ショーエイのアタックまんがーワン -28ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

ちょっと、Twitterぽく端的に色々言ってみます。

 

【AI、IoT、BoTが進化して…】

AI、IoT、BoT(ロボット)が進化すると、

人間は労働しなくても食べて行ける時代が来る。

ある意味、それってAiに飼われている感じじゃないのかな…

そう考えると…飼い猫って良いご身分だよね。

食事も、玩具も寝るところも全て揃ってる。

既に猫はネズミを捕まえる労働から解放されて

悠々自適な生活を送っている訳だが…

 

さてさて、これが世界に再び

資本主義と社会主義の対立を生む切っ掛けに成るとは、

おそらく今の人には想像が付かない事だろう。

 

ハッキリ言って色々書いてたけど…

何かの手違いで全部消えたので、

面倒に成って割愛しました。

 

人間猫生活は社会主義的な考えに成ると、

とりあえず言っておきます。

もう一方で、Ai、IoT、BoTを活用した、

資本主義的な社会が生まれる訳ですが…

どういう社会なのか想像してみて下さい。

 

AIに飼われる社会が良いのか、

それとも人間としてAIを管理する社会が良いのか、

どちらも利便性では変わらないのですが、

社会主義では万民みな平等になり、

資本主義では資本力=個性という社会性で

対立することに成ります。

 

何れにせよ冷戦時代の様な思想的な対立を

生じさせる現象が起こるのですが…

最終的に勝つのは資本主義に成ってしまうというのも、

皮肉な話です。

 

AIと人間の頭脳の違いを見失う時代が

そういう対立を引き起こすのかも知れません。

戦争に発展しなければ良い度ですが…

AIの能力を信じ切った社会主義側が、

戦争の引き金を引くことも考えられます。

因みにこの猫化社会主義は

日本が目指す将来に成る事も考えられます。

どうも…ショーエイです。

もうすぐ参院選に成るわけですが、

正直、日本国民に期待する事事態無駄なのかなと思ってます。

 

日本の危機感を感じている人が少なすぎる感があって、

無知がマジョリティを得ているのが残念な事です。

まあ、そういう状況故に衰退する現状を打開できないのでしょう。

 

自民党であり彼らと蜜月な官僚上級職連中は

有能な人が多いと物事と騙しきれなくなるので、

国民が無知であることが望ましいのでしょう。

 

報道する側まで無知な訳で、

彼らは表面上良い人だから、

多少(多少では既に無いのだが…)の誤魔化しは目をつぶって、

贔屓している側に媚びる感じです。

まあ、彼らからすれば優先的に情報を貰えることが、

自分達の評価に成るのですが…

それは無能な人が読む為の記事ゆえに、

その程度の情報で十分な事も事実です。

 

実際に有能な人からすれば

殆ど日本の報道で書かれている記事は

無意味な情報でしか無く、

北方領土問題同様に、

世界が何も動かない話でしか無いわけです。

 

アホ首相がG20で何をした…

何もしていないのを、

いわば頑張ったかのように書いている記事に

何の価値が有るのでしょうか?

 

寧ろ、米中首脳会談だけの話が重要で、

海外の記事でそれらの話を検証した方が、

よっぽど情報としては役立つ話です。

 

では…アホ以外に間抜けしかいないから・・・

野党が頼りないから…

まあ、色々言ってますが・・・

真剣に事の重要性を理解するなら、

アホ程度に余計な力を与えて良いのか?

という事をまず考えましょう。

 

参院選で頼りない野党が勝ったとしても、

実際にアホが首相を辞めるわけではない。

先ず、そう考えて、

横暴でいい加減な姿勢のこの政府に

日本国民が楔を打つつもりで、

参議院選では自民党を敬遠する位の

強かさを持って欲しいです。

 

日本の政治にもっと緊張感を持たせる意味で、

参議院選は自民党を敬遠するべきなのです。

自民党が強すぎるから、

官僚たちも忖度に走る。

今の彼らの仕事は、

とにかくl国税で賄う予算をどれだけ引っ張って来るか

という政治家に対する営業でしか無く、

国民の生活や事情を考慮した政策運営は二の次です。

 

逆に捻じれが生じれば、

自民党が彼らの落ち度を庇いきれなくなる状態が生じて、

彼らもいい加減な仕事は出来なくなるという感じです。

 

議決が混乱して政治が動かなくなるという問題よりも、

官僚が横柄でいい加減な仕事をして遊んでられる状態に

成っている事の方がもっと大きな問題として考えるべきです。

こうした国税を費やしている状態に

もっと緊張感を与えた仕事をさせる意味で、

今回の参議院選を考えるべきなのです。

 

とは言え、こういう話を理解する人も少なければ、

こうした大事なポイントが伝わっていく事も難しいか。

出来れば多くの人にこの点を拡散して欲しいのですが…

 

日本国民はココで真面に立ち上がらねば、

アメリカの様に活力を復活させることは難しくなる。

日本に圧倒された90年代のアメリカから、

今のアメリカに復活したように、

日本もかつての真の技術大国時代を復活させるべきです。

 

その為には先ず日本人一人一人が、

何が社会に大事なのかを考えるべきです。

大きな力をアホ一点に集中させることでは無く、

政治的な力を分散して、

民間の意思が表面に出やすくなるようにするべきなのです。

 

いわば政治一点に力が強まれば、

民間の主張を無視しても、

そこに民主的な緊張感は必要なく感じるわけで、

逆に、政治的な力が捻じれによって分散すると、

選挙を意識した緊張感から、

民間の主張をもっと大事に考えざるを得ない状態に成ります。

 

因みに民間の主張を大事に考えると何が起こるか…

まあ、最低でも電気代は今より安く出来ると思います。

主婦の皆さん…電気代ですよ電気代…

安くしてほしいですよね。

だって原油価格…震災時の半値以下ですよ!!半値以下!!

どうも…ショーエイです。

別段、韓国を助けるつもりも有りませんが、

アホを助けるつもりも有りません。

 

日韓貿易戦争…まあ、仮で言われている状態ですが、

日本が韓国に対するホワイト国撤回を決めた更に後の政策を用いなければ、

日本は自分で自国民の首を絞めていくことに成ります。

 

ハッキリ言って具体的にどんな手を打っておかなければ成らないのかは、

当方は既に分かっている事なのですが、

アホに何かを言っても、

アホが消えない限りどの道この国は腐るので、

何も言いません。

 

アホは且つての日本の優位性を勘違いして強気に出たわけですが、

無策で大軍を以て敵に攻め入る様な事をやってるにすぎません。

 

アホが段々と今川義元に見えてきた…

 

今川義元の桶狭間での失態は、

大軍におごって部隊間隔を広げた事に有ります。

 

前線と自分との距離を開いて、

ゆっくりと合流して行こうとした隙を、

実は信長たまに狙われた訳です。

 

雨が降ったのがラッキーだった出来ごとでは無く、

今川義元が奢った事がラッキーだったと言えるのが実態です。

 

窮鼠猫を噛むとは、

窮地に陥った側が打開策を一生懸命に考えて、

僅かな隙をも逃せないという集中力で挑んできます。

そういう意味では、

アホがこの手を用いても無策故に自滅するという事です。

 

オッサン先生なら…

後顧の憂いを断ち、

機を逸せず攻勢を仕掛ける

という事です。

のほほーんと相手が怯むのを待つことは

先ずしません。

 

どうも…ショーエイです。

ライダイハン問題…

いわばベトナムと韓国でも慰安婦問題が発生しているようですが…

日本人はこれを知って…

「韓国もやってるじゃ無いか…」

なんて事言ってそうですが、

それならさっさと日韓の慰安婦問題を認めちゃいなさい。

という事です。

 

前々から説明した通り、

認めても「既に賠償は解決済み案件」

という事で日本が賠償する必要性は有りません。

ただし、事実として発生しうる事件で有った事は

認識すべきです。

 

これは戦争の恐ろしさを適切に理解する上でも大事です。

 

何時の時代で有っても、

軍機というモノは存在し、

軍律によって統御されるようにしている訳ですが、

戦争には勝たなくては成らない訳です。

軍は兵士に常に死線を跨ぐ状態を強要している訳で、

そうした兵士の心理状態を緩和するのに、

息抜きなる行為が黙認される事もあった訳です。

 

軍律は統合上に存在するモノで、

作戦指揮官の采配によっては

ある程度の軍律は黙殺されるという状態は当たり前だったと言えます。

作戦指揮官は作戦上の目標を確実に成し得る事が、

軍律の統制より優先される事項に成る為、

兵士の士気高揚であり、

不用意な士気の低下は避ける必要性が生じます。

 

戦争とは関係のない一般社会でも、

会社のノルマ優先で考える思考が先行し、

社規や労働基準法を無視した行為をするケースも多々あります。

 

戦争ではこれらと同じことで

軍律は守られない状態に成るのは

当然と言えます。

 

日本が「安婦問題など絶対に発生しない」と

明言するのなら、

先ず、日本の労働基準法を破るような企業は

日本には存在しないという位の根拠が必要です。

 

いわば体裁上、軍律では禁止している記録が存在しても、

100%それが機能するという事は先ず有り得ない。

そして黙認やら、

日本政府の特有の忖度などの

腐敗しやすい気質を鑑みれば、

ディスオーダー状態で発生する事は明確です。

逆にこれが無いという潔癖な主張には無理が有ります。

 

同様に、韓国のライダイハンも

戦争に行けば起こりうることなので、

一概に嘲笑う事は出来ません。

ただし、被害に会った方々には敬意を改めて払い、

まず、戦争をすれば発生する事だという点を認めて、

戦争問題として賠償していないのなら賠償する事を望みます。

 

それが成立して初めて日本に対して

慰安婦問題を歴史的事実として認めるように要求する事が

正当化されるわけで、

日本と同じように認める度量が無いのなら、

日本政府と一緒に世界のさらし者に成ってください。

 

日本人からすれば、

太平洋戦争の失態は、

東條ら当時の腐った政府が、

腐った戦争で腐った負け方をしただけなので、

腐った敗北者がどの様な腐った恥をさらしたかは

どうでもいい事です。

 

寧ろ、奴らは日本の腐った汚物という位の認識で、

日本人からしても戦犯者扱いすべきです。

私からすれば近代史の日本の英雄は、

戦後日本を経済的に戦えるようにした、

TOYOTA、HONDA、SONY、PANASONICなどを

支えてきた企業でありそこで戦った人たちです。

 

逆に太平洋戦争で犠牲に成った方々は、

戦争に巻き込まれた被害者です。

その被害者と加害者が

同じ場所で祀られている現状は

人権問題を全く理解できていない

日本の象徴とも言うべき汚点でも有ります。

 

因みに日韓経済戦争の様な様相を齎したアホ政権。

他国の動向をちゃんと見極めているのでしょうか?

