 

平和平和と言っておきながら、

結局は戦争に発展する方向でしかものを考えていない。

 

フィンランドの外相だか知らないけど、

平和を望むくせに、

ロシアは信用できないからNATOで連携組んで、

ロシアとの戦争に備えるべきみたいなことを言ってます。

先ず、ロシアとの平和はこの視点では存在して無いですよね。

 

別段、ロシアに対して丸腰でいいとは言わないし、

安全保障を考えるのは別段好きにすればいいが、

それでロシアをあえて敵視するのは

寧ろロシアも警戒せざるを得ない状況を生み出しているに過ぎない。

 

NATOの話にしても、

NATOが将来的にロシアの加盟を望むという話なら、

それは平和的な形で読み取れる。

そういう話も無く、

ただ単にウクライナを加盟させるとかいう話だと、

全ては対ロシア戦線の話に成り、

ロシアとしても安全保障上の関係から

NATOを警戒せざるを得なくなるのは当然の流れなのです。

 

頭の悪人は、無防備でロシアを信用するか、

警戒して防衛戦線を貼るかの2択しか思い浮かばない様です。

 

ウクライナの戦争を精査すると…

第二次大戦の頃の兵器なら、

ロシアが確かにウクライナ全土を占領するのに、

そんなに時間が掛からなかったかも知れません。

しかし、現代の兵器では…

ウクライナとの戦争で明確に決着をつけるに至っては居ない。

ロシアが一部占領した事で優勢にも見られるが、

戦争の状況では五分です。

 

守勢が完全有利となるのが現代兵器の特徴で、

先ず昔の様に好んで侵略戦争をやっても、

損失が大きく採算は取れない。

そして占領しても市民活動が活発で、

寧ろ併合しても統治が難しく成るだけ。

 

先ずは好んで侵略戦争を仕掛ける発想は、

より縮小されます。

ただし、世界改革の為の目的で連合組む話は別です。

 

今の欧米の思考の様に

頭悪い形で欧米のルールを押し付ける事への抵抗が、

大きな戦争を産む可能性は大きいです。

 

ただし…この問題の根底に有るのが…

欧米諸国の主張が対話を成立させない次元に有る事です。

いわば欧米諸国の言い分が全てで、

それ以外は間違いだと断定するからです。

基本内政不干渉の原理に基づいて、

その国の統治はその国の方針で任せる中で、

人道的な権利などを対話で意見交換しつつ、

「解決できるところは解決できる形で模索する」

そういう国際社会のスタンスが求められます。

 

所詮はガキの喧嘩に見えるほど、

欧米の主張はガキの主張にしか見えないのも事実です。

相手の国の事情も考えて、

最終的には世界を一つに纏めて行きましょう

という話で進めれば上手く行くわけです。

 

何故か…って

頭の悪い人は、

自分があと100年も生きるつもりで考えているでしょうが、

20年先ですら生きているか解りません。

プーチン大統領にしても、習近平国家主席にしても、

あと何十年生きれるかです。

その上で彼らが未来に何を残すべきか?

習近平氏が生きている間に、

中国が世界を統一するなんて野望は

先ず有りえないと断言します。

米国ですら世界を統一出来ないのですから。

 

なので生きている間に何を残して、

歴史に名を刻むか…

こういう話の中で解決に導くのが現実的なのです。

 

そして後世の人間が、現指導者の意思を受け継ぐか?

 

中国共産党でも、王政の世襲政治では有りません。

国家主席が変われば、その姿勢も良くも悪くも変わります。

ただし新しい世代が世界の繋がりを求める形は、

インターネットの普及によってより強まっています。

 

心配せずともどこかの国が世界を支配するような野望は、

直ぐに現実的でないとアホでも気づきます。

気付かないのは余ほどのアホなので、

それこそ国家権力に入るほどの人間では有りません。

せいぜいネット上で騒ぐのが関の山です。

このアホでも気づくことを

他の人が気付かないと思っている

頭の悪い人が多いのが問題です。

 

ハッキリもう一度言います。

世界を支配するなんて事が不可能なのはアホでも気づく話で、

気付く人が賢い一部では無いのです。

それを踏まえて相手を見極めれば、

アホなレベルの警戒心は必要ない事に気づくでしょう。

頭の悪い人は、このアホなレベルに気づいているのが、

賢い自分たちだけと思う事で、

それをキレイごとのように講釈垂れて自慢しているだけなのです。

多くの聴衆は、アホな話に共感して崇めている訳だが、

結局は共感する時点でその人たちも気づいているのです。

その頭の悪い人が言っている事くらいは…

そのアホでも解かる話を、対等な外交の場で講釈垂れれば、

そりゃ馬鹿にされて白い目で見られるだけです。

それで…その相手がアホな話を理解していない?

いいえ、違います。

理解した上で、

そこからどうするのかが何も対話として成立しないから、

寧ろ困っているのです。

 

まあ…米国のバイデンのみ成らず

ペロシも含めて民主党がこの典型だったという事です。

どうも・・・ショーエイです。

アメリカ大統領選の結果が出ました。

この結果は米国民がトランプを選んだというより、

バイデン政権に米国民がうんざりし、

トランプの方がマシだという判断になると言えます。

そういいう意味では、現状どちらが最悪かで選んだ選挙です。

 

結局のところカマラ・ハリスに変わっても、

変化が望めないことを痛感しての形だったと言えます。

まあ、当ブログではこの辺を以前に話したわけですが、

どうやらその通りになった感じで、

驚きではありません。

 

さて、トランプがホワイトハウスに返り咲いてどうなるか…

殆どの人がトランプの行動を

読めないという形で困惑してますが、

彼が実際に何をしたいのかを察すれば予測はつきます。

 

【トランプの目的とは…】

彼は「アメリカを再び偉大な国にする」と豪語してます。

普通の人が困惑しているのは、

アメリカファーストになるという点ばかりを気にするからです。

ところがトランプの本心は、

「自分を偉大にしたい」

この点は以前に動画で皮肉ったとおり、

自分が偉大な存在になりたいというだけです、

その辺の違いを理解したうえで考慮すれば、

意外とトランプという人物像は見えてきます。

上の写真は銃弾に逃れた時の写真ですが

この様なイメージで、

自分が英雄として名前を刻みたいという感じなのでしょう。

 

では、彼はどういう英雄に成りたいのか…

簡単な話、彼の言動から察するに、

カエサルことシーザーの様な英雄として、

歴史上に名前を残したいという事です。

勿論、カエサルはローマ時代に多数の戦歴を持ち、

多くの軍功を上げています。

カエサルに成りたいという言葉で、

その辺を混ぜて考えるとまた困惑します。

トランプの目指すカエサルの部分は、

共和制ローマから帝政ローマに移行する際の、

永世独裁官になったという点です。

いわば絶対無二の存在として、

ローマを支配したという部分で、

同じ共和制のアメリカで同じような存在として

歴史に名を刻みたいという事なのですが…

難しい話…別段、独裁者になりたいという訳でもありません。

 

ただ、トランプの性格上、

議会の採決で法案が決まるという、

いわば他人が多数決で判断して国を運営するよりも、

自分だけの裁量ですべてを決断できる方が

スムーズかつ物事を進めやすいという事です。

ある意味、国をワンマン経営の会社にしたいという事です。

こういう意味で彼はカエサルを目指したい、

いわば永世独裁官として自分がアメリカをリードして、

世界全体を支配して平和を齎し、

歴史に英雄として名前を刻みたいというのが目的なのです。

 

さて。彼が大統領に成りたかった目的は、

要するにこんな感じなわけです。

ある意味独裁者な訳ですが、

そこだけを警戒して身構えても、

寧ろトランプを暴走させるだけなのです。

逆な視点で物事を言えば、

彼が英雄に成れるように助言できれば、

トランプも耳を貸すということです。

二期目の大統領として彼が最も恐れる点は、

「凡庸な大統領で終わる」

という事です。

凡庸な大統領とは…

トランプにとって歴代大統領の業務は凡庸に過ぎない。

反対に初代大統領ジョージ・ワシントンであり、

トーマス・ジェファーソン、ジェームス・マディソンら、

アメリカ建国の祖として名を刻んだ人物であり、

奴隷解放という歴史的な決断をした、

エイブラハム・リンカーンは医大と認識する意味で、

それ以外の功績は

歴史的に大きな評価を得ていないという点で、

凡庸という事になる。

なのでトランプは何か歴史上に

大きな痕跡を残す事業をしたいと願ってるのです。

そして凡庸以下の最悪のレッテルは避けたいと願う所もあり、

実は寧ろこちらの方が厄介になる点は否めないわけです。

 

いわばアメリカ合衆国の衰退の要因になることで、

それ故に

アメリカ・ファーストを謡っているという感じになるわけです。

いわば…「トランプのせいでアメリカはダメになった」

という歴史的な評価だけは許せないといった心情という話です。

 

【普通の政治家との違い】

普通の政治家、特に民主制の政治家ですが、

彼らは政治で「何をしたい」ではなく、

「何が出来るのか」で物事を考えます。

ある意味、多数決で決める民主制に於いては

理性的な思考です。

ただその中で何か結果を残す話になると、

発想はショボいです。

ショボいというのも何かを初めて行ったで満足するからです。

目的がほぼ無いとも言っておきます。

安倍元首相にしても、

日本初の憲法改正に着手した人を目指していた程度で、

憲法解釈の変更という建前で憲法を無視するようなら、

ある意味、憲法改正の必要性はないという流れに成ります。

何が出来るかで考えるレベル故に、

何かをする時は、合理的な意図はなくとも、

何か出来ただけの結果で満足するのです。

 

故に…「何かをしたい」で動く政治家の考え方とでは、

思考の構造が全く異なって理解できない状態に陥るわけです。

ただし、「何かをしたい」でも、目的遂行のために「何をするか」

そして勿論、「何ができるか」現実的なロードマップが構成できないと、

寧ろ「何が出来るか」で考えているだけの人よりも

質が悪くなるのも事実です。

いわば「何かをしたい」で動く人は

科学者の様なタイプが多いのですが、、

中には「何ができるか」を考えずに行動する人も居るという事です。

トランプの場合は科学者タイプでない「何かをしたい」人ゆえに、

扱いがかなり難しくなるのは事実です。

逆にイーロン・マスクは科学者タイプの

「何かをしたい」人なわけで、

トランプがイーロン・マスクの様な人物が好きなのも、

自分の何かをしたいに答えてくれる頭脳があるからと言えます。

 

【「何かをしたい」と「何が出来るか」の思考の違い】

「何が出来るか」で考える人はインテリが多いわけで、

学歴的には優秀で、かなりの情報に精通した人も居ます。

故に理性的なことは間違いありません。

一般的に頼れる人や優秀と思われる人物です。

寧ろ「何かをしたい」だけの人は、

博打的な行動に出る人が多く、

浅い情報で動いてしまう故に、

一般的には危うい感じで見られます。

所が、ここが馬鹿と天才は紙一重という部分で、

科学者タイプも「何がしたい」で動くのです。

IQという形で思考のレベルで表現すると

以下の様な形に成ります。

 

低IQ⇒「何かをしたい」ほぼ欲求に任せて行動するタイプ

            ↓

忠IQ⇒「何が出来るか」を把握して自分が出来る中で生きていく。

            ↓

高めのIQ⇒「何かをしたい」中で目的達成のための方法を

       学習や経験から学び、あらゆる手段で着手する。

       失敗を恐れず、失敗を経験にして改善していく。

            ↓

高IQ⇒情報を精査してできる範囲を明確に定め

     その中で「何が出来るか」を探り出す。

     ※科学的には定説と仮説の区別なく、有力な説に準じる。

     可能な事を優先し、失敗する事は排除して考える。

            ↓

天才⇒「何がしたい」かを優先し「何が出来るか」の中から

    「何が出来ているか」と「何が出来ていないか」を分別し、

    「何が出来るか」を広げながら「何がしたい」を研究する。

    失敗ではなく不可能を排除しながら、

    可能性を最大限に探求して思考する。

 

上記の構図の中で、中IQと高IQは相性がいいです。

更に高めのIQと天才も相性が良いです。

中IQと高IQの人にとっては、低IQのタイプと、

高めのIQと天才が類似して見えるため、

あまり好感されて見られないのも事実です。

 

トランプがどこに当てはまるかは察するところでしょう。

欧米の政治家を高IQのところに当てはめると、

失敗する可能性を考えて思考するため、

可能性だけの話で失敗するかどうか解らないという

トランプのタイプとでは議論に成りません。

逆に天才からすると…

失敗するという可能性で考えている部分に、

「何が出来ていないか」を把握し、

それが可能性を下げている点まで見出せるのです。

 

ロシアとの関係で考えるなら、

ロシアを信用するのは危険で、

信用して油断すれば

ロシアがヨーロッパへの侵略を推し進める 

という思考で考えます。

欧米の安全を考えるなら、

信用せずに防衛を強化しておく方が安全な訳です。

仮にロシアを信用して経済的に結びつき、

ロシア経済を強化する形に成れば、

ロシアはその影響力で欧米に圧力を掛けてくる。

これが高IQの思考です。

では…

戦争を前提にロシアの関係を考えるのが健全か、

経済的な競争力でロシアとの関係に対抗するのが健全か?

ここが「何ができていないか」の部分で、

いわば「何が考えられていないか」の部分になるのです。

更には文化的な影響力であり、

それから世代的な思考の変化、

これらは明らかに欧米有利な点です。

そういう点まで見据えて、

ロシアを敵国扱いする考え方は

不毛の策と断定するわけです。

 

中国にしても同じで、

いずれは中国が技術的にアメリカを凌駕するかもしれません。

ただし、日本がそうであった時代もあるわけですが、

文化的な流れで日本は寧ろ欧米に流れてしまったわけです。

これによりサッカー人気が高まったり、

MLBやNBAに憧れたりという文化的な共有が浸透したわけです。

中国との関係も、同じように考えることで、

寧ろ文化的な融合の面で将来的な安全保障を考える方が、

効率的に有効性が高くなるのです。

 

まあ・・・トランプの場合、中国に対しては後ろ向きみたいですが…

  

【トランプは意外と合理的な意見が好み】

安倍晋三は合理的な思考ではなかったわけで、

故にトランプに対して子分の様にするしかなかった。

 

前述の通り、トランプの目的は何か偉業を為したいわけで、

こうした点で合理的な話がトランプにできるのなら、

彼は喜んで耳を貸すでしょう。

ただしトランプの偉業として成立するような内容でないと、

彼はj興味を持ちません。

まあ、面倒くさいのですが、

そういう所を上手く使う事なのですが・・・

 

トランプがイーロン・マスクを参謀として

どれ大事にするかでも変わってきます。

勝利演説でかなりイーロンを持ち上げていたので、

現状、良い関係性にあると考えれます。

 

イーロンがトランプの参謀になることを前提に、

上記のIQタイプの構図を出したわけですが、

ザックリと話すと、

世界が対立でなく平和的に纏まる話でないと、

今後しばらくは通らないとも言えます。

 

イーロン・マスクは結構豪快な事をやりますが、

かれの思考は平和的で、

国同士の対立ではなく、国同士の繋がり、

あるいみグローバル経済化を望みます。

強欲な意味でも、

そのほうがイーロンも各国相手にビジネスしやすいから、

という形で考えてもいいでしょう。

 

頭の悪い人は、強欲な面だけを強調して、

その人間性まで疑うわけですが、

強欲な思考と、平和的な思考が合致する方が、

実は人間性として合理的で

説得力があるという風に考えるべきです。

いわば平和的なつながりの方が、

合理的に儲かるというのなら、

その方がより多くの人にとっても、

有難い話だからです。

 

その反対は軍事産業を儲けさせるのと同じなわけで、

緊張感高まる外交状態で、

防衛防衛を意識させて、

軍事産業の営業に乗っかって考えてる方が、

寧ろ間抜けといってもいい話です。

ならばスターリンクを儲けさせる方が良いのでは?

 

人間誰もが自分の利益を優先するのだから、

他人のそれを否定して考えるのは愚かしいことです。

反対に何を売ろうとしているのかで考えて、

平和的な商品のビジネスなのか、

それとも好戦的な商品なのか?

そこで判断することの方が大事なのです。

 

【警戒してもトランプの最初の2年間は・・・】

トランプが仮に本当に終生大統領を目指すなら、

憲法改正が必要になります。

現状、共和党が議席数で両院半数を握ってますが、

結局は議会の2/3が必要で、

そのあと各州議会の3/4の賛同が必要になるという手続きです。

 

これらから賛同を得るためには

相当な実績を最初の2年間で残さなければならない為。

どれだけ良い大統領を演じられるかに掛かってきます。

まあ、トランプではほぼ不可能に近い話なので、

1年ほどで崩れると思います衣が、

2年くらいは頑張ってみてほしいです。

2年後には中間選挙があります。

そこで議会の2/3を共和党が占めれば、

トランプの目的に近づくわけですが…

まあ、米国民はバイデンやハリスよりマシで選んでいるので、

トランプを増長させるような形は

どのみち無いと考えていいと思います。

 

さて我慢して良い大統領を演じて

次の2年間にやりたいようにやれば

トランプの評価は凡庸なポンコツで終わるでしょう。

寧ろ本当に歴史に名を刻みたいのなら、

国連改革に着手するべきで、

国連事務総長の選挙システムと、

国連議会制度構築などを推し進めて、

国連による世界政府を構成すれば、

歴史上に偉大な大統領として名を遺すかもしれません。

その上で初代選挙で選ばれる国連事務総長になることも

ある意味ありうるという事です。

そうすればジョージ・ワシントン並みの名声が得られます。

 

ある意味、他のアメリカ大統領ではここに着手しません。

なぜなら彼らは「何ができるか」でしか考えないから。

ある意味、世界政府を作るより、

国連事務総長の指名権に米国の関与が高い状態の方が、

アメリカにとって望ましいからです。

トランプも所詮はアメリカ・ファーストなので、

その程度と同じと思いますが、

本気で偉大に成りたいと考えて実際にできることは、

実はこうしたことなのです。

 

【中国が台湾進攻に踏み切るか?】

ぢっかの著名人は、

中国が台湾進攻に踏み切るなんて予測を立ててますが、

中国が台湾進攻に踏み切る条件は、

ロシアが共に戦える状態にあるときです。

ウクライナとの戦争が休戦状態になったら、

中国は台湾進攻のタイミングを見失います。

仮に習近平氏がそこに踏み切った場合、

時期を見誤った者として晒し物にされるでしょう。

 

【トランプは既に経験済みで免疫がある】

いわばまたトランプか…

2025年以降の4年間はそんな状態です。

トランプが変わらずあの調子なら、

アメリカをあきらめて以前の通り振舞うしかないです。

 

まあ、いい方向で滅茶苦茶やってくれればいいですが、

あまり多くは期待しません。

ただ、この結果を受けて、

米国民がバイデン政権にNOを突き付けたのは幸いで、

実際に米国民が望んでいるのは、

世界平和だという事なのでしょう。

 

国連事務総長と国連大使または国連議員の

選挙制をもとに

「何がしたい」と「何ができるか」で考える人の

違いを説明します。

「何がしたい」人は、

これらの選挙制を制度化したいわけです。

選挙と言えば聞こえがいいが、必ずしも簡単ではありません。

「何ができる」で考える人は、

中国などの民主制でない国が

まともに選挙で選ばない、または不正で選出することを言います。

普通はここで「何がしたい」の思考は止まります。

でも、まず現状、どの国も政権の意向で

大使を選出しているわけですよね。

では、元々が選挙的に不正がある状態があたりまえという事。

まあ、民主制国家は選挙で政権が選ばれて

その政権が大使を送っているのだからと言いますが、

それとは別に選挙でえらんでも良いのではという事。

まあ、機能面で国連は外交の場で

政府ではないという話に成れば別ですが、

では、世界がまとまりのない状態は

国連で各国が外交上の機能をマヒさせているからで、

国連がどう動くかは関係ないという事で終わりです。

 

