米大統領選の行方…なぜトランプとハリスは互角なの? | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

久々の投稿となります。

色々と他の準備が忙しくて

中々ブログも「うつけの兵法」も

更新できなくて申し訳ありません。

 

さて…バイデンが選挙を断念したわけですが、

日本人の多くの人にとっては、

なぜカマラ・ハリスが

圧倒的なゲームチェンジャーに成らないのか

不思議に感じるところと思います。

 

人間的なイメージとしては、

ドナルド・トランプよりカマラ・ハリスの方が

圧倒的に良いはずなのに…

僕の個人的な印象としては上記同様です。

 

ただ・・・多くの日本人がそうだと思うのですが、

政治をイメージだけで期待しているから、

本質を見ようとしないのも事実です。

 

アメリカの大統領選挙であって

日本人には投票権がありません。

その上で結果を待たなければならないわけです。

結局のところ米国民がどう考えるか次第でもあります。

 

さて…ここで政治的な話で2人の候補者をまず見てみましょう。

 

国際社会の関心ごとは、

まずウクライナの戦争です。

更にはイスラエルの問題。

 

さて、イメージの話で伝えるなら、

ロシアのイメージは最悪です。

それゆえにロシア有利な状態で終わらせることは

許せないと考える人も多いでしょう。

そうしたイメージが先行して、

ウクライナ情勢が西側有利になるまで、

戦争を継続するという話になるわけです。

その間に発生するウクライナの人々に限らず、

ロシア側の犠牲者が山積み成っても知らんふりな訳ですよね。

まあロシア嫌いな人は

ロシア側の犠牲はどうでもいいと感じるでしょうが、

戦争が続く限りウクライナ側の犠牲は続きます。

 

ロシアが戦争を止めれば良いだけという主張も、

ロシアが止める気にならない状態では、

主張しているだけのものでしかないわけです。

 

そんな下らない論争で言うなれば、

元々NATOがウクライナの加盟をそそのかさなければ、

この戦争事態発生しなかっただけの話なのです。

まあ、そそのかしたかどうか…

こんな議論をするつもりも有りませんが、

ロシアを切れさせた根源は

NATOの怠慢にあると言っておきます。

 

では、誰が悪いかという議論にねじ曲がってしまう前に、

このウクライナ情勢に何を望んでいるのか

整理してみてください。

 

平和じゃないの?

それともウクライナで死体が山積みになっていく状況?

 

結局のところウクライナの状況を変えられずに、

死体を山積みにするだけの話を進めるのなら、

結果としてもロシアが矛を収める落としどころにも

成らないわけです。

 

現状、欧米や日本を含む西側諸国のやっていることであり、

その国民の多くの主張は、

ウクライナで死体をもっと山積みにして、

ロシアが降参するまで戦争しましょうという話な訳です。

平和ボケすぎる話なのは、

西側諸国が負けたくないと考えると同様に、

ロシアも負けれないと考えるから、

結果として火に油を注いでいる間抜けな話でしかないわけです。

 

さて…イメージ先行とは別に、

冷静に公正明大な視点で平和を考えると…

明らかに火に油を注ぐことしかできない現状を、

賢いと見れるかどうかなのです。

 

まずロシアに戦争を止めさせるという話は、

選択の主導権は結局はロシア側にあるわけです。

ウクライナに戦争を放棄させる話は、

支援打ち切りという選択肢で、

寧ろ西側に主導権のある話になります。

 

ロシアに選択の主導権を付与し続ける状態では、

ロシアがもう戦えないという状態まで

追い込まなければなりません。

現状ではかなり大変です。

太平洋戦争の終戦間際の話を思い出してください。

降伏するかどうかの最終的な主導権は日本にあったわけです。

同盟国のイタリアもドイツも既に降伏した状態にもかかわらず、

日本はしばらくの間戦い続けました。

日本人の根性が素晴らしいという話の前に、

結果として原爆が広島と長崎に落ちたわけです。

そこまでの経緯の話は別として、

双方が負けられないとした戦争では、

このような結末まで齎すのだと理解してください。

 

戦後勝てば平和になるという論理は、

人類が常に戦争を続けてきた愚かな論理です。

戦いで得た平和は常に戦いによって覆される。

これはロシアにも言える話で、。

戦いで得た領土は、再び戦いの火種となるわけです。

今はロシアが併合した領土でも、

何十年後かにウクライナが再び取り返しに来ると言えます。

 

こうした結末を考える状態で、

西側諸国の政治家の姿勢が賢いと思えるか?

