どうも…ショーエイです。
今回はタイトルからして何で?といった感じで進めます。
実は特殊相対性理論も一般相対性理論も、
まだ仮説のものであり、
最有力理論として科学の世界で存在してます。
その理由は現代科学上では明確に証明できないからです。
実は前回のブログ同様にIQ=思考力として言いますが、
思考力の低い人ほど、
現在記された情報(主に文章による説明)で、
「そういうモノなんだ!!」と簡単に受け入れるからです。
論理的に理解しているというより寧ろ、
そういうモノと認識しているだけの話です。
ではそれを論理的に説明します。
さて、着いてこれるかな…
と、あえて挑発してみます。
ある意味、特殊相対性理論にある
「光速で移動すると時間が遅くなる」
という話も…
「何故」を細かく考えずに
「光速で移動すると時間が遅く成るんだ」
と認識してしまうからです。
逆に思考力が高く成れば成程、
様々な矛盾点を想像し、
そして納得できなくなるのです。
この「何故」が多いほど思考力が高いわけで、
それ故に科学者たちは色々と追及しているのです。
肯定する側も勿論、「何故」を解消する意味で追求しているのです。
これは前回のブログで記した
IQ140とIQ150(個人的な見積もりですが)の壁で説明した内容と同じで、
IQが低いほど結論を安易に決めつけ、
IQが高いほど結論に対して慎重になる
と言った感じです。
先に、いずれの相対性理論に関しても説明しておくのは、
相対性理論では人間の感覚的な時間を時間軸として扱っており、
実際の時間の流れとは無縁であるという事です。
(とりあえず先にこの結論を記してから、疑問の話を進めます。)
では、先ず最初の疑問
図のAとBとでは時間の見え方が逆に成ります。
もっと簡単に説明すると…
地球から30万Km観測天体に近づくと、
地球で見るよりも1秒ほど早い状態を見る事が出来ます。
※光が伝わる原理をご理解ください。
光速=30万Km/sなので
単純にその他の影響を無視した状態(重力磁場の影響など)
で言えばそう成ります。
逆に地球から30万Km離れた場所だと、
1秒遅れて見える訳です。
そういう事を想像して
光速で観測天体に近づいていくと…
これをネット上のタイムラグを用いて想像してみると、
10秒遅れて入って来る映像が、
近づくことで5秒の遅れに縮まる感じとして考え、
その移動中の映像がどう成るかを想像してみると、
10秒の遅れを5秒ほど圧縮する訳だから、
その映像は5秒分早送り状態に成るわけです。
これだと感覚的には時間が早く成らないかな?
(後程、また説明します。)
逆に離れていく方は、光速で離れていく訳で、
10秒の遅れが15秒となる意味で考えれば、
スローモーションに成るわけですが、
光速で離れて行けば静止画のままに成るわけです。
何れの相対性理論では図Bの状態は説明されても、
図Aの状態は無視されている記述が見受けられます。
いわば光速で物体から遠ざかると、
その物体は静止状態に成るから時間が遅くなると言った説明です。
正直、この説明自体が意味不明に感じる訳です。
ある意味これで理解するの?ってなレベルで。
まあ、単なるファンタジーにしか考えられない様な…
ところが実際の意味は全く違う事に
普通の人は気づこうともしない訳です。
ある意味、疑問すら感じない訳ですから…
まあ少し賢めな思考で、
何らかの実験結果を待てば証明されるだろう的な感じで、
他人の結果に依存する程度の思考です。
【時間が遅れるの意味とは】
最初に相対性理論は
人間の感覚的な時間であると説明しました。
一種の体感速度的に成るわけですが…
体感速度だと個々にそれは異なって来るだろうという
指摘位は思いつくと思われます。
しかし、電磁波…難しい言い方ですが
人間の神経を走る信号が電気信号と仮定した場合、
何かを手に触れて、
脳に「触れた」という感覚の信号が
電磁波によって齎される事を意味します。
理論上電磁波の速度=光の速度に成るならば、
その信号は光速で伝わっている事が考えられます。
ここで勘違いしてはいけないのが、
脳に伝わってから触れたと認識する速度は、
個々によって変わるし、体調によっても変わるものとします。
いわばコンピュータを例に説明すると、
キーボードのキー「A」を押して、
「A」が入力されたと認識する速度は
そのCPUの性能に依存する部分と言う意味で、
キーボードから電気が走ってCPUに伝わるまでの
電気信号自体の速度は不変(どれも一緒)というのと同じです。
相対性理論で言われる時間の遅延とは、
実は光速で移動すると、光速で伝達する信号自体が
その移動速度に合わせて
伝達しにくく成る現象を表しているのです。
いわば触れたという場所から静止していれば、
光速で脳に最短距離で伝える事が可能に成るわけですが、
その伝える脳が触れた場所の位置から移動する事で遠ざかると
その分の伝達距離がそれだけ伸びて遅延するという事が説明できます。
しかし文章的な説明に於ける相対性理論の見落としが実は存在するのです。
いわば触れたモノから伝達を受け取る脳が離れていく事は説明されても、
触れた方向へ逆に近づく事は無視されていたという事は言えます。
実際に逆に近づけば伝達距離は短く成るわけですから…
ただし、一般的に移動と考えるとどうしても「横」に考えてしまいがちで、
地球上に立つとどうしても地表にそって別の地点へ移動する、
または空の上目指して移動することしか思いつず、