議会制にするという事は、

国の政権運営とは別に、

世界平和を議論する場とする意味です。

また例えるなら、米国の場合、

国連議員が民主党で選ばれ、

大統領と議会が共和党だった場合、

外交問題を議論する形が

民主党と共和党の違いで解りやすく反映され、

国民はそれも参考に考えやすくなります。

いわば国家運営と外交議論を別に見れる場としたいのです。

その上で、ウクライナ進行に対して、

民主党の国連議員は支援を続けると唱え、

共和党大統領は打ち切るとした場合、

その国民が今度はどちらの議論で動くかで、

国家運営の議会を変えるか、

それとも国連議員を変えるかで選択するわけです。

任期を2年か3年、現状理想は2年とし、

外交政策であり国際協調に関する

米国民の意見を反映させるには、

解りやすい形に成ります。

TikTokの件なども含めて、

中国と対立する姿勢が望ましいのか、

それとも経済的に協調する方が望ましいのか、

国政とは別な意味で国民の意見が反映されるのです。

そうなると仮に国連議員の外交政策がマジョリティを得ていたなら、

国連の意向に反する国家運営は

自然と国政選挙で現れるわけですし、

その逆に国連議員が排除されることもあるわけです。

何にせよそこは双方の主張が

どれだけ国民に理解されるかなので、

より民主的に外交と国家運営が機能する形に成ります。

勿論、現状どの国の政権も、

政権運営に反する形で国連に大使を送りたくないのは当然です。

ただ、本当に国際社会の改革が必要ならこうしたムーブメントは、

国民意識の中で進めていくべきです。

 

では、不正問題に関して…

現状がその選挙不正の状態と同じなわkで、

どの政府も政権の意向で大使を選んでいるに過ぎないのです。

ある意味、基本的にはその形を維持しつつ、

民主制国家では国民の意思を反映して

国連大使を国連代表または

国連議員として選出するか決める形を取るのです。

 

これを国連で議論しても意味がないのが現実的な話です。

では、どうするのか…

国家単位で実践する形を取り、

徐々に各国にその選出法を推奨していく形で浸透させるのです。

まあ、日本人には無理な行動かもしれません。

ただし、現状、政権が割れた状態なら、

どこかの党がこういう主張をすることで、

制度化できる可能性はあります。

ある意味。立憲民主党を含む少数政党にとっては

チャンスでもあります。

いわば国連に選挙で大使を送り込めれば、

その政党の外交方針は国連内で

少なからずともアピールできるからです。

知事同様に、選挙で選ばれたわけなので、

政権政党に従う必要性もありません。

勿論、国連議員の意向に国が従う必要もないのですが、

その結果をもって次の選挙に大きく影響していくことは明白です。

 

こういう形で日本独自、または各国独自で

民主的な選出方法に変えていけば、

その機能の有効性が国民にとってプラスになるなら、

他の国の民意として浸透していく形に成るわけです。

これが「何をしったい」の現実的なロードマップなのです。

 

国連で議論されるのは世界全体の協調議題です。

国同士の外交交渉は外務省が行うものです。

日米間の貿易交渉は外務省の問題ですが、

ウクライナ問題や、

イスラエルとパレスティナ問題に関しては、

国連の議題です。

国連代表がイスラエル批判に票を投じても、

政権政党の意向ではないと言っても、

米国との関係に傷はつかないわけです。

ただし、国民がその国の姿勢に疑念を抱けば、

選挙で国連大使の政党が政権を握る可能性も高まります。

 

ある意味、日本の野党で連立を組む条件として

こうした交渉が出来るなら、

国民の評価はもっと変わると思うのですが…

政権を握った時の邪な考えが過って、

こういう改革を提案できないのかな…

 

本当に自分の制作に自信があるのなら、

どういう形でも国民を納得させられるという、

そういう自信がないのですかね…結局は…

どうも・・・ショーエイです。

ここのところ目の病気で治療中だったこともあって、

ブログの更新しようにもモニターの文字がみえないこともあって、

暫くお休み状態でした。

 

さて…10月

まあ、大統領選挙は前にも話したように

どうやら拮抗した感じになってますね。

カマラ・ハリスが支持を伸ばしきれないのは、

結局のところバイデン政権が足枷になっているからです。

とは、言え、

副大統領にしてもらった事であり、

大統領候補としてサポートしてもらっている件を考慮すれば、

恩を仇で返すような姿勢は、

さすがにアメリカでも人間性を疑われます。

なので彼女はバイデン陣営の傀儡候補という印象が

最終的に付きまとうわけです。

そういう意味で米国民の有権者は、

トランプが嫌いな人と現状からの変化を期待する層で、

分かれる形となっている状態です。

 

次に日本の総選挙ですが…

先ずはどうでもいい…そういう印象です。

なぜ「どうでもいい」のか・・・

どの政党を見ても

日本が劇的に変化できるような主張が全くないからです。

逆に言えば、とりあえず自民党以外でも同じな訳です。

そういう意味では今回は自民党の議席を

過半数以下にするチャンスという認識で

選挙を考えるべきかと…

今まではどの政党も頼りないから自民党で

という認識が多かったと思います。

ある意味日本人有権者の

政治を知らないところが問題なわけです。

結局のところそれで自民党を選んできた結果、

日本の政治は進化せず、

世界から取り残されてきたわけです。

寧ろ自民党も含めて

どの政党も頼りないなら、

政権交代をガンガンと引き起こさせ、

本当に優秀な政治家が登場しやすいように、

有権者は投票をコントロールするべきなのです。

自民党にしても立憲民主党にしても、

その他政党にしても、

結局は其々の党幹部が仕切っている状態で、

新しい力は下で埋もれてしまうだけが現状です。

政権交代を繰り返すことで、

いわば新しい力を活用した政党が

票を伸ばしやすい状態に

日本国民が導かなければならないというのが

日本の政治に大事なことだと理解するべきです。

 

とは言うものの…

その新しい力もあまり期待できないのが現状で、

まあ、最終的には「どうでもいい」に陥りますけど…

先週、たまたま地元の日本維新の会の候補者と、

直接話す機会があったので、

少し話をしました。

コロナ時に山中教授が大阪の吉村知事に

「政治を科学的に」という要望を伝えました。

そこで今現在日本維新の会が

どう変化したかを探ってみたのですが、

全く科学的な政治は浸透してない様子だったわけです。

 

「政治を科学的に…」

どうやら日本人の教育レベルでは

全く理解できない領域の様です。

どれだけ読解力があっても。

多分、理解できないのだと思います。

科学の基本は実験と検証であることくらいは

だれも知っていると思います。

だから政治も試して失敗したら修正してを

繰り返すなんて発想をするのです。

根本的にこの時点で全く違うわけです。

確かに山中教授も自分の常識の範疇で、

ザックリと伝えたから、

その本質を理解してもらうまでには

至らなかったのも事実ですが、

科学的にとはとても複雑なのです。

 

科学においてアイデアでり発見は

あくまでまだ「仮説」の状態です。

政治で言うなれば「公約」「政策主張」は、

いわば「仮説」と同じなのです。

政治ではこの仮説を、

議会の評決で施行するか否かを決める訳ですが、

所詮は仮説のものでしかないわけです。

今、丁度アニメで「チ。」という

地動説がいかに認められるまで

大変だったかの話を題材にしたものがやっていますが、

いわば仮説状態のものを科学的な検証なしに

民意や評決で決めることは、

天動説が信じられていた話と

同じ社会を引き起こす事になるという事です。

これは日本に限らずどこの国でも同じなわけです。

政治的な検証という部分では

一応は専門家への公聴会を設けます。

なので政治家の間抜けどもは

科学的な要素は十分にあると主張するでしょうが、

所がこの公聴会は異端審問と同じで、

政策=仮説としますが、

政権の仮説に肯定的な主張は取り入れて、

否定的な意見は参考までにきくというレベルなのです。

安倍政権時代に日米安保改正の時、

集団的自衛権の憲法解釈の公聴会を思い出します。

実際には海外派兵を含む

集団的自衛官の憲法解釈だったのですが、

憲法学者のほとんどは「違憲」判断をしたのに、

一部の学者が「合憲」としたから問題なしとしたわけです。

 

いわば政治上に於ける公聴会は

科学的な検証を目的としたものではなく、

仮説を定説と錯覚させるための審問会でしかないわkです。

 

科学的には定説になっていない理論には、

必ず多くの反証も存在します。

現代科学はそうした反証の中から、

仮説を見直す部分を分析して、

見直すべきところを修正しつつ

自身の仮説をそのまま押し通すのではなく、

新たな仮説として再構築していくのです。

 

勿論、政治は外交上の都合など、

時間を掛けられないところで決断を迫られます。

科学は立証できるまで根気よく議論できるが、

政治ではそうは言ってられない。

そういう部分で憂慮しなければならないのも事実ですが、

それゆえに相当優秀な人間でないと

間違いばかりを引き起こすわけです。

バイデン政権には学歴的には優秀な人間がいるが、

知能指数が著しく低いため、

各地で戦争を引き起こす状態になった訳です。

先ず、知能指数が高かったら、

ウクライナの戦争は起きませんでした。

イスラエルのパレスティナへの入植行為を

徹底的に阻止できていれば、

ハマスが起こしたテロも発生しなかった。

いわば今のガザ侵攻も未然に防げたわけです。

 

そういう意味で科学的に政治を分析すると、

民主制に於いての国民感情が

現状冷戦時代に類似した状態になりつつある現状では、

世界が再び西側と東側で

分断される状態が進行する流れになるわけです。

民主制の政治では

政権を維持するには大衆迎合することが得策で、

本来西側政治家の失策に値する行為によって発生した

敵国創出意識を友好的な形に変化させることは困難になる。

いわば大衆がロシアや中国を敵国と認識する状態で、

民主制の政治家が友好的な政策を唱えることは、

大衆から好感されないと「錯覚」することになります。

「錯覚」としているのは、

本当に優秀な政治家なら

この錯覚を上手に転換することができるからです。

これが出来たなら世紀の英雄とも呼べるクラスと言っておきます。

政治家の中でこの超難題に挑めるなら

挑んで貰いたいとだけ伝えておきます。

結果=解答は、中露も含めてグローバル社会が

再び友好的な関係で機能する状態。

まあ、現状超難題ですよね。

 

とは言え、

民主制の政治家には中々大衆の感情に反した行動はとれない。

確かにトランプはそういう意味では何でもやれるわけだが、

本当に信念を持って世界をよくする方向で4年間頑張るか、

それとも世界を支配するつもりで大統領に就くかで、

彼の歴史的評価は変わるでしょう。

まあ、後者なら今度は確実に殺処分になるだろうけど…

米国憲法を軽んじる行動は米国憲法を愛しそれを守る人々を、

本当に敵に回すことになるので、

それがどこに潜むのか理解しておく方がいいと言っておきます。

反対にハリスでは、この大衆感情のプレッシャーと、

バイデン政権の失策の穴埋めに努める度胸は無いと感じています。

逆にそこに反して行動できれば、

史上初の女性大統領という評価以上の伝説を手に入れられる。

 

大統領に成りたいだけなのか、

それとも大統領として何を為したいのか、

どちらの候補にせよ

自分が未来永劫存在し続ける価値は、

歴史に如何に名を刻めるかであることを理解してほしいです。

 

日本の政治家の場合は程度が低すぎて何とも言えないが、

日本がNATOの様な軍事同盟を構築しても、

歴史的な価値は何もないことを知るべき。

これも恐らくは現状の大衆感情に反する話ですが、

日本が国として国際社会をリードできるのは、

戦争ができる国ではなく、まずは戦争をしない国なのです。

むしろ平和ボケしたアホでも演じるように、

「皆、仲良くWINWINで」

とういう姿勢を貫くくらいの度胸があれば、

それこそ伝説級で歴史に痕跡を残せると言っておきます。

 

伝説的に歴史に名を刻むには、

他が考えもつかないことをしなけrば成らないわけで、

これは科学でも同じなのです。

ここを貫き通すには、

多くの反論に屈しないだけの根拠を示せるヴィジョンと、

歴史上に良い形で名を刻むという信念が大事なのです。

 

そういえば日本人の読解力不足という

話の記事を読みましたが…

 

こんな例えがあったけど…

 

Alexは人名である。女性はAlexandaraで、男性はAlexanderの略称で使われている。

 

という文章で、引っかけ無しの問題という事で、

Alexandaraは(   )である。

①Alex

②女性

③男性

④人間

 

と(  )の中を答えろという問題。

まあ、単純に文章の流れから答えは①と成るわけですが、

実は②でも④でも正解なんでよね。

読解力の話では①以外を答えた人が多かったという事で

問題視していたが、

そもそもこの読解力の問題自体が読解力ない話ですよね。

問題が「Alexandraは(  )とも呼ばれる。」ならば、

答えは①限定でも成立しますが、

「(   )である」とした場合、

文章の表現上では答えは複数当てはまります。

それを差し置いて回答が一択しかないのは、

寧ろ問題の出し手の表現力不足という事になる。

 

実は日本人の問題は読解力もそうだが

表現力も不足しているのです。

 

先ず、表現力不足は自分の表現に一択の解釈しか与えていないこと。

日本人でもある程度優秀な人なら、

自分の表現に誤解が生じることがある点は気にします。

ただ、そういう事に気づかない人が多いのも事実で、

間違った捉え方をした人を

読解力不足と言っているだけでもあります。

 

自分の視点と他人の視点では、

言葉の意味が違って見える。

更には本音と建て前など、

表面上の言葉の裏に隠された部分も存在します。

実は知能指数が高ければ高いほど、

様々な要素を考慮してしまい

多重な解釈が頭を過るのです。

 

むしろ正解一択で読解力を求める人は、

頭が悪い人といってもいいです。

SNSの議論では、この頭の悪い人同士が議論すると、

お互いの言葉がお互いで噛み合わなくなり、

意味不明な方向に話が進むだけの問題なのです。

 

まあ、逆に誤解内容に丁寧に説明すると、

文章は自然と長くなりますよね。

それに対して説明長いと反論してくるケースもあるわけで、

読解力の話以前の問題とも言えます。

 

実は世界全体の話として

SNSで気を付けておくことは、

SNSで発言している人の心理は、

自分が発信したい人で、

誰かの話を聞きたい人ではないという事です。

なので反論してもほとんど意見を聞きません。

読解力の話ではなく、

自分の主張以外に興味のない人たちです。

まあ、そういえば

ブログでこうして愚痴ってる当人も同じになるわけですが、

基本的には同じです。

ただ違う所は反論の中に正確な情報を求めているところで、

正確な情報に対しては紳士的に聞き入れます。

まあ、難しい話ですが、

例えば法律上の話で、

「弁護士さんがXXXXと言っていた」

これは無視します。

逆に、

「民法XX条にXXXという内容で文章が書かれてます。」

こういう内容なら検証して改めて解釈を見直せるわけです。

 

うつけの兵法などの歴史の話だと、

「XXXという書物にはXXXという内容で書かれてます」

というものの場合、その資料がいつの時代に書かれたものか、

資料として何次資料扱いなのかで検証はしますが、

二次資料以内の扱いでないなら

ほぼ無視に成ります。

寧ろ、二次資料以内の扱いで、

「信長の手紙にXXXという内容の文章が出てます」

というものなら、有難く参考にします。

勿論、検証したうえで8割がた修正必要な場合は修正、

5割がた修正が必要ない場合、

物語=いわばフィクション的な定義

として仮説の形で残すわけです。

 

勿論、反論に対して科学的に対応するわけですが、

SNSとしては難しい話に成らないので、

相手の話を無視しているのと同じ扱いで取られるのは

仕方のないことです。

 

とはいえ、小説の書き手にしても

SNSにしてもエゴの塊であるわけで、

発信したい人が発信しているので、

むしろそうした人間同士がぶつかって

議論しているだけのところなのです。

なので建設的な議論を求めている方が無意味なのです。

 

ただ大衆がその無意味な議論を楽しむ以上、

政治や社会に対して明確な答えを目にすることは

叶わないと言っておきます。

 

「チ。」というアニメの天動説が信じられた社会。

彼らは神の存在への回答を探し続けた。

今、現代では理想の社会を人々は求め続ける。

結局のところ、地動説を阻んだ教会同様に、

寧ろ当時の教会が

今でいう最大のインフルーエンサーだとするなら、

現代社会では政治家、マスメディア、

そしてその他インフルエンサー全てがそれに値する。

自由な議論の下で様々な意見が交わされているのは、

実は今も昔も変わらないわけだが、

教会に反抗するものを異端者と呼んでいたのと同様に、

民主制以外の社会を異端とする状況は全く変わらない。

 

既に多くの人々は、

民主制以外の国家を信用するなんてと感じるだろうと思います。

その時点で昔の教会と同じ現象が成立しているのです。

では、ロシアとは言わず、

イスラエルは現状民主制の国家として

誇るべき国と言えるのか?

民主制でなく王政であるサウジアラビアは

どう扱うべきなのか?

単に戦略的な意味で曖昧な表現を用いている状態を

読み解けていない事が読解力の無さと言える話で、

一般人のみに限った話ではないのです。

 

キリストが伝えた「隣人を愛せ」

ここには自分と異なる価値観も

尊重せよという哲学も含まれているわけで、

キリスト教徒であるはずの欧米の人々が、

全く理解できていなのは残念な話というしかありません。

 

どうも…ショーエイです。

SNSなどで世論に反した言動を言うのは

かなり勇気のいる行為ですね。

 

例えばフワちゃんの事件。

まあ、フワちゃんを擁護する気は無いけど、

かと言ってやすこを擁護する気も無いです。

ですが、現状でやすこの方を叩くと逆に荒れそうな気配がして、

余り言えないのも事実です。

正直な話、やすこの芸風は知らんけど…

彼女はアイドルなの?

それとも芸人なの?

好感度狙って綺麗な言葉を並べても、

芸人としては面白くないと感じるのですが…

 

SNSの浸透でより強まった、

この見えない言論統制ともいう流れは

日本に限った話ではありません。

寧ろ日本人にとってはロシアや中国の方が、

国家ぐるみでそうした流れが強いのでは感じると思います。

 

ところがウクライナでも同じだという事に、

むしろ我々の誰もが気付いていないのは、

かなり恐ろしい話であるのです。

 

皆さん想像して見てください。

先ず日本人のあなたは

ウクライナから避難してきた人に向かって

仮に冗談でも、

「ロシア人と仲良くしたらどうですか」

なんて絶対に聞けませんよね。

ウクライナから来た相手の心情を察して、

そんな言葉は失礼だと自然に察すると思います。

寧ろそんな失礼な質問をぶつけてSNSに投稿したら、

その時点で人間失格として一気に叩かれます。

流石のオッサン先生でもウクライナの人に、

「現状ロシアをどう思うか?」

という質問すら相手の心情を考えてできない訳です。

ウクライナの人でも、

ゼレンスキーが嫌いだという人も必ず存在する訳ですが、

そういう話もタブーとして察するので、

そんな質問をぶつけることすら誰もしないと思います。

反対にウクライナの人でそういう方面の本音を言って、

SNSで本国のウクライナに流れたら、

非国民として叩かれる可能性もある為、

決してゼレンスキーの悪口を言えないと思います。

 

実はこれが見えない言論統制の実態でも有るのです。

 

いわば言えない方はいつの時代でも同じですが、

聞けない、聞いてはいけない事も有る故に、

自然と情報はワンサイドに流れてしまうという状態なのです。

勿論、日本は戦争の当事者では無いので、

まだロシアを擁護する言動は、

一応は意見として受け付けて貰える部分は有ります。

しかし、ウクライナという戦争当事国で

敵国のロシアを少しでも擁護しようものなら、

仮にロシア擁護では無くとも、

NATO加盟に反対する意見ですら、

ロシアを擁護する意見に捉えられて、

大きく叩かれてしまうのが実情でも有るのです。

下手したら国家への反逆者扱いに成ります。

 

これを聞いて言い過ぎだろうと

考えてしまう人も多いと思いますが、

そういう無知が実に恐ろしいと言っておきます。

 

何が無知なのか…

誰かに無責任な言葉を浴びせて傷つける行為を、

大多数の人が不快に感じるのは理解できると思います。

SNSではそういう言動に対して徹底して多くの人が叩きます。

ウクライナで多くの人が戦争で被害にあった現状を、

誰もが知り、その心情を誰もが察する。

故にウクライナの人に向かって

言っていい事と悪い事が自然と共有されるのです。

無知というのは、

こうしたタブーが

自然と社会で構成される状態になるという現実を

知らない事です。

 

現状でも日本では

中国政府に対する批判的な意見が優勢に成るのですが、

台湾有事などで中国と仮に戦争が始まったら、

その中国政府への批判的な意見はより優勢に成ります。

ただし日本国内に戦争の被害が生じていない場合に限り、

戦争反対の意見はタブーに成りません。

ところが日本国内に被害が生じた場合は、

誰もが被害者の心情を優先して考える流れが生じる為、

戦争反対の意見ですらタブーに成って行きます。

いわば被害が生じた形での停戦は

中国政府に寧ろ降伏するようなイメージで浸透するからと、

中国に対する憎しみが

自然と日本社会全体で共有されるように成るからです。

想像して見てください…

その状況であなたは中国との和解を意味する

戦争反対をどう伝えられるかを・・・

恐らく戦争無意味と考えるオッサン先生でも、

そこまで行ったら「死ぬ気で戦い続けろ」と

言うしか無くなるのは想定できます。

SNSにメディアなど、

日本の国民性を考えたら、

国が亡びるまで戦いを止められない可能性すらあるわけです。

太平洋戦争こと第二次大戦の日本も

似たような雰囲気だったのでは…

信長たまの視点でそれを考えると…

日本の戦争状態はまるで

本願寺の一向一揆と同じだと感じるほどです。

 

ウクライナで起きている現状とは

実はこういう事でも有るのです。

まあ、その大本であるゼレンスキーは降参したいなんて

口が裂けても言えないでしょう。

 

さて…日本の話で伝えた通り、

日本に被害が生じたら反戦は社会的タブーになる流れ…

これをロシアに当てはめた場合、

現状ウクライナ越境攻撃がどういう意味を為すのか、

考えてみてください。

日本人にも解かりやすい言葉でいうと、

この状況でロシア政府が国民をどう洗脳するか考えたなら、

 

「結局NATOがウクライナを欲した理由は、

ロシアへ攻め込みやすくする為だった」

 

と、証明する形で伝えることに成るわけです。

 

ただし!!ロシア国内の雰囲気はというと…

「戦争の事は考えないようにしよう」

という状態で、政治に無関心な状態が現状。

かといって…

「プーチン大統領以外は頼りない」

と、いう雰囲気で支持する人が多いのも事実。

反プーチンの勢力が存在するニュースも流れていますが…

彼らは反プーチンを掲げるだけで、

ロシア経済をどうするかが全くないです。

 

先ずこうした話を日本に於いて考えてみましょう。

北方領土であり、竹島の問題。

一般的な見識でも、

戦争で取り返す以外は無理な領土問題に感じます。

相手も応じる気は無いのですから。

かと言ってそれを理由に戦争するなんてバカバカしいです。

とは言っても、北方領土や竹島問題、

更には北朝鮮に対する拉致問題を

「もう、いい加減に諦めろ」

なんて事は決して誰も言わないし、言えないです。

なので多くの人が知ってはいるが考えない話にしているのです。

また自民党がどうしようも無い政党だと

既に諦めている人も多いのですが、

反自民党を掲げている野党が頼りないという感じもある。

結局、それで自民党が政権を握り続けている訳です。

 

ロシア有権者の心理で考えたら、

最終的には現状の生活維持が理想なわけで、

国が国際的な苦境にありながらも、

上手くロシア経済を維持できている現職大統領の頼もしさは、

寧ろ偉大な存在にも映ると言ってもいいでしょう。

 

へ?日本でそんなニュースは流れていない?