シェア率100%で無いという事は、

他国の企業にそのシェア率を奪われる切っ掛けを作る意味も持ち、

結果、日本の優位性を更に失う事にも成りかねません。

そういう事を掌握した上で行動する知能を

日本の行政及び政府は持ち合わせていないので、

心配です。

どうも…ショーエイです。

今日はサッカーの話ですが、

コパ・アメリカの日本の試合、相変わらずですが、

久保建英という若くていい素材が見れたのは良かったです。

中島翔哉選手は、確かに中田や中村俊介、

香川に本田というレベルに成れると思いますが、

それ以上を目指すにはルイス・スアレス並の

チャンスに対する冷徹さが欲しい所です。

 

とりあえず本題の久保建英選手ですが、

メッシには成れません。

というより、ほぼどの国の選手も

メッシには成れないというのが実態です。

 

一般的にはメッシの様なテクニックを身に付ければ、

メッシに成れると勘違いしてるのも事実です。

テクニックで言えば正直ネイマールであり、

クリスティアーノ・ロナウドの方が豊富と言っても良いです。

 

メッシに成るにはドリブル・マニアである必要性があり、

DFに潰されても挑戦し続ける執念と、

勿論、それを許容する環境が必要です。

無論、そこには絶対的なボールコントールという裏付けもあって、

初めてそのチャレンジ精神を許容してもらえるわけですが、

とにかくドリブルする事に執着する位の根性と執念が要ります。

 

ドリブルコースを生み出すには、

ヴィジョンとイメージが必要です。

ある意味、一対一では得られないヴィジョンとイメージで、

DF同士が困惑するポイントであり、

ドリブルコースが開きやすくなる状況を、

瞬間的に察知しなければ成りません。

そのヴィジョンを得るには

DFに潰されて何故潰されたか、

そしてその潰された時に別の選択肢は無かったか、

とにかくドリブル突破する事に

自己研究し、克服するために

必要な技術を生み出す必要性がある訳です。

 

まあ、天才と呼ばれる人はこういう執念で

常に鍛錬を積む訳ですが、

そこには潰されても良いという環境が無くては、

失敗する経験を得られないという事も言えます。

 

特に失敗を恐れる日本人の気質であり、

失敗を許さない日本の環境は、

そういうチャレンジを絶対に許容してくれません。

比較的日本に限らずの話でも有りますが、

優秀な指導者の下でなら、

実は目的がはっきりしている失敗は、

その向上心が見られれば許容して貰えます。

 

大事なのは本人の意識で、

ドリブルをして

「失敗しました済みません」

と謝れば、

「二度とチャレンジするな!!」

と怒られます。

逆に、

「あの場面でもっと早めに切り返しておくべきでした・・・」

などの失敗した理由を把握し、

自分なりに対策を見出しているのなら、

そのチャレンジは無駄ではないという事がハッキリするので、

「次は上手くやれ」

という感じに出来ます。

勿論、これはその指導者の資質によるところですが、

とにかく「ダメでしたスイマセン」は絶対に禁句です。

 

もう一つは、どれか必ず自分を認めてもらえる

ヴィジョンを持っている事です。

メッシの場合、

https://www.youtube.com/watch?v=lGX4rNC747E

この映像で解るように、

マラドーナの5人抜きのイメージを、

若いころに既に会得していた事です。

故に彼のドリブルに対する執着に多くの人が期待感を抱いたわけです。

同じようにそれを持ち合わせ、

そしてそれを実際にやる場面の判断と、

その実効性が備われば…という話ですが、

それだけの度胸と勝負強さは技術とはまた異なった資質なので、

これを持ち合わせているか否かはその本人次第です。

 

久保建英選手のプレイを見る限り、

どこか遠慮がちな雰囲気がまだ見られるのと、

日本での環境故の事でも有るのでしょう。

チリ戦の終盤で見せた様なプレイ、

あの臭覚で常に挑む度胸と勇気が無ければ、

決してメッシには届かないと言えます。

 

ただし、マラドーナを目指すことは有る意味可能です。

 

???

マラドーナとメッシの違い?

まあ、普通はその違いを知らないと思いますが、

マラドーナは人を使う上手さに長けています。

人を使うとはただ単にアシストやスルーパスで

得点を演出するだけの意味では有りません。

味方の動きを用いて自分が入り込むヴィジョンを生み出すという意味です。

単純にはワンツーパスで如何に自分がフリー

又は有利な状況でパスを返してもらえるかがポイントです。

そしてそのバラエティ溢れる攻撃パターンから、

ドリブルコースが開きやすく成る状況、

又はフリーな見方が発生しやすく成る状況を、

瞬間的に察知して構成する能力で

相手のDFを翻弄するわけです。

 

ここで大事なポイントは…

味方にどういう動きをしてくれと

自分のイメージに合わせて要求しない事です。

味方のその瞬間の状況を活かすヴィジョンのみが大事で、

味方に要求するのは

「俺の位置を見ろ!!」

という事です。

 

因みにマラドーナが監督やった時のアルゼンチンで、

メッシに同じヴィジョンを求めて、

周りにメッシを見る様に指導してたわけですが、

マラドーナの「俺を見ろ!!」は

自分のフリーな動きが相手を翻弄できるからという

ヴィジョンで有った訳で、

メッシの場合の「俺を見ろ!!」に成ると、

常にドリブル突破するポイントに合わせろと成ってしまい、

メッシ以外の選手がそのディフェンスを

逆に翻弄できる動きに成らなかったのも事実です。

 

メッシがバルサでやる場合だと、

ある意味味方がメッシのドリブルでディフェンスがどう惹き付けられ、

どのポイントが空きやすくなるかを把握した上で、

メッシのサポートが機能する感じに成っている訳ですが、

メッシのドリブルのヴィジョンを共有していないと、

逆に見方も同様に翻弄されるため、

効果的に機能しないのも事実です。

因みにメッシ選手事態は自分のドリブルで、

ディフェンスがどういう風に自分に向くかを把握はしてるのですが、

味方がその隙を察しないと、

そのディフェンスが他を警戒せずに自分に向いてくるだけなので、

相手DFに突破かパスの警戒で動きを躊躇させる

「動きが鈍る」状態を生み出せないで困っているのも事実です。

相手DFの戸惑いが一瞬の隙を与えるわけで、

その隙が出来なければ如何にメッシといえども、

囲まれてしまえばその勢いを失うわけです。

 

まあ、久保建英選手にある種の期待を描くわけですが、

マラドーナの凄さを先ずよく理解して、

メッシとの違い、

そしてペレ選手との違いを研究して、

環境や自身の性格を見極めた上で、

自分が成れるのはどれかを

「己を知る」事に努めてもらいたいです。

 

色んなプレイスタイルを研究している

オッサン先生に言わせれば…

ペレ選手は…

ある意味野生だそうです。

一瞬の隙を生み出して、

その一瞬の隙を巧みに突く。

まあ、マラドーナが上杉謙信の様な軍略家的な感じなら、

ペレ選手は剣術の達人的な感じかな。

いわばマラドーナは自分の軍略の下で、

自分の動きで相手を圧倒する感じに対して、

逆にペレ選手はどの軍略家の下でも、

常に自分の仕事をこなす感じの違いは有るのかも知れません。

故に3度のW杯を手にすることが出来た。

 

メッシ選手もペレ選手に近いのですが、

メッシ選手は関羽に近く、

ペレ選手は子龍ちゃんに近い違い。

関羽は自らの力で敵陣を抉じ開けようとするが、

子龍ちゃんは隙無くば動かず、隙を生み出せばそこを逃さない。

そんなレベルの違いでしか表現しようが無いそうです。

 

まあ、これをサッカーの技術的に説明すると

メッシ選手は常に自分のドリブルで

相手DF の動きを翻弄するのに対して、

ペレ選手は相手のDFを先に動かして

そこで生まれた隙を的確に突くという違いかな…

 

テクニックを用いて相手のバランスを崩しに行く

メッシ選手の動きに対して、

狩りをするライオンの様に、

獲物の一瞬の気のゆるみを突いて

一気にそれを仕留めに行くのがペレ選手。

故に野生なんだそうです。

 

因みに敵にして怖いのは

この野生の臭覚で、

剣豪で言う無形の構え極めるような話だとか…

無論、マラドーナの様な自分で突撃してくる軍略家も怖い訳で、

その両者を備え持つ選手だと誰も止められなくなるらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

ニュータイプと聞けば

殆どの人がガンダムの話で知っていると思います。

でも想像されるのはエスパー的な能力で、

言葉の趣旨が齎す本来の意味合いで有り、

初期ガンダムに込められた「伝えたい事」自体は

ほぼこの言葉から連想されていないのではと思います。

 

先ずはWIKIにあるニュータイプの項目。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュータイプ

 

設定上、失敗だとか何だかと書いてありますが、

NHKのインタビューで原作者の富野氏は

「先入観や自分の尺度・概念で人や物事を見ない」

と言っています。

これは既にIQの話で説明した内容で、

IQ150の壁とした

「結論を急がない」だったかな?

