どうも・・・ショーエイです。
ここのところ目の病気で治療中だったこともあって、
ブログの更新しようにもモニターの文字がみえないこともあって、
暫くお休み状態でした。
さて…10月
まあ、大統領選挙は前にも話したように
どうやら拮抗した感じになってますね。
カマラ・ハリスが支持を伸ばしきれないのは、
結局のところバイデン政権が足枷になっているからです。
とは、言え、
副大統領にしてもらった事であり、
大統領候補としてサポートしてもらっている件を考慮すれば、
恩を仇で返すような姿勢は、
さすがにアメリカでも人間性を疑われます。
なので彼女はバイデン陣営の傀儡候補という印象が
最終的に付きまとうわけです。
そういう意味で米国民の有権者は、
トランプが嫌いな人と現状からの変化を期待する層で、
分かれる形となっている状態です。
次に日本の総選挙ですが…
先ずはどうでもいい…そういう印象です。
なぜ「どうでもいい」のか・・・
どの政党を見ても
日本が劇的に変化できるような主張が全くないからです。
逆に言えば、とりあえず自民党以外でも同じな訳です。
そういう意味では今回は自民党の議席を
過半数以下にするチャンスという認識で
選挙を考えるべきかと…
今まではどの政党も頼りないから自民党で
という認識が多かったと思います。
ある意味日本人有権者の
政治を知らないところが問題なわけです。
結局のところそれで自民党を選んできた結果、
日本の政治は進化せず、
世界から取り残されてきたわけです。
寧ろ自民党も含めて
どの政党も頼りないなら、
政権交代をガンガンと引き起こさせ、
本当に優秀な政治家が登場しやすいように、
有権者は投票をコントロールするべきなのです。
自民党にしても立憲民主党にしても、
その他政党にしても、
結局は其々の党幹部が仕切っている状態で、
新しい力は下で埋もれてしまうだけが現状です。
政権交代を繰り返すことで、
いわば新しい力を活用した政党が
票を伸ばしやすい状態に
日本国民が導かなければならないというのが
日本の政治に大事なことだと理解するべきです。
とは言うものの…
その新しい力もあまり期待できないのが現状で、
まあ、最終的には「どうでもいい」に陥りますけど…
先週、たまたま地元の日本維新の会の候補者と、
直接話す機会があったので、
少し話をしました。
コロナ時に山中教授が大阪の吉村知事に
「政治を科学的に」という要望を伝えました。
そこで今現在日本維新の会が
どう変化したかを探ってみたのですが、
全く科学的な政治は浸透してない様子だったわけです。
「政治を科学的に…」
どうやら日本人の教育レベルでは
全く理解できない領域の様です。
どれだけ読解力があっても。
多分、理解できないのだと思います。
科学の基本は実験と検証であることくらいは
だれも知っていると思います。
だから政治も試して失敗したら修正してを
繰り返すなんて発想をするのです。
根本的にこの時点で全く違うわけです。
確かに山中教授も自分の常識の範疇で、
ザックリと伝えたから、
その本質を理解してもらうまでには
至らなかったのも事実ですが、
科学的にとはとても複雑なのです。
科学においてアイデアでり発見は
あくまでまだ「仮説」の状態です。
政治で言うなれば「公約」「政策主張」は、
いわば「仮説」と同じなのです。
政治ではこの仮説を、
議会の評決で施行するか否かを決める訳ですが、
所詮は仮説のものでしかないわけです。
今、丁度アニメで「チ。」という
地動説がいかに認められるまで
大変だったかの話を題材にしたものがやっていますが、
いわば仮説状態のものを科学的な検証なしに
民意や評決で決めることは、
天動説が信じられていた話と
同じ社会を引き起こす事になるという事です。
これは日本に限らずどこの国でも同じなわけです。
政治的な検証という部分では
一応は専門家への公聴会を設けます。
なので政治家の間抜けどもは
科学的な要素は十分にあると主張するでしょうが、
所がこの公聴会は異端審問と同じで、
政策=仮説としますが、
政権の仮説に肯定的な主張は取り入れて、
否定的な意見は参考までにきくというレベルなのです。
安倍政権時代に日米安保改正の時、
集団的自衛権の憲法解釈の公聴会を思い出します。
実際には海外派兵を含む
集団的自衛官の憲法解釈だったのですが、
憲法学者のほとんどは「違憲」判断をしたのに、
一部の学者が「合憲」としたから問題なしとしたわけです。
いわば政治上に於ける公聴会は
科学的な検証を目的としたものではなく、
仮説を定説と錯覚させるための審問会でしかないわkです。