 

話をアメリカ大統領選挙に戻します。

バイデン政権はある意味愚かな戦争を齎した…

そういう風に考える人も多いわけです。

どれだけメディアが擁護した報道をしても、

イスラエルの問題発生で、

アメリカの戦争と平和への主張が

矛盾した状態になったことは

拭いきれないわけです。

この怪しげな政権運営を

民主党のバイデン政権が主導していた事実が残るわけです。

そのバイデン政権の次期候補者がバイデンではなく、

カマラ・ハリスに変わったからと言って、

愚かな政権運営が変化するか?

結局、米国の有権者の人が感じる部分はそこになるわけです。

 

ある意味、トランプならバイデンより

目先の問題であるウクライナ情勢を解決できるのでは・・・

いわばウクライナ情勢を混沌とさせたのは、

民主党バイデン政権の失態とすることで、

その尻拭いをトランプがどう処理しようが、

情勢が解決に向かえば共和党主導の米国政府としては、

何の問題もないわけです。

 

米国民としてもウクライナの問題放置は

中国や北朝鮮、イランなどを巻き込んだ

戦禍の拡大が懸念されるわけで、

単に外国の問題とも考えないひとも多いです。

勿論、多いとしているのは、

アメリカも日本同様に

イメージが先行して好き嫌いで判断する人も居るからです。

 

ただし!!イメージ的な要素は

カマラ・ハリスの方が好印象に映ります。

しかし、見る人が見れば、

結局、カマラ・ハリスはその背後に居るペロシであり、

バイデン政権の中枢の傀儡に映るわけで、

結果として彼女では現状を打開する期待は持てないわけです。

トランプに対しては悪いイメージが付きまとうように、

政治的な公平さに欠けるところが残ります。

故にウクライナ情勢一つにしても、

現状から平和的な方向へ解決を導けるという

信頼が得られなければ

イメージとしてどうせ無理ならハリスの方がマシに成ります。

 

トランプがウクライナ支援を継続させ、

情勢変化を齎す兆しが見えない姿勢で選挙に挑むなら、

その他の傲慢な姿勢が仇となって、

寧ろ傀儡状態にあるカマラ・ハリスが大統領になった途端、

傀儡状態から抜け出して

何らかの変化を齎す可能性に期待をかける方が

マシという考えが先行するだろうというのが

今後の流れとなります。

 

第三の候補に関しては…

彼らの主張は何れも問題の解決に導けるだけの

内容ではないので本来期待すら持てません。

寧ろバイデンが候補から降りた時点で、

候補者に新たな期待を抱く感情のほとんどが、

カマラ・ハリスに持っていかれたと言えます。

ある意味、平和的社会の構築のためNATOを解体する、

または米国が脱退するという

突拍子もないような主張でもしない限り、

このまま第三の候補として埋もれるだけの流れと思えます。

 

【実は日本の民主主義は未だ12歳で止まったまま】

かつてマッカーサーが日本の民主主義は

12歳程度だと揶揄した話があります。

日本人はそれに憤りを感じたらしいが…

日本人全員がそうという訳ではないし、

アメリカであっても同じなわけですが、

前述の通りイメージが先行して、

どうしても好き嫌いで判断する傾向が高いという事です。

物事の本質を考えようとしない人が多いのも事実で、

上辺だけの噂で善悪を考える人が多すぎるのも事実です。

 

