キモいぞニッポン!!こんな報道で大丈夫か? | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

最近日本の報道にいよいよ吐き気を覚え始めて、

この国はどん底まで落ちないと何も変わろうとしない気がしてきた。

全てが中途半端で、口だけ色々ひけらかして計画性が全くない。

 

イノベーションが大事などと言って、

イノベーションを全く大事にしていない。

ある意味、創造性という事は知っていても、

創造性豊かな発想を結局理解できずに、

しまいには「創造性が欠けている」と

意味不明な回答で終始する感じ。

ただ、若い世代も創造性を用いても、

結局は「実効性が乏しく」

その創造性を活用するに至らないのも事実です。

 

日本に足らないのは、

創造性を実効性に結びつける計画性の領域だという事に

先ず気づいたらどうかな?

豊田社長が「終身雇用はもう無理」と言ったけど、

ある意味、終身雇用の弊害がここに生じているのも事実です。

本来なら年配者はその経験から、

若い力が齎す「創造性」を如何に実現するかを考えるための力であり、

そこが上手くかみ合う事で時代の流れを取り込むことが可能になる訳ですが、

まあ、結局は理想的なだけ事なのでしょうね。

実際は、創造性から実効性を見出す力が無く、

現状維持の安定性を説いて、若者のやる気を削ぎ落していく。

結局、年功序列式では、年配者に権限がある為、

それに対抗する手段は無くなるだけ。

良くある言い回しが

「発想は面白い…でも発想だけでは食えないから仕事を取ってこい」

的な感じで…

まあ、本来なら

「ちょっと待て…何かもっと練り込めば凄い事が出来するかも・・・

一度、会議に賭けてみよう。」

こういう理想的な環境も…ほぼ創造の世界だけの話…いわば漫画や小説だけで、

実際はその上の更ならる上司から「無駄な時間を掛けさせるな」

的に言われるのが怖くて何もできないのが当たり前に成っている。

というのが現実です。

 

これは日本の年功序列社会の弊害であり、

企業のみでなく政治の世界も同じです。

これでアホノミクスを順調と報道しているのは、

弊害を引き起こすもの同士が傷を舐め合って、

更なる弊害を引き起こし、

終いには、アホノミクスと書くことすら許されなくなっている。

という内容です。

 

とりあえず、何がアホノミクスであり、

何が創造性を阻害する弊害なのか…

 

橋下徹君ら維新の会が提唱する

「大阪都計画」を例に説明します。

正直、大阪都計画なんてのは創造性の有る話でも何でもない。

未来も大して無い。

これを創造性有る話と勘違いしているのは、

今の現状と違う状況を構築するからというレベルでしかないのです。

否定すれば自分で自分の言葉が降りかかってくるように見えますが、

否定のはちゃんとそれだけの理由があるからです。

大阪府と大阪市を予算上東京都23区の様にするだけの話です。

逆に、創造性の有る話で言えば、

誰だか忘れたけど・・・

「大阪をシンガポールなどの様な国際金融都市にするべきだ」

という発想の方が創造性の有る話です。

橋下徹君はココで実効性の部分で無理と決めつけてしまいました。

彼は結局、創造性の部分の話を否定して、

都構想を主張した訳なので僕はその都構想が既に

創造性が欠けた話でしかないとしたわけです。

実はシンガポール化は無理では無く、

逆に時間を掛けてでもそれを目指すべきなのです。

彼が無理と決めつけた部分は、

シンガポールにしても香港にしても、

都市としての英語力が高い分、

アジアの国際的な拠点としての魅力で有り、

機能性が充実しているからという点で

大阪では難しいという結論に至ったと考えられます。

勿論、大阪とは言わず、日本全体の英語力では、

そういう意味では太刀打ちできません。

誘致しようにもその部分で

シンガポール、香港に比べて不憫さが目立つ故に、

冷静に考えればと言う感じだろうが…

英語力に課題が生じているのなら、

英語力を如何に充実させるかを考えなさいという事です。

それを日本人は一朝一夕で成そうとするから、

結局失敗に終わるのです。

 

【前回からの続きで思考力の話】

思考力の足りない人はこういう言葉も真面に理解できません。

「確率あるところに可能性有り、その可能性を確実たるまで練り上げて、

実行する事、これ奇策なり」

実際に諸葛孔明の兵法24編なる物が現存していれば、

そこに書かれているだろう言葉として用いてます。

何故か・・・は後程説明します。

 

先ず、大阪がシンガポールの様な国際金融都市に成れる確率は

まあ、10%未満だろうと言えます。

しかし、10%でも確率が存在するなら、

可能性は有るという事です。

ただ、一般的にはこの10%の可能性に掛けて、

そのまま突き進むから大抵90%の確率で失敗する訳です。

思考力を用いて10%の確率を90%の確実性に用いてこそ、

本当に奇想天外なイノベーションになります。

実はこれ「六韜」における太公望の言葉でもあるんです。

殷を滅ぼす際に、

周王は太公望に準備はこれで万全かと何度も聞きます。

これに対して太公望は何度も、まだ確実では無いと言って、

慎重に慎重を重ねる様に助言するのです。(省略しての説明)