地表を掘り下げて移動するとか、
触れる物質があまりに近すぎて
その発想がついつい外れてしまった事は考えられます。
無論、この説明は現存のWIKIにも無いモノで、
現代科学の発展から(相対性理論から100年は経っている)
明確に分析すればたどり着く領域と言っておきます。
それでもアインシュタインの計算式上では、
近づく方の現象は、
これマイナス値の作用として計算は成り立つため
方程式は何も間違っていないと思われます。
そういう意味で文章的に
「光速で移動すると時間が遅れる」
という説明は間違いで有り、
寧ろ時間の感覚のズレが伝播的に生じる
という説明が適切かも知れません。
いわば元の説明
「光速で移動すると時間が遅れる」
と、言うのは
思考力の高い人ほど混乱しやすい説明であるという事です。
では相対性理論の「感覚的時間」と「軸的時間」と分別して説明します。
感覚的時間は光速が齎す伝達手段によって発生する誤差で、
これは万物に相当する現象と考えます。
いわば電気信号で有り、何らかの作用を伝える場合…
例えば歯車同士で有っても伝達距離によっては
電磁的誤差が生じると考え
それによって遅延(時計の針が少し遅れる)などの症状が発生すると
考えるモノです。
しかし、軸的時間…いわば何かが発生した時間は不変なものです。
物に触れたと認識するまでには光速の感覚的な時間の影響を受けますが、
触れたという行為そのものの時間は何の変化も有りません。
ある意味、何万光年先の天体が恒星爆発したものを
地球で観測した場合、
何万光年前の現象を感覚的な時間として目撃した訳ですが、
軸時間上ではその空間(恒星爆発が観測された場所)は
既に何万光年過ぎ去っている訳です。
そしてその星に向けて光速で実際に何万光年掛けて近づけば、
相対性理論上のマイナス計算で、
到達したした際の軸時間は同じに成るという事です。
※この点も意味不明な解説が多いです。
この軸時間と感覚的な時間を現時点の説明の様に一緒くたに考えてしまうと、
4次元だとか訳の分からないファンタジーに成ってしまい、
思考力を高く持たせて現実的な意味で考えようとすればするほど、
混乱していく訳です。
因みに光速でお互いが離れていくとどうなるか…
光(映像)がお互いに届かなくなるため…
お互いが見えなく成ります。(これ現実)
そこに過去の映像が生じるなんてのはファンタジーです。
これって…難しい話に成ったのかな?
最近つくづく感じるのですが…
ネット上で大衆から攻撃される現象…
あんなもの気にするモノでもなく、
思考力の低いレベルの見識と一蹴しても良いレベルです。
大衆理論は何でも人数側の意見に迎合しているだけで、
反対意見を言うにはかなり勇気が要ります。
ある意味、大衆側に逆らうと虐められるからです。
かといって大衆側の正当性は実は何も有りません。
何も考えずにただ迎合していれば、
他の大衆と同様に誰かをネタに虐められる。
これが彼らの精神構造です。
彼らがどんな綺麗ごとで言おうとも、
その精神上の本質から見ると
その言葉に重みは無くなります。
いわば上辺だけの言葉で、
もし彼らに適正な思考力が有って
その綺麗な言葉を発するならば
少数派を数の力で虐めているだけの行為になる分、
先ず道徳的な綺麗ごとを規範として生きている意味から、
完全に外れてしまうからです。
先ず、自分の吐いた言動に沿っていれば
大衆派の波に乗っかって誰かを攻撃するような事はしないと思います。
まあ、ウチの魔仙妃ちゃんの場合、
逆にそういう大衆派を弄るのが好きで
それに対して攻撃的な人も居ますが…
まあ、あれは天然のクレイジーなので仕方ありません。
https://biz-journal.jp/2019/05/post_27882.html
佐藤浩市さんのニュースですが…
先ず、「表現の自由」を尊重して考えましょう。
無論それにコメントする側も「表現の自由」
逆に、役者が政治的な意図で表現するのも自由。
悪い事なんて何もない。
ただ、綺麗ごと言っている前に、
自分たちが大人数で誰かを攻撃している
醜い状態にあるという事を理解しましょう。
まあ、それを理解した上でやっているのなら、
それは「表現の自由」なのでどうぞご自由に。
ただ、彼らのコメントはそういうレベルのコメントでしか無いというう事。
思考力フル活用させてインタビューの話を見れば、
「表現の自由」の範囲での話にしか成らない。
その上で好意的に思うか、思わないかは個人の自由です。
善悪はそこで評価されるモノでは無いです。
一国の権力者をアホ呼ばわりしても何の問題も無いわけです。
まあ、論理的にアホだと説明も出来るわけだし…
逆に、
「そういう病気で苦しむ人に失礼」
と言うコメントがあった様ですが、
セックス依存症で浮気タラタラする人も、
セックス依存症で苦しんでいる訳だから
それを笑いや避難するのも失礼なんじゃ?
ある意味何処までが境界線なのか明白に出来ない話に
そこに境界を引いて批難しているという事です。
重病で生死の境目で葛藤しているなら、
それを揶揄するのは問題と考えますが、
あの様に権力を振りかざして、
人生の絶頂を謳歌している様な人間なら、
何か欠点として盛り込むのは良いと思いますよ。
逆に考えれば、
役者がそういう人間臭さの演出を盛り込んだから、
英雄気取りのキャラクターでは無く、
寧ろ庶民的なイメージが盛り込まれたと
評価しても良いんじゃないのかな…