簡単にまとめると、

頭の悪い人は善悪で物事を見るわけで、

頭のいい人は利害で物事を見極めます。

大きな違いは、自分を害する行為に対して、

相手を悪として接すれば、対立しか生まないわけで、

害を主張して相手と交渉するならば

そこには対話での解決が開かれます。

勿論、相手が利害を知らず善悪で考える人間なら、

対話での解決は困難になりますが、

利害で話せるならお互いに解決の余地が存在するという事です。

 

政治家を見る際にも、こうした違いを見極めたいのですが、

最近の政治家はどうにも頭が悪く、

善悪で決めつけて

何が害となることで、

何をもって利とするかが判断すらできないのは残念です。

 

サイレント・マジョリティという言葉があります。

人間の種類をまず2つに分類すると、

人に従える人種と、

人に従えない人種がいます。

社会的な活動でも分類されますが、

ここでは精神的な分類です。

精神的な分類では何かを崇拝できる人と、

崇拝できない人という括りです。

いわば誰かを尊敬したり崇めたりすることができる人と、

言い方で言えば自分を持っている人のタイプです。

基本、誰かを崇拝できるタイプの人は、

人の意見を参考に生きていくタイプになります。

自分を持っている人は人の意見を参考にはするが、

あくまで判断は自分の見識でおこなうという意識があります。

 

前者のタイプは有名な偉い人の言葉を用いて、

そういう人が言っていたことを根拠に語るわけですが、

後者のタイプはその言葉の道理を考えて

自分なりの解釈で語ります。

 

前者のタイプは偉人としますが、偉人の言葉が絶対で、

論拠の話はよく理解しようとしません。

逆に後者のタイプは表面上偉人の言葉は尊重しますが、

ほぼほぼ論拠にそぐわないものは無視します。

 

サイレント・マジョリティは実は後者のタイプが多いです。

勿論、前者のタイプでもトラブル回避で語らない人も居ます。

ただ、人間の多くは自尊心を持つのが普通で、

自分を持つタイプが当たり前と考えるほうが良いです。

論理的な理解力は別として、

この自尊心を持つ人間が多いのが当たり前と考えましょう。

そうした中、誰かと議論するのは大変な労力がいります。

自分の主張を明確に言葉にするのも大変です。

僕も頑張って言いたいことを伝えてますが、

こうして伝えるのも常に色々と苦慮する部分が多いです。

なので色々と考える人ほど寧ろ議論せずに

自分の中で留めおく感じになります。

ましてや上辺だけの議論が主流の

SNS上で語るなんてのも面倒です。

 

こうした沈黙を決め込む人が居るため、

サイレント・マジョリティという言葉になります。

 

ただ・・・サイレント・マジョリティは

沈黙者たちが全て同じ方向を向いているかというと

そうでもありません。

政治家は時折、デモ活動に対して

サイレント・マジョリティという言葉を用いて対抗します。

ところが実際の一般大衆は、

寧ろ利害で考えるため、

自分に直接関係のない問題は考えない傾向もあるわけです。

いわば支持や不支持の姿勢ではないのです。

 

例えば日米安保の内容を確認して

公平さに欠ける内容で反対だとか、

日本を戦争に巻き込む内容だからという話も、

実際には直接我々の生活には関係ありません。

寧ろ米軍に守ってもらってるという感じが先行して、

 

「別に深く考えなくても

米国との同盟大事にしたほうが良いのでは」

 

と、考える人も多いと思います。

これを議論すると、色々知識ある方は

反対の話をいろいろ語ってしまうわけですが、

ある意味、興味のない人は興味を持ちません。

故に自分に関係ないから

そこまでむきになって考える必要もないで終わります。

これは当然ですが、サイレント・マジョリティとは

こういう実態でもあります。

 

米国の様に、これが人種問題であった場合…

黒人が警察に射殺されるたびに生じるわけです。

アメリカ人なら表立って興味ないとは先ず言えません。

ところが実際にどこまでが問題なのか

判断しきれないところもあります。

本当に射殺された側が無実なのか…

それとも何らかの理由があったのか・・・

裁判で明確に検証しない状態では

実は何とも言いようがないとも言えます。

勿論、射殺された側が完全に無実なら

許せないと言える人は多いですが、

事実が明らかにできない状態であり、

そこに実際に関わる話でないのなら、

寧ろ何とも言いようがありません。

でも、そういう本心を語っても

デモに参加する気持ちの人たちには伝わりそうにないから、

寧ろそういう人には同調する旨だけ伝えて、

関わらないように過ごすのが普通と言えます。

 