いわば絶対に近づくには、

それだけ多くの準備を整えておくべきという事です。

ただ、「石橋を叩いて渡る」と勘違いして、

慎重にやればいいという事では有りません。

まあ、ネトウヨと揶揄して言わせてもらって、

彼らの思考力の低いレベルだと、

先ず10%に掛けるの止めるか、10%に掛けても焦って失敗するか、

慎重に成っただけで確実性に結びつく準備を怠るかで失敗する感じです。

実際は日本人全体がこういう症状に陥っているとも言えます。

 

では、シンガポール化の話に戻すと…

先ず問題点は都市の英語力です。

安易な発想だと、市民の英語教育という点でとん挫します。

橋下君もこの位は発想したと思います。

まあ、日本の英語教育のシステムから変えなければ、

何の成果も得られない事に成るわけですから…

まあ、それで無理と判断するのも無理ないかな…

ただ「法(方法、法則)の魔術」を知るものからすると

そもそもこの時点で根底から間違っている訳です。

 

【都市の英語力を誰のために備えるのか】

国際金融都市として誘致をすると考えた場合、

誘致に応じる側がターゲットです。

誘致する側がそもそものターゲットでは無く、

受け入れ態勢を考える前に、

受け入れる相手のニーズを考えるべきです。

最近の日本はこの点が忘れ去られているのが目立ちます。

 

そうした企業が不憫さを感じないレベルはどういうモノなのか、

ここを先ず調査して把握すべきなのです。

 

且つて日本がバブリーだったころの日本は、

こういう相手のニーズに対するリサーチを重視してきました。

アメ車に欠けているモノは…

アメ車に感じる不満は何?

こういう所から日本車の売りであり

メイド・イン・ジャパンの売りを見出して

勝負を掛けたのです。

そこには品質、燃費、またサービスにまで及び、

Made in USAに勝つとは不可能と思われた状況を

覆した訳です。

それを成し得るための技術的な労力も無論

大変なものだったと言えます。

本来、その時の日本人には出来た事なのだから、

今の日本人に出来るはずという事は解ってもらえたらと思います。

ある意味、日本人がアホなのでは無く、

日本人がアホに成っただけの話ですが…

 

そういう点から誘致に応じる側のニーズを考えると、

金融関係なら情報の速度…無論、英語での…

いわば如何に英語放送であり英語によるニュースを

充実させるか。

CSに入ればBBCやらCNN、CNBCは見れるけど…

いやいや…

そもそもそれだけだったらシンガポールと香港の方が充実している感じに成るでしょ…

最低でも、NBC、CBS、ABC、FOXはオンタイムで見れる環境は必要かな…

ある意味、他の都市にはない、世界中のメディアの支社を充実させて、

大阪の話題にしてますが、日本では全世界の放送がオンタイムで見れる位の

発想で計画を練る必要性が有ります。

その上で何処まで可能か…

最低でもシンガポール、香港より多くの番組がオンタイムで見れる状況を構築すべきです。

そして、次に日本独自の放送も英語放送を行うべき。

現状の日本語の放送にプラスして英語放送を盛り込みます。

そして他社よりも早い情報収集と発信力を備えて、

それを日本の立地の売りとすべきなのです。

「情報を制するモノが機先を制する」

な訳で、

これにより情報の速さというメリットで

大阪と言わず日本に拠点を置く魅力とすべきです。

 

さて…こういう発想が先ず第一段階。

第二段階は、リトルイングランド街を作る。

ある意味中華街の英語版みたいな場所ですが、

料理街と言うより、英国式のパブを置いた場所。

無論、すべては英語表記にして、

六本木をもっと英語的に濃くしたような街にするわけですが、

これをIR複合リゾートと結びつけて、

更にはその近辺に金融街を併設させる感じで計画します。

 

もう、この時点でIR複合リゾートだけで止まっている

アホノミクスレベルは

遥かにしのぐ状態だとご理解頂けるでしょうか。

 

正直、アホノミクスと揶揄するだけ、

アホノミクスは何の計画性も無いモノだと言えるのです。

無論、大阪都構想にしても、

正直、発想は学園祭を考えているレベルでしか見えません。

ある意味、日本をどういう方向性で進化また活性化させるかが、

全く無く、ただ他がやって成功した事を

同じように導入するだけの話でしかないのです。

それで他が上手く行ったから…

いや…二番煎じだけでは意味なく無いか?