ここの部分が境界線と成る感じの意味に類似します。

 

いわばIQ150を越えれば誰でもニュータイプに成れるという事です。

https://ameblo.jp/eicoln/entry-12460162237.html

https://ameblo.jp/eicoln/entry-12461333571.html

気に成るなら上記2つの内容をご確認ください。

 

では、生物学的な見解で

「ニュー」と「オールド」の分類を説明します。

ガンダムの作品中でも出てくるこの表現ですが…

実際には「優勢種」と「劣勢種」に分類され、

多分原作者は意図して用いたとしても、

コメントで答えると失礼な言い方に成るので…

ある意味今の時代なら大荒れする様な言い方に成ってしまうので、

細かい論理を心の内に閉じ込めていた配慮を感じます。

 

では、「優勢種」と「劣勢種」の話です。

基本細胞レベルの話で簡単に説明すると、

「異物は排除する」と言うのが

細胞レベルでの基本的な反応です。

 

通常「劣勢種」と成るのは、

同じ条件でのみ同じ反応をするため、

新しい環境に対応した反応が出来ない。

故に異物に侵食されて衰退してしまう。

 

「優勢種」の場合は

異物に対する適応力を備え、

上手く共存するまたは耐性を備える様に

進化する能力を持ちます。

場合によっては強い耐性で

異物を排除するケースも有りますが、

異物を排除する目的での

攻撃的な意味での進化では無く、

あくまでその耐性の進化が

異物を排除してしまう形に成ったとい感じです。

 

無論、優勢種の場合は、

味方となる異物と敵となる異物に対応し、

耐性を持つ事で、

味方に成る異物と共存して、

敵となる異物が増殖しない様にするといった感じが

主かも知れません。

 

ある意味、ガン細胞との戦いのレベルで言えば、

例えば抗生物質の侵入でガン細胞の増殖を抑えるのに対して、

同じようにそれを「異物」と認識してしまう「劣勢種」は、

環境の変化に対応しきれず負けてしまい、

それによって体に副作用を生じさせるといった感じです。

 

医療の世界ではこの「劣勢種」を

「優勢種」に変化させる方法を模索したり、

「劣勢種」に害のない方法で

ガン細胞を攻撃するモノを探したりと

色々な研究が行われている訳です。

 

この細胞レベルの反応をそのまま人間に当てはめると、

外来種…いわば日本人からすれば外国人に当たる意味ですが、

これに適応できない人は「劣勢種」と同じに成るわけです。

これは更に田舎へ行けば「地元」以外の人は

すべて「外来種」という反応をするのと同じで、

如何に適応力が無いのかを良く認識してもらいたいです。

※こういう表現で💢ときたら、この後の内容から、

アラを探し出してみて下さい。(挑発してみた)

 

日本国内の話で考えても、

都会に住めば必ず地元以外の人間と接触する為、

国内の「外来種」扱いをしなく成ります。

アメリカ(USA)だとこれが様々な人種と成り、

日本以上に「外来種」を見る感覚が無くなってきます。

 

無論、ガン細胞の様なタイプ…

ある意味「犯罪者」も混じる訳ですが、

外来種に適応できると、

その人の行動が「犯罪」に当たるか否かを判断できる

適応力が備わっていると言えます。

 

こうした人間社会に「政治」という抗生物質が投入される事で、

「犯罪」と「罰則」、そして「裁判」と「行政処分」という方法が介入して、

普通に暮らす意味での環境が守られます。

故事にある「政治は国を相手にする医学」という意味も、

中々納得の行く話です。

 

そうした中、人間社会には現代ではSNSなどの

IT技術が新たな抗生物質として投入された訳です。

これにより人間同士という観念での

「外来種」という認識が薄まる状態に成ってきている訳です。

こうした環境に上手く適応し、

正確に何が「害悪」かを見極められる人は

本来「優勢種」となるわけです。

 

逆に未だ「外国人」を「外来種」扱いする人は、

本来、環境の適応に乗り遅れた「劣勢種」と成ります。

保守的な発想はどちらかと言えばこの「劣勢種」であり、

ある意味「劣勢種」同士が睨み合うと、

同じ人間なのに「敵」または「害悪」という主張で、

まあ、「攻撃し合う」=「戦争する」という発想に成っていく訳です。

人間が人間同士で排除して行こうという発想、

どう考えても「劣勢種」という扱いで、

これが体の中で起こっていたら「病気」に成っちゃいます。

 

無論、「劣勢種」の発想は

相手が「劣勢種」だとどちらかが亡びる…

という論理に陥るわけですが、

国連の様な国際機関という抗生物質も存在し、

そうした繋がりを上手く活用して

人間とういう概念で更なる「健康的な体制」を

模索していくべきなのではという話です。

 

ある意味、政治家はそういう意味での医者でなくては成らず、

「劣勢種」の発想のままでいる様なら、

ヤブ医者よりたち悪い訳で政治を扱うのではなく

普通の人として暮らすだけにしてほしいという事です。

 

人間社会を考える上では、

「劣勢種」も「優勢種」も関係なく、

普通に権利を守られるのが当然です。

「地元LOVE」な人もそれはそれで大事な事です。

でも、大きな規模の社会に自分がどこまで適応できているか、

適切に認識する位は自覚して欲しいです。

実際に多くの人はそういう「自覚」を持つことで、

小さな田舎に居ながらも

「優勢種」=「社会に適応している」人と成っています。

 

逆にその適応力を備えず

権力欲というウィルスに侵されて、

社会に害悪を齎そうとする人間こそ、

排斥していかなくては成りません。

民主制という抗生物質が有るのだから、

より社会が「優勢種」に成るための抵抗力を備え、

民主制が引き起こす「害悪の副作用」に

備えなければ成らないのです。

 

ニュータイプ=特別な人 ×

ニュータイプ=社会変化に適応できる人 〇

 

という概念で伝えるべきで、

オールドタイプ=「劣勢種」は

細胞レベルと同じ程度の反応ゆえに、

如何に愚かしい状態かという事なだけです。

 

実際、ガンダムはとても素晴らしい構想を

作品に盛り込んでいます。

日本人はガンプラばかりに気を取られて、

作中の構想と人間の腐敗の歴史を読み解いていないのは残念です。

 

地球連邦軍という発想も、

本来、国連で目指すべきものであり、

そうした中で更に何故戦争が始まるのか…

 

そこで葛藤する「オールドタイプ」と「ニュータイプ」の存在。

まあ、「逆襲のシャア」までの作品で語られる内容までが、

その流れですが…

最後のシャアの様に、「オールドタイプ」の排斥という発想か、

アムロが守ろうとした共存か…

そういう流れまで考えてもう一度作品を見て貰ったら面白いかもです。

 

「逆襲のシャア」まで見ると、

女性の観点からは

「シャアがキモイ」という感じに見えるそうです。

まあ、「ララア」とか「ナナイ」とか言い始めて、

マザコンぽい感じに見えてしまうのでしょうね。

ただ、もしかしたらそれが原作者の意図で、

シャアの様に「オールドタイプ」と「ニュータイプ」という

新たな分類を敢えて用いて、

一方を排斥する考えが「英雄視」されない様に、

考えられていたのかも知れません。

※原作者がどういう意図だったかは知らないので

そういう結論で話さず、自分の意見を述べているだけです。

 

ただ、シャアがそういう性格に至るまでの流れは、

今放送中の「The Origin」で良い感じに

表現されていると思います。

 

まあウチの魔仙妃ちゃんに言わせれば…

男の子ってどうしても

ああいうのに憧れちゃううんだよね…

母親を慕う感じに成っちゃうんだよね。

 

するとオッサン先生が…

現代社会では女が強すぎて、

そういう心配は無いんじゃないのかな…

むしろ母親に恐怖する感じで、

それでマザコンに走る奴は、相当なマゾだな。

 

という事らしいです。

 

 

 

どうも…ショーエイです。

保守だとかナショナリストの言動を見ていると、

議論する事すらバカバカしいと思い始めました。

 

先ず、何故バカバカしいのか。

結局、彼らの思考が止まっている所は

既に通り越した部分でしかないので…

 

保守的な考えやナショナリズム的な考えで

国益を語る事は簡単です。

ただし、自国が保守で相手も保守に成ると

相性が悪く、結局は戦争へと考えが進む現象に発展します。

 

いわば、身構えて敵愾心むき出しの相手と対面して、

同じように身構えたら、

まあ、「ワレーやんのか、このやろー!!」

と、猫の縄張り争いに成るのが目に見えているからです。

それを見越して

「備えあれば憂いなし」

と言いたいように防衛しようという発想な訳です。

 

時節の流れを読み解き、

その流れをリードすることこそ大事です。

時節は国から惑星全体を考える方向に流れています。

集団的自衛権もかつての同盟という概念から、

国際的な良識に反する場合、

惑星全体で叩き潰す。

そういう発想です。

例え中国が横暴に軍事活動をしたとしても、

その行為が惑星の秩序を乱すと判断されれば、

中国は惑星全体を敵に回すことに成る訳です。

 