いやいや…ニュースに流れていますよ。

我々サイドのニュースが期待する報道とは

真逆な現実が見えるので。

ロシアからの観光者も見かける現状など、

適切な方法で分析すると、

ロシア人にも現実逃避の思考も見受けられる。

一部のロシア国籍のスポーツ選手が

海外で活動しているのも見受けられる訳です。

かと言ってロシア人でロシアをあえて批難する人も

実はさほど多くは無い。

ロシア人に対して冷戦時代同様に言論統制によって、

本音を言えないように見ているのは、実は我々の勘違いで、

寧ろそういう人はロシア国外に逃げています。

そうした報道状況から計算するに、

ロシア国民の心情は、

戦争でロシア軍がウクライナの人々を傷つけている現状は

理解しているが、

かと言ってロシアの国としての権利は尊重したい。

ロシアが欧米を中心に嫌われる存在である事は、

十分に痛感しているが、

その根幹は

「冷戦時代から続くロシアへの偏見」

であることをロシア人は知っている。

故にウクライナでの戦争は

その偏見が齎した副作用のように感じている。

我々がロシアや中国に対して

信用できない、信用するのが怖い

という感情が有るのは事実な訳で、

そうした言動はSNSにも多く見受けられる。

これは韓国のSNSで日本が批難されれば、

韓国人が日本人を嫌っていると感じるのと同じで、

ロシア批難の多い現状ではロシア人も痛感してるところです。

ところが冷戦時代の名残で

ロシア人が嫌われる傾向に有る事も痛感しているため、

戦争の問題よりも、ロシアに対する偏見を問題視する。

しかしながら、ロシア人に対する偏見問題を伝えようにも、

現状ではウクライナの戦争の話を持ち出されたら、

議論上、ロシア人が悪く成るだけなので

余計なことは何も言わないほうがマシという訳です。

 

旧ソ連国家であるウクライナ、ベラルーシなどでは、

この冷たい偏見から解放されたい深層心理があるため、

ロシアと距離を置き西欧に寄り添いたい意識が働く。

実際には西欧でありアメリカでも日本でも、

戦争が無ければロシア人を含めて

旧ソ連国家の人に対しての偏見は表面上では、

ほぼ無いわけです。

シャラポワだってザキトワだって

スター選手として受け入れてたわけですから。

ただし国家に対する偏見は付きまとっていたのが現実で、

寧ろその国民は偏見を持たれているという意識を

そこで感じているとも言えます。

また、一般レベルでは、

日本人の一部が中国人や韓国人を信用しない気持ちが

どこかに有るように、

自然と態度で冷たさを与えているケースも生じるのは事実です。

反対にその中国人や韓国人で

日本人から偏見の目で見られる、見下されると言った意識が

どこかに残存すると、

それも自然と態度に現れてきます。

お互いに無意識で生じる偏見の壁があると、

絶対に仲良くなれないし、

お互いに信頼関係も築けないでしょう。

実はこれ現代の人種差別などにも言える部分で、

深層心理であり潜在意識ともいう部分の問題なのです。

 

国と国の関係でこうした関係の壁が生じると、

自然と国民同士の潜在意識の中で、

同じ障壁を生じされるわけです。

 

こうした障壁は人生の経験でも生じる訳で、

日本人でも関西と関東の違いだけで、

偏見を抱くケースも有るわけです。

 

SNSに限らず、メディアやニュースでも、

ここまでの研究をして纏めた内容は99%存在しません。

勿論、ニュースなどは読み手の良識に委ねる情報でしか

無いのですが、

偏見や人種差別がどうして生じるのかなどのメカニズムまで

知る人は殆ど居ないと言えます。

ただ、その中で無知な人は疑問を抱かずに鵜呑みにする。

疑問を抱く人は必ず「何故」に辿りつくのです。

その「何故」を自分で解決できない人も多いと思いますが、

「何故」が残る人はそこで結論に至らないから、

他の見解に対して聞く耳も持てるのです。

 

週刊文春の松本人志さんのケースに対しても、

「何故」を感じる人は、

「どこまでが社会的にセーフで、どこまでがアウト」なのかを

疑問に抱くと思います。

記事の内容を見て、

「芸能人ならそういう合コンみたいな事はするだろう」

と考えて、そこで強制的な行為が有ったかどうか、

情報提供者に報復的な意図が有るか無いか、

疑問を抱きながら見つめます。

更には情報提供者が本物かどうか?

本当の事を言っているのかどうか?

読み手側では確認する余地のない事を理解した上で、

その動向を見て何を判断するかに焦点を当てます。

いわば松本人志という人間性を

メディア上に残して良いかという点です。

情報を鵜呑みにしてしまう人は、

既に松本人志を社会悪と結論付けているわけですが、

その中で疑問を抱いている人は記事の見方も、

後輩芸人たちが擁護する様子や、

他にパワハラなどのケースで訴える人が出ないかを確認し、

其々の基準で判断するところとするわけです。

 

さて・・・SNSでもメディアでも本当に恐ろしいのは、

実際に戦争に成って被害が生じた時です。

その時には「言えない」「聞けない」「選べない」が発生し、

戦争を終わろうにも終われなくなる。

「選べない」とは…

戦争を止めることを選べなくなるという事です。

太平洋戦争後のアメリカは

戦争の殆どが国内に於いての被害はありませんでした。

故に反戦デモなども頻繁に起こせた訳ですが、

9.11のケースのような場合のテロとの戦いでは、

今でもその戦争が間違いだなんて事は決して言えないし、

寧ろ我々西側サイドの人間なら当然と考えてしまう訳です。

ただし、アフガニスタンに住むテロと関係の無い人を

多く巻き込んだ事実は残るのですが…

かと言って9.11の犠牲者の事を考えると、

アフガニスタンの戦争での犠牲者の事なんて、

気の毒には思うけど、仕方ないように感じる。

まあ、そういう複雑な感情に発展するゆえに、

戦争になれば誰も止められなくなるという事です。

 

さてそろそろ国連総会も始まる訳ですが、

戦争をする議論よりも、

平和を構築する議論が出来ないものかな…

個人的にはゼレンスキーは招待したくないですね。

あいつはもう戦争する事しか語らないから。

 

本音を言えば、むしろ大きな戦争を呼び起こして、

世界にもう一度戦争のバカバカしさと、

平和の有難さを痛感してもらいたいのですが、

戦争が広がらず、戦争を終わらせるための方法を言っておきます。

簡単な話、米中の対立を緩和させて良好な関係に戻し、

中国が大きな戦争に参加する意識が無い事を示せば、

ウクライナの戦争も終わる方向に転じさせられる。

勿論の事、米国が中国側の見解を素直に聞き入れる形で、

平和を扇動できればの話ですが…

米国の見識だけでは

決してこの問題は解決しないという事は言っておきます。

 

最近の歴史家の多くは、

織田信長が実は保守的だったと言っています。

ハッキリと言います、

織田信長の政策を見て保守的だという人は、

政治に関して無知にも程があるレベルと言っておきます。

 

基本的には戦を無くせば天下は定まる。

天下が定まってから徐々に改革を進める。

軍事力を背景に従わせても良いが、

結局は抵抗する者が後を絶たず、

戦乱が長引くだけ。

成らばある程度保守的な権利を認めつつ、

周りに自分の味方を固めた上で、

緩やかに改革を推し進めると言うよりも、浸透させる。

例えるなら関東の北条は北条のやり方で国を治めればよい。

その分、織田直轄の経済は

その治世を凌駕するほど反映させて、

最終的には北条がそれを真似る事で浸透させれば良い。

そういう考え方なのです。

まあ、それが出来る自信があったという話なのですが…

北条が真似ずに織田直轄との経済格差が広がれば、

自然と北条の影響力は枯れ果てるというのも有るわけです。

 

さて…国連には内政不干渉という条項が有ります。

これは世界全体で考えれば保守的な発想です。

北朝鮮の様に世襲独裁国家に対しても

内政不干渉という事に成るわけです。

信長の話で伝えた様に、

北朝鮮を強引に改革させようとすれば、

ある意味戦争をしなければ成らないという結論に至ります。

または革命を扇動して革命を起こさせるか。

どの道、内政に干渉する行為で戦争に成ります。

改革的な発想では民主制を

押し進んめる方が良いと成るわけですが、

態々戦争を仕掛けるより

自然とその方が良くなると感じさせる方が、

世界全体が纏まりやすくなるという考え方です。

いわば各国の自主性を重んじて徐々に考え方を、

民主的な方向に寄せて行く発想です。

更には誰も永続的生きて行けるわけではない事は

理解しているはずで、

そうした中で権力者が最終的に求めるものは、

歴史に名を残すという願望です。

寧ろその心理を悪く言えば利用して、

その国にとって良い形の歴史で残るように先導するのです。

 

北朝鮮も韓国との経済格差は痛感している訳で、

ある意味中国を規範として立国したいと願う部分は、

トランプの時代に見受けられた訳です。

普通の人間の器量では金正恩みたいな独裁者を

英雄に仕立て上げるなんてトンでもないと考えるでしょう。

反逆者を残酷に処刑したりしてきた訳ですから、

その感情は当然と言えば当然です。

しかし、敵視したまま戦争にも成らない状態で

彼を北朝鮮の権力者として残していたら、

北朝鮮はいつまでも変わりません。

結果、その父親の金正日は死ぬまで変わらず、

大往生した訳です。

ならば金正恩を寧ろいい形で変えて

北朝鮮自体を改革させる方が

北朝鮮の人々にとっても良いという発想に成るわけです。

その上で国際社会と経済的な結びつきを強めたい、

例えばWTOに加入したいなどの条件として、

改革を要請していく事は可能なのです。

勿論、北朝鮮が応じれるレベルで

徐々にという方法を導きながら。

普通の発想では簡単ではないは、信頼関係です。

 

信長たまなら本人にハッキリとこう言い切ります。

「君を利用して北朝鮮を改革することになる」

と・・・

その上で、

「君はその改革を以て、国の英雄に成ればいい。私はその手助けをするだけに成るが目的は果たせる。」

そういう流れで徐々に民主制の利点を教えます。

民主制の利点とは…

世襲でも、指名制でも、後がダメなら国は滅びるが、

民主制なら今がダメでも次に期待が持てる。

自分の理想社会を憲法にしたためて、

民意によってそれを管理する人間を選ばせることで、

君の描いた理想は永続的残せる。

それが民主制の利点だと説く。

君が子供の将来を思うのなら、

政治から身を引いて国の象徴としてのみ残せばいい。

いわば英国や日本の王であり天皇のように残せばいい。

 

ここまで保証すれば

恐らくどんな独裁者も民主制に切り替える利点は理解するだろう。

実際に踏み切るかは、

世界が彼らをどこまで受け入れられるかに掛る話で、

独裁者を悪者にする意識が大きく存在すると、

こうした言葉もたぶらかし程度に感じると言える。

いわばそんな独裁者の子孫を

王族として世界は受け入れられないという話に成ってくれば。

 

悪い言い方をすると、

これはサイコパス的なやり方で、

人の自尊心をくすぐり、最終的には猜疑心を煽って、

自尊心の下で決断させる方法になる訳です。

寧ろ独裁者に嫌悪する人間には、

計略に嵌めて導いた形が成立する方が

気分が良いかも知れません。

 

まあ考えてみれば、日本などの周辺国は

その国の脅威が去るわけで、

その国は繁栄を得ることで国民は豊かに成る。

独裁者に対しての嫌悪だけ残るものの、

誰も痛まずに嘆願成就するなら、それが最良と成るのです。

 

ただ、こうした事を伝えても、SNSでは恐らく、

北朝鮮の経済を活性化させて

軍備をより強固に整えたらより脅威になるだろ

と、反論してくるのは目に見えているわけです。

彼らはならば北朝鮮で革命が起きる方を待つべき

と、いう話に持ってくると思います。

それでは戦争が起こらない事を祈って

ただ待つだけの現状と変わらない訳ですが、

民主制の政治ではこうした考えが自然と主流化するのです。

 

サイコパス的な思考でこの状況を想定すると、

平和的に推し進める議論が出来ないのなら、

中国とロシアを敵視する形にも変化なく、

北朝鮮はそちら側で生き残るだけの話に成ります。

平和的な議論ができるなら、

中国やロシアも協力的になるのは、

2010年前後の状態を思い返せば理解できる訳ですが、

その議論が絶望的な状態に進めば、

民主国家では決断できない戦争も、

政治主権の強い国家では決断できる形で、

大きな戦争に踏み切るだろう事は予測できます。

 

移民問題にしても、

何故移民が発生するのかの根源を考えれば

解決できる話で、

要は国同士の経済格差が原因なのです。

ハッキリ言います。

中米の経済がより豊かに成れば、

米国への不法移民の数はそれだけ減る。

米国の工場を少しでも中米に移して、

彼らに良い給料を支払えば、

その彼らが今度は

消費者として米国の製品を買うように成るわけです。

消費者が増えれば自然と工場も必要に成り、

米国での製造業もより活性化されるわけです。

グローバル化がその機能を証明したわけです。

 

今の時代は自国の製造業をどれだけ守るかと言う古臭い話より、

どれだけ新しい消費者を生み出すかを考える方が、

実はその国の経済は潤う訳です。

ヨーロッパも考えようによってはアフリカの市場を開拓し、

新たな消費者そこに生み出す形で活動する方が、

より経済を活性化させられる流れに成るわけです。

企業ではそうした市場で安く使って利益を出そうとするから、

決して消費者は増えません。

それが2000年以前のグローバリズムです。

2000年以後のグローバリゼーションでは、

発展途上国の経済を潤わせ、

消費者を増やす流れが構築されたわけです。

 

実は原理は単純で、

思考が複雑化しているだけで、

政治的に先進国と途上国が提携を結び、

消費者増強の意味で富を広げて行けば、

もう30年の経済は拡大して行けます。

 

頭の悪い人は、簡素なセキュyリティにも関わらず

物を盗まれないように鍵をします。

頭の良い盗人はその鍵を簡単にこじ開けます。

いわばどれだけ中国に技術を流したくなくても、

中国に製品を売らないようにしても、

米国内に中国の盗人が既にいる訳で、

特に市販されている製品まで禁止にしても

意味が無い事を理解した方が良い。

今の米国の政治家はその程度の事すら解かっていない。

中国に持ち帰れないようにしても、

製品から技術を盗むだけなら、

米国内で分解すれば要は足りるのです。

その程度の話なら、寧ろ中国で製品を売ってしまう方が、

利益に成る。

逆に中国で製品が買えなくなると、

中国では独自ブランドの類似品が流通して、

米国製本来の価値をただ低下させるだけの話に成る。

これはロシアでも同じことが起きている訳で、

本来米国製で圧迫されていた国内の市場が、

型落ちでも独自ブランドの市場が国内に芽生える現象になり、

その企業が研究に費やす資金力を

寧ろ分け与えているだけの話に成るのです。

 

結局の所、色んな議論が世の中で飛び交うが、

複雑に考えすぎて単純な原理を見失っているのです。

 

戦争は良くない、でも相手を信用できない。

それで何をするのか、

相手を威圧すれば黙る?