 

ただ、簡単に上記の様にアイデアを出しましたが、

今の日本の優秀と言われるレベルがどれだけ頑張っても、

多分上手く行かないとも思えます。

それは「可能性を確実たるまで練り上げる」という所で、

例えば英語放送も色々なシガラミで実現できないとか、

そういう状態に直面するからです。

ある意味、オッサン先生がこの計画を

逆にアメリカの安定性の為に進言するなら

米国の電波放送を全てネット化して、

ネット配信でライブ放送してしまえば良い。

それによってアメリカの流行及び情報発信能力を

新しい5G世代に併せて確立する。

という事ぐらいは考えます。

そうなるとシンガポール、香港と大阪も大差なくなる分、

誘致としての魅力も低減してしまう状況も考えられます。

(進言する必要なくとも実際にそうなる可能性はあると考えます)

そういう計画の前に立ちはだかって来る壁を如何に突破するか、

突破出来ないなら他に打つ手を考える、

若しくはシガラミを取り払いたくなるような状況を構築する、

そういう計画の練り込みが実際は必要になるからです。

 

まあ、オッサン先生に言わせれば…

アメリカが日本のこうした計画を知ってしまえば、

逆に自分たちの利点に用いようとする状況も有りうる…

そこを見越して、

TPP11の中心都市としての機能を模索するのが賢明かも

という事です。

まあ、イギリスが興味を示したくなるような環境…

カナダ、ニュージーランド、オーストラリア…

あれ…これって

英語力を高めるメリットは単なるシンガポール化だけの意味では無く、

TPP内の交易中心地としての機能を構築する意味でも、

視野は広げられるという事です。

 

更にこうした環境づくりに成功して

外国からの人材が増えると何が得か?

犯罪が増えそうという発想もネガティヴには存在しますが、

資産も増やすという意味では機能します。

ある意味、都市部のアパート経営。

外国人留学生やら一時滞在人が増える事で、

アパートのレンタル率が向上します。

ワンルームでも需要がそれだけ増え、

日本人が資産として購入して活用する価値も向上しますね。

日本人だけの人口比率で都内のアパート稼働率が現状で

十分であっても、そこに新たに海外からの流入が加われば、

更なる需要が発生し、その分供給も必要となる。

更には、その価値に伴って土地や物件価格も上昇、

うーーん・・・ちょっとしたバブリー発生的な感じ…かな

まあ、アホノミクスでは労働者不足で外国人受け入れを導入したけど、

そういう所ももっと上手く扇動して、

如何に日本の内需を大きく成長させていくかちゃんと計画性を示すべきなんじゃ…

政治家の無策無能な発信力と、日本の無策無能な報道力では、

小さなチャンスも見失う状態なんじゃ無いのかな…

正直、土地バブルは情報で扇動しないと

買い手も気付かないし、

結局は盛り上がりに欠ければ売れ残るケースも増えて、

リーマンショックの様な住宅バブル崩壊も引き起こすんだけど…

まあ、シンガポール化計画やらTPP交易中心地化などの

何れかが機能しなければ

あまり価値は上がんないのも事実です。

 

いつもはココでグジグジ言ってるんだけど…

今日は諸葛孔明の話。

史実(三国志演技では無い方)の方の三国志では、

偉大なる凡人という扱いの孔明先生…

実はその記述に併せて、

作者の陳寿は、

孔明先生は奇策を好まなかったと有ります。

それなのに今回、兵法24編が実在したら出てくるだろう

「確率あるところに可能性有り、その可能性を確実たるまで練り上げ、実行する事これ奇策なり。」

という言葉が当てはまるのか。

オッサン先生はこれは自分の作品で

「法の魔術」という項目に置くか、

孔明先生の話で「兵法24編の中の言葉として登場させるか迷っているらしいんだけど…

まあ、科学の世界でも通じる意味なので…発明なんてのはこの言葉の通りで、

エジソンの「1%の閃きと、99%の努力」にも似た様な言葉です。

では、奇策を好まない孔明先生が何故奇策という言葉を用いるのか。

ある意味、「奇策を好まなかった」というのは陳寿の客観的な感想で、

実際は孔明先生は奇策を用いた。

けど、その奇策が余りにも秀逸に練り込まれていたため、

奇想天外な閃きから来た奇策というより、

計画的に練られた作戦みたいに感じたのだと思います。

まあ、上記の説明で多分そのニュアンスはご理解いただけるのかな。

いわば、陳寿の考える奇策は、

閃きから博打を打つように成否の確率を無視して実行するもので、

失敗すればその奇策を用いた部隊は損害を受けるというもの。

孔明先生はそういう無駄な損害を嫌ったというのが適切だったと思われます。

(ちょっとひいき目に分析したとして)

故に奇策でも損害が出ない様に細かく策を練り込む…

そして相手(仲達)にとっては実は全く想像だにしなかった策でも

味方は詳細に練り込まれた作戦故にそれが奇策という感覚すらなくなってしまう。

それ故に奇策を好まなかったという評価になっても可笑しくは無いという事です。

こういう流れから、孔明の奇策という概念を

上記の言葉で表現した訳です。

ある意味その方がIQ高そうに見えないかな?

という感じかな…

まあ、半分六韜のパクリといえばそう成るのかな…