監督:ジョン・ファヴロー、声の出演:ドナルド・グローヴァー、J・D・マックラリー、ジェームズ・アール・ジョーンズ、キウェテル・イジョフォー、ビリー・アイクナー、セス・ローゲン、ビヨンセ、ジョン・オリヴァー、フローレンス・カサンバ、アルフレ・ウッダート、ジョン・カニほかの『ライオン・キング』。
音楽はエルトン・ジョン(作曲)とティム・ライス(作詞)、ハンス・ジマー。
ライオンのムファサとサラビの間に生まれたシンバは、サヴァンナのある“プライドランド”の王位を継ぐ者として皆から祝福されるが、やがて父ムファサが命を落とし息子の彼は故郷を追われることになる。
『ダンボ』『アラジン』に続く今年3本目のディズニーの実写化リメイク映画。ただし“実写”といいつつもワンショットだけ実景の映像を使った以外はCGによって描かれた、ほぼアニメーション作品なんですが。「超実写版」なる名称で宣伝されてました。
これまで観た実写化リメイクの『シンデレラ』や『美女と野獣』、そして『アラジン』は僕はオリジナルのアニメ版を一応観ていたんですが、この『ライオン・キング』は基になった94年のオリジナル版の方を観ていなくて、どんな話かも知りませんでした。公開に合わせて昔のヴァージョンがTVでやってたけど、それも未視聴(実は、オリジナル版公開時にも類似が取り沙汰された手塚治虫の「ジャングル大帝」もちゃんと観たことがない)。舞台版のミュージカルも同様。
だからオリジナルとの比較はできませんが、『美女と野獣』や『アラジン』などとともに90年代のディズニー・ルネッサンス期を飾った人気作品であることは知っていた。
ただ正直なところ、ディズニーの実写化リメイク映画はちょっと食傷気味だし、これはパスしてもいいのではないかと思ってて。
それが、これの前に観たとあるミュージカル仕立ての邦画が酷くて口直しがしたくなったので、急遽観ることに。
人間が唄って踊る映画がCG製のミュージカル映画に負けてる、って情けない話ではあるけれど、でも残念なものを観たあとだったからいっそうこちらは楽しめたというのはあった。
この『ライオン・キング』の方は登場キャラクターは動物のみで、歌はあるけど動物たちが(『アラジン』のように)派手に踊ったりはしないので、やっぱりミュージカルはまずは歌の力だなぁ、と実感しましたね。『メリー・ポピンズ リターンズ』に僕が不満だったのも、歌が記憶に残らなかったからだし。
だから、歌が耳に残る時点でミュージカル作品としては勝利だし今述べたように基本映画を楽しんだので、これから書くことはそれにあえてツッコミを入れるような行為ではあるんですが、これまで何年かディズニーの新作アニメーションや実写化リメイク作品を(すべてではないが)観てきたうえで言えば、その内容についてはライオンや動物たちの姿を借りた英雄の帰還を描く昔ながらの「貴種流離譚」で、特に目新しさは感じなかった。
そのあたりの不満も書くことになるかと思います。
では、以降はネタバレを含みますからご注意ください。
まるで実写と見紛うほどの見事なCG映像、というのが本作品の売りだし、事実見事ではあるんですが、観てる最中から感じていて観終わったあとも拭えなかった疑問として、「この内容をこの手法でやる必要があったんだろうか」というものがあった。
アニメ版をちゃんと観ていないのでうまく比較できないのがもどかしいんですが、要するに本来「人間の世界」での物語を動物たちを使って表現した“例え話”だったはずのものを「本物そっくりなCG映像」で表現することに違和感が。
アニメ版も動物たちは現実の彼らの生態に似せてはあるし、四足で歩いて極端な擬人化はされていないんだけど、そもそも動物たちが言語を喋り歌まで唄う時点でそれは本物の動物とはかけ離れているんで、そのことを前提で物語が作られている。ライオンとイボイノシシとミーアキャットが仲良く暮らすなんてことが作り事であるのは、作り手も観る側ももちろん承知のうえ。
特にアニメ版の動物たちの顔の造形は本物の動物と違って従来のディズニーアニメ同様デフォルメされていて、彼らの表情は豊かだし、だからこそ観客は感情移入もできたんですね。
これを真似して飼い猫を抱っこする画像がSNSに溢れまくってますがw
それが「本物そっくり」に描かれることでアニメが持つ表現の大胆さがかなり抑えられていて、そのために「動物が歌を唄うミュージカル」としても結構無理が生じている。昔ながらのセル画アニメならお約束としてすんなり観られたものが、とても不自然に感じられてしまう。