こうした秩序を世界全体で考えて行こうというのが、

今の時節の流れです。

 

もう一つは、米国の軍事力を相手に戦争をしても、

大損害を被るだけで何の利益も齎さない。

それは中国でもそう考え、

無論、ロシアもそう考えます。

逆に米国も辛勝するかもしれないが、

自国の軍隊に大きな被害が出る点を考慮して、

逆に中国、ロシアとの戦闘は躊躇します。

 

そういう流れで北朝鮮を相手に見た時、

金正恩が本気で自殺を考えない限り、

そんな戦争を望むことはないとも言えます。

 

油断して囲みを解けとは言わないが、

米軍の抑止力は十分に効力を発揮していると

理解しましょう。

 

時節の流れは態々戦争して

自滅する道を歩む発想はバカバカしいという流れです。

ただし、米軍の抑止効果を見極めきっていない人間が、

相手の警戒心を逆なですると、

窮鼠状態に陥り、決死の覚悟で噛みつく事も起こります。

その噛みつく手段として核兵器保有を考えるのは、

当然の成り行です。

 

保守やナショナリストは国を第一に考えるがゆえに、

「俺の言う事を聞け!!」

という姿勢で挑みすぎる。

 

考え方の対局を簡単に分ければ、

保守、ナショナリストは

「力あるモノが全てを制する」

「一番は一番であって、他はその下に序列する」

まあ、こういう深層心理故に、

独裁的な傾向を用います。

アメリカは民主国家で有っても、

アメリカの国としての力は独裁的です。

その独裁的な力を独裁的に活用すれば、

ほぼ反感を招きます。

まあ、日本の様に力に媚びる事に慣れた様な国は別ですが…

ただ、その力に媚びる姿勢の腹黒さは、

常に隙あらば取って代わるという、

まあ、謀反人としての素養が感じられるのも事実です。

 

今の安倍はトランプに媚び諂っているが、

トランプが選挙に勝てずに力を無くすと、

安倍はトランプを確実に裏切ります。

 

日本人の目線ではこれを裏切りとは見ないだろうし、

国益の為の処世術として当然のものと考えるでしょう。

しかし、そんな裏切り者で良いのか?

裏切ったところで日本がアメリカに取って代わる要素は無く、

他に鞍替えして媚び諂うだけ。

ゴマすりの無能な人という評価しかない様な外交です。

まあ、外資の優秀な会社なら

リストラの対象にされる様な人材を日本人は

処世術で生き残る術だと称賛している様なモノです。

 

ハッキリ言ってこれで良いとする人間と、

これ以上何を論じる事が有るのでしょうか?

まあ、僕やオッサン先生が人事権を握っていたら、

即クビにします。(オッサン先生なら刎ねるかも…)

 

【保守やナショナリストは了見が狭い】

先ず人間の環境から考えて見ます。

人間はその個人が有り、そして家族が有ります。

そして友人が存在し、集落(地域)、街(都市)、

そして広域市(都道府県)、地方、国と広がっていきます。

その先には、大陸的な地域(EUやNAの様な)が有り

そして惑星(地球)と更に広がっていきます。

日本の戦国時代では、広域市ごとに領土を争っていました。

そういう中で色々な策略が貼り巡りながらも、

最終的には武力による統一で国が一つに成ります。

戦国時代にいがみ合っていた

広域市(尾張や美濃といったレベル)同士も、

武力統一とは言え、同じ組織に組み込まれる事で、

同じ価値観を共有していくわけです。

そして国が一つに成ると、

同じ日本国という名の下で価値観が共有されます。

価値観が共有される

現在の世界では、実は武力統一という点では

第二次大戦で連合国の勝利によって決着が着いたと考え、

その後、国連の確立が徐々に進められて、

グローバル化の交易によって

世界全体で価値観が共有されつつある、

または共有された時代に成っている訳です。

 

日本国内であっても、地元愛なるものが存在し、

無論、家族愛であり、友情なども存在し、

其々の価値観は認められます。

そうした中、グローバル的には惑星愛という観念が

既に浸透し、その広さで全体を考える状態にもなっています。

その広さで物事を考える人間と、

自分の事しか考えない人間では、

先ず了見の大きさが異なるのは当然です。

その大きさが国という単位で有っても、

惑星全体を見る了見とでは考え方に大きな差が出るのも当然です。

人間の考え方が大きく成れば成るほど、

様々な主張を許容していく必要性があり、

独裁的な個人ルールでは全く通用しなくなるのが当然です。

其々の考えを尊重して折り合いの付くポイントで、

議論するのが最善の道で、

一方的な価値観を強要すれば

もう一方は大きな反発を覚える。

例えば「死刑制度」

一方では人間が人に罰として死を宣告するのは、

人道的では無く、また冤罪を誤って裁くなど

能力的に踏み込むべきではない、とする主張と、

死刑という抑止力を以て法で統治するがゆえに、

人間は犯罪を躊躇する事が出来る。

という主張。

特に、宗教的価値観の違いも生じる事で、l

キリスト教の価値観をイスラム教に押し付けるなど、

相手が屈辱に感じる事はすべきでは無いという事も考えなくてはなりません。

故に、キリスト教思想が多い地域ではその民主的な判断で解決すべきで、

イスラム教の多い地域では彼らの考えを尊重する。

その上で双方の交わる事柄…

キリスト教思想の人間が、イスラム教国で犯罪を犯した場合、

双方がどういう協定の下でその裁きを適応するのが、

双方にとってフェアであるかを導き出さねばならないのです。

 

これが国という概念のみで止まってしまうと、

日本国民は日本の法律で裁き、

日本国で犯した犯罪は日本の法律で裁く。

という日本人だけの考えが当然の様に優先されて、

治外法権化を主張し始めます。、

こうなると国と国の力関係がターゲットに成ってしまい、

弱い奴は強い奴に逆らえないのなら

強い方に成ろうという意識が働き、

最終的には覇権争いという症状が生じます。

まあ、最悪な場合戦争…

米中貿易戦争なんてそんな感じかな…

 

こういう状況に成る事が想定できる話故に、

彼らをアホと言っているのです。

ある意味その発想で常に覇権を争う環境では、

常に下からの脅威に怯えて、圧力を用い、

力を無くせば奪われる。

そういうサークルを繰り返すだけです。

逆に、全ての国が対等に成る様に整備して、

話し合いによる尊重と妥協点を模索するようにすれば、

最終的には民主的な解決で無駄な紛争は避けられる。

無論、そこには日本国憲法にもあるマイノリティの保護なども付与すれば

絶対的な敗者はほぼ避けられる訳です。

 

既に解決方法がこの世に存在し、

解決する手段も見えている状況で、

何故態々これを崩す様な馬鹿が存在してしまうのか…

まあ、ハッキリと馬鹿とかアホと言ってしまう方がマシなわけで、

そんな状況故に議論する必要性すら感じないとも言えます。

先ず、もっと了見を広く持つ様に。

無論、彼らが唱える「備えあれば憂いなし」も、

アホと馬鹿が対峙すればそういう準備が必要になるだけの事なので、

だったらアホと馬鹿を排除してしまう方が、

人類にとって損害が少なくなるという究極の結論へ結びつくだけです。

アホと馬鹿相手に戦争しても構わない。

まあ、その際は同士打ちするのを眺めているだけの話に成るだろうけど…

 

オッサン先生はこれを「曹操の地獄」と呼んでいるようで、

曹操は漢を乗っ取り(禅譲させたのは曹丕だけど…)、

司馬懿の子孫に乗っ取られ、

そして中華は幾度となく革命と侵略される歴史を繰り返した・・・

その根底には力あるモノが全てを制するという、

個人が抱ける野望が残存した故に、

人々の心に不要な欲望を与え続けた…

まあ、こんな感じ…

正直、こんなドリームは金もうけだけにしてくれよ…ってな結論。

 

アホだとか馬鹿というレベルがまだマシな方だという事を、

次回のニュータイプ理論で語ります。

まあ、ガンダムのニュータイプの意味がベースなのですが、

エスパー的な意味では無く、

寧ろ、進化論的な科学要素から、

現実世界で言えるニュータイプとは何かを説明します。

その中で、オールドタイプは劣勢種という扱いになるわけで、

まだ馬鹿とかアホと言われる程度の方がマシに聞こえると思います。

 

 

どうも…ショーエイです。

最近日本の報道にいよいよ吐き気を覚え始めて、

この国はどん底まで落ちないと何も変わろうとしない気がしてきた。

全てが中途半端で、口だけ色々ひけらかして計画性が全くない。

 

イノベーションが大事などと言って、

イノベーションを全く大事にしていない。

ある意味、創造性という事は知っていても、

創造性豊かな発想を結局理解できずに、

しまいには「創造性が欠けている」と

意味不明な回答で終始する感じ。

ただ、若い世代も創造性を用いても、

結局は「実効性が乏しく」

その創造性を活用するに至らないのも事実です。

 

日本に足らないのは、

創造性を実効性に結びつける計画性の領域だという事に

先ず気づいたらどうかな?