科学的には定説になっていない理論には、
必ず多くの反証も存在します。
現代科学はそうした反証の中から、
仮説を見直す部分を分析して、
見直すべきところを修正しつつ
自身の仮説をそのまま押し通すのではなく、
新たな仮説として再構築していくのです。
勿論、政治は外交上の都合など、
時間を掛けられないところで決断を迫られます。
科学は立証できるまで根気よく議論できるが、
政治ではそうは言ってられない。
そういう部分で憂慮しなければならないのも事実ですが、
それゆえに相当優秀な人間でないと
間違いばかりを引き起こすわけです。
バイデン政権には学歴的には優秀な人間がいるが、
知能指数が著しく低いため、
各地で戦争を引き起こす状態になった訳です。
先ず、知能指数が高かったら、
ウクライナの戦争は起きませんでした。
イスラエルのパレスティナへの入植行為を
徹底的に阻止できていれば、
ハマスが起こしたテロも発生しなかった。
いわば今のガザ侵攻も未然に防げたわけです。
そういう意味で科学的に政治を分析すると、
民主制に於いての国民感情が
現状冷戦時代に類似した状態になりつつある現状では、
世界が再び西側と東側で
分断される状態が進行する流れになるわけです。
民主制の政治では
政権を維持するには大衆迎合することが得策で、
本来西側政治家の失策に値する行為によって発生した
敵国創出意識を友好的な形に変化させることは困難になる。
いわば大衆がロシアや中国を敵国と認識する状態で、
民主制の政治家が友好的な政策を唱えることは、
大衆から好感されないと「錯覚」することになります。
「錯覚」としているのは、
本当に優秀な政治家なら
この錯覚を上手に転換することができるからです。
これが出来たなら世紀の英雄とも呼べるクラスと言っておきます。
政治家の中でこの超難題に挑めるなら
挑んで貰いたいとだけ伝えておきます。
結果=解答は、中露も含めてグローバル社会が
再び友好的な関係で機能する状態。
まあ、現状超難題ですよね。
とは言え、
民主制の政治家には中々大衆の感情に反した行動はとれない。
確かにトランプはそういう意味では何でもやれるわけだが、
本当に信念を持って世界をよくする方向で4年間頑張るか、
それとも世界を支配するつもりで大統領に就くかで、
彼の歴史的評価は変わるでしょう。
まあ、後者なら今度は確実に殺処分になるだろうけど…
米国憲法を軽んじる行動は米国憲法を愛しそれを守る人々を、
本当に敵に回すことになるので、
それがどこに潜むのか理解しておく方がいいと言っておきます。
反対にハリスでは、この大衆感情のプレッシャーと、
バイデン政権の失策の穴埋めに努める度胸は無いと感じています。
逆にそこに反して行動できれば、
史上初の女性大統領という評価以上の伝説を手に入れられる。
大統領に成りたいだけなのか、
それとも大統領として何を為したいのか、
どちらの候補にせよ
自分が未来永劫存在し続ける価値は、
歴史に如何に名を刻めるかであることを理解してほしいです。
日本の政治家の場合は程度が低すぎて何とも言えないが、
日本がNATOの様な軍事同盟を構築しても、
歴史的な価値は何もないことを知るべき。
これも恐らくは現状の大衆感情に反する話ですが、
日本が国として国際社会をリードできるのは、
戦争ができる国ではなく、まずは戦争をしない国なのです。
むしろ平和ボケしたアホでも演じるように、
「皆、仲良くWINWINで」
とういう姿勢を貫くくらいの度胸があれば、
それこそ伝説級で歴史に痕跡を残せると言っておきます。
伝説的に歴史に名を刻むには、
他が考えもつかないことをしなけrば成らないわけで、
これは科学でも同じなのです。
ここを貫き通すには、
多くの反論に屈しないだけの根拠を示せるヴィジョンと、
歴史上に良い形で名を刻むという信念が大事なのです。
そういえば日本人の読解力不足という
話の記事を読みましたが…
こんな例えがあったけど…
Alexは人名である。女性はAlexandaraで、男性はAlexanderの略称で使われている。
という文章で、引っかけ無しの問題という事で、
Alexandaraは( )である。
①Alex
②女性
③男性
④人間
と( )の中を答えろという問題。
まあ、単純に文章の流れから答えは①と成るわけですが、
実は②でも④でも正解なんでよね。
読解力の話では①以外を答えた人が多かったという事で
問題視していたが、
そもそもこの読解力の問題自体が読解力ない話ですよね。
問題が「Alexandraは( )とも呼ばれる。」ならば、
答えは①限定でも成立しますが、