本当の任侠者相手にそれをやれば、

相手は腹を括って挑むしか無く成る事を、

全く知らないおぼっちゃまの発想なのですよ。

 

おぼっちゃまは勝てない喧嘩はしないだろうけど、

任侠者は勝てるかどうかは関係なく、

引けない話は挑むしかない。

引いて恥を掻くのなら、死んで生き様を見せつける。

漫画やドラマみたいな人たちですが、

修羅場や死線を潜り抜けた人は、

自然とそういう生き様を選ぶのです。

 

実はアメリカ映画では主人公が死に花を咲かせるものが、

殆ど有りません。

ほぼ主人公は99%生き残ります。

なので自爆テロなどの実行犯の真意が、

学術的にも理解され難い。

日本に限らず、アジアでは、

主人公が死に花を咲かせるシーンはよく見かけます。

勿論、現実的に

そんな覚悟に行きつく人を中々見かけませんが、

ほぼ現代社会では「クレイジー」

いわば頭がいかれた人という括りで終わらせます。

 

でも実際に遭遇した場合、怒らせてはいけない。

実はアメリカ人の多くは

こういうタイプを平気で怒らせてしまうのも事実で

一般的にもヨーロッパではアメリカ人は嫌われがちです。

台湾へ強引に訪問したペロシの様な行動、

実は一番嫌われる行為なのです。

一部では勇気ある行動のように言われますが、

もし習近平がクレイイーな部類だった場合、

100%戦争を始めてます。

勿論、米軍の中や、アメリカのギャングにも、

クレイジーの部類は存在します。

クレイジーな人は生き様は頑固でも、

普段はそんなに荒っぽくしない人が多いのも事実です。

むしろ丁寧。

ヤクザでも寧ろそういう人の方が危ないです。

なぜなら切れると引けなくなる自分を知っているから、

寧ろ切れる場面に遭遇しないように気を遣うのです。

なので米軍はそれを察してか

ペロシの行為を一応は止めました。

でも止めれなかったので、恐らく戦争する腹を括ったのでしょう。

いわばペロシの行動は中国を侮辱した行為な訳で、

場合によってはキレどころだったわけです。

日本でも中国を侮辱する感じを面白がって

この事件を見ていた人も多いと思いますが、

それがロシアとウクライナで起きた死線であることを

知っておくべきです。

 

戦争が起って戦争を始めた奴が悪いと罵っても、

その戦争は中々終わりません。

相手が完膚なきまでに叩きのめされるか、

コチラが徹底的に叩きのめされるか、

白黒つくまでやり合います。

クレイジーな人間側から言わせれば、

相手を侮辱せずに丁寧に交渉を続ければ、

相手が普通の人間であっても、

戦争に至る事はまず無いです。

本来は誰も安易にリスクを取る選択はしたくないのですから。

 

これも単純な原理な訳です。

お互いが相手を尊重して交渉するだけの話ですが、

どちらかがそれを守らないから、

結果として崩れるだけなのです。

勿論、交渉上で折り合わないことは多々ありますが、

お互いが相手を尊重していれば

最低でも相手が守りたい部分は理解でき、

こちらが守りたい部分は伝わるはずです。

 

こうして考えると最後にイスラエルとパレスティナの問題は、

イスラエルがパレスティナ人への侮辱を止めない限り、

終わらない話に成るわけです。

イスラエルとして見れば、

イスラエルとしての国境で覆われた

ガザやヨルダン川西域などは全て

イスラエル国家のものだと主張する一方で、

パレスティナの人々は

ガザやヨルダン川西域は

パレスティナ人の土地だと主張する。

イスラエルの内政問題として見ても、

明らかな人種差別に見える話で、

暫定的でも国家として承認された場合、

イスラエルの行為は侵略行為になる。

 

さて、この問題を徹底的に処理するには、

今が丁度いい時期です。

米国の大統領選挙中な訳ですが、

ここでアメリカのバイデン政権であり民主党政権に聞くのです。

イスラエルのパレスティナ人に対する入植行為を発端に、

ガザやラファへの侵攻は

明らかにパレスティナ人への人種差別に見えるが…

ここでアメリカを批難せずに、

米国政府に対して、

この状態をどう弁護するのかを聞くのです。

そしてどれだけ金を積んでも良い。

イスラエルの行為に不快感を持つ国からかき集めて、

この部分を全米で流すのです。

大使のトーマス・グリーンフィールドが

適切に弁護が出来なければ

選挙に影響するほど大問題に発展する内容と成ります。

勿論、メディアはカマラ・ハリスにも、

トランプにも同じ質問で回答を求めるでしょう。

さて米国民に解かりやすく伝わるようにどう弁護するかで、

次期大統領の評価に大きく影響する訳で、

寧ろ討論会よりも大きな話題に成ります。

何せ米国民が敏感に反応する人種差別がキーワードなのですから。

トランプ辺りは弁護せずにイスラエルに入植行為などを

必ず止めさせるなんて言ってくれそうですね。

カマラ・ハリス辺りは、入植行為の事実確認した上で、

その行為に不法性があるのなら

直ぐにイスラエル政府へ抗議します。

と、賢い感じで言うのは目に見えてますが、

ガザやラファへの侵攻は勿論、

イスラエルの強引な(不法な)入植行為の事実は

既に確認済みとして伝えられてます。

と、念を押すところまでやらせて、

それをどう弁護するかをあえて問うのです。

彼女の場合、バイデン政権の対応の事もあって、

この時点で逃げる可能性も想定できます。

さて・・・別に大統領候補者が回答しなくても、

これを大統領選挙中に話題として振りまくことで、

この人種差別のキーワードがどんどん独り歩きします。

いわば米国世論が

イスラエル版アパルトヘイトとも言うべき状態に、

大きくNOを突き付ける運動が起りやすくなる意味を持つわけです。

 

ポイントは米国政府が人種差別問題にどう対処するかでは無く、

この問題をどう弁護出来るかを聞いている話だからです。

対処という話題に成れば議論はイスラエルを見捨てるか、

イスラエルは国家として存続させるべきかなどの議論に流れます。

政府としても同盟国イスラエルは国家として存続するべきで、

米国はその同盟国を守る義務がある。

なんてことを言って人種差別やら

ジェノサイドの話から反らして伝える事も的を得て聞こえます。

しかし、弁護という話に成ると、

どうするかでは無く、どう思うかを伝えなければ成らないのです。

同盟国として守る義務があるというが、

人種差別に対しては何にも感じないのか?

という部分が必ず残存する質問に成るからです。

それで同盟国として守る義務があるは寧ろ的を得ないわけで、

その上でイスラエルの行為が人種差別に該当しない理由を、

適切に伝えなければ成らなくなるのです。

現状では世論を説得するにはかなり難しいです。

ほぼ不可能と言えます。

そこで世論の焦点は人種差別を行っているイスラエルを、

アメリカは許していて良いのかという議論が

正当性を帯びてくるのです。

いわば人種差別を行っている国を

アメリカの同盟国として認めるのはオカシイと、

米国民に意識させるのです。

そうすることで自然とイスラエル国内へもこの議論が伝わり、

寧ろ問題の発端である

ネタニアフ率いるリクードの存在が

淘汰される流れに成って行きます。

同盟国の米国民が怒っている状態は、

イスラエル国民にとっても

いわば存続の危機の様に感じる話に成るはずです。

別段、イスラエルを潰そうという話では無く、

パレスティナ人であり、

パレスティナ国家または自治区との関係改善を

促すだけの話です。

 

これは選挙を意識させる流れで話題をふるから効果が有るわけで、

特にこの話題が大統領選挙にも影響を及ぼすという状態に成れば、

どれだけユダヤの影響力が強くても、

決して防げないものに成るからです。

またトランプの様な人間が候補者に居る場合、

メディアが大きなデモ活動が発生しているにも関わらず、

それを報じない状態は彼の格好のネタに成ります。

トランプが現状の様に劣勢状態なら尚更、

メディアを攻撃して自分の支持に引き込もうとするわけです。

 

まあ、これをやれば

イスラエルの態度は政治的にも

変化するだろうと言う話です。

 

こっちの方が長くなったかな…

まあ、信長たま流に言うと、

改革や変革を進めるには、

古い考え方にもある程度の尊重と敬意を以て残しつつ

大きな変化に備えさせなければ、

世の中は大混乱するという事。

 

信長の改革の本丸は、

身分制度の無い自由経済だったのだから、

それ以外の保守的な制度は、

ゆっくり様子を見ながら変化させれば良いという考え方なのです。

いわば適材適所で個々が才能を活かせる社会を以て、

技術革新と経済を盛り立てるという事です。

【第三十八話 自尊と直感】

桶狭間へのカウントダウン 残り12年
〔ドラフト版〕

 

人間の社会は自尊のぶつかり合いである。

よほど自信を失った人は別として、

誰もが最終的には自分が正しいと思うだろう。

自由と伝統の狭間では、

この衝突は避けられない。

伝統は伝統を重んじたルールによって自由を妨げるが、

その伝統で齎された秩序を重視する。

そして自由はその伝統を破壊する。

いわば伝統によって生じる不公平や理不尽な制度を破壊するのだ。

現代的に言えば保守と革新の衝突とも言えよう。

 

秩序というルールの中で生きる意味では、

伝統は重視される。

その分、伝統は変化を寧ろ嫌う。

自由は変化を齎すが、

伝統が縛り付けるルールを破壊して行く。

伝統と言う厳格なルールで守られてきた秩序も、

自由によって破壊されるというよりも、

実際はその改革によって混乱が生じる。

 

自由が混乱を齎すとは、

人間社会に禁止されていたものが

突如として開放される事で、

そこで生じる副作用に混乱が発生するという事である。

ある意味、多くの人にとっては突然、

未知の世界に放り込まれるような感覚になるため、

それに慣れるまでの抵抗感や不安感が自然と生じるからだ。

 

解かりやすく合法的な意味で伝えるなら

禁酒法のような法が撤廃されたとすると、

誰もが突如としてハメを外して飲酒による問題を発生させる。

酒乱が齎す事件の様なことも発生する。

自由な社会では、こうした問題も対処しつつ、

社会は自然とこうした問題も受け入れて考えるのだ。

欧米のマリファナの合法化などで考えると、

麻薬に抵抗感を持つ日本人には

何気に解かりやすいかもしれない。

 

またLGBTの問題も、

教育上であり生物学上の

問題として考えることもあるだろう。

自由とはこうした権利を

個人の選択の自由として開放するものであるが、

出生率低下の要因になると考えたり、

生物学上異質な恋愛が横行するのではと、

いわば人間社会の伝統を考える事も理解できるだろう。

 

そして何が正しいのか…

結局は試してみた結果でしか解らない事も多いのは事実だ。

そういう意味で誰もが持つ自尊心による決断の殆どが

直感でしかないのだ。

その直感が正解なのか否かは、

最終的には歴史の中で証明されて

初めて知ることも多いのだ。

 

信長の母親である土田御前が、

信長の廃嫡を直感で考えるには十分な材料が揃っていた。

伝統を無視して身分の低い者を

正妻に迎え入れようとした結果、

大きな問題を起こしたわけだ。

しかもその土田御前の実家を巻き込んでの話となれば、

誰もが直感的に信長の廃嫡を考えても可笑しくはない。

寧ろ自由社会に生きる現代人からすれば、

信長の自由恋愛の発想は、

当然の個人の権利として考えられると理解できるだろう。

 

いわば信長と吉乃の恋路を無理に妨害しなければ、

土田御前の実家を巻き込んだ事件すら

発生しなかったとも言えるのだ。

 

とは言うものの、

当の土田御前が実子として信長を溺愛していたのなら

話は別であっただろう。

寧ろ信長を溺愛していたのなら、

信長と吉乃の恋路に割って入らなかったとも考えられる。

しかし信長は土田御前の手元で育てられたわけでは無く、

逆に弟の勘十郎(後の信行とも信勝とも)は

彼女の手元で育てられた子供になる。

故に土田御前としては

信長より勘十郎の方を溺愛したのだ。

 

母性の心理からすれば、

信長は実子でも自分から離れた子供である。

それでも嫡男として成長した訳で、

むしろ嫡男として立派に成ってほしいと願うだろう。

故に伝統的な仕来りにも従って

家中を纏め上げられる人物に

成ってくれれば良いという考えになるのだ。

むしろ自分の手元で育てた勘十郎に対しては、

多少の我がままは聞いてあげたくなるのも母性の心理なのだ。

 

そうした中で信長は嫡男として大きな失態を演じたわけだ。

 

この時に土田御前が思いついた直感は…

信長を廃嫡して、勘十郎を嫡男にすることとなる。

いわば実家の消失で一時的には悲しむも、

最終的には自分が理想とする状況が

舞い込んできたと気づくのだ。

 

表面上では、林秀貞らに、

「信長は私の実家を滅ぼしたのです。決して許せません!!」

という怒りを露わにして見せるのだが、

内心では、

(信長は失態を演じてくれた…これで勘十郎が嫡男になれる)

と考え、

(勘十郎さえ嫡男に成れば、信長は後で許しても良いだろう)

とまで計算しているのだ。

計算という点で言うなれば、

母としての慈悲を示すことで、

家中の人心を取り込むことまで考えていると言っても良い。

いわば土田御前の直感は

自身が家中を掌握する機会を得たと感じたものなのだ。

これを権力欲に対する直感としておこう。

 

そのころ一方の信長は、

自己の失態の責任を意識してか、

祖父と従弟にあたる弥平次の弔い合戦を考えていた。

勿論、吉乃との恋路の邪魔だてになる弥平次は、

上手く始末することも考えていた訳だ。

そういう意味ではこの状況は誰が見ても信長の立場は悪く、

直感的にもその立場を覆すための思考が働く状況と見えるだろう。

ただし信長がその為だけの弔い合戦を演じる程度なら、

後に天下を目指すどころか

尾張一国すら手中に収められなかったと言っても良い。

 

人は見ていない様で見ているとはよく聞く話だが、

誰もが自尊の念を抱いて生きているのなら、

それは当然である。

 

信長という人物は短気で気性が荒いが、

実は情に流されやすいところもある。

それは浅井長政が裏切った時の驚きであり、

足利義昭と縁が切れる時の話であり、

更には家康との関係など、

歴史に残る記録から読み取れる部分である。

 

吉乃との恋路の障害という事で、

弥平次に対して短気を起こした信長であったが、

この野盗討伐に対して

弥平次の姿勢が協力的であった事を知って、

信長はその道中、弥平次側に当初の作戦を変更する旨を伝えたのだ。

当初は弥平次らを先陣で送り込み見殺しにする予定であったが、信長はその作戦を逆利用して上手く共闘する形を伝えた。

いわば弥平次らを先鋒で突っ込ませ直ぐに引き上げさせ、自軍が伏兵と成って敵の追撃を削っていく形で伝えた。

当初の見殺しにする作戦では、先鋒隊が突撃している内に、自軍は敵の手薄な所を探ってそこを攻めるという流れだった。

いわば先鋒隊の犠牲必須の作戦である。

それを信長は覆して弥平次らが生きる作戦に切り替えたのだ。

 

ある意味、弥平次が協力的でなく気に障る人物だったのなら、信長は一益に命じてこの直後に発生したような土田城襲撃を指示したのかも知れない。

魔王的な信長像で見るなら尾張土田氏の痕跡が歴史上に残らなかった事はむしろ信長の教唆であった可能性としても考えられる。

そういう意味で信長が襲わせたとするなら弟・信勝(勘十郎または信行)が反抗した際、母親の土田御前も同罪で殺した可能性も高いのだ。

いわばこの土田氏を意図的に抹消する意味は、反逆者となる母・土田御前に対しても一切の情がない事を意味するのだ。

 

しかし史実として残るのは、

信長は弟と同罪の母親を許していることである。

 

それ故にここでは信長が弥平次に対して情を抱いた心情を採用して話を進めることとした。

 

無論、その場に居なかった者たちは、結果として土田氏が滅亡した事実から、信長に対して様々な憶測の目で見るのだが、最低でもその場に居た信長の側近は、信長の心変わりに感銘を受けたと考えても良いだろう。

 

そして正義感が強く、信長の心境の変化に最も安心感を抱いた河尻秀隆は、

信長に、

「吉乃殿との婚姻の件は、私から弥平次殿から断りを入れてもらうように話してみます。彼の様な御仁ならきっと解かってもらえるとおもいます。」

と、伝えたのだった。

 

勿論、ここは小説として更なる着色という形にも成るのだろうが、当の弥平次もこの作戦に協力的で、信長の要請に対する返答は、

「兵は300人程度は揃えられ、武具も兵糧も用意してお待ち申し上げす。若の縁者として共に武功を立てれる時を楽しみにしております。」

という形であったと創作する。

こうした誠実な返答を受けたのなら、信長でなくとも誰しもが弥平次が好感の持てる人物で有る事を察せられるだろう。

これに対して御しやすい人物と見るかは人それぞれとも言える。

ここでの信長の直感は、弥平次は味方として絶対に死なせては成らない人物だと感じたことで、信長としても吉乃との因縁は関係なしに、一度会って話をしてみたいとも思ったことだ。

実はこの部分は単なる創作の美談という訳では無い。

寧ろ人が人を殺す心情と同じで、謀計に嵌めて誰かを殺すのも初めは躊躇うのが当然だ。勿論伊勢長嶋の戦いで信長は一向宗を謀計に嵌めて虐殺している。しかし、彼ら門徒は何度も約束を反故にしてきたから信長もその手段を決断したと言える。

実際に信長の心情としてはそういう手段は自分を許せない為、頭を過っても中々実行に移せるものでは無いのだ。

 

その矢先に野盗団は弥平次らの土田城を襲撃したのだ。

 

故にこの弔い合戦に対する信長の本気度は全く別物である。

前話で述べている様に、信長の手勢はせいぜい100人程度である。

一方の野盗勢は信長の襲撃に備えて兵隊を予め集めている。

その上で土田城を襲撃したのだ。

それ故に少なくとも倍の200人は予想でき、下手したら300から400人は居るとも考えられる。

予定していた土田方の招集兵が実際どれほど充てに成るかも

現地に到着するまで解らない状況であった。

それでも信長は弔い合戦に挑むのであった。

 

小説として出来すぎた話に見えてしまうだろうが、むしろ大うつけのレッテルを貼られた信長が、天下に名を知らしめるまでに昇り詰める上では、こうした武勇伝のエピソードは桶狭間以前にも存在せねば成らないのだ。

 

読み手の方々には、

この小説における創作部分は史実として残る記録に対して確実に辻褄が合うように推理と検証の下で考えたものであるという事を理解してもらいたい。

いわば創作部分の話無しでは、

史実として残った流れを上手く説明できなくなるという事だ。

 

では、ここまでの流れで史実に残る部分で整理してみよう。

これらを推理小説の事件簿として読み手も色々考えてみて欲しい。

 

①信長が大うつけとして扱われた点。

織田家以外の話と比較して考えた場合、単なる暗愚な嫡男を否定しただけの話ではないという点。

史実として信長に抵抗した勢力は、父・信秀の側近たちが主流。

筆頭家老の林秀貞に柴田勝家などはその代表格になる。

更に大きな違いは、信長と抵抗側の神輿の信勝は土田御前という同じ腹から生まれたことにある。

通常のお家騒動の起因は、家臣団のクーデターか女性の権力闘争が絡むケース、またはそれらが相互作用することで発生するが、実母が同じ兄弟の争いは比較的稀といってもよい。

この稀なケースの主はその母親自身が権力を握る為の画策になり、信長のお家騒動のケースもそれは否定できない。

更に現実的な問題としてここまで家臣団が反対し、その母親まで反対する程なら、父である信秀も信長の廃嫡に動いても可笑しくはないのだ。どれだけ父として長男である信長を愛していても家中分断の危機になる状況ならそれを放置するのは寧ろ不思議としか言いようがない。

しかし、廃嫡には至った経緯は資料に存在せず、結果として織田弾正忠家は信秀の死後、分裂に至った。

ここで史実の資料だけでは、

説明のつかない疑問が生じ点はご理解できたと思う。

この疑問を問題の主犯格となる信秀の立場で考えてみてほしい。

信長が普通に大うつけならと…

素行が悪い、勉強しない。

一般的に歴史家たちが推測した大うつけ信長像はこうなる。

これは信長公記にも記載があるからだが、寧ろこれが理由で家中分断に発展したのなら、家を守る家長として信長の廃嫡をかばい建てする理由がないことになる。

いわば仮にどれだけ武勇に長けていても、その家を纏めるだけの素養がない点を家臣団から糾弾されたら、家長としての素養は明らかに無いと判断するのが当然である。

親バカとして見ても、信秀の史実で残る功績を考慮すると、寧ろ親バカだけで家中分断を招くような決断はしないと言ってもよい。

ましてや信秀の周囲には敵ばかりという状況下であえて家中が纏まらない要因を放置することは自ら存命の指揮下で考えてもあり得ない話になる。

それでも廃嫡に至らなかったという事は、信長の中に家長として絶対に不可欠な素養を信秀が見出していたからという流れになる。

いわば素行が悪かった、勉強しなかったは大うつけの理由でないという事だ。

特に戦国の時代は近代、現代で主流と成っている学歴社会ではない。その分、子供の資質を勉学だけで計る時代ではないと言っても良い。

そういう意味でこの小説における信長幼少期のエピソードは、家臣団であり実母が反対しても廃嫡に至らなかった信秀の心情として絶対不可欠に存在しなければならない出来事で、信秀が親バカとして寧ろ信長の成長を見守った見識の中で揺るぎない素養として確信できるほどのインパクトを持たせなければ成らないのだ。

筆者は以前、筆者の父親とちょっとした昔話をしたことがある。

それは筆者がまだ学生だった時分に湾岸戦争のニュースを見ていたときの事で、米軍と連合軍がイラクを激しく空爆していたものだった。

その時、筆者はそれを見てこの空爆を想定するならイラクは地下シェルターを持っているという事を突き止めたという話だった。

それは恐らく自分がサダム・フセインならそういう準備はするという意味で伝えたのだ。

その後、地下シェルターの存在が明らかになった訳だが、どうやら父親は自分の息子がそれを予め突き止めたことを衝撃的な印象として覚えていたらしい。父親との話では筆者がそれを言ったのか弟の方が言ったのか定かに覚えてはいなかったが、「あれを言ったのはお前の方だったか?」と聞いてきたので、ある意味薄々は覚えていたのだろう。

実は弟の方が自衛官になりたがっていたり、軍事オタク気味の趣味があったため多少記憶が曖昧になるのも無理はないが、歴史小説が好きだった父の中で何か思う所があってそれを聞いてきたのだろう。

故に信秀と信長の親子の間に、何か特別なエピソードが存在しなければならないと推測したのである。

小説のエピソードはそこからの逆算で、後の信長の治世や戦術から、幼少期に体験しているだろう事を割り出し、信長の性格から書物や勉学で学ばないスタイルまでを考慮して、自然と成立しておかなければその才能を開花させるのに辻褄が合わなくなる部分で創作したものになる。

