ロブ・マーシャル監督、エミリー・ブラント、リン=マニュエル・ミランダ、ベン・ウィショー、エミリー・モーティマー、ナサナエル・サレー、ピクシー・デイヴィーズ、ジョエル・ドーソン、ジュリー・ウォルターズ、コリン・ファース、メリル・ストリープ、デヴィッド・ワーナー、ジム・ノートン、アンジェラ・ランズベリー出演の『メリー・ポピンズ リターンズ』。2018年作品。
バンクス家の子どもたち、ジェーンとマイケルのナニー(教育係)だったメリー・ポピンズが空のかなたへ帰って20年が経ち、世界恐慌下のロンドンは寂れていた。今では3人の子どもたちの父親となったマイケルは亡き両親から受け継いだ家を担保に銀行から金を借りていたが、支払い期限までに返済するあてもなく、まもなく家は差し押さえられようとしていた。そんな時、マイケルが捨てた凧が空に舞い上がり、あのメリー・ポピンズが再び空から降りてくる。
ジュリー・アンドリュース主演の1964年のミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の54年ぶりの続篇。
半世紀以上前の作品の続篇だから主演のエミリー・ブラントをはじめ当然出演者は代わっていますが、リメイクやリブートではなくて完全な続篇で、観客がオリジナル版の『メリー・ポピンズ』を観ていることが前提でお話が展開していくので、もしまだご覧になっていなければ事前に予習しておくことをお勧めします(「メリー・ポピンズ」映画化のいきさつについては『ウォルト・ディズニーの約束』をどうぞ)。
大人になったジェーンとマイケルたちの亡父ジョージ・バンクス氏や大道芸人のバート、銀行に預けた2ペンスなど、会話の中で言及される前作の登場人物とのエピソードを知らないままだと、物語の要の部分が理解できずに楽しみや感動が半減するでしょうから。終盤に登場する“あの人”が誰なのかもわからないだろうし。
64年のオリジナル版はちょうど去年「午前十時の映画祭」(残念ながら今年で終了するそうですが)で上映されていて、劇場で観ました。
だからまだその記憶も新しいうちに続篇が観られるのは嬉しかった。
では、以降は内容について触れますから、これからご覧になるかたはご注意ください。
エミリー・ブラントは昨年は主演の『クワイエット・プレイス』も公開されてまさに旬の女優さんだし、1年前のこの時期にはやはりミュージカル映画の『グレイテスト・ショーマン』が公開されて、あの作品を僕は大好きになって何度も劇場に足を運んだので、この『リターンズ』も同じようにお気に入りのミュージカル映画になったらいいな、と期待していました。
劇中でエミリー・ブラントは歌やダンスをなかなか頑張っていて、ちょっと曲芸っぽいこともやってたのであれがどこまで本人が演じているのかわからないんですが(全部本人だったら驚き)、彼女の演技は素晴らしかったです。
ここ最近のエミリー・ブラントは肉体的にもたくましい女性を演じることが多いから、彼女のメリー・ポピンズはいざとなったら銃を手にして戦いだしそうだけどw
あのジュリー・アンドリュースが演じたメリー・ポピンズをあらためて演じるって、物凄いプレッシャーのはず。でも堂々としていて、ユーモアもあるあの役を彼女は見事に演じきっていました。
エミリー・ブラントってこれまでにミュージカルへの出演経験ってあるんだろうか。歌上手でしたねぇ。いやまぁ、下手だったらミュージカルなんて不可能なわけだけど。
地味に彼女がイギリス出身だったことを初めて知ったんですが。
アクションもやるしホラーやミュージカルにも挑戦するし、ほんとにカッコイイ女優さんだな。
以前は主演男優さんのお相手の役が多かったけれど、今やタイトルロールを演じる主演俳優ですからね。いかにも波に乗ってる感じがする。
『クワイエット・プレイス』ではバスタブで大変な事態になっていたけど、今回は笑顔で泡だらけのバスタブに身体を折り曲げてダイヴ。あれはほんとにそのまま撮影してるそうです。