豊田社長が「終身雇用はもう無理」と言ったけど、

ある意味、終身雇用の弊害がここに生じているのも事実です。

本来なら年配者はその経験から、

若い力が齎す「創造性」を如何に実現するかを考えるための力であり、

そこが上手くかみ合う事で時代の流れを取り込むことが可能になる訳ですが、

まあ、結局は理想的なだけ事なのでしょうね。

実際は、創造性から実効性を見出す力が無く、

現状維持の安定性を説いて、若者のやる気を削ぎ落していく。

結局、年功序列式では、年配者に権限がある為、

それに対抗する手段は無くなるだけ。

良くある言い回しが

「発想は面白い…でも発想だけでは食えないから仕事を取ってこい」

的な感じで…

まあ、本来なら

「ちょっと待て…何かもっと練り込めば凄い事が出来するかも・・・

一度、会議に賭けてみよう。」

こういう理想的な環境も…ほぼ創造の世界だけの話…いわば漫画や小説だけで、

実際はその上の更ならる上司から「無駄な時間を掛けさせるな」

的に言われるのが怖くて何もできないのが当たり前に成っている。

というのが現実です。

 

これは日本の年功序列社会の弊害であり、

企業のみでなく政治の世界も同じです。

これでアホノミクスを順調と報道しているのは、

弊害を引き起こすもの同士が傷を舐め合って、

更なる弊害を引き起こし、

終いには、アホノミクスと書くことすら許されなくなっている。

という内容です。

 

とりあえず、何がアホノミクスであり、

何が創造性を阻害する弊害なのか…

 

橋下徹君ら維新の会が提唱する

「大阪都計画」を例に説明します。

正直、大阪都計画なんてのは創造性の有る話でも何でもない。

未来も大して無い。

これを創造性有る話と勘違いしているのは、

今の現状と違う状況を構築するからというレベルでしかないのです。

否定すれば自分で自分の言葉が降りかかってくるように見えますが、

否定のはちゃんとそれだけの理由があるからです。

大阪府と大阪市を予算上東京都23区の様にするだけの話です。

逆に、創造性の有る話で言えば、

誰だか忘れたけど・・・

「大阪をシンガポールなどの様な国際金融都市にするべきだ」

という発想の方が創造性の有る話です。

橋下徹君はココで実効性の部分で無理と決めつけてしまいました。

彼は結局、創造性の部分の話を否定して、

都構想を主張した訳なので僕はその都構想が既に

創造性が欠けた話でしかないとしたわけです。

実はシンガポール化は無理では無く、

逆に時間を掛けてでもそれを目指すべきなのです。

彼が無理と決めつけた部分は、

シンガポールにしても香港にしても、

都市としての英語力が高い分、

アジアの国際的な拠点としての魅力で有り、

機能性が充実しているからという点で

大阪では難しいという結論に至ったと考えられます。

勿論、大阪とは言わず、日本全体の英語力では、

そういう意味では太刀打ちできません。

誘致しようにもその部分で

シンガポール、香港に比べて不憫さが目立つ故に、

冷静に考えればと言う感じだろうが…

英語力に課題が生じているのなら、

英語力を如何に充実させるかを考えなさいという事です。

それを日本人は一朝一夕で成そうとするから、

結局失敗に終わるのです。

 

【前回からの続きで思考力の話】

思考力の足りない人はこういう言葉も真面に理解できません。

「確率あるところに可能性有り、その可能性を確実たるまで練り上げて、

実行する事、これ奇策なり」

実際に諸葛孔明の兵法24編なる物が現存していれば、

そこに書かれているだろう言葉として用いてます。

何故か・・・は後程説明します。

 

先ず、大阪がシンガポールの様な国際金融都市に成れる確率は

まあ、10%未満だろうと言えます。

しかし、10%でも確率が存在するなら、

可能性は有るという事です。

ただ、一般的にはこの10%の可能性に掛けて、

そのまま突き進むから大抵90%の確率で失敗する訳です。

思考力を用いて10%の確率を90%の確実性に用いてこそ、

本当に奇想天外なイノベーションになります。

実はこれ「六韜」における太公望の言葉でもあるんです。

殷を滅ぼす際に、

周王は太公望に準備はこれで万全かと何度も聞きます。

これに対して太公望は何度も、まだ確実では無いと言って、

慎重に慎重を重ねる様に助言するのです。(省略しての説明)

いわば絶対に近づくには、

それだけ多くの準備を整えておくべきという事です。

ただ、「石橋を叩いて渡る」と勘違いして、

慎重にやればいいという事では有りません。

まあ、ネトウヨと揶揄して言わせてもらって、

彼らの思考力の低いレベルだと、

先ず10%に掛けるの止めるか、10%に掛けても焦って失敗するか、

慎重に成っただけで確実性に結びつく準備を怠るかで失敗する感じです。

実際は日本人全体がこういう症状に陥っているとも言えます。

 

では、シンガポール化の話に戻すと…

先ず問題点は都市の英語力です。

安易な発想だと、市民の英語教育という点でとん挫します。

橋下君もこの位は発想したと思います。

まあ、日本の英語教育のシステムから変えなければ、

何の成果も得られない事に成るわけですから…

まあ、それで無理と判断するのも無理ないかな…

ただ「法(方法、法則)の魔術」を知るものからすると

そもそもこの時点で根底から間違っている訳です。

 

【都市の英語力を誰のために備えるのか】

国際金融都市として誘致をすると考えた場合、

誘致に応じる側がターゲットです。

誘致する側がそもそものターゲットでは無く、

受け入れ態勢を考える前に、

受け入れる相手のニーズを考えるべきです。

最近の日本はこの点が忘れ去られているのが目立ちます。

 

そうした企業が不憫さを感じないレベルはどういうモノなのか、

ここを先ず調査して把握すべきなのです。

 

且つて日本がバブリーだったころの日本は、

こういう相手のニーズに対するリサーチを重視してきました。

アメ車に欠けているモノは…

アメ車に感じる不満は何?

こういう所から日本車の売りであり

メイド・イン・ジャパンの売りを見出して

勝負を掛けたのです。

そこには品質、燃費、またサービスにまで及び、

Made in USAに勝つとは不可能と思われた状況を

覆した訳です。

それを成し得るための技術的な労力も無論

大変なものだったと言えます。

本来、その時の日本人には出来た事なのだから、

今の日本人に出来るはずという事は解ってもらえたらと思います。

ある意味、日本人がアホなのでは無く、

日本人がアホに成っただけの話ですが…

 

そういう点から誘致に応じる側のニーズを考えると、

金融関係なら情報の速度…無論、英語での…

いわば如何に英語放送であり英語によるニュースを

充実させるか。

CSに入ればBBCやらCNN、CNBCは見れるけど…

いやいや…

そもそもそれだけだったらシンガポールと香港の方が充実している感じに成るでしょ…

最低でも、NBC、CBS、ABC、FOXはオンタイムで見れる環境は必要かな…

ある意味、他の都市にはない、世界中のメディアの支社を充実させて、

大阪の話題にしてますが、日本では全世界の放送がオンタイムで見れる位の

発想で計画を練る必要性が有ります。

その上で何処まで可能か…

最低でもシンガポール、香港より多くの番組がオンタイムで見れる状況を構築すべきです。

そして、次に日本独自の放送も英語放送を行うべき。

現状の日本語の放送にプラスして英語放送を盛り込みます。

そして他社よりも早い情報収集と発信力を備えて、

それを日本の立地の売りとすべきなのです。

「情報を制するモノが機先を制する」

な訳で、

これにより情報の速さというメリットで

大阪と言わず日本に拠点を置く魅力とすべきです。

 

さて…こういう発想が先ず第一段階。

第二段階は、リトルイングランド街を作る。

ある意味中華街の英語版みたいな場所ですが、

料理街と言うより、英国式のパブを置いた場所。

無論、すべては英語表記にして、

六本木をもっと英語的に濃くしたような街にするわけですが、

これをIR複合リゾートと結びつけて、

更にはその近辺に金融街を併設させる感じで計画します。

 

もう、この時点でIR複合リゾートだけで止まっている

アホノミクスレベルは

遥かにしのぐ状態だとご理解頂けるでしょうか。

 

正直、アホノミクスと揶揄するだけ、

アホノミクスは何の計画性も無いモノだと言えるのです。

無論、大阪都構想にしても、

正直、発想は学園祭を考えているレベルでしか見えません。

ある意味、日本をどういう方向性で進化また活性化させるかが、

全く無く、ただ他がやって成功した事を

同じように導入するだけの話でしかないのです。

それで他が上手く行ったから…

いや…二番煎じだけでは意味なく無いか?

 

ただ、簡単に上記の様にアイデアを出しましたが、

今の日本の優秀と言われるレベルがどれだけ頑張っても、

多分上手く行かないとも思えます。

それは「可能性を確実たるまで練り上げる」という所で、

例えば英語放送も色々なシガラミで実現できないとか、

そういう状態に直面するからです。

ある意味、オッサン先生がこの計画を

逆にアメリカの安定性の為に進言するなら

米国の電波放送を全てネット化して、

ネット配信でライブ放送してしまえば良い。

それによってアメリカの流行及び情報発信能力を

新しい5G世代に併せて確立する。

という事ぐらいは考えます。

そうなるとシンガポール、香港と大阪も大差なくなる分、

誘致としての魅力も低減してしまう状況も考えられます。

(進言する必要なくとも実際にそうなる可能性はあると考えます)

そういう計画の前に立ちはだかって来る壁を如何に突破するか、

突破出来ないなら他に打つ手を考える、

若しくはシガラミを取り払いたくなるような状況を構築する、

そういう計画の練り込みが実際は必要になるからです。

 

まあ、オッサン先生に言わせれば…

アメリカが日本のこうした計画を知ってしまえば、

逆に自分たちの利点に用いようとする状況も有りうる…

そこを見越して、

TPP11の中心都市としての機能を模索するのが賢明かも

という事です。

まあ、イギリスが興味を示したくなるような環境…

カナダ、ニュージーランド、オーストラリア…

あれ…これって

英語力を高めるメリットは単なるシンガポール化だけの意味では無く、

TPP内の交易中心地としての機能を構築する意味でも、

視野は広げられるという事です。

 

更にこうした環境づくりに成功して

外国からの人材が増えると何が得か?