こうしてサイレント・マジョリティの話をすると、

結局人は善悪よりも利害の話をする方がいいという事も

理解できるかと思います。

 

人は生きていくためには人を殺してでも生き抜こうとする。

勿論、殺人や窃盗は悪です。

しかし、飢えに苦しんでそういう事をしてでも、

生きなければならないなら、何が悪いのか…

自分が死んででも善を全うするべきか?

そんな事が究極の状態で出来るのか?

善悪ではそういう考えで止まります。

 

これが利害で考えると、

殺人や窃盗が発生する状態は害です。

では、その害の根源は何か?

自分の利のために害を排除するのか?

ここまでは善悪の思考と同じです。

自分が考える害が、

少数なら排除しても問題ないかもしれないが、

多数なら自分が害と考える側は、自分を害とみなし、

寧ろ自分が淘汰される。

彼らはどのみち飢えて死ぬしかないのだから、

排除を試みる相手には容赦しないわけです。

 

利害で考えるとは相手にとって利のある話で、

害となる相手を害に成らないようにするという事です。

害の根源が飢えの発生する状態。

自分たちの治政がその害を齎すのなら、

そこを改善して害の根源を断つ努力をする。

その上で害とみなした行為が発生しないように、

上手く秩序を整えるのが結局は上策な訳です。

難しいようで実はそんなに難しくない話です。

 

国際社会においても、

ロシアと中国を害悪とみなして排除を試みるから、

相手も抵抗して戦争に至るわけです。

そうではなく双方が利害を語り合い、

お互いに秩序を考えて交渉すれば、

戦争なんて起こさずとも収拾がつく話という事です。

 

我々のサイドに

そういう事が解る政治家が居ないのは本当に残念です。

 

米国が懸念する

中国が技術をもって世界を凌駕する話も、

中国を制裁で食い止めようとしても、

中国の技術革新は食い止められないわけです。

寧ろ中国が少し進んだ分を米国が吸収して追いつけるように、

共存共栄して競争する方が、

相互依存の関係がより強まり、

中国が凌駕できる状態にも歯止めを効かせられると言えます。

かつてアメリカは日本に同じようなことを考えても、

日本の技術に歯止めがかからないどころか、

米国の企業を結果的に凌駕したわけです。

それから30年・・・日本の半導体技術を吸収しつつ、

新たなIT分野で日本企業を出遅らせた流れを考えれば、

制裁等を用いて中国が逆に独自の技術を隠してくるより、

オープンな形で勝負する方が、

後々逆転の糸口が見えやすくなるという話。

 

老害政治家はどうも次世代への信頼を持たないどころか、

寧ろ老害の狭量で次世代の機会を潰しているだけなのです。

勿論これは一部、習近平氏にも言えますが、

中国のゲーム市場に規制を掛けることは、

中国のその分野での拡大の機会を潰している話です。

中国文化を毀損する行為に気に留める話も、

中国国内の市場しか見えていない話で、

結局は世界市場で勝負すると考えた場合、

大きな足かせにしか成らないわけです。

 

自由な競争社会では、

ヨーロッパの会社が

日本文化主流のゲームを作ることもあるわけで、

その作品が良作なら日本人からも称賛されるわけです。

中国政府が中国国内の文化変革を恐れるならば、

所詮はその程度の国で止まるわけで、

最終的には自由な文化融合が叶うアメリカには

及ばないという話です。

寧ろ中国がもと文化の融合に寛容になったなら、

それこそ技術と市場は恐るべき状態になると考えますが、

その時は寧ろ中国社会が世界と切り離せない状態に陥り、

社会が世界市場を無視できない形に変化するだけです。

アメリカが現状そうであるように、

世界との利害を植え付けることこそが、

戦争という害を排除できる上策なのです。