アニメ版ほど同じ種族のキャラクターたちの見た目が明確に描き分けられていなくて、たまに子ども時代のシンバとナラの区別がつかなかったり、どの動物もアニメ版のように表情の変化が激しくないから唄ってる場面でもエモーショナルな盛り上がりがイマイチ。繰り返すけど、この手法で「ミュージカル」を作る意味があるのか?と。単に「CGがこんなにスゲェんだぜ」ってのを見せつけたいだけなのではないかと思ってしまう。
この映画は、やはり動物たちが人間の言葉を喋って主人公の子豚が歌も唄う「ベイブ」シリーズの流れを汲んでいて、でもあの作品には人間も登場するので「言葉を喋る動物たち」自体が意識的に面白可笑しく描かれていたのが、こちらは動物のみだからまるでムツゴロウさんが撮った『子猫物語』のサヴァンナ版か、野生のラッコの映像に俳優たちが無理やりアテレコした『ラッコ物語』みたいなんですよね。
物凄い技術を使ってやってることが『子猫物語』や『ラッコ物語』というのは、贅沢なのかなんなのかよくわからない。
僕はたまにNHKのBSでやってる野性の動物たちを追ったドキュメント「ワイルドライフ」を観るんですが、あの番組ではこれまでにライオンやハイエナも採り上げられていて、物言わぬ彼らの姿に心打たれることもしばしば。そこでは肉食のものも草食のものも動物たちは生きていくために多くの試練に見舞われて、時には命を落としもする。
自然界の厳しさをあらためて知るにはそういうドキュメンタリーで充分で、人間の手でわざわざ本物そっくりに(でも本物ではない)作り上げる意味をどうも見出せない。動物を見たければ動物園やサファリパークで本物を見た方が断然いい。
昔から動物は比喩や寓話、おとぎ話や童話等に用いられてきたし、そのことをいちいち批判するつもりもないんだけど、そこでのステレオタイプなイメージはすでに手垢にまみれてもいて、それを意識的に用いた例として『ズートピア』では「キツネは狡賢い」とか「ウサギは臆病」「ヒツジは大人しくて善良」「ナマケモノは動作が鈍い」といったこれまでの代わり映えのしないイメージをわざと覆していたでしょう(ナマケモノは実際動作がノロいが…あの映画ではw)。レッテル貼りを批判するためにあえてそのステレオタイプを利用していた。
『ズートピア』で“ライオン”がどのように描かれていたか思い浮かべれば、この『ライオン・キング』での「百獣の王」としてのステレオタイプなイメージがいかに古めかしいかよくわかる。
当然ながら、現実の自然界で草食動物も含めてすべての動物たちがライオンを「王」としてかしずき従うなんてことはなくて(歌にもある「サークル・オブ・ライフ(命の環)」というのも、本当は存在しないとも言われる。ライオンは自然界の頂点に君臨するのではなくその一部に過ぎず、動物たちの互いの立ち位置も流動的)、その大嘘を「本物そっくり」な「ニセモノの映像」ででっち上げていることに僕は嫌悪感すらもよおすんですよね。アニメ版は擬人化された絵だからまだ嘘なのはわかるんだけど。
ハリウッド製ゴジラの新作でラドンもどきの怪獣「ロダン」が『ライオン・キング』の鳥・ザズーの真似をして怪獣王Godzillaに翼を広げて服従の意を示していたけど、反吐が出そうだった。パロディだからねぇ~、という作り手のドヤ顔が浮かぶようだけど、下品極まりなかった。俺たちのゴジラをこれ以上汚すんじゃねぇ。
ライオンはその外見と大型肉食獣としての猛々しいイメージによって昔から人間に愛されてきた(そのために狩猟の対象にもなったのだが)し、日本でもアニメや特撮モノの題材にもなっているように、その存在自体が畏敬の念を感じさせるのも確かではありますが。かっこいいもんね。
だけど、今やかつてのようにただいたずらに「百獣の王」などと持ち上げるのではなくて、絶滅が危惧される彼らの生態を正しく知り保護を考えていくことこそが必要で、野生の動物に人間の勝手なイメージを押しつけるのは時代にそぐわない。
ピクサーが作った『アーロと少年』でも恐竜が従来のようにステレオタイプ化されていて、ティラノサウルスは『ライオン・キング』でのライオンのようなかっこいい存在として描かれ、一方でラプトルや翼竜はハイエナのような残忍な狩人として描かれていた。
妙な「時代遅れ」感があった。
以前は人間でやっていた、ともすれば差別に繋がりかねないキャラクターの描き分けの表現を作り手がコンプライアンスだとかポリティカル・コレクトネスなどを気にして(それよりもまず人権意識の高まりからだと思うが)ひかえるようになって、それが今度は動物までもか、と窮屈に感じる人もいるかもしれないけれど、でも僕はこれは当然の変化だと思うんですよね。