犯罪が増えそうという発想もネガティヴには存在しますが、

資産も増やすという意味では機能します。

ある意味、都市部のアパート経営。

外国人留学生やら一時滞在人が増える事で、

アパートのレンタル率が向上します。

ワンルームでも需要がそれだけ増え、

日本人が資産として購入して活用する価値も向上しますね。

日本人だけの人口比率で都内のアパート稼働率が現状で

十分であっても、そこに新たに海外からの流入が加われば、

更なる需要が発生し、その分供給も必要となる。

更には、その価値に伴って土地や物件価格も上昇、

うーーん・・・ちょっとしたバブリー発生的な感じ…かな

まあ、アホノミクスでは労働者不足で外国人受け入れを導入したけど、

そういう所ももっと上手く扇動して、

如何に日本の内需を大きく成長させていくかちゃんと計画性を示すべきなんじゃ…

政治家の無策無能な発信力と、日本の無策無能な報道力では、

小さなチャンスも見失う状態なんじゃ無いのかな…

正直、土地バブルは情報で扇動しないと

買い手も気付かないし、

結局は盛り上がりに欠ければ売れ残るケースも増えて、

リーマンショックの様な住宅バブル崩壊も引き起こすんだけど…

まあ、シンガポール化計画やらTPP交易中心地化などの

何れかが機能しなければ

あまり価値は上がんないのも事実です。

 

いつもはココでグジグジ言ってるんだけど…

今日は諸葛孔明の話。

史実(三国志演技では無い方)の方の三国志では、

偉大なる凡人という扱いの孔明先生…

実はその記述に併せて、

作者の陳寿は、

孔明先生は奇策を好まなかったと有ります。

それなのに今回、兵法24編が実在したら出てくるだろう

「確率あるところに可能性有り、その可能性を確実たるまで練り上げ、実行する事これ奇策なり。」

という言葉が当てはまるのか。

オッサン先生はこれは自分の作品で

「法の魔術」という項目に置くか、

孔明先生の話で「兵法24編の中の言葉として登場させるか迷っているらしいんだけど…

まあ、科学の世界でも通じる意味なので…発明なんてのはこの言葉の通りで、

エジソンの「1%の閃きと、99%の努力」にも似た様な言葉です。

では、奇策を好まない孔明先生が何故奇策という言葉を用いるのか。

ある意味、「奇策を好まなかった」というのは陳寿の客観的な感想で、

実際は孔明先生は奇策を用いた。

けど、その奇策が余りにも秀逸に練り込まれていたため、

奇想天外な閃きから来た奇策というより、

計画的に練られた作戦みたいに感じたのだと思います。

まあ、上記の説明で多分そのニュアンスはご理解いただけるのかな。

いわば、陳寿の考える奇策は、

閃きから博打を打つように成否の確率を無視して実行するもので、

失敗すればその奇策を用いた部隊は損害を受けるというもの。

孔明先生はそういう無駄な損害を嫌ったというのが適切だったと思われます。

(ちょっとひいき目に分析したとして)

故に奇策でも損害が出ない様に細かく策を練り込む…

そして相手(仲達)にとっては実は全く想像だにしなかった策でも

味方は詳細に練り込まれた作戦故にそれが奇策という感覚すらなくなってしまう。

それ故に奇策を好まなかったという評価になっても可笑しくは無いという事です。

こういう流れから、孔明の奇策という概念を

上記の言葉で表現した訳です。

ある意味その方がIQ高そうに見えないかな?

という感じかな…

まあ、半分六韜のパクリといえばそう成るのかな…

 

どうも…ショーエイです。

今回はタイトルからして何で?といった感じで進めます。

実は特殊相対性理論も一般相対性理論も、

まだ仮説のものであり、

最有力理論として科学の世界で存在してます。

その理由は現代科学上では明確に証明できないからです。

 

実は前回のブログ同様にIQ=思考力として言いますが、

思考力の低い人ほど、

現在記された情報(主に文章による説明)で、

「そういうモノなんだ!!」と簡単に受け入れるからです。

論理的に理解しているというより寧ろ、

そういうモノと認識しているだけの話です。

 

ではそれを論理的に説明します。

さて、着いてこれるかな…

と、あえて挑発してみます。

 

ある意味、特殊相対性理論にある

「光速で移動すると時間が遅くなる」

という話も…

「何故」を細かく考えずに

「光速で移動すると時間が遅く成るんだ」

と認識してしまうからです。

逆に思考力が高く成れば成程、

様々な矛盾点を想像し、

そして納得できなくなるのです。

この「何故」が多いほど思考力が高いわけで、

それ故に科学者たちは色々と追及しているのです。

肯定する側も勿論、「何故」を解消する意味で追求しているのです

 

これは前回のブログで記した

IQ140とIQ150(個人的な見積もりですが)の壁で説明した内容と同じで、

IQが低いほど結論を安易に決めつけ、

IQが高いほど結論に対して慎重になる

と言った感じです。

 

先に、いずれの相対性理論に関しても説明しておくのは、

相対性理論では人間の感覚的な時間を時間軸として扱っており、

実際の時間の流れとは無縁であるという事です。

(とりあえず先にこの結論を記してから、疑問の話を進めます。)

 

では、先ず最初の疑問

図のAとBとでは時間の見え方が逆に成ります。

もっと簡単に説明すると…

地球から30万Km観測天体に近づくと、

地球で見るよりも1秒ほど早い状態を見る事が出来ます。

※光が伝わる原理をご理解ください。

光速=30万Km/sなので

単純にその他の影響を無視した状態(重力磁場の影響など)

で言えばそう成ります。

逆に地球から30万Km離れた場所だと、

1秒遅れて見える訳です。

 

そういう事を想像して

光速で観測天体に近づいていくと…

これをネット上のタイムラグを用いて想像してみると、

10秒遅れて入って来る映像が、

近づくことで5秒の遅れに縮まる感じとして考え、

その移動中の映像がどう成るかを想像してみると、

10秒の遅れを5秒ほど圧縮する訳だから、

その映像は5秒分早送り状態に成るわけです。

これだと感覚的には時間が早く成らないかな?

(後程、また説明します。)

 

逆に離れていく方は、光速で離れていく訳で、

10秒の遅れが15秒となる意味で考えれば、

スローモーションに成るわけですが、

光速で離れて行けば静止画のままに成るわけです。

 

何れの相対性理論では図Bの状態は説明されても、

図Aの状態は無視されている記述が見受けられます。

いわば光速で物体から遠ざかると、

その物体は静止状態に成るから時間が遅くなると言った説明です。

正直、この説明自体が意味不明に感じる訳です。

ある意味これで理解するの?ってなレベルで。

まあ、単なるファンタジーにしか考えられない様な…

 

ところが実際の意味は全く違う事に

普通の人は気づこうともしない訳です。

ある意味、疑問すら感じない訳ですから…

まあ少し賢めな思考で、

何らかの実験結果を待てば証明されるだろう的な感じで、

他人の結果に依存する程度の思考です。

 

【時間が遅れるの意味とは】

最初に相対性理論は

人間の感覚的な時間であると説明しました。

一種の体感速度的に成るわけですが…

体感速度だと個々にそれは異なって来るだろうという

指摘位は思いつくと思われます。

しかし、電磁波…難しい言い方ですが

人間の神経を走る信号が電気信号と仮定した場合、

何かを手に触れて、

脳に「触れた」という感覚の信号が

電磁波によって齎される事を意味します。

理論上電磁波の速度=光の速度に成るならば、

その信号は光速で伝わっている事が考えられます。

ここで勘違いしてはいけないのが、

脳に伝わってから触れたと認識する速度は、

個々によって変わるし、体調によっても変わるものとします。

いわばコンピュータを例に説明すると、

キーボードのキー「A」を押して、

「A」が入力されたと認識する速度は

そのCPUの性能に依存する部分と言う意味で、

キーボードから電気が走ってCPUに伝わるまでの

電気信号自体の速度は不変(どれも一緒)というのと同じです。

 

相対性理論で言われる時間の遅延とは、

実は光速で移動すると、光速で伝達する信号自体が

その移動速度に合わせて

伝達しにくく成る現象を表しているのです。

いわば触れたという場所から静止していれば、

光速で脳に最短距離で伝える事が可能に成るわけですが、

その伝える脳が触れた場所の位置から移動する事で遠ざかると

その分の伝達距離がそれだけ伸びて遅延するという事が説明できます。

 

しかし文章的な説明に於ける相対性理論の見落としが実は存在するのです。

いわば触れたモノから伝達を受け取る脳が離れていく事は説明されても、

触れた方向へ逆に近づく事は無視されていたという事は言えます。

実際に逆に近づけば伝達距離は短く成るわけですから…

 

ただし、一般的に移動と考えるとどうしても「横」に考えてしまいがちで、

地球上に立つとどうしても地表にそって別の地点へ移動する、

または空の上目指して移動することしか思いつず、

地表を掘り下げて移動するとか、

触れる物質があまりに近すぎて

その発想がついつい外れてしまった事は考えられます。

無論、この説明は現存のWIKIにも無いモノで、

現代科学の発展から(相対性理論から100年は経っている)