他の出演者たちも、マイケル役の“みんな大好きベン・ウィショー”や、彼と「パディントン」シリーズで共演している(ベン・ウィショーは“声”の出演ですが)ジュリー・ウォルターズも家政婦のエレン役で好演。子役たちも可愛いし、往年の手描き風のアニメーションとの共演場面もオリジナル版を彷彿とさせて楽しい。
ジャックと点灯夫たちが街灯によじ登って踊る場面は、前作でバートが煙突掃除夫たちと踊っていた場面を思わせる。
だから、この映画が好きだというかたもきっといらっしゃると思うんですが、まず前もってお詫びしておかなければならないのは、実は僕はこの映画をちゃんと通して観ていないのです。
なんと途中で居眠りをしてしまいまして…(;^_^A
ミュージカル場面がもうあまりの心地よさに催眠効果が抜群で、途中までは意識がハッキリしていたんだけど、ある時点から急激にまぶたが重くなってきて、必死に抗ったんだけど天に召されそうになって何度も意識が遠退いた。
映画観ててここまで激しい睡魔に襲われたのは、昨年のこれもディズニーの実写映画『プーと大人になった僕』以来かも。どちらもイギリスが舞台ですが。
で、終盤でマイケル父ちゃんが子どもたちを叱りつけていたんだけど、なんで彼が怒ってるのかわかんなくて^_^; おそらくその部分は完全に寝落ちしていたようです。どのくらいブラックアウトしてたのかはわからない。
気づいたら、出かけていたメリー・ポピンズと子どもたちは冒険を終えて家に帰ってきていた。
なので、ハッキリ言って僕にはこの映画の感想を書く資格がないんですが、「…寝ちゃった(´ε`;)」で済ますわけにいかないので覚えてる記憶を繋ぎ合わせて感想を書いていきます。
僕がしばらく魂が抜けていた間に最高に面白かったり感動的な場面があったのかもしれませんが、ごめんなさい、観ていないのでそこ以外のことについて語ります。
僕はジュリー・アンドリュース主演のオリジナル版をこれまでにTV放映やDVD、映画館などで観てはいるものの、強く思い入れがあるファンというわけではなくてすでに内容すら忘れかけてるほどなので、この続篇をそれと比べてことさらとやかく言うつもりもないのですが、単純に1本のミュージカル映画としてどう感じたのかというと、まず新しく作曲された歌に耳に残るメロディが一つもなかったな、と。
思わず口ずさみたくなるような曲がなかったんですよ。劇中で唄われる歌はどこかノスタルジックで僕が爆睡しちゃったように耳に心地よいのだけれど、メロディがまったく記憶に残らないので口ずさみようがないんですね。
悪いけど、それはミュージカルとしては致命的なんではないだろうか。
逆にいえば、素晴らしい歌さえあればたとえお話の方に粗があってもそんなに気にならない。ってゆーか、そちらはある程度スルーできる。
先ほどの『グレイテスト・ショーマン』も、あるいは『ラ・ラ・ランド』もだし、この映画と同じディズニーの作るアニメもそうだけど、大ヒットしたミュージカル映画ってどれも耳に残って一緒に唄いたくなるナンバーがあるじゃないですか。もちろん、オリジナル版の『メリー・ポピンズ』にも今も唄い継がれている名曲が何曲もある。
「ミュージカル映画」なんだから歌やダンスこそが主役なわけで、それらが魅力薄だと映画そのものにも魅力を感じるのは難しくなる。
お好きなかたには申し訳ありませんが、この『リターンズ』はせっかく歌唱力のある俳優たちが唄って踊っていても僕には肝腎の歌に感動や興奮を覚えることがあまりできなかったので、まるで宝の持ち腐れのようなもったなさを感じてしまいました。
シナリオも──僕は原作をまったく読んでいないから、原作を基にした箇所があったのかどうかもわからないのですが──オリジナル版のストーリーをいろいろ踏襲してはいるんだけれど、それがちゃんと活かされてるかというと大いに疑問ではある。
まず、前作にあたるオリジナル版の主要登場人物である銀行勤めのジョージ・バンクス氏と女性の権利を獲得するための活動をしていたその妻ウィニフレッドがすでに亡くなっているという設定に加えて、さらに大人になったマイケルは1年前に妻を亡くしたことになっていて、それは映画に再びジェーンとマイケルの姉弟を登場させてあの家を舞台にするためもあるんだろうけど、ちょっとあまりに無理やりなんじゃないかと。