キツネはズル賢い、なんてのは人間様が勝手に決めつけたことであって、自然界の中ではどの動物が善くてどれが悪いなんてことはないし、野生動物としてはハイエナもライオンもヌーもアフリカスイギュウもイボイノシシもみんな平等。
『ズートピア』には、擬人化を施した動物で描く“必然性”がちゃんとあった。昔ながらのおとぎ話での動物たちの描かれ方を自己批判することが、人間の世界での差別問題と繋がっていたから。
悪いライオンが同じ群れのボスを殺してその子どもを追い出したり、悪いハイエナと結託したりするような自然界ではありえない描写が続く『ライオン・キング』にその“必然性”があるだろうか。
それから、原典とはほぼ別物の『マレフィセント』は例外として『シンデレラ』も『美女と野獣』も『アラジン』も実写化リメイク版はオリジナルのアニメ版に内容が準拠していたものの、『アラジン』ではヒロインのジャスミンにも焦点が当てられていたようにわずかながらも時代の変化に合わせて女性キャラクターの描き方に工夫がうかがえたのが、今回の『ライオン・キング』では女性キャラクターはあくまでも脇役に過ぎず、王やその後継者を支える存在でしかない。
やがてシンバ(声:ドナルド・グローヴァー)の妻となるナラ(ビヨンセ)とシンバの母親でムファサの妻であるサラビ(アルフレ・ウッダート)の出番や役割がアニメ版よりも増えているそうだけど、この程度で「増えた」のだとすればアニメ版ではよっぽどナラやサラビの出番は少なかったんだな。
ナラはシンバとは結ばれる「運命」だから、ほとんど自動的にそれに従い「王」の妻としての役割をあてがわれる。そこではナラの意志はあまり重要視されない。
まるでどこかの国の時代劇大河ドラマみたい。時代錯誤というか。
今では海外の歴史ドラマだって現代的な解釈が入っていることが多いんだけど、この“超実写版”『ライオン・キング』にはそれは特に見られない。
僕は今この時代にこの作品をリメイクするのならば、それこそかなり大胆な改変があってもよかったんじゃないかと思うんですよね。『ライオン・キング』ならぬ『ライオン・クイーン』にするとか。
ライオンって、オスが群れ(プライド)のボスであることには変わりはないんだけど、実際に普段狩りをしたり群れを率いているのはメスなので、まったく現実から乖離した設定でもないし、ヒロインの冒険譚にした方がよっぽど現実の人間の世界とも通じる部分があると思う(ヴィデオスルーの続篇ではシンバの娘が主人公の作品もあるそうだが)。
オスだって子どものうちは母親や群れのメスの大人たちに育てられるんで、シンバのように群れを出て旅をするのは大人になってからなんだし、見た目が本物にそっくりな動物たちを人間的に描こうとすればするほど無理が出てくる。
ムファサといえば、僕は「ナルニア国物語」シリーズのライオン繋がりでムファサの声を担当しているのはてっきりリーアム・ニーソンだと思い込んでいたんですが、アニメ版と同じくジェームズ・アール・ジョーンズだったんですね。ジェダイ・マスターだと思ってたら暗黒卿の方だった、と(なんか巧いこと言ったつもり)。
ジェームズ・アール・ジョーンズの声ってただ低音というだけではなくて、深みがあるんですよね。オーソン・ウェルズ的な。悪い父親の代表格みたいなダース・ベイダーの声を演じていた人が、こちらでは死んだあとも大きな雲になって主人公を見守る偉大なる父を演じているのが面白い。
スター・ウォーズといえば、成人したシンバの声を演じるドナルド・グローヴァーは『ハン・ソロ』で若き日のランド・カルリジアン役でしたが。いろいろ因縁があるなw
これはオリジナル版もそうなのかもしれないけど、歌はともかくダンスがないのも物足りなかったなぁ。
ジョン・ファヴローが以前監督した『ジャングル・ブック』を僕は観ていないですが、彼はここんところディズニーづいてますね。個人的には『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』みたいな小粒の秀作をまた撮ってほしいんですが。
…ぐだぐだと文句ばかり書き連ねてしまったけれど、でも『アラジン』に続いてこういう大作を放ってくるディズニーはまったく侮れないし(しかし、これが映像化されたらいよいよ実写化リメイクのネタが尽きてきたんじゃないかと思うんだが…)、映像は見応えあるからIMAXなど大きなスクリーンではより迫力があるでしょう。
この映画が、子どもたちが「本物の」ライオンや動物たちに興味を持てるきっかけになったらいいですね。
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