明確に分析すればたどり着く領域と言っておきます。

それでもアインシュタインの計算式上では、

近づく方の現象は、

これマイナス値の作用として計算は成り立つため

方程式は何も間違っていないと思われます。

そういう意味で文章的に

「光速で移動すると時間が遅れる」

という説明は間違いで有り、

寧ろ時間の感覚のズレが伝播的に生じる

という説明が適切かも知れません。

いわば元の説明

「光速で移動すると時間が遅れる」

と、言うのは

思考力の高い人ほど混乱しやすい説明であるという事です。

 

では相対性理論の「感覚的時間」と「軸的時間」と分別して説明します。

感覚的時間は光速が齎す伝達手段によって発生する誤差で、

これは万物に相当する現象と考えます。

いわば電気信号で有り、何らかの作用を伝える場合…

例えば歯車同士で有っても伝達距離によっては

電磁的誤差が生じると考え

それによって遅延(時計の針が少し遅れる)などの症状が発生すると

考えるモノです。

しかし、軸的時間…いわば何かが発生した時間は不変なものです。

物に触れたと認識するまでには光速の感覚的な時間の影響を受けますが、

触れたという行為そのものの時間は何の変化も有りません。

ある意味、何万光年先の天体が恒星爆発したものを

地球で観測した場合、

何万光年前の現象を感覚的な時間として目撃した訳ですが、

軸時間上ではその空間(恒星爆発が観測された場所)は

既に何万光年過ぎ去っている訳です。

 

そしてその星に向けて光速で実際に何万光年掛けて近づけば、

相対性理論上のマイナス計算で、

到達したした際の軸時間は同じに成るという事です。

※この点も意味不明な解説が多いです。

この軸時間と感覚的な時間を現時点の説明の様に一緒くたに考えてしまうと、

4次元だとか訳の分からないファンタジーに成ってしまい、

思考力を高く持たせて現実的な意味で考えようとすればするほど、

混乱していく訳です。

 

因みに光速でお互いが離れていくとどうなるか…

光(映像)がお互いに届かなくなるため…

お互いが見えなく成ります。(これ現実)

そこに過去の映像が生じるなんてのはファンタジーです。

 

これって…難しい話に成ったのかな?

最近つくづく感じるのですが…

ネット上で大衆から攻撃される現象…

あんなもの気にするモノでもなく、

思考力の低いレベルの見識と一蹴しても良いレベルです。

 

大衆理論は何でも人数側の意見に迎合しているだけで、

反対意見を言うにはかなり勇気が要ります。

ある意味、大衆側に逆らうと虐められるからです。

かといって大衆側の正当性は実は何も有りません。

何も考えずにただ迎合していれば、

他の大衆と同様に誰かをネタに虐められる。

これが彼らの精神構造です。

彼らがどんな綺麗ごとで言おうとも、

その精神上の本質から見ると

その言葉に重みは無くなります。

いわば上辺だけの言葉で、

もし彼らに適正な思考力が有って

その綺麗な言葉を発するならば

少数派を数の力で虐めているだけの行為になる分、

先ず道徳的な綺麗ごとを規範として生きている意味から、

完全に外れてしまうからです。

先ず、自分の吐いた言動に沿っていれば

大衆派の波に乗っかって誰かを攻撃するような事はしないと思います。

まあ、ウチの魔仙妃ちゃんの場合、

逆にそういう大衆派を弄るのが好きで

それに対して攻撃的な人も居ますが…

まあ、あれは天然のクレイジーなので仕方ありません。

 

https://biz-journal.jp/2019/05/post_27882.html

佐藤浩市さんのニュースですが…

先ず、「表現の自由」を尊重して考えましょう。

無論それにコメントする側も「表現の自由」

逆に、役者が政治的な意図で表現するのも自由。

悪い事なんて何もない。

ただ、綺麗ごと言っている前に、

自分たちが大人数で誰かを攻撃している

醜い状態にあるという事を理解しましょう。

まあ、それを理解した上でやっているのなら、

それは「表現の自由」なのでどうぞご自由に。

ただ、彼らのコメントはそういうレベルのコメントでしか無いというう事。

思考力フル活用させてインタビューの話を見れば、

「表現の自由」の範囲での話にしか成らない。

その上で好意的に思うか、思わないかは個人の自由です。

善悪はそこで評価されるモノでは無いです。

一国の権力者をアホ呼ばわりしても何の問題も無いわけです。

まあ、論理的にアホだと説明も出来るわけだし…

 

逆に、

「そういう病気で苦しむ人に失礼」

と言うコメントがあった様ですが、

セックス依存症で浮気タラタラする人も、

セックス依存症で苦しんでいる訳だから

それを笑いや避難するのも失礼なんじゃ?

ある意味何処までが境界線なのか明白に出来ない話に

そこに境界を引いて批難しているという事です。

 

重病で生死の境目で葛藤しているなら、

それを揶揄するのは問題と考えますが、

あの様に権力を振りかざして、

人生の絶頂を謳歌している様な人間なら、

何か欠点として盛り込むのは良いと思いますよ。

 

逆に考えれば、

役者がそういう人間臭さの演出を盛り込んだから、

英雄気取りのキャラクターでは無く、

寧ろ庶民的なイメージが盛り込まれたと

評価しても良いんじゃないのかな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

皆さんは一般的にIQと言われる知能指数が

先天性のモノだと思っているのでしょうが、

実は後天的にも上昇します。

 

まあIQのテストみたいなのを学生時分やった人も多いと思います。

平均レベルだと何か教えてもらえたりするみたいですが、

高すぎる(IQ200以上で危険視されるレベルに成るとだとか)

と教えてもらえなかったりするそうです。

 

ただ、所詮はテストなので実際その人が

どの程度の頭脳の持ち主かを

数値にするのも可笑しな話です。

因みにオッサン先生は教えてもらえなかった人で、

ちまたではIQが高い人と言う方で言われていたのを

知っている程度らしいですが…

実際の数値はそのちまたでも知られていなかったようです。

IQ180位までだと「あの人はIQ180有るんだって」と言うように

噂されたりするのを耳にするのですが…

それがオッサン先生には無く、

「先生(学校)がXX君(オッサン先生の事)はIQが滅茶苦茶高いって言ってたよ」

と言われる位でした。

 

まあ、オッサン先生がどの程度のアホなのかそれともモンスターなのかは別として…

IQで言われる知能レベルは後天的にいくらでも上昇できるという事です。

その根拠は、熱心な研究者でノーベル賞を取る様な人たちは、

ほぼ後天的に数値化されてEstimate(見積)されるからです。

 

また神童が神童のままで有る事は無いという点でも言えます。

※幼少期高くいても大人に成って知識に頼って考えなくなったら退化します

 

無論、実際のテストで数値化された意味では無く、

実際にIQ(思考力)が高い人は

IQの高い人を見分ける事が出来るというのは事実です。

まあ、話したりその行動状態を見れば

大体その人が良く考えているかどうかは解る感じです。

 

さて、先天的だと思われがちなこのIQ=思考力ですが、

何かに没頭して研究する面白みを見いだせれば、

自然とそれは上昇します。

趣味でもゲームでも考えれば…

ただし、誰かに教えてもらった事を実行して

それで成立しているだけの人は全く上昇しません。

漫画の名言集に感動したりする状態は

思考力に何の影響力も与えません。

その明言を借りて、人を魅了して自分の価値を高めるだけの話に成ると…

ほぼ思考力の無い人に見えます。

寧ろその言葉の意味を理解して、

自らの生きざまに反映させるように努力する思考なら別です。

 

例えばスポーツでいう野球の世界で言えば、

「バットをこういう風に振れば良い」

と教わって、

後はその感性(動体視力など)と身体強化で

成功した人は普通の思考力。

 

逆にどういう風に振れば良いのか、

自分の体の状態をどういう形にすれば

色々な反応を瞬時に引き出せるか…

それを見出したうえで自分を自分で作り上げる人は、

かなり思考力の高い人です。

そしてそれをどこまで追求するかで、

その高さは更に高いモノへと成っていき、

そういう意味で見るとイチロー選手は

かなり思考力の高い人という事が見えてきます。

 

もっと簡単に言えば、

格闘技で流派の中で優秀な人は、

思考力とは関係なく

その教わった形を極めるのに努力した人ですが、

独自の流派を生み出して伝えた達人は、

思考力が高い人と成ります。

いわば、柳生石舟斎であり、宮本武蔵の様な人です。

 

しかし、これでは先天性と後天性の意味では解りづらく、

むしろ先天性の天才だったからと成りそうなのですが…

 

【後天的に思考力を上昇させたいのなら

先ず、自分が生兵法者であることを自覚することが大事です。】

 

ニュースで入って来る情報は全て表面上のモノでしかない

そういう意識で見る事です。

 

まあ、ここまで出来てIQ130位。

そうすると殆どの人は情報源の見比べ位はします。

A紙、B紙、C紙の内容を見比べてみる感じです。

でも、見比べてどれを信じるかを決めてはそこまでのレベルに成ってしまいます。

日本の教育で教わるレベルはこの程度までです。

※正直レベルの低い所で止まっています。

 

次に情報が齎した中の共通点を見出して、

全ての内容で共通した情報のみを把握する。

それ以外の内容は個人的な見解が入り込んだ雑学として認識する。

例えば…こんなニュース。

北朝鮮の金正恩がロシアのプーチン大統領と会談した。

 

共通で伝わる事実としては、どれ位の時間会談したのかだけで、

共同声明は無しという情報のみ。

 

成功したか失敗したかというその他の論評は無視するモノです。

 

ただし、この時点で自ら成否を推測する程度だと、

IQ140位…巷ではジョディ・フォスターがこれくらいだとか…

十分高いと言えば高いのかな…

 

こうした情報を元に、成否の推測では無く、

行動の目的を推測するレベル…

いわば金正恩の狙いは何なのか、

ロシアのプーチン大統領の意図は何なのか…

 

そういうレベルで観察する状態に留まるとIQ150位だと推測します。

ある意味、結論に達するには時期早々と冷静に考えられるレベルです。

 

何気にこのレベルまでは結構な数が居ると思っているので、

本当はスゴイレベルでは無いのですが…

ネトウヨの発言レベルを見ると、

結構絞られてくるのかな?と心配に成ります。

 

更にこの内容から過去の事象と照らし合わせて、

色々な可能性を推測してみるレベルに成れば、

IQ160位。

ただし、気を付けなければ成らないのが…

このブレインツリー(木の枝の様に可能性が分散されてくる思考)

で結論を急げばIQ140程度にしか成りません。

可能性を木の枝の様に分散させることは結構出来るように成ります。

でも結局、IQ140で言った様に結論有りきで思考すると、

その一本一本の枝となる情報に栄養を注がない分、

結局他の枝は、ただ自分の考えに執着した枝を育てるだけの

消去法のモノでしか無くなるからです。

ほぼ多くの人がこの部分の壁を越えられずに勘違いしてしまいがちに成るのです。

まあ、でもIQ140と推定するレベルなので馬鹿にしたレベルでは無いですよね。

でも残念では有りますが…

そこで壁を超えるには「自分が生兵法者である」という意識を忘れない事です。

そしてIQ150のポイント、判断するには時期早々で、

枝が分かれる可能性を色々な視点から考えて見る事で、

「成程…そういう考え方も有るな…そういう見方もあるな…」

と吸収していく事です。

こうしてみるとIQ160が如何に頭を柔軟に使えるレベルかがお解りに成ると思います。

 

さてIQ170から上は、更に勘違いを起こしやすいレベルなので、

先ずIQ160までの柔軟さが持てるか否かで解れます。

IQ170に成ると対策を講じるレベルですが、

対策を講じるくらいはIQ140でも出来ます。

無論、IQ140の講じる対策は一つの可能性に対してのモノで、

結局は博打打ちと同じレベルです。

当たればラッキー的な感じです。

まあ、IQ170と比較すると馬鹿にした話に聞こえますが、

IQ140でも結構そこそこ一般的には高い数値と言われるわけで、

ラッキーで成功した人は多いと思います。

まあ、日本の現・首相がそのレベルだと言えば、

バカにした感じには実際には成らないのですが、

IQ170以上の思考から見ると、アホなのです。

いわばアベノミクスはアメリカの景気上昇とバブルに

乗っかっただけのラッキーなもので

2014年のあのタイミングで首相に成れたやつは、

アホでもラッキーに成れるとほぼ解りきっていたからです。

知らないのは情報をそこまで熟知していなかったレベルの人達で、

そういう人はIQ140程度が作り出した錯覚に陥ってしまっているだけなのです。

まあ、IQ140が作り出した錯覚なのだから…

そこそこ騙されても仕方ないんじゃないのかな…

 

ただしIQ170以上の人ならば

日本企業が世界的に衰退している状態を

放置することはしなかったと言えます。

ある意味、豊田章男(トヨタ自動車社長【略称】)なら

このレベル以上は有ると思います。

 

いわばIQ170レベルなら、

様々な可能性を想定して、

そこで生じる自らに降りかかるリスクを把握する事が出来るレベルで、

IQ180に成ると、それに対処する方法を見出すレベルに成ってきます。

いわば一つの可能性に賭けての対処では無く、

複数の可能性に掛けて対処できる状態故に、

戦略家としては鉄壁に近い状態を生み出すレベルに成るわけです。

 

先天性の話に成るとIQ150位でイノベーションを実現化できるレベルに成り、

より高ければより複雑なイメージを具現化する感じに成ります。

 

IQ190…ナポレオンがこの位かな…

後天性のIQと先天性のIQを併せ持つ感じに成ってきます。

いわば自分の理想を具現化する為に様々な手段を講じる、

攻撃的な感じです。

ビジネス面で言えば、スティーヴ・ジョブズやビル・ゲイツが近いのかも…

 

ただ、IQ160から上はそのヴィジョンの濃密さで多少異なる感じも有るので、

ここかは数値化して識別するのは難しい話でも有ります。

まあ、一般的にはアインシュタインがIQ190だと推定されるレベルで、

個人的な敬意を込めて半分適当に数値に入れ込んでいると思ってください。

 

因みにIQ200以上…

不可能と可能の識別が明確に出来るレベル。

ナポレオンは「吾輩の辞書に不可能は無い」との名言通り、

不可能という限界を見いだせなかった。故に失敗した。

※因みに諸葛亮孔明は、

玄ちゃんに天下三分の計の可能性を記した訳ですが、

玄ちゃんの漢復興という希望に応えるべく、

可能性の薄い戦いに没頭せざるを得なかっただけで、

ナッポマン(ナポレオン)の失敗とは少し違います。

※信長たま?

まあ、ミッチーがあそこで裏切るとはね…

それ見落としてた時点で減点だよね。

 

IQ200以上だと不可能に労力を使う事は無駄と素早く悟り、

微かな可能性の方を模索するレベルです。

いわば未来永劫とは行かずとも

かなり長期にわたる世界平和を模索する場合、

日本主導で世界を統一することは

不可能とさっさと悟るレベルになると言えます。

一時的に秦の始皇帝の様な事は可能でも、

直ぐに他に取って代わられる。

そして本来目的とした世界平和はそこに無い状態に成る。

またアメリカが武力で支配を押し切っても、

結局は反乱を導き出して混乱を招く。

微かな可能性は文化の共有と市場の繋がりを安定化させることで、

徐々に世界中が共通認識の下で民主的な纏まりを構築していく事。

 

これを発見し発見した人、これに気づきその為には何をすべきか、

そしてどういうバランスで世界全体を纏めていくべきか…

これが解ってIQ200以上としておきます。

 

正直、これだけ世界中の文化が共有されつつある状態に成った事が

グローバリゼーションによって齎されたものであることに気づき、

インターネットという繋がりを持つことで更にその距離感が近づいた状態で、

旧世代の保守的な考え方に執着することは

如何に馬鹿馬鹿しい発想かは理解できると思います。

中国に追いつかれるのは、日本が鈍感だからで、

アメリカも危機感持っている事事態が愚かしく、

本来ならば日本やアメリカが追い付かれない様に更に進化し続け、

もっとグローバルな視点で世界市場に攻勢をかけるべきです。

そうで無ければかつての日本の進化がアメリカを飲み込んだように

中国の進化に日本もアメリカも結局は飲み込まれてしまうだけです。

こうした保守的な抵抗を無駄な足掻きと判断し、

それを見越した攻勢を考えるのがこのレベルと言えます。

 

まあ、どこまで自分が高見に行けるか…

限界を悟らずにIQ200位目指して

洞察力を高め、表面上の情報に満足せず、

貪欲に色々試行錯誤を目指せば、

それなりに思考力は高まるはずです。

まあ、筋肉と一緒で限界と感じてしまえばそこで終わりで、

まだまだと時間を掛けても考える様にトレーニングすれば、

必ず壁は破れます。

 

とりあえず日本の多くの方々は、IQ140位は突破しましょう。

あのアホな首相がアホに見えるくらいは

そんなにハードル高くないはずです。

アホに見えないで騒いでいるレベルは

それ以下なのだと割り切っても良いと思います。

 

意外と先天的に120以下だった人でも、

社会に出て様々に考えて生きている人は、

後天的に160位には成っているはずです。

ただ、問題はそういう人を使う側が

考えで無く知識に寄り添ったに人間が多く、

IQとして低い状態のまま故に報われないというのが事実です。

 

言っちゃ悪いけど…日本の官僚の殆どがIQ120以下で

忖度してるだけなので…

そりゃ・・・日本の将来への危機感も何も無く、

自分の立場を必死に守ろうとするだけの社会になるわな…

 

因みにIQ200を超えるとドンドンニュータイプ度が上昇して、

ニュータイプ同士なら距離が離れてても会話が成立するレベルだとか…

まあ、お互いにどの高みで相手が何を考えてるかが解るレベルに成るそうです。

と、ファンタジーな言い方をしてますが・・・

IQとは関係なく、目的を同じにするもの同士は

必ず同じ結論に達する。

目的を見失わず同じ方向を向いて

アイデアを出し合う意識を持つことが、

それを可能にするわけで、

それを可能にするには

ここで記したIQ160の柔軟さは不可欠要素という事です。

自分の意見の勝ち負けに執着する奴はアホなのだよ。

 

因みに僕は徴兵制なんて飛んでも無いと思ってますが…

三浦瑠璃子さんが、韓国には徴兵制が有るから

逆に戦争に対する意識も日本人より慎重に考えられる感じなので、

日本でも徴兵制は導入すべきなのでは…

と、言ってました。

ここで彼女の目的は兵役の意味の目的で無い事を察して、

アイデアと発想を受け止めて、

徴兵制に反対する自身の考えと混ぜ合わせて見ました。

そこで導き出した答えは…

災害支援教育を徴用教育として導入するのは良いかもという考えです。

戦争できる教育では無く、災害に直面した際、

日本国民が何らかの支援で協力できる状態にする意味です。

重機やらの扱いでインフラ復旧に役立つ教育を施し、

また料理や避難誘導、人命救助と手に職をつける意味での教育を、

徴兵制の代わりに災害支援教育として行うのです。

 

そうする事で日本人はこれからの時代世界中の何時いかなる

予期せぬ災害に遭遇しても貢献して行ける人に成れると思います。

 

色々な視点で考えるとはこういう事なのかな?