なんだかマイケルを悲しい境遇にするための都合のいい設定に思えてしまって。
もしも両親がすでに亡くなったことにするなら、前作の物語を中途半端に引きずったりせずに新しい世代の新しい物語を描けばいい。そしたら新規の観客だって意味がわからなくて戸惑わずに済むだろうし。
大道芸人のバートが再登場せずに代わりに街灯の点灯夫のジャック(リン=マニュエル・ミランダ)が登場したり、かと思えば20年経っているにもかかわらず時報代わりの大砲を撃つブーム提督(デヴィッド・ワーナー)やビナクル(ジム・ノートン)、家政婦のエレンはそのまま(もちろんオリジナル版とは出演者は異なる)出てきたりして、前作を観ている僕なんかでも登場人物たちがゴチャゴチャしている印象があったし、前作を観ていない人にはジョージ・バンクスやバートのことはわかんないから銀行のくだりの会話も意味不明でしょう。いきなり出てきて唄って踊るあのおじいちゃんも。
前作を観てる人にはわかるおじいちゃん。ディック・ヴァン・ダイク御年93(!)
油断してるといろんな映画に出てくる(※褒め言葉です)メリル・ストリープが演じるメリー・ポピンズのいとこのトプシーは、前作のメリー・ポピンズのおじさんのアルバートの焼き直しのようなキャラクターだし、悪の“キングスマン”コリン・ファースが演じる銀行の頭取もやはり前作でディック・ヴァン・ダイクが演じたミスター・ドーズ・シニアとやってることはほぼ同じ。
1本の独立した映画になっていなくて、続篇なのかリメイクなのかどっちつかずなところがある。
トプシーが子どもたちから預かった割れた壷って結局どうなったんだっけ?
…ちゃんと観てないくせに偉そうなこと言いそうになってきたんでちょっとクールダウンしますが、僕も出演者たちが唄って踊って観客を楽しませてくれる映画は大歓迎だから、本気でこき下ろすつもりはないんです。この映画を楽しんだ人たちのことをとやかく言う気もありません。
ただ、僕自身とても期待してて楽しむ気満々でいたのが、『グレイテスト・ショーマン』のように期待通り、もしくは期待以上の満足感が得られなくて鑑賞後にわりと本気でヘコんだので(居眠りしてしまった無念さもあるが)、そのことはちゃんと記しておこうと思いまして。
最大の問題点が“歌”だったことは先ほど述べましたが、それと同時にストーリーもちょっと飲み込みづらいところがあって。
いや、元のオリジナル版自体が主人公は空から降りてきた魔法使いだし、ナンセンスなイメージに溢れた「おとぎ話」なので、お話の一貫性だとかリアリティ云々をあげつらいたいのではなくて、そもそも借金を返し忘れてて、おまけに父親が残した株券のこともコロッと忘れていたマイケルがすべての元凶なのに、そんな彼が子どもたちにキツくあたるのはおかしいだろう、という疑問が拭えないんですよね。その探していた株券を一度は手にしておきながら、気づかずに捨てようとまでしてたし。
妻の死のショックから立ち直れなくて、という理由付けは一応あるんだけど、父親があまりにボンヤリし過ぎてて「全部お前のせいじゃねーかよ」と思っちゃう。
前作で結局メリー・ポピンズに一番救われたのは父親のジョージだったように、今回もマイケルこそがこの映画の本当の主人公ともいえるわけで、だから心が弱っていた彼がメリー・ポピンズによって最後に大切なものに気づかされる、というのは理に適ってるんだけど、ベン・ウィショーの芝居はちょっとリアル過ぎるところがあって(オリジナル版の舞台である1910年代と同時代を描いた『未来を花束にして』でも彼は貧しいヒロインの夫をシリアスに演じていた)、無邪気にミュージカルを楽しむことをしばしば阻む。
借金を期限までに支払わなければ、という実に世知辛い話である一方でその解決策がまるっきり現実味のないものなので、なんだかひどく安易なストーリーに思えてしまったし。
オリジナル版はすでに「古典」であるからこそ楽しめるんで、同じ世界観で今新作を作るといろいろと疑問も出てきてしまう。