「( )である」とした場合、
文章の表現上では答えは複数当てはまります。
それを差し置いて回答が一択しかないのは、
寧ろ問題の出し手の表現力不足という事になる。
実は日本人の問題は読解力もそうだが
表現力も不足しているのです。
先ず、表現力不足は自分の表現に一択の解釈しか与えていないこと。
日本人でもある程度優秀な人なら、
自分の表現に誤解が生じることがある点は気にします。
ただ、そういう事に気づかない人が多いのも事実で、
間違った捉え方をした人を
読解力不足と言っているだけでもあります。
自分の視点と他人の視点では、
言葉の意味が違って見える。
更には本音と建て前など、
表面上の言葉の裏に隠された部分も存在します。
実は知能指数が高ければ高いほど、
様々な要素を考慮してしまい
多重な解釈が頭を過るのです。
むしろ正解一択で読解力を求める人は、
頭が悪い人といってもいいです。
SNSの議論では、この頭の悪い人同士が議論すると、
お互いの言葉がお互いで噛み合わなくなり、
意味不明な方向に話が進むだけの問題なのです。
まあ、逆に誤解内容に丁寧に説明すると、
文章は自然と長くなりますよね。
それに対して説明長いと反論してくるケースもあるわけで、
読解力の話以前の問題とも言えます。
実は世界全体の話として
SNSで気を付けておくことは、
SNSで発言している人の心理は、
自分が発信したい人で、
誰かの話を聞きたい人ではないという事です。
なので反論してもほとんど意見を聞きません。
読解力の話ではなく、
自分の主張以外に興味のない人たちです。
まあ、そういえば
ブログでこうして愚痴ってる当人も同じになるわけですが、
基本的には同じです。
ただ違う所は反論の中に正確な情報を求めているところで、
正確な情報に対しては紳士的に聞き入れます。
まあ、難しい話ですが、
例えば法律上の話で、
「弁護士さんがXXXXと言っていた」
これは無視します。
逆に、
「民法XX条にXXXという内容で文章が書かれてます。」
こういう内容なら検証して改めて解釈を見直せるわけです。
うつけの兵法などの歴史の話だと、
「XXXという書物にはXXXという内容で書かれてます」
というものの場合、その資料がいつの時代に書かれたものか、
資料として何次資料扱いなのかで検証はしますが、
二次資料以内の扱いでないなら
ほぼ無視に成ります。
寧ろ、二次資料以内の扱いで、
「信長の手紙にXXXという内容の文章が出てます」
というものなら、有難く参考にします。
勿論、検証したうえで8割がた修正必要な場合は修正、
5割がた修正が必要ない場合、
物語=いわばフィクション的な定義
として仮説の形で残すわけです。
勿論、反論に対して科学的に対応するわけですが、
SNSとしては難しい話に成らないので、
相手の話を無視しているのと同じ扱いで取られるのは
仕方のないことです。
とはいえ、小説の書き手にしても
SNSにしてもエゴの塊であるわけで、
発信したい人が発信しているので、
むしろそうした人間同士がぶつかって
議論しているだけのところなのです。
なので建設的な議論を求めている方が無意味なのです。
ただ大衆がその無意味な議論を楽しむ以上、
政治や社会に対して明確な答えを目にすることは
叶わないと言っておきます。
「チ。」というアニメの天動説が信じられた社会。
彼らは神の存在への回答を探し続けた。
今、現代では理想の社会を人々は求め続ける。
結局のところ、地動説を阻んだ教会同様に、
寧ろ当時の教会が
今でいう最大のインフルーエンサーだとするなら、
現代社会では政治家、マスメディア、
そしてその他インフルエンサー全てがそれに値する。
自由な議論の下で様々な意見が交わされているのは、
実は今も昔も変わらないわけだが、
教会に反抗するものを異端者と呼んでいたのと同様に、
民主制以外の社会を異端とする状況は全く変わらない。
既に多くの人々は、
民主制以外の国家を信用するなんてと感じるだろうと思います。
その時点で昔の教会と同じ現象が成立しているのです。
では、ロシアとは言わず、
イスラエルは現状民主制の国家として
誇るべき国と言えるのか?
民主制でなく王政であるサウジアラビアは
どう扱うべきなのか?
単に戦略的な意味で曖昧な表現を用いている状態を
読み解けていない事が読解力の無さと言える話で、
一般人のみに限った話ではないのです。
キリストが伝えた「隣人を愛せ」
ここには自分と異なる価値観も
尊重せよという哲学も含まれているわけで、
キリスト教徒であるはずの欧米の人々が、
全く理解できていなのは残念な話というしかありません。