ある意味、身分社会としてその頂点の武家当主の子に生まれた信長が、どうした経緯で底辺に位置する農民を気遣う発想に行きつけたのか…そういう疑問を払拭する話が存在しなければ成らないという事に成る。

書物や教育で信長がその必要性を理解するという話は、寧ろ史実に残る信長像とは異なる。

反対に史実の記録を読み解くと、農民らとの関わりから「情」というものが芽生えたという流れが自然と成るのだ。

そうした中で秀吉の出世話として有名な「清須城普請」などを信長の見識深さとして検証すると、信長自身に秀吉の提案を理解できるだけの度量が無ければ成立しなくなるのだ。

突然の閃きは経験の中での成功や失敗に起因する部分が多く、それなしでは科学的に説明がつかないという事である。

前例のない提案への判断もその閃きと合致しなければ、決断には中々至らない。

いわば信長の奇想天外とされる発想の根源は、必ず基礎となる経験が存在する訳で、この小説のエピソードは全てそれを割り出して解析したものである事を読者には知っておいてもらいたい。

更には信長が吉法師時のこうしたエピソードは偶々結果が伴ったというものでなくては成らず、他の人間の役割が起因するように見せることで傍から見て信長の能力にケチをつけられる形でなければならない。

いわば林秀貞のように直接信長の行動に関わっていない人間が、その話だけを聞いて平手政秀か沢彦の入れ知恵だろうと思う程度のものでなければ、信長が大うつけとして扱われた史実に反してしまう。

吉法師時代の自由奔放な生活で神童であり天才という部分が強調されると、織田弾正忠家を2分する意味での廃嫡という点では現実的な流れとして説得力が掛けてくるのだ。

他の漫画や小説では、こうした天才要素を強調しすぎる物が多く、創作物としては問題無いが、科学的にはお家騒動に発展するまでの根拠としては乏しくなる。

かの大河ドラマのマッチョな信長は、誰が見ても「頼りがいのあるイケイケな当主」に映るのだから。

その為、信長の大うつけのレッテルは読み手も含めて誰が見ても「アウト!!」と感じるもので無くては成らないが、前にも記した様に記録として明確に存在しないため誰も知りえない部分であるのも致し方ない。

 

ただし、科学的な分析・・・

信頼できる一次、二次資料は、どういう視点で記されたかを分析し、逸話として扱われる資料はどういう経緯でその逸話が残ったかを解読するのだ。

更には有るべきはずの資料が存在しない点も考慮しなければ成らない。

 

②信長の母親である土田御前の出自が曖昧な点

 

これは有るべきはずの資料が存在しない点に成るのだが、天下統一目前まで為しえた織田信長の母親の出自が明確に無い所だ。

兄弟争いでありお家騒動の事件は史実としてほぼ明確に伝えられる中で、土田御前の存在も確認されている。

しかし、その母親の出自に関しては、美濃の土田(どた)氏なのか、尾張の土田(つちだ)氏なのか、それとも別なのかかなり曖昧な記録になる。

何度も伝えてきた話だが、美濃土田氏は美濃でも明智氏の下に位置する訳で、尾張でそこそこの地位にある織田弾正忠家の正室に迎えるには不可解すぎる家柄である。

吉乃の話で生駒家と美濃土田氏の話が登場する様に、明らかに商家の身分であった生駒家と美濃土田氏は同等という立場。

故に土田御前の出自が美濃土田氏である事は、科学的に見ると有りえないと言える。

すると尾張の土田氏説に成るが…この尾張の土田氏の記録は土田政久という名以外の記録は皆無である。

母方の出自の家柄で考えるなら、信長の後の配下にその出自の人物が記録として登場する方が自然な訳で、その記録すら無い。

ここで科学的に推理するなら、その土田氏は消滅した可能性が高くなる。

 

③吉乃の出自、生駒家の実態と前野長康の存在

 

生駒家の話に関しては、前野長康親子の記録である前野家文書など「逸話」として考えるべき資料からその逸話を解読しなければ成らない。

前野家文書はほぼ伝聞…いわば聞き伝えが構成の主体である。

そしてその内容は当時のゴシップの要素が見受けられる。

生駒家の家系図の方では、吉乃の前夫とされる人物は何某弥平次と記され姓が省かれる形は家系図としては異例中の異例になる。

その異例中の異例の人物を前野家文書では、土田弥平次と記している。

あえて言っておくが、歴史上に記された話で今と成っては確実な証拠は皆無なため、100%の確証は与えられない。

しかし推理の部分で考えるなら、何故生駒家はその姓を隠し、前野家文書はその姓を「土田」と記したのかだ。

推理上で考慮するべきは、ゴシップとしての前野家文書では、実は「土田」と記した根拠は尾張の土田(つちだ)氏に対してでは無く、美濃の土田(どた)氏でむしろ生駒家に対するゴシップで記している。

ここで読み手の方に少しゴシップ要素に興味を持って頂こう。

織田信長の嫡男織田信忠の母親に前夫が存在した。

これは史実の記録上曖昧になるが、その織田信忠の母親は明確には吉乃とは断定されない状態である。

勿論「吉乃」という名も後世に付けられた名前だが、ここでは生駒家出自の信長の妻別名「生駒の方」を吉乃としておく。

その生駒家が吉乃の前夫の姓を「何某」とあえて記している点を怪しんで欲しい。実際に現存する家系図にも確認できるらしい。

信忠の生母には実は前夫が居たというだけで少し汚点に思ってしまう。

故に信忠の生母が曖昧な形で色々と伝えられている可能性はある。

ただし吉乃がその生母であるなら家系図からその記録を抹消しても問題なかった話でもあるが、家系図にはハッキリと前夫の存在が記されているのだ。

そこで考えられる実態は、織田家家中にその事実を知る者が多かったから隠せなかったという事。

では、何故その姓に関しては「何某」と記したのか。

政治家のゴシップとして、いわば権力者のゴシップとしては興味をそそる話に見えてくるのです。

事が進んでから織田家であり生駒家に出入りするようになった前野長康ら親子が、ほぼ同時期に信忠誕生を聞き知り、その母親である吉乃の話に興味を惹かれたのは十分有りうる話となる。

実際に秀吉との関係も有って出入りしていたとされる生駒家で色々な人物から話を伝え聞いた流れは、当然なものとして成立する。

出世した前野家は今では立派な武家であるが、秀吉と生駒家に出入りしていた時分は、良くて国人衆でほぼ野武士という存在で、ゴロツキというかヤクザな存在であったと言える。

その中で、誰もが口を閉ざす「何某弥平次」という「何某」とされる部分、長康ら親子で無くとも誰もが怪しむ所で、ようやくたどり着いた所で「土田」という名前が解った。

人の弱みに付け込む事に敏感なゴロツキであれば、ある意味突き詰めたい心理が働く内容とも成る。

さて伝聞なので「つちだ」と聞いたのか「どた」と聞いたのかは定かには出来ないが、何れにしても漢字の「土田」に結びつく憶測は探求心の心理として成立する。

さてここからは推理の話で、長康ら親子の憶測と同じ感じにもなるが、生駒家との繋がりから漢字の「土田」は自然、美濃の土田氏に結びつく。一方で信長の母親は前述の通り信秀の正妻である以上、美濃の土田氏はほぼ有りえない。しかし「つちだ」と聞いても漢字の「土田」に結びつく。

憶測を悪と考えるなら、音で聞く「つちだ」と「どた」は結びつかない。

ところが弱みに付け込もうと探る人間は寧ろ「何某」という意味で隠し立てする部分に憶測をぶつけて考えてみる。

ここで前野長康は蜂須賀小六と組んで、当時は野武士というゴロツキであったという点を忘れは成らない。

ゴロツキと断定する部分は、その当時の織田家での纏め役が、まださほど出世していない木下藤吉郎こと秀吉だった事でも言える。

ここは憶測で無く立派な推理として説明しておこう。

この当時、美濃と尾張は1556年に斎藤道三が戦死して、同盟関係が破綻した時期に成る。

故に織田家に使えながらも、織田家の弱みを握る事は、地理的に国栄で活動するゴロツキにとっては格好のネタとも言える。

後に秀吉の下で出世したから見えにくい部分だが、当時の木下藤吉郎の身分でそんな大出世が期待できるほどの信頼関係が有ったとは逆に考えられない。

ならば生き抜く処世術として美濃の斎藤義龍と信長を天秤に掛けておくほうが自然と言える。

そういう冷静な分析で前野長康ら親子の心情を察すると、これほど面白そうなネタは無いという話に繋がるのだ。

実際に前野家文書は存在する訳で、ゴシップを突き詰める動きはあったと言っても良い。

しかし、憶測が間違った方に進んだ可能性は高いのだ。

これは既に記している事だが美濃土田氏から信長の祖父である織田信定に「いぬゐ」という女性が嫁いだという記録も存在する。

おそらく前野長康らの情報網からそこを探り当てた可能性は高い。

生駒家と美濃土田家の関係性から話が聞こえてくる可能性は十分に高い。

この「いぬゐ」は実は信秀の生母「含笑院」とされる人物だが、その出自は織田筑前守良頼とされている。

ただ憶測が先行すると美濃土田氏から嫁いだとされる「いぬゐ」と同一人物と見なすことも出来る。

実際にこの話が本当なら、読み手の方がたも怪しむだろう。

そこで更に「土田御前」である。

信秀の母「いぬゐ」が美濃土田から嫁いだにも関わらず、織田弾正忠けでは誰もが「織田良頼」の娘と言っていると勘ぐると、土田御前の出自も尾張土田(つちだ)氏とされるが、実は美濃土田(どた)氏だったのではと勘繰る。

実際に土田政久の名前以外は尾張土田氏の存在は前野長康らが生駒家に出入りしていた時分には確認できない状態だったとも推測できる。

さて前野長康らこの憶測に進んだという根拠だが、それは歴史上の記録で曖昧に存在する部分が明確に残るからだ。

それは土田政久と「どたまさひさ」として実は生駒親重が政久の子、または同一人物であると記されている事だ。

生駒親重本人はこれを否定したという記録もある。

そこから察するに前野長康らは生駒親重本人にその事を直で追及した可能性が高くなる。

いわば織田家の弱みである前に、生駒家の弱みとして。

勿論、前野長康らの行動をゴロツキの手口として考えれば、生駒吉乃の嫁いだ先が実は「土田(どた)弥平次」という人物で、そこから出戻った吉乃には実は子種をやどしていたのではという流れ。

そこで信長の嫡子となる信忠はいわば美濃土田氏の超近親で生まれた子になる事実だが、長康が突き付けたのは信忠が実は信長の子でないという事だ。

これは前野家文書に吉乃の前夫・土田弥平次は1556年9月に没したという記録があるという点で明確になるが…

恐らく生駒親重は長康の追及が見当違い過ぎてハッキリと否定して見せたと考える。

その為、前野家文書を含む武功夜話では1551年やら1555年やらと信忠出生を巡って曖昧な表現が残ったり、信長と吉乃の関係は濃姫の輿入れ前だったという記述まで登場するのだ。

これらの曖昧な表現が残る部分としては、結局前野長康の生駒親重への追及は失敗したという事。

その上で生駒親重から聞かされた内容を恐らく後で思い返して史書として残す意味で整理したところ、「濃姫(帰蝶)の輿入れ前には吉乃と信長の関係があった」という話の部分で混乱したと見える。

実際に長康が最終的に追い求めたゴシップは、信長が美濃土田氏の近親相姦で誕生した点で、いわば祖父が美濃土田氏の「いぬゐ」と、そして父親は更に美濃土田氏の「土田御前」という関係。

その事実故に織田信長は「大うつけ」とされたという内容にも成るわけだが、そうなると同じ腹から生まれた織田信勝も同じになる事は忘れては成らないと言っておこう。

さて…これだけゴシップネタを求めて探りを入れたであろう前野長康がたどり着けなかった事実は…

そう考えると土田御前の史実的には最有力の出自に成る尾張土田(つちだ)氏の存在だ。

さて…何故この尾張土田氏が最有力なのか…

実は信秀の母親である含笑院の為に含笑寺を建立したという記録があるが、その場所が清州の土田であったという事だ。

歴史を研究する人たちは文書で無いため見逃しがちだが、信長の母親の土田を特定するのに最も有力な手掛かりなのだ。

当時の清洲周辺は大和守家が主体で弾正忠家が入り込める余地はほぼ無い。建立した時期が信長が生まれるより前の1528年であるとすると、信秀の勢力圏は那古野にすら達していない。

そうした中で尾張の首都とも言える清州に程なく近い場所を自由に出来るとは考えにくいのだ。

この土田という場所は清須城から1キロ圏内の場所になる事で、かなり特別な場所と見なしてよい。

この場所に母親の寺を建立したわけだ。

それが当時の織田信秀の力で可能だったという事は、そこの領主と懇意にしていたからという事で考えた方が良い。

そうなると尾張土田氏との関係に自然と結びつくわけで、寺の土地まで許せる関係となると親戚関係で考えるしか無くなる。

いわばその土田氏の娘を正妻として迎え入れたからとう関係性が結びつき、その存在が土田御前とされる事実から明確な辻褄として成立するのだ。

ただし、歴史上で直近の時代の前野長康ですら知りえなかった尾張土田氏の存在故に、歴史家にとっては謎多き部分になるのも事実である。

 

更には歴史上の文書から察するに、実際は生駒家は商家であったにも関わらず、生駒家は元来武家であったと現在でも主張している点。

いわば信忠の出自を今だ気遣う姿勢がそのまま伝統的に継承されている事と、何某弥平次の秘密は伝承としても口外せぬよう伝え聞かせんかった事。仮に当時の事を知る生駒家の者が伝え聞かせていたのなら「何某弥平次」の謎は500年も時を得た現在には公に資料として残るはずなのだから。

そういう姿勢を見ると現存する生駒家は今も昔も立派武士であるのだと理解できる。

それ故に「何某弥平次」という吉乃の前夫に大きな秘密が有る点は疑いもない所として残るのだ。

 

④筆頭家老林秀貞に限らず、母親の土田御前まで見捨てた事実

 

結局、信長に敵対した勢力は弟の織田信勝(信行)、林秀貞(旧道勝)、そして実母の土田御前が主犯格である。

単純に考えて信長が神輿として扱いづらく、信勝の方が扱いやすかったからという理由も考えられる。

恐らくは最終的にはそこも含めた形に成るだろう。

特に林秀貞の様な人物ならその基準は的を得るだろう。

勿論のこと自分の側で過保護に育てた信勝に母親の土田御前が傾くことは十分に考えられる。

しかし…ただ単に彼らが扱いづらいからという理由で、他の者たちがある意味弾正忠家としては不義理になる方へ靡くかという点である。

実直な性格で知られる柴田勝家が単に林秀貞に逆らえないからという理由で、信秀の決めた嫡男を見捨てるのか…

そういう疑問も感じるべき点である。

実際に信秀の死後1552年から直接対決の1556年稲生の戦いまで、4年の歳月があるが1553年に信勝は既に弾正忠を名乗って信秀の後継を自称している。

直接対決に至らなかったのは信長の背後に斎藤道三が居たからと言っても良い。その道三は1556年に戦死しているのだから。

それ故にこの弾正忠家のお家分裂は、4年間様子見があったわけではなく、信秀の死後、その喪に帰する時間を得て発生したものである。

信長が大うつけであると広まった時期は推察するに、濃姫こと帰蝶が信長に嫁ぐ以前と考えても良い。

ある意味、既に美濃守護の地位にあった斎藤道三が、自分の娘を守護代でも無い弾正忠家に嫁がせる決断に寄与した所で考えるべきだ。

いわば寧ろ信勝の様な普通に立派に育った相手なら、道三の性格上、格下との政略結婚に興味すら抱かなかったと考えても良い。

勿論、格下といっても美濃との抗争の主犯格は弾正忠家な訳で、和平の為という体裁は考えられなくも無い。

しかし、自分の娘を人質に出す様な話で信秀を信頼するとは寧ろ考えにくいのだ。

いわば和平の為の政略結婚なら、逆に信長の妹お市の方を義龍にという流れが当然である。

それがダメなら道三ほどの腹なら、松平か今川にでも帰蝶を嫁がせただろう。

これが寧ろ戦略的な見解であり、確かに濃姫こと帰蝶の輿入れは歴史家の思考でも意味不明すぎる話だろう。

ところが道三ほどの人物で、好奇心の高い人間なら、大うつけとまで言われる信長が本当はどういう人物なのか興味を抱くと言える。

単なる噂だけなら勿論興味は抱かない。

それを支えている人物が、道三が目にしても一目置ける平手政秀であり、自分を苦境まで追い込んだ織田信秀が大うつけとされるその信長を未だに廃嫡していない事だ。

こうして思考すると読み手にも道三が「信長とは何ぞや?」と興味をそそる部分は理解できると言えるだろう。

ではその実像をみるには…

まあ、自分の密偵として娘を送るのも有りかと考えるのも一理あるのだ。

無論、確実に成功する訳ではないが、信長が本当に大うつけなら帰蝶には戻ってこさせれば良いと、逆にそれが失敗してもその時は致し方ないと覚悟を決めた上で。

さて…その大うつけの噂話は勿論ある程度の詳細は、道三の耳にも届いてると考える方が普通である。

「素行が悪い、勉強が出来ない」

こんな程度の大うつけの噂なら、信長に限らずどこにでも有りそうな話だ。

では、前野家文書の様に近親相姦で生まれたという話だと…

逆に道三は気味悪がるだろう。

また、美濃土田氏は道三の所領で明智氏に近いため、寧ろその事実確認まで容易な訳だから、道三が一切気にせずに信長を受け入れた史実で流れるなら、寧ろ無いと言っても良い。

 

ならば戦略的な着眼点に絞って思考して見よう。

尾張を上手く攻略すると考えて、その中の一番大きな勢力である織田弾正忠家をどう料理するか、である。

団結した敵と真っ向から戦えばそれだけ被害は甚大なものになる。

しかし敵が自ら分裂すれば、敵は同士討ちを始めその一方に味方することで敵勢力の半分は少ない被害で仕留められる。

いわば信長の大うつけっぷりが寧ろ弾正忠家の分断に寄与するなら、信長に味方する形で介入し、そのもう一方を壊滅に追い込むのも手と考えるのだ。

 

ある種、信長への興味も有るが、場合によっては戦略的に利用できる形も見て取れる状況と成るのだ。

 

しかし、その大うつけの根源は何かが実は大事に成ってくるのだ。

 

家臣一団となって信長の廃嫡がまかり通る様では実は意味がない。

むしろそれを理由に介入出来ても、自軍に生じる被害は同じ程度に成ってしまう。

逆に家臣団の意見が割れるような話であれば、たとえ信秀が廃嫡を決めても分裂する可能性は高い。

 

あの手この手を尽くして尾張の分断を図った道三が興味を持つほどのインパクト。

織田家の大和守家や伊勢守家をそそのかして、信秀を苦しめようと謀ったものの大きな成果を得られなかった中での大きなインパクトで考えなければ成らない。

娘の命を掛けるとはそれだけの勝算は欲しいと考えるのは当然である。

 

そういう意味で考えるなら道三が見て取れる状況は、

 

母親の土田御前も激怒する状況。

筆頭家老の林秀貞を含む家臣団が呆れる状況。

信秀がそれでも信長の廃嫡に動かない状況。

 

この三点が揃うのは、人間としては致し方なくともリーダーとしては愚かな行動に成る。

いわば人間として致し方ないと見える故に、情として許せてしまう訳で信秀が親として許す事が理解できるという内容。

且つ情の薄い家臣団は許せず、情のある家臣団は信秀同様に理解する。それ故に家臣が割れて争う要素が見て取れる。

更に本来、情に流されるべき母親がその情を切り捨てるほどの内容になるのだ。

 

そこに隠された秘密「何某弥平次」の存在と、消えた尾張の土田氏を合わせると「恋に溺れて失態を犯した信長」=大うつけという事が見えてくるのだ。

現代でもこういう失態を犯せば世間からかなり叩かれるのは目に見える。織田家中が大騒ぎするほどの出来事であることも解かる。

吉乃という存在が、公な所であまり登場しない点、

信忠の母親として明確に記録が存在しない点、

そしてこの事件が信長公記を記した太田牛一ですら知りえなかったと考えるなら、当時を知る家臣の誰もが周知するほど、権力者となった信長自身が絶対に触れられたくない汚点になる。

いわば吉乃との恋に溺れて、母方の実家を結果的に滅ぼし、挙句の果ては家中を分断させる要因に成ったのだから。

故に信長自身も稲生の戦いの後、誰も処分出来なかったのだ。

林秀貞の様な人物は信長にとっては既に用済みと言えた訳で、稲生の戦いの後では殆ど活躍の場がない。

反対に秀貞の様な人物は危険な存在でしかなかったわけだが、それでも信長は処罰しなかった。

信長の性格を考えるなら問題の主犯格である人物は処分しても可笑しくは無い。

それをしなかったという事は、これも信長の性格で自分に汚点があったからだろう。

 

しかし推理を駆使して見出したこのエピソードであるが、問題が一点だけ残る。

それはこれだけの事件が500年もの間、公に語られない事だ。

織田家の汚点話として口止めされていたとしても、逸話としてどこかに聞こえていても可笑しくは無い。

いわば母方の出自の土田氏が消滅したニュースに成ってしまうからだ。

勿論、口止めを示唆したのは信長では無く、信秀に成るだろう。

いわばこの問題は信秀にとってその嫡男が犯した最大の汚点になるからだ。

事件の発生時期を丁度濃姫こと帰蝶の輿入れが決まる直前1548年で設定している訳だが、信秀の命によって関係者の口止めが信秀が亡くなる1552年まで徹底されていたとして、約4年間でこの話を一切語らないことが通常化されたかは不明であるが、昨今ではケネディの暗殺の実態であり、リンカーン暗殺など裏に潜む話は隠されたままに閉ざされていると考えると、本当に尾張土田氏の事件は隠蔽されたのかも知れない。

勿論、土田御前が孫にあたる織田信雄に語る可能性もあるが、それは孫に自分が信長の反逆者であった事を語るに等しく、あえて口にしなかったとも言える。ただ、自分の父親は土田政久で有ったという事のみで。

また林秀貞らも反逆の理由を信長が大うつけをしたからと語るに留め、決して土田氏滅亡を口にしなかった。それもある意味同士の側に立った土田御前に気を使ってのものとも考えられる。

ただし、信秀がどの時点で口外せぬように発令を出したかは不明であるが、もう一つの効果として信長が稲生の戦いの後で、踏み絵として反逆の理由に土田の話を用いた者は、父・信秀の言葉に逆らった者として処分した形は考えられる。

これによって家臣全体に自然と事件隠蔽意識が行き届いたとも言える。

何にせよ怪しむは土田弥平次とされるところが「何某弥平次」と記されている事実で、一説の光秀の弟分、明智秀満説の話より、何某と隠す根拠はより強まる。

いわば当時の日がまだ浅い流れで土田弥平次と記したのなら、土田事件とする話に結びつきやすくなり、織田家の禁句に触れることを恐れたと考える方が自然と言えるのだ。

生駒家としても吉乃が後妻になった事実までは隠蔽する必要ないと判断したか織田家の誰かから指導を受けたかでそこは残しつつ、その姓だけは不明としてあえて歴史上に何かを残そうとしたのかもしれない。

結果として前野長康ら親子は、「土田弥平次」の名を探り当てるも、的外れな形で「どたやへいじ」と結びつけてしまう訳だが、寧ろこの事で「土田(つちだ)」氏の痕跡がその当時には消えていた可能性が見えたのも事実である。

仮に「土田(つちだ)」氏の痕跡が有ったのなら、生駒親重が土田政久本人か、土田政久の息子かなどという記述は存在しなかったといえるのだ。

故に、この事件は信秀が早い段階で口外せぬよう家臣団に口止めし、最終的には信長がそれを踏み絵として投降者の意識を図ったため、誰も口にしなくなった。

故に500年間も闇に包まれた話に成るが実は何某弥平次とした事で何か重大な事件を隠した事を残したと考えるのである。

その重大な事件を紐解くと、生駒家と織田家の関係と更には土田氏との関係に自然と結びつき、それは信長、吉乃、土田御前が結びつく出来事なら後のお家騒動に結びつく流れが成立するという事なのだ。

 

更には信長の戦歴には初陣から暫くの空白期間が存在する。

歴史的な事件としても、1547年の初陣から1549年の濃姫の輿入れまではほぼ目立った動きは無い。

確かにこの間ただ遊んでいただけならそれも大うつけに見えるが、むしろこれから暫くして信秀が亡くなった際、信秀の主力を敵に回しても十分にやり合える部隊を自前で手にしていたと考えるなら、この時分から何も準備していない方が不自然に成ってしまうのだ。

ある意味4年間しか無かったとも言えるわけで、オリンピックで活躍する選手がこの4年間をどれだけ大事にするかで考えると、信長が何の行動していない事は歴戦の部隊に太刀打ちすら出来ない状態を意味する。

結果としてその部隊を相手に劣勢にありながら更に8年後の稲生の戦いで勝利するのだから、信長の自前の部隊は相当鍛え上げられていたと考えるべきである。

 

話を物語に戻して…

信長らは土田政久が予め領民を招集した時刻前に土田城到着した。

勿論野盗団の襲撃を受けて既に城は廃墟と化していた。

すると徐々に召集を受けた兵らが

300人程度集まってきた。

 

集まってきた兵らは土田城の惨状を見るや、

 

「土田様はどうされただ…」

 

と口々に困惑した。

そこへ信長らが登場して

河尻秀隆の口で彼らに事態の概要を伝えた。

 

「昨晩、土田殿らは野盗団の襲撃に会い討ち死にされた」

 

そして、

「我々はその土田殿と共同で野盗団を討伐する予定であったが、今と成ってはその弔い合戦となる」

と話した。

一見領主の弔い合戦という話で、招集を受けた領民の士気も上がりそうに見えるが、現実はそうではない。

 

その前に簡単な兵役の計算してみよう。

参考資料で軍役を調べたところ、

豊臣時代の資料では、百石7人制とあり、いわば百石に付軍役を7人出すと規定したようだ。

これは徳川時代には、百石2人制に変化する。

それ以前の戦国時代では大名によってまちまちだが、

おおよそ百石8~10人と考えても良いかと思われる。

では、その百石とはどういう大きさなのか…

一石は基本的には体積の基準で、

1升=約1.8リットルで、100升=1石と規定されているらしいが、

この規定は明治のもので、戦国時代の話だと曖昧になる。

ただし体積ではなく石高という意味で一石を考えると、

その広さが気に成るだろう。

1石の広さ=現代の基準で1000㎡だそうだ。

1000㎡を正方形で換算すると、

31.62mの二乗になる。

10石だと10000㎡なので、解りやすい。

100mの二乗だ。

問題の百石7人制の100石は、

316.2mの二乗だから、

ザックリと考えて

地方の小さな公営競馬場のトラックの広さくらいだろう。

そう逆算して考えると、

70人から100人集められる千石領主の領土は

一辺が1キロの二乗くらい。

地図で見るとこの広さ

大体明治神宮と代々木公園の

緑部分よりちょっと小さい位の広さだ。

700人から1000人の1万石の領主が

3.162㎞の二乗なので、

大体地図で見る羽田空港の大きさ位になる。

勿論石高は米の量の単位で、

1年間に大人一人が消費する量で見積もられるため、

その広さが単純に領土の広さなのか、

それともそこに存在する田んぼや畑全体の面積なのかは、

検地などをして計測することもあった時代で

明確に言える部分では無いが、

信長は特に検地を行っていなかった様なので、

ここは単純に領土の広さとして見積もるものとする。

 

では土田氏の領土の広さを

この話での兵役300人集める意味で計測してる。

300人を戦国時代の兵役基準で見積って、

三千石の領土と計算する。

三千石=3百万㎡なので、

一辺が大体1732mの正方形に成る。

さて一辺が1.73㎞で

名古屋第二号環状線上の清須西IC付近を見渡してみよう。

この辺りに土田という地名が残っていて、

清須西ICを中心に東は名鉄名古屋本線の新清洲駅で、

西には願正寺という寺が入る。

この願正寺との繋がりは定かではないが、

第36話に記した通り

織田信秀はその母親である含笑院を弔うために、

尾張土田の場所に含笑寺を建てたという話で、

「がんしょうじ」という呼び方から

何らかの関係性を考える寺として見積もるものとする。

横一辺は土田として残る地名からその願正寺に掛けての距離で、

凡そ2Kmとなる。

縦は大体、東海道新幹線の線路を見て、北は名鉄名古屋本線大里駅から、清洲西ICが2Km以内となる。

新清洲駅から五条川を挟んでほぼ東は清須城となるため、

新清洲駅付近は含まれないと考える。

元々この土田氏は近江の六角氏と、

尾張の斯波氏の関係を取り持つ意味で、

六角氏から外交官として尾張に来た身分で考えるなら、

この領土の場所と広さは妥当とも考えられる。

逆に土田御前が例え守護代で無いとしても

織田弾正忠家の正室として迎え入れられる意味では、

軍役で300人程度は集められる身分で無ければ

成らないとも言えよう。

何度も伝えるが、反対に美濃土田(どた)氏の場合だと、

美濃の斎藤道三と戦続きの状態で、

その家臣の明智方に近い美濃土田氏では、

常に反目に走る事も想定される点が考えられるため、

政略結婚という意味でも成立しない関係と言える。

いわば道三と信秀が戦う中で、

美濃土田氏出自の土田御前(どたごぜん)では、

何度も美濃土田氏の裏切りで殺される状況になるとも言え、

そういう状況では織田家で肩身の狭い思いをする事が、

最低でも想定されるからだ。

ここまで考慮すると確実に信長の生母の美濃土田出自説は、

先ず無いと断定できる。

ある意味織田家中を分断する兄弟喧嘩を

裏で糸引く存在として君臨する影響力は、

美濃土田氏の出自では

辻褄が全く合わなくなるという事に成るのだ。

 

さて、尾張の土田氏が

300人程度の兵力を集められる家柄であることは、

凡そで見積もる事が出来たわけだ。

余りこの辺の資料がないため、見積もり=仮定で、

あくまで推測と仮定の話に成るのだが、

読者の方がたには

小説としてまたは現実的なシミュレーションの下で

話の辻褄であり、その後の経緯なども含めた流れとして、

参考に考えて貰えればと伝えておくものとする。

 

さて、招集者であり領主を失った兵の心境はというと…

先ず一般的な漫画であり小説なら、

ここで弔い合戦という言葉で盛り上がるように構成するだろう。

 

しかし…徴兵であり軍役など好んで参加したいと思うか?

 

先ず命を投げ出す意味として無償で参加するには、

それ相応の理由が必要になる。

例えるなら今のウクライナの兵の様に、

他国に国を奪われたくないという強い意志が、

彼らに義務感や責任感を与える。

しかし、領主の弔い合戦では些かその点が薄いのだ。

秀隆はこうも加えた。

 

「この周辺に蔓延る野盗どもを駆逐すれば、そなたらも今後平穏に暮らせることにも成る。」

 

と、治安維持の名目を語った。

勿論、土田政久が招集する際にもそう伝えたであろう。

その上で彼らは招集に応じるも、

兵の士気という意味ではさほど効果はない。

ある意味この召集の義務感を与えるくらいである。

大抵の人間はこの義務感を与える所で終わってしまうのだ。

そしてそこで終わってしまう兵は実は弱いのだ。

義務感とは現代で解かりやすく言えば、

学生の勉強と同じだ。

この義務感だけで勉強できるのは、

寧ろ勉強の楽しみ方を知ったものだけで、

戦で言えば戦争が好きな人間となる。

勉強なら知識欲で学ぶことが好きな人間と成るが、

戦争では悪く言えば人をいたぶる事が好きな人間となる。

寧ろ大抵の人はそんな意欲は無いわけで、

義務感だけではやる気を起こせないのだ。

日本と言う国では、大半がここで終わる。

「働かざる者食うべからず」

こんなことわざを当たり前の様に発している国では、

現実が見えていないと言っておこう。

いわば何かあれば義務だからという言葉で、

相手を言いくるめているだけという話なのだ。

 

実は兵の士気を上げるには、

その労力に対する対価か、

その労力への責任感が必要になる。

勉強にしても

「俺が家族を裕福にする」

美談としてよく聞くものだが、

こうした家族に対する責任感は苦行に対するパワーとなる。

ある意味、家族を養うために

仕事を頑張る人たちが感じるパワーがこれだ。

現代日本は

ここだけで踏ん張っていると言っても良いだろう。

ただしそれは企業に対する責任感ではない分、

企業を盛り上げる士気には成らない事も言っておこう。

いわば企業では義務で働いているだけで、

その義務をこなすことが家族に対する責任感として

機能しているに過ぎないのだ。

いわば無難に給与を貰うだけの責任感でしかないのだ。

責任感を与える事は理想的に思えるが、

実はこれが一番難しいのである。

其々がその責任を感じるポイントに差異が生じるからだ。

いわば自分ならこれで責任を感じて頑張ると思っても、

他人には通じないのだ。

その人の責任感は理解できてきも、

他人は寧ろそんな責任感は持ちたくないとかんがえる場合もある。

日本が空回りする部分がここだと言っても良いだろう。

 

そんな事よりももう一つの対価で解決する方が合理的なのだ。

 

秀隆は招集された兵たちに、

 

「自分の家族が安堵して暮らせるようにこの討伐を為しえてもらいたい。」

 

と、伝えた。

いわばこの戦いに少しでも責任感を感じさせたいという意図だ。

一見、この秀隆の口上は素晴らしいようにも感じるだろう。

しかし、信長は「勘が良い」。

「勘が良い」とは筆者が知る限り、

司馬遼太郎先生が良く用いた言葉だ。

彼はこの言葉を「直感」という意味合いで用いていたが、

ここでは「洞察力が齎す空気を読む力」の意味で使う。

信長は招集兵たちの顔を眺めて、

今一士気の高まりに欠けることを察した。

その上で秀隆の口上に何かが足りないと気づいたのだ。

 

信長は何気にまだ吉法師だったころにおこなった

灌漑作業の現場を思い浮かべた。

その時の作業で金森右近の懸案だったが、

米を報奨として競わせたことで

全体の作業士気が大幅に向上したのを思い出したのだ。

また彼ら招集された兵にどことなくやる気の無さを感じて、

石合戦をしていたころの

相手に脅える農民の子らの姿を思い出した。

 

(これではこの兵たちは使い物に成らない)

 

信長は直感的にもそう感じた。

そこで信長は招集兵らに率直に聞いた。

 

「土田殿はお前らに何か約束でもしていたのか?」

 

招集兵らは焼け落ちた土田城を見て、節々にざわつくと、

その中の一人が、

 

「ワシらは今回の恩賞として米を家族分頂けると言われてただ…

それがお城が焼けてしまって・・・その話がどうなったのかと…」

 

戦国時代、農民が米を口にすることは

滅多になかったと言われている。

それだけ米は貴重な食品だったのだ。

軍役という中では義務故に、その領民は基本従わざるを得ない。

しかし今回の討伐は国を守る戦いとは別である。

秀隆が述べるように治安維持という名目で、

家族を守るという責任感で参加させることも

義務としては成立する。

しかしそれだけで命がけで戦うという話とは別物である。

いわば義務だけでは命欲しさに

逃げ出してしまう事も有りうるのだ。

勿論、多くの領主は

敵前逃亡にたいする罰則も用いて彼らを使うのだろう。

ところが信長は石合戦という罰則すらない遊び通じて、

兵の士気で戦況が大きく左右する事も学んでいた。

いわば弱兵では崩れだしたら止まらないのだ。

 

後の信長からすれば他の兵は

その辺を修正していないから弱かったのだと考えるだろう。

逆に本願寺の門徒宗の様に

命がけで向かって来る相手は手強いのだ。

恐らく太平洋戦争時の日本は

本願寺の様な手強さが有ったと言えるが…

結果として両者とも負けてしまったことは忘れてはいけないと、

今は伝えるに留めておこう。

 

さて報奨であり恩賞を求めての

討伐への参加という事を知って、

多くの日本人は間違った思考をしてしまう。

いわば義務や責任感なく

対価だけを求めるだけの連中に見えるだろう。

そういう意味で使えない、弱いと感じるだろう。

ある意味世の中が

寧ろ義務感や責任感のある人間を求める傾向にあり、

自分が使う側の人間視点で考えるから、

上辺だけの義務感や責任感が横行するのだ。

いわば使われる側は使う側の求める姿勢を演じて、

使ってもらってる社会になるのだ。

 

人は言葉で責任感や義務感を語る事は出来る。

しかしその義務感と責任感が本物なら、

それはその仕事に対する情熱に変わり、

素晴らしい結果を生み出すのだ。

ある意味勉強を学業として楽しむように、

仕事も楽しめる状態にあるのだ。

ところが大抵の人間はその領域に達することなく、

義務感や責任感を上辺だけで口にするのだ。

 

さて合理的な思考においては、

責任感を求める代わりに、

対価を支払うことは、

その対価でその人の情熱を買うという意味に成る。

言い換えればその対価を

責任感が変異する情熱そのものに転用するとい事だ。

それは対価を受ける事そのものが、

一番わかりやすい情熱に成りやすいということになるのだ。

むしろ上辺だけの責任感や義務感で仕事を求めてくる相手より、

対価で動く人間の方が解りやすく働いてくれる。

勿論のこと本当に責任感や義務感で

情熱をそそいで働いてくれる人間は重宝するが

それは望んでも手に入る人材では無く、

また知らない内に手に入っているものでも有るのだ。

ある意味、

使う側と使われる側の信頼関係が

構築されるまでの時間を要すると言っておこう。

 

筆者の様に論理的に考えるまでは無くとも、

信長は招集兵らの率直な話が寧ろ解かりやすかった。

逆に死した祖父の土田政久であり弥平次から、

兵の上手い扱い方を学んだ気がした。

 

(なるほど…そういう事で彼らのやる気を煽ったのか…)

 

すると、信長は自らの口で、

 

「敵は野盗団ゆえに、お宝、米などを蓄えている。奴らを倒した後は好きに乱取りしても構わぬとしよう!!」

 

乱取りとは戦利品をあさる行為である。

他国を占領した際は、その領民を苦しめる行為となる為

天下を目指す信長としては本来これらを禁止している。

しかしこの時は敵が盗賊ゆえに許すとしたのだ。

招集兵らは寧ろそれで士気が上がった。

本来領土拡大を目指す大名なら、

兵に乱取りを禁じるのが当たり前と考えても良いだろう。

ただ素行の悪い者たちは隠れてそれでもやっていた時代だ。

しかし、本来なら尾張であり織田信秀も禁じていた事で、

招集兵らも信長がそれを許すことに驚いた事実だ。

現代なら押収した盗品は持ち主に返すのが当たり前だが、

当時としては押収した品物が

誰のものであるか調べる事すらできない。

故にそれらは寧ろ指揮官らの戦利品になるものだろう。

それら戦利品を好きに持ち帰って良いというのだから、

招集兵らからすれば米を恩賞で頂く話より有難い。

また、相手が盗賊である故にその品物には夢が膨らむばかりだ。

 

乱取り許した信長に対して、

実直な秀隆は、

 

「若、乱取りは相手が野盗故に許したわけですか?」

 

と、聞いた。

そして信長は、

 

「相手が盗んだ物ゆえに乱取りを許しただけだ。」

 

と、伝えると、

秀隆は「ならば」と言わん形で口を閉じた。

そして信長は思い返した様に招集兵らに、

 

「ただし、女子供を見つけた場合は決して手を出すな!!それらは無事に故郷へ送り返す!!これを犯した者は死罪とする!!」

 

と、付け加えたのだった。

一方で信長が招集兵に乱取りを許した事で、

信長本隊に所属する者たちは戦利品を放棄することに成る。

いわば信長本隊はこの戦いを義務で挑むだけなのだ。

河尻秀隆という人物は

後に信長の側近である母衣衆の筆頭に成るわけである。

その秀隆は信長が招集兵らに乱取りを許した事で、

寧ろ信長本隊の人間に不満が出ていないかに気をまわした。

秀隆の直感ともいうべき気遣いである。

そしてそれを確認する意味で、

本隊の人間らを集めて出陣前に、

 

「我々の目的は戦の経験を積んで、武士として大功を立てることにある。その為に集った者たちで、戦利品などに目をくれる輩ではない!!」

 

と、伝えた。

 

「もし戦利品を欲するものが居るなら、この隊から離れ彼らと共に行くがいい。この隊に残るのなら戦に勝つ事だけを考えよ!!」

 

とあえて引き締める形で締めくくった。

 

勿論の事、信長本隊は元々が戦利品を押収する目的で、

野盗団と戦っているのではなく、

寧ろ野盗団を相手に軍事演習を行っているのが本来の目的だ。

自然とそうした目的で参加しているため、

彼らの注ぐ情熱は戦う事にあると言っても良い。

そしてこうした実戦を積んで、

本当の戦で大功を立てると言うのが彼らの目指すところになるのだ。

ある意味、信長の近習らは

そういう目的で集まっていることもあって、

反対に乱取りの様な行為に興味すら無かった。

逆に言えば戦略的な判断として雑兵にそれを許して、士気高揚にあてたことをある意味評価する感じもあったと言えよう。

これは現代社会にも通じる話だが、

ただ単に給与という金銭で雇っているだけの社員は、ここでいう雑兵と同じなのだ。

信長の近習の様に意識を高く持たせるには、

リーダーの目的と目標を共有して活動しなければならない。

当たり前の話だが、

それがあるゆえに下の者たちは自然とと学び、

自然と成長していけるのだ。

しかしリーダーが一方的に下の者たちに

目的目標の共有を求めても所詮は雑兵しか生まないのだ。

なぜなら彼らへの対価は

給与という金銭面でしか保証されないからだ。

日本企業の様に役職への出世という形でで煽っても、

それは個々の社員に目的目標を共有する意味とはならず、

寧ろ金銭的な対価で意欲を対上げているにすぎないのだ。

勿論の事、役職を得ることで

個人的な目標と目的が生まれることも、

仕事に対する意識も生じてくるだろうが、

結局はその一部以外の殆どの社員が

雑兵でしかないことを理解しなければならないのだ。

ここでいう雑兵は使えない者を意味するのではない。

言い方を変えて傭兵という意味で伝えてもよい。

個々の能力は千差万別でも結局は雇われ兵という事だ。

先ずリーダーは自分の下に居るものが

近習なのかそれとも雑兵なのかを弁えて

その扱い方を上手く調整しなければ、

組織的な機能として最大限に引き出せないという事を

理解する必要がある。

 

信長は実に巧妙にそれを使い分けたのだ。

「うつけの兵法」という意味で用兵術を伝えるなら、

これは後に秀吉を扱うことでも伝えられる。

資料的な価値の意味で逸話扱いにされるが、

前述にも記した秀吉の「三日普請(清州普請)」の話などがいい例だ。

これは信長が一行に終わらない清州城の修繕を

秀吉に任せたら三日で終わらせたという

秀吉出世話の有名なエピソードだ。

逸話扱いなのは20日掛かるところを

秀吉が3日で終わらせたという事なのだが、

実際に比較してその位の違いがあった程度で

理解してもらうとしよう。

今、ここでは秀吉がどの様な働きを見せたかは

割愛するものとして、

信長が雑兵を扱うに

雑兵を上手く扱える秀吉をリーダーにあてた点である。

ここから後に秀吉はほぼ傭兵とも言える野武士集団蜂須賀小六や前野長康らを率いた部隊で活躍することは、ほぼ周知の話となるだろう。

いわば信長はこうした人間性の違いを把握して、

各々が最大限に機能するように軍団編成を考えたという点で伝えてもいいだろう。

 

秀隆は招集兵らにも最初は崇高な目的で挑む事を期待していたが、信長が察したように彼らにそれは望めなかった。

信長は鼻っから招集兵らの戦う意識の低さを見透かしていたのだ。

それは以前から農民の子らと石合戦に励んでいた経験で理解していたといってもいいだろう。

沢彦の教育にそういう意図があったかは定かではないとしても、その導きによって兵の性質の違いを信長は会得できたと言っても良い。

兵の質の違いを気づいていたとはいえ、

秀隆の素朴な疑問がぶつけられたことによって、

信長は物と人間の分別に気づいた流れとなったことは伝えておこう。

それで女子供の話を付け足したのだ。

ある意味、2人の直接的な会話は些か嚙み合っていないが、秀隆の疑問によって信長は人道的な意味を気づかされ、秀隆は信長が人道的な修正を加えたことで武士と招集兵ら領民兵の違いを

理解したとも言って良いだろう。

勿論小説である故に着色はやりたい放題であるが、

信長の母衣衆の筆頭と成る人物は

寧ろこうした場面で気が回る人間であったと考えるべきで、

単なる武勇のみでなく、

部隊を引き締める才覚が

その地位への評価に値したと考えるなら、

こうしたエピソードは決して不自然では無く、

寧ろ必然となってくるのだ。

逆に佐久間信盛の功績やその後の結末であり、

失態などを考慮すると、

秀隆の様な気づかいは出来ないだろうと考えるのが当然で、

そうした流れから秀隆の様な人物なら

こういう場面で必ずこうしただろうという流れとなる。

 

秀隆がそのあとで本体の者たちに伝えた言葉は、

武士と領民兵の違いを分別した形で、本隊の将兵らは自分たちの目的を再確認できたといってもいいだろう。

特に現代の日本人に伝えたいことだが、道徳的な意識であり人道的な意識を安易に期待しては成らない。

寧ろこの秀隆の気遣いが無ければ、

信長本隊は精神的にどこかで瓦解したかもしれないのだ。

人は時折本来の目的を忘れてしまう事が有る。

一方は戦利品という報酬が約束され、

もう一方の自分たちは結果として無報酬になる。

無論、武士である意味としては

給与の様な形で受けられるのだが、

自分たちが武士で有る事すら忘れてしまう事も有るのだ。

特に戦と言う緊張した状況下に成ると、

こうした不満に近い状態は、

何の為に命がけで戦っているのかという弱音を齎すのだ。

こうした些細な士気の乱れが、

ある意味弱腰な姿勢を生み出して部隊を崩させる要因ともなる。

兵士一人一人で考えると、

そうした鬱憤が戦闘での集中力を欠く状況にも成って、

命を失う場面にもなると言っても良い。

 

こうして信長は招集兵たちの士気を高め、

更には秀隆によって

自らの部隊の目的意識が再確認された事で、

野盗団を倒すという共通の目的で挑む体制が整った。

 

一方そのころ末森城では、

土田御前が信秀に信長の廃嫡を直訴する事態が起こっていた。

 

さて…勇ましく弔い合戦に挑む信長とは裏腹に、土田御前と林秀貞の信長イジメがここから始まるのである。

昨今のSNS同様に悪く言われれば悪く見える。

それは戦国の世でも変わらぬ形なのだ。

そうした逆風の中、信長は果たしてどう生き抜くのか・・・

どうも…ショーエイです。

世の中から戦争が無くならないのは何故?

そういう疑問を持つ人も多いと思います。

 

ぶっちゃけた話…

戦争が何故起こるのかを知っている人間からすると、

 

戦争が無くなると信じれない人が居る事が原因

 

と言っておきます。

彼らは戦争が怖いから戦争に備えるわけで、

当たり前の様にどこかに「敵」を生み出していくのです。

 

では…戦争は何故起こるのか?

かつては支配欲がその要因の一つでした。

今でもそんな程度の低い話で

敵を見ている人は多いでしょう。

ところが支配⇒抵抗⇒独立

結局はこういう流れで

支配してもあまり意味がないという理解が進みつつ有って、

戦争で支配する思考は政治的には既に廃れてます。

 

では・・・支配欲でない戦争は何が原因か?

 

これを解かりやすく言えば、

何故人は喧嘩をするのか

というポイントに成ります。

因みにネット議論でよく使われる手法ですが…

「自分は喧嘩なんてしないから」

と、話を逸らす、

まあ言い方悪いけどバカが要るわけですが・・・

根本的に人間の心理の話で、

「腹を立てる」

という心情そのものを理解して考えましょうという話です。

喧嘩とは口喧嘩も含むので、

人間には避けて通れない話であり、

喧嘩を避けてても誰かから怒鳴られる、

悪口を浴びせられる、

議論に発展するだけで、

既に喧嘩に成っているということを理解しましょう。

 

解かりやすく言えば、

自分が喧嘩をするつもりじゃなくても、

相手を怒らせた時点で喧嘩に成っているという事です。

実は戦争もこうした原因で起こっているのです。

反対に喧嘩に成らない状態にするには…

相手を支配している状態ならという話に成ります。

自分に逆らえない相手なら、

相手は黙って従う訳です。

国同士で言うなれば、

アメリカと日本の関係みたいな状態です。

ただし相手を支配していない場合は、

当然の様に対立が生じます。

ただ現代社会では一般人同士でも

直ぐに殴り合いになる話では無く、

口論状態の喧嘩というレベルで進むのですが…

 

相手を言いなりにさせる為に、力で押し付ける。

力で押し付けようとするから、相手も力で抵抗する。

 

こうしたレベルで対立が進むと、

結局は戦争という手段、

いわば殴り合いの喧嘩が発生する訳です。

一般人がそれでも殴り合いをしないのは、

警察が居るからの話で、

国同士ではその警察を司る権力同士な訳で、

実際には戦争を抑止するには

国際社会の目しかない訳です。

いわば自分の敵を増やさないために、

批判的な行動は躊躇するという仕組みです。

 

ところが国際社会の目が敵に成るようなケースだと、

後は戦力的な判断で思考する話に成ります。

 

ロシアのケースが正にそれです。

制裁などでウクライナの戦争以前に、

既に国際社会の目としては、

ロシアは明らかに孤立していました。

国際的な立ち位置は既に地に落ちていた…

誰もがそう見える状態です。

なので筆者はウクライナ戦争が始まる前に、

ブログで戦争に成る事を予見できたのです。

 

「ロシアを国際社会の言いなりに成る国にする」

にはという視点で多くの人がこの問題を見ています。

なので誰もNATOという

軍事同盟の拡大を疑問視すらしない訳です。

 

誰一人としてそういう意図を口にしないから、

そういう意図は無いと西側諸国は言い切るでしょうが、

寧ろ腹の内は見え見えなわけです。

これ実は中国に対しても同じで、

その腹の内を見透かされた状態で、

間抜けにも誤魔化しきれてると思い込んでいる訳だから、

まあ、そういう態度なら

戦争いわば殴り合いをするしか無くなる訳ですよね。

何故なら本当の意味で「話に成らない」からです。

 

単純にこの議論を腹の内の概要で伝えるなら…

欧米側 「君たちは完全に包囲されている、黙って我々に従いなさい。」

 

中露側 「包囲しているつもりならやってみろ!!」

 

まあ…中露を犯罪者側の言い回しで伝えてますが…

欧米側が正義と言う話でもないわけで、

寧ろ欧米側は自分たちが正義だと勘違いしているだけで、

結局はそれで戦争に成ったという事。

表面上では人権問題やら

なんやらと伝えられている話ですが、

実の所…こんな程度の交渉です。

しかもイスラエルの問題で、欧米の矛盾は明白になる有様…

 

戦争を無くすには先ず、

国連憲章第二条七項の

内政不干渉を再確認し、これを厳守しなければならない。

また、

1970年国連総会2625 友好関係原則宣言に於いては、

以下の様な形で成立しています。

 

「いかなる国又は国の集団も、理由のいかんを問わず、直接又は間接に他国の国内問題又は対外問題に干渉する権利を有しない。したがって、国の人格又はその政治的、経済的及び文化的要素に対する武力干渉その他すべての形態の介入又は威嚇の試みは、国際法に違反する。いかなる国も、他国の主権的権利の行使を自国に従属させ又は他国から何らかの利益を得る目的で他国を強制するために、経済的、政治的その他いかなる形の措置も使用してはならず、またその使用を奨励してはならない。また、いかなる国も、他国の政体の暴力的転覆に向けられる破壊活動、テロ活動又は武力行動を組織し、援助し、助長し、資金を与え、扇動し又は、黙認してはならず、また、他国の内戦に介入してはならない。人民からその民族的同一性を奪うための武力の行使は、人民の不可譲の権利及び不干渉の原則を侵害するものである。いずれの国も、他国によるいかなる形態の介入も受けずに、その政治的、経済的、社会的及び文化的体制を選択する不可譲の権利を有する。前記パラグラフのいかなる部分も、国際の平和及び安全の維持に関する憲章の関係規定に影響を及ぼすものと解釈してはならない。」

 

簡単にこれを説明するなら、

「自分は自分、他人は他人」

お互いに干渉せず、共存共栄で今は平和的に行きましょう。

という話です。

 

社会的な意味では、

例えば、

タバコのポイ捨てを見かけても、

直接的に捨てガラが自分に当たった様な被害がないうちは、

注意したり相手に不快な態度を取らずに、

そういう人が居るとして関わらないという事です。

 

下手な正義感で行動すれば、

善悪関係なく喧嘩に成るという事です。

一見見上げた正義感の様に見える話ですが、

戦争が起こる原因はこうした下手な正義感と一緒で、

相手に自分の価値観を押し付ける話でしかないのです。

タバコをポイ捨てする人とでは

既に価値観を共有できないのですから、

一般の人は喧嘩を避けて、

それに対処する人に任せましょうという話と同じなのです。

 

国の人権問題は

人権団体で対処することは確かに難しいです。

だからと言って香港問題同様に口を挟むことで、

人権問題以上に戦争と言う

極めつけの人権侵害を齎す話になるという事を理解して欲しいです。

ある意味、

タバコのポイ捨てを注意する人は、

その相手と喧嘩するつもりでやっている行為な訳です。

喧嘩には成らないだろうと思っても、

相手が悪ければ殺傷事件にも成ります。

ウクライナでの米国務長官ブリンケンの行為は、

正にそういう事態。

「戦争には成らないだろう…」

その安易な驕りが事態を招いたと言っておきます。

 

面倒くさいけど付け加えて言っておくと、

ここでいうウクライナの内政問題は関係ないわけで、

欧米がロシアや中国の人権問題に口を挟み、

結果としてNATOという軍事同盟拡大で圧迫しようと

試みた結果、ウクライナ情勢が犠牲と成って

戦争に発展したという話です。

 

先ず、人権問題の解決を考えるなら、

国連内で個々の人権問題を定義した枠組みを、

国連内で議論し国際法として制定する活動が必要と成ります。

 

ウイグル問題が本質的に難しいのは…

〈独立問題〉

スコットランドが簡単に独立出来ないように、

北アイルランドが簡単に独立出来ないように、

バルセロナで有名な

カタルーニャ地方が簡単に独立出来ないように、

ウイグルや台湾、香港が簡単に独立できる話は筋が通りません。

 

その上で過激な独立派の運動に対しては、

欧米諸国でも対処するのは当然の話です。

 

中国の手法が過剰なのかは別として、

過激な独立運動を抑止する対応は一概に批難できません。

ただし!!

国際的な基準を明確にし、

人種差別的な政治管理の禁止くらいは制定できます。

ところが…

中国政府は漢民族の政治管理ですら、

街頭の監視カメラで行っている有様なので、

ウイグルの人も同様に監視される状態は、

差別的ではなく国家治安上の公平な政策に成るわけです。

まあ…こんな中国に住みたくないと考えるのは自由ですが、

中国は中国なりの考えでそういう治安維持を行っているので、

タバコのポイ捨ての話同様に、

「自分は中国には住みたくないわ…」

で、終わらせるだけの話です。

それが良いのか悪いのかは、

中国に住む人が考え彼らが抵抗するか従うかを

決める話でしかないのです。

 

そういう意味で差別的な政策禁止が成立していれば、

ウイグルに限らず、チベットの人たちに対する

過剰な抑圧は国際社会の監視対象となり、

人権的な是正を勧告するぐらいは可能に成ります。

しかし、是正を勧告し

中国政府と上手く交渉して解決するステップまで議論が無いと、

欧米の腹の内が警戒され、

欧米が理由を付けて内政干渉のネタにするものと考えられ、

中国の拒否権行使で成立が難しくなるなる場合も有ります。

 

なので国連内の議論は科学的に話し合い、

銃等の殺傷兵器の原則使用禁止なども考慮して

話し合われるべきですが、

面白い話…

こちらはアメリカが拒否権を発動する内容になるという話です。

実は現代では寧ろ中国の方が殺傷兵器を使っていない。

 

また、ウイグル族の社会的扱いに関しては、

チベットでも問題視された中国化政策とも言うべき、

中国語教育の強制です。

強制と書くと悪い感じに見えますが、

実はこの教育は当然です!!

日本人が義務教育で日本語で授業を受けるのと同じです。

アイヌ人はアイヌ語で教育をという話ではありませんよね。

今ではそういう問題は日本ではすっかり薄れましたが、

アイヌ人が日本政府の管轄下で真っ当に生活するには、

共通語である日本語の教育は有益です。

チベットやウイグルの人たちも、

中国語圏の中国政府管轄下で生活するには、

中国は必須です。

なので強制という意味とは違う意味で理解できます。

これを逆に、チベット語の使用を禁止だとか、

ウイグル語の使用を禁止という話なら

別な意味で人権侵害で議論できます。

かと言って…アイヌ語が世代を重ねて薄れた様に、

中国語の有用性で若い世代が

中国語しか話せなくなる様にもなる点は否めませんが…

それは個々の世代が考える話で、

日本も同様に国際社会は

社会的に有意義な意思疎通を優先させる流れで

終始しているという事です。

アメリカのネイティヴ・アメリカンの殆どが

英語だけ話すのと同じなのですから。

反対に英語が通じないと…

可愛そうな話、社会的に不自由な思いをするというのも事実です。

 

本来、国際社会で議論されるべきレベルは

上記の様な内容を含めて対話されなければ成らないのですが、

程度が低すぎて…

お互いが勝手な道徳観で価値観を押し付け合う話に成って、

結局は戦争と言う結末に繋げる愚かな議論でしかない訳です。

 

とは言え、

程度の低い人間に、高尚な議論の話をしたところで、

馬に念仏…

正直、こんな言葉で締めくくっても

程度の低い人間の自尊心を傷つけ、

結局は意固地に成って戦争を拡散させるだけなのですが…

高学歴でも程度の低い議論しか出来ないのなら、

程度の低い結末で、

歴史の中で馬鹿にされて下さいと言うしかないのも事実です。

勿論、我々現代に生きる人間として

生活を犠牲にする結末も覚悟せねば成らないのですが、

結局は程度の低い人間を

大事な政治の舞台送り続けてしまう仕組み故に、

どうしようも成らないのも事実です。

 

かと言って・・・科学的な議論が出来る人間は

人類全体でも少数でしかないので、

本当に優秀な人間が独裁的に支配して正すしか、

是正するのも難しいようにも思えます。

もちろんそんな優秀な人間を

今度は人類全体が未知の知能ゆえに

その存在を恐れてしまう有様でも有るのです。

 

ノストラダムスなんて…今でも時折聞く話ですが・・・

世紀末の恐怖の大魔王の話って結局は何だたのだろう・・・

 

ただ…恐怖の大魔王の出現の前に、

マルスがその前後の世界を平和に統治する…

 

なんて言葉も有った様な。

ある意味。マルスと恐怖の大魔王が

同一という点での議論は無いんですよね。

ただ…人類の心理上、今回のブログの最後で書いたように、

同一という可能性で考えても面白いかも。

 

先ず、嘘を付く人間は人を疑って見る。

 

まあ、詐欺の話とかあるように

人を疑って見るのが悪いという話では無いのだけど…

賢いと勘違いしている人に限って、

嘘を上手く操ろうとするわけで、

人を疑って見るわけです。

 

ただ…本当に賢い人は利害で物を見ます。

なので嘘かどうかよりも、

利が大きいか、損が大きいかで判断します。

いわば投資的に言えば、リスクテイクかリスクオフか…

 

例えるなら学歴詐称など…

多くの人は学歴詐称などを気にする人が多いと思います。

嘘を付くなんて悪い奴だ!!

そういう感じで。

ただ学歴詐称してようがして無かろうが、

その人間の能力が有用であれば役に立つわけです。

なので人間を能力で見ようとする人は、

寧ろ学歴なんて飾りはどうでも良いのです。

 

しかし、人類の大半はその飾りでしかものを見れない。

 

恐怖の大魔王の話に戻すと、

マルスの意味で、

優秀な頭脳で世界に影響力を齎した人物が、

突如として悪物に仕立て上げられて、

魔王の様な存在に見られた。

ある意味、イーロン・マスクなんてそういう感じで、

イメージが良く変わりますよね。

またここ最近の日本だと、豊田章夫会長など。

 

これが世界を支配するほどの人物なら、

その悪いイメージに多くの人が恐れだすのではないでしょうか…

いわば世界を支配してどうするのか?

確かに…サル吉こと秀吉みたいに、

日本を支配して酒池肉林やりたい放題やったなんて例も有るから、

何とも言いようがないですが…

確かに権力が一人に集中すると感情的な要素で、

敵対する者への対処が雑に成る傾向は有ります。

殺せといえば殺せてしまう。

ただし…ここはその権力者の能力によりけりだが、

その抵抗が正当なものかどうかでも違うのは事実です。

 

折角秩序を齎した状態で、

その抵抗者がその秩序を正当な議論も無く乱そうとする。

実は正当な理由とするといくらでもこじつける事が出来ます。

議論とするのは、

その秩序で生じる社会的改善点を意味する部分です。

勿論、その場合は議論の余地が生じて

解決策を講じる流れが持てます。

それに対して議論する余地または解決に至らない話で、

一方的に抵抗を続ける場合も、議論は成立しません。

反対に逆の場合も有ります。

そういう意味で正当な理由はいくらでもこじつけられます。

 

日本人はただ単に敵視しているから、

ロシアの反政府活動家に好感を抱いているでしょうが、

正直な所、ロシア側目線で考えた際に、

彼らにはロシアの国策としての主張は

皆無に等しいのが特徴的です。

ウクライナ戦争反対を唱えるケースも有りますが、

ではそれ以外にロシア経済をどうするのか?

欧米からの支援を受ければ良い的な主張に成りますが…

ハッキリ言って後進国的な主張です。

逆に言えば…Made IN Rossiaに何が有るか?

先ず小麦、天然ガス、石油以外ほぼ何も無いわけで…

欧米からの支援でそれらを安売りするだけの話です。

 

現実的な見識は、期待値を計算して考えるのではなく、

現状を適切に分析して考えます。

 

プーチン大統領ほどロシアで権力を握った人であり、

ロシアに対する愛国心の強い人間の場合、

ロシアを弱体化させる主張を唱える反対派は、

雑に始末するのは目に見えています。

そこに現状敵側に成る欧米の息が掛った場合、

尚更という話です。

こうした姿勢でプーチン大統領が挑むと、

欧米、日本などを含む西側諸国は、

彼を魔王の様に見ます。

実際に魔王でも良いのですが、

それで

魔王を相手に寧ろ何をやろうとしているのか?

ゲームの様に魔王退治のRPG気取りですか?

という程度の話しかしてません。

 

それで魔王を相手に

「核兵器を使うな!!」

と呪文のように唱えているだけの有様な訳です。

 

まあ、魔王の事は、

魔王に聞いてみればいいという事なのですが…

 

燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや

 

本来そのまま言葉を吟味すれば

鴻鵠に志なんて有るわけが有りません。

単なる大きな鳥です。

大きな鳥は燕雀からすれば自分たちを捕食する天敵です。

この言葉をその本質で考えると、

まさに燕雀からして天敵にしか見えない大きな存在を、

常人は、その燕雀同様に

恐怖しか抱いて見ないという意味が

適切という話に成ります。

最近では鴻鵠にまるで志が有るかの様に解釈されますが、

鴻鵠の方に志があるという意味では無く、

常人が燕や雀の小鳥の様に、

大きな鳥を警戒して考えるだけで、

同じ人間として考えようとしない故に、

その本質に恐怖するのみという事です。

なので恐怖した燕と雀では魔王を見定めることなど、

到底無理という事です。

欧米の政治家がまるでこの状態です。

 

では、魔王から見てロシアの魔王はどう見えるのか…

魔王が人類の破滅を考えない限り、

核兵器は使わない!!

寧ろ燕と雀が何時までも恐怖に脅えて騒ぎ続ければ、

その駆除として核兵器を使う決断をするという事。

 

恐怖に脅えて身構える故に、人は武装する。

 

そういう臆病な連中に与える選択肢は…

 

武装せずに撃たれて死ぬ決断に踏み込むか、

武装したまま核の灰に紛れて死ぬか選択しろ!!

 

という事で、まあ後者の方が被害は甚大に成るだけという話。

ある意味、同じ死を覚悟するのなら、

核を安易に使う事を躊躇っている人間として、

公正明大な平和的な話を期待する方がいいのではないか?

と、いう事。

 

で…人を疑う人の愚かさは…

相手が嘘を付いて俺を殺したらどうする?

と、再び恐怖に陥るわけです。

 

そもそも死ぬ覚悟が無いのなら、

我(魔王)と共に核の灰に紛れて死ね!!

 

と、ボタンを押す決意をするだけです。

勿論…自分も死ぬ覚悟で…

まあ、プーチン大統領も年齢が年齢なので、

あえて生にしがみ付く様な姿勢は無いと思うので…

そこを履き違えると何を言っても核戦争になるかもですね。

どうも…ショーエイです。

久々の投稿となります。

色々と他の準備が忙しくて

中々ブログも「うつけの兵法」も

更新できなくて申し訳ありません。

 

さて…バイデンが選挙を断念したわけですが、

日本人の多くの人にとっては、

なぜカマラ・ハリスが

圧倒的なゲームチェンジャーに成らないのか

不思議に感じるところと思います。

 

人間的なイメージとしては、

ドナルド・トランプよりカマラ・ハリスの方が

圧倒的に良いはずなのに…

僕の個人的な印象としては上記同様です。

 

ただ・・・多くの日本人がそうだと思うのですが、

政治をイメージだけで期待しているから、

本質を見ようとしないのも事実です。

 

アメリカの大統領選挙であって

日本人には投票権がありません。

その上で結果を待たなければならないわけです。

結局のところ米国民がどう考えるか次第でもあります。

 

さて…ここで政治的な話で2人の候補者をまず見てみましょう。

 

国際社会の関心ごとは、

まずウクライナの戦争です。

更にはイスラエルの問題。

 

さて、イメージの話で伝えるなら、

ロシアのイメージは最悪です。

それゆえにロシア有利な状態で終わらせることは

許せないと考える人も多いでしょう。

そうしたイメージが先行して、

ウクライナ情勢が西側有利になるまで、

戦争を継続するという話になるわけです。

その間に発生するウクライナの人々に限らず、

ロシア側の犠牲者が山積み成っても知らんふりな訳ですよね。

まあロシア嫌いな人は

ロシア側の犠牲はどうでもいいと感じるでしょうが、

戦争が続く限りウクライナ側の犠牲は続きます。

 

ロシアが戦争を止めれば良いだけという主張も、

ロシアが止める気にならない状態では、

主張しているだけのものでしかないわけです。

 

そんな下らない論争で言うなれば、

元々NATOがウクライナの加盟をそそのかさなければ、

この戦争事態発生しなかっただけの話なのです。

まあ、そそのかしたかどうか…

こんな議論をするつもりも有りませんが、

ロシアを切れさせた根源は

NATOの怠慢にあると言っておきます。

 

では、誰が悪いかという議論にねじ曲がってしまう前に、

このウクライナ情勢に何を望んでいるのか

整理してみてください。

 

平和じゃないの?

それともウクライナで死体が山積みになっていく状況?

 

結局のところウクライナの状況を変えられずに、

死体を山積みにするだけの話を進めるのなら、

結果としてもロシアが矛を収める落としどころにも

成らないわけです。

 

現状、欧米や日本を含む西側諸国のやっていることであり、

その国民の多くの主張は、

ウクライナで死体をもっと山積みにして、

ロシアが降参するまで戦争しましょうという話な訳です。

平和ボケすぎる話なのは、

西側諸国が負けたくないと考えると同様に、

ロシアも負けれないと考えるから、

結果として火に油を注いでいる間抜けな話でしかないわけです。

 

さて…イメージ先行とは別に、

冷静に公正明大な視点で平和を考えると…

明らかに火に油を注ぐことしかできない現状を、

賢いと見れるかどうかなのです。

 

まずロシアに戦争を止めさせるという話は、

選択の主導権は結局はロシア側にあるわけです。

ウクライナに戦争を放棄させる話は、

支援打ち切りという選択肢で、

寧ろ西側に主導権のある話になります。

 

ロシアに選択の主導権を付与し続ける状態では、

ロシアがもう戦えないという状態まで

追い込まなければなりません。

現状ではかなり大変です。

太平洋戦争の終戦間際の話を思い出してください。

降伏するかどうかの最終的な主導権は日本にあったわけです。

同盟国のイタリアもドイツも既に降伏した状態にもかかわらず、

日本はしばらくの間戦い続けました。

日本人の根性が素晴らしいという話の前に、

結果として原爆が広島と長崎に落ちたわけです。

そこまでの経緯の話は別として、

双方が負けられないとした戦争では、

このような結末まで齎すのだと理解してください。

 

戦後勝てば平和になるという論理は、

人類が常に戦争を続けてきた愚かな論理です。

戦いで得た平和は常に戦いによって覆される。

これはロシアにも言える話で、。

戦いで得た領土は、再び戦いの火種となるわけです。

今はロシアが併合した領土でも、

何十年後かにウクライナが再び取り返しに来ると言えます。

 

こうした結末を考える状態で、

西側諸国の政治家の姿勢が賢いと思えるか?

 

話をアメリカ大統領選挙に戻します。

バイデン政権はある意味愚かな戦争を齎した…

そういう風に考える人も多いわけです。

どれだけメディアが擁護した報道をしても、

イスラエルの問題発生で、

アメリカの戦争と平和への主張が

矛盾した状態になったことは

拭いきれないわけです。

この怪しげな政権運営を

民主党のバイデン政権が主導していた事実が残るわけです。

そのバイデン政権の次期候補者がバイデンではなく、

カマラ・ハリスに変わったからと言って、

愚かな政権運営が変化するか?

結局、米国の有権者の人が感じる部分はそこになるわけです。

 

ある意味、トランプならバイデンより

目先の問題であるウクライナ情勢を解決できるのでは・・・

いわばウクライナ情勢を混沌とさせたのは、

民主党バイデン政権の失態とすることで、

その尻拭いをトランプがどう処理しようが、

情勢が解決に向かえば共和党主導の米国政府としては、

何の問題もないわけです。

 

米国民としてもウクライナの問題放置は

中国や北朝鮮、イランなどを巻き込んだ

戦禍の拡大が懸念されるわけで、

単に外国の問題とも考えないひとも多いです。

勿論、多いとしているのは、

アメリカも日本同様に

イメージが先行して好き嫌いで判断する人も居るからです。

 

ただし!!イメージ的な要素は

カマラ・ハリスの方が好印象に映ります。

しかし、見る人が見れば、

結局、カマラ・ハリスはその背後に居るペロシであり、

バイデン政権の中枢の傀儡に映るわけで、

結果として彼女では現状を打開する期待は持てないわけです。

トランプに対しては悪いイメージが付きまとうように、

政治的な公平さに欠けるところが残ります。

故にウクライナ情勢一つにしても、

現状から平和的な方向へ解決を導けるという

信頼が得られなければ

イメージとしてどうせ無理ならハリスの方がマシに成ります。

 

トランプがウクライナ支援を継続させ、

情勢変化を齎す兆しが見えない姿勢で選挙に挑むなら、

その他の傲慢な姿勢が仇となって、

寧ろ傀儡状態にあるカマラ・ハリスが大統領になった途端、

傀儡状態から抜け出して

何らかの変化を齎す可能性に期待をかける方が

マシという考えが先行するだろうというのが

今後の流れとなります。

 

第三の候補に関しては…

彼らの主張は何れも問題の解決に導けるだけの

内容ではないので本来期待すら持てません。

寧ろバイデンが候補から降りた時点で、

候補者に新たな期待を抱く感情のほとんどが、

カマラ・ハリスに持っていかれたと言えます。

ある意味、平和的社会の構築のためNATOを解体する、

または米国が脱退するという

突拍子もないような主張でもしない限り、

このまま第三の候補として埋もれるだけの流れと思えます。

 

【実は日本の民主主義は未だ12歳で止まったまま】

かつてマッカーサーが日本の民主主義は

12歳程度だと揶揄した話があります。

日本人はそれに憤りを感じたらしいが…

日本人全員がそうという訳ではないし、

アメリカであっても同じなわけですが、

前述の通りイメージが先行して、

どうしても好き嫌いで判断する傾向が高いという事です。

物事の本質を考えようとしない人が多いのも事実で、

上辺だけの噂で善悪を考える人が多すぎるのも事実です。

 

簡単にまとめると、

頭の悪い人は善悪で物事を見るわけで、

頭のいい人は利害で物事を見極めます。

大きな違いは、自分を害する行為に対して、

相手を悪として接すれば、対立しか生まないわけで、

害を主張して相手と交渉するならば

そこには対話での解決が開かれます。

勿論、相手が利害を知らず善悪で考える人間なら、

対話での解決は困難になりますが、

利害で話せるならお互いに解決の余地が存在するという事です。

 

政治家を見る際にも、こうした違いを見極めたいのですが、

最近の政治家はどうにも頭が悪く、

善悪で決めつけて

何が害となることで、

何をもって利とするかが判断すらできないのは残念です。

 

サイレント・マジョリティという言葉があります。

人間の種類をまず2つに分類すると、

人に従える人種と、

人に従えない人種がいます。

社会的な活動でも分類されますが、

ここでは精神的な分類です。

精神的な分類では何かを崇拝できる人と、

崇拝できない人という括りです。

いわば誰かを尊敬したり崇めたりすることができる人と、

言い方で言えば自分を持っている人のタイプです。

基本、誰かを崇拝できるタイプの人は、

人の意見を参考に生きていくタイプになります。

自分を持っている人は人の意見を参考にはするが、

あくまで判断は自分の見識でおこなうという意識があります。

 

前者のタイプは有名な偉い人の言葉を用いて、

そういう人が言っていたことを根拠に語るわけですが、

後者のタイプはその言葉の道理を考えて

自分なりの解釈で語ります。

 

前者のタイプは偉人としますが、偉人の言葉が絶対で、

論拠の話はよく理解しようとしません。

逆に後者のタイプは表面上偉人の言葉は尊重しますが、

ほぼほぼ論拠にそぐわないものは無視します。

 

サイレント・マジョリティは実は後者のタイプが多いです。

勿論、前者のタイプでもトラブル回避で語らない人も居ます。

ただ、人間の多くは自尊心を持つのが普通で、

自分を持つタイプが当たり前と考えるほうが良いです。

論理的な理解力は別として、

この自尊心を持つ人間が多いのが当たり前と考えましょう。

そうした中、誰かと議論するのは大変な労力がいります。

自分の主張を明確に言葉にするのも大変です。

僕も頑張って言いたいことを伝えてますが、

こうして伝えるのも常に色々と苦慮する部分が多いです。

なので色々と考える人ほど寧ろ議論せずに

自分の中で留めおく感じになります。

ましてや上辺だけの議論が主流の

SNS上で語るなんてのも面倒です。

 

こうした沈黙を決め込む人が居るため、

サイレント・マジョリティという言葉になります。

 

ただ・・・サイレント・マジョリティは

沈黙者たちが全て同じ方向を向いているかというと

そうでもありません。

政治家は時折、デモ活動に対して

サイレント・マジョリティという言葉を用いて対抗します。

ところが実際の一般大衆は、

寧ろ利害で考えるため、

自分に直接関係のない問題は考えない傾向もあるわけです。

いわば支持や不支持の姿勢ではないのです。

 

例えば日米安保の内容を確認して

公平さに欠ける内容で反対だとか、

日本を戦争に巻き込む内容だからという話も、

実際には直接我々の生活には関係ありません。

寧ろ米軍に守ってもらってるという感じが先行して、

 

「別に深く考えなくても

米国との同盟大事にしたほうが良いのでは」

 

と、考える人も多いと思います。

これを議論すると、色々知識ある方は

反対の話をいろいろ語ってしまうわけですが、

ある意味、興味のない人は興味を持ちません。

故に自分に関係ないから

そこまでむきになって考える必要もないで終わります。

これは当然ですが、サイレント・マジョリティとは

こういう実態でもあります。

 

米国の様に、これが人種問題であった場合…

黒人が警察に射殺されるたびに生じるわけです。

アメリカ人なら表立って興味ないとは先ず言えません。

ところが実際にどこまでが問題なのか

判断しきれないところもあります。

本当に射殺された側が無実なのか…

それとも何らかの理由があったのか・・・

裁判で明確に検証しない状態では

実は何とも言いようがないとも言えます。

勿論、射殺された側が完全に無実なら

許せないと言える人は多いですが、

事実が明らかにできない状態であり、

そこに実際に関わる話でないのなら、

寧ろ何とも言いようがありません。

でも、そういう本心を語っても

デモに参加する気持ちの人たちには伝わりそうにないから、

寧ろそういう人には同調する旨だけ伝えて、

関わらないように過ごすのが普通と言えます。

 

こうしてサイレント・マジョリティの話をすると、

結局人は善悪よりも利害の話をする方がいいという事も

理解できるかと思います。

 

人は生きていくためには人を殺してでも生き抜こうとする。

勿論、殺人や窃盗は悪です。

しかし、飢えに苦しんでそういう事をしてでも、

生きなければならないなら、何が悪いのか…

自分が死んででも善を全うするべきか?

そんな事が究極の状態で出来るのか?

善悪ではそういう考えで止まります。

 

これが利害で考えると、

殺人や窃盗が発生する状態は害です。

では、その害の根源は何か?

自分の利のために害を排除するのか?

ここまでは善悪の思考と同じです。

自分が考える害が、

少数なら排除しても問題ないかもしれないが、

多数なら自分が害と考える側は、自分を害とみなし、

寧ろ自分が淘汰される。

彼らはどのみち飢えて死ぬしかないのだから、

排除を試みる相手には容赦しないわけです。

 

利害で考えるとは相手にとって利のある話で、

害となる相手を害に成らないようにするという事です。

害の根源が飢えの発生する状態。

自分たちの治政がその害を齎すのなら、

そこを改善して害の根源を断つ努力をする。

その上で害とみなした行為が発生しないように、

上手く秩序を整えるのが結局は上策な訳です。

難しいようで実はそんなに難しくない話です。

 

国際社会においても、

ロシアと中国を害悪とみなして排除を試みるから、

相手も抵抗して戦争に至るわけです。

そうではなく双方が利害を語り合い、

お互いに秩序を考えて交渉すれば、

戦争なんて起こさずとも収拾がつく話という事です。

 

我々のサイドに

そういう事が解る政治家が居ないのは本当に残念です。

 

米国が懸念する

中国が技術をもって世界を凌駕する話も、

中国を制裁で食い止めようとしても、

中国の技術革新は食い止められないわけです。

寧ろ中国が少し進んだ分を米国が吸収して追いつけるように、

共存共栄して競争する方が、

相互依存の関係がより強まり、

中国が凌駕できる状態にも歯止めを効かせられると言えます。

かつてアメリカは日本に同じようなことを考えても、

日本の技術に歯止めがかからないどころか、

米国の企業を結果的に凌駕したわけです。

それから30年・・・日本の半導体技術を吸収しつつ、

新たなIT分野で日本企業を出遅らせた流れを考えれば、

制裁等を用いて中国が逆に独自の技術を隠してくるより、

オープンな形で勝負する方が、

後々逆転の糸口が見えやすくなるという話。

 

老害政治家はどうも次世代への信頼を持たないどころか、

寧ろ老害の狭量で次世代の機会を潰しているだけなのです。

勿論これは一部、習近平氏にも言えますが、

中国のゲーム市場に規制を掛けることは、

中国のその分野での拡大の機会を潰している話です。

中国文化を毀損する行為に気に留める話も、

中国国内の市場しか見えていない話で、

結局は世界市場で勝負すると考えた場合、

大きな足かせにしか成らないわけです。

 

自由な競争社会では、

ヨーロッパの会社が

日本文化主流のゲームを作ることもあるわけで、

その作品が良作なら日本人からも称賛されるわけです。

中国政府が中国国内の文化変革を恐れるならば、

所詮はその程度の国で止まるわけで、

最終的には自由な文化融合が叶うアメリカには

及ばないという話です。

寧ろ中国がもと文化の融合に寛容になったなら、

それこそ技術と市場は恐るべき状態になると考えますが、

その時は寧ろ中国社会が世界と切り離せない状態に陥り、

社会が世界市場を無視できない形に変化するだけです。

アメリカが現状そうであるように、

世界との利害を植え付けることこそが、

戦争という害を排除できる上策なのです。