ビッグベンの建物をジャックが梯子を使って昇っていくクライマックスで、あれだけ苦労していたのに最後にあっさりメリー・ポピンズが空を飛んで時計の針を戻してしまう展開には呆気にとられてしまった。
「メリー・ポピンズ」の物語って例え話の一種で、メリー・ポピンズというのは親の代わりに子どもたちの面倒を見てくれる「イマジナリー・フレンド」であったり(キャラクターは全然違うけど、“クマのプーさん”と同じように)、大人が忘れた子ども時代の無邪気さ、自由さを体現する存在だったりするんで、現実に超能力を使って人を助けるスーパーヒーローではないと思うんだけどなぁ。
だって、あれじゃ自転車で大挙して駆けつけたジャックたちのやったことは全部無駄になっちゃってるじゃないか。あそこはジャックや子どもたちの手で問題を解決しなければ。
後半がハリウッドのありふれたファンタジー映画になってしまっている。
僕はてっきりあの無数の自転車で一斉に地球の自転と逆方向に走って時間を巻き戻すのかと思ったんだけど(スー○ーマンかw)。それぐらいありえないナンセンスな展開だったら、前作でバンクス氏がほんとに追いつめられた時に呟く呪文「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」のように笑って流せたんだがな。
オリジナル版でも、終盤のジョージと子どもたちの銀行でのエピソードではしばらくメリー・ポピンズは出てこなくなる。ここぞというところでメリー・ポピンズはスッと存在感を消すのだ。
悲しみに満ちた歌を唄いずっと深刻そうな表情をしていたマイケルが、最後に笑顔になって子どもたちとともに風船で空に浮かんでいく姿にはホロッとさせられましたが。
あの最後のみんなで風船で空を飛んでいくシーンはジブリの『ホーホケキョ となりの山田くん』のラストを思い出しました。
あの3人の子どもたちは、かつてのマイケルの姿でもあるんだよね。大人になったマイケルは、この映画の中でしばし子どもの頃に戻ってメリー・ポピンズとともに思いっきり自由に遊ぶのだ。
そして忘れかけていたものを取り戻す。かつて父ジョージもそうしたように。
この映画については個人的にそんなにケチをつけたくないし、客足が意外と伸びていないようなことを言われてたりもするんで、できれば応援したいんですけどね。
僕もかつてバンクス家の人々のようにメリー・ポピンズみたいな存在にお世話になって(言うまでもないですが、実際に“ナニー”がいたということではありません)、いつの間にか姿を消していたんだけど、でもたまにまた彼女にSOSを発したくなる時がある。
現実の厳しさに打ちひしがれそうになったり、疲れてつらくて悲しみに囚われてしまう時に、それを乗り切るために助けを必要としている人のところへ彼女は降りてきてくれる。
これからも、僕たちは何度も彼女に出会えるでしょう。それはけっして恥ずかしいことでもダメなことでもない。
この映画を観てあらためて気づかされたのは、メリー・ポピンズは魔法や夢を見させてくれるけど、それは最後には僕たちの身近にある大切なものに目を向けさせるためだということ。
「あちらの世界」に行ったきりにさせるのではなくて、僕がこの現実を生きるために彼女はやってきて、そして「扉が開いたら」また空に戻っていく。
人生はその繰り返しなのでしょう。
最後にバンクス家の家族たちを救う、まるで“デウス・エクス・マキナ”のような都合のいい「2ペンスの貯金」というのはきっと比喩なのだ。親から受け継がれた知恵のことだったり、愛情のことだったり。
子どもたちの「お母さんは、今はいないだけ」という言葉は、まさしく「スプーン1杯の砂糖」となってマイケルを慰めて、その妻が遺した彼ら子どもたちというかけがえのない存在にあらためて目を向けさせる。大切なものが自分にはある。そう思えることが大事。
僕にとっては「映画」がその役割を担ってくれているのかもしれない。
『メリー・ポピンズ』のサントラをまた聴こっと♪
※アンジェラ・ランズベリーさんのご冥福をお祈りいたします。22